皆さんにとって、高校時代の恩師とはどんな存在だろうか。卒業以降、一度も会っていないという人もいれば、卒業後もいろいろと相談に乗ってもらっているという人もいるだろう。その中でも、プロ野球選手にとっては後者の事例が多いようだ。これまでに9人のプロ野球選手を輩出した高校野球の強豪・聖光学院の斎藤智也監督に、同校卒業生の現役プロ野球選手4人の高校時代と現在について語ってもらった。(選手の写真はいずれも聖光学院野球部提供)
湯浅京己投手
1人目は湯浅京己(ゆあさ・あつき)投手(24)。2018年3月卒業。その後、独立リーグ・富山GRNサンダーバーズに入り、同年10月のドラフト会議で、阪神タイガースから6位で指名を受けた。プロ3年目の2021年に1軍初登板を果たし、翌2022年はセットアッパーとして大活躍。最優秀中継ぎ投手のタイトルと、新人特別賞を受賞した。2023年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、世界一にも貢献した。2024年は6年目のシーズンを迎える。
同校出身では、現状、最も実績を残している選手と言えるが、実は湯浅投手は、高校時代は甲子園(2017年夏)のベンチ入りメンバーに入っていなかった。
「ケガの影響で入学してから1年以上は何もしていない。本格的にやり始めたのが2年生の10月だったので、実数8カ月くらいしか高校野球をやってないんです。ただ、そのときからポテンシャルはすごかった。故障がなかったら、かなりの能力があるというのは、もちろん分かっていました」
当時、夏の県大会のベンチ入りメンバーは20人、甲子園のベンチ入りメンバーは18人(※2023年の大会から20人に増員された)だった。湯浅投手は県大会の20人には入っていたが、甲子園ではそこから2人を減らさなければならず、その1人が湯浅投手だった。
「ケガ明けの2年生の10月に、いきなり(球速)135㌔を出して、冬を越えて143㌔、夏の県大会では145㌔を出した。球速はチームでもナンバーワンだったけど、やっぱり投げ込みが不足していたこともあって、コントロールにばらつきがあった。本来であればベンチに入っている選手だけど、あの年代はほかにもいいピッチャーがいて、(県大会のベンチ入りメンバー投手の5人から)1人を削らなければならなかった」
こうして、甲子園でのベンチ入りは叶わなかった湯浅投手。その後は早稲田大学への進学を目指したが、ポテンシャルは折り紙つきでも、実績があるわけではない。スポーツ推薦での入学は難しいと言われ、受験も見送り「最短でプロを目指す」として、独立リーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。
前述したように、独立リーガー1年目の秋のドラフトで、阪神タイガースから指名を受けたわけだが、独立リーグでの成績を見ると、それほど目を引くような数字ではない。それでも、プロに指名されたのは、富山GRNサンダーバーズで早い段階でエース格になり、ドラフト指名がほぼ確実になったため、夏場以降は試合での登板を控えていたからだという。
当時の富山GRNサンダーバーズの監督は、ヤクルトスワローズで投手として活躍した伊藤智仁氏(現・ヤクルトピッチングコーチ)。同年秋のドラフト指名を見越して、伊藤監督の配慮で、ケガなどをしないように大事に起用されていたということだ。
ドラフト指名には、いわゆる〝凍結期間〟というものがある。大学に進学すれば、当然、在学中(卒業前年の秋まで)はドラフト対象にならない。社会人に進んだ場合は、高校卒業から3年目以降、大学卒業から2年目以降にならないと解禁されない。ただ、独立リーグに入った場合は高卒1年目から指名対象になる。
湯浅投手は「最短でプロを目指す」ということを有言実行した格好だ。もっとも、プロでも1、2年目はケガで、2軍の試合にもほとんど出ていない。3年目の中盤以降に、ようやく1軍の舞台を経験し、4年目の飛躍につなげた。
