東京電力福島第一原発事故で人々が避難した双葉郡に通い、現地を歩いて感じ取った風景を絵本にした作家がいる。絵本作家の鈴木邦弘さん(52)=さいたま市在住=が描く絵は、青い空の下に広がる新緑であったり商店街であったりする。どこか懐かしい田舎の風景だ。「おやっ」と目を引くのは、必ず柴犬とおじさんが佇んでいるところ。ただの田舎の風景ではない。「原子力 明るい未来のエネルギー」と掲げられた光景を描いた作品を見て誰もが本当のテーマを知る。原発被災地に佇む犬とおじさん。なぜ鈴木さんはこのような絵を描いてきたのか。
絵本作家の鈴木邦弘さんが双葉郡歩いて制作


鈴木さんが双葉郡を訪ねるようになったのは大震災・原発事故から4年後の2015年だった。栃木県で生まれ、埼玉県内で長く暮らす鈴木さんは、事故で初めて首都圏の電気が福島で作られていたことを知った。のうのうと暮らしてきた自分の無知を恥じたという。
さいたま市の自宅から歩いて10分ほどのところにある「さいたまスーパーアリーナ」には、双葉町民約1200人が役場ごと避難していた。絵本作家の傍ら介護福祉士として働いていた鈴木さんは、仕事を生かそうとボランティア登録をしたが、出番は回ってこなかった。福島の現地では人手が足りなかったが、運転免許を持っていないため駆け付けられない。遠目に避難者の暮らしを感じるだけだった。
「避難所となっていたスーパーアリーナの脇には現在日本赤十字の病院が建っているんですが、当時は避難した方の駐車場に使われていました。ペットは室内に入れないためか、たくさんの犬が車につながれていたのが目に焼き付いています」
幼少期は犬を飼っており、犬好きという鈴木さんはかねてから捨てられて保護された犬を飼いたがっていた。避難所でつながれた犬たちの光景を見て思い立ったわけではないが、たまたま動物愛護センターで推定3歳の雌の柴犬を引き取ることになった。
埼玉の避難所でつながれた犬たち
「センターの職員からスーパーアリーナ近くの河川敷を放浪していたのを保護したと聞きました。とても人慣れしていて誰かに大切に飼われていた形跡があります。こんな素晴らしい犬をなんで捨てたんだろう、いや、手放さざるを得なかったんじゃないかと考えて、避難所の駐車場でつながれていた犬たちと結びつきました。僕の中の勝手な思い込みですが、譲り受けた犬は『福島の犬』、それも双葉町の避難所近くの河原にいたので故郷は双葉なのではないかと思うようになりました」
柴犬には「こまち」と名付け17歳を迎えた。鈴木さんは2015年に介護の仕事を辞めて時間ができ、こまちの故郷を見てみたいと思い立った。3月に1人で常磐線に乗って広野町まで行き、5月には友人が運転する車に乗って国道6号を北上。帰還困難区域を通り抜けながら宮城県気仙沼市までたどり着いた。
地震で倒壊し、原発事故で住人が長期避難を強いられたためにそのままになった住居は、鈴木さんにとってテレビやネットでは目にしない光景だったという。宿泊先の健康ランドで地元の男性から「被害の現状はあまり報じられないから見た人がしっかり伝えてほしい」と言われた。
「絵描きの自分は福島を描くしかない」と決意したが、同時に自分の表現で傷つく人がいると考えると恐ろしかった。周囲を見回しても東日本大震災を題材にしたアート作品は、当時は多くなく、ことさら原発事故の深刻な被害を受けた福島を描くのには誰もが慎重だった。鈴木さんは2015年夏に、放射能汚染された土を詰めるフレコンバッグを本来は黒にもかかわらずピンクに染めた絵を出品した。評判は散々だった。
「直接的な表現を避けたのだと思います。今振り返るとごまかしだった」
再び表現への熱が湧いたのは、東京・新宿駅前の連絡通路に展示された写真家中筋純さんの写真を目にしてからだった。中筋さんは、南相馬市の「おれたちの伝承館」の館長を務める。鈴木さんは、中筋さんの展示を手伝い、原発被災地に通い、納得するまで福島に向き合った上で作品を展示するようになった。
