第97回選抜高等学校野球大会(通称・センバツ)が3月18日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われた。本県からは聖光学院が3年ぶり7回目の出場。1回戦、2回戦を勝ち上がり、ベスト8に輝いた。本誌は1回戦の試合を現地観戦し、同校の甲子園通算30勝となる節目の勝利を見届けた。(末永)
聖光学院甲子園通算30勝を見届ける

聖光学院は昨年秋の東北大会で優勝したため、その時点でセンバツ出場は「当確」だった。昨年11月には全国10地区の優勝チームが集う明治神宮大会に出場し、東洋大姫路(近畿大会優勝、兵庫県)と対戦。0―10の5回コールドで大敗した。新チームになり、福島県大会、東北大会と負けなしだったチームにとって、かなりショッキングな敗戦だったが、その悔しさを胸に、冬の期間は鍛錬に励み、「リベンジの春」としてセンバツに臨んだ。
3月7日に組み合わせ抽選会が行われ、大会5日目の第2試合で常葉大菊川高校(静岡県)と対戦することが決まった。同校は昨年秋の静岡県大会を優勝、東海大会を準優勝でセンバツに駒を進めてきていた。2007年春には甲子園優勝を果たしたほか、2008年夏には準優勝しており、強豪校として知られる。
昨秋、苦杯を舐めた東洋大姫路とは、両校とも勝ち上がれば準決勝で対戦する。何とかそこまで勝ち上がってほしい。とはいえ、まずは初戦。ということで、常葉大菊川戦に合わせて甲子園に向かった。昨年夏に続き、7カ月ぶり2回目の現地観戦だ。
試合は聖光学院の大嶋哲平投手と、常葉大菊川の大村昂輝投手の投げ合いの展開になった。両投手とも、球速はさほどではないが、持ち味のコントロールの良さと巧みな組み立てで打者を抑え込んでいく。加えて、両チームともに堅い守備もあり、試合が動かないまま、あっという間にイニングが進んでいった。
聖光学院にとって最大のピンチは6回。先頭バッターに2塁打を許し、送りバントで1アウト3塁とされた。1点勝負のため、内野は前進守備。内野手の正面に打球が飛べば3塁ランナーの生還を防ぐことができるが、その分、ヒットゾーンは広がるという布陣。この場面でショート右への打球が飛び、聖光学院ショートの石澤琉聖選手がダイビングで好捕して相手の得点を許さなかった。1打点に匹敵するプレーだった。
そのまま、両チームとも無得点で延長タイブレークに突入した。この時点で、ヒット数は常葉大菊川が5本、聖光学院が6本で、同一イニングに複数のヒットは出ていなかった。本誌記者も、試合の途中からは「延長タイブレークでの決着になりそう」と予感しており、「そうなると、どの打順で延長タイブレークに入るかで決まるかもしれない」と思いながら見ていた。
なお、タイブレーク制度は、ノーアウト1塁・2塁から始まる。得点が入りやすい状況からスタートすることで、試合の早期決着を促すことが目的で、延長戦が長引くと、選手の疲労やケガのリスクが高まるため。サッカーのPK戦のようなもの。
打順は前のイニング(9回終了時)からの継続で、ランナーは1塁が10回の先頭バッターの前の打順の選手、2塁ランナーは1塁ランナーの前の打順の選手。そのため、どの打順で延長タイブレークに入るかが重要になりそうと感じていたのだ。
10回表の常葉大菊川の攻撃は、先頭打者を外野フライに打ち取り、ランナーの進塁を許さず、ワンアウトを奪った。これで少し優位に立てたかと思ったが、バッテリーミスでワンアウト2、3塁とされる。ここで犠牲フライを打たれ1失点。さらに次の打者にタイムリーヒットを許し0―2とされる。
その裏、聖光学院は送りバント、三振、フォアボールでツーアウト満塁。長打が出れば一気に逆転だが、あと1人で敗戦という状況。ここである思いがよぎる。本誌が聖光学院の全国大会を現地観戦するのは、昨年夏の甲子園、昨年秋の神宮に続いて3回目だが、過去2回はどちらも初戦敗退。「ひょっとして自分は疫病神か」ということが頭をよぎった直後、相手投手のボークと、猪俣陽向選手のタイムリーヒットで同点に追い付く。
10回の攻撃で大嶋投手に代打を送っていたため、11回からは2番手の管野蓮投手がマウンドに。11回の表裏で互いに1点を取り合って、タイブレーク3イニング目(延長12回)に入る。
12回表、管野投手が相手の上位打線を相手に、外野フライとダブルプレーで無得点に抑える。
こうなると、裏攻撃の利が生きる。12回裏、先頭の管野選手がライト前ヒットを放つが、2塁ランナーがホームでアウトになる。ただ、1アウト1、3塁とチャンス継続。最後は、途中出場の鈴木来夢選手がセンターに犠牲フライを打ち、4対3でサヨナラ勝ちを収めた。
得たものが多い試合