「高校時代からすると、奇跡的な結果を出しているなぁと正直思います。それでも、全然プロプロしていない。素朴で、謙虚で、ひたむきなところは変わっていませんね。苦しんだ男の生きざまって言うのかな、そこが湯浅のいいところですね」
湯浅投手にはオリジナルの決め台詞がある。湯浅の「湯(お湯)」と、名前の「京己(あつき)」がかかった「アツアツです」というフレーズだ。ヒーローインタビューなどで、インタビュアーから「今日のピッチングを振り返ってどうでしたか」と聞かれた際、その決め台詞で応じ、ファンから歓声が上がる。いまや、プレーだけでなく、言葉でも球場を沸かせられる選手だ。
佐藤都志也捕手
2人目は佐藤都志也(さとう・としや)捕手(25)。2016年3月卒業。東洋大学を経て、2019年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた。2024年シーズンは5年目になる。
高校時代は1年生の秋からベンチ入りし、2年生の夏(2014年)と3年生の夏(2015年)の甲子園に出場した。2年夏にはベスト8入りを果たしている。当時から、強肩・強打のキャッチャーとして注目されていたほか、人気野球漫画「MAJOR(メジャー)」の登場人物と、同姓同名(漢字は違う)、同じポジションだったことでも話題になった。
高校3年生時に、プロ志望届を提出して、プロ入りを目指したが、指名はなかった。その後、大学野球屈指のリーグである東都大学野球リーグの東洋大に進み、実力を磨いた。2年生の春には、打率.483で首位打者を獲得。1学年上には、「東洋大三羽ガラス」と言われた上茶谷大河投手(DeNAベイスターズ)、甲斐野央投手(福岡ソフトバンクホークス→埼玉西武ライオンズ)、梅津晃大投手(中日ドラゴンズ)がおり、バッテリーを組んだことも大きな経験になったようだ。大学4年時に再度プロ志望届を提出し、ロッテから2位指名を受けた。4年越しでのプロ入りを果たしたのである。
プロでは、1年目から1軍の試合を経験し60試合に出場。そこから2年目62試合、3年目118試合と少しずつ出場試合数を増やしていった。ただ、4年目の2023年シーズンは、試合数は前年の118試合から103試合に、打席数は402打席から278打席へと減った。プロ入り時から監督を務めていた井口資仁氏が2022年オフに退任し、新たに吉井理人監督に変わったことが影響している。
「吉井監督に変わって少し起用が減りましたね。でも、打つ方を考えたら都志也を使いたいはず。(打線強化が課題の)チーム事情を考えたら、都志也が打席に立っている方が得点力は上がるでしょうから。ただ、都志也は自分のバットで点を取れたとしても、自分のリードで点を取られることの方を嫌うでしょう。キャッチャーというか、野球ってそういうものだと思う。2024年シーズンは5年目、そろそろガチッと(レギュラーの座を)勝ち取ってほしいですね」
一方で、斎藤監督はグラウンド外での姿勢にも目を向ける。
「都志也のすごいところは、大した給料(年俸)じゃないのに、社会貢献活動にも熱心なところ。甲子園出場が決まったら、部員数だけリュックバックを贈呈してくれて、我々(監督、部長、コーチ)には立派なトートバッグをくれた。名前入りのものをメーカーに頼んで作ってくれてね。そのほかにも、バッティングゲージを寄付してくれた。それ自体は、ほかの(プロに入った)OBもやっていることだけど、都志也は、只見高校が2022年のセンバツ(21世紀枠)に出場した際も、部員数分のリュックバックを贈った。これはなかなかできないこと。気配りができるんだよね」
このほか、このオフには地元のいわき市で小学生を対象にした野球教室を開催した。
キャッチャーというポジションは、相手打者の調子や特徴、試合展開などを考えて、ピッチャーの配球を決める役割を担い「グラウンド上の監督」とも表現される。細かな目配り気配りが求められるわけだが、そうした行動はキャッチャーならではの配慮といったところか。
