逆境でも走り続けた「山の神」今井正人さんインタビュー

逆境でも走り続けた「山の神」今井正人さんインタビュー

 南相馬市小高区出身で、大学時代に出場した箱根駅伝での活躍から「山の神」と呼ばれた陸上長距離選手・今井正人さん(40)。2月に現役を引退し、指導者の道を歩んでいる。選手生活を振り返ってもらうとともに、故郷・福島県への思いについて語ってもらった。(志賀)

陸上長距離指導者 今井正人さん

20年以上にわたり現役生活を続けた(今井さん提供)
20年以上にわたり現役生活を続けた(今井さん提供)

 1964年東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉さん(須賀川市出身)、マラソン日本最高記録を樹立した藤田敦史さん(白河市出身)、北京五輪男子マラソン代表の佐藤敦之さん(会津若松市出身)……福島県は優秀な長距離ランナーを数多く輩出してきた。

 その中でも、特に大きなインパクトを与えた選手と言えば、今井正人さん(南相馬市小高区出身)が挙げられる。

 順天堂大2年生のときに出場した2005年第81回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)で5区に起用された。厳しい上り坂区間にもかかわらず、驚異の11人抜きを果たし、区間記録を大幅に更新した。

 翌2006年も5区を走り、5人抜きで区間賞を受賞。同大学17年ぶりの往路優勝に貢献した。

 陸上部長距離ブロック主将として臨んだ2007年も5区を任され、自らが持つ区間記録を大幅更新。同大学に2年連続往路優勝、6年ぶりの総合優勝のタイトルをもたらした。

 今井さんがゴールし、往路優勝が決まった瞬間、日本テレビの中継で「山の神、ここに降臨! その名は今井正人!」という実況が流れた。以来、「山の神」は5区で3年連続区間賞を獲得した今井さんの代名詞となった。

 卒業後はトヨタ自動車九州に入社し、国内トップレベルの選手としてマラソン、駅伝などで活躍した。だが、近年は目立った結果を残せていなかった。昨年10月、脚の痛みを押してパリ五輪日本代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」に出場したものの、30㌔時点で設定タイムに間に合わず失格。今年2月、現役引退を発表した。

 引退後はトヨタ自動車九州に所属し後進の指導に当たるとともに、同社から出向する形で、母校・順天堂大スポーツ健康科学部の非常勤講師、同陸上部の長距離ブロックコーチを兼任することになった。大学時代の同級生・チームメートで、卒業後も互いに相談し合う仲だった長門俊介監督に現役引退前からラブコールを受けていたという。

 現在は長門監督のもとで選手たちの練習をサポートし、アドバイスしている。家族は九州の自宅に残り、同学部のキャンパスがある千葉県に単身赴任中。定期的に行き来する生活を送っている。

 そんな今井さんに20年以上に及ぶ選手生活を振り返ってもらったところ、「山あり谷ありで、谷の方が多かったと思う」と、「山の神」らしい言葉で表現した。

 「ただ、『ああでもない、こうでもない』と試行錯誤しながら改善していくのは昔から好きだったので、結果が出ない時期も含めてすごく充実していたと思います」

 小さいころは3人の兄の影響を受けて野球に夢中だった今井さん。長距離ランナーとして活躍することになったのは、3つのターニングポイントとなるレースがあったという。

 1つ目は中学3年生のときに出場した市町村対抗福島県縦断駅伝(通称・ふくしま駅伝)だ。

 「当時は野球部に所属していたが、熱心な先生に誘ってもらい小高町(当時)代表として出場したのです。ふくしま駅伝3区での成績が評価され、都道府県対抗男子駅伝の県代表に選ばれ、中学生区間の6区で、区間3位の成績を残しました。もともと走るのは好きで、小学生のころからロードレース大会などに出場していました。都道府県を走ったことにより、陸上で勝負して結果を出す楽しさを知り『陸上で勝負したい』と、原町高校進学後に陸上部に入りました」

人の苦手分野で勝負する

今井正人さん

 2つ目は大学2年生のときに走った箱根駅伝だ。

 「長距離ランナーになるからには『五輪マラソン競技で金メダリストになる』という目標を掲げていました。ただ、高校時代にインターハイなどに出場したものの、全国高等学校駅伝競走大会には出場できなかった。『自分ならではの強みを発揮して目立たなければ、実業団でマラソンをやる道が開けない』と危機感を抱いていました。そうした中、5区で区間記録を2分以上更新するという結果を出し、注目してもらうことができました」

 実は今井さん、大学1年生のときは、各大学のエースが走る「花の2区」を任された。翌年以降も2区を走り続けるつもりだったが、陸上部の仲村明監督が上り坂の適性を見いだし、5区に配置した。

