震災・原発事故以降、東京から原発被災地に移住し、現在は富岡町議を務める女性がいる。どういう経緯で移住を決め、被災地の現状をどのように見ているのか。移住者、女性の立場からの率直な意見を聞いた。
若年移住者増加も女性居住率は低迷

原発被災地に住む人の男女比はかなりアンバランスになっている。
原発事故で避難指示の対象となった双葉郡8町村について、2月1日現在の居住者(住民票があり実際に暮らしている人や新規移住者など)の男女別人口を各自治体に電話で確認した(各自治体の公表値は1月末時点を含む)。
そうしたところ、居住者全体に占める女性の割合は44%で、県全体の割合(50・6%)を大きく下回っていた。大熊町は1086人中393人(36・2%)、富岡町は2762人中1041人(37・7%)と40%を切っている状況だ。若い女性が都市部に流出しているのに加え、福島第一原発、第二原発の廃炉作業や復興事業に携わる単身の男性が移り住んでいるためとみられる。
女性が少ない地域では結婚・出産数が減少し、人口減少が加速する恐れがある。意思決定の場に女性の声が届きにくくなれば、さらに女性が住みにくい環境が生まれるという悪循環に陥りかねない。
この状況をいかに変えていけるかが原発被災地にとって大きな課題となっているが、そんな地域に単身移住してきた女性がいる。富岡町議の辺見珠美さん(37)だ。
東京から双葉郡に移住し、2021年から町内のまちづくり会社・一般社団法人とみおかプラスの職員として、移住相談窓口を担当していた。移住者向けのお試し住宅を整備し、自身の移住経験を生かした移住相談も受け付けた。併せて友人とともに子ども食堂も始めた。
そうした中で2024年3月の富岡町議選(定数10、立候補者数11人)に立候補したところ、282票を獲得して、8位当選を果たした。投票率は40・53%。
辺見さんは立候補した経緯をこのように語る。
「富岡町の居住者2762人のうち、いわゆる帰還者は約1000人で、残りの約1700人は転入者です。にもかかわらず、転入者の声は役場や議会に届きづらい状況がありました。加えて女性の声も行政に反映されにくく、障害を持っていたり生きづらさを感じている人への理解も深まっていないと感じていました。多様性を尊重することの大切さをどう訴えていくか、考えているうちに、町議選が近いことを知り、思い切って立候補した次第です」
友人・知人の力を借りて、パンフレットやポスターを作成した。町議も含めて町外で暮らす人が多い同町において、選挙運動は、県内外で避難生活を送る町民への連絡が中心で、町内では選挙カーを1台見かけた程度だった。町内で暮らす辺見さんにとっては難しい選挙だったが、思いがけず当選を果たした。
「さまざまな町民の声を拾うことを大事にしたいと思っていたら、ありがたいことに、町議になった後もこれまでと同じ感じで話しかけてくれる人が多い。困りごとや要望を町に伝えて、さまざまな人が安心して暮らしていける町にしていきたいと考えています」
辺見さんは東京都大田区生まれ。武蔵工業大(現・東京都市大)工学部で原子力工学を学び、3年次の春休み期間だった2011年3月、研究の一環として環境放射能の測定を行う予定だった。就職活動では、原子力分野で最大手企業である東電を志望し、2月には就活生向けの施設見学会として福島第一原発を見学したばかりだった。
ところが、震災・原発事故により測定は中止となり、東電は採用を見合わせたことで、すべての予定が狂ってしまった。
2011年6月、福島県内の放射線量を測定する文科省のプロジェクトにボランティアで参加し、飯舘村に足を運んだ。計画的避難区域指定に伴い全村避難が進む中、畑作業をしている高齢者がいた。何をしているのか尋ねると「もうここには帰れないから、避難する前に木を植えて、畑を森に返すんだ」と答えた。
「『もう一生帰ってこられないだろう』と覚悟して避難している姿を目の当たりにして、大きなショックを受けたのです。現地に足を運ばないと実態は分からないとあらためて感じました」
その後もボランティア活動を継続し、東京に避難している富岡町の子どもたちへの学習支援を手伝っているうちに、原発被災地への就職を本気で考えるようになった。
当時は放射性物質への不安がまだまだ強い時期だったが、基礎知識を身に付けている自分なら、正確な情報を分かりやすく伝えられる。少しは原発被災地の役に立てるのではないか――。母親には原発被災地に行くことを心配されたが、放射線についての対話を重ね、理解を得ることができた。
親近感を抱いていた富岡町は2012年当時、警戒区域に指定されており、就職先を見つけることができなかった。だが、隣接する川内村の「うつくしまふくしま未来支援センターいわき・双葉地域支援サテライト」の放射線担当職員として勤務することができた。地元住民と交流するうちに川内村が気に入り、任期終了後もさまざまな活動をしていた。
その後、双極性障害の発症、当時交際していたパートナーとの結婚、いわき市への移住、富岡町・楢葉町・川内村での活動再開、夫との別居・離婚など、目まぐるしく環境が変わった辺見さん。一人になってふと「双葉郡に帰りたい」と考えた。
