獨協医科大准教授の木村真三さんは、同大学が二本松市に設置した「国際疫学研究室福島分室」を拠点に、福島第一原発事故後、県内の放射線量測定や健康調査などを続けてきた。そんな木村さんがこのたび浪江町津島地区に拠点を移すことになったという。その経緯と背景を聞いた。
閉鎖危機の分室を住民が誘致

木村さんは1967年生まれ。愛媛県出身。北海道大大学院博士課程修了。放射線衛生学者として、独立行政法人放射線医学総合研究所(放医研)を経て、労働安全衛生総合研究所で勤務していたとき、震災・原発事故が発生する。
すぐに仕事を辞め、福島各地を回って放射線量の初動調査を独自で実施した。採取した土壌サンプルは大学の原子力工学に送って、放射性核種などの詳細分析を実施した。
その様子はNHK Eテレのドキュメンタリー番組「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図」として放映され、反響を呼んだ。
その後、木村さんは獨協医科大准教授となり、二本松市に設置された「国際疫学研究室福島分室」の室長に就任。県内に住みながら放射線量を測定し続けている。
同大学のホームページには、分室の活動について次のように記されている。
《チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域であるウクライナ国、ベラルーシ共和国での長期被ばくによる健康影響を評価するために疫学的調査を行っており、得られた研究結果を福島第一原発事故で苦しむ福島の人々にフィードバックすることを目指しています。
具体的には、
1、高濃度汚染地域であるウクライナ国ジトーミル州での疾病疫学調査、環境調査
2、低線量被ばく地域であるベラルーシ共和国ブレスト州での甲状腺がんの疫学的調査
3、短半減期核種による福島県内の初期被ばくの線量推定
4、国内外の原発事故による地域住民・被災者への心理社会的健康影響要因の特定
5、福島県を中心に日本国内の環境試料中の放射能分析》
本誌でもこの間、折に触れて活動を取り上げてきたが、そんな同分室が二本松市から拠点を移す準備をしているという。
「移転先の検討や移転の際に頼む業者の話などをしていた。同分室には土壌測定などを依頼していた。放射能汚染はまだ残っているので、県内から撤退されると困ってしまいます」(木村さんと交流がある男性)
真相はどうなのか。木村さんに直接確認したところ、「拠点が移転するのは事実です」と語ったうえで、この間の経緯を次のように明かした。
「2011年に獨協医科大と二本松市の間で『福島県二本松市と獨協医科大学との連携に関する協定』を締結し、私が責任者の分室を設置して、ゲルマニウム半導体検出器などを導入し、市所有の検査機器を用いた測定、被曝に関する助言などを行ってきました。ただ、昨年6月、市の方から『2023年度で協定を終了したい』と伝えられたのです」
二本松市健康増進課に確認したところ、協定は3年ごとに更新していたが、「一定の効果が得られた」との判断から、木村さんとも話し合いを重ね、昨年度末で協定を終了することになったという。
具体的な理由は以下の通り。
①市民の関心が薄れ、分室への測定依頼数も減っている
②空間線量低減に伴い放射線関連の不安の声が聞かれなくなった
③県内の他市町村を見ても、放射線関連の専門家にアドバイザーを依頼しているところがほとんどなくなっており、県のアドバイザー事業を利用してもらう形などに切り替えて対応している
④市全域の平均的な空間線量率が毎時0・23マイクロシーベルト未満まで下がったことから、昨年3月末で汚染状況重点調査地域の指定が解除された
ちなみに協定に伴う協力費用などは特になく、市が場所(二本松市シルバー人材センターが入居する建物の一角)と機器を提供し、分室が研究の一貫として測定・助言などを行っていた。また、木村さんをはじめ専門家が二本松市放射線アドバイザーに就いていたが、こちらも旅費などの負担だけで謝金は支払われていなかったという。
津島地区との深い関係
話は単なる移転の話だけに留まらなかった。
「二本松市からの協定終了の打診を大学に持ち帰って相談したところ、分室のあり方を考えるワーキンググループが学内に作られ、分室自体の存廃をめぐる話し合いが行われることになったのです。その中でこれまでの業績に関する書類や移転先の候補、移転費用の見積もりに至るまであらゆる資料を提出するよう求められました」(木村さん)
ヒアリングなどを通して、大学側から求められていたのは①二本松市に代わる受け皿を探してくること、②分室の建物の用意、③大型精密機器を移設するための業者選定と日程調整、④原発事故当初から保管していた放射性物質のサンプル数千点の保管場所の用意、⑤引っ越しのための業者選定など。
分室を残すため、木村さんは各自治体に声をかけたが、前述したように市町村単位での放射線関連事業は見直しが進んでおり、他の研究機関と契約しているなどの事情もあって、受け入れ先は見つからなかった。
困り果てた木村さんが声をかけたのが、原発事故直後からつながりがある浪江町津島地区の住民だった。
津島地区は同町北西部に位置し、福島第一原発から25~30㌔圏域にある。高濃度の放射能汚染にさらされ、帰還困難区域に指定された。地区のわずか1・6%の面積が特定復興再生拠点区域として整備され、昨年3月に解除。拠点区域外では特定帰還居住区域の取り組みが開始されるが、地区全体の除染計画は示されていない。かつては1400人が暮らす地区だったが、家屋や田畑は荒廃が進んでいる。
2011年3月、NHKのスタッフと同町赤宇木地区の集会所を訪れ、専門家の立場から空間線量が高いエリアであることを知らせ、緊急避難を呼びかけた。それ以降住民らとの縁ができた。一昨年から昨年にかけては、国・東電を相手取って訴訟を提起している原告団から依頼され、津島地区の家屋・工場・公共施設など全600戸を1軒1軒歩いて放射線量を測定した。その結果は裁判所に資料として提出された。なお裁判の判決は2021年7月に福島地裁郡山支部で言い渡されたが(本誌2021年9月号参照)、原状回復請求が認められなかったことから同年8月、仙台高裁に控訴。現在も継続している。
「8行政区の代表者を水先案内人にして、津島地区全体を歩き、地元住民の誰よりも現状を見た自負がある。そうした経緯もあったので、窮地に立たされたとき、津島地区の皆さんの顔がぱっと思い浮かび、行政区として分室を誘致することは可能か打診したのです」(同)
木村さんからの申し出を津島地区の住民は快く受け入れ、8行政区長は獨協医科大宛ての要望書を提出。 さらには、下津島行政区の区長で、原告団の団長を務める今野秀則さんが、所有していた住宅を事務所兼簡易測定所として使ってほしいと同分室に寄付した。

