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  • 前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

    前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

     会津若松市で認定こども園を運営する学校法人中沢学園の前理事長、中澤剛氏(89)が理事長時代に女性職員にわいせつ行為をした疑惑が同学園を悩ませている。女性は2014年、日曜日に理事長室に業務で呼び出され被害を受けたと主張。報復を恐れて、退職が決まった今春まで職場に報告できなかったという。現理事長が謝罪の場を設定するも、中澤氏はわいせつ行為を明確に認めず、「不快な思いをさせたこと」についてのみ謝罪。後日、筆者の取材に中澤氏は「わいせつ行為について謝れとは言われていない」とAさんから謝罪要求があったことすら否定。整合性が取れなくなっている。(小池航) 整合取れない「謝罪はするが否認」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  今年3月に学校法人中沢学園(会津若松市湯川町)を退職した元職員Aさんは、食器を洗ったり雑巾を掛けたりする時に上着の袖をまくると、「気持ち悪い」と嫌な光景を思い出してしまうという。「不快な棒状の物体」を押し付けられたという左肘の前腕側を見つめる。 「私は2014年、中沢学園の理事長だった中澤剛氏に、会津若葉幼稚園にある理事長室とその応接スペースでわいせつな行為をされました。報復を恐れて長らく学園には相談できませんでした。怒りは収まらず退職時に職場に伝え、謝罪を要求しましたが、中澤氏は明確に認めません。学園もなかったことにしようとしています」(Aさん) 中澤氏は1983年に中沢学園の第2代理事長に就任し、昨年まで務めた。その後は理事(昨年11月時点)。同学園は戦後に中澤氏の両親が市内に創設した女子向けの会津高等洋裁学院が前身で、1965年に幼稚園を開園。1974年に学校法人化し、現在は幼稚園や保育園機能を備えた認定こども園3園を市内で運営する。   中澤氏は1934(昭和9)年生まれ。会津高校、千葉大学文理学部を卒業し、国立精神衛生研究所で研修。中沢学園では前身の会津高等洋裁学院時代から講師として教え、両親の跡を継いだ。(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』、同学園、2020年より)。全私学連合理事や一般社団法人福島県精神保健協会常任理事などを歴任。会津若松南ロータリークラブの役員を務めるなど地元の名士でもある。 「『立派な人物』と思っていただけにわいせつ行為を受けた時は事態を呑み込めませんでした。『魔が差したのでは』とさえ思ってしまった。その後、中澤氏からは怒鳴られるなどのパワーハラスメントを受けるようになり、我慢の限界でした。2017年3月から18年3月には、中澤氏がした行為が強制わいせつ罪に当たるのではないかと会津若松署に相談しましたが、時間が経ち物証が不十分なことから、被害届の提出には至りませんでした」(Aさん) 強制わいせつ罪(現不同意わいせつ罪)の法定刑は6カ月以上、10年以下の懲役。時効は7年のため、いずれにせよ9年前の疑惑は罪に問えない。ちなみに今年7月13日に施行された刑法改正で、不同意わいせつ罪の時効は12年に延長されている。 会津若松市在住のAさんは、高校卒業後から経理畑を歩んできた。2013年に転職を考え、ハローワークに行ったところ、中沢学園が経理のできる事務職員を求人していることを知り応募。試験や面接を経て、同10月に採用された。 中澤氏から理事長室の書類の片付けを頼まれたのは、採用から半年経った翌14年のことだった。中澤氏は当時79歳、Aさんは51歳だった。日曜日に理事長室がある会津若葉幼稚園に来るように言われたという。 Aさんが主張する被害は9年前の出来事だ。残っている記録に基づいて話したいと、Aさんは中澤氏に頼まれた仕事のために購入した文書保存箱の領収書2枚のコピーと、2014年のカレンダー(資料1)を筆者に示した。カレンダーには、Aさんが中澤氏から仕事で呼ばれたと主張する日曜日にマルが付いている。同僚に被害を話した年に印刷した「2020年10月10日」という印刷日も記されている。 (資料1)Aさんが、自身が主張する性被害を受けた日を特定するために印刷した2014年のカレンダー。思い当たる日にマルを付けた。右下に「2020年10月10日」に印刷したことを示す印字がある。(重要部分を切り取り拡大) 日にち特定の鍵となる領収書  「仕事は2014年3、4月の2回に渡って頼まれました。わいせつ行為を受けたのは2回目の日です。4月27日だったと記憶しています。被害を受けた後、『もうすぐ大型連休になるから中澤氏と顔を合わせずに済む』と思ったのを覚えているからです」(Aさん) 文書保存箱の購入場所はいずれも市内の同じホームセンター。領収書の日付は、1枚が出勤日の3月22日(土)。もう1枚が4月16日(水)。Aさんの記憶通りとすると、2回目の購入から11日後に被害に遭ったということだ。 Aさんによると、1度目も2度目も、下はジーンズ、上は長袖のTシャツ、エプロン、カーディガンの順に重ね着して出勤したという。 仕事は、理事長室の本棚から書類を取り出し、中澤氏の指示で整理することだった。1回だけでは終わらず次回も来てほしいと頼まれたという。そして2回目の日曜日、Aさんは2階の理事長室に上がって前回の作業の続きをした。   1回目は、中澤氏が横にいて話しかけてきたが、2回目は、作業するAさんの隣にはあまりいなかったという。Aさんによると、作業開始からそれほど経たないうちに、姿を消していた中澤氏が様子を見にきた。「少し休憩したらどうだ」という趣旨のことを言ってきたので作業の手を止めたという。すると、 「前方から急に距離を詰め、私の顔に近づいてきました。とっさに避けようとしましたが、口元にキスされました。その後、両手が動かせなくなりました。気づいたら背中を床に押し付けられ、私の両手は手首の辺りで交差され、頭の上で掴まれていました」(Aさん) Aさんが背中を床に押し付けられたと主張するのは、帰宅後、カーディガンを脱いだら背中の部分に埃が付いていたからだという。 「中澤氏はクロスさせた私の両手を片手で掴み、もう一方の手でシャツの裾を上にまくり上げました。シャツの下はブラジャーだけを身に着けていました。中澤氏は胸の辺りを舐めてきました」(Aさん) ジーンズをまさぐり、下着の中にまで手を入れてくるように感じたので、下半身をよじりながら「すいません、すいません」と叫んだというAさん。何をされるのか怖くて、怒らせないようにとの思いがあったという。 「中澤氏は行為をやめ、話題を変えるかのように応接スペースにあるソファに誘導しました。私は促されるままに移動しました。3人掛けのソファに座るように言われ、右端に座りました。目の前のテーブルにはノートパソコンが置かれていました。ソファの真ん中の席には緑色の手提げ袋がありました。中澤氏は左端に座り、パソコンの画面を見るように言いました。画面には『!』マークが表示され、警告を示しているようで、パソコンの状態について何か答えなければならないのだろうかと思い、私はそれをよく見ようと身を乗り出しました」 Aさんは一呼吸置き話を続けた。 「左腕に湿った物がぺちょぺちょと複数回触れる感触がありました。1度横を見ましたが正体は分かりませんでした。もう1度見たら棒状の物体でした。ビニールのような、プラスチックのような感触と、この直前に既にわいせつ行為をされていたことから、押し付けられたのは男性器を象った性具だと思いました。冷たくて湿り気があったことからローションが塗られていたのではないでしょうか」 驚いて席を立ったAさん。「私、帰ります」。Aさんは、この場にいたらこれ以上何をされるか怖くて、逃げるように部屋を出たという。 中澤氏の謝罪は「あなたに対して」 中澤氏からわいせつ行為を受けたと主張するAさん  Aさんは今年2月中旬、定年を迎えて再雇用になるのを機に退職を申請した。中澤氏から受けたという性加害を最終出勤日の同月末に上司に報告した。「職場に伝えるのは辞める時」と心に決めていたという。3月12日に現理事長の中澤幸恵氏が中澤氏からAさんへの謝罪の場を設けた。 謝罪の場にはAさんと中澤氏、中澤幸恵理事長、上司の計4人。中澤氏は理事長室を片付けるため、Aさんに手伝うよう要請したことを認めた。ただし「仕事を頼んだのが土曜か日曜かは分からない」と言い、わいせつ行為は「記憶がない」と否認した。何に対しての謝罪か曖昧にしたまま「申し訳ない」と口にしたという。 中澤氏は、わいせつ行為に話題が及ぶ前に、Aさんが再雇用の条件で学園側と折り合えず退職に至ったことを、時間を割いて話していた。しかしAさんは、謝罪が円満退職できなかったことに対してではなく、わいせつ行為に対するものだと明確にするため、「謝罪は『中澤氏がした行為』に対してか」と聞いた。すると、中澤氏は「あなたに対してです」。一方で「行為に対する謝罪はあり得ない」と言ったという。 Aさんによると、中澤幸恵理事長も中澤氏の言動に納得できていない様子だったという。幸恵氏は中澤氏の息子の妻で、昨年理事長に就任したばかりだ。幸恵理事長は、義父に対して慎重に言葉を選び、「何もなかったらこの謝罪の場は成立していない。なぜ剛前理事長がこの場に来ることを受け入れたのか、私には理解できません」と言った。中澤氏は「嫌な思いをさせたことについては大変申し訳ないということです」と答えたものの「嫌な思い」が何を指すかは明確にせず、わいせつ行為は「記憶にない」と再び否定した。 その後も、Aさんと幸恵理事長による中澤氏への問いかけは続いた。中澤氏はAさんに「あなたの記憶通りに認めないと謝罪に入らないということでしょうか」と聞いた。 Aさんは「あなたが私にした行為について謝ってくれなければ納得いきません」と答えた。 すると、中澤氏は「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」。その後、「後になってあれもある、これもあるって言われたら困っちゃうんだよな」などと付け足したという。 Aさんは中澤氏の言動に接し「その場を取り繕うために言ったこと。謝罪とは言えない」と思った。 中澤氏がわいせつ行為を明確に認めなかったため、Aさんと中沢学園は和解に至らなかった。 進展を図るため、Aさんは行政を関与させようと会津労働基準監督署に相談した。担当が福島労働局に移り、「紛争を起こさないと行政は調停に動けない」と言われたので、Aさんは4月12日付で、①中澤氏によるわいせつ行為とパワハラへの慰謝料、②提示された再雇用契約で働いた場合に減額される給与分を損害金として中沢学園に請求した。同局はAさんの調停申請を受理したが、同学園は応じず打ち切られた。 筆者が中澤氏に取材を申し込むと、7月15日に面談に応じた。 「誰もいない日曜」か「開園中の土曜」か 認定こども園 会津若葉幼稚園  中澤氏は、わいせつ行為は否定したが、書類整理を手伝うようAさんに依頼したことは認めた。ただし、それは1度だけという。さらに、 「私が手伝いをお願いしたのは土曜日です。園は土曜日はやっています。Aさんは、園に誰もいない日曜日に私が呼び出したと印象付けたいようですが、違います」(中澤氏) 中澤氏によると、Aさんの服装はブラウスにスカートだったという。「ひらひらした格好では仕事にならないからすぐに帰した」とも。一方は「園に誰もいない日曜」、もう一方は「開園して周囲の目がある土曜」。主張は真っ向から対立する。 ただ、中澤氏は3月12日の幸恵理事長を交えた面談で「土曜か日曜かは記憶にない」と答えていた。なぜ手伝いを依頼したのは土曜日と思い出したのか。面談から1週間後の7月22日、中澤氏から筆者に電話が掛かってきた。Aさんが再雇用時の給与に満足せず退職し、学園に慰謝料と損害金を求めていると言い、「もともと問題にしていたのは再雇用で、性被害は後から言い出した」と伝えたかったようだ。筆者はこのやりとりの際に、手伝いを依頼したのが土曜日と思い出した理由を尋ねた。 中澤氏は「Aさんが言った日にちを見たら土曜日になっていたからです」。 Aさんに確認すると、 「3月12日の面談の前に、被害を受けた日を記したカレンダーを上司に見せました。上司は幸恵理事長たちに見せるためにコピーを取りました」 2020年、Aさんが被害を同僚に告白した年に印刷した前出資料1のことだ。Aさんが被害に遭ったと考える日にマルが付けられており、それによると全て日曜日になっている。土曜日にマルを付けた形跡はどこにもない。 「土曜日に被害を受けたなんて私は今まで一度も言っていません。そもそも私は、日曜日に手伝いを頼まれたという記憶を基に被害を受けた日付を特定しています」(Aさん) 中澤氏が言うように、Aさんが被害に遭ったとする日が後で土曜日だと思い出すには、Aさんが「被害を受けたのは〇月×日」と、曜日に関係なく日付のみを特定していなければ導き出せないことを意味する。 中澤氏は7月22日の電話で「Aさんはあなたにわいせつ行為への謝罪を求めたのか」との筆者の問いに、「求められていない」とも言った。だとすると、Aさんが筆者に中澤氏による性加害を訴えたことも、幸恵理事長がAさんの申告を受けて3月12日に謝罪の場を設定したことも成り立たなくなる。 あの日はいったい、何に対する謝罪の場だったのか。同席した幸恵理事長に7項目にわたる質問状を送ったところ、7月25日にファクスで回答が届いた。うち、幸恵理事長にAさんと中澤氏、双方の主張をどう捉えるかを聞いた二つの質問に対する回答を吟味する。 幸恵理事長は、Aさんの被害を受けたという主張と、中澤氏の否定する話しか判断材料がないとし、「学園として『有った、無かった』と断定することはできず、司法判断に委ねるしか無いというのが基調認識(原文ママ)です」と前置きした。 一つ目の「幸恵理事長が中澤氏がわいせつ行為をしたと考え、謝罪を求めたということか」との質問には「Aさん(※筆者注:回答では実名)の剣幕は、そこにいるのがいたたまれないほどのもので、前理事長に対して悪感情を有している事は間違い無く、その悪感情を少しでも和らげる必要を感じました。その必要性から、敢えてAさんには寄り添い、義父である前理事長には突き放した態度で臨むことでフェア対応を心掛けました」と答えた。 Aさんと中澤氏では、わいせつ行為があったかどうかの認識に食い違いが生じていることから、筆者は二つ目の質問で「わいせつ行為については、Aさんと中澤氏のどちらかが虚偽の発言をしている、または記憶があいまいで正確でないということが言える。幸恵理事長はどちらの発言がより整合性があると考えるか」と尋ねた。 幸恵理事長は「基本認識(原文ママ)により優劣をつけることは出来ませんが、セクハラ行為があったとされる2014年から既に9年が経過した中で突然出て来たこと、そのタイミングがAさんに対して定年退職後の再雇用条件を通達した直後であること、Aさんが再雇用条件に相当不満をもっていたこと等を考慮すると、Aさんが学園に対する不満を抱いてセクハラの話をしてきたとの可能性は捨てきれないと感じます」と答えた(傍線は筆者注)。 筆者の質問の意図は傍線部分を聞くことであったが、寄せられた回答はそれ以降の文章の方が長い。幸恵理事長は中澤氏の主張と同様に、Aさんが再雇用の条件に不満を持っていたから過去のわいせつ行為を持ち出したと言いたいようだ。 理事長「膝をガーンとやればよかったね」  Aさんは、幸恵理事長に被害の状況を報告した際、無理解な発言をされ傷付いたと語っている。Aさんによると、幸恵理事長は蹴る動作をしながら「その時、膝をガーンとやればよかったね」と言ったという。 「幸恵理事長は従業員の弱い立場を全く理解していません。学園トップの中澤氏を蹴るなんてできるはずがありません。彼にとって不都合なことを学園に報告したら、報復として不利益な待遇を受け、退職を強いられるのではないかと恐れていました。私は50代で採用されて半年後に被害を受けました。辞める覚悟で被害を報告するか、心の奥にしまって何事もなかったかのように仕事を続けるかを迫られていたんです」(Aさん) 幸恵理事長が「Aさんは再雇用条件への不満からセクハラの話をしてきた可能性は捨てきれないと感じる」と回答したことは、相談体制の不備を棚に上げ、すぐに報告しなかったAさんに責任を押し付けているように聞こえる。 中澤氏は、一度はAさんに謝罪したが、わいせつ行為は明確に認めていない。3月12日時点では、性被害を訴えるAさんのみならず、幸恵理事長も中澤氏の真意が分からず戸惑いを示した。被害を訴える人を突き放すような幸恵理事長の回答は、Aさんにとって解決が遠のいたと映るだろう。 筆者は質問状で「Aさんが中澤氏からのわいせつ行為を訴えたことについて、保護者達に報告するか。または既にしたか」と尋ねた。幸恵理事長は「学園が対応すべき時が来た時に、報告しようと考えております」と答えたが、対応すべき時はいまではないか。 その後 中沢学園は7月28日、代理人弁護士を通じて本記事の掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てたと本誌に通知してきた。 審尋を経て、中沢学園は申し立てを取り下げた。 詳細は9月号で報じる。

  • コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

    コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

     5月に新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが5類に引き下げられ、夜の飲食街は感染収束ムードが漂う。だが、客の嗜好が「飲」から「食」に変化し、団体の2次会は望めない。夜の街調査4回目は6月3日土曜日に会津若松市を回った。 頼みの「無尽」は規模縮小 飲食店が入るパティオビル(会津若松市上町)=6月3日、午後10時35分  会津若松市は会津地方の消費都市の性格が強い。市内だけでなく近隣の喜多方市、猪苗代町はもちろん、遠方は南会津町などからも訪れる。そのため、市内人口に比して飲食店が多く、電話帳をベースに人口1000人当たりのスナック店数を調べたところ、県内主要4市では最も多かった(表1、表2)。 表1:県内人口上位4市のスナック店舗数 2023年5月1日推計人口(百人)2019年スナック数(店)2021年スナック数(店)減少率(%)いわき市3226273221▲19.0郡 山 市3222202159▲21.2福 島 市2763194145▲25.2会津若松市1133158124▲21.5 表2:県内人口上位4市の千人当たりスナック店舗数 2021年スナック店数人口千人当たり店数会津若松市1241.09いわき市2210.68福 島 市1450.52郡 山 市1590.49  「地理的に考えると、峠を越えてきた人たちが金を落とす一大消費地でした」とは市内のある飲食店経営者。 近代から戦後にかけては、猪苗代湖の水力発電で得た安価な電力を背景に産業が集積した。 あるスナックのママが40年前をしのぶ。 「富士通の工場があったころは関係者がよく飲みに来ました」 眠らない街の光景が、いまも目に焼き付いている。 「1980年代の話です。私の店は深夜1時に閉めますが、帰りのタクシーが拾えないほど。2時3時になってもタクシー待ちの行列です。お店はほとんど閉まっているのにどこに人がいたのかと思うくらいの数。『この人たち、明日は仕事だろうに大丈夫なのかな』と心配でしたね。金曜、土曜ではなく平日の話です。いい時代でしたよね……。いまですか? 最悪ですよ」(前出のママ) 新型コロナの感染拡大以降は金、土曜日だけ営業してきた。4月ごろは週末に4、5人が来てくれて明るい兆しを感じたが、5月の大型連休は客の入りが鈍く、同月半ばからは確実に悪い。 「私1人でやっているので、若いお客さんは来ないでしょう。大型連休は、街は久しぶりに若者で賑わっていました。でも、若い人だって毎日は飲みに行かないでしょ。連日賑わっている店はないと思いますよ」(同) 賑わっているところはあるのか。店主たちに聞くと、「パティオビル周辺だけは人が大勢いる」という。パティオビル(地図参照)に入居するテナントはキャバクラやスナック、バー・クラブなど若年層向けの店が多い。 地図:会津若松市の飲食店街  ビルのきらびやかな照明が夜に浮かび上がる。エントランスに入ると、店の紹介映像が画面に流れていた。派手な光と音に包まれ、ここだけ別世界だ。エントランスの上部を見ると、天井の隅に張り付いてこちらをうかがう巨大なゴリラの模型と目が合った。 ビルの前では男女問わず若いグループが複数たむろし、解散するか次の店をどこにするかを話し合っていた。道を挟んで向かいにはコンビニがある。ビル内の店に入るかどうかは別として、人が集まるようだ。 パティオビルは、どの階もテナントで埋まっていた。家賃は階が違っても変わらないので、上階より人の往来がある1階が人気だ。最も賑わう同ビルでさえも移転か閉じた店があるが、入居者も同じ数だけあり、テナントの新陳代謝が起きている。 苦境に立つ老舗  これまでの夜の街調査でも指摘しているように、客が夜の飲食店に求めるものは「飲」から「食」に移ったが、客層も「老」から「若」に移行した。コロナ禍を機に老舗が閉店した。 50年来スナックを経営してきたマスターは、最近の客の一言にプライドを傷つけられた。 「初めて来た男性のお客さんでしたね。『女の子はいないの』と店内を見回しました。若い女性従業員をたくさん抱える店じゃないと知ると、『じゃあいい』とバタンとドアを閉めていきました。街やお客さんと共に私たち従業員も年を重ねてきました。お客さんの好みは理解しますが、入店をやめるにしてもスマートな去り方があるのではないか」 共に年齢を重ねてきた高齢の客は新型コロナに感染して重篤化するのを恐れ、外での飲食を控えるようになった。3年経てば「飲みに行かない」のが習慣となるが、それでも変わらず来てくれる常連もいる。「店を閉めて寂しいとは言われたくない」(マスター)。何より、長年働いてくれている高齢従業員の生活のために、わずかでも稼がなければならない。 会津若松の調査は、郡山(今年1月号)、福島(同5月号)、いわき(同6月号)に続き4回目となる。いままで3市の夜の街を調査してきたと店主らに話すと、よく聞いたのが「いわきはコロナでも賑わっているようだね」「実際に(いわきに)行った人から繁盛していると聞いた」と羨む声だった。 だが、それは幻想と言っていい。いわきでも土曜日にもかかわらず、団体の2次会需要はほとんどないため、夜10時以降閑散とするのは会津若松と変わらない。「食」がメインの店舗でも、売り上げがコロナ禍前の7割に戻っていれば良い方だ。店を開けるだけでは2次会の客が来ることは期待できず、多くの老舗が客の行動変化に苦労していた。 地方は少子高齢化が急速に進み、経済規模の縮小は免れられない。いわきは首都圏に近いという地の利はあるが、会津若松と同様、コロナ禍から未だ立ち直ってはいない。 県内4市の夜の街を調査すると、感染拡大前から飲食店は総じて減っており、コロナ禍が閉店を早めたと言える。本稿末尾にコロナ禍後に電話帳から消えたスナック、バー・クラブの営業調査結果を載せた。近隣の店主に聞くと、コロナ禍前に閉じた店も散見された。 電話帳から消えた会津若松市のスナック、バー・クラブ 〇…6月3日(土)に営業確認 ×…営業未確認 店名建物名営業状況栄町スナック翼パピヨンプラザビル×スナックあんり五番街ネクサスビル×スナック燁里エクセレント大手門ビル×スナックみっちゃん×Coralマリンビル×さざなみ三進ビル×すなっくなおこ白亜ビル×スナックひまわり×スナック演歌Mビル→白亜ビル〇上流階級ヴェルファーレビル〇西栄町スナック情不明×行仁町ラブストーリーリトル東京×上町スナックオルゴール(織香瑠)上町一番街×スナックディアレストAsahi Alpa×スナックアンルート×でん福マルコープラザ×レイティス(RETICE)パティオビル×regalia×スナックageha〇スナック古窯パティオビル→移転〇ミュージックパブオアシスセンチュリーホテル×ゴールデンウェーブ×Villeセンチュリー・ノアビル×スナック胡遊×ピンクパンサー〇佑花×馬場町ベルコット石井ビル×スナックシナリオサンコープラザビル×れとろ×ENZYU×宮町パーティハウス北日本ビル×スナック赤いグラス明月ビル×ニューサンシャインサンシャインビル× 「無尽」の互助に異変  飲食店街は打つ手がないのか。前出の飲食店経営者は「会津若松の夜の活気は無尽が支えてきた」と話す。 無尽とは、会員が掛け金を出し合い、一定期日にくじで優先的に融通の権利を得るシステムやその会のこと。前近代的な金融の一種で、現在は山梨県のものが有名。福島県内では会津地方が盛んだ。 飲食店経営者が説明する。 「例えば会費を1万円とします。5000円を場所代として飲食店で消費し、残りの5000円を積み立てる。10人集まれば、1回の集まりにつき店に5万円を落とし、無尽に5万円を積み立てられる。1年後には60万円に達し、くじでもらう人を決めたり、急ぎの金が要る人に融通する。親睦旅行の代金に充て、会員全員に還元する方法もある」 個々の無尽で取り決めは違うが、現代では無尽にかこつけて集まることが目的なので、積み立てや融通の方法自体は重要ではないという。互助的なシステムである点が大事だ。 「居酒屋はたいてい1店につき6~12本の無尽を持っている。毎月1、2回は店に集まって会を開くので、何本無尽を持てるかが経営の安定につながると言っていい。常連客の他に魚屋、酒屋などの出入り業者、スナックの店主も参加する」(前出の飲食店経営者) 1次会はその居酒屋で、2次会は無尽に参加しているスナックで、という流れができ、常連客も店主も無尽つながりでお互いに店を利用するようになる。「無尽の飲み会がある」と言うと、家族も「しょうがない」と止めるのを諦めるほどの大義名分が立つという。 選挙も無尽で決まると言っても過言ではない。酒席では「健康状態が悪いらしい」「金銭的に苦しいようだ」と政治家のウワサが飛び交い、それを会社や家庭に持ち帰ったり、掛け持ちしている別の無尽で話したりして末端まで広がる。 「いわば選挙キャンペーンの装置です。多くは根も葉もないウワサですが、本人にとっては政治生命に関わる。政治家は、酒席でウワサを否定しなければなりません」(同) 企業も無縁ではない。この経営者によると、商工団体以上の情報伝達網だという。経営難や信用不安など悪いウワサも多い。 侮れない無尽だが、さすがにコロナ禍では自粛となった。 前出のスナックママは 「コロナを機に無尽もやめようという話が出てずいぶん減りました。無尽という言葉すら聞かなくなりましたね」 一方で、前出の飲食店経営者は楽観的だ。1次会の客をメインにしている事情がある。 「飲食店同士の無尽は出費を抑えるために減ったかもしれませんが、個人の参加は着実にあります。ウワサ、酒、選挙という勝負事への欲求は人間のさがですからね。定期的に街へ出る回数が増えれば、飲食店街に広く波及していくはずです。懸念しているのは、運転代行業者が確保できないことです。会津若松の飲食店街は近隣市町村からも多くのお客さんが来ます。コロナ禍で減った運転代行業者の数が戻らないと客足回復の機会を逃がしてしまう」 その店が主にしているのが1次会か2次会かで見解が全く異なる。人付き合いを断つ理由を与えてしまったのがコロナ禍だったと言える。若者の酒離れが進む昨今、スナックママが体験した無尽離れの方が現実味を帯びる。 あわせて読みたい 【いわき駅前】22時に消える賑わい コロナで3割減った郡山のスナック 客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

  • 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

    【動画あり】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」【田中修身】

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工 田中修身議員  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」  時間にして10秒。いったい何のことだろうか。何かを伝えたいが、言葉が足らず伝えられないといった様子で要領を得ない。確かなことは、インターホンに残された映像には4月23日の昼間の時間帯が記録されていること、スーツ姿の男が「田中」と名乗ったということだ。 数時間後の夜8時、喜多方市議選(定数22)の開票作業が行われ、当選者が決まった。結果は表の通り。投票率59・09%(当日の有権者3万8148人)は過去最低だった。 喜多方市議選開票結果(定数22) 得票数候補者(敬称略)所属当選1354遠藤吉正無当選1348山口和男無当選1207渡部忠寛無当選1149渡部一樹無当選1132山口文章無当選1066十二村秀孝無当選1053齋藤仁一無当選1019齋藤勘一郎無当選964小島雄一無当選896小林時夫公当選864菊地とも子公当選849後藤誠司無当選843高畑孝一無当選834五十嵐吉也無当選810坂内まゆみ無当選804佐原正秀無当選802佐藤忠孝無当選785渡部勇一無当選778田中修身共当選719矢吹哲哉共当選678伊藤弘明無当選648上野利一郎無591蛭川靖弘無556渡部崇無452関本美樹子無  昼間の男、「田中」は当選者の中にいた。田中修身氏。共産党所属の新人で、778票を得て19位で初当選した。住所は市内塩川町遠田でインターホンに映っていた男の住所、人相と一致した。「1組の田中」というのは、御殿場地区内に数字で割り振られた行政区を指す。 当選の知らせを受け、御殿場地区のある住民はインターホンに残った男の動画を見ながらわだかまりが残った。要領を得ない言動。こそこそした後ろ暗い様子。はっきり言って不審者だ。 「何か悪いことをやっているのではないか」 公職選挙法をネットで調べると早速ヒットした。・戸別訪問の禁止・投開票日当日の選挙運動の禁止 すなわち、田中議員は二つの違反をしていたことになる。 警察官「田中さん本人ですね」  翌24日、住民は市選挙管理委員会にまずは報告したが「捜査機関ではないので調べることはできない」「警察に情報提供することは妨げない」と言われた。 同日、喜多方署に相談すると、警察官2人が住民の家を訪れた。動画を見て、前日(23日)に撮影されたものであることを確認すると、1人が「あー、これは田中さん本人ですね」と言った。警察官たちは証拠として動画を撮影し帰っていった。その後、同署から住民には何の連絡もないという。 本誌は4月号で、前回(2019年)市議選である候補者の陣営が一升瓶を配っていた疑惑を報じた。その候補者は当選し、今回も再選を果たしている。この記事を読んでいた住民が、市・警察に相談しても動きがないことを受け、本誌にインターホンの動画を提供した。 なぜ田中議員は投開票日に、不審者に思われる危険を犯してまで戸別訪問したのか。御殿場地区は行政区が1~14組あり、住宅地図で戸数を確認すると、田中議員が戸別訪問したのは200軒近くに上る可能性がある。 5月19日に全員協議会を終えた田中議員を直撃した。共産党会派の議員控室で矢吹哲哉議員(70)=松山町、4期=が同席。田中議員が言葉に詰まると、先輩の矢吹議員が助け舟を出した。(以下、カギカッコの発言は断りがない限り田中議員) 矢吹哲哉議員  ――投開票日当日の戸別訪問動画が出回っていますが、田中議員本人でよろしいですか。 「よろしいです」 ――この訪問は公選法違反に当たると思うか。 「選挙期間中はご迷惑をおかけしましたということで、自分が住む住宅街の行政区にご挨拶にうかがいました。ただそれだけです」 ――ご迷惑というのは何に対してですか。 「お騒がせしたというか……」 ここで矢吹議員が「時候の挨拶でしょ」と割って入った。 「選挙で隣近所にお世話になりましたという意味です。『おはようございます』と全く同じではないが、近い意味合いでしょう」(矢吹議員) ――私は田中議員に聞いているんです。時候の挨拶というのは選挙にかかわらず御殿場地区で行っているんですか。 「選挙に出ることになってからが多いですね」 ――選挙に出ることが決まる前は時候の挨拶はしていなかったということですか。 「まあそうです」 ――公選法では投票を依頼する戸別訪問は禁止されていますが、この行為は該当すると思いますか。 「私たちは当たらないということで挨拶に回りました」 ――私たちということは、先輩の矢吹議員などから教わって行ったということですか。 「先輩議員ではありません。私の選対の役員から、選挙活動をした中でご迷惑をおかけしたと言って回った方がいいと言われました」 ここで矢吹議員がフォローする。 「選挙に出るとなると『出ますのでよろしくお願いします』と言って回る慣例があります。選挙が終わっても回ります。ケースバイケースです」(矢吹議員) 田中議員「訪問効果はあまりないと思う」  ――まだ投票が終わっていない有権者がいる投開票日に戸別訪問するのは、投票を依頼する意図があったと誰もが思う。言い逃れできないのではないか。 「依頼したということではなく、あくまでご迷惑をおかけしたということを伝えるためです。私は今回初めて選挙に出ました。選対から『お騒がせした』と言って回った方がいいと言われたものですから、その通りにやっただけです」 ――どういう行為が選挙違反に当たるか教えられたか。 「市の選管から選挙の手引きを渡されました。初めての選挙だったので書物を読むというよりは、党員の先輩の言うことに従いました」 ――投開票日に戸別訪問するのは法律上マズいという認識はなかったのか。疑問は感じなかったのか。 「選対からやるように言われたので『そういうものかな』と。疑問を全く感じなかったかと言われれば、それはウソになります。投票依頼と受け取られる言葉遣いにならないようには気を付けました」 気を付けたと話す田中議員だが、本誌には、ある住民が「何の目的で訪問したのか」と尋ねると、田中議員が「選挙です」と答えたという情報が寄せられている。 ――田中議員が住む御殿場地区は新興住宅地で、郡部のように地縁に基づく付き合いが希薄です。見知らぬ人が訪れて効果はあると思いましたか。 「そこまでは考えが及びませんでした。選対が訪問するように、とのことだったので」 共産党は、支持基盤が確立している。「それでも新たな訪問で支持が広がると思うか」と筆者があらためて尋ねると、田中議員は「効果はあまりないと思います」と打ち明けた。 ――新築にはインターホンが備えられています。自分の行為が記録されているとは考えなかったのか。 「そこまでは考えませんでした」 田中議員へ一通り質問した後、矢吹議員が再びフォローした。 「田中議員が訪問したのは選挙活動ではなく、あくまで挨拶です。投開票日当日に選挙運動ができないことは分かっています。当日に回って有権者の方に誤解を与えたことは、田中君も反省しないといけないな」 矢吹議員と田中議員は、それぞれ共産党喜多方市委員会の委員長と、党市議団事務局長を務める。後日、有権者に誤解を与えたことを釈明する機会を何らかの方法で検討するという。 田中議員は旧山都町出身。喜多方高校卒業後、小中学校で事務職員を務める傍ら、県教職員組合の専従をしてきた。今回の市議選では、引退した小澤誠氏の後釜となった形。 市選管事務局の金田充世選挙係長に、選挙運動についての見解を聞いた。 「選挙運動は直接投票を依頼する行動で、公示・告示から投開票日の前日までしかできません。候補者が有権者に挨拶するのは、捉え方によっては選挙運動に見られるので注意してほしいということは毎回の選挙で候補者に説明しています」 田中、矢吹両議員が「挨拶」と言い張ったのは「選挙運動ではない」という理屈を立てるためのようだ。もっとも「挨拶」にかこつけた投票依頼の戸別訪問は、喜多方市に限らずどこの自治体の選挙でも常道と化している。今回、記事として取り上げたのは、証拠が動画に残されていたことが一つ、そして、共産党という支持基盤が強固で、クリーンさを打ち出している政党でさえも実行していたことに意外さを感じたからだ。 田中議員に選管や警察から注意を受けたか尋ねると、今のところないと話した。市選管に聞いても「注意はしていない」と言うし、喜多方署も「捜査に関わることは教えられない」とのこと。 応対した同署の渡邉博文次長は「田中議員ってどこの人?」と筆者に聞いてきたぐらいだから、投開票日当日の戸別訪問は、いちいち上層部に情報を上げるまでもない、昔からありふれた行為なのだろう。 戸別訪問のみで法的責任を問われる可能性は極めて低い。だが、挙動はインターホンの動画に克明に記録され、出回っている。 東北大の河村和徳准教授(政治情報学)は、新興住宅地における共産党の見境のない戸別訪問を「力の陰りがみられる」と話す。どういうことか。 「共産党の票読みは固いと言われますが、陣営は候補者間で組織票を融通する票割りがうまくいっていないと思ったんでしょうね。党員の高齢化で組織票が減る一方、若年層への支持は広まらない。新興住宅地を回ったのは若年層の支持獲得への焦りがあったのではないでしょうか」 共産党に限った話ではない。河村准教授は同様の例として、統一地方選で行われた東京・練馬区議選などで、これまで全員当選を果たしていた公明党の候補者が軒並み落選したことを挙げた。 若年層獲得に焦る共産と公明  投票依頼の戸別訪問は紛れもない公選法違反だ。「単なる挨拶」と苦しい言い訳をしてでも決行するなら、それに見合う効果がいる。だが、回った本人が「あまりなかった」と吐露するようでは、何のためにやったのか。田中議員は「上から言われたので『そういうものか』と思った」と話す。こうして、思考停止の議員が送り込まれる。 戸別訪問の表向きは「挨拶」だから、自分が「候補者」で「投票してほしい」とは口にできず「名前」しか言えない。投票依頼の本心を見透かした前出の住民は、要領を得ない挙動に不審と反感を抱き、動画に残して本誌に通報した。最新のインターホンが設置された新築住宅を回れば、違反と疑われる行為が記録されると想像しなかったことはお粗末と言える。 前出の河村准教授は、 「選挙違反には問われなくても、有権者が疑念に思う動画が出回ればダメージです。動画撮影が普及していない昔の選挙であれば普通に行われていた行為が可視化された。共産党をはじめ多くの陣営は『グレーゾーンが記録される選挙』に認識が追いついていないのでしょう」 選挙カーで名前を連呼しながら住宅街を回る行為は、有権者から「騒音」と捉えられ選管に苦情が来る。河村准教授によると、コロナ禍を経て都市部ではネットや電話を活用した選挙運動にシフトしたが、電話の場合「アポ電強盗」への恐れから、そもそも知らない電話に出ない人も多いという。 「高齢化が進む組織はネット戦術に疎いので、若い層にアプローチするには戸別訪問しかない。盤石な支持層を背景にできた票割りは共産党や公明党の得意技だったかもしれないが、今やその方法は終わりを迎えつつあるのかもしれません。どの陣営も新しい選挙運動を考える時が迫っています」(同) 若者よりも投票に行く高齢者が多くを占める地方では、ネットを活用した選挙に移行するには時間がかかるだろう。投票率が下がれば下がるほど組織票の重みが増すため、過去最低の投票率を記録する喜多方市では、むしろ高齢の党員と学会員を優先する現状維持が働く。 だが、地方ではいずれ高齢者の人口すら減り、社会は縮小、議会の定数減は不可避だ。共産・公明両党は喜多方市議会で各2議席を確保するが、将来的には議席減が見込まれる。未来に影響力を持つ今の若年層からどう支持を取り付けるか、旧態依然の選挙から脱し、世代にあった方法を考えねばなるまい。 あわせて読みたい 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

