
武塙麻衣子 たけはな・まいこ
1980年神奈川県生まれ。作家。立教大文学部卒。2024年「酒場の君」(書肆侃侃房)で作家デビュー。「西高東低マンション」(講談社)発売中。2026年夏に「一角通り商店街のこと」(小学館)が発売予定。
※photo by Yusuke Nakanishi
三皿め 神奈川・川崎「丸大ホール本店」
毎年ゴールデンウイークに有楽町の朝日ホールで開催されるイタリア映画祭に今年も四日ほど通った。『平原の町々』という映画の中で、一晩中あっちこっちで飲み続けた酔っぱらいの中年男ふたりがべろべろになりながら朝を迎え、こんなことを言っていて痛快だった。
「寝酒にさえありつかなきゃ今はまだ昨日だ。もう一杯最後に飲もう!」
ここ数年、早朝に小説やエッセイの執筆をしている。最近はもう五時を過ぎれば空が白みはじめ、その清潔な明るさももちろん良いけれど、冬の朝、まだ暗いうちに台所でお茶を淹れ、三匹いる猫のうちの一匹を膝にのせて暖を取りながら資料やメモをあれこれひっくり返して原稿を書く時間というのが意外と好きだ。朝のうちに仕事を仕上げた日は、それがどんなに早い時間帯でも、終業後の酒を飲んでいいと決めている(やる気が出る)。この連載のタイトル『ゆうべ、酒場で』とは真逆になってしまうけれど、実は私は朝酒が大好きである。
先日も朝八時頃に原稿を書き終えて担当編集者にメールし、よおし、今日は千葉まで飲みに行こうとうきうき支度をしてマンションの敷地から一歩外に出てみたらこれは無理だなという暑さと陽差しだった。私は寒さにはめっぽう強いが暑さと湿度に異常に弱い。それで楽しみにしていた船橋の肉豆腐を諦めて行き先を三十分もかからずに行くことができる川崎に変更した。ひとりでふらっと予約も無しに飲みに行くことの利点はこういうふうに予定通りに動かなくても全く問題ないところ。
京浜東北線で水上勉『土を喰う日々』を読みながら川崎へ向かう。この本は、とても静かで地に足がついていて文章を読むだけでじんわりと美味しい。最近はそういう本を読む時が一番幸せを感じる。とはいえ読書で腹は膨れないので、急ぎ足でJR川崎駅の北改札を出てショッピングモールとは反対の方へ進む。図書館の入っているビルの二階を抜けて端の階段を降りれば丸大ホールはもう目の前。短い横断歩道の信号が変わるのをじりじり待って飛び出すように渡り、紺地に白い字で大衆酒場、大衆食堂と染め抜かれた暖簾がはためいているのが、丸大ホール本店だ。がらりと戸を開けると店内に六人がけのテーブルが六つほど。入ったことはないけれど、奥には畳の部屋もある。十時の開店からほんの四分ほど遅れて着いただけなのに店内はすでにほぼ満席だった。つい数年前まで丸大ホールは朝八時半開店で、若い頃は、朝八時半から酒を飲むのは一体どんな人たちだろうと不思議に思っていたけれど、今ならばわかる。あれは今日という一日をまだ終えたくない人たちだったのだ。
「空いてる席にどうぞ」
明るく声をかけてもらって、相席できそうな席を探す。すでにテーブルについた人々はすぱすぱと煙草を吸っていた。彼らが吸う煙草の煙が細く何本も天井に向かってのぼっていく様を、壁際の席に腰かけてぼんやり眺めた。グループで来ている人たちのテーブルは賑やかだ。楽しそうにジョッキを傾けながらいくつかのつまみを分け合って笑い声をあげる。私の座ったテーブルはみなひとり客ばかりなので、「生ビール、モツ煮込み、煙草とスマホ」とか「瓶ビール、刺身、煙草、スマホ」、「ボトルキープの焼酎、刺身、煙草、スマホ」というふうにそれぞれの小さな世界が構築されていてとても静かだ。煙を目で追うのにも飽きて視線を動かすと、天井付近には赤と白の縞模様の提灯がいくつも等間隔に並んでいて、祭りの名残のような柔らかい気配が漂っていた。端にひとつだけ青が混じっているものもあってそのデザインはぱっと見ただけでは沖縄のオリオンビールを想像するけれど、よくよく見れば提灯に書かれた文字はアサヒビールとあり、そうか、業務提携かと思いながら、飲み物を訊きにきてくれた店員さんに、
「瓶ビール、キリンお願いします」
とまったく関係ないビールを注文してしまう。逆さにしたコップをちょんとかぶせた瓶ビールがすぐに運ばれてきた。壁に貼られた短冊をあれこれと見てはいたが、今日の注文はもう決まっている。
「肉豆腐をください」
丸大ホールの肉豆腐は両側に持ち手のついた銀色の小さな鍋で供される。ネギとたまねぎ両方が入っていて肉は豚。味付けは薄めで豆腐はほぼ白い。ほんのり優しい出汁の効いた煮汁にどっさりとこれらの具が入っているので、ひとりで食べきれるだろうかと一瞬不安になるものの不思議なことにいざ食べ始めるとするするお腹におさまってしまって少し辛くしようと七味唐辛子を振る頃にはもう半分も残っていなかったりする。汁物でビールが進むと知ったのはわりと最近のことでそれまでは水分に水分をぶつけるなんて!
と思っていた。味覚も楽しみ方もいつの間にか知らないうちにどんどん変わっていく。
迷った時は「喉任せ」
二杯三杯と杯を重ねたまわりの声が少し大きくなってわんわん頭上を飛び交うのが面白い。「数年に一回行きますよ」という声がふいにはっきりと耳に飛び込んできて、でも数年に一度どこへ行くのかまでは聞き取れなかった。ちょっとすみません、数年に一回どちらへ行かれるのです?
と訊きたい気持ちがむくむく湧いてきて、振り返って本当に質問してしまう前に手をあげて空豆と桜えびのかき揚げを注文した。ウーロンハイと緑茶割りのどちらをかき揚げに合わせて飲むかぎりぎりまで迷って喉から出てきた言葉が緑茶割りだった。選べないなあと思う時、私はこうして「喉任せ」にすることが多い。けっこう便利。しばらくすると、大ぶりなかき揚げが運ばれてきた。熱いうちにお箸を差し込んでざくりざくりと分解する。衣がところどころ透けるように軽く、桜えびの朱と空豆の柔らかい緑がいい具合にのぞいていた。空豆の青い甘みは素晴らしいとひとり小さく頷きながら、食べる。丸大ホールで肉豆腐とかき揚げを食べた時、最後にこぼれたかき揚げのかすをれんげで集めてさっと肉豆腐の汁にくぐらせて口に運べば即席たぬき豆腐のできあがり。これが好き。ごちそうさまでした。時計を見るとまだ十一時にもなっておらず、これは完璧な朝酒だ。もしこの場にカルロビアンキとドリアーノがいればべろべろに酔っぱらいながらこう言ってくれるだろう。
「さあもう一杯最後に飲もう!」

























