相馬地方の伝統行事で国重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程が見直されようとしている。現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、厳しい暑さで人馬への負担が大きく、観客や準備に携わる人も熱中症のリスクが高いとして、日程が大幅に変わる可能性が出ている。さらに、出場するための高額費用負担や女性の出場条件緩和といった課題もあり、参加騎馬武者が減少する野馬追は過渡期を迎えている。
〝酷暑開催〟に騎馬会員から賛否両論
300~400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながら野原を疾走する。そんな時代絵巻のような光景が繰り広げられる相馬野馬追は、伝説によると今から1000年以上も昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立て、軍事演習に応用したことが始まりとされる。捕らえた馬は神馬として氏神である妙見に奉納した(相馬野馬追公式ホームページより)。
今年も間もなく、野馬追の時期がやって来る。2020、21年は新型コロナウイルスの影響で神事中心の小規模な実施にとどまったが、昨年は3年ぶりに通常開催され、コロナ前の6割に当たる10万3400人が来場した。今年はコロナ感染が落ち着き、5月8日からは感染症法上の位置付けが5類に引き下げられたこともあり、昨年以上の観客数になることが予想される。
そんな野馬追の日程が今、大きな議論になりつつある。
現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、近年の猛暑で「人も馬もリスクが高い」「観客や準備に携わる人も大変」という声が以前から高まっていた。酷暑の中で甲冑をまとうのは辛いし、馬はもともと暑さが苦手。観客からも「日差しを遮る場所が全くない」と不満が漏れていた。昨年の野馬追では熱中症などの事例が21件あり、コロナ前の2019年も36件に上っていた。
こうした事態に「相馬野馬追執行委員会」(2月20日に任意団体から一般社団法人に移行、以下執行委員会と略)では、2月に開いた会合で副執行委員長の立谷秀清・相馬市長から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出された。これに執行委員長の門馬和夫・南相馬市長が「検討委員会を立ち上げて方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。
実はこれより前、南相馬市では昨年12月に五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行っていた。2019年度と22年度に出場した騎馬会員461人に質問書を発送し、今年1月、55%に当たる256人から回答を得た。
集計結果は3月に公表されたが、それによると、
質問=日程変更についてどのように思うか。
「賛成」135人(53%)
「反対」50人(19%)
「どちらでもない」71人(28%)
質問=(変更に「賛成」と答えた135人に)なぜ賛成と思うか。(以下複数回答)
「暑さによる人馬への体力的な負担が大きいため」127件
「全ての行事が休日または祝日の方がよいため」46件
「その他」14件
質問=何月が最適な日程と思うか。
「5月」116件
「7月」53件
「6月」「10月」40件
「9月」31件
質問=(変更に「反対」と答えた50人に)なぜ反対と思うか。
「頻繁に変更するものではない」33件
「現在の日程が『東北の夏祭りの先陣を切る、夏の伝統行事』と認知されているため」22件
「神社の祭礼のため、例大祭に合わせるべき」13件
「その他」7件
回答者の過半数が日程変更に賛成し、その理由に暑さを挙げる。新たな開催月は5月を望む回答が多い。逆に反対の人は2011年に現在の日程に変更したことを踏まえ、簡単に変えるべきではないとしている。
そもそも、野馬追の日程はどのようにして決められたのか。
中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代を通じて旧暦「五月中の申」の日に行われていた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。