    女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 【2024年問題】サービス低下が必至の物流業界

    【2024年問題】サービス低下が必至の物流業界

     トラックドライバーの労働時間が法律で短くなることで、これまで通り荷物を運べなくなる「2024年問題」が迫っている。製造業が盛んな福島県は、製品や部品を長距離トラックで県外に夜通し運べなくなる可能性がある。運送業は即日運送をやめるか、人手確保のため価格転嫁に踏み切らざるを得ない。製造業、小売りなどからなる荷主やその先の消費者にとっては打撃だが、物流現場に負担を強いてきたことを顧みて、歩み寄る曲がり角に来ている。(小池 航) 下請け会社・トラック運転手 現場から嘆きの声 夜に福島トラックステーションを発つトレーラー  4月下旬の金曜夜8時、東北道・福島飯坂IC(福島市)南側にある福島トラックステーションから、普通乗用車を積んだトレーラートラックが発進した。福島市近辺で集荷された荷物は、国道13号を北上して同インターから高速に乗り、夜通し遠方へと運ばれていく。 3、4月は年度末、新年度に当たるため人・モノの流れが1年を通して最も多く、物流業界は繁忙期だ。大型連休前は納期が早まるため、忙しさは続く。物流業界は慢性的な人手不足のため、その負担は荷物の仕分けやドライバーたち現場にのしかかる。 いわゆる「2024年問題」は、「トラックドライバーの労働時間が短くなることにより、これまで通り荷物を運べなくなる問題」⑴だ。約4億㌧の輸送能力が不足すると試算されている。なぜドライバーの労働時間が短くなるのか。 「働き方改革関連法で2019年に導入された時間外労働の上限規制が自動車の運転業務にも適用されます。長距離輸送はドライバーの長時間労働で成り立ってきました。運送業は上限規制との乖離が激しいため、業者に周知し、徐々に是正していく必要がありました。そのための猶予期間が5年間で、24年4月から新たな規制が適用になります」(県北地方の運送会社社長) 働き方改革関連法により2019年4月から、大企業に原則として時間外労働を月45時間、年360時間とする上限規制が導入された。ただし特別な事情があり、労使が合意した場合に限り年720時間となる。中小企業には20年4月に導入された。違反した事業者には「6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金」が科される。 ちなみに運送業に代表される自動車運転業務以外にも建設業、医師、沖縄・鹿児島両県の製糖業が猶予を受けた。中でも運送業は、特別な事情があり、労使が合意した場合に時間外労働の上限を年960時間とする別基準が設けられた。2019、20年に導入された企業より240時間も長い。 『物流危機は終わらない』(2018年、岩波新書)の著書がある立教大経済学部教授の首藤若菜氏は、自動車運転業務に特別に認められた年960時間の上限規制について、・ひと月あたりにならすと月80時間・厚労省が過労死などをもたらす過重労働の判断として「時間外労働が2カ月間ないし6カ月間にわたって、1カ月あたりおおむね80時間」を超える という二つの点を挙げ、 「トラックドライバーにも5年遅れて上限規制が適用されるが、その基準は一般の労働者よりも240時間も長く、いわゆる過労死ラインとほぼ重なる」と指摘している⑵。 時間外労働の上限規制に伴い、ドライバーの拘束時間などを細かく定めた「改善基準告示」も改正された(表)。ここでいう拘束時間とは、始業から終業までの休憩を含んだ時間。 トラックの改善基準告示現行改正後1年の拘束時間3516時間原則:3300時間最大:3400時間1カ月の拘束時間原則:293時間原則:284時間最大:320時間最大:310時間1日の拘束時間原則:13時間原則:13時間最大:16時間最大:15時間1日の休息期間継続8時間継続11時間を基本とし、9時間加減※それぞれの項目に例外規定や努力義務規定がある。  前出の運送会社社長は、改善基準の改正は「厚労省がお茶を濁した印象」と語る。 「1カ月の拘束時間(原則)を見てください。9時間しか減っていない。ひと月の労働日を20日としてならしたら、減ったのは30分程度です。1日の拘束時間(原則)は変化なし。1年の拘束時間も216時間減ですが、1カ月に換算すると減ったのは18時間に過ぎません。業界としては思ったよりも減らなかった印象です」(同) 1年の拘束時間が2800~3000時間になると「現状の働き方では荷物は運べず、お手上げ」だという。 「物流は経済の血液」と言われる。厚労省は物流業界にも働き方改革を導入し、他業界との整合性を図らなければならない一方、法整備をきっかけに物流に大きな影響が出ることは控えたい。どのように血液を巡らせ続けるか、働き方改革と経済維持のはざまで頭を悩ませているのだろう。 ただ、代わり映えのしない改善基準でも、運送会社社長はある程度は有効と考える。 「2024年4月からは改善基準に違反した事業者への業務停止や運行停止などの行政処分が厳罰化されます。コンプライアンス順守が厳しくなる世の中、業者にとっては一度行政処分を食らえばイメージが悪化し、取引にも影響しかねません。残業時間の上限規制と併せて、厳罰化したことで実効性が伴うのではないでしょうか」 定着しない若手 郡山IC近くのトラックターミナル  これで物流業界の労働条件を改善する法整備は一応整った。だが人手不足に見舞われているのは、労働条件が悪いからだけではない。それに見合う給料が得られないことが原因だ。若手が敬遠し、トラックドライバーの男性労働者の平均年齢は44・1歳となっている(厚労省『賃金構造基本調査』2021年版)。 バブル景気に沸き、輸送需要が伸びていた時代は「3Kだが稼げる」と他業種からの転職者も多かった。この世代は定年を迎えるが、若手が入職しないため、いまだにドライバーや仕分け作業などの現場で中心的役割を果たしている。郡山市の60代男性ドライバーもその1人。 「30歳の頃、家族を養わなくてはならないと、稼げる仕事を探していたらトラックドライバーにたどり着いた。手取りで月給は25~35万円。稼げる時は70万円は行ったよ。もっといい給料を求めて移籍もした」 当時は郡山と大阪の定期路線が毎日出ていた。日中から夕方にかけて物流拠点に集荷された物資が方面ごとに仕分けされる。運ぶ物資は多彩だ。身近な物では酒などの飲料品や米、菓子。工場で使う材料やそこでできた部品も多い。 ドライバーの本業は運転だが、実際は積み込みまでしなければならない。手積みの場合は2~3時間はかかる。これがかなりの重労働で、労働災害も運転中より積み込み時の方が多い。 荷物を運搬用の荷台(パレット)に載せてフォークリフトで積む方法もある。積み込みは20~30分に短縮され、普及も進む。ただし、かさばる物はパレットの分だけ積載量が減るため向かない。他に、荷主が荷物をパレットに載せた状態で用意しなければならない点、荷物を降ろした後はパレットを回収して荷主に返さなければならず、その分、復路の荷物を運べない点で、ドライバーの負担軽減にはつながっていない。 積み込みを終え、ようやくトラックを出せるのは夜8時ごろ。大阪へは朝5時ごろに着く。トイレ以外は降りなかった。弁当はダッシュボードに置き、箸を使い、片手でハンドルを握りながら食べた。 「酒がないと眠れない」  仕事はきついが規制は緩かった。多く積んで早く遠方に届けるのが絶対で、会社も労働時間についてはとやかく言わない。時には我が子を助手席にこっそり乗せ、行先で遊ばせた。煩わしい人間関係がないため、同業者には独りが好きな人が多いように思う。ただし、 「長距離ドライバーは家に帰ってから寝る前に酒を飲む人が多い。深夜から明け方に働いているから、仕事を終えても眠れないんだ。寝付くために酒量が増えたな」(同) 退職を控え「そろそろ年金がもらえる」と話していた60代の同僚が、間もなく亡くなった。心筋梗塞と聞いた。「あの人どうなったんだろう」と昔の仕事仲間が気になって知り合いに聞くと、「とっくに病気で死んだよ」と返ってくることもあった。 2021年度の脳・心臓疾患の労災支給決定件数は全産業で172件だが、うち56件が道路貨物運送業。同労災の約3分の1を占める。 全日本トラック協会の調査によると、自動車運転業務の時間外労働上限である年960時間を超えて働くドライバーが「いる」と答えた事業者は51・1%に上るという。長時間労働が当たり前であることと無関係ではないだろう。 男性は、今はドライバーを退き、物流拠点で管理業務を担う。ただ、肉体労働は変わらずあるし、責任ばかりが増えたとぼやく。 トラックドライバーだけでなく、仕分けをする物流拠点でも人手不足は深刻だ。体感として、これまで10人でこなしていた仕事を3人でやらなければならなくなった。約3倍の時間がかかるので、当然終わらない。キリがないので退勤し、別の人に引き継ぐか後日再開することになる。生鮮食品のように悪くならない物資であれば、荷主が指定する日から最大で3~4日遅れることがある。もっとも、こうした状況は2024年問題が迫る以前からあったという。 人手不足は労働時間の割に賃金が低いことが原因だが、ここに至った背景には何があるのか。 「どこかの運送会社が運賃を下げたら別のところも下げる。待っていたのは、現場に無理をさせる価格競争だった。物流危機が迫っているのは自分で自分の首を絞めた結果だと思う」(同) 物流業界は次のように地位低下をたどってきた。 1990年の規制緩和で新規のトラック運送業者が増加(25年で約4万社から約6万2000社と1・5倍増)→バブル崩壊による「失われた20年」で輸送需要が低迷→減っていく荷物を増えていく事業者が取り合う。 運送業者数は、2008年以降は6万台で横ばいになっている。  トラック運送業は総経費の約半分を人件費が占める。運賃水準の低迷は人件費圧縮に直結し、荷主獲得競争の激化はトラック業界の荷主に対する相対的な立場の低下を招いた。結果、「他業種と比べて労働時間が2割長く、年間賃金が2割低い」現状に陥った⑶。 交渉に立てない下請け  トラック運送業界は荷主に対して物言えぬ立場にあるが、業界内にも元請け、下請けの多重構造がある。言うまでもなく、下請けは最も弱い立場に置かれる。 同業界は約6万2000社の99%以上を中小零細企業が占めており、保有車両10台以下が約5割、11~20台が2割、21~30台が約1割。ピラミッドの上に立つ元請け企業が仕事を受注し、それを下請け企業に委託し、さらに孫請け企業に委託するケースも少なくない。車両500台以上を保有する大手も、受けた仕事の9割以上は「協力企業」と呼ぶ下請けに委託している⑷。元請けにとっては閑散期と繁忙期に業務を調整しやすいようにしておき、固定費を増やさずに配送網を広げる狙いがある。 そうなれば、しわ寄せが来るのは下請けだ。 前出・社長の運送会社は中小企業のため、下請けに入ることも少なくないという。 「実際に運賃を払ってくれる荷主と交渉できないのが痛い。実際の運送を担う業者は、十分な運賃が得られないとドライバーを雇うことができない。しかし、元請けや上位の下請けは、少額でもマージンを取れればいいと業界全体のことは考えていない」 前出の男性ドライバーは老舗会社に勤務するため、末端の下請けほど過酷ではない。だが、苦境は手に取るように分かるという。 「大企業は足元を見るからね。元請けからできもしない仕事を回されたとしても、下請けは取らざるを得ない」 運送は本来、帰りの荷物を確保できるよう算段を付けて出発する。新規参入が厳しく制限されていた時代、運賃は運送側に有利で、帰りの荷台を空にしても元は取れたが、運賃が下振れする現在では帰りの荷物がないと赤字になる。収益は1人のドライバーがいかに多くの荷物を運ぶかにかかってくる。 次は一例だ。ある下請けのドライバーは「明日中に東京までこの荷物を運べ」と言われた。東京に荷物を下ろすと、所属企業から「帰りの荷物を見つけるから」と一報。帰着地の郡山に運ぶ荷物が見つかればいいが、もし大阪行きの荷物しかなければ、それを積んで西へと向かわされる。大阪から次の行き先は運ぶ荷物次第だ。「荷物を運ばせてください」と運送業者を回り、半額の運賃で請け負うことになる。 「このままでは一つの運送会社が潰れるだけではなく、物流業界、ひいては日本経済が立ち行かなくなってしまうことを理解してほしい」と前出の運送会社社長は力を込める。 この社長の会社では、上限規制適用以降は、遠方に荷物を運ぶ場合はドライバーを休ませ、それまで1日要していたところを2日かけるように余裕を持たせるという。 「入社希望者が全くいない以上、複数人のドライバーで中継して労働時間を抑える方法は取れません」 一方で2024年問題が注目されているのを機に、取引先には運賃値上げを交渉しようと考えている。 「社会の関心が高まっている今をチャンスと捉えなければなりません。労働時間が制限された後、物流が回るかどうかは、やってみないと分からない。来年が恐ろしいと同時に、業界の好転に期待が持てる楽しみな年でもあります」(同) 価格転嫁は荷主である小売り、製造業を通して消費者に負担が求められる可能性もある。筆者、読者を含め消費者はその背景に目を向け、業界の多重構造が適正なのか考える必要があるだろう。  脚注 ⑴首藤若菜「『2024年問題』とは何か 物流の曲がり角」(『世界』2023年5月号、岩波書店) ⑵前掲書 ⑶金澤匡晃「問題の本質は何か、物流に何が起きるのか」(『月刊ロジスティクス・ビジネス』2022年3月号、ライノス・パブリケーションズ) ⑷石橋忠子「間近に迫る『運べない』『届かない』の現実」(『激流』2023年3月号、国際商業出版) あわせて読みたい 一人親方潰しの消費税インボイス

  • 客足回復が鈍い福島市「夜の街」

    客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

     5月8日に新型コロナウイルスの感染法上の位置付けが季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げられる。飲食業界は度重なる「自粛」要請で打撃を受けたが、業界はコロナ禍からの出口の気配を感じ、「客足は感染拡大前の7~8割に戻りつつある」と関係者。一方、2次会以降の客を相手にするスナックは閉店・移転が相次ぎ、テナントの半数が去ったビルもある。福島市では主な宴会は県職員頼みのため、郡山市に比べ客足の回復が鈍く、夜の街への波及は限定的だ。 公務員頼みで郡山・いわきの後塵 飲食店が並ぶ福島市街地  福島市は県庁所在地で国の出先機関も多い「公務員の街」だ。市内のある飲食店主Aは「県職員が宴会をしないと商売が成り立たない」と話す。民間企業は、取引先に県関係の占める割合が多いため、宴会の解禁も県職員に合わせているという。 「東邦銀行も福島信用金庫も宴会を大々的に開いて大丈夫か県庁の様子を伺っているそうです。民間なら気にせず飲みに行けるかというとそうでもなく、行員に対する『監視の目』も県職員に向けられるのと同じくらい厳しい。ある店では地元金融機関の幹部が店で飲んでいたのを客が見つけて本店に『通報』し、幹部たちが飲みに行けなくなったという話を聞きました」(店主A) 福島市の夜の街は、県職員をはじめとする公務員の宴会が頼りだ。福島、伊達、郡山、いわきの4市で飲食店向けの酒卸店を経営する㈱追分(福島市)の追分拓哉会長(76)は街の弱みを次のように指摘する。 「福島、郡山、いわきの売り上げを比較すると、福島の飲食店の回復が最も弱いことが見えてきた」 2019年度『福島県市町村民経済計算』によると、経済規模を表す市町村内総生産は県内で多い順に郡山市が1兆3635億円(県内計の構成比17・1%)、いわき市が1兆3577億円(同17・0%)、福島市が1兆1466億円(同14・4%)。経済規模が大きいほど飲食店に卸す酒の売り上げも多くなると考えると、3位の福島市が他2市より少なくなるのは自然だ。だが追分会長によると、同市は売上高が他2市より少ないだけでなく、回復も遅いという。 「3市の酒売上高は、2019年は郡山、いわき、福島の順でした。各市の今年2月の売り上げは、19年2月と比べると郡山90%、いわき83%、福島76%に回復しています。郡山はコロナ前の水準まで戻ったが、福島はまだ4分の3です。しかも、コロナ禍で売上高が最も減少したのは福島でした。私は福島が行政都市であり、かつ他2市と比べて若者の割合が少ないことが要因とみています。県職員(行政関係者)が夜の街に出ないと、飲食店は悲惨な状態になります」(追分会長) 飲食業の再生の動きが鈍いのは、度重なる感染拡大に息切れしたことも要因だ。 「福島では昨年10月に到来した第8波で閉めた店が多く、駅前の大規模店も撤退しました。3、4月の歓送迎会シーズンで持ち直した現状を見ると、もう少し続けていればと思いますが、それはあくまで結果論です。これ以上ない経営努力を続けていたところに電気代の値上げが直撃し、体力が尽きてしまった。水道光熱費だけで10~20万円と賃料と同じ額に達する店もありました」 そうした中でも、コロナ禍を乗り切った飲食店には「三つの共通点」があるという。 「一つ目は『飲む』から『食べる』へのシフトです。スナックやバーが減り、代わりに小料理屋、イタリアン、焼き鳥屋が増えました」 「二つ目が『大』から『小』への移向です。宴会がなくなりました。あったとしても仲間内の小規模なものです。売りだった広い客席は大規模店には仇となりました。健闘しているのは、区分けして小規模宴会を呼び込んだ店です」 最後は「老」から「若」への変化。 「老舗が減りましたね。後継者がいない高齢の経営者が、コロナを機に見切りを付けたからです」 一方、これをチャンスと見てコロナ前では店を出すことなど考えられなかった駅前の一等地に若手経営者が出店する動きがあるという。経営者たちが見据えるのは、福島駅東口の再開発だ。 「4月から再開発エリアに建つ古い建物の本格的な取り壊しが始まりました。3年間の工事で市外・県外から500~1000人の作業員が動員されます。福島市役所の新庁舎(仮称・市民センター)建設も拍車をかけるでしょう。市内に建設業のミニバブルが訪れる中、ホテルや飲食店の需要は高まるとみられるが、老舗の飲食店が減っているので受け皿は十分にない。そのタイミングでお客さんを満足させる店を出すことができれば、不動の地位を獲得できると思います」 追分のグループ会社である不動産業㈱マーケッティングセンター(福島市)では毎年、市内の飲食店を同社従業員が訪問して開店・閉店状況を記録し、「マップレポート」にまとめてきた。最新調査は2019年12月~20年10月に行った。同レポートによると、開店は41店、閉店は106店。飲食店街全体としては、感染拡大前の837店から65店減り、772店となった。減少率は7・7%で、1988年に調査を開始して以降最大の減少幅だった。 「特に閉店が多かったのはスナック・バーです。48店が閉店し、全閉店数の44%を占めました」 もっとも、スナック・バーは開店数も業種別で最も多い。同レポートによると、11カ月の間に22店が開店し、全開店数の54%を占めた。酒とカラオケを備えれば営業できるため参入が容易で、もともと入れ替わりが盛んな業種と言えるだろう。 25%減ったスナック  マーケッティングセンターほどの正確性は保証できないが、本誌は夜の飲食店数をコロナ前後で比較した。1月号では郡山市のスナック・バーの閉店数を電話帳から推計。忘年会シーズンの昨年12月にスナックのママに電話をして客の入り具合を聞き取った。 電話帳から消えたと言って必ずしも閉店を意味するわけではない。もともと固定電話を契約していない店もあるだろう。ただし「昔から営業していた店が移転を機に契約を更新しなかったり、経費削減のために解約したりするケースはある」と前出の飲食店主Aは話す。今まで続けていたことをやめるという点で、固定電話の契約解除は、店に何らかの変化があったことを示す。 コロナ前の2019年と感染拡大後の2021年の情報を載せた電話帳(NTT作成「タウンページ」)を比較したところ、福島市の掲載店舗数は次のように減少した。 スナック 194店→145店(新規掲載1店、消滅50店) 差し引き49店が減った。減少数をコロナ前の店舗数で割った減少率は25・2%。 バー・クラブ 42店→35店(新規掲載なし、消滅7店) 減少率は16・6%。 果たしてスナック、バー・クラブの減少率は他の業種と比べ高いのか低いのか。夜の街に関わる他の業種の増減を調べた。2021年時点で20店舗以上残っている業種を記す。電話帳に掲載されている業種は店側が複数申告できるため、重複があることを断っておく(カッコ内は減少率)。 飲食店 208店→178店(14・4%) 居酒屋 143店→118店(17・4%) 食堂 75店→69店(8・0%) ラーメン店 63店→60店(5・0%) うどん・そば店 63店→55店(12・6%)  レストラン(ファミレス除く) 50店→42店(16・0%)  すし店(回転ずし除く) 39店→38店(2・5%) 中華・中国料理店 33店→31店(6・0%) 焼肉・ホルモン料理店 29店→24店(17・2%) 焼鳥店 25店→23店(8・0%)  日本料理店 23店→22店(4・3%) 酒を提供する居酒屋の減少率は17・4%と高水準だが、スナックは前記の通り、それを上回る25・2%だ。マーケティングセンターの2020年調査では、スナック48店が閉店した。照らし合わせると、電話帳から消えたスナックには閉店した店が含まれていることが推測できる。 筆者は電話帳から消えたスナックを訪ね、営業状況や移転先を確認した。結果は一覧表にまとめた。深夜食堂に業種転換した店、コロナ前に広げた支店を「選択と集中」させて危機を乗り越えた店、賃料の低いビルに引っ越し再起を図る店など、形を変えて生き残っている店も少なくない。 電話帳から消えた福島市街地のスナック ○…営業確認、×…営業未確認、※…ビル以外の店舗 陣場町 第10佐勝ビルスナッククローバー〇SECOND彩スナック彩に集約ハリカ〇レイヴァン(LaVan)✕ペガサス30ビル花音✕スナッククレスト(CREST)✕スナックトモト✕プラスαkana✕ハーモニー✕ボルサリーノスナックARINOS✕ファンタジー〇ポート99ラーイ(Raai)✕第5寿ビルジョーカー✕アイランド〇※モア・グレース✕※ 置賜町 エース7ビル韓国スナックローズハウス✕CuteCute✕トリコロール✕フィリピーナ✕ジャガービルトイ・トイ・トイ(toi・toi・toi)✕マノン✕鈴✕ピア21ビルK・桂✕ラパン✕ミナモトビルシャルム✕都ビル仮面舞踏会✕清水第1ビルマドンナ✕第5清水ビルラウンジラグナ✕ 栄町 イーストハウスあづま会館志桜里✕スナック楓店名キッチンkaedeで「食」に業種転換花むら✕第2あづまソシアルビルショーパブパライソ✕せらみ✕ムーチャークーチャー〇ユートピアビルスナックみつわ✕わがまま天使✕※ 万世町 パセオビルカトレア✕萌木✕ 新町 クラフトビルぼんと✕ゆー(YOU)✕金源ビルザ・シャトル✕スナック星(ぴょる)✕※凛〇※ 大町 コロールビルのりちゃんあっちゃん(ai)×エスケープ(SK-P)×※  電話帳に載っていないスナックもそこそこある。ただ、書き入れ時の金曜夜9時でも営業している様子がなく、移転先をたどれない店が多かった。あるビルの閉ざされた一室は、かつてはフィリピン人女性がもてなすショーパブだったのだろう。「福島県知事の緊急事態宣言の要請により当店は暫くの間休業とさせていただきます」と書かれた紙がドアに張られ、扉の隙間には開封されていない郵便物が挟まっていた。 「やめたくない」  ビル入口にあるテナントを示す看板は点灯しているのに、どこの階にも店が見当たらない事態も何度も遭遇した。あるベテランママの話。 「看板を総取っ換えしなきゃならないから、余程のことがないとオーナーは交換しない。一つの階が丸ごと空いているビルもあるわ」 飲食店主Bも言う。 「存在しない店の看板は覆い隠せばいいが、オーナーは敢えてそうはしません。テナントもしてほしくないでしょう。人けがないビルと明かすことになるからです」 テナントの空きは、スナック業界の深刻さも表している。 「手狭ですが家賃が安い新参者向けのビルがあります。入口にある看板は20軒くらいついていて全部埋まっているように見えるが、各階に行くと数軒しか営業していない。新しく店を始める人がいないんでしょうね」(店主B) 閉店する際も「後腐れなく」とはいかない。前出のベテランママがため息をつく。 「せいせいした気持ちで店をやめる人なんて誰もいませんよ。出入りしているカラオケ業者から聞いた話です。カラオケ代を3カ月分滞納した店があり、取り立てに行った。払えない以上は、目ぼしい財産を処分し、返済に充てて店を閉めなければならない。そこのママは『やめたくない』と泣いたそうです。しかし、そのカラオケ業者も雇われの身なので淡々と請求するしかなかったそうです」 大抵は連帯保証人となっている配偶者や恋人、親きょうだいが返済するという。 2021、22年に起きた2度の大地震は、コロナにあえぐスナックにとって泣きっ面に蜂だった。酒瓶やグラスがたくさん割れた。あるビルでは、オーナーとテナントが補償でもめ、納得しない人は移転するか、これを機に廃業したという。テナントの半数近くに及んだ。 福島市内のビルの多くは30~40年前のバブル期に建てられた。初期から入居しているテナントは、家賃は契約時のままで、コロナで赤字になってもなかなか引き下げてもらえなかった。コロナ禍ではどこのビルも空室が増え、オーナーは家賃を下げて新規入居者を募集。余力のあるスナックはより良い条件のビルに移転したという。 ベテランママは引退を見据える年齢に差しかかっている。苦境でも店を続ける理由は何か。 「コロナが収束するまではやめたくない。閉店した店はどこもふっと消えて、周りは『コロナで閉めた』とウワサする。それぞれ事情があってやめたのに、時代に負けたみたいで嫌だ。私にとっては、誰もがマスクを外して気兼ねなく話せるようになったらコロナ収束ですね。最後はなじみのお客さんを迎え、惜しまれながら去りたい」 ベテランママの願いはかなうか。 あわせて読みたい コロナで3割減った郡山のスナック 〝コロナ閉店〟した郡山バー店主に聞く