お互いノーエラーで凌ぎ合いの痺れる試合展開だった。あれだけ緊迫した場面で、しっかりと力を出し切れる選手には敬服する。そのくらいナイスゲームで、その中で勝てたのは応援する側としても嬉しかった。
サヨナラ打の鈴木選手は試合後、「(前のバッターのヒットで2塁ランナーがホームを狙い)セーフかと思ったらアウトになった。自分はそういうこと(お前が決めろということ)と思って打席に入った」と振り返った。
斎藤智也監督は「ロースコアの接戦を想定していたが、0―0とは思っていなかった」と話した。それだけ、両投手の状態が良かったということだ。
そのほか、「結果的に試合に勝てたことを前提に言うと、ノーアウト1、2塁を3回も経験でき、得るものが大きかった」と話していたのが印象に残った。
勝ち上がったので試合は続くし、最後の夏の大会もある。それを踏まえると、甲子園という舞台で、あれだけ緊迫した場面を3回も経験できたのは、確かにチームにとって大きな財産になろう。それは普段の練習では得られないものだ。
一方で、この勝利で聖光学院は甲子園通算30勝の節目に到達した。それを現地で見届けられたことは感慨深い。2023年夏の1回戦に勝利して〝リーチ〟がかかった状態から、2回足踏みし、3回目の挑戦で30勝を達成した。
斎藤監督は「チームは毎年変わるわけだから、30勝云々より今日勝てたことが嬉しい」としつつ、「いろいろ言われるので、早めに決めたいと思っていた」とも話していた。
聖光学院の歩み

別掲に甲子園の全成績をまとめたが、初出場は2001年でこの時は0―20の大敗。当時は「甲子園に出ること」が目標で「甲子園で勝つ」ということは簡単ではなかった。それは聖光学院に限らず、福島県の高校野球全体に言えること。福島県は1995年から2003年まで、夏の甲子園で9年連続初戦敗退を喫していた。9連敗のうちの1つが2001年の聖光学院だった。

初勝利は2回目の出場となった2004年夏。同時に福島県の連敗記録をストップさせた。この時の主力選手の1人が「中学3年生のときに聖光学院の試合を見て同校への進学を決めた」と言っていたのを当時の記事で見た。それら選手の活躍で甲子園初勝利を挙げ、そこから聖光学院の時代がスタートする。
聖光学院は、全国の強豪校に〝教えられて〟強くなったという歴史がある。福島県内では強いチームでも、全国の強豪校と対戦すると、力の差を見せつけられ、もっとこうしなければ、という具合に。その積み重ねで甲子園30勝という節目にたどり着いたのだ。そこには学ばされるものがある。
今大会に話を戻すと、聖光学院は2回戦で早稲田実業(東京都)と対戦し7―4で勝利。これで甲子園通算31勝目になり、センバツでは2013年以来のベスト8に進出した。迎えた準々決勝では、浦和実業(埼玉県)と対戦し、9回を終わって4―4の同点。1回戦に続いて延長タイブレークにもつれた。10回表に8点を奪われ、4―12で敗戦。春は初めて、夏を合わせると2022年夏以来のベスト4入りはならなかった。
とはいえ、チームは昨年からレベルアップしていたことがうかがえた。地元に戻り、センバツの疲労回復を図りつつ、最後の夏の大会に向け、また鍛錬の日々だ。
以前、斎藤監督はこんなことを話していた。
「センバツに出ること、そこで勝ち上がれることはもちろん嬉しいんだけど、燃え尽き症候群のような状態になるのが怖い。やっぱり、最後の勝負は夏だから」
おそらく、選手たちはやり切ったという思いより、悔しさの方が大きいはず。昨秋の悔しさをセンバツにぶつけたように、センバツの悔しさを夏の大会で晴らせるよう、さらなるレベルアップを期待したい。
最後に、試合以外の甲子園観戦の感想。昨夏に一度経験したことにより、移動の手段・時間、取材エリアの状況などが分かっていたので、スムーズに観戦できた。何より、昨夏は暑さで試合終了後は頭が働かない状態だったが、今回は気候的にも良かった。大会序盤はかなり寒いと聞いていたが、聖光学院の試合が行われた日は絶好の観戦日和だった。贔屓チームが勝ったことも関係しているのかもしれないが、昨夏は試合後にグッタリし、甲子園内のショップに立ち寄ろうとも思わなかった。今回はショップに立ち寄り、グッズを購入して大満足で帰路に着いた。