興味はあるけど、それで生活していけるのか――農業に対して、そんな印象を持っている人は少なくないだろう。そんな中、いま農業分野で注目されている地域・品目がある。昭和村を中心に栽培されている「昭和かすみ草」だ。近年は大きく販売額を伸ばしており、新規就農者も増えているという。その一方で、最初の疑問である「それで生活していけるのか」という点はどうなのか。JA会津よつばかすみ草部会の立川幸一部会長を取材した。
立川幸一JA部会長に聞く

昭和村は県南西部に位置し、奥会津と呼ばれる地域にある。最高標高1482㍍の山岳地帯で、冬は1㍍越えの積雪を記録することも多く、特別豪雪地帯に指定されている。人口約1200人の小さな村だ。
そんな昭和村で、かすみ草の栽培が始まったのは1983年。もともとはリンドウの栽培が行われていたが、地形・気候などの関係で、かすみ草への品目転換が進められた。当時は市町村単位でJAがあり、JA昭和村に花き生産部会が設立された。そのころ、同村では葉たばこの生産も盛んだったが、1985年に日本専売公社が民営化されたことを受け、1988年に葉たばこ廃作奨励が行われ、かすみ草を栽培する農家が増えた。こうして、同村はかすみ草の一大生産地となったのである。
その後、二度にわたるJAの合併があり、2016年に会津地方全域を管轄エリアとするJA会津よつばが誕生し、「昭和かすみ草部会」(当初の名称は「かすみ草部会」)が設立された。もっとも、合併前のJA会津みどり時代にも「かすみ草部会」があり、それが合併後のJAでも引き継がれた格好だ。
現在、同部会には昭和村のほか、柳津町、三島町、金山町の4町村で92戸の栽培農家が加入している。昭和村以外の自治体では「昭和かすみ草」というブランドを使って出荷できる代わりに、「雪むろ」という集出荷貯蔵施設の維持管理費などを負担してもらう仕組み。互いにメリットがあり、それをより強固にするために、2019年には、4町村の生産者、JA、行政で「昭和かすみ草振興協議会」を立ち上げた。
同部会は、2023年度に開かれた第53回日本農業賞で、集団組織の部の大賞に選ばれたほか、今年10月には農林水産省と日本農林漁業振興会の共催で行われた「農林水産祭」で、園芸部門で最高賞の天皇杯に輝いた。多方面で注目・評価されているのだ。
そんな昭和かすみ草部会の部会長を務めるのが立川幸一さん(64)。立川部会長は会津若松市出身で、「もともとは会社勤めをしていましたが、妻の実家が昭和村で、1997年からかすみ草の栽培を始めました。それからしばらくして、いまから15年ほど前に、(当時のJA会津みどりの)かすみ草部会長に就きました」という。
当時は、昭和村でかすみ草の栽培が始まって、25年くらい経っていたが、同部会の販売額は2億4000万円くらいだった。
近年の販売額は別表の通り(JA会津よつばのHPより)で、年々伸ばしている。
昭和かすみ草部会の販売額の推移
年度 | 販売額 |
2022年 | 6億1844万円 |
2021年 | 5億7396万円 |
2020年 | 4億7867万円 |
2019年 | 4億7403万円 |
2018年 | 4億5015万円 |
「昨年は6億5000万円くらいで、今年は(本誌取材時の)10月中旬時点で、すでに昨年を超えています。天候にもよるでしょうが、最終的には7億円くらいになるのではないか」(立川部会長)
販売額増加の要因


販売額が増えている要因はどこにあるのか。
立川部会長によると、「1つは安定して市場に供給できること」という。前述したように、現在、昭和かすみ草を栽培している農家は92戸。そのうちの3分の1は移住組で、平均年齢は40歳代。来年にはさらに2戸増える。もっとも、年齢を理由に引退する人もいるため、新規就農者の分が純増にはならないが、栽培農家は増加傾向にある。
「いま、ウチに研修で来ている人は20代で、来年から生産・出荷するから平均年齢はさらに下がります。農業分野で、就農者が増えて、平均年齢が下がってきているというところはどこの産地を見てもないわけです。そのため、農業団体や行政の視察などもかなり多くあります。あまりに多すぎて、時期的な制約を設けたり、1人500円とかの資料代をもらうようにしたくらいです。そのくらいこの地域の状況は珍しいことで、ほかは花の産地がどんどん少なくなっています。そんな中、昭和かすみ草は、人が増えていることもあり、安定して供給できます。市場としても、安定供給ができないところはアテにしにくいでしょうからね。そういった事情で市場の評価が高まっており、価格も安定しているのです」
かすみ草はハウスで栽培され、花は6月ごろから咲き始める。苗を植えるのは3月から8月くらいまでで、10日ごとにずらして植えることで花の咲く時期をずらし、6月から11月くらいまで出荷できる。かすみ草は冷涼な気候を好むため、気温の高い真夏は標高の高いところに苗を受け、春や秋は低いところに植えるといった手法で長く出荷できるようにしているという。
需要としては、冠婚葬祭やパーティー、あるいは母の日のカーネンションの添え花として使われることが多い。
「かすみ草だけを花束にするというのはあまりないですね。最近はカラーリングしたものもありますが、基本は白なので花束の中に入れるという感じです。また、普通の花は1週間くらいで枯れてしまいますが、かすみ草はドライフラワーになっても変わらず、1年くらいは持ちます。ですから、花屋さんからしても、仕入れやすいということもあります」
例えば、冠婚葬祭やパーティーなどで飾る花は、見本(パンフレット)があり、それを見て、これを飾ろうと決める。季節によって、多少の変化はあっても、見本と全く違うものを出すわけにはいかない。そういった意味でも、長持ちし、安定して供給できる産地は市場の評価が高いのだという。言い換えると、需要が途切れることはないということだ。
もう1つは、意外にもコロナ禍で需要が伸びたのだという。
「コロナの感染が広まった当初は、結婚式や葬儀、パーティーなどは必要最小限とされ、歓送迎会なども行われないようになりました。そんな状況でしたから、流通関係者も『花は一番厳しいかもしれない』といった話をしていました。実際、(コロナの感染が拡大し始めた年の)3月ごろは需要がなかったようですが、われわれの出荷が始まる6月ごろには影響はありませんでした。リモートで、家で仕事をする人が増え、外出できない、外食も控える、といった状況下で、だったら花でも飾ってみようかという人が増えたんです。そのため、冠婚葬祭やパーティーなどの需要は減りましたが、一般家庭での需要が増えました。しかも、コロナが落ち着いても、そういう文化は途絶えませんでした」
こうして、昭和かすみ草のブランド力が高まっていったのだ。
新規就農の流れ