  • 福島医大「敷地内薬局」から県内進出狙う関西大手【I&H】

    福島医大「敷地内薬局」から県内進出狙う関西大手【I&H】

    (2022年10月号)  福島県立医科大学(福島市)で大手調剤薬局グループI&H(兵庫県芦屋市)による「敷地内薬局」の設置が進められている。「医薬分業」の観点から禁じられてきたが、6年前の規制緩和を受け、その動きは全国に広がる。医大は土地の貸付料を得ながら、薬局に付随するカフェテラスを呼び込める一方、薬局は県下最大数の処方箋が見込める。設置の公募には地元薬局を含め6社が応募し、上位3社が接戦。敷地内薬局にそもそも反対の県薬剤師会は蚊帳の外に置かれ、本県医療を象徴する場を県外大手に取られた形だ。 蚊帳の外に置かれた福島県薬剤師会  福島県立医科大学(医大)は公立大学法人で、福島市光が丘に医学部、看護学部、附属病院などのほか、保健科学部をJR福島駅前に、会津医療センターを会津若松市に置く。保健科学部と会津医療センターを除いた職員数は2640人、学生数は1427人(2021年5月1日現在)。附属病院の病床数は788床。入院患者は年間20万人。外来患者は同約34万人で、1日平均1429人(いずれも2020年度)。 敷地内薬局の収入につながるのは、医師が外来患者に発行する院外処方箋だ。医大は年間約17万枚を取り扱っており、1日平均約720枚。県内最大級の規模からして、処方箋枚数も少なくはないだろう。 医大に敷地内薬局を設置する過程をたどる前に、そもそも医薬分業と敷地内薬局とは何か。 医薬分業は、「診断して処方箋を書く者」と「処方箋を見て調剤する者」を分けて互いの仕事をチェックさせ、適正な薬剤治療を進める仕組み。1970年代以前の日本では、医師が診療報酬を増やそうと自ら多くの薬を出す「薬漬け医療」の傾向があり、医療費を抑制するため分業が進められてきたとされる。こうして、患者は医師から出された処方箋を持って病院門前や自宅近くの薬局で薬をもらう流れができた。だが「流れ作業的な調剤」「二度手間」の批判もあり、医療費削減の効果も疑問視。規制改革の流れの中で、厚労省が2016年9月に病院が経営を異にする事業者に敷地を貸し、薬局を設置することを認めた。 2019年4月には、東大医学部附属病院に敷地内薬局2店舗がオープンし、全国の医大・医学部に波及する。薬剤師会からは「大家と店子の関係では薬局の独立性が危ぶまれる」と反発が起こった。これに対し、厚生労働省は処方箋の受け付けごとに算定する調剤基本料42点(1点=10円)について、病院との関係が深い敷地内薬局は7点に減らし、参入しても「儲けにくい」ようにした。 薬剤師会が反発するのに病院が敷地内薬局の設置を進めるのは経営上の理由からだ。 一つは土地の貸付料が得られる。特に大学病院は敷地が広く、土地を遊ばせておくのはもったいない。大学病院は独立行政法人として経営努力を求められている背景もある。 もう一つは、福利厚生施設を自己負担なしで整備してもらえる利点がある。 こうして、病院は薬局に土地を貸し、薬局は本業の調剤だけでなく、病院の求めに応じて売店やカフェテラス、職員寮などを運営するようになった。 前述の通り、敷地内薬局は調剤基本料が低く抑えられている。しかも病院は薬局以外の事業にも高水準を求めてくる。にもかかわらず、大手調剤薬局はなぜ参入するのか。県内の薬局に勤めるある薬剤師は、 「資本力の強みです。大手は事業買収を重ね、調剤業務以外に介護、飲食など多業種を抱え込んでいます。調剤を基本にその他の業種との相乗効果で儲けていく方針です。各地域の医療拠点に出店することで、その土地での知名度と実績を上げる。それを足掛かりにさらに出店攻勢をかけ、シェア獲得を狙っているのでしょう」 各地の薬剤師会は医薬分業の建前から敷地内薬局に反対してきた。経営面でもペイするのが難しいため、参入には慎重だ。その隙を大手が突く。各地の薬剤師会は「敷地内薬局のジレンマ」に陥っている。 県内の公立病院では、医大の次に藤田総合病院(国見町)が2022年3月に敷地内薬局の事業者を公募した。門前に薬局を構えていた2社が応じ、アインHD(札幌市)が優先交渉権者となった。 不満を露わにする前会長  医大は2021年12月に事業者の公募を告知した。別の薬局に勤める薬剤師は県薬剤師会(県薬)からメールで一報を受けた時、「医大もとうとうやったか」と覚悟した。 県薬は後手に回った。 「ホームページで公募が告知されたのが13日。応募締め切りは24日でした。土日・祝日は応募を受け付けないので、実質10日間です。ところが、県薬が会員に知らせたのは締め切り後の28日でした。県薬も寝耳に水だったのでしょう」(同)  当時、県薬の会長だった町野紳氏(まちの薬局経営・㈲マッチ社長、会津若松市)が会員に送った書面には医大への戸惑いが見られる。 「医大は本県唯一の医育機関と位置付けられており、本来、患者や地域住民から真に評価される医薬分業の推進をする立場でなければならず、今回の整備事業は賛同しかねるものです」。公募については、「募集期間が短かったこともあり、皆様からの意見を伺う機会を設けられず、対策を講じることができなかったことは誠に遺憾に思います」とし、「会員の意見を伺う機会を設けたいと考えております」と続けた。 町野氏は2022年6月に4期8年の任期を終え会長を退いた。会員の間では、「敷地内薬局設置の動きを把握できなかったため、責任を取ったのでは」との見方がある。 本人に聞くと、「任期を迎えたから辞めた。それだけです」。 設置の動きを把握していたかについては、「知っていたら潰しに動いたでしょうね」と冗談交じりに言った。敷地内薬局への参入については、「医薬分業の観点から会として反対しているので、参入することはありません」と言う。 医大の近くには、県薬が運営する「ほうらい薬局」がある。経営への影響を尋ねると、「微々たるものと考えます」と答えた。 医大の敷地内薬局設置事業の正式名は「敷地内薬局及び福利厚生施設等整備事業」。事業者の選定は公募型プロポーザル方式で行われた。この方式は発注者が事業者に建設物についての提案を求め、応募者の中から審査を経て優先交渉権者を選ぶ。 募集要項や要求水準書によると、医大は土地の一部を貸与し、事業者は薬局1店舗とカフェテラス、コンビニなどを含む集合店舗施設の整備と運営を行う。建設予定地は附属病院への玄関口に当たる「いのちと未来のメディカル棟」の南側で、現在は「おもいやり駐車場」に使われている。 貸付される面積は約1600平方㍍。貸付料について、医大は年額で1平方㍍当たり最低1077円以上を提示。概算すると、事業者は総額170万円以上を土地使用料として毎年払う必要がある。だが、これはあくまで最低額。事業者が医大に提出する資料には、1億円の位まで記入可能な「土地使用料提案書」があり、2022年2月21日にプレゼンテーション形式で行われた最終審査では「本学に対する経済的貢献度」という評価事項があった。いかに高い土地代を払えるかが客観的に物を言うということだろう。 土地を貸付する期間は原則20年以内としている。ただ、医大が「優れた提案」と判断した場合は延長され、最長で30年未満使用できる。 同28日までに医大は、阪神調剤薬局を全国展開するI&Hを優先交渉権者に選んだと公表した。県内では傘下の薬局が2店舗ある。現在、同社と医大は交渉を進めている。  大手が資本力で圧倒か  公募には6社が応募し、うち1社は最終審査前に辞退した。結果は表1の通り。医大は優先交渉権者以外の社名や、審査員7人の氏名、各審査員の採点結果を明かしていない。それぞれ、「事業者の利益を害する」「干渉、圧力を受け審査員の中立性が損なわれる」「医大の利益や地位を害する」との理由だ。 表1 医大敷地内薬局公募の最終審査に参加した5社の得点評価項目I&HA社B社C社D社(1)患者の利便性・安全性に関する評価【70】5658524040(2)福島県立医科大学への相乗的あるいは相加的効果に関する評価【70】5656543640(3)地域への貢献に関する評価【105】6456524446(4)アメニティ施設に関する評価【105】7581844863(5)施設整備に関する評価【105】8790905760(6)実施体制に関する評価【140】1081121167664(7)事業の継続性及び健全性に関する評価【140】1241161126448合計【700】570569560365361※【】は審査員7人の評価項目ごとの配点を合計した点=満点  ただ医薬業界の情報筋によると、I&H以外に公募に応じた5社は、アインHD(北海道札幌市)、クオールHD(東京都港区)、日本調剤(東京都千代田区)、コスモファーマ(郡山市)、ハシドラッグ(福島市)だという。ハシドラッグは共同企業体で臨んだようだが、組んだ企業がどこかは不明。5社のうちどこが辞退したかも分かっていない。 I&Hと応募した可能性が高い5社の経営規模を表2にまとめた。表1の得点と突き合わせると見えてくるものがある。 表2 公募への参加が噂された6社の経営規模資本金売上高従業員I&Hグループ42億円1224億円(連結か)4087人(21年5月期)アインHD218億円3162億円(連結)9568人(22年4月期)クオールHD57億円1661億円(連結)5620人(22年3月期)日本調剤グループ39億円2993億円(連結)5552人(22年3月期)コスモファーマグループ8500万円240億円(連結か)1418人(21年9月期)ハシドラッグ5000万円90億円55人(21年5月期)アイン、クオール、日本調剤は有価証券報告書を、その他はHPや民間信用調査会社のデータを基に作成  注目すべきは上位3社と下位2社との総合点の開きだ。上位3社は8割得点し、どこが首位でもおかしくない点差だが、下位のC社、D社は半分強しか取れていない。点差が如実に開いたのは⑹、⑺の項目。特に⑺には財務状況や類似事業の実績、医大への経済的貢献度を評価する小項目がある。資本力があり、敷地内薬局へ既に参入している大手には有利となる。 これらを踏まえるとA社、B社は大手、C社、D社は地元薬局と推理できる。 地元薬局にとって厳しい戦いではあった。それを承知したうえで、ある地元薬局の取締役は、県外企業にメンツをつぶされたことを苦々しく思っている。 「『阪神調剤』の看板を医大病院の玄関前に掲げられるわけです。地元に根付いてきた薬局としては見過ごせません」 この取締役が地元への貢献の例に挙げるのが2020年6月に楢葉町が設置した「ならは薬局」だ。県薬などが設立した県復興支援薬剤師センターが運営している。震災・原発事故後に帰還が進む地域の医療を支えるため、重要な役割を果たす施設と認識するが、収益は見込めないという。それでも「運営する意義は大きい」との自負がある。 前述の通り、医大が敷地内薬局設置の公募を行ったのは「実質10日間」だが、取締役は医大が事実上、県薬に一声も掛けなかったことを突き放されたと感じているようだ。 「悔しいと思うのはわがままに過ぎないのでしょうか」(同) 残酷だが、医大も患者も便利になれば、事業者が県内であれ県外であれ関係ないのだろう。 勉強会開催の狙い  他方でこの取締役は、帰還地域におけるI&Hの動きをいぶかしむ。 「関連団体が、医大敷地内薬局の公募審査結果が出る4日前(2月24日)に厚労省の官僚や県内市町村職員を巻き込んで会議を開いていたんです」 主催は任意団体の「福島薬局ゼロ解消ラウンドテーブル実行委員会」。目的は名前の通り、震災・原発事故後に住民が帰還しつつある地域への薬局整備を考えるもの。事務局は城西国際大学アドミニストレーション学科(東京都)。同委員会メンバーにはI&Hの岩崎英毅取締役のほか、同大や岡山大医学部、東邦大薬学部の教員ら4人が名を連ねている(表3)。 表3 福島薬局ゼロ解消ラウンドテーブル実行委員会(敬省略)メンバー役職渡邉暁洋岡山大学医学部助教小林大高東邦大学薬学部非常勤講師岩崎英毅I&H取締役鈴木崇弘城西国際大学国際アドミニス トレーション研究科長黒澤武邦城西国際大学国際アドミニストレーション研究科 准教授  4人の名前をネットで検索してみると、過去に国会議員の政策担当秘書を務めたり、自民党のシンクタンク設立に関わったりしたほか、原発事故の国会事故調事務局に勤務するなど、政府―薬局―福島県をつなぐ顔ぶれだ。 筆者はI&Hに「岩崎取締役が同委員会に所属し、福島県内で会議を開いたのは、営業や情報収集が目的ではないのか」と尋ねたが、同社は「知見や課題を共有することで無薬局解消につなげるため」と答えた。公式には勉強会ということだ。 同委員会の実態は詳細には分からないが、I&Hが県内進出に積極的な姿勢であることは間違いない。今後、地元薬局は同社と協調していくのか、それとも対抗していくのか、対応を迫られるだろう。 これまで中小規模の地元薬局は「医薬分業」を推進するための規制に守られてきた。医大に敷地内薬局が設置されることについて、前出・前県薬会長の町野氏は「影響は微々たるもの」とする。だが、2018年11月に敷地内薬局が設置された長岡赤十字病院(新潟県長岡市)の近隣薬局3店舗では、処方箋枚数が設置前より4分の1減少し、金額ベースで10%落ち込んだという(『NIKKEI Drug Information』2019年4月号)。 医大の近隣・敷地外薬局でも持ち込まれる処方箋が減るのは間違いない。問題は影響をどこまで抑えられるかだ。地元薬局は楽観していないだろう。 あわせて読みたい 【浪江町】新設薬局は医大進出の関西大手グループ

  • 浪江町社会福祉協議会で事務局長が突然退任

    浪江町社会福祉協議会で事務局長が突然退任

     浪江町は帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除の動きが進む。3月に解除の判断が示されるが、本誌編集部には「解除後の医療福祉は大丈夫なのか」と心配の声が寄せられている。調べると、浪江町社会福祉協議会では本誌既報のパワハラ問題が解決していない。(小池航) 調査で指摘された自身のパワハラ  本誌昨年11月号「浪江町社協でパワハラと縁故採用が横行」という記事で、職員によるパワーハラスメントが蔓延している問題を取り上げた。被害者がうつ病を発症して退職を余儀なくされ、業務をカバーするため職員たちの負担が増加した。加害者は1人で会計を担当しており、替えが利かない立場を笠に着て、決裁を恣意的に拒否していた。こうした事態は専門家からガバナンス崩壊と指摘された。 浪江町社会福祉協議会の事務方トップである事務局長は、加害者を十分に指導せずパワハラを放置していた。自身は、親族や知人の血縁者を少なくとも4人採用。介護業界は人手不足とは言え、求められているのは介護士や看護師など福祉や医療の有資格者。事務局長が採用した職員たちは資格を持たず、即戦力とは言い難かった。職員や町民から「社協を私物化した縁故採用」と問題視されていた。 その事務局長が3月末付で退くというのだ。2月中旬を最後に出勤もしていない。 退任するのは鈴木幸治事務局長(69)。同社協の理事も兼ねる。鈴木事務局長は53歳ごろまで町職員を務めた後、町内の請戸漁港を拠点に漁師に転身。大震災・原発事故後の2013年から町議を1期務めた。鈴木事務局長によると、議員を辞めた後に本間茂行副町長(当時)に請われ、2019年から現職。現在2期4年目。 鈴木事務局長は昨年10月、筆者が同社協で起こっていたパワハラについて取材した際、「調査する」と明言していた。筆者は調査の進展を聞くため2月20日に同社協の事務所を訪ねた。鈴木事務局長との面談を求めたが、応対した職員から不在と伝えられた。代わりに理事会のトップを務める栃本勝雄会長が応じた。この時、筆者はまだ鈴木事務局長が辞めるとは知らされていなかった。 栃本会長は調査の進捗状況をこう説明した。 「弁護士と相談し、全職員にパワハラを見聞きしたかアンケートを実施したが、報告できるようなきちんとした結果はまだ出ていません。調査結果の報告、パワハラに関与したとされる職員への対応、社協内でのハラスメント対策をどうするかも含め、弁護士と相談しながら進めているところです」 ハラスメントは重大な人権侵害と厳しい目が向けられる昨今、一般企業や役所では規則を整え、調査でハラスメントによる加害行為が認定された職員は懲戒処分の対象になる流れにある。栃本会長によると、加害行為の疑いがある職員は在職中とのことだが、 「懲戒処分にするかどうかという話までは発展していません」(同) アンケートは昨年末までに実施した。同社協が依頼した弁護士に、職員が個別に回答を郵送、弁護士は個人が特定されない形にまとめた。公平性を担保するため、パワハラの舞台となった同社協はアンケートに関わる作業にはタッチしていないという。1月に入り、中間報告という形で結果が上層部に明かされた。全職員や理事会、評議会には知らせていないが、栃本会長は 「年度内には全職員に正式結果を知らせる予定です。理事会には正式結果と合わせて経過の報告も必要と考えています。ただ、現時点では正式結果がまとまっておらず、お答えできません」 ここまで質問に答えて、栃本会長は一息ついて言った。 「何せ私も吉田数博前町長(同社協前会長)から引き継いで昨年6月に就任したもので。ですから、会長に就くまでは内情を知らなかったんです」 筆者が「やはり詳しいのは長年勤めている鈴木事務局長ですかね」と聞くと、 「鈴木事務局長は休暇に入っています。任期満了を迎える3月末で辞める予定です」(同) 栃本会長によると、1月下旬に鈴木事務局長から「体調が思わしくないので、任期満了を迎える今期で辞めたい」と言われたという。事務所にあった私物も既に片付けており、再び出勤するかどうか分からないとのこと。 パワハラを放置した責任を取って辞めたということなのだろうか。栃本会長に問うと「私には分かりませんし、彼とはそのような話はしていません。任期満了となるから辞めるだけでしょ」。 鈴木事務局長はデイサービス利用者の送迎も担当していた。 「今はデイサービスの事業所に任せています。人手が必要なのに痛手ですよ。残った職員でカバーしながらやっています」(同) 公用車の私的使用も 参考画像 トヨタ「カローラクロス」(ハイブリット車・2WD)2022年12月のカタログより  体調不良で休んでいるというのが気になる。昨年11月号の取材時、パワハラを放置した責任があるのではないかと考え、鈴木事務局長に根掘り葉掘り質問した。あるいは記事により心身が病んでしまったのだろうか。後味が悪いので、事務局長が現在どうしているか複数の町関係者に問い合わせると意外な事実が分かった。 「同社協では『事務局長はどうしているか』と質問されたら『任期満了で辞める』と答えることになっているそうです。ですが実際の話は少し違います」(ある町関係者) 任期満了で退くのは事実だが、任期を迎える1カ月以上も前から、送迎の役目を投げ出してまで出勤しなくなったのは確かに不可解だ。取材で得られた情報を総合すると、鈴木事務局長は同社協にいづらくなり、嫌気が差して一足早く去ったというのが実情のようだ。 発端は、前述の同社協上層部に先行して伝えられたアンケート結果だった。 パワハラの加害者と疑われる職員から受けた被害が多数記述されていると思われたが、ふたを開けてみると、鈴木事務局長自身もセクハラ、パワハラ、モラハラの加害者という回答が相次いだのだ。「こんな人がいる職場では働けない。1日も早く辞めてほしい」と切実な訴えもあったという。 ハラスメントだけではなかった。同社協が職務に使っているSUVタイプの自動車「トヨタ カローラクロス」を鈴木事務局長が週末に私的利用しているという記述もあった。 同社協が第三者である弁護士にアンケートの集計を依頼し、結果は上層部しか知らないはずなのに、なぜこうも詳細に分かるのか。それは当の鈴木事務局長が自ら明かしたからだ。2月の最終出勤日に部署ごとに職員を集め、前述の自身に関わる内容を話したという。 ハラスメントの加害者のほとんどは組織の中で立場の強い者だ。加害行為を「指導」や「業務」と履き違え、本人は自覚がないことが往々にしてある。だが、被害者が苦痛と感じれば、それはハラスメントになるのが現代の常識。まずは被害者の話に耳を傾け、組織として事実かどうかを認定することが求められる。 昨年11月号の取材で鈴木事務局長は「パワハラがあると聞いてびっくりしている」「当事者同士の言葉遣い、受け取り方による」とパワハラから目をそらし、矮小化とも取れる発言をしていた。自分は関係ないと思っていただけに、今回のアンケート結果に愕然としただろう。部下から「1日も早く辞めてほしい」と言われては、任期満了を待たずに一刻も早く辞めたい気持ちになる。 不祥事追及がうやむやに  いずれにせよ、鈴木事務局長は同社協を去った。それでも、ある職員は同社協の行く末を懸念する。 「アンケート結果が出たタイミングで事務局長が辞めることで、あらゆる不祥事の責任を取ったとみなされ、問題がうやむやになってしまうのを恐れています。このままでは、パワハラを行っていた職員におとがめがないまま幕引きになってしまいます」 鈴木事務局長は決してパワハラと縁故採用の責任を取って辞めるわけではない。同社協が表向きの理由として知らせているように、任期満了を迎えるから辞めるのだ。既に出勤していないのも「体調が思わしくない」と栃本会長に申し出たためだ。 間もなく70歳のため、高齢で体力的に職務が務まらないなら仕方がない。ただ、栃本会長は「鈴木事務局長が担当していたデイサービス利用者の送迎を他の職員に頼んでいる」と漏らしており、急きょ出勤しなくなったことで、サービスの受益者である町民や同社協職員の業務に与えた影響はゼロではないだろう。 こうした中、町民と職員が関心を寄せるのが後任の事務局長だ。同社協は退職した町職員が事務局長に就くのが慣例だった。社協は、建前は民間の社会福祉法人だが、自治体の福祉事業の外注先という面があり、委託事業や補助金が主な収入源。浪江町社協の2021年度収支決算によると、事業活動による収入のうち、最も多くを占めるのが町や県からの「受託金収入」で1億5300万円(事業活動収入の約68%)。次が町の補助金などからなる「経常経費補助金収入」で4400万円(同約19%、金額は10万円以下を切り捨て)。 自治体の補助金で運営が成り立っている以上、社協と調整を円滑にするため自治体職員を派遣するのが通常で、現に浪江町でも町職員を1人出向させている。 栃本会長は「後任の事務局長は町役場と相談しながら決めます」と話す。同社協との実務を調整する町介護福祉課の松本幸夫課長は、後任の事務局長について、 「町長や副町長には同社協から報告が上がっていると思いますが、介護福祉課には伝わっていません。社会福祉行政に明るい人物も考えられるし、それ以外の人も含めて検討していると思います」 要するに、発表できる段階にはないということだ。 同社協は人材不足にも陥っているが、栃本会長は人材確保に向けた方針を次のように明かす。 「現場で実務を担う介護や医療の有資格者を募集しなければならないと思っています。地元のために一緒に働いてくれるだけで十分ありがたいのですが、半面、限られた人員で運営していく以上、採用するなら有資格者が望ましいです」 鈴木事務局長が行った無計画な縁故採用からの脱却が進みそうだ。 最後に、同社協の目指すべき未来を示した発言を紹介する。長文だが重要なのですべてを引用する。 《震災後、役場機能の移転に合わせて社協も転々としました。避難当時の混乱で職員が一人もいなかった時期もありました。一部地域の避難指示の解除を受け、2017(平成29)年4月に社協も町へ戻ることができました。現在は、浪江町と二本松市の事務所を拠点に、町民の様々な福祉サービスに取り組んでいます。 福祉における一番の課題は、これからの介護です。町内に居住する住民1600人のうち65歳以上の割合を示す高齢化率は約40%ですが、震災前に町に住んでいた人に限ると約70%と非常に高くなっています。自分の子どもや孫と離れて一人で暮らす方も多く、次第に介護が必要となってきています。2022(令和4)年には、町の地域スポーツセンターの向かいにデイサービス機能を備えた介護関連施設が完成する予定です。私たち社協は、オープンと同時に円滑にサービスを提供できる体制を整えていきたいと考えています。 原発事故の影響で散り散りになった町民にとっては、テーブルを囲み、お茶菓子を食べて語り合うだけでも、心の拠り所になるはずです。そんな交流の場を必要としている高齢者が町には数多くいます。浪江町民のために役場との連携をより深め、福祉政策の実現に取り組んでいきたいと思います》(『浪江町 震災・復興記録誌』2021年6月より) 発言の主は鈴木事務局長。筆者も同感だ。 あわせて読みたい 【浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