「そうでしょうね。とはいえ、気付いてもできないことがほとんど。それができるところが都志也の魅力」と斎藤監督。
佐藤捕手は、同校出身のプロ野球選手で、現役では唯一の県内(いわき市)出身者だ。5年目となる2024年シーズンでの飛躍に期待したい。
船迫大雅投手
3人目は、2023年シーズンがルーキーイヤーとなった船迫大雅(ふなばさま・ひろまさ)投手(27)。2015年3月卒業。3年生の夏(2014年)にエースナンバーを背負って甲子園に出場し、3勝を挙げ、ベスト8入りを果たした。その後は、東日本国際大学、西濃運輸を経て、2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。
「船迫は、中学時代は軟式野球しかやってなくて、入ってきたときも、身長は170㌢もなかったし、体重も50㌔台だった。かわいい顔をしていて、フィギュアスケートの浅田真央選手に似ていたから、『マオちゃん』なんて呼んでいた」
「入学当初を考えたら、とてもプロに入るような選手ではなかった」という斎藤監督だが、転機が訪れたのは2年生の夏。もともとはオーバースローだったが、サイドスローに転向した。
「体のバランスだけを見たら、横(サイドスロー)の方が合うと思ったので、『腕を下げて横から投げてみろ』と言ったら、かなりボールが強くなった。上から投げていたとき(の球速)は115㌔くらいだったのが、最終的には139㌔になって、社会人時代は150㌔を投げるようになった」
斎藤監督によると、「正直、入学当初は(高校の)3年間、バッティングピッチャーで、ベンチ入りは難しいと思っていた」とのことだが、サイドスローに転向したことで素質が開花。3年生の夏にはエースとなって、甲子園で活躍した。当時のスポーツ紙の記事で、「サイドスローに転向したことで、自分の野球人生が変わった」という本人談が掲載されていたのを思い出す。
ちなみに、船迫投手と同学年には八百板卓丸外野手がいる。八百板外野手は高校3年時の2014年秋のドラフトで、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成1位で指名を受けてプロ入りを果たした。育成指名は、その名称の通り、「育成」を目的とした契約。言わばプロ野球における練習生のような位置付けで、2軍の試合には出場できるが、1軍の試合には出られない。まずは、1軍登録が可能な「支配下契約」を目指さなければならない。八百板外野手は3年目の2017年シーズン途中に支配下契約を勝ち取り、翌年には1軍デビューを果たす。2019年のシーズンオフに楽天を退団し、同年、読売ジャイアンツに入団した。残念ながら、船迫投手と入れ替わりで退団したため、プロでも一緒のチームでプレーすることは叶わなかったが、同校では同学年から2人のプロ野球選手を輩出したことになる。
船迫投手は高校卒業後、東日本国際大学(いわき市)に進み、南東北大学野球リーグの歴代最多勝記録(34勝)を塗り替えた。その記録を引っさげ、大学4年時にプロ志望届を出したが、指名はなく、社会人の西濃運輸に入った。
大卒社会人は2年目からドラフト解禁となり、2020年がその年だったが、同年とその翌年も指名はなし。社会人4年目の2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。
プロ入り1年目に27歳になる、いわゆるオールドルーキー。1年目から結果を出さなければ、すぐに居場所がなくなる簡単ではない立場だったが、リリーフとして36試合に登板し、3勝1敗8ホールド、防御率2・70の好成績を残した。
「シーズン途中に2軍に落とされたときもあったけど、最後、もう1回、1軍に上がってきて、(リリーフエースの)クローザーを除けば、一番信頼されていたピッチャーじゃないですかね。湯浅も、船迫もそうだけど、苦労人でね。無名だった選手がウチの野球部に来て、ちょっときっかけ掴んで、プロに行けるようになったのは本当に嬉しい」