「運転免許を持っていないので移動するには歩かざるを得ません。車で移動すると目的地を点と点でつなぐだけになってしまいますが、歩くとそれまでの過程が面として浮かび上がってきます。線量計を携帯して歩きますが、放射線量は人が通るのが許された場所でも高い地点があります。近づくと線量計が鳴る間隔が短くなり緊迫感が増す。車だと守られている意識がありますが、生身だと緊張感があり、それだけ原発事故が与えた爪痕に向き合えます」
双葉郡の風景を背に佇む犬とおじさんの構図はどのようにして生まれたのだろうか。
「2011年以前から旅行雑誌に載った写真を基に風景を描き、そこに動物やおじさんをポツンと添えていました。おじさんのモデルは私ではなく、どこにでもいる『おじさん』のイメージ。風景に人や動物が加わると物語が生まれます。僕は画力に自信があるわけではなく、ただ風景を描いても伝わらないと思ったのでこの手法に至りました」
鈴木さんにとって福島と言えば、さいたま市の避難所の近くで拾われた愛犬だった。愛犬をモデルにした犬と、ただの「おじさん」のタッグを鈴木さんが訪ねた風景に佇ませる作風が固まった。東京で個展を重ね、出版社から絵本制作の依頼が掛かり、2021年に『いぬとふるさと』(旬報社)が刊行された。
「個展では避難者の方が『双葉町出身なんです』と声を掛けてくれ、初対面の私に境遇を話してくれることが度々ありました。全国に避難者はたくさんいるはずですが、心無いことを言われるのを恐れひっそり暮らしています。作品それ自体よりも、個展が安心して語れる場になったのは続けてよかったと思います」
鈴木さんの絵は真っ青な空が特徴だ。自分が見た風景の印象を思い出し、意図的に実際よりも綺麗にしているという。その傾向は描き出した当初より極まっている。
2018年5月、新緑の季節のことだ。鈴木さんは浪江町の請戸川に架かる橋を歩いていた。行き交う車もない。ちょうど雨が降ってきて折りたたみ傘を差すと、雨音、虫の声、遠くで聞こえる鳥や獣の声がステレオ音声のように迫ってきた。住民が避難し生活音が聞こえない悲しい理由がある。それでも、大自然は美しかった。
「フレコンバッグをピンクにしたってごまかしにしかならない。綺麗なものは綺麗と、自分が感じた美しさをそのまま表現したいと思いました。放射線量が高いからと言っておどろどろしく描く必要はない。僕の中では美しいものを描けば描くほど逆に原発事故がこの地域に与えた悲しさ、寂しさが際立ちます」
描いた風景の中にある建物は解体が進み、今はない風景を記録する役目も帯びてきたという。
「写真で見るのはどぎつくて辛いけど、あなたの描いた絵なら懐かしくて見ていられる」。そう言われることが増えた。
人間が蔑ろにされていることに怒り
鈴木さんは2015年から通い続け、のべ600㌔を踏破した。今では双葉郡内に友人ができ、帰還困難区域にある自宅に同行させてもらうこともある。廃炉作業は先が見えず、敷地外でも放射能汚染は山林を中心に残り、事故の影響は継続中だ。世間では時間と共に原発事故の忘却が進む。双葉郡に通い続ける鈴木さんは、帰還者から「どうしてそんなに熱くなれるの」と聞かれたことがあるという。
「贖罪だと思います。原発事故が起こるまで福島から首都圏に電気が送られてきていたことを知らなかった。起きてからも何もしなかった。自ら知ろうと現地を訪ねたのは震災・原発事故から4年経ってからでした」
もう一つの理由は、人間が蔑ろにされていることに対する怒りだという。根底にあるのは介護職の経験だった。
「高齢者も介護をしている僕たちも蔑ろにされていました。現場を知ってくれよ!
と思い、介護を題材に絵本を描いたこともあります。福島の場合、避難者が蔑ろにされていることに対する怒りはもちろん、土地や文化が喪失したことに対する怒りがあります。福島が東京のために電気を賄っていたのを知らなかった自分にも怒っています」
鈴木さんは今年も東京で作品展を開いている。個展「みえない放射能を描く2026」は、3月7日まで東京都中央区銀座のギャラリー「ゆう画廊」で開催。観覧時間は午後0~7時(最終日7日は午後4時まで)。観覧無料。


