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    【谷賢一氏】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

     飯舘村出身の俳優・大内彩加さん(29)が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(40)から性行為を強要されたとして損害賠償を求めて提訴している。谷氏は「事実無根」と法廷で争う方針だが姿を見せず「無実」の説明もしていない。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に単身移住。浜通りを拠点に演劇の上演や指導を計画していた。大内さんは、「劇団員にしてきたように福島でも性暴力を起こすのではないか」と恐れ、被害公表に踏み切った。(小池航) 【大内彩加】飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相  谷氏から性被害を受けたと大内さんがネットで公表したのは昨年12月15日。翌16日からは谷氏の新作劇が南相馬市で上演される予定だったが、被害の告発を重く見た主催者は中止を決定。谷氏は自身のブログで、大内さんの主張は「事実無根および悪意のある誇張」とし、司法の場で争う方針を示している。 谷賢一氏はどのような人物か。本人のブログなどによると、郡山市生まれで、小学校入学前までを石川町で過ごし、千葉県柏市で育った。明治大学で演劇学を専攻し、英国に留学。2005年に劇団「DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)」を旗揚げした。大内さんが所属しているのがこの劇団だ。 自身のルーツが福島県で、父親は技術者として東京電力福島第一原発で働いていたという縁。さらに、原発の在り方に疑問を抱いていたことから、作品化を目指して2016年夏から取材を始めた。事故を起こした福島第一原発がある双葉町などを訪れ、2年の執筆と稽古を重ねて福島県と原発の歴史をテーマにした一連の舞台「福島三部作」に仕上げた。 作品は2019年に東京や大阪、いわき市で一挙上演。連日満員で、小劇場作品としては異例の1万人を動員した。その戯曲は20年に鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞を同時受賞した。谷氏が昨年10月に双葉町に移住したのは、何度も訪れるうちに愛着が湧き、放っておけなくなったからという。 性被害を受けた大内彩加さんは、飯舘村出身。南相馬市の原町高校2年生の時に東日本大震災・原発事故を経験した。放送部に所属し、避難先の群馬県の高校では朗読の全国大会に出場。卒業後は上京して芝居を学び、イベントの司会や舞台で活躍してきた。2015年からは故郷・飯館村をPRする「までい大使」を務めている。 大内彩加さん。「匿名では揉み消される」と、顔を出し実名で告発した。  大内さんが東京で活動しているころ、谷氏が福島三部作に出演する俳優を募集していると知った。故郷を離れても芝居を通して何かしら福島と関わりたいと思っていた大内さんはオーディションを受けた。 結果は合格。谷氏からは「いつか平田オリザさんと浜通りで演劇祭をやるからお前も手伝うんだぞ」と言われた。平田氏は、劇団「青年団」を主宰する劇作家・演出家だ。震災前からいわき市の高校で演劇指導をしてきた縁で、県立ふたば未来学園(広野町)でも講師を務めた。谷氏は青年団演出部に所属していた(今回の告発を受けて退団)。大内さんは、故郷の浜通りで著名な演劇人の関わるイベントに携わることを夢見た。 三部作の上演に向けて、谷氏が主宰する劇団での稽古が始まった。2018年6月、大内さんが都内で稽古に参加した時だ。谷氏が女性俳優の尻をやたらと触り、抱きついていた。周囲の劇団員は止めないし、何も言わなかった。 間もなく自分が標的になった。休憩に入ると、谷氏は大内さんに肩を揉むように言ってきた。従うと、谷氏は手を伸ばして大内さんの胸を触ってきたという。谷氏はその後もことあるごとに体を触ってきた。大内さんが言葉で拒絶しても、谷氏はやめなかった。 大内さんは「我慢すれば済むこと。三部作に関わるチャンスを逃したくない」と不快感を押し殺した。しかし、被害はエスカレートする。稽古終わりのある夜、谷氏は東京・池袋駅のホームで大内さんを羽交い絞めして服の上から胸を触ってきた。周りには人が大勢いた。大内さんは身長169㌢、谷氏は185㌢という体格差もあり抵抗できなかった。 「俺はお前の家に行く」  同年7月26日は都内で福島三部作の先行上演があった日だ。この日大内さんは谷氏から性被害を受ける。終演後の夜、大内さん、谷氏、出演した俳優たちの計5人で駒場東大前駅近くで飲んだ。男性俳優2人と女性俳優1人が先に帰った。谷氏と大内さんだけが残された。 谷氏は大内さんを羽交い絞めにして、服の中に手を入れて胸を揉んできたという。何度も抵抗したが、力の差は歴然だった。谷氏は「終電を逃したのでお前の家に行っていいか」と聞いてきた。大内さんは1人でホテルに泊まるか、自宅に帰ってほしいと頼んだが、谷氏は「妻には連絡した。俺はお前の家に行く」。タクシーに押し込まれ、自分の家に行かざるを得なくなった。 当時住んでいた家は1LDK。大内さんは、酒に酔っていた谷氏をベッドに寝かし、自分は床やリビングに逃げようとしたが抵抗はむなしかった。 翌日、大内さんは前日夜に飲み会に同席していた女性俳優にLINEでメッセージを送った(図)。動揺と谷氏への嫌悪感が見て取れる。 性被害を受けた翌日の2018年7月27日に、大内さんが女性俳優とやりとりしたLINEの画像。セクハラの証拠となる他のLINE画像は、昨年12月24日配信の「NEWSポストセブン」が公開している。  「彼女も谷からパワーハラスメントを受けていました。2人で傷をなめ合うことしかできなかった」(大内さん) 正式に劇団に籍を置いてからも被害は続いた。大内さんに交際相手がいると知れ渡る2021年3月まで谷氏は胸や尻を触る行為をやめず、LINEではセクハラメッセージを送り続けた。 大内さんは何もしなかったわけではない。劇団内で解決しようと、古参の劇団員にレイプ被害を打ち明けた。だが、答えは 「大内よりも酷い目に遭ったやつはいっぱいいたからな。それで辞めていった女の子はたくさんいたよ」 谷氏の振る舞いは、古参劇団員も目撃しているはずだった。 「性暴力は、この劇団では当たり前のことなんだ、誰も助けてくれないんだと絶望しました」(大内さん) 2022年春頃、大内さんは稽古中も、街中で1人でいる時も訳もなく涙が出てきた。何を食べても味を感じないし、芝居を見ても本を読んでも頭に入ってこない。歩けずに過呼吸になったこともあった。間もなく舞台から離れた。 同年5月ごろ、谷氏は劇団内でハラスメント防止講習を行い、「ハラスメントを許さないという姿勢を外部に表明しよう」と提案した。「劇団内でハラスメントがあったから対策をするんですよね」。谷氏のこれまでの所業を暗にとがめる劇団員の質問に、谷氏は「してきたわけではない」と否定。ただ「決して品行方正な劇団ではないが、何も言わずには済まないだろう」と言った。大内さんは傍で聞いていた。 心身は限界だった。心療内科で同年6月にうつ病と診断された。「私はいつもの状態ではなかったんだ」。病名を与えられて初めて、自分を客観的に眺めることができた。 「死を選んだら谷に殺されたのと同じだよ」  被害に向き合うと、あの日の光景がフラッシュバックする。苦痛から逃れるために「死にたい」と思う希死念慮にさいなまれた。 劇団から距離を置いたことで、少しずつだが被害を友人たちに打ち明けられるようになった。年上のある女性俳優は大内さんにこう言った。 「いま死を選んだら『自殺』ではなく『他殺』だよ。谷に殺されたのと同じ。彩加ちゃんは毎日眠れなくて、苦しくて、辛い思いを何度もしてきたんでしょ。それなら谷にも同じ気持ちを味わわせなきゃ。裁判でも何でもいいから形にして社会に訴えて、これ以上被害者を出さないこと。そうしないと彩加ちゃんはきっとこれからも苦しみ続けるよ」 原町高校時代の友人は、普段の温厚さからは想像できない怒りようだった。 「谷には早く福島から出て行ってほしい。こんなこと、あってはいけない」。そして、「彩加は全然悪くない」と言ってくれた。 「私は怒っていいんだ」。我慢することばかりで、自分の感情にふたをしていた。友人たちが自分の身に起こったことのように憤ってくれたことで、大内さんは怒りの感情を少しずつ取り戻していった。 性被害を告白できるまでには4年かかった。弁護士からは、刑事告訴するには時間が経っているため立証が難しく、時効も高い壁になるだろうと言われた。民事で損害賠償を求める選択しかなかった。 提訴は2022年11月24日付。判断を法廷に託したのは、演劇界で性暴力、パワハラなどあらゆるハラスメントが横行している現状を見過ごされないように広く訴えるためだ。 同年9月には、別の劇団の男性が自死したと聞いた。ハラスメントとの因果関係は不明だが、主宰者から何らかの被害を受けて退団したという話は耳にしていた。 「男性が亡くなったと聞いた時、なんでもっと早く私自身の被害を明らかにしなかったんだろうと悔やみました。同じ境遇の人が他にもいると彼が知っていたら、『自分だけじゃない』と自死を踏みとどまったかもしれない。提訴しなければならないと決意したのは、彼の死を知ったからです」(大内さん) 「性暴力は福島県でも起こりうる」  提訴は、谷氏の所業を福島県民に知らせ、移住先での新たな被害を防ぐ狙いもあった。性暴力は稽古場や谷氏が酒に酔った際に起きている。谷氏は双葉町で一人暮らしをしていた。移住先では自宅で稽古を付け、酒宴を開くこともあると知り、「劇団員にしてきたことが福島でも起こりうる」と大内さんは恐れた。 大内さんは東京地裁で1月16日に開かれた裁判の第1回期日に出廷し、閉廷後に記者団の取材に応じた。法廷に谷氏の姿はなかった。 本誌は谷氏にメールで質問状を送り取材を依頼した。「訴訟代理人を通してほしい」とのことだったので、谷氏の弁護士に質問状を郵送したが、期限までに返答はなかった。 谷氏は福島県で何をしようとしていたのか。公開資料を読み解く。 谷氏は昨年9月16日に「一般社団法人ENGEKI BASE」を設立している。法人登記簿によると、主たる事務所はJR双葉駅西側に隣接する帰還者用の住宅。谷氏の新居だ。代表理事に谷賢一、他の理事に大原研二、山口ひろみの名がある。大原氏は南相馬市出身の俳優で、福島三部作では大内さんと一緒に方言指導を務めた。被害告発後には、谷氏が主宰する劇団を退団したと発表している。 同法人は演劇を主とした文化芸術の発信・交流による福島県の地域活性を事業目的とし、「演劇・舞踊などの舞台芸術作品の創作・発信」「アーティストの招聘」「演劇事業の制作」を掲げている。現在、ホームページが閲覧できず、谷氏の回答も得られていないため全容を知ることはできないが、谷氏はこの法人を軸に福島県での活動を描いていたようだ。 実際、1月20~22日に富岡町で開かれた「富岡演劇祭」(NPO法人富岡町3・11を語る会主催)では、当初協力団体に名を連ね、谷氏はシンポジウムで前出・平田オリザ氏と対談する予定だった。テーマも「演劇は町をゲンキにできるか?」。双葉町へ移住した谷氏あっての企画だ。しかし、大内さんの被害告発を受け、主催者は谷氏との断絶を宣言し、シンポの「代打」には文化庁次長や富岡町職員ら3人を当てた。谷氏が所属していた劇団青年団主宰の平田氏も登壇したが、本来の対談相手がいなくなったことに言及する者は誰もいなかった。 谷氏の「裏の顔」は演劇界以外には知られていなかったので、内情に疎い県民が「被災地を応援してくれている」ともてはやしていたのは仕方がない。問題は、谷氏とまるで関係がなかったかのように取り繕うことだ。 最たる例が地元紙だ。帰還地域に移住した著名人だったこともあり、初めは「再起した双葉から、新たな物語が始まろうとしている」(22年10月9日付福島民友)などと盛んにPRした。ところが大内さんが性被害を公表すると、福島民報も福島民友もばつの悪さからか関連記事は共同通信の配信で済ませている。独自取材をする気配はない。メディアが報じるのに及び腰のため、ネットでは憶測を呼び、当事者はバッシングなどの二次被害を受けている状況だ。 谷氏は口を閉ざすが、大内さんはあらゆるメディアの取材に応じる方針だ。だが、地元メディアは積極的に取り上げようとしない。福島県出身の被害者の真意が県民に伝わらないのは、この県の悲劇である。 その後 https://twitter.com/o_saika/status/1630131447188303873 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635965899386793984 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635966118958620672 あわせて読みたい 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 セクハラの舞台となった陸上自衛隊郡山駐屯地【五ノ井里奈さん】 生業訴訟を牽引した弁護士の「裏の顔」【馬奈木厳太郎】

