いわき市のJRいわき駅前にある繁華街で建物13棟を焼く火災が発生し、44軒が被災した。3週間経っても現地のがれきは残されたまま。今後はがれき撤去費用の負担と再開発の行方が注目される。(志賀)
焦点はがれき撤去と再開発の行方
いわき市を代表する繁華街と言えば、多くの市民がJRいわき駅前の「田町」と答えるだろう。平字田町という住所名からついた呼び名で、JRいわき駅前ビル「ラトブ」西側に位置する。繁華街の中心は仲田町通り、新田町通り、紅小路通りという3本の通り。いわき駅に近い順番に「1本目」、「2本目」、「3本目」と呼ばれている。
本誌昨年6月号では、田町を中心とする平地区のスナックが2019年の152店舗からコロナ禍以降の2021年に120店舗へと減少していることをリポートした。売り上げが減ったことに加え後継者不在が重なり、廃業したケースも少なくなかったようだ。
取材当時、20~21時の時間帯になると「2本目」、「3本目」はスナックの女性従業員による客引きで溢れた。22時を過ぎると「お兄さん、マッサージいかがですか」と片言で誘ってくる女性が増えた。土曜の夜でも22時には客が引け、コロナ禍がひと段落しても状況は改善していない様子がうかがえた。
業界関係者によると、記事掲載後も売り上げはコロナ前の水準に戻っていない。自粛期間中、外で飲む習慣が減ったことも影響しているとみられ、「今年も5月の大型連休以降、客足は少なかった」(田町の飲食店経営者)。
そんな苦境の繁華街に追い打ちをかけたのが、5月26日午前10時ごろ、「2本目」と「3本目」の間のエリアで発生した火災だ。
日曜日の午前中ということもあり幸い人的被害はなかったが、建物が密集しているエリアなのに加え、当日は強い風が吹いていたため、隣接する店舗に燃え広まった。被災した建物は13棟(全焼5棟、半焼2棟、部分焼5棟、ぼや1棟)、焼損床面積は合計1244平方㍍に及んだ。総テナント数79軒(空き店舗含む)のうち44軒が被害を受けた。
前日が土曜日で各店遅くまで営業していたこともあり、店内で仮眠していた人も多かった。火災で店舗を失ったある男性店主は破裂音と「火事だ」という声で目を覚ました。外に出たら近くの建物の窓から火が吹き出しているのが見えたという。
「周辺に煙が流れ、火の回りも早かったので、財布と携帯電話だけ持って避難しました。DJをするためのターンテーブルや、これまで買い集めてきたCDなどがすべて焼けてしまったのが残念です」(男性店主)
いわき市消防本部では火元や火災の原因、焼失面積を調べているが、全容解明には3カ月程度かかる見通し。ただ火災直後、ある店舗経営者がやけどを負いながら必死で初期消火を試みる姿が目撃されており、自身のSNSでは自ら失火を認め、おわび文まで投稿している。
147棟が焼損した新潟県糸魚川市の火災、45軒が焼損した福岡県北九州市・旦過市場の火災では、火元と特定された人物が業務上失火罪で逮捕された。今回の火災の火元に関しては真偽不明のウワサも飛び交っているので、消防・警察の調査結果を待ちたい。
6月6日夜、現地に足を運ぶと、火災から10日以上経っているにもかかわらず、一面にがれきが積み上げられており、「3本目」は途中で通行止めとなっていた。近くのスナックの女性経営者に声を掛けると「通行止め地点でみんな引き返すので、お客さんが全く来ない。いい迷惑。誰か補償してほしい」と憤った。数日前までは焦げたような匂いがまち全体に充満していたという。
焼け出された店舗の対応は、早々に空きテナントを探して営業再開、知り合いの店舗で間借り営業、後片付けの負担と精神的ダメージの大きさから様子見――などのケースに分かれている。所有するビルを焼失した地権者は「ビルオーナーはともかく、テナントとして入居していた店舗は火災保険に入っていないところも多い。借金が残っているのに生活の糧である店舗を失い、途方に暮れている人もいるはずだ」と話す。
タスクフォースは仲介・調整役
別の日の昼間に足を運ぶと、がれきの一角に花が飾られていた。保護猫活動の一環でカフェの店内にいた2匹の猫が今回の火災で焼死し、常連客が花を手向けたという。カフェのオーナーはがれきを片付けながら「1匹が行方不明になっているので探しているところです」と明かした。人的被害がなくてよかったと言われているが、動物が命を落としていたということだ。