その後、日程はどう変わっていったか『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」から抜粋する。
《明治6年(1873)の改暦を受け、翌7年(1874)には旧暦「五月中の申」の日にあたった7月2日をもって野馬追が行われるようになった。そして、翌8年(1875)からは日程が7月2日に正式に固定化され、その日を中心とした7月1日~3日の3日間行われるようになった。旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという。なお、明治37年(1904)以降には、7月11日~13日に変わっている》
日程を10日繰り延べたのは梅雨を避けるため。それから約半世紀が経過した昭和36年(1961)に7月16日~19日という4日間に変更されたが、変則日程は定着せず、5年後の昭和41年(1966)にはさらに1週間繰り延べて7月23日~25日となった。
《変更理由は、梅雨明けを待つこと、学校の夏季休暇を利用して、より多くの観覧者を見込んでのものであった。近代から幾度かあったこれらの日程変更は、いずれも野馬追を観光資源として意識したものといえよう》(同抜粋)
その後、7月23日~25日という日程は40年以上続いたが、3日間とも平日に重なってしまうと出場が難しい騎馬武者も多く、観客数にも影響が出るため、2011年から7月最終土・日・月曜日に変更され、現在に至っている。
このように、7月開催は旧暦に基づく深い意味を帯びている半面、細かい日程は「梅雨を避ける」「騎馬武者を出場し易くする」「観客数を増やす」などの理由で変更されてきた歴史があるのだ。
難しい文化庁との調整
とはいえ、今回の日程変更は過去のものとは意味合いが異なる。これまで一貫して守ってきた「旧暦五月中の申の日」から大きく変えることを視野に入れているのだから、そう簡単に決断できるものではない。
ただ現実に目を向けると、騎馬武者、馬、観光客は酷暑に四苦八苦している。地球温暖化で、今後も気温上昇は避けられない。万が一、熱中症で命を落とす人が現れたら取り返しのつかないことになる。
本誌は前述・南相馬市が行ったアンケートの「自由記述欄」に、回答者(騎馬会員)がどのようなことを書いたのか確認するため、同市に情報開示請求を行
った。
開示された自由記述欄には計142件の意見が書かれており、そのうち「暑さ」に関するものは2割に当たる28件に上った。主だった意見を掲載したのでご覧いただきたいが、人の命と健康を心配する意見だけでなく、馬への負担を指摘する意見も目立った。個人的には「馬に点滴をしながら頑張ってもらった」「乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので貸すのを渋っている」という意見に衝撃を受けた。ストレートに「動物虐待」と書いた回答者もいたが、点滴までして駆り出されている馬がいることを踏まえれば決して大袈裟ではない。
・日程変更は早急にすべき。今の時期では人馬に対して虐待行為だ。(70代男性)
・中学生から鎧で出場するのは体力的に負担が大きい。(10代男性)
・暑さで愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、昨年の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうで、今年の夏も暑いようなら出場しない方向で考えている。(20代男性)
・各郷の陣屋の後ろに家族用のテントを張り、日陰をつくるなどの暑さ対策をしないと命に関わることも起こり得ると思う。(40代男性)
・出場者や観光客の負担をなくすため、猛暑を避けての開催を希望する。(10代女性)
・猛暑の中での開催は動物虐待だ。(60代男性)
・乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので、馬を貸すのを渋っている。(70代男性)
・馬を借りるのに20~40万円払っており、家族の負担も大変。現実的に新しく野馬追を始めようとしたら100万円近くかかる。(20代男性)
・奨励金は20年以上変わっていないのに、馬代は数年前の倍以上になっている。道具なども傷むので、その都度修理すれば負担は大変だ。(40代男性)
・馬を飼育する人への援助がない。馬を飼うと1頭40~50万円かかる。自馬でないと競馬や旗取りに出られない。馬が身近にいる環境をつくることが大事だ。(70代男性)
・道具類を揃えるだけでも費用がかかるので、参加枠を設け、野馬追を体験してもらうのもありではないか。(30代男性)