  • 一人親方潰しの消費税インボイス

    一人親方潰しの消費税インボイス

     今年10月から「インボイス制度」が始まり、年間の売り上げが1000万円以下の事業者は収入減の危機に瀕している。影響を受けるのは、地方では大工などの「一人親方」、都市部ではフリーライターや個人タクシーなど。制度が始まると収入減に加え事務負担も増えるため、高齢の一人親方は廃業を検討する人も多い。県内の商工団体からは、政府に対し制度の検証を求める声が上がっている。(小池) 収入減迫られ廃業考える事業者も  インボイス(適格申請書)とは、売り手が買い手に対し料金に消費税が含まれていることを証明する書類のことだ。消費税を納めている「課税事業者」でないと発行できない。インボイス制度は2019年の消費税10%増税と軽減税率が始まった際、「消費税の複数税率制度下において適正な課税を確保するため」という理由で導入が決められた。  それでは、なぜ制度導入で売り上げ1000万円以下の事業者は収入減になるのか。それを知るには消費税の納め方を説明する必要がある。財務省ホームページに掲載されている図を使う(図)。  消費税は物やサービスの「取引」にかかる税金。消費者は、消費税を「負担」、つまり商品本体価格に上乗せされた分を払ってはいるが、納める手続きはしていない。手続きは納税義務者に当たる「課税事業者」が行っている。図で言うと小売業者の服屋、卸売業者、服の製造業者だ。  各事業者の下部に記された金額は、売り上げに課された「仕入税額控除」前の納税額を表している。合計すると2200円となり、消費者が負担した1000円を超える。重複して課税が行われていることになる。  重複課税を防ぐため、課税事業者は前述の控除を行っている。インボイス制度下では、制度への登録申請を行った業者(=課税事業者)が発行するものしか「インボイス」と認められず、これがなければ仕入税額控除が原則受けられなくなる。  既に課税事業者の場合は、登録すれば済む話だ。問題は、仕入れ先が年間の売り上げ1000万円以下の「免税事業者」である場合だ。  免税事業者は消費税を納めていないので、仕入税額控除もこれまで必要なかった。だが、自分の商品・サービスの買い手である発注元がインボイスを求めてきたら対応を迫られる。取る道は二つある。  ①消費税免税の権利を放棄して課税事業者となりインボイスを発行。売り上げの消費税を新たに払う。  ②免税事業者のままでいて、料金を値下げする。値下げした分を発注元が納める。  ①も②も免税事業者の自腹分が増え、収入が減る。身近な例で言うとハウスメーカー(課税事業者)と一人親方(免税事業者)の関係がなじみ深いだろう。  顧客がマイホーム建築をハウスメーカーに依頼。メーカーは大工、内装業者、電気設備業者、左官業などの一人親方に仕事を発注する。ハウスメーカーからすると、一人親方の中にインボイス発行事業者(=課税事業者)とインボイスが発行できない事業者(=免税事業者)が混在すると面倒だ。インボイスはそもそも仕入税額控除を受けるための証明書だから、全ての一人親方に発行を要求する流れになる。  県内でも、一人親方にそれとなく課税事業者に移行するよう促す動きがあるようだ。ある商工団体の職員はこう話す。  「『元請から課税事業者に登録するつもりかどうか聞くアンケートが来た』という相談が一人親方から多数寄せられています。(昨年)11月までに回答してほしいという要望もあったそうです」  なぜ「つもりかどうか」などとまどろっこしい聞き方をするのか。それは「課税事業者になってほしい」と一方的に言うと、元請と下請という上下関係下での要求から、独占禁止法の「優越的地位の乱用」に当たる恐れがあるからだ。強気な一人親方でなければ、元請の言外の意味をくみ取って「登録する」に〇をつけるだろう。  一人親方らが加盟する全国建設労働組合総連合と一般財団法人建設経済研究所は、昨年9~10月にかけてインボイス制度に関するアンケートを行った。その中の「取引している上位企業から、あなたが『課税事業者と免税事業者のどちらなのか』をアンケートや口頭などで聞かれたことがあるか」との設問には16・1%(305人)が「ある」と答え、残り83・9%(1591人)が「ない」と答えた。  県内のハウスメーカー社長も「一人親方との取引はありますが、インボイス制度は周知していません。対応もまだ決めていない。何しろ理解が追いついていなくて」と言う。  社長のコメントを裏付けるように、民間信用調査会社の東京商工リサーチが昨年12月上旬に全国の企業に行ったアンケートでは、インボイス制度に登録しない免税事業者との取引について、「検討中」が46・7%で最多だった。以下「これまで通り」40・3%、「取引しない」10・2%、「取引価格を引き下げる」2・7%。免税事業者に負担を強いる「取引しない」「取引価格引き下げ」が、前回の8月調査と比べて0・4~0・6㌽上昇とジワリ増えているという。  調査対象の大企業(602社)、中小企業(3808社)別では、「取引しない」が大企業で5・8%、中小企業で10・9%。中小企業の方がよりシビアに判断している。現時点で「検討中」の前出・ハウスメーカー社長も、一人親方にインボイスを要求する可能性が高いだろう。 複雑な税制が現場に負担  一人親方に限らず個人事業者は、価格交渉で不利な立場に置かれる。免税事業者は、消費税の価格転嫁分を自分の利益にする「益税」が認められてきたとされるが、上下関係がある中、果たしてその分の料金を上げることは実際にできたのか。下請事業者が多数あれば競争が生まれ、企業は「値下げがないなら取引しない」と言える立場にある。結果、価格は下に振れる。インボイス制度導入は「益税」を税収に変える狙いもあるが、そもそも、その恩恵を零細事業者がこれまで受けてきたかどうかは検証が必要だ。  インボイス制度導入で一人親方の収入が減ることは分かった。だが商工団体に寄せられる相談を聞くと、そもそも分かりにくい制度であることが問題のようだ。前出の商工団体職員は、理解できずに判断を決めかねている一人親方が多いことを指摘する。  「複雑すぎて分からないので『自分1人では商売ができない』と悩む一人親方がほとんどです。皆さん、腕一つで稼いできた職人です。経費も掛からず、売り上げ=収入の仕事のため、免税事業者として過ごしてきました。これまでやってきた税の計算は所得税ぐらい。我々だって制度を理解するのに一苦労しました。それを、なじみのない人にゼロから説明するとなると相当ハードルが高い。『損得がどうなるのか、はっきり教えて』と言われるけど、人によって条件が違うから一般論でしか話せません」  筆者も昨年12月に相馬税務署で開かれた説明会に参加したが、出席者に冊子が配られ、それを読み上げただけで具体例の説明はなかった。 相馬税務署での説明会  実際、出席者に制度を理解できた様子はなく、職員に個別相談を申し込む人もいた。今後、税務署の負担が増えそうだ。  インボイス制度で課税事業者になるかどうかは、あくまでも任意だ。「あなたが得な方を選んで」という政府の方針は聞こえはいいが、現実は零細事業者に課税事業者になることを強いるつくりになっている。商工団体や一人親方など現場に丸投げしているとしか言いようがなく、制度の導入自体が拙速だ。  県内のある税理士も制度上不備があると指摘する。  「事務手続きなど手間は相当かかります。猶予期間中は複数の書類が併存することになる。インボイスは軽減税率に伴う制度ですが、世界を見渡すと、軽減税率自体が非効率的だからやめる流れになっています」  「日本の場合、法律をいくつもつくって複雑になっています。インボイス導入と猶予期間、さらに影響がないように軽減措置というように、制度をつくった財務省ですら複雑すぎて訳が分からなくなっているのではないでしょうか。複雑な仕組みを未だにアナログな日本で進めようとしているから無理が生じている」  「結局、制度をつくっても検証しきれてないことが問題です。本当はもっと単純にして分かり易くした方が、社会的には効率的で平等になるのではないでしょうか。複雑にすればするほど、理解が追いつかない人は置いてけぼりで損をしてしまう」  一人親方は、まさに置いてけぼりだ。この税理士によると、売り上げ1000万円以下の事業者が課税事業者になると、新たな消費税負担は10万円単位になるという。 廃業の一要因に  自民・公明両党は昨年12月、2023年度の与党税制大綱にインボイス制度導入時の軽減策を盛り込んだ。免税事業者が新たに課税事業者になる場合、3年間は納税額を客から受け取った消費税の2割とし、本来の納税額より少なくする。売り上げが1億円以下の事業者を対象に、1万円未満の仕入れはインボイスを不要とし、事務負担を少なくする。  日本商工会議所(日商)の小林健会頭は、軽減策を受けて「真に負担軽減に資するかを検証し、必要に応じて制度改善を行うとともに、免税事業者等に対する政府広報を徹底し、事業者の混乱防止に全力を尽くしていただきたい」とコメントしている。日商は昨年9月、インボイス制度について①政府による十分な検証、②普及・周知の徹底、③影響最小策の検討、④検証と実態を踏まえ制度導入時期の延期を求めていたが、③が認められた形だ。  筆者は県内の10商工会議所に、インボイス制度について会員事業所からどのような相談が寄せられているか聞き取り調査をした。  「制度が分からない」「複雑で下請に理解してもらうのが難しい」はこれまでの事例の通り。インボイス制度自体の影響は未知数だが、原料が高騰しても価格転嫁できない状況がある中で「消費税負担が生じると厳しい」と、業績悪化の要因の一つに挙げる意見があった。中でも目を引いたのが「高齢化が進む零細事業者は制度を契機に廃業が進むのでは」という懸念だ。  個人事業主が多く加盟する民主商工会(民商)では既に現実になっているという。福島市、伊達市、伊達郡を管轄する福島民主商工会(会員約130人)は60~70代が中心。最も多い業種は建設関連業40~50人で全会員の約3割を占める。  内訳は大工、電気・水道などの設備工事業、サッシ業、左官業、塗装業、板金業、内装リフォーム業、建具業など。ハウスメーカーの発注を受けている一人親方だ。  「収入は減っても免税事業者にならなければ仕事がもらえない。『どうすっぺな』と悩む一方、高齢になったのでこれを機にやめるという人もいます」(福島民商の担当者) 将来の芽を摘み取る  インボイス制度で収入が減るのは主に企業にサービスを売るフリーランスの事業者だ。ライターや俳優など表現活動を生業とする人や個人タクシーなど、都市部で見られる仕事が多い。一方、地方の福島県で収入が減るのは、ほとんどが建設業に従事する一人親方だ。  複雑な制度を前に、みんな右往左往している。当事者であるにもかかわらず、問題の根本が分からないまま決断を迫られている。  とりわけ一人親方は、よく分からないので元請のハウスメーカーに一任している状況だ。結果、課税事業者となり収入が減ることになる。前出の商工団体職員が建設業界の事情を話す。  「建設業の中で、一人親方は『調整弁』の役割を果たしている。工事を早く終えるには多くの従業員が必要だが、常に同じだけの仕事量があるとは限らない。暇な時に従業員を抱えるのは経営上のリスクになる。最低限の従業員を抱え、忙しい時に一人親方に外注するのが発注元の効率的なやり方です」  「税制上のメリットもあります。従業員への給料は仕入税額控除ができないが、一人親方への外注は、実態は『給料』でも名目は『取引』なので消費税が課され、控除が可能なのです」  一人親方にとっても悪い仕組みではないという。  「特定のメーカーに縛られず、多方面から仕事を受けられます。個々の取引の売り上げは少額でも、受注数を増やして収入を確保する。建設業界はこうしたバランスで成り立っています」(同)  建設現場では世界的な原料不足で資材が高騰している。人手不足も恒常化している。そうした中で、インボイス制度を契機に「調整弁」である一人親方の廃業が増えたら、業界にとっては大きな痛手だ。福島県は建設業者が多く、地域経済の担い手でもある。一人親方とはいえ事業者が減ることになれば、経済の沈下はますます進むだろう。  「だからこそ、開始時期は10月に迫っているが制度の検証が必要なんだと思います。政府には再考を求めたい」(同)  政府はフリーランスのような多様な働き方を勧めているが、インボイス制度はこれら事業者の収入を減らす。やることが逆行している。政府は起業も支援しているが、これも制度によって阻まれる。今ある企業も設立当初は、軌道に乗るまで売り上げが少なかったはず。制度は、そのような新参者にも容赦なく消費税を課す。成長の芽を摘み取ることにならないか。食べていける収入を確保できなければ、チャレンジしようとする人が出てこなくなってしまう。  政府は地域を支える零細事業者の存続や新規事業者の参入よりも、インボイス制度導入による実質増税という目先の利益を選んだ。悪いことに、復興特別所得税の防衛費流用も強行する。少子高齢社会の中、「日本に将来性はない」と税制が自ら証明しているようなものだ。

  • 前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

     会津若松市で認定こども園を運営する学校法人中沢学園の前理事長、中澤剛氏(89)が理事長時代に女性職員にわいせつ行為をした疑惑が同学園を悩ませている。女性は2014年、日曜日に理事長室に業務で呼び出され被害を受けたと主張。報復を恐れて、退職が決まった今春まで職場に報告できなかったという。現理事長が謝罪の場を設定するも、中澤氏はわいせつ行為を明確に認めず、「不快な思いをさせたこと」についてのみ謝罪。後日、筆者の取材に中澤氏は「わいせつ行為について謝れとは言われていない」とAさんから謝罪要求があったことすら否定。整合性が取れなくなっている。(小池航) 整合取れない「謝罪はするが否認」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  今年3月に学校法人中沢学園(会津若松市湯川町)を退職した元職員Aさんは、食器を洗ったり雑巾を掛けたりする時に上着の袖をまくると、「気持ち悪い」と嫌な光景を思い出してしまうという。「不快な棒状の物体」を押し付けられたという左肘の前腕側を見つめる。 「私は2014年、中沢学園の理事長だった中澤剛氏に、会津若葉幼稚園にある理事長室とその応接スペースでわいせつな行為をされました。報復を恐れて長らく学園には相談できませんでした。怒りは収まらず退職時に職場に伝え、謝罪を要求しましたが、中澤氏は明確に認めません。学園もなかったことにしようとしています」(Aさん) 中澤氏は1983年に中沢学園の第2代理事長に就任し、昨年まで務めた。その後は理事(昨年11月時点)。同学園は戦後に中澤氏の両親が市内に創設した女子向けの会津高等洋裁学院が前身で、1965年に幼稚園を開園。1974年に学校法人化し、現在は幼稚園や保育園機能を備えた認定こども園3園を市内で運営する。   中澤氏は1934(昭和9)年生まれ。会津高校、千葉大学文理学部を卒業し、国立精神衛生研究所で研修。中沢学園では前身の会津高等洋裁学院時代から講師として教え、両親の跡を継いだ。(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』、同学園、2020年より)。全私学連合理事や一般社団法人福島県精神保健協会常任理事などを歴任。会津若松南ロータリークラブの役員を務めるなど地元の名士でもある。 「『立派な人物』と思っていただけにわいせつ行為を受けた時は事態を呑み込めませんでした。『魔が差したのでは』とさえ思ってしまった。その後、中澤氏からは怒鳴られるなどのパワーハラスメントを受けるようになり、我慢の限界でした。2017年3月から18年3月には、中澤氏がした行為が強制わいせつ罪に当たるのではないかと会津若松署に相談しましたが、時間が経ち物証が不十分なことから、被害届の提出には至りませんでした」(Aさん) 強制わいせつ罪(現不同意わいせつ罪)の法定刑は6カ月以上、10年以下の懲役。時効は7年のため、いずれにせよ9年前の疑惑は罪に問えない。ちなみに今年7月13日に施行された刑法改正で、不同意わいせつ罪の時効は12年に延長されている。 会津若松市在住のAさんは、高校卒業後から経理畑を歩んできた。2013年に転職を考え、ハローワークに行ったところ、中沢学園が経理のできる事務職員を求人していることを知り応募。試験や面接を経て、同10月に採用された。 中澤氏から理事長室の書類の片付けを頼まれたのは、採用から半年経った翌14年のことだった。中澤氏は当時79歳、Aさんは51歳だった。日曜日に理事長室がある会津若葉幼稚園に来るように言われたという。 Aさんが主張する被害は9年前の出来事だ。残っている記録に基づいて話したいと、Aさんは中澤氏に頼まれた仕事のために購入した文書保存箱の領収書2枚のコピーと、2014年のカレンダー(資料1)を筆者に示した。カレンダーには、Aさんが中澤氏から仕事で呼ばれたと主張する日曜日にマルが付いている。同僚に被害を話した年に印刷した「2020年10月10日」という印刷日も記されている。 (資料1)Aさんが、自身が主張する性被害を受けた日を特定するために印刷した2014年のカレンダー。思い当たる日にマルを付けた。右下に「2020年10月10日」に印刷したことを示す印字がある。(重要部分を切り取り拡大) 日にち特定の鍵となる領収書  「仕事は2014年3、4月の2回に渡って頼まれました。わいせつ行為を受けたのは2回目の日です。4月27日だったと記憶しています。被害を受けた後、『もうすぐ大型連休になるから中澤氏と顔を合わせずに済む』と思ったのを覚えているからです」(Aさん) 文書保存箱の購入場所はいずれも市内の同じホームセンター。領収書の日付は、1枚が出勤日の3月22日(土)。もう1枚が4月16日(水)。Aさんの記憶通りとすると、2回目の購入から11日後に被害に遭ったということだ。 Aさんによると、1度目も2度目も、下はジーンズ、上は長袖のTシャツ、エプロン、カーディガンの順に重ね着して出勤したという。 仕事は、理事長室の本棚から書類を取り出し、中澤氏の指示で整理することだった。1回だけでは終わらず次回も来てほしいと頼まれたという。そして2回目の日曜日、Aさんは2階の理事長室に上がって前回の作業の続きをした。   1回目は、中澤氏が横にいて話しかけてきたが、2回目は、作業するAさんの隣にはあまりいなかったという。Aさんによると、作業開始からそれほど経たないうちに、姿を消していた中澤氏が様子を見にきた。「少し休憩したらどうだ」という趣旨のことを言ってきたので作業の手を止めたという。すると、 「前方から急に距離を詰め、私の顔に近づいてきました。とっさに避けようとしましたが、口元にキスされました。その後、両手が動かせなくなりました。気づいたら背中を床に押し付けられ、私の両手は手首の辺りで交差され、頭の上で掴まれていました」(Aさん) Aさんが背中を床に押し付けられたと主張するのは、帰宅後、カーディガンを脱いだら背中の部分に埃が付いていたからだという。 「中澤氏はクロスさせた私の両手を片手で掴み、もう一方の手でシャツの裾を上にまくり上げました。シャツの下はブラジャーだけを身に着けていました。中澤氏は胸の辺りを舐めてきました」(Aさん) ジーンズをまさぐり、下着の中にまで手を入れてくるように感じたので、下半身をよじりながら「すいません、すいません」と叫んだというAさん。何をされるのか怖くて、怒らせないようにとの思いがあったという。 「中澤氏は行為をやめ、話題を変えるかのように応接スペースにあるソファに誘導しました。私は促されるままに移動しました。3人掛けのソファに座るように言われ、右端に座りました。目の前のテーブルにはノートパソコンが置かれていました。ソファの真ん中の席には緑色の手提げ袋がありました。中澤氏は左端に座り、パソコンの画面を見るように言いました。画面には『!』マークが表示され、警告を示しているようで、パソコンの状態について何か答えなければならないのだろうかと思い、私はそれをよく見ようと身を乗り出しました」 Aさんは一呼吸置き話を続けた。 「左腕に湿った物がぺちょぺちょと複数回触れる感触がありました。1度横を見ましたが正体は分かりませんでした。もう1度見たら棒状の物体でした。ビニールのような、プラスチックのような感触と、この直前に既にわいせつ行為をされていたことから、押し付けられたのは男性器を象った性具だと思いました。冷たくて湿り気があったことからローションが塗られていたのではないでしょうか」 驚いて席を立ったAさん。「私、帰ります」。Aさんは、この場にいたらこれ以上何をされるか怖くて、逃げるように部屋を出たという。 中澤氏の謝罪は「あなたに対して」 中澤氏からわいせつ行為を受けたと主張するAさん  Aさんは今年2月中旬、定年を迎えて再雇用になるのを機に退職を申請した。中澤氏から受けたという性加害を最終出勤日の同月末に上司に報告した。「職場に伝えるのは辞める時」と心に決めていたという。3月12日に現理事長の中澤幸恵氏が中澤氏からAさんへの謝罪の場を設けた。 謝罪の場にはAさんと中澤氏、中澤幸恵理事長、上司の計4人。中澤氏は理事長室を片付けるため、Aさんに手伝うよう要請したことを認めた。ただし「仕事を頼んだのが土曜か日曜かは分からない」と言い、わいせつ行為は「記憶がない」と否認した。何に対しての謝罪か曖昧にしたまま「申し訳ない」と口にしたという。 中澤氏は、わいせつ行為に話題が及ぶ前に、Aさんが再雇用の条件で学園側と折り合えず退職に至ったことを、時間を割いて話していた。しかしAさんは、謝罪が円満退職できなかったことに対してではなく、わいせつ行為に対するものだと明確にするため、「謝罪は『中澤氏がした行為』に対してか」と聞いた。すると、中澤氏は「あなたに対してです」。一方で「行為に対する謝罪はあり得ない」と言ったという。 Aさんによると、中澤幸恵理事長も中澤氏の言動に納得できていない様子だったという。幸恵氏は中澤氏の息子の妻で、昨年理事長に就任したばかりだ。幸恵理事長は、義父に対して慎重に言葉を選び、「何もなかったらこの謝罪の場は成立していない。なぜ剛前理事長がこの場に来ることを受け入れたのか、私には理解できません」と言った。中澤氏は「嫌な思いをさせたことについては大変申し訳ないということです」と答えたものの「嫌な思い」が何を指すかは明確にせず、わいせつ行為は「記憶にない」と再び否定した。 その後も、Aさんと幸恵理事長による中澤氏への問いかけは続いた。中澤氏はAさんに「あなたの記憶通りに認めないと謝罪に入らないということでしょうか」と聞いた。 Aさんは「あなたが私にした行為について謝ってくれなければ納得いきません」と答えた。 すると、中澤氏は「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」。その後、「後になってあれもある、これもあるって言われたら困っちゃうんだよな」などと付け足したという。 Aさんは中澤氏の言動に接し「その場を取り繕うために言ったこと。謝罪とは言えない」と思った。 中澤氏がわいせつ行為を明確に認めなかったため、Aさんと中沢学園は和解に至らなかった。 進展を図るため、Aさんは行政を関与させようと会津労働基準監督署に相談した。担当が福島労働局に移り、「紛争を起こさないと行政は調停に動けない」と言われたので、Aさんは4月12日付で、①中澤氏によるわいせつ行為とパワハラへの慰謝料、②提示された再雇用契約で働いた場合に減額される給与分を損害金として中沢学園に請求した。同局はAさんの調停申請を受理したが、同学園は応じず打ち切られた。 筆者が中澤氏に取材を申し込むと、7月15日に面談に応じた。 「誰もいない日曜」か「開園中の土曜」か 認定こども園 会津若葉幼稚園  中澤氏は、わいせつ行為は否定したが、書類整理を手伝うようAさんに依頼したことは認めた。ただし、それは1度だけという。さらに、 「私が手伝いをお願いしたのは土曜日です。園は土曜日はやっています。Aさんは、園に誰もいない日曜日に私が呼び出したと印象付けたいようですが、違います」(中澤氏) 中澤氏によると、Aさんの服装はブラウスにスカートだったという。「ひらひらした格好では仕事にならないからすぐに帰した」とも。一方は「園に誰もいない日曜」、もう一方は「開園して周囲の目がある土曜」。主張は真っ向から対立する。 ただ、中澤氏は3月12日の幸恵理事長を交えた面談で「土曜か日曜かは記憶にない」と答えていた。なぜ手伝いを依頼したのは土曜日と思い出したのか。面談から1週間後の7月22日、中澤氏から筆者に電話が掛かってきた。Aさんが再雇用時の給与に満足せず退職し、学園に慰謝料と損害金を求めていると言い、「もともと問題にしていたのは再雇用で、性被害は後から言い出した」と伝えたかったようだ。筆者はこのやりとりの際に、手伝いを依頼したのが土曜日と思い出した理由を尋ねた。 中澤氏は「Aさんが言った日にちを見たら土曜日になっていたからです」。 Aさんに確認すると、 「3月12日の面談の前に、被害を受けた日を記したカレンダーを上司に見せました。上司は幸恵理事長たちに見せるためにコピーを取りました」 2020年、Aさんが被害を同僚に告白した年に印刷した前出資料1のことだ。Aさんが被害に遭ったと考える日にマルが付けられており、それによると全て日曜日になっている。土曜日にマルを付けた形跡はどこにもない。 「土曜日に被害を受けたなんて私は今まで一度も言っていません。そもそも私は、日曜日に手伝いを頼まれたという記憶を基に被害を受けた日付を特定しています」(Aさん) 中澤氏が言うように、Aさんが被害に遭ったとする日が後で土曜日だと思い出すには、Aさんが「被害を受けたのは〇月×日」と、曜日に関係なく日付のみを特定していなければ導き出せないことを意味する。 中澤氏は7月22日の電話で「Aさんはあなたにわいせつ行為への謝罪を求めたのか」との筆者の問いに、「求められていない」とも言った。だとすると、Aさんが筆者に中澤氏による性加害を訴えたことも、幸恵理事長がAさんの申告を受けて3月12日に謝罪の場を設定したことも成り立たなくなる。 あの日はいったい、何に対する謝罪の場だったのか。同席した幸恵理事長に7項目にわたる質問状を送ったところ、7月25日にファクスで回答が届いた。うち、幸恵理事長にAさんと中澤氏、双方の主張をどう捉えるかを聞いた二つの質問に対する回答を吟味する。 幸恵理事長は、Aさんの被害を受けたという主張と、中澤氏の否定する話しか判断材料がないとし、「学園として『有った、無かった』と断定することはできず、司法判断に委ねるしか無いというのが基調認識(原文ママ)です」と前置きした。 一つ目の「幸恵理事長が中澤氏がわいせつ行為をしたと考え、謝罪を求めたということか」との質問には「Aさん(※筆者注:回答では実名)の剣幕は、そこにいるのがいたたまれないほどのもので、前理事長に対して悪感情を有している事は間違い無く、その悪感情を少しでも和らげる必要を感じました。その必要性から、敢えてAさんには寄り添い、義父である前理事長には突き放した態度で臨むことでフェア対応を心掛けました」と答えた。 Aさんと中澤氏では、わいせつ行為があったかどうかの認識に食い違いが生じていることから、筆者は二つ目の質問で「わいせつ行為については、Aさんと中澤氏のどちらかが虚偽の発言をしている、または記憶があいまいで正確でないということが言える。幸恵理事長はどちらの発言がより整合性があると考えるか」と尋ねた。 幸恵理事長は「基本認識(原文ママ)により優劣をつけることは出来ませんが、セクハラ行為があったとされる2014年から既に9年が経過した中で突然出て来たこと、そのタイミングがAさんに対して定年退職後の再雇用条件を通達した直後であること、Aさんが再雇用条件に相当不満をもっていたこと等を考慮すると、Aさんが学園に対する不満を抱いてセクハラの話をしてきたとの可能性は捨てきれないと感じます」と答えた(傍線は筆者注)。 筆者の質問の意図は傍線部分を聞くことであったが、寄せられた回答はそれ以降の文章の方が長い。幸恵理事長は中澤氏の主張と同様に、Aさんが再雇用の条件に不満を持っていたから過去のわいせつ行為を持ち出したと言いたいようだ。 理事長「膝をガーンとやればよかったね」  Aさんは、幸恵理事長に被害の状況を報告した際、無理解な発言をされ傷付いたと語っている。Aさんによると、幸恵理事長は蹴る動作をしながら「その時、膝をガーンとやればよかったね」と言ったという。 「幸恵理事長は従業員の弱い立場を全く理解していません。学園トップの中澤氏を蹴るなんてできるはずがありません。彼にとって不都合なことを学園に報告したら、報復として不利益な待遇を受け、退職を強いられるのではないかと恐れていました。私は50代で採用されて半年後に被害を受けました。辞める覚悟で被害を報告するか、心の奥にしまって何事もなかったかのように仕事を続けるかを迫られていたんです」(Aさん) 幸恵理事長が「Aさんは再雇用条件への不満からセクハラの話をしてきた可能性は捨てきれないと感じる」と回答したことは、相談体制の不備を棚に上げ、すぐに報告しなかったAさんに責任を押し付けているように聞こえる。 中澤氏は、一度はAさんに謝罪したが、わいせつ行為は明確に認めていない。3月12日時点では、性被害を訴えるAさんのみならず、幸恵理事長も中澤氏の真意が分からず戸惑いを示した。被害を訴える人を突き放すような幸恵理事長の回答は、Aさんにとって解決が遠のいたと映るだろう。 筆者は質問状で「Aさんが中澤氏からのわいせつ行為を訴えたことについて、保護者達に報告するか。または既にしたか」と尋ねた。幸恵理事長は「学園が対応すべき時が来た時に、報告しようと考えております」と答えたが、対応すべき時はいまではないか。 その後 中沢学園は7月28日、代理人弁護士を通じて本記事の掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てたと本誌に通知してきた。 審尋を経て、中沢学園は申し立てを取り下げた。 詳細は9月号で報じる。

  • コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

     5月に新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが5類に引き下げられ、夜の飲食街は感染収束ムードが漂う。だが、客の嗜好が「飲」から「食」に変化し、団体の2次会は望めない。夜の街調査4回目は6月3日土曜日に会津若松市を回った。 頼みの「無尽」は規模縮小 飲食店が入るパティオビル(会津若松市上町)=6月3日、午後10時35分  会津若松市は会津地方の消費都市の性格が強い。市内だけでなく近隣の喜多方市、猪苗代町はもちろん、遠方は南会津町などからも訪れる。そのため、市内人口に比して飲食店が多く、電話帳をベースに人口1000人当たりのスナック店数を調べたところ、県内主要4市では最も多かった(表1、表2)。 表1:県内人口上位4市のスナック店舗数 2023年5月1日推計人口(百人)2019年スナック数(店)2021年スナック数(店)減少率(%)いわき市3226273221▲19.0郡 山 市3222202159▲21.2福 島 市2763194145▲25.2会津若松市1133158124▲21.5 表2:県内人口上位4市の千人当たりスナック店舗数 2021年スナック店数人口千人当たり店数会津若松市1241.09いわき市2210.68福 島 市1450.52郡 山 市1590.49  「地理的に考えると、峠を越えてきた人たちが金を落とす一大消費地でした」とは市内のある飲食店経営者。 近代から戦後にかけては、猪苗代湖の水力発電で得た安価な電力を背景に産業が集積した。 あるスナックのママが40年前をしのぶ。 「富士通の工場があったころは関係者がよく飲みに来ました」 眠らない街の光景が、いまも目に焼き付いている。 「1980年代の話です。私の店は深夜1時に閉めますが、帰りのタクシーが拾えないほど。2時3時になってもタクシー待ちの行列です。お店はほとんど閉まっているのにどこに人がいたのかと思うくらいの数。『この人たち、明日は仕事だろうに大丈夫なのかな』と心配でしたね。金曜、土曜ではなく平日の話です。いい時代でしたよね……。いまですか? 最悪ですよ」(前出のママ) 新型コロナの感染拡大以降は金、土曜日だけ営業してきた。4月ごろは週末に4、5人が来てくれて明るい兆しを感じたが、5月の大型連休は客の入りが鈍く、同月半ばからは確実に悪い。 「私1人でやっているので、若いお客さんは来ないでしょう。大型連休は、街は久しぶりに若者で賑わっていました。でも、若い人だって毎日は飲みに行かないでしょ。連日賑わっている店はないと思いますよ」(同) 賑わっているところはあるのか。店主たちに聞くと、「パティオビル周辺だけは人が大勢いる」という。パティオビル(地図参照)に入居するテナントはキャバクラやスナック、バー・クラブなど若年層向けの店が多い。 地図:会津若松市の飲食店街  ビルのきらびやかな照明が夜に浮かび上がる。エントランスに入ると、店の紹介映像が画面に流れていた。派手な光と音に包まれ、ここだけ別世界だ。エントランスの上部を見ると、天井の隅に張り付いてこちらをうかがう巨大なゴリラの模型と目が合った。 ビルの前では男女問わず若いグループが複数たむろし、解散するか次の店をどこにするかを話し合っていた。道を挟んで向かいにはコンビニがある。ビル内の店に入るかどうかは別として、人が集まるようだ。 パティオビルは、どの階もテナントで埋まっていた。家賃は階が違っても変わらないので、上階より人の往来がある1階が人気だ。最も賑わう同ビルでさえも移転か閉じた店があるが、入居者も同じ数だけあり、テナントの新陳代謝が起きている。 苦境に立つ老舗  これまでの夜の街調査でも指摘しているように、客が夜の飲食店に求めるものは「飲」から「食」に移ったが、客層も「老」から「若」に移行した。コロナ禍を機に老舗が閉店した。 50年来スナックを経営してきたマスターは、最近の客の一言にプライドを傷つけられた。 「初めて来た男性のお客さんでしたね。『女の子はいないの』と店内を見回しました。若い女性従業員をたくさん抱える店じゃないと知ると、『じゃあいい』とバタンとドアを閉めていきました。街やお客さんと共に私たち従業員も年を重ねてきました。お客さんの好みは理解しますが、入店をやめるにしてもスマートな去り方があるのではないか」 共に年齢を重ねてきた高齢の客は新型コロナに感染して重篤化するのを恐れ、外での飲食を控えるようになった。3年経てば「飲みに行かない」のが習慣となるが、それでも変わらず来てくれる常連もいる。「店を閉めて寂しいとは言われたくない」(マスター)。何より、長年働いてくれている高齢従業員の生活のために、わずかでも稼がなければならない。 会津若松の調査は、郡山(今年1月号)、福島(同5月号)、いわき(同6月号)に続き4回目となる。いままで3市の夜の街を調査してきたと店主らに話すと、よく聞いたのが「いわきはコロナでも賑わっているようだね」「実際に(いわきに)行った人から繁盛していると聞いた」と羨む声だった。 だが、それは幻想と言っていい。いわきでも土曜日にもかかわらず、団体の2次会需要はほとんどないため、夜10時以降閑散とするのは会津若松と変わらない。「食」がメインの店舗でも、売り上げがコロナ禍前の7割に戻っていれば良い方だ。店を開けるだけでは2次会の客が来ることは期待できず、多くの老舗が客の行動変化に苦労していた。 地方は少子高齢化が急速に進み、経済規模の縮小は免れられない。いわきは首都圏に近いという地の利はあるが、会津若松と同様、コロナ禍から未だ立ち直ってはいない。 県内4市の夜の街を調査すると、感染拡大前から飲食店は総じて減っており、コロナ禍が閉店を早めたと言える。本稿末尾にコロナ禍後に電話帳から消えたスナック、バー・クラブの営業調査結果を載せた。近隣の店主に聞くと、コロナ禍前に閉じた店も散見された。 電話帳から消えた会津若松市のスナック、バー・クラブ 〇…6月3日(土)に営業確認 ×…営業未確認 店名建物名営業状況栄町スナック翼パピヨンプラザビル×スナックあんり五番街ネクサスビル×スナック燁里エクセレント大手門ビル×スナックみっちゃん×Coralマリンビル×さざなみ三進ビル×すなっくなおこ白亜ビル×スナックひまわり×スナック演歌Mビル→白亜ビル〇上流階級ヴェルファーレビル〇西栄町スナック情不明×行仁町ラブストーリーリトル東京×上町スナックオルゴール(織香瑠)上町一番街×スナックディアレストAsahi Alpa×スナックアンルート×でん福マルコープラザ×レイティス(RETICE)パティオビル×regalia×スナックageha〇スナック古窯パティオビル→移転〇ミュージックパブオアシスセンチュリーホテル×ゴールデンウェーブ×Villeセンチュリー・ノアビル×スナック胡遊×ピンクパンサー〇佑花×馬場町ベルコット石井ビル×スナックシナリオサンコープラザビル×れとろ×ENZYU×宮町パーティハウス北日本ビル×スナック赤いグラス明月ビル×ニューサンシャインサンシャインビル× 「無尽」の互助に異変  飲食店街は打つ手がないのか。前出の飲食店経営者は「会津若松の夜の活気は無尽が支えてきた」と話す。 無尽とは、会員が掛け金を出し合い、一定期日にくじで優先的に融通の権利を得るシステムやその会のこと。前近代的な金融の一種で、現在は山梨県のものが有名。福島県内では会津地方が盛んだ。 飲食店経営者が説明する。 「例えば会費を1万円とします。5000円を場所代として飲食店で消費し、残りの5000円を積み立てる。10人集まれば、1回の集まりにつき店に5万円を落とし、無尽に5万円を積み立てられる。1年後には60万円に達し、くじでもらう人を決めたり、急ぎの金が要る人に融通する。親睦旅行の代金に充て、会員全員に還元する方法もある」 個々の無尽で取り決めは違うが、現代では無尽にかこつけて集まることが目的なので、積み立てや融通の方法自体は重要ではないという。互助的なシステムである点が大事だ。 「居酒屋はたいてい1店につき6~12本の無尽を持っている。毎月1、2回は店に集まって会を開くので、何本無尽を持てるかが経営の安定につながると言っていい。常連客の他に魚屋、酒屋などの出入り業者、スナックの店主も参加する」(前出の飲食店経営者) 1次会はその居酒屋で、2次会は無尽に参加しているスナックで、という流れができ、常連客も店主も無尽つながりでお互いに店を利用するようになる。「無尽の飲み会がある」と言うと、家族も「しょうがない」と止めるのを諦めるほどの大義名分が立つという。 選挙も無尽で決まると言っても過言ではない。酒席では「健康状態が悪いらしい」「金銭的に苦しいようだ」と政治家のウワサが飛び交い、それを会社や家庭に持ち帰ったり、掛け持ちしている別の無尽で話したりして末端まで広がる。 「いわば選挙キャンペーンの装置です。多くは根も葉もないウワサですが、本人にとっては政治生命に関わる。政治家は、酒席でウワサを否定しなければなりません」(同) 企業も無縁ではない。この経営者によると、商工団体以上の情報伝達網だという。経営難や信用不安など悪いウワサも多い。 侮れない無尽だが、さすがにコロナ禍では自粛となった。 前出のスナックママは 「コロナを機に無尽もやめようという話が出てずいぶん減りました。無尽という言葉すら聞かなくなりましたね」 一方で、前出の飲食店経営者は楽観的だ。1次会の客をメインにしている事情がある。 「飲食店同士の無尽は出費を抑えるために減ったかもしれませんが、個人の参加は着実にあります。ウワサ、酒、選挙という勝負事への欲求は人間のさがですからね。定期的に街へ出る回数が増えれば、飲食店街に広く波及していくはずです。懸念しているのは、運転代行業者が確保できないことです。会津若松の飲食店街は近隣市町村からも多くのお客さんが来ます。コロナ禍で減った運転代行業者の数が戻らないと客足回復の機会を逃がしてしまう」 その店が主にしているのが1次会か2次会かで見解が全く異なる。人付き合いを断つ理由を与えてしまったのがコロナ禍だったと言える。若者の酒離れが進む昨今、スナックママが体験した無尽離れの方が現実味を帯びる。 あわせて読みたい 【いわき駅前】22時に消える賑わい コロナで3割減った郡山のスナック 客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

  • 【動画あり】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」【田中修身】

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工 田中修身議員  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」  時間にして10秒。いったい何のことだろうか。何かを伝えたいが、言葉が足らず伝えられないといった様子で要領を得ない。確かなことは、インターホンに残された映像には4月23日の昼間の時間帯が記録されていること、スーツ姿の男が「田中」と名乗ったということだ。 数時間後の夜8時、喜多方市議選(定数22)の開票作業が行われ、当選者が決まった。結果は表の通り。投票率59・09%(当日の有権者3万8148人)は過去最低だった。 喜多方市議選開票結果(定数22) 得票数候補者(敬称略)所属当選1354遠藤吉正無当選1348山口和男無当選1207渡部忠寛無当選1149渡部一樹無当選1132山口文章無当選1066十二村秀孝無当選1053齋藤仁一無当選1019齋藤勘一郎無当選964小島雄一無当選896小林時夫公当選864菊地とも子公当選849後藤誠司無当選843高畑孝一無当選834五十嵐吉也無当選810坂内まゆみ無当選804佐原正秀無当選802佐藤忠孝無当選785渡部勇一無当選778田中修身共当選719矢吹哲哉共当選678伊藤弘明無当選648上野利一郎無591蛭川靖弘無556渡部崇無452関本美樹子無  昼間の男、「田中」は当選者の中にいた。田中修身氏。共産党所属の新人で、778票を得て19位で初当選した。住所は市内塩川町遠田でインターホンに映っていた男の住所、人相と一致した。「1組の田中」というのは、御殿場地区内に数字で割り振られた行政区を指す。 当選の知らせを受け、御殿場地区のある住民はインターホンに残った男の動画を見ながらわだかまりが残った。要領を得ない言動。こそこそした後ろ暗い様子。はっきり言って不審者だ。 「何か悪いことをやっているのではないか」 公職選挙法をネットで調べると早速ヒットした。・戸別訪問の禁止・投開票日当日の選挙運動の禁止 すなわち、田中議員は二つの違反をしていたことになる。 警察官「田中さん本人ですね」  翌24日、住民は市選挙管理委員会にまずは報告したが「捜査機関ではないので調べることはできない」「警察に情報提供することは妨げない」と言われた。 同日、喜多方署に相談すると、警察官2人が住民の家を訪れた。動画を見て、前日(23日)に撮影されたものであることを確認すると、1人が「あー、これは田中さん本人ですね」と言った。警察官たちは証拠として動画を撮影し帰っていった。その後、同署から住民には何の連絡もないという。 本誌は4月号で、前回(2019年)市議選である候補者の陣営が一升瓶を配っていた疑惑を報じた。その候補者は当選し、今回も再選を果たしている。この記事を読んでいた住民が、市・警察に相談しても動きがないことを受け、本誌にインターホンの動画を提供した。 なぜ田中議員は投開票日に、不審者に思われる危険を犯してまで戸別訪問したのか。御殿場地区は行政区が1~14組あり、住宅地図で戸数を確認すると、田中議員が戸別訪問したのは200軒近くに上る可能性がある。 5月19日に全員協議会を終えた田中議員を直撃した。共産党会派の議員控室で矢吹哲哉議員(70)=松山町、4期=が同席。田中議員が言葉に詰まると、先輩の矢吹議員が助け舟を出した。(以下、カギカッコの発言は断りがない限り田中議員) 矢吹哲哉議員  ――投開票日当日の戸別訪問動画が出回っていますが、田中議員本人でよろしいですか。 「よろしいです」 ――この訪問は公選法違反に当たると思うか。 「選挙期間中はご迷惑をおかけしましたということで、自分が住む住宅街の行政区にご挨拶にうかがいました。ただそれだけです」 ――ご迷惑というのは何に対してですか。 「お騒がせしたというか……」 ここで矢吹議員が「時候の挨拶でしょ」と割って入った。 「選挙で隣近所にお世話になりましたという意味です。『おはようございます』と全く同じではないが、近い意味合いでしょう」(矢吹議員) ――私は田中議員に聞いているんです。時候の挨拶というのは選挙にかかわらず御殿場地区で行っているんですか。 「選挙に出ることになってからが多いですね」 ――選挙に出ることが決まる前は時候の挨拶はしていなかったということですか。 「まあそうです」 ――公選法では投票を依頼する戸別訪問は禁止されていますが、この行為は該当すると思いますか。 「私たちは当たらないということで挨拶に回りました」 ――私たちということは、先輩の矢吹議員などから教わって行ったということですか。 「先輩議員ではありません。私の選対の役員から、選挙活動をした中でご迷惑をおかけしたと言って回った方がいいと言われました」 ここで矢吹議員がフォローする。 「選挙に出るとなると『出ますのでよろしくお願いします』と言って回る慣例があります。選挙が終わっても回ります。ケースバイケースです」(矢吹議員) 田中議員「訪問効果はあまりないと思う」  ――まだ投票が終わっていない有権者がいる投開票日に戸別訪問するのは、投票を依頼する意図があったと誰もが思う。言い逃れできないのではないか。 「依頼したということではなく、あくまでご迷惑をおかけしたということを伝えるためです。私は今回初めて選挙に出ました。選対から『お騒がせした』と言って回った方がいいと言われたものですから、その通りにやっただけです」 ――どういう行為が選挙違反に当たるか教えられたか。 「市の選管から選挙の手引きを渡されました。初めての選挙だったので書物を読むというよりは、党員の先輩の言うことに従いました」 ――投開票日に戸別訪問するのは法律上マズいという認識はなかったのか。疑問は感じなかったのか。 「選対からやるように言われたので『そういうものかな』と。疑問を全く感じなかったかと言われれば、それはウソになります。投票依頼と受け取られる言葉遣いにならないようには気を付けました」 気を付けたと話す田中議員だが、本誌には、ある住民が「何の目的で訪問したのか」と尋ねると、田中議員が「選挙です」と答えたという情報が寄せられている。 ――田中議員が住む御殿場地区は新興住宅地で、郡部のように地縁に基づく付き合いが希薄です。見知らぬ人が訪れて効果はあると思いましたか。 「そこまでは考えが及びませんでした。選対が訪問するように、とのことだったので」 共産党は、支持基盤が確立している。「それでも新たな訪問で支持が広がると思うか」と筆者があらためて尋ねると、田中議員は「効果はあまりないと思います」と打ち明けた。 ――新築にはインターホンが備えられています。自分の行為が記録されているとは考えなかったのか。 「そこまでは考えませんでした」 田中議員へ一通り質問した後、矢吹議員が再びフォローした。 「田中議員が訪問したのは選挙活動ではなく、あくまで挨拶です。投開票日当日に選挙運動ができないことは分かっています。当日に回って有権者の方に誤解を与えたことは、田中君も反省しないといけないな」 矢吹議員と田中議員は、それぞれ共産党喜多方市委員会の委員長と、党市議団事務局長を務める。後日、有権者に誤解を与えたことを釈明する機会を何らかの方法で検討するという。 田中議員は旧山都町出身。喜多方高校卒業後、小中学校で事務職員を務める傍ら、県教職員組合の専従をしてきた。今回の市議選では、引退した小澤誠氏の後釜となった形。 市選管事務局の金田充世選挙係長に、選挙運動についての見解を聞いた。 「選挙運動は直接投票を依頼する行動で、公示・告示から投開票日の前日までしかできません。候補者が有権者に挨拶するのは、捉え方によっては選挙運動に見られるので注意してほしいということは毎回の選挙で候補者に説明しています」 田中、矢吹両議員が「挨拶」と言い張ったのは「選挙運動ではない」という理屈を立てるためのようだ。もっとも「挨拶」にかこつけた投票依頼の戸別訪問は、喜多方市に限らずどこの自治体の選挙でも常道と化している。今回、記事として取り上げたのは、証拠が動画に残されていたことが一つ、そして、共産党という支持基盤が強固で、クリーンさを打ち出している政党でさえも実行していたことに意外さを感じたからだ。 田中議員に選管や警察から注意を受けたか尋ねると、今のところないと話した。市選管に聞いても「注意はしていない」と言うし、喜多方署も「捜査に関わることは教えられない」とのこと。 応対した同署の渡邉博文次長は「田中議員ってどこの人?」と筆者に聞いてきたぐらいだから、投開票日当日の戸別訪問は、いちいち上層部に情報を上げるまでもない、昔からありふれた行為なのだろう。 戸別訪問のみで法的責任を問われる可能性は極めて低い。だが、挙動はインターホンの動画に克明に記録され、出回っている。 東北大の河村和徳准教授(政治情報学)は、新興住宅地における共産党の見境のない戸別訪問を「力の陰りがみられる」と話す。どういうことか。 「共産党の票読みは固いと言われますが、陣営は候補者間で組織票を融通する票割りがうまくいっていないと思ったんでしょうね。党員の高齢化で組織票が減る一方、若年層への支持は広まらない。新興住宅地を回ったのは若年層の支持獲得への焦りがあったのではないでしょうか」 共産党に限った話ではない。河村准教授は同様の例として、統一地方選で行われた東京・練馬区議選などで、これまで全員当選を果たしていた公明党の候補者が軒並み落選したことを挙げた。 若年層獲得に焦る共産と公明  投票依頼の戸別訪問は紛れもない公選法違反だ。「単なる挨拶」と苦しい言い訳をしてでも決行するなら、それに見合う効果がいる。だが、回った本人が「あまりなかった」と吐露するようでは、何のためにやったのか。田中議員は「上から言われたので『そういうものか』と思った」と話す。こうして、思考停止の議員が送り込まれる。 戸別訪問の表向きは「挨拶」だから、自分が「候補者」で「投票してほしい」とは口にできず「名前」しか言えない。投票依頼の本心を見透かした前出の住民は、要領を得ない挙動に不審と反感を抱き、動画に残して本誌に通報した。最新のインターホンが設置された新築住宅を回れば、違反と疑われる行為が記録されると想像しなかったことはお粗末と言える。 前出の河村准教授は、 「選挙違反には問われなくても、有権者が疑念に思う動画が出回ればダメージです。動画撮影が普及していない昔の選挙であれば普通に行われていた行為が可視化された。共産党をはじめ多くの陣営は『グレーゾーンが記録される選挙』に認識が追いついていないのでしょう」 選挙カーで名前を連呼しながら住宅街を回る行為は、有権者から「騒音」と捉えられ選管に苦情が来る。河村准教授によると、コロナ禍を経て都市部ではネットや電話を活用した選挙運動にシフトしたが、電話の場合「アポ電強盗」への恐れから、そもそも知らない電話に出ない人も多いという。 「高齢化が進む組織はネット戦術に疎いので、若い層にアプローチするには戸別訪問しかない。盤石な支持層を背景にできた票割りは共産党や公明党の得意技だったかもしれないが、今やその方法は終わりを迎えつつあるのかもしれません。どの陣営も新しい選挙運動を考える時が迫っています」(同) 若者よりも投票に行く高齢者が多くを占める地方では、ネットを活用した選挙に移行するには時間がかかるだろう。投票率が下がれば下がるほど組織票の重みが増すため、過去最低の投票率を記録する喜多方市では、むしろ高齢の党員と学会員を優先する現状維持が働く。 だが、地方ではいずれ高齢者の人口すら減り、社会は縮小、議会の定数減は不可避だ。共産・公明両党は喜多方市議会で各2議席を確保するが、将来的には議席減が見込まれる。未来に影響力を持つ今の若年層からどう支持を取り付けるか、旧態依然の選挙から脱し、世代にあった方法を考えねばなるまい。 あわせて読みたい 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 【2024年問題】サービス低下が必至の物流業界

