田村市の一連の贈収賄事件に関わったとして受託収賄と加重収賄に問われた元市職員の判決が1月13日午後2時半から福島地裁で言い渡される。裁判では除染関連の公共事業発注に関し、談合を主導していた業者の証言が提出された。予定価格の漏洩が常態化していたことも明らかになり、事件は前市長、そして懇意の業者が共同で公共事業発注をゆがめた結果、倫理崩壊が市職員にも蔓延して起こったと言える。
汚職のきっかけは前市長派業者への反感
元市職員の武田護被告(47)=郡山市=は市内の土木建築業者から賄賂を受け取った罪を全面的に認めている。昨年12月7日の公判で検察側が求めた刑は懲役2年6月と追徴金29万9397円。注目は実刑か執行猶予が付くかどうかだ。立件された贈賄の経路は二つある。
一つは三和工業の役員(当時)に非公開の資材単価表のデータを提供した見返りに商品券を受け取ったルート。もう一つが秀和建設ルートだ。市発注の除染除去物質端末輸送業務に関し、2019年6月27日~9月27日にかけて行われた入札で、武田被告は予定価格を同社の吉田幸司社長(当時)に教えた見返りに飲食の接待を受けた。同社は3件落札、落札率は96・95~97・90%だった。
三和工業の元役員には懲役8月、執行猶予3年が確定した。秀和建設の吉田氏は在宅起訴されている。
田村市は設計金額と予定価格を同額に設定している。武田被告は少なくともこの2社に設計金額を教え、見返りを得ていた。他の業者については、見返りの受け取りは否定しているが、やはり教えてきたという。
入札の公正さをゆがめ、公務員としての信頼に背いたのは確かだが、後付けとはいえ彼なりの理由があったようだ。2社に便宜を図った動機を取り調べでこう述べている。
「真面目にやっている人が損をしている。楽に仕事を得ようとしている人たちを思い通りにさせたくなかった」
「真面目にやっている人」とは武田被告からすると三和工業と秀和建設。では「楽に仕事を得ようとしている人」とは誰か。それは、本田仁一前市長時代に受注調整=談合を主導していた「市長派業者」を指している。検察側は田村市で行われていた公共事業発注について、次の事実を前提としたうえで武田被告に尋問していた。
・船引町建設業組合では事前に落札の優先順位を決めるのが慣例だった。
・除染除去物質端末輸送業務では一時保管所を整地した業者が優先的に落札する決まりがあった。
・田村市復興事業協同組合(既に解散)が受注調整=談合をしていた。
これらの事実は船引町建設業組合を取りまとめる業者の社長と市復興事業協同組合長を務める業者の社長が取り調べで認めている。
「落札の優先順位を定める円滑調整役だった。業者は優先順位に従って落札する権利を与えられ、業者同士が話し合う。どこの輸送業務をどの業者が落札するか決定し、船引町の組合には結果が報告されてくる。それを同町を除く市内の各組合長に伝えていた」(船引町建設業組合長)
市復興事業協同組合長も「一時保管所を整地したら除染土壌の運搬も担うよう他地区と調整していた」と認めている。この組合長については本誌2018年8月号「田村市の公共事業を仕切る〝市長派業者〟の評判」という記事で市内の老舗業者が言及している。
「本田仁一市長の地元・旧常葉町に本社がある㈱西向建設工業の石井國仲社長は本田市長の後援会長を務めている。一方、市内の建設業界を取り仕切るのは田村市復興事業組合で組合長を務める富士工業㈱の猪狩恭典社長。この2人が『これは本田市長の意向だ』として公共工事を仕切っているんです」(同記事より)
除染土壌の輸送業務をめぐっては業者が落札の便宜を図ってもらうために、本田前市長派業者の主導で市に多額の匿名寄付をし、除染費用を還流させていた問題があった。元市職員が刑事事件に問われたことで、公共事業発注の腐敗体質が明らかになったわけだ。
武田被告は本田前市長派業者による不正が行われていた中で、自分も懇意の業者に便宜を図ろうと不正に手を染めたことになる。取り調べに「楽に仕事を得ようとする業者」に反感があったと語ったが、自分もまた同様の業者を生み出してしまった。田村市では予定価格を業者に教えるのが常態化していたというから、規範が崩れ、不正を犯すハードルが低くなっていたことが分かる。
不必要な事業を発注か
武田被告は公共事業発注の腐敗体質について、市の事業に決定権を持つ者、つまり本田前市長や職員上層部の関与もほのめかしている。
「我々公務員は言われた仕事をやる立場。決定する立場の人間が必要な事業なのか判断しているのか疑問だった。そのような事業を取る会社はそういう(=楽をして仕事を取ろうとする)会社も見受けられた」
上層部が不必要な事業をつくり、一部の業者が群がっていたという構図が見て取れる。
武田被告が市職員を辞めたのは2022年3月末。本誌は前号で、宮城県川崎町の職員が単価表データを地元の建設会社役員と積算ソフト会社社員に漏らして報酬を受け取った事件を紹介した。本誌は同種の事件を起こしていた武田被告が立件を恐れて退職したとみていたが、本人の証言によると、単に「堅苦しい役所がつまらなかった」らしい。
2022年1~2月には就職活動を行い、土木資料の販売を行う民間会社から内定を得た。市役所退職後の4月から働き始め、市の建設業務に携わった経験を生かして営業やパソコンで図面を作る仕事をしていた。市役所の閉塞感から解放され「楽しくて、初めて仕事にやりがいを感じた」という。
武田被告は1995年3月に短大を卒業後、郡山市の広告代理店に就職。解雇され職探しをしていたところ、父親の勧めで96年に旧大越町役場に入庁した。建設部水道課に所属していた2013、14年ごろに秀和建設の役員(吉田前社長の実弟)と知り合い、年に3、4回飲みに行く仲になった。
役所内に情報源を持ちたかった吉田氏の意向で、実弟は武田被告への接待をセッティング。吉田氏と武田被告はLINEで設計金額を教える間柄になった。この時期の贈収賄は時効を迎えたため立件されていない。当時は冨塚宥暻市長の時代だから、市長が誰かにかかわらず設計金額漏洩は悪習化していたようだ。
後始末に追われる白石高司市長だが、自身も公募型プロポーザルの審査委員が選定した新病院施工者を独断で覆した責任を問われ、市議会が百条委員会を設置し調査を進めている。前市政から続く問題で市民からの信頼を失っている田村市だが、武田被告が「市役所はつまらない」と評したように、内部(市職員)からも見限られてはいないか。外部からメスが入ったことを契機に膿を出し切り、生まれ変わるきっかけにするべきだ。