若い移住者が増加傾向
2020年3月、川内村の友達のつてで、富岡町の空き家で暮らし始めた。しばらくして、前出・一般社団法人とみおかプラスで移住事業を立ち上げると聞き、すぐに応募して採用された。移住者で、富岡町、楢葉町、川内村、いわき市で活動した経験がある辺見さんは適任だった。
多くの移住希望者の相談に乗ってきた辺見さんに聞いてみたかったのが「原発被災地に移住する人はどんな人なのか」という質問だ。
本誌ではこれまで、原発被災地に巨額の国費を投じて復興まちづくりや移住促進を進めることについて疑問を呈してきた。それだけに、どのような考えで原発被災地への移住を希望するのか、純粋に疑問だったのだ。実際のところどうなのか。
辺見さんによると、富岡町で移住相談の仕事に就いた5年前は、50~60代のシニア層に入りかけた首都圏在住の男性が多かった。「震災・原発事故当時は仕事や子育てが忙しく、被災地復興に携われなかったことがずっと心残りだった。しかし、ようやく自由に動けるようになったので、移住を考えている」という理由のようだ。
ただ、1、2年前ぐらいから子どもがいない若い夫婦などが増えてきているという。
「コロナ禍を経てリモートワークが普及したこともあり、『本業で〝外貨〟を稼ぎながら、被災地で新たなことにチャレンジしよう』と移住してくる事例がみられます。東京都からの移住者が始めた移動販売のパン店『GOCHIPAN(ゴチパン)』や自転車販売店『TURTLE CYCLE(タートルサイクル)』はその一例です」
原発被災自治体の中でも移住者に選ばれやすいところを尋ねたところ、辺見さんは真っ先に自分が住む富岡町を上げた。
「富岡町にはヨークベニマルやダイユーエイト、ツルハドラッグなどがテナントとして入る『さくらモールとみおか』があるのが大きい。富岡町はカフェやジムを備えたトータルサポートセンターや図書館など、公共施設が充実している点もアピールポイントです」
首都圏に移動する人にとって、JR常磐線の特急ひたちの乗りやすさも重要になる。停車駅は南からいわき、広野、富岡、大野(大熊町)、双葉、浪江。例えば、楢葉町内の駅は木戸駅、Jヴィレッジ駅、竜田駅、いずれにも停車しないのだ。
「ただ、楢葉町は避難指示が解除されたのが早いこともあって、建物が解体されずに残っており、かつての町並みを体験できる。原発被災地は建物が解体され、風景が一変したところが多いので貴重なんです。そういう雰囲気が好きな人には楢葉町をおすすめしたい。川内村に関しては、とにかく自然が好きで、多少の不自由さは苦にせず楽しく暮らせるという人におすすめしたいです」
誰もが暮らしやすいまちへ
近年、住宅需要が高まっているのが大熊町だ。その理由は町立の認定こども園・義務教育学校「学び舎 ゆめの森」。0~15歳の子どもたちがシームレスに交流し、多様性を重視した教育が注目されている。
「あの学校が目当てで移住する子育て世帯はかなり多く、富岡町から大熊町に移住する人もいます。県外から12市町村への移住者には最大200万円の補助金が支給されますが、12市町村内で移住する分には返還する必要はないのです」
昨年、大熊町大野駅の西側に「CREVAおおくま」(産業交流施設)と「クマSUNテラス」(大野駅西商業施設)がオープンし、県立大野病院跡地には後継の新病院が整備される予定。移住需要の高まりに不動産業者も熱視線を送っている。エフレイができる浪江町と並び、今後人の動きが活発になりそうだ。
冒頭で居住者における男女比がアンバランスになっていることに触れたが、辺見さんによると、最近は改善の兆しが見えるという。
「正直、最初に双葉郡に来たときは、コンビニに行ってもスーパーに行っても、『男性ばかりだなー』と感じることが多かったです。でも、家族の移住者が増えているので、子ども食堂をやっていると子どもの数が着実に増えていることを実感するし、夕方のスーパーの行列でも女性の姿を見かけるようになりました」
昨年春には、さくらモールとみおかの一角に、女性専用のコミュニティースペース「will(ウィル)」がオープンした。訪問介護・看護事業所の㈱はま福が運営しており、プライベートな空間で女性同士が自由に話し合えるようになった。「まだまだ男性が多い地域で、こうした場所ができたことは大きな進歩」と辺見さんは評価する。
辺見さんは議会の一般質問にも積極的に登壇している。昨年7月、ロシアのカムチャツカ半島付近で発生した地震により、津波警報が発令された際、町の避難所運営の拙さに町民が不満を募らせていた。そこで辺見さんが避難所運営について質したところ、町独自の防災訓練をしばらく実施しておらず、しかも、マニュアルが実態に即したものになっていなかったことが分かった。執行部への質問を通して、町の課題を可視化し、改善を促したといえる。
移住者や女性の声を聞き、町や議会に届けることで、被災地の暮らしやすさにつなげようと奮闘する辺見さん。震災・原発事故から15年。辺見さんの歩みは、変わりつつある被災地の姿を象徴している。

























