東日本大震災から丸13年が経とうとする中、県内には未だに仮設住宅で暮らす避難者がいる。
震災後、県内には最大で1万6800戸の仮設住宅が建設され(2013年3月)、ピーク時には入居戸数1万4590戸(同年4月)、入居人数3万3016人(12年7月)を数えた。その後、復興が進むにつれて災害公営住宅に転居したり、住宅を新築したり、元の自宅に戻る人が増え、仮設住宅の入居戸数・人数は減っていった。14年7月からは仮設住宅の撤去も始まった。
県公表のデータ(応急仮設住宅の入居状況推移)を見ると、1万6800戸あった仮設住宅は昨年12月31日までに1万6678戸が撤去され残り122戸となっている。一方、同じデータには今年1月31日現在、入居戸数3戸、入居人数4人という驚きの数値も。震災から丸13年が経とうとする中、未だに仮設住宅で暮らす避難者がいるのだ。
データをさかのぼると、2020年7月に入居戸数8戸、入居人数12人まで減り、翌月に同3戸、同5人になった。その状態が1年5カ月続いたあと、22年2月に戸数は変わらず3戸だが、人数が4人になって現在に至っている。察するに、減った1人は転居されたか、亡くなられたと思われる。
ちなみにこの仮設住宅は双葉町からの避難者を対象に建設されたもので、郡山市日和田町にある。今も122戸が撤去されていないということは、3戸で4人が暮らし、残り119戸は空き家ということになる。
双葉町のホームページを見ると、次のようなお知らせが載っていた。
《福島県は、応急仮設住宅の供与期間について、供与期間を1年延長し、令和7年3月末までとすることを決定しましたのでお知らせいたします。令和7年4月以降の延長については、福島県が今後判断し、その取り扱いについては、改めて本町に通知があります》
一体どんな人が、どういう理由で今も仮設住宅に暮らすのか。双葉町住民生活課に問い合わせると
「それぞれ事情をお持ちなので、町があれこれ話すのは控えたい」
記者はこの仮設住宅がどうなっているのか把握するため、2月上旬、現地を訪ねた。
敷地内を見て回ると、玄関前に車を止めているお宅が2戸あった。失礼を承知で1戸目の呼び鈴を鳴らすと、高齢の女性が姿を見せた。筆者がガラス戸越しに名刺と雑誌を見せると「何の用だ! 話すことなんてないよ!」と言ってドアを閉めた。得体の知れない訪問者が突然現れれば、怒りたくなるのは当然。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
車が止まっていたもう1戸も呼び鈴を押してみたが、こちらは音が鳴らず誰も出てこなかった。ただ、洗濯物が干してあり、生活している様子はうかがえた。
仮設住宅を後にしようとしたら、敷地奥で男性2人が立ち話をしているのを見つけた。声をかけると、周囲に張られたネットの修繕に来ていた地元業者だった。
「県から依頼があると今日みたいにメンテナンスに来ます。入居者とは挨拶だけでなく会話もしますよ。今日は取材ですか? それぞれの事情は私も少しは知っているが、プライバシーに配慮してそっとしてあげてほしい」(地元業者の男性)
入居者たちは、原発事故がなければ今ごろ故郷の双葉町で平穏な暮らしを送っていたに違いない。多くの人の人生を狂わせてしまった国と東京電力は、その罪の重さを今一度思い知るべきだ。