佐藤定男議長(74)=4期=が議長を2年で交代する約束を破ったとして、町議会が6月定例会で議長への問責決議案を出し、全会一致で可決した。佐藤議長は「議員間で約束したわけではなく認識の齟齬」、「議論なく任期を変更しては悪しき前例になる」と反論し辞任を否定。問責決議に法的拘束力はなく、佐藤議長は続投を表明している。
内輪の合意すらまとめられず紛糾
議長ポストを巡り、議員たちが対立する光景は各地の地方議会でみられる。背景には議長、副議長や常任委員長などのポストを2年で交代することによって「議会の活性化」を図る狙いがある。根底には「議員になったら議長を目指すもの」という地方議員特有の習性が横たわる。
常任委員は、議会条例で任期を法的に定められるが、議長と副議長については、上位の法律である地方自治法で「議員の任期による」=4年と定められているので、条例で別に任期を2年とすることができない。そのため、同法と矛盾せずに議長、副議長を2年交代制にするには、任期中に辞めて選び直すという手続きを取る必要がある。2年交代制を取っている議会では「慣例」で行っているが、半面、議員間の「紳士協定」に過ぎないため、今回のような紛糾が時たま起こる。
ある議員が顛末を語る。
「ことは議会改選後に行われた2023年6月の定例会にさかのぼる。常任委員2年制に加え、議員間で議長と副議長の任期を慣例で2年交代にしようという話になった。各議員がポストに就ける機会を増やし議会の活性化を図るためだ。前向きな議員が多かった。2年交代制の慣例化を約束し、広く支持を得たのが佐藤定男議員だった。それが、佐藤氏が議長に就く決定打になった。議長選に意欲を示した別の議員は4年制の維持にこだわっていたが、支持を集められないと知ると立候補を取り下げた」
結果は、出席議員11人のうち佐藤定男議員が9票、渡辺勝弘議員が2票で、佐藤氏が議長に選出された。2023年6月定例会を記録した「議会だより」で、佐藤議長は次のように抱負を語った。同じ内容は町議会のホームページにも載った。
《議会改革も進めていく必要があります。
具体的には、議長・副議長、各常任委員会の任期を基本的に4年から2年に変更し活性化を図ります》
議長・副議長の2年交代制に期待し票を投じた議員たちは、この発言を町民にも向けられた公約と受け取った。ところが、後に佐藤議長は「約束ではない」と主張。「慣例化」は失敗したというわけ。
佐藤定男議長に話を聞いた。
「あれは公約ではない。議員間の約束ではなく考え方の違いだ」
考え方の違いとは何なのか。詳細を聞くと「議会で問責決議案が可決された後に説明した通り。あなたはその場面を見たのか」。もう一度説明するよう頼むと、「見解をまとめたものがある」と言い、代わりに自説を記した議会報告を渡してきた。

ただ、全会一致の問責決議は効いたようだ。取材に「時期はまだ思案中だが、議長を退くことを全議員に申し入れた」と明かした。問責決議案が全会一致で可決されたことは地元紙でも報じられ、町民に議会が混乱していると印象付けた。須賀川市内で発行する夕刊紙「マメタイムス」までもが1面コラムで議長の姿勢を批判的に取り上げる始末。
この間の町民の反応を受け、佐藤議長は「気まずいというかどうも晴れ晴れとしない。町民や町職員からの視線も考え、混乱を避けるために議長の辞任を考えた」と言う。辞任の時期が未定の理由については「支援者に説明する必要があるため」とした。
佐藤議長から説明代わりに渡された6月18日付の議会報告では、以下のように吐露している。
《何故こうなってしまったのか。2年前の議長選挙の時、一部のグループ議員の条件を呑まなければよかったのか、辞表を出さないで(選挙をしないで)議長を続けようとした私の考えが甘かったのだろうか。
私への「問責決議」を回避する手立てはなかったのだろうか。私なりに模索しましたが事態を収拾できませんでした。町職員、町民の皆様には議員間のゴタゴタで不信感を招いてしまい、深くお詫び申し上げます》
そして、こう結んだ。
《私は議長として一層気を引き締めて議会の円滑な運営と町政進展のため力を尽くして参ります》
結果として、内輪の取り決めすらまとめることができない失態を演じた。「認識の齟齬」を2年間もそのままにしているようでは、議長に必要な調整能力がないと言われても仕方あるまい。衝突する意見を前に対話する姿勢も乏しく感じる。
国見町に限らず、他市町村の議会を振り返れば、誰が議長になるかで揉める事例はある。だが住民は「誰が議長になっても同じ。くだらないことで揉めないでほしい」と議会を怪訝な目で見ているのではないか。
