・乗馬の練習が有料なのは仕方がないが1回3000円前後の回数券を発行してほしい。(60代男性)
・年齢制限をなくし、既婚者も出場できるようにすれば騎馬武者の数も多くなる。(70代男性)
・流鏑馬の女性騎馬も認められている。昔のきまりを大事にしすぎて伝統がなくなるより、多少きまりが変わっても伝統を残す方が大事だと思う。(10代女性)
・20歳を過ぎてからも野馬追に出場したいと思っている女性は多いはずだ。(10代女性)
・男性より女性の方が出場意欲のある人は多い。私は4年出られるはずが3年しか出られなかった。毎日馬の世話と手入れもして、伝統を残すためにやっていたのに、運営の対応にがっかりさせられたことがある。もっと女性の意見に耳を傾けてほしい。(20代女性)
半面、意外だったのは前述のアンケート結果にあるように、日程変更に「反対」「どちらでもない」を合わせると計47%に上ったことだ。酷暑を考えれば「賛成」がもっと多くなると思われただけに、大差がつかなかった理由が気になる。
筆者は数人の騎馬会員に話を聞いたが、多くが日程変更に反対していた。その人たちが口を揃えて言ったのは「暑かろうが何だろうが、出たい人は出る」というものだった。
一方、自由記述欄を見ていくと、2011年に現在の日程に変更されたため「伝統を重んじる野馬追の日程をころころ変えるべきではない」という意見とともに、国重要無形民俗文化財に指定されていることから「(日程を変えると)指定が取り消しになるのではないか」と心配する意見も目に付いた。
野馬追は昭和27年(1952)、文化財保護法に基づき国の無形文化財に選定されたが、同29年(1954)の同法改正で選定解除となった。その後、同50年(1975)の同法改正で重要無形民俗文化財の指定制度が設けられ、翌年、相馬地方に派遣された文化庁調査官が野馬追の指定に向けた調査を行い、同53年(1978)に同文化財に指定された。
この指定が、日程変更に当たって障壁になるのだという。
2011年に現在の日程に変更された際、その協議に参加した南相馬市の関係者は当時を振り返る。
「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」
正式決定には、かなりの時間と労力が要ることが分かる。
さらに突っ込んだ話をしてくれたのは地元の研究者。
「地域が野馬追の『文化財としての価値』をどう保存していくのか、そのうえで、現在の日程では文化財としての価値を担保できないことが説明されないと、文化庁は日程変更を許可しないと思います」
研究者によると、暑さを理由に日程を大幅に変えるかどうかは2011年当時も出ていた話で、有識者からは「むやみに日程を変えるべきではないが、五月中の申の日になぞらえるなら5月開催も一つの案」との提案もあったという。しかし、執行委員会などは「騎馬武者の参加し易さ」と「観光客の集め易さ」を重視し、7月最終土・日・月曜日に決めた経緯がある。
「この時、文化庁は文化財としての価値の保存とは関係ない『騎馬武者の参加し易さ』と『観光客の集め易さ』が前面に出たことに難色を示した。最終的には『騎馬武者に参加してもらわないと文化財としての価値の保存が難しくなる』との理由付けで同庁から日程変更を許可されたが、国重要無形民俗文化財に指定されると、それくらい調整が難航するということです」(同)
こうした状況を踏まえると、もし7月以外に開催することが決まったとしても実施されるのは数年先で、文化庁が許可しなければ実現しない可能性もある。
さらに研究者は、別の心配事として「野馬追2日目(相馬太田神社)と3日目(相馬小高神社)に執り行われる例大祭の日程を変えることができるのか」という点も挙げた。
ただ、相馬太田神社の佐藤左内宮司に確認すると「日程が変わればそれに合わせて例大祭も変えるだけ。これまでの日程変更でもそうしてきたと思います」と話し、難しいとは考えていない様子。むしろ佐藤宮司が心配していたのは、例大祭当日に行われる祭りの担い手が確保できるかどうかだった。
「カネの問題ではない」
「祭りでは神輿の担ぎ手が50人、旗持ちや準備をする人などが50人必要です。例年、地元企業の若手社員や中学・高校生、専門学校生に手伝ってもらっているが、子どもたちは夏休みだから参加できるので、これがもし7月以外の開催になったら100人確保できるのか。正直『自前で確保してほしい』と言われても無理。日程変更するなら祭りの支援も約束してくれないと困る」(同)