今野さんにコメントを求めたところ、「津島地区はまだまだ放射線量が高い地域。そんな地域に専門家がいて情報提供したり、放射線を測定したりしてくれるのはありがたいですよ。区長会の中で議論になりましたが、裁判のときに協力してもらったつながりもあったので分室を誘致する方針でまとまった。住宅は使っていなかったので活用してほしいと思った」と述べた。
津島地区住民の全面的なバックアップを受け、木村さんは二本松市に代わる受け皿、分室の建物の用意、さらには前出・大学側からの要求もすべて満たすことに成功した。これを受けて獨協医科大は分室を正式に残す方針を決めた。3年後に再度、業績などで評価するとのことだが、ひとまず廃止の危機は脱した格好だ。
複数の研究者によると、放射線関連の研究費は年を追うごとに減らされ、ランニングコストは負担してもらえるものの、最小限の研究費で活動している状態だという。
そうした中で、なぜここまで分室存続にこだわるのか。木村さんは「売名目的でもなければ評価を望んでいるわけでもない。万が一のときに備えてひたすら測り続けて、データを取り続けることが福島県民を守ることにつながると考えているだけです。そのためには分室がなくなると困るし、分室で働く優秀でかけがえのない地元スタッフも勤務を継続できなくなる。そうしたことも踏まえて動いた」と語る。
「1マイクロ超は異常」

津島地区は幹線道路脇や特定居住区域周辺で大規模除染が始まったので、線量はかなり下がっているように見える。8月26日15時現在、津島活性化センターに設置されているモニタリングポストの空間線量を確認したところ、0・26マイクロシーベルト毎時だった。
もっとも、そこからちょっと山側に入ると一気に1マイクロシーベルト毎時を超える。
「チェルノブイリ原発事故から15年経った2001年、同原発3㌔圏内のコパチ村を訪れたとき、空間線量が1マイクロシーベルトを超えて、恐怖を覚えた記憶があります。原発事故から13年経った福島でも、空間線量1マイクロシーベルト毎時を超えているのはやっぱり異常だと思います。そうした現実を共有し、住民と協同しながら、帰還を求めている人が一日も早くもどってこれるようにするにはどうすればいいか、一緒に考えて背中を押す。これが僕の仕事だと考えています」
木村さんと区長会では、利益相反の関係にならないよう、住民と分室をつなぐ組織として新潟県の福島第一原発事故に関する「技術」「健康・生活」「避難」の検証の総括委員長を務めた池内了(さとる)名古屋大学名誉教授が代表理事を務める「原発事故影響研究所」という一般社団法人をすでに立ち上げ、一体となって活動を進めていく考えだ。
震災・原発事故から13年経過し、原発事故の影響や放射能汚染への関心は薄れつつあるが、まだ汚染は残り続けている。山林除染は手つかずの状況で、汚染エリアの中でも中山間地域は無用な被曝を避けながら生活しなければならない。本誌では汚染エリアの掲示などを訴えているが、なかなか実現しない。
そうした中で、地域住民と専門家が直接つながり、研究施設を誘致して測定を続けていくというのは、住民自治の観点からも意義深い事例と言えるのではないか。
※測定依頼数の減少は、コロナ禍の影響などで分室の稼働日が年々減ったことも影響している可能性がある。