 「上り坂が得意だと自覚していたわけではありません。ただ、父親(今井一秀さん)や高校時代の陸上部の畑中良介監督から『他の人が苦手と感じるところで勝負できる人は強い』と言われていて、できるだけそうした点を伸ばすことを心がけてトレーニングを重ねていました。当時5区はいまほど注目度が高い区間ではなかったので(仲村監督には)『2区を走りたい』と希望を伝え続けましたが、その半面、5区で走ることは自分にとって大きな強みで、チームに一番良い効果をもたらすことも分かっていたので、監督の決定は素直に受け入れていました」

 結果、今井さんは3年連続区間賞という記録を作り、「山の神」として記憶にも残る長距離ランナーとなった。能力を見いだした仲村監督もさることながら、今井さんが自分の能力やポジションを冷静に分析し、狙い通り高い評価を得たことに感心させられる。

 3つ目は2013年2月に出場したニューヨークシティマラソンだ。

 「2008年から実業団でマラソンを走っていましたが、今ひとつ結果が出ず、『本当に自分はマラソンランナーを続けられるのか』という迷いが生じていました。そうした中、初めて海外のマラソンに参加して、マラソンに対する価値観が大きく変わりました」

 1970年に始まった歴史のある大会で、当時の五輪金メダリストや世界記録保持者が参加していた。彼らはレース前、控え室でリラックスして世間話をしながらウォーミングアップしていた。日本の大会では今井さんを含め、厳しい目つきで集中している選手ばかりで、張り詰めた雰囲気だった。「海外のマラソンはいい雰囲気だな。自分ももっとレースを楽しもう」と穏やかな気持ちでレースに臨んだところ、日本人男子最高位となる6位でゴールした。

 「それまでは性格的にもレース前に集中しようとするあまり入れ込んでしまい、スタミナを消耗していたんだと思います。後半のペースダウンの一つの要因でもあったと感じています。ところが、その日は体のスタミナがなくなったと感じてからも、脳の信号を使って、意識的に体を動かすことができました。レース本番で普段通りの力を発揮するためのマインドセットを学び、そこから結果が出始めた感覚があります」

 それ以降は好調を維持。2014年2月の別府大分毎日マラソンでは2位に入り、初めて2時間9分台を記録した。同年11月にはニューヨークシティマラソンに2年連続出場して7位となった。翌2015年、世界陸上北京大会選考会でもある東京マラソンでは、日本人男子トップとなる7位に入り、当時日本歴代6位となる2時間7分39秒を記録した。

 こうした実績を残した今井さんだが、五輪や世界陸上への出場にはあと一歩届かなかった。代表に内定していた2015年の世界陸上は直前に髄膜炎にかかり出場を辞退。その後も選考会となるレースで力を発揮できず、後半に失速する走りが続いた。大舞台を意識して、知らず知らずのうちに入れ込んでしまったのかもしれない。

目標をあきらめない

大学で選手に指導(今井さん提供)
大学で選手に指導(今井さん提供)

 今井さんは「自分の性格も含めて、そうなりやすい部分があったのだと思う。貴重な経験を選手たちの指導に生かしていきたい」と話したが、その一方でこうも語った。

 「仮に五輪や世界陸上に出場していたら、ここまで走り続けていなかったかもしれません。最初に掲げた『五輪で金メダリストになりたい』という目標だけはあきらめられなかった。正直心が折れかけたことは何度もあるし、辞めるタイミングもあったと思うが、『自分自身を裏切ったら絶対に後悔する』と踏ん張った。少しでも目標達成の可能性がある限り、挑戦し続けようと思い、トレーニングを重ね、試行錯誤してきました」

 目標達成をあきらめず、失敗をモチベーションに変えて第一線を走り続ける――その〝継続力〟こそ今井さんの強みだったと言える。

 「長く現役生活を続けることができたのは、高校・大学・実業団と、指導者の方々に恵まれた面が大きかった」と今井さんは振り返る。

 「父親には野球をやっていた小学生のころから『なんでいまのプレーがうまくできなかったと思う? どうやったらできると思う?』と問いかけられることが多かった。高校時代の畑中先生も目標設定の重要さ、練習の意味など、対話を通して教えるタイプで、自分で考えてトレーニングする習慣が付きました」

 現在も所属しているトヨタ自動車九州陸上競技部の森下広一監督にも大きな影響を受けた。

 「バルセロナ五輪銀メダリストということもあって、勝負で結果を出すためのトレーニングやルーティン、マインドセットなどが徹底している。例えば男子用トイレが3つ並んでいたら、金メダリストの国旗が掲揚されるセンターポールを意識して真ん中を使う意識を持っていると教わった。競技とは無関係のように感じる部分にも勝つための意味を見出す。そうした日々の積み重ねでトレーニングに臨む姿勢が変わり成果が変わっていく。何か選択を迫られたとき、人はついつい自分に厳しい選択肢を避ける傾向がありますが、『勝負のための選択はこっちだ』と自然と考えられるようになったのは、大きかったと思います」

