いわき市で再起を図る2人の政治家【鳥居作弥】【清水敏男】

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いわき市で再起を図る2人の政治家【鳥居作弥】【清水敏男】

 元県議の鳥居作弥氏(49)が昨年末で立憲民主党を離党し、日本維新の会からの立候補を模索している。本人に会ってその狙いを聞いた。

失意の衆院選出馬断念から1年半

立憲から維新に移った鳥居作弥氏

立憲から維新に移った鳥居作弥氏
鳥居作弥氏

 鳥居作弥氏は1974年3月生まれ。磐城高校、獨協大学経済学部卒。吉田泉衆院議員の秘書を務め、2011年、県議選いわき市選挙区に民主党から立候補して落選。15年の県議選で約7500票を獲得し、初当選を果たしたが、19年の県議選で国民民主党から立候補して再び落選した。

 その後、立憲民主党入りし、21年には県連副代表に就任。同年10月の衆院選に立候補するための準備を着々と進めていた。ところが、野党共闘で候補者を一本化することになり、共産党の新人候補に譲る形で直前に小選挙区での立候補を断念し、比例代表で立候補したが落選した。

 その後、政治的に目立った動きはなかった鳥居氏。今年に入ってからは「立憲民主党を離党し、周囲に『日本維新の会(以下、維新と表記)から県議選に出たい』と相談している」(いわき市で活動するジャーナリスト)とウワサされていた。

 維新と言えば、大阪府を中心に支持を集める政党で、4月の統一地方選では神奈川、福岡両県議選でも初めて議席を獲得。その躍進ぶりに注目が集まった。

 そうした中で5月11日に報じられたのが、維新が福島県総支部を設立したというニュースだ。

 県内には党所属の地方議員がいないため、次期衆院選や県議選での党勢拡大を目指して設立されたもので、今後は積極的に候補者を擁立する方針だ。設立は2月23日付で、3月8日に県選管に届け出た。維新が東北地方で県総支部を立ち上げたのは、宮城、秋田に続き3県目。

 衆院議員の井上英孝氏(4期、大阪1区)が総支部長、元参院議員の山口和之氏(同党参院全国比例区支部長、郡山市在住)が幹事長に就いた。同党はいわき市を「重点地区」に位置付けており、同市平地区(みさきホテル&ラウンジ内)に事務所を設置した。

 同日の記者会見で井上氏は、当面県議選への準備に重点的に取り組む方針を示し、「福島県に縁がある人を優先したい」とも話した。

 こうした動きを見ていると、鳥居氏の「維新入り」は既定路線のように見えるが、実際はどうなのか。鳥居氏に取材を申し込んだところ、面会場所に指定されたのは同党県総支部事務所があるホテルだった。

 「この間、私から情報発信することは控えていたのですが、選挙の動向を取り上げるユーチューブなどでも私の名前が出てきたので驚きました」。鳥居氏は笑いながら、これまでの経緯を振り返った。

 「衆院選立候補直前に〝公認取り消し〟となり自暴自棄になったし、支援していただいた方と一緒に思い悩んだ1年でした。直後は立憲民主党に対する怒りが強かったが、しばらくすると『あの時、なぜ無所属で立候補するという決断ができなかったのか』という後悔に変わりました。自分を支えてくれた皆さんへの裏切り行為でもあり、その後悔は現在も続いています」(鳥居氏)

接点は山口元参院議員

接点は山口和之元参院議員
山口和之氏(HPより)

 21年の衆院選では立候補に向け、家族の理解を得て、私費も投じて準備を進めてきた。ところが、告示10日前というタイミングで立候補を断念せざるを得なくなった。

 具体的にどういう経緯・理由で立候補断念・公認取り消しに至ったかについて、鳥居氏は語ろうとしなかったが、ある支持者は「要するに直前ではしごを外された。いまも立憲民主党県連から明確な理由は説明されていない」と憤りながら話す。

 昨年夏の参院選後、立憲民主党を離党。しばらくはニュートラルな立場でいようと考えていたが、今年になって、ある人物から連絡が入った。それが前出・山口氏だった。

 維新との接点はなかったが、何度か会って議論するうちに教育、福祉を重点施策に掲げる自分と、医療、福祉の充実に注力する山口氏とは共通点が多いと感じた。そこから維新に関心を抱くようになり、今回の県総支部設立に全面協力した。

 同党県総支部の事務所がいわき市に設置されたのは、「福島県の再生を左右するのは浜通りの再生。拠点を設けるなら福島市の県庁近くではなく、復興の最前線である浜通りに作るべきだ」という鳥居氏の助言を受けたものだという。

 維新の政策について尋ねると「教育完全無償化などの政策を打ち出し、大阪府で実績を残しているのが大きい。個々の政策について賛否はあるかもしれませんが、地方行政では不可能だと思い込んでいたことを実現していく姿に、『強い思いと行動力があればできるんだ』と衝撃を受けました」と熱っぽく語った。

 実質的に同党入りを果たしているような状況だが、同党から選挙に立候補する予定はあるのか。記者がこう問いかけると、鳥居氏は「この間、同党県総支部の組織作りを最優先に活動してきました。〝受け皿〟がしっかりしていないと立候補者は不安になるものです」としたうえで、次のように述べた。