市では火災の影響を最小限に留めるため、内田広之市長をリーダーとする官民合同組織「タスクフォース」を立ち上げた。関係部署である産業振興部、土木部、消防本部で構成され、アドバイザーとして生活環境部が産業廃棄物(がれき)に関する助言を行う。民間からはいわき商工会議所がオブザーバーに入っている。
もっとも、その役割は〝仲介・調整役〟に過ぎない。自然災害と異なり、火災の場合、公費を使ってがれき撤去や燃え残った建物を解体することはできないからだ。
通常の火災であればがれき撤去・解体費用は建物の所有者が負担するが、今回の場合、複数の建物のがれきが積み重なり、どのビルのものか分からなくなっている。関係者によると、大規模ながれきの撤去・解体は1000万円単位の費用がかかり、火災保険の対象になったとしても全額を賄うのは難しいとみられる。
6月25日に開かれたタスクフォースの会議ではクラウドファンディングで資金調達する方針が示されたが、どれだけの金額が集まるかは不透明。最終的には応分負担になる可能性が高く、タスクフォースの担当者は「地権者やビルオーナー、各テナントの店主などで話し合って決めていただきたい」と語る。
ただ、複数の地権者に確認したところ、横のつながりはほとんどなく、考え方もそれぞれ異なるという。前出・タスクフォースの担当者もこのように話す。
「火災発生後、地権者や店主が相談に来ましたが、『早めにがれき処理して再興したい』という方もいれば、『気持ちの整理がつかなくて今後のことは考えられない』という方もいる。足並みをそろえて合意形成を図り、撤去工事に着手できるまではもう少し時間がかかるかもしれません」
6月26日付の福島民報によると、前述・北九州市の火災の際は、市や商工会議所、商店街の組合が連携しクラウドファンディングで撤去費用を募って4000万円の撤去費用を調達したほか、復旧対策会議を立ち上げるなどして積極的に支援した。いわき市のタスクフォースはこの取り組みを参考にしたものだが、田町の場合、被災の程度が建物ごとに異なるうえ、地元の経済団体や組合に所属していないため、一体的な動きが取りづらい事情があるという。
6月12日には、市により「2本目」と「3本目」の間のがれきを取り囲むようにバリケードが設置され、ひとまず通行止め状態は解除された。ただ、今後は火災保険の手続きで現状確認が必要となることもあり、がれきはしばらくそのまま置かれる可能性が高い。
火災現場に隣接するビルのオーナーはこのようにボヤく。
「火災の影響で窓ガラスや電気配線が被害を受け、停電状態が続いています。建物には影響がないので、早いところ復旧工事を行いたいが、がれきの山があるので着手できない。テナントに入っていた店舗は『電気が使えないと営業できない』と出ていってしまった。ビルが全焼したオーナーは気の毒だが、こちらも生活がかかっている。誰でもいいから地権者が音頭を取って、早いところがれき撤去を進めてほしい」
別のビルのオーナーは次のように嘆いた。
「1899(明治32)年に定められた失火責任法では、重大な過失を除き、失火による火災に対し損害賠償請求を問わないと定められています。だからと言って、焼け出された人が泣き寝入りするしかないいまの状況はあまりにひどい。国や行政にはせめて寄り添う姿勢を示してほしい」
タスクフォースを率いる内田市長の対応力が問われている。
昔は芸者の置屋が並んでいた
いわき総合図書館の元館長で、いわき地域学會幹事などを務める地域史研究家の小宅幸一さんによると、もともと田町は磐城平藩の武家屋敷が並んでいた地区で、繁華街の中心にある道路は堀だったという。
明治維新後、一帯は明治政府に接収され、民間への売買を経て畑などになっていたが、1897(明治30)年、平駅(現いわき駅)が開設され、鉄道が開通したことが転機となった。駅前に人が集まり、現在の並木通りには繁華街が形成され、そこに隣接する田町も堀が埋め立てられ、芸者の置屋が並ぶようになった。「炭鉱・漁業がいわき経済を牽引していた時期で、田町は富裕層が遊びに来る落ち着いた雰囲気のまちに生まれ変わりました」(小宅さん)。