 選手生活を走り続けてきた今井さんだが、立ち止まることを余儀なくされたのが2011年に発生した震災・原発事故だった。家族は難を逃れたが、今井さんの実家は震災時に発生した津波で流され、大きな衝撃を受けた。

 「結婚式を翌月に控えていたので、レースが終わった後の休暇を利用して1週間ほど帰省し、あいさつ回りや墓参りをしていたんです。3月10日に仙台空港から飛行機で福岡に戻った翌日、震災が起きた。仙台空港に津波が押し寄せる映像を見て衝撃を受けました。また、地元の知り合いや同級生が亡くなるなど、ちょっとしたパニック状態になりました」

 故郷が大きな災害に見舞われているのに、遠く離れた場所にいる自分に無力感を覚えた。どう行動すべきか悩んだが、実家の家族や妻と話し合いを重ね、「自分には走ることしかない」という考えに至った。良い表情で走って良い結果を残すことで何かを感じてくれる人が1人でも増えればいい――そうした思いでマラソンに挑み続けた。

 「福島県内には生まれ育った故郷に帰還できておらず、辛い思いを抱えている人もまだまだ多いと思う。そうした中で一歩でも半歩でも前に進むために、僕はマラソンを走ることで後押ししたいと考えました」

長距離王国・福島県

 今井さん以外にも、福島県は陸上長距離界で優秀な選手を続々と輩出している。本誌昨年11月号では「大学駅伝で福島出身者が活躍する理由」(スポーツジャーナリスト・生島淳)という記事を掲載。駒沢大の大八木弘明総監督(会津若松市河東町出身)、藤田敦史監督(白河市東地域出身)、東洋大の酒井俊幸監督(石川町出身)、東京五輪1万㍍代表の相澤晃選手(須賀川市出身)など、福島県出身者が大学駅伝(長距離界)を支えている現状をリポートした。

 福島県から長距離ランナーが多く生まれる理由について尋ねたところ、今井さんは「やはり円谷幸吉さんの存在の大きさと、陸上に対する県民の関心が高いことが理由に挙げられると思います」と答えた。

 「円谷さんの活躍は祖父母や親から語り継がれています。加えて市町村対抗駅伝や自治体単位での駅伝大会などさまざまな陸上大会が行われており、かつての競技経験者などが熱心に応援・指導してくださる。私が市町村対抗駅伝に出場したのも、熱心な先生から勧められたからです。そうした大会で憧れの先輩が活躍していたり、有名な選手からアドバイスをもらったりすると、『自分も本格的に陸上をやってみよう。自分もあの先輩のようになってみたい!』と考えるようになるのではないでしょうか」

 こう話す今井さんも、中高生時代に都道府県対抗男子駅伝に出場した際、憧れの選手たちから直接指導を受けた。前出・藤田敦史さん、佐藤敦之さん、実業団選手時代の酒井俊幸さん、田村高が全国高校駅伝で準優勝した際のエースで国体5000㍍優勝の経験を持つ小川博之さん(いわき市出身)などと交流した記憶は一生の思い出となっている。

 そのため、今井さんも都道府県対抗男子駅伝に出場した際は、先輩方と同様に年下のランナーたちと積極的に交流するようにしていた。その一人が、当時高校生だったいわき総合高時代の柏原竜二さんだ。柏原さんは東洋大に進学し、1年生のときに箱根駅伝に出場。5区の山上り区間で圧倒的な強さを見せ、今井さんの区間記録を塗り替え、同大の往路優勝、総合優勝に貢献したことから「新・山の神」とも呼ばれた。

 福島県出身の長距離ランナーの系譜はこうしてつながっているのだ。

 今井さんは高校生の頃から客観的に分析して、改善点を探ったりチームメートにアドバイスをするのが好きなタイプで、いつかは指導者になりたいと考えていた。「だから、長門監督からコーチ就任を打診されたときは素直にうれしかった」と笑う。

 指導者のキャリアは始まったばかりだが、母校の陸上部の力になれることに大きなやりがいを感じている。

 「実力があるメンバーがそろっているので、長門監督を中心に箱根駅伝で優勝できるチームを作っていきたい。『世界に出てトラック競技で勝負したい』というメンバーもいるので、箱根駅伝を走りながら一緒に成長していければと思います。福島県出身者をはじめ、選手たちには自分が経験してきたことを伝えていきたい」

 険しい坂のような苦境に立たされてもあきらめず、目標に向けて走り続けてきた「山の神」。第二の人生でもその姿勢は変わらない。

志賀 哲也

しが・てつや

1980(昭和55)年生まれ。福島市出身。
大手食品スーパーで勤務後、東邦出版に入社。

【最近担当した主な記事】
南相馬市ブローカー問題「借金踏み倒し」被害者の嘆き(2023年7月号)
相馬市の醤油醸造業者が殊勲(2023年5月号)

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