今年4月、郡山市内の歩道を歩いていた知人男性を自動車でひきけがを負わせたとして、傷害罪に問われた元暴力団員の冨田一幸被告(43)=郡山市=に6月17日、地裁郡山支部(下山洋司裁判官)は懲役3年(求刑懲役3年6月)を言い渡した。
大ごとになり組事務所に警察捜査
冨田被告は同じ暴力団の組員と共謀して男性をひき殺そうとしたとして殺人未遂容疑で逮捕された。暴力団同士の抗争とみる向きもあったが、きっかけは知人男性との口喧嘩だったことが裁判で分かった。所属する暴力団の事務所が警察の捜索を受ける事態に発展し、被害男性A氏(38)が「刑事罰を望まない」と意思を示すことで鎮静化を図った。
事件は4月1日(月)未明に同市大槻町中野の県道で起こった。きっかけは前日にさかのぼる。指定暴力団の3次団体に所属する冨田被告とB氏(30)は、この日、今回被害者となったA氏と一緒にB氏の引っ越しを手伝った。
引っ越し作業終了後、3人で酒を飲んでいると冨田被告とA氏が些細な理由で口論になった。A氏が帰った後も口論は電話で続いた。冨田被告は知人名義の車を運転し、助手席にB氏を乗せてA氏を探した。
市内大槻町中野の県道を進むと、「あの野郎、見つけた」と左前方の歩道を進むA氏を確認。冨田被告は時速14㌔で乗っていた車をA氏に衝突させ、左前輪でひき、A氏の体の上に乗り上げた。A氏は肋骨と右上腕を骨折する全治3カ月の大けがを負った。
冨田被告は倒れたA氏の上に車を乗り上げさせた際、「おめえ、俺が誰だか分かってんのか。俺を怒らすとこうなるんだ」と言ったという。B氏は警察を呼んだ方がいいと助言したが、冨田被告は「うるせえ黙ってろ。生意気言うならおめえもひき殺すぞ」と反発した。
6月4日に地裁郡山支部で開かれた初公判で、冨田被告は「殺すつもりはなく、驚かすだけのつもりだった」と述べたが、自動車を暴力行為に使ったのは素手で殴るより結果は重大だった。冨田被告は暴力団員であり、警察沙汰になれば所属する組に迷惑が及ぶ。その場にいた3人は冷静になり、事態を収めようと一致団結した。
公判での検察側の証拠によると、ひかれたA氏は冨田被告に119番を呼ぶよう頼み、「とりあえず逃げてくれ」と言ったという。冨田被告はヤスダという偽名で119番し、その場を去った。同市湖南町に逃げ、2日後に殺人未遂容疑で逮捕された。弟分のB氏も共謀したとして同容疑で逮捕されたが、嫌疑不十分で不起訴となった。
事件後、冨田氏は20万円を被害者のA氏に支払い、A氏が「いかなる刑事罰も望まない」と表明する条件で4月23日に示談が成立した。治療費は30万円以上掛かったが、起訴されたら20万円すら受け取れない最悪の事態を想定し、A氏は納得いかないが示談に応じたという。翌24日に検察は傷害罪で、冨田被告を起訴した。
A氏は冨田被告をかばう情状証人として出廷した。弁護人になぜ酷い目に遭ったのに証人になったのかと尋ねられると、
「ただの友人同士の喧嘩だった。私も口が悪く、言葉の暴力で冨田被告に酷いことを言った。これまでも怒らせることはあったが、喧嘩しても仲は良かった」と答えた。3人は事件前、酒に酔っていた。今回も悪口を言い怒らせてしまったという。 A氏は、刑事処分は望んでおらず「もう暴力団に入ってほしくない。罪を償って以前のように遊びたい」と冨田被告に言った。
当事者たちが「ただの喧嘩」で終わらせたかったのに反し、事態は深刻な方向に向かった。4月10日には郡山署と県警組織犯罪対策課の捜査員約25人が郡山市内にある組事務所を捜索した。
冨田被告は裁判で、勾留中に面会に来た組員に破門を言い渡されたと明かした。暴力団から足を洗い贖罪の意思を示すために反省文を書き、法廷で弁護人が読み上げた。一部を抜粋する。
「何という愚かで安直なことをしたのでしょうか。後悔してもしきれません。口論になったとは言え、暴力で解決するのは許されることではありません」「反社との関わりを断ち必死で働きます。今後、他のトラブルが起こっても冷静に対処し、相手に否があったとしても話し合い、民主的な解決法を採ります」「もう暴力や愚かな行為はしません。A氏やその家族、関係者には心から謝ります」
暴力団が関わる事件の裁判を傍聴する裁判マニアは「暴力団員が反省の弁を述べる時に使う典型的な構文です。マニュアルがあるのでしょう」と分析する。
暴力団は法令を軽視して活動しているので、司法の権威を物ともしない。彼らが絡む事件は、多くを語らず真相が曖昧になることが多い。今回の事件は、当人たちにとっては内輪の喧嘩だったが、街中でのひき逃げに発展したため大ごとになった。