 「ようやく組織がまとまりつつあるので、後援会の皆さんなどさまざまな方に相談したうえで、近いうちに私自身の方針に関しても決断させていただきたいと思います。現実的に考えて、立候補を表明するとしたら県議選だと思います」

 5月27日にはいわき市で県総支部設立記念講演会が開かれ、維新の馬場伸幸代表が講演する。原稿執筆段階(同25日)ではどうなるか分からないが、調整がうまく進めば、この場で鳥居氏の「決断」が発表される見通しだ。

※鳥居作弥氏は5月27日、11月12日投開票の県議選に、日本維新の会公認で立候補することを表明した。

 なお鳥居氏に関しては、衆院選への立候補が有力とみる向きもある。広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)が終了し、衆院の早期解散論もささやかれているだけに、本誌が店頭に並ぶころには、鳥居氏が話していたのと全く違う情勢になっているかもしれない。

 県総支部設立時の記者会見で、県内の党員数は110人と明かされた。鳥居氏によると、民主党時代からの支持者も一連の行動に理解を示し、そのほとんどが維新に流れているという。本県における支持基盤がほとんどない同党にとって、鳥居氏の存在は頼もしいはずで、そういう面も含めて山口氏も鳥居氏にコンタクトを取ったのだろう。

 現在、県議選いわき市選挙区(定数10)では現職10人、新人3人が立候補を表明しており、鳥居氏が〝参戦〟すればさらに激戦になる。いわき政界において、今後もその動向が注目される存在となりそうだ。

 いわき市長を2期8年務め、3選を目指す選挙で落選した清水敏男氏(60)。現在〝充電中〟だが、リベンジへの意欲は潰えていないようだ。

落選後も後援会解散せず市政監視

清水敏男氏が見据える「最終目標」

清水敏男氏が見据える「最終目標」
清水敏男氏(2021年4月撮影)

 清水敏男氏は1963年8月生まれ。磐城高校、日本大学法学部卒。鴻池祥肇衆院議員の秘書を経て、いわき市議2期、福島県議4期。党派は自民党。

 そこから2013年9月のいわき市長選に立候補して初当選。21年9月、3選をかけて立候補したが、4候補者中3位の得票数で落選した。

 本誌21年2月号の記事では選挙前の時点での状況を次のようにリポートしていた。

 《2期目の公約として掲げた平城復元やスタジアム建設については「平地区ばかり意識した〝打ち上げ花火〟的な政策はいらない」と冷ややかな意見が多く、「台風やコロナへの対応が遅い」、「2期目は目立った事業がなかった」という批判の声も聞こえてくる。ただし、「2期8年で目立った失敗はなかった。他候補は経済・教育など得意分野があるが決め手に欠ける。政治に詳しくない多くの市民は、名前を知る現職に投票するのではないか」(前出・同市の事情通)という見立てもある》

 実際には当選した内田広之氏と1万9000票差が付いたので、想像以上に現職批判の声が大きかったということだろう。

 20代から30年以上にわたり政治の道を歩み続けてきた清水氏。市内の経済人によると、「知人が経営する東京の会社に籍を置いている」とのことだが、その一方で「年賀状に捲土重来を期す言葉が記されていた。再起の道を虎視眈々と狙っているのではないか」(清水氏の支持者)ともささやかれている。

 3月に行われた自民党県連定期大会では県議会OBとして出席し、その場で立ち上がってアピールした。

 清水敏男後援会名義のフェイスブックには、地元のお祭りに参加したり、学生時代の先輩の選挙事務所を激励した様子などがアップされており、積極的に出歩いている様子がうかがえる。

 実際のところ、清水氏本人はどのように考えているのか。同市常磐関船町の自宅を訪ねたところ、清水氏本人が対応し、そのまま話を聞くことができた。

 「東京の知り合いの会社で社外取締役を務めており、月に1度の取締役会には必ず出席しています。いまも東京から戻って来たばかり。市長選落選後、妻は以前やっていた幼稚園教諭の仕事を再開し、昼間は不在にしているので、一人で昼食を取っていたところです」(清水氏)

2年後の市長選を意識?

 〝進路〟について注目が集まっていることを伝えると、「私は何も話していないのに『秋の県議選に出るのではないか』とウワサされているのが聞こえてくる」と苦笑したうえで、次のように話した。

 「県議は4期務めたので立候補しようとは考えません。来年秋にはいわき市議選が控えていますが、自分の選挙でお世話になった市議を支えることはあっても、自分が出ることは間違ってもない。衆院選に関しては、新4区に吉野正芳先生(74、8期)がおり、交流させていただいているので、そこから立候補しようという考えはありません」

 一方で、2年後に市長選があることを振ると、「一市民として内田市政をウオッチングしており、そつなくこなしていると思うが、疑問に感じる部分もある。いずれにしてもまだ先の話だし、私に関しては〝充電中〟ということですよ」と述べた。少なからず意識はしているようだ。

 取材の中で、後援会は休眠状態のまま残してあり、現在も岩城光英元参院議員、市議らと交流があることを明かした清水氏。一方で、前回市長選では清水氏の有力支持者が別の候補者の応援に回った経緯があり、仮に市長選立候補を考えるなら体制の建て直しが急務となる。〝充電期間中〟に再起のきっかけを見いだすことができるか。

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