花街は戦火にさらされることなく、戦後もにぎわっていた。だが、昭和30~40年代になると常磐炭鉱の閉山、漁獲量の減少が重なり、芸者遊びをする人が少なくなる。置屋も減っていく中で、空いたスペースに出店したのがスナックや飲み屋など手軽に遊べる店だった。田町は再び新たなまちに生まれ変わったわけ。
平地区のナイトスポットとしては鎌田遊郭(現在の鎌田町周辺)などもあったが、いずれも廃れていき、田町だけが残った。
市南部に住む年配男性によると、田町は特別な場所で、普段は近場の居酒屋で飲んでいても、得意先や経済人などとの飲み会は田町で行われることが多かったという。平地区で飲み会や会合があるとその帰りに田町に立ち寄り、馴染みの店に顔を出すのが楽しみとなっている。
一方で、この年配男性はこうも話す。
「若い世代はそもそも飲みに出かけないだろうし、二次会に行くとしてもカラオケ店などで、田町のスナックなどに行く人はごくわずかだろう。田町にノスタルジーを感じて通い続け、今回の火災にショックを受けているのは70〜80代ぐらいの人たちかもしれませんね」
震災・原発事故直後は原発作業員が飲み歩く姿もみられ、店の雰囲気が変わることを懸念して会員制に切り替えた店舗もあった。近頃はいわゆる〝ぼったくり〟店舗も複数あるようで、「ある店に2人で飲みに行って、吉四六(焼酎)のボトルを1本入れたら12万円請求された人がいた。田町周辺にはそういう店はないと言われていたのに……」(ある飲食店の女性店主)という話も聞かれた。冒頭で述べた通り、コロナ禍で客足が途絶えたことが影響しているのかもしれない。
幾度も姿を変えながら生き残ってきた田町。今後は前述したがれき撤去に加え、火災跡の復旧が焦点になるだろう。
前述の通り、今回の火災では13棟が焼損したが、同じように飲食店ビルを建築することはできない。というのも、建築基準法では道路の幅員は公道、市道を問わず4㍍以上と定められており、新たに建物を建築する場合は、敷地が幅員4㍍以上の道路に最低2㍍以上接してなければならないとなっているからだ。「2本目」、「3本目」は幅員4㍍以下。つまり、新たに建物を建築できない。
「区画整理して再開発すべき」
このルールは緊急時の避難経路確保や緊急車両通行のために定められているもの。実際、田町での消火活動の際、消防車は火災現場の近くに入っていけなかったようだ。当然、大型トラックも入れないので、がれき撤去はかなり難航することが予想される。
以上のような事情を踏まえると、がれき撤去後の火災跡は駐車場や広場として利活用されるのではないかというのが現実的な見立てだ。
「焼け出された店舗は屋台やキッチンカーを出店すればいい」という提案もあるが、昔ながらの横丁の雰囲気が魅力だっただけに、どれだけ集客できるかは不透明。
「思い切って火災跡を含む一帯の区画整理を進め、再開発していくべき」と話すのはあるビルオーナーだ。
「中途半端に駐車場や広場を設けるより、火災跡の東側(ラトブ側)の店も含む区画整理を行い、一帯を再開発した方がよほど可能性は広がるはず。ある意味、田町を再生させる絶好の機会でもある。火災からまだ1カ月で、そういう話をする段階ではないことは承知していますが、もう少し時間が経って、他の地権者の皆さんとの交渉や条件面での折り合いがつけばぜひ協力したい」
これまで田町ではボヤ程度はあったものの、大規模な火災は発生していなかった。今後は防火対策の徹底も求められよう。平消防署によると、田町は飲食店が密集していることから危険区域に指定され、火災が起きた際には四方から消火活動を進められるよう、配置などを事前にシミュレーションしていた。今回はそうした対策が奏功した形だ、6月19日からは再発防止に向けた防火対策の確認とアピールのため、警察と連携して夜間防火指導なども実施している。
2023年1月にはいわき駅に直結する駅ビル「S―PALいわき」が開業し、駅前を走る並木通りでは現在、マンションと商業施設の建設工事が進む。駅周辺の風景が一変する中で、昭和の香りを残す繁華街・田町はこのまま廃れていくのか、形を変えながら生き残っていくのか。