佐藤宮司は、詳しいアンケート結果は把握していなかったが「酷暑の中で行うのは人馬にとって負担」と日程変更に一定の理解を示しているようだった。
自らも騎馬武者として出場する岡﨑義典・南相馬市議(3期)は同市議会昨年9月定例会で、現在の日程では人馬だけでなく観光客も熱中症などのリスクが高いとして「開催時期について騎馬会などと協議すべきではないか」と質問している。
「私は、絶対に日程を変えるべきと言っているのではない。出場者はこの日程でやると言われればどこだって出る。しかし観光客は別です。毎年、熱中症で手当てを受ける人は一定数おり『こんな暑い中で見るならもう来なくていい』という不満も聞いたことがある。時代の変遷に合わせ、より良い方向に変えるための話し合いはすべきです。あとは結果に従い、変更する・しないを決めればいい」(岡﨑議員)
賛否両論ある日程変更は、6月にも執行委員会内に検討委員会が設けられ、本格的な協議がスタートする見通しだが、前述・情報公開請求で入手した自由記述欄を見ていくと、暑さに関する意見のほか、出場するための高額費用負担と女性の出場条件緩和に触れている意見も目に付いた。具体的にどのような意見が寄せられていたかは別掲をご覧いただきたいが、野馬追は今、この三つが大きな課題になっていることがうかがえる。
高額費用負担については、金銭的な支援を求める声が少なくない。別掲にもあるように、野馬追に出場するにはかなりの出費を要するが、これに対し行政からは「出場奨励金」が支給されている。奨励金は執行委員会→各騎馬会→騎馬会員に支給され、金額は騎馬会によって若干差があるが、1人当たり10~12万円。
金銭的な支援があれば持ち出しが減るので、出場者は助かる。ただ本誌が取材した騎馬会員の多くは「カネの問題ではない」「初期投資はかかるかもしれないが、奨励金を数年もらえばペイする」「一部に派手な甲冑や馬具を揃える人がおり、見栄っ張り合戦になっていることが問題」と支援増に否定的だ。
前出・岡﨑議員も同様の意見だったが「ただし」と付け加える。
「馬の飼料代が高騰し、それが馬代(借り賃)に跳ね返っている。私が最初に出場した2014年は10~12万円だったが、昨年は30万円という人もいた。例年、乗馬クラブからは馬代の目安になる奨励金がいくらになるか市に問い合わせがあるが、馬代高騰の流れはますます進んでいくように感じる。しかし、だからと言って市が馬代を税金から負担するのは市民の理解を得にくい。であれば市内には通年で馬を飼育している人が多いので、飼料代の支援は緊急的に行ってもいいと思います。実際、もう飼料代を負担できないと馬を手放した人もいますからね」
年々減る参加騎馬武者
もう一つの女性の出場条件緩和については、本誌が取材した騎馬会員からも「現行の出場条件である『20歳までの未婚女性』は変えていいと思う」「男女平等やLGBTが当たり前の昨今、性別や年齢で出場を制限するのは時代に馴染まない」との意見が多く聞かれた。
野馬追に女性の参加が認められたのは昭和22年(1947)で、同59年には騎馬会に「未成年の未婚者で化粧をしてはならない」との条文ができたという。未成年や未婚が条件となったのは、月経や出産などが血を連想させ、不浄とされたためとみられる。
騎馬会員の中には女性の参加に難色を示す人もいるようだ。武家行事の野馬追は女性が参加できなかった歴史があり、その点を重んじる気持ちも分かるが、時代の変遷に合わせた変化は必要だろう。そもそも女性の出場条件を緩和したところで、女性の出場者が劇的に増えるとは思えない。むしろ別掲にあるように、男性より野馬追のことを思う女性がいるなら、柔軟な対応で出場の間口を広げるべきではないか。
野馬追はここに挙げた三つの課題のほか、参加騎馬武者の減少にも直面している。ピークは1995年の614人、震災・原発事故以降は400人前後で推移し、昨年は337人だった。
日程変更、金銭的な支援、女性の出場条件緩和が実行されれば参加騎馬武者が増えるかどうかは分からない。騎馬武者の数にとらわれるのではなく、歴史と伝統を継承していくことを大事にすべきという意見もある。数を維持したいがために闇雲に税金を投入したり、野馬追の意味を理解せず、単に「カネがあるので出たい」という意識の低い騎馬武者が増えるようでは本末転倒だ。
「野馬追はこれまで首長、執行委員会、騎馬会など上層部だけで物事を決めてきた。そういう意味では、今回のアンケートで騎馬会員の本音を聞こうとしたことは今まで見られなかった姿勢であり、評価できると思います」(ある騎馬会員)
過渡期を迎える野馬追を未来にどうつないでいくのか。三つの課題と合わせて考える必要がある。