ところで、新たに昭和かすみ草の栽培をやりたいと思った際、どういった手順を踏むのか。
「昭和村では、空き家補助、ほ場(農地)の斡旋、設備補助などを設けており、新たに来た人は皆、まずは行政に相談しているようです。当然、元手(初期所持金)はあった方がいいけど、かすみ草栽培に高価な機械は必要ないので、その点では新規参入しやすいと思います。ただ、住まいや農地の確保、ハウス設置にはお金がかかるので、その部分について行政が補助制度を設けています。それで、1年目は研修生として、われわれのもとでノウハウを学び、2年目からは相応の売り上げを出すことも可能です」
例えば、飲食店などの場合、弟子を取って、暖簾分けをするということは普通に行われているが、農業分野では、そういった事例はあまりない。それぞれに独自の生産方法があり、その家族で親から子、子から孫へと受け継がれていく。もっとも、ある品目の栽培に長けた農家に弟子入りしてノウハウを学んだとしても、そこで得たものが、少し離れた農地の、土壌や気候のちょっとした違いで完全には再現できない、ということもあろう。そんな事情もあり、農業では、技術を他者に教えるということがほとんどない。
ただ、昭和かすみ草では研修制度がしっかりしており、1年目は研修生としてノウハウを学び、2年目以降に自分で栽培・出荷できるようになってからも、周囲のベテラン営農者に教えを請うことができる環境が整っている。これが非常に大きいのだという。
「県内全体でも新規就農者は増えていますが、約3割の方が5年以内に離農するというデータもあります。ただ、昭和かすみ草で、途中でやめた人はいません。定着率100%なんです。それが誇れるところです」
その理由は、研修制度がしっかりしており、困ったらいつでも聞けること、あるいは互いに支え合う環境が整っていることに加え、この稿の最大のテーマでもある「相応の収入が得られること」も大きな要因となっている。
前述したように、昭和かすみ草部会には92戸が加入しており、同部会の昨年の販売額は約6億5000万円だから、単純計算で1戸当たり700万円の売上があることになる。当然そこから経費等がかかるため、収入はまた別だが、「栽培していると、どうしても出荷できない長さのものもあり、それをどう売るかで収入は変わってくる」という。
出荷するものは、2L(80㌢)、L(70㌢)、M(60㌢)という規格に沿ったもの。そのほか、2Sという「枝物」と言われるものもある。この「枝物」を含め、出荷規格以外のいわゆる「規格外」をいかに売るかがポイントになるというのだ。
「これは、例えば夫婦2人でやっている人だとなかなか難しい。うちは家族4人と研修生がいますから、規格外のものをきちんと取って、以前は道の駅やJAの直売所などで販売していました。いまは自宅前で直売しており、先日も県外からかすみ草を買いに来たという人が大量に買って行きました。いろいろなメディア等で紹介され、そういう人が増えているんですね。その販売方法、販路は人それぞれですが、出荷規格以外のものをどう捌くかが、利益率に関係してきます」
夢のある産業

その点で言うと、立川部会長は、規格外のものを、うまく収入に結びつけていると言えよう。
「例えばオフシーズン(12月から2月)に海外旅行に行ったり、最近はランドクルーザー300を買いました。若いころは、住宅ローンもありましたし、子どもたちもまだお金がかかる年齢でしたから、冬季はスキー場の季節雇用で働いたりしていました。ただ、いまはそこまでしなくても十分な収入があります。家族4人でやれば、そのくらい(オフシーズンに海外旅行に行ったり、高級車を購入できるくらい)の収入が得られるということです。部会の若い人には『部会長、すごいですね』と言われますけど、『君たちはまだ若いんだから、頑張れば俺よりもっとできるよ』と言っています。ですから、若い人たちも夢を持ってやってくれています。部会長がキツキツの生活をしているようでは、新たに参入した人たちも夢を持てないでしょうから、これからも先頭に立って引っ張っていきたいですね」
昨年は、2年目、すなわち1年目の研修期間を終え、自身で出荷するようになった最初の年を終えた若手に、「今後は東南アジアなどへの出荷も考えたいから、現地の状況を見ることも兼ねてベトナムに行こうと思うけど一緒に行くか」と言ったら、その新規就農者は「行く」と言い、一緒にベトナムに行ったのだという。2年目(実質1年目)でも、オフに海外旅行に行けるくらいの余裕があるということだ。昭和かすみ草が「稼げる農業」として確立していることがうかがえよう。
最後に、立川部会長はこんな目標を語った。
「今後は、子や孫の代まで続く、『100年産地』を目指して頑張っていきたい。また、海外への販売もできればと考えています」