ジャイアンツはリリーフピッチャーが課題のチームで、このオフはドラフト、現役ドラフト、トレードなどで、かなりのリリーフピッチャーを補強した。それに伴い、船迫投手も、またチーム内での競争を強いられることになりそうだが、ルーキーイヤー以上の飛躍が期待される。
山浅龍之介捕手
4人目は山浅龍之介(やまあさ・りゅうのすけ)捕手(19)。2023年3月卒業。1年生の秋からベンチ入りし、3年生の春、夏(2022年)の甲子園に出場。夏の大会では学校初、福島県勢としても準優勝した1971年以来となるベスト4進出を果たした。その中でも、強肩・強打の山浅捕手の貢献度は高い。その年の秋のドラフトで中日ドラゴンズから4位で指名を受けた。
プロ1年目の2023年シーズンは、7試合に出場した。キャッチャーはピッチャーとの相性に加えて、経験値、洞察力など、さまざまなことが求められるポジション。その中で、高卒1年目で1軍を経験し、試合にも出場したのは首脳陣の評価が相当高い証拠と言える。
「立浪(和義)監督が山浅の指名をスカウトに指示していたようです。(入団後)2軍でも試合に出ていないときは、1人別メニューで特訓を受けているそうですから。英才教育に近い形の扱いを受けているようです」
山浅捕手の魅力は「雰囲気」だという。
「キャッチャーとしての力は、高校時代からずば抜けていた。(1998年に甲子園で春夏連覇した)横浜高校で松坂大輔投手とバッテリーを組んでいた小山良男氏が、いま中日のスカウトをしているんですが、彼が山浅にゾッコンで、どこがいいのかを聞くと、具体的なことは言わないんだけど、『とにかく雰囲気がある』と。確かに、野球脳はものすごく高いし、マスコミへの受け答えを見てもそうだし、高校時代はチームでは『イジられキャラ』だったんだけど、イジリに対する返しも上手い。キャッチャーをやるために生まれてきたようなヤツだなというのはあります」
捕手としての能力や雰囲気だけでなく、高校時代からバッティングも魅力だった。むしろ、そちらの方が評価されているのかと思ったが、斎藤監督によると、「2年生の秋までは、とてもプロに行けるようなレベルではなかった」という。
「正直、2年生の秋までは全然。でもひと冬で変わった。体重が12㌔くらい増えて、それでも50㍍走のタイムも速くなったし、跳躍力も上がった。単に太っただけでなく、フィジカル測定の数字が上がったんです。打球音も変わって、夏の甲子園のときには、バッターとしてもプロに指名されてもいいくらいのレベルにまでなった。ひと冬でこれだけ変わるというのはなかなか見ない。それだけ自分を追い込めるということでもあるし、アイツの人間性というか、自分が良くなればよりチームに貢献できるというね。そういうことを常に考えられるのが山浅のすごいところ」
2024年は高卒2年目で、プロとしてはまだまだ修行が必要だろうが、自身を高く評価してくれている立浪監督の在任中に確固たる地位を確立したいところ。
中日は愛称が「ドラゴンズ」で、選手は「竜(龍)戦士」、売り出し中の若手は「若竜(龍)」などと称される。山浅捕手は名前が「龍之介」だから、導かれるべくして中日ドラゴンズに入ったと言える。近い将来、「龍を背負う龍之介」として人気選手になりそうだ。
同校からプロ入りした選手は、中学までは無名で、努力の人、苦労人が多い。そういったことからも、「より応援したくなる選手」と言える。
また、同校の卒業生では、2024年からプロ野球イースタンリーグに加盟するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの舘池亮佑投手(2021年3月卒業)、東洋大の坂本寅泰外野手(2022年3月卒業)、立教大の佐山未來投手(2023年3月卒業)、国学院大の赤堀颯内野手(同)、中央大の安田淳平外野手(同)などの有力選手もいる。今春の卒業生にも、東洋大への進学が決まっている高中一樹内野手、立正大に進学する三好元気外野手がいる。近い将来、プロ野球選手の仲間入りを果たすかもしれない。彼らの今後にも注目だ。