東京でフランス料理店を営んでいた料理人がコロナ禍を機に只見町に移住し、新たな事業に取り組んでいる。移住に至った経緯や事業の中身、今後の見通しについて話を聞いた。
只見町の限界集落に移住したフレンチシェフ

電源開発田子倉発電所の近くに立地する只見町石伏地区。1年を通して生活しているのは10軒ほどで、その大半が65歳以上という〝限界集落〟だが、そんな同地区の古民家を拠点に、事業を展開している男性がいる。東京から移住してきたフランス料理のシェフ・平子聡さん(55)だ。
平子さんが手掛けているのは、くるみを使ったお菓子「あとひき胡桃」の製造・販売だ。カリフォルニア産の上質なくるみを甘くコーティング。カリッとした歯ざわりと甘さ、苦みが楽しめる。同町のふるさと納税の返礼品に採用され、ネット販売では関西方面からの注文も多い。

平子さんはあとひき胡桃の販売促進につなげる目的で、自宅のスペースを使って、土日祝日・ランチ限定洋食店「ガレット・エ・ポムポム」も営業している。フォアグラオムレツ黒トリュフソース(2100円)、フォアグラ丼(1600円)など、高級メニューを破格の金額で味わえることから話題となり、県外から足を運ぶ人も増えている。さらにフランス料理のフルコースを堪能できる民泊も受け付けているというから驚きだ(1日1組、2~4人限定。1泊2食付き1人1万4000円)。



「料理人としてクオリティーの高い料理を提供するという思いは曲げたくないので、高品質の食材を使い手の届く価格で提供しています。食事の帰りには、ぜひあとひき胡桃を買ってもらえるとありがたいですね」と平子さんは笑顔で話す。
平子さんはもともと福島市の出身だ。福島東高校卒業後、東京の語学学校に通いながらレストランで修行していたとき、紹介を受けて赤坂プリンスホテルに入社した。フランス料理の部門に配属。上下関係は厳しかったが、寝る間も惜しんで技術の習得に励み、宿泊客向けの年中行事イベントにも積極的に参加した。その結果、熱意と技術が認められ、30代で部長職に就任。料理の品質チェックや全体のマネジメントを担うマネージャーの役割を任された。同ホテルの閉館後は軽井沢プリンスホテルに転勤となり、宴会担当料理長として地元産の食材を使ったメニューの開発に携わった。
2013年には独立して妻・藍花さんと、東京・杉並区の住宅地にレストランを開業した。だが、家賃が高く競合店も多い東京で生き残るのは容易でなかった。コロナ禍では大幅客数減に見舞われた。
「優秀な料理人が独立後、経営難に陥り、1年足らずで店じまいする姿を多く見てきた。自分はどうなるのかと考える中で頭をよぎったのが、家賃が安い地方への移転でした。軽井沢プリンスホテルでの地元産食材を使ったメニュー開発が楽しかった経験もあり、家賃が安い土地を探す中でたまたま見つけたのが、只見町の物件だったのです」(平子さん)
周知の通り、只見町は豪雪地帯で、店の前を走る国道252号は新潟県魚沼市方面が冬季通行止めとなるなど交通インフラが充実しているとは言い難い。厳しい環境に希望を見いだせず町外に出ていく若い世代も多いが、平子さんには「そこでしか体験できないことに溢れた魅力的な場所」に感じられた。
外国人観光客にとって大雪や大自然での体験は最高の思い出になるはず。そうした場所に築150年の曲がり家の店舗をオープンすれば、話題を集め、あとひき胡桃の販売促進、さらには只見町の交流人口増加に貢献できるのではないか――。
平子さんは只見町への移住を決め、2020年11月、新店舗をオープンした。この間ホームページやインスタグラムなどを通してPRを続けてきたこともあり、口コミで人気が広まり、テレビ局や雑誌の取材を受けるまでになっている。
只見町を元気づけたい

黄色いのれんが「営業中」の目印、
もっとも、移住後の収入はというと「洋食店や民泊の事業はほとんど利益がない。あとひき胡桃が収益の柱だが、夫婦2人が何とか生活していける程度」とのこと。新鮮な魚を仕入れるため、新潟県長岡市の市場まで出かけることも多いほか、あとひき胡桃の製造、近隣住民との交流や奉仕活動、所有している土地の草刈りなどが重なり、へとへとになることもある。悠々自適な田舎暮らしとはいかないようだが、平子さんは笑顔でこう話す。
「分かりやすい成功ストーリーではないかもしれないが、ご近所付き合いしながら、自分が納得できるクオリティーの商品・料理を提供し、多くの人に喜んでもらうこの生活を心から楽しんでいます。一方で、さらにこの商売を大きく発展させ、只見町に貢献していきたい思いもあります。ホテル勤務時代は料理だけでなく、お客様に喜んでもらえるイベントや宴会の展開方法、一流のおもてなしについて学んできました。只見町を元気づけ、交流人口・定住人口が少しでも増えるように、私なりの方法で試行錯誤しながら尽力していきたいと考えています」
平子さんの特技はDIY。レストラン脇の池に自作の川床テラスを設けたほか、敷地内にもう一つ池をつくりイワナ釣り体験をできるようにした。「これから池の隣にわさび田もつくります。敷地内にある蔵も改装して、ドライブ客などが立ち寄って自家製アイスクリームを気軽に食べられるようにしたい。せっかくなので店舗に隣接する所有地にハナショウブやヒガンバナなどの花を植え、町の名所にしたい」(平子さん)


3人の子どもたちはすでに独立し、国内外で働いているが、夫婦での移住を応援しており、友達を連れて遊びに来ることもあるという。
「自分の子どもたちに『ここに住んでもいい』と思ってもらえるぐらい只見町に愛着をもってもらえたら、自分の挑戦が成功したと心から思えそうです」(同)
豪雪地帯で平子さんの夢が花開く日がいまから待ち遠しい。