     トラックドライバーの労働時間が法律で短くなることで、これまで通り荷物を運べなくなる「2024年問題」が迫っている。製造業が盛んな福島県は、製品や部品を長距離トラックで県外に夜通し運べなくなる可能性がある。運送業は即日運送をやめるか、人手確保のため価格転嫁に踏み切らざるを得ない。製造業、小売りなどからなる荷主やその先の消費者にとっては打撃だが、物流現場に負担を強いてきたことを顧みて、歩み寄る曲がり角に来ている。(小池 航) 下請け会社・トラック運転手 現場から嘆きの声 夜に福島トラックステーションを発つトレーラー  4月下旬の金曜夜8時、東北道・福島飯坂IC(福島市)南側にある福島トラックステーションから、普通乗用車を積んだトレーラートラックが発進した。福島市近辺で集荷された荷物は、国道13号を北上して同インターから高速に乗り、夜通し遠方へと運ばれていく。 3、4月は年度末、新年度に当たるため人・モノの流れが1年を通して最も多く、物流業界は繁忙期だ。大型連休前は納期が早まるため、忙しさは続く。物流業界は慢性的な人手不足のため、その負担は荷物の仕分けやドライバーたち現場にのしかかる。 いわゆる「2024年問題」は、「トラックドライバーの労働時間が短くなることにより、これまで通り荷物を運べなくなる問題」⑴だ。約4億㌧の輸送能力が不足すると試算されている。なぜドライバーの労働時間が短くなるのか。 「働き方改革関連法で2019年に導入された時間外労働の上限規制が自動車の運転業務にも適用されます。長距離輸送はドライバーの長時間労働で成り立ってきました。運送業は上限規制との乖離が激しいため、業者に周知し、徐々に是正していく必要がありました。そのための猶予期間が5年間で、24年4月から新たな規制が適用になります」(県北地方の運送会社社長) 働き方改革関連法により2019年4月から、大企業に原則として時間外労働を月45時間、年360時間とする上限規制が導入された。ただし特別な事情があり、労使が合意した場合に限り年720時間となる。中小企業には20年4月に導入された。違反した事業者には「6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金」が科される。 ちなみに運送業に代表される自動車運転業務以外にも建設業、医師、沖縄・鹿児島両県の製糖業が猶予を受けた。中でも運送業は、特別な事情があり、労使が合意した場合に時間外労働の上限を年960時間とする別基準が設けられた。2019、20年に導入された企業より240時間も長い。 『物流危機は終わらない』(2018年、岩波新書)の著書がある立教大経済学部教授の首藤若菜氏は、自動車運転業務に特別に認められた年960時間の上限規制について、・ひと月あたりにならすと月80時間・厚労省が過労死などをもたらす過重労働の判断として「時間外労働が2カ月間ないし6カ月間にわたって、1カ月あたりおおむね80時間」を超える という二つの点を挙げ、 「トラックドライバーにも5年遅れて上限規制が適用されるが、その基準は一般の労働者よりも240時間も長く、いわゆる過労死ラインとほぼ重なる」と指摘している⑵。 時間外労働の上限規制に伴い、ドライバーの拘束時間などを細かく定めた「改善基準告示」も改正された(表)。ここでいう拘束時間とは、始業から終業までの休憩を含んだ時間。 トラックの改善基準告示現行改正後1年の拘束時間3516時間原則:3300時間最大:3400時間1カ月の拘束時間原則:293時間原則:284時間最大:320時間最大:310時間1日の拘束時間原則:13時間原則:13時間最大:16時間最大:15時間1日の休息期間継続8時間継続11時間を基本とし、9時間加減※それぞれの項目に例外規定や努力義務規定がある。  前出の運送会社社長は、改善基準の改正は「厚労省がお茶を濁した印象」と語る。 「1カ月の拘束時間(原則)を見てください。9時間しか減っていない。ひと月の労働日を20日としてならしたら、減ったのは30分程度です。1日の拘束時間(原則)は変化なし。1年の拘束時間も216時間減ですが、1カ月に換算すると減ったのは18時間に過ぎません。業界としては思ったよりも減らなかった印象です」(同) 1年の拘束時間が2800~3000時間になると「現状の働き方では荷物は運べず、お手上げ」だという。 「物流は経済の血液」と言われる。厚労省は物流業界にも働き方改革を導入し、他業界との整合性を図らなければならない一方、法整備をきっかけに物流に大きな影響が出ることは控えたい。どのように血液を巡らせ続けるか、働き方改革と経済維持のはざまで頭を悩ませているのだろう。 ただ、代わり映えのしない改善基準でも、運送会社社長はある程度は有効と考える。 「2024年4月からは改善基準に違反した事業者への業務停止や運行停止などの行政処分が厳罰化されます。コンプライアンス順守が厳しくなる世の中、業者にとっては一度行政処分を食らえばイメージが悪化し、取引にも影響しかねません。残業時間の上限規制と併せて、厳罰化したことで実効性が伴うのではないでしょうか」 定着しない若手 郡山IC近くのトラックターミナル  これで物流業界の労働条件を改善する法整備は一応整った。だが人手不足に見舞われているのは、労働条件が悪いからだけではない。それに見合う給料が得られないことが原因だ。若手が敬遠し、トラックドライバーの男性労働者の平均年齢は44・1歳となっている(厚労省『賃金構造基本調査』2021年版)。 バブル景気に沸き、輸送需要が伸びていた時代は「3Kだが稼げる」と他業種からの転職者も多かった。この世代は定年を迎えるが、若手が入職しないため、いまだにドライバーや仕分け作業などの現場で中心的役割を果たしている。郡山市の60代男性ドライバーもその1人。 「30歳の頃、家族を養わなくてはならないと、稼げる仕事を探していたらトラックドライバーにたどり着いた。手取りで月給は25~35万円。稼げる時は70万円は行ったよ。もっといい給料を求めて移籍もした」 当時は郡山と大阪の定期路線が毎日出ていた。日中から夕方にかけて物流拠点に集荷された物資が方面ごとに仕分けされる。運ぶ物資は多彩だ。身近な物では酒などの飲料品や米、菓子。工場で使う材料やそこでできた部品も多い。 ドライバーの本業は運転だが、実際は積み込みまでしなければならない。手積みの場合は2~3時間はかかる。これがかなりの重労働で、労働災害も運転中より積み込み時の方が多い。 荷物を運搬用の荷台(パレット)に載せてフォークリフトで積む方法もある。積み込みは20~30分に短縮され、普及も進む。ただし、かさばる物はパレットの分だけ積載量が減るため向かない。他に、荷主が荷物をパレットに載せた状態で用意しなければならない点、荷物を降ろした後はパレットを回収して荷主に返さなければならず、その分、復路の荷物を運べない点で、ドライバーの負担軽減にはつながっていない。 積み込みを終え、ようやくトラックを出せるのは夜8時ごろ。大阪へは朝5時ごろに着く。トイレ以外は降りなかった。弁当はダッシュボードに置き、箸を使い、片手でハンドルを握りながら食べた。 「酒がないと眠れない」  仕事はきついが規制は緩かった。多く積んで早く遠方に届けるのが絶対で、会社も労働時間についてはとやかく言わない。時には我が子を助手席にこっそり乗せ、行先で遊ばせた。煩わしい人間関係がないため、同業者には独りが好きな人が多いように思う。ただし、 「長距離ドライバーは家に帰ってから寝る前に酒を飲む人が多い。深夜から明け方に働いているから、仕事を終えても眠れないんだ。寝付くために酒量が増えたな」(同) 退職を控え「そろそろ年金がもらえる」と話していた60代の同僚が、間もなく亡くなった。心筋梗塞と聞いた。「あの人どうなったんだろう」と昔の仕事仲間が気になって知り合いに聞くと、「とっくに病気で死んだよ」と返ってくることもあった。 2021年度の脳・心臓疾患の労災支給決定件数は全産業で172件だが、うち56件が道路貨物運送業。同労災の約3分の1を占める。 全日本トラック協会の調査によると、自動車運転業務の時間外労働上限である年960時間を超えて働くドライバーが「いる」と答えた事業者は51・1%に上るという。長時間労働が当たり前であることと無関係ではないだろう。 男性は、今はドライバーを退き、物流拠点で管理業務を担う。ただ、肉体労働は変わらずあるし、責任ばかりが増えたとぼやく。 トラックドライバーだけでなく、仕分けをする物流拠点でも人手不足は深刻だ。体感として、これまで10人でこなしていた仕事を3人でやらなければならなくなった。約3倍の時間がかかるので、当然終わらない。キリがないので退勤し、別の人に引き継ぐか後日再開することになる。生鮮食品のように悪くならない物資であれば、荷主が指定する日から最大で3~4日遅れることがある。もっとも、こうした状況は2024年問題が迫る以前からあったという。 人手不足は労働時間の割に賃金が低いことが原因だが、ここに至った背景には何があるのか。 「どこかの運送会社が運賃を下げたら別のところも下げる。待っていたのは、現場に無理をさせる価格競争だった。物流危機が迫っているのは自分で自分の首を絞めた結果だと思う」(同) 物流業界は次のように地位低下をたどってきた。 1990年の規制緩和で新規のトラック運送業者が増加(25年で約4万社から約6万2000社と1・5倍増)→バブル崩壊による「失われた20年」で輸送需要が低迷→減っていく荷物を増えていく事業者が取り合う。 運送業者数は、2008年以降は6万台で横ばいになっている。  トラック運送業は総経費の約半分を人件費が占める。運賃水準の低迷は人件費圧縮に直結し、荷主獲得競争の激化はトラック業界の荷主に対する相対的な立場の低下を招いた。結果、「他業種と比べて労働時間が2割長く、年間賃金が2割低い」現状に陥った⑶。 交渉に立てない下請け  トラック運送業界は荷主に対して物言えぬ立場にあるが、業界内にも元請け、下請けの多重構造がある。言うまでもなく、下請けは最も弱い立場に置かれる。 同業界は約6万2000社の99%以上を中小零細企業が占めており、保有車両10台以下が約5割、11~20台が2割、21~30台が約1割。ピラミッドの上に立つ元請け企業が仕事を受注し、それを下請け企業に委託し、さらに孫請け企業に委託するケースも少なくない。車両500台以上を保有する大手も、受けた仕事の9割以上は「協力企業」と呼ぶ下請けに委託している⑷。元請けにとっては閑散期と繁忙期に業務を調整しやすいようにしておき、固定費を増やさずに配送網を広げる狙いがある。 そうなれば、しわ寄せが来るのは下請けだ。 前出・社長の運送会社は中小企業のため、下請けに入ることも少なくないという。 「実際に運賃を払ってくれる荷主と交渉できないのが痛い。実際の運送を担う業者は、十分な運賃が得られないとドライバーを雇うことができない。しかし、元請けや上位の下請けは、少額でもマージンを取れればいいと業界全体のことは考えていない」 前出の男性ドライバーは老舗会社に勤務するため、末端の下請けほど過酷ではない。だが、苦境は手に取るように分かるという。 「大企業は足元を見るからね。元請けからできもしない仕事を回されたとしても、下請けは取らざるを得ない」 運送は本来、帰りの荷物を確保できるよう算段を付けて出発する。新規参入が厳しく制限されていた時代、運賃は運送側に有利で、帰りの荷台を空にしても元は取れたが、運賃が下振れする現在では帰りの荷物がないと赤字になる。収益は1人のドライバーがいかに多くの荷物を運ぶかにかかってくる。 次は一例だ。ある下請けのドライバーは「明日中に東京までこの荷物を運べ」と言われた。東京に荷物を下ろすと、所属企業から「帰りの荷物を見つけるから」と一報。帰着地の郡山に運ぶ荷物が見つかればいいが、もし大阪行きの荷物しかなければ、それを積んで西へと向かわされる。大阪から次の行き先は運ぶ荷物次第だ。「荷物を運ばせてください」と運送業者を回り、半額の運賃で請け負うことになる。 「このままでは一つの運送会社が潰れるだけではなく、物流業界、ひいては日本経済が立ち行かなくなってしまうことを理解してほしい」と前出の運送会社社長は力を込める。 この社長の会社では、上限規制適用以降は、遠方に荷物を運ぶ場合はドライバーを休ませ、それまで1日要していたところを2日かけるように余裕を持たせるという。 「入社希望者が全くいない以上、複数人のドライバーで中継して労働時間を抑える方法は取れません」 一方で2024年問題が注目されているのを機に、取引先には運賃値上げを交渉しようと考えている。 「社会の関心が高まっている今をチャンスと捉えなければなりません。労働時間が制限された後、物流が回るかどうかは、やってみないと分からない。来年が恐ろしいと同時に、業界の好転に期待が持てる楽しみな年でもあります」(同) 価格転嫁は荷主である小売り、製造業を通して消費者に負担が求められる可能性もある。筆者、読者を含め消費者はその背景に目を向け、業界の多重構造が適正なのか考える必要があるだろう。  脚注 ⑴首藤若菜「『2024年問題』とは何か 物流の曲がり角」(『世界』2023年5月号、岩波書店) ⑵前掲書 ⑶金澤匡晃「問題の本質は何か、物流に何が起きるのか」(『月刊ロジスティクス・ビジネス』2022年3月号、ライノス・パブリケーションズ) ⑷石橋忠子「間近に迫る『運べない』『届かない』の現実」(『激流』2023年3月号、国際商業出版) あわせて読みたい 一人親方潰しの消費税インボイス

  • 客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

     5月8日に新型コロナウイルスの感染法上の位置付けが季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げられる。飲食業界は度重なる「自粛」要請で打撃を受けたが、業界はコロナ禍からの出口の気配を感じ、「客足は感染拡大前の7~8割に戻りつつある」と関係者。一方、2次会以降の客を相手にするスナックは閉店・移転が相次ぎ、テナントの半数が去ったビルもある。福島市では主な宴会は県職員頼みのため、郡山市に比べ客足の回復が鈍く、夜の街への波及は限定的だ。 公務員頼みで郡山・いわきの後塵 飲食店が並ぶ福島市街地  福島市は県庁所在地で国の出先機関も多い「公務員の街」だ。市内のある飲食店主Aは「県職員が宴会をしないと商売が成り立たない」と話す。民間企業は、取引先に県関係の占める割合が多いため、宴会の解禁も県職員に合わせているという。 「東邦銀行も福島信用金庫も宴会を大々的に開いて大丈夫か県庁の様子を伺っているそうです。民間なら気にせず飲みに行けるかというとそうでもなく、行員に対する『監視の目』も県職員に向けられるのと同じくらい厳しい。ある店では地元金融機関の幹部が店で飲んでいたのを客が見つけて本店に『通報』し、幹部たちが飲みに行けなくなったという話を聞きました」(店主A) 福島市の夜の街は、県職員をはじめとする公務員の宴会が頼りだ。福島、伊達、郡山、いわきの4市で飲食店向けの酒卸店を経営する㈱追分(福島市)の追分拓哉会長(76)は街の弱みを次のように指摘する。 「福島、郡山、いわきの売り上げを比較すると、福島の飲食店の回復が最も弱いことが見えてきた」 2019年度『福島県市町村民経済計算』によると、経済規模を表す市町村内総生産は県内で多い順に郡山市が1兆3635億円(県内計の構成比17・1%)、いわき市が1兆3577億円(同17・0%)、福島市が1兆1466億円(同14・4%)。経済規模が大きいほど飲食店に卸す酒の売り上げも多くなると考えると、3位の福島市が他2市より少なくなるのは自然だ。だが追分会長によると、同市は売上高が他2市より少ないだけでなく、回復も遅いという。 「3市の酒売上高は、2019年は郡山、いわき、福島の順でした。各市の今年2月の売り上げは、19年2月と比べると郡山90%、いわき83%、福島76%に回復しています。郡山はコロナ前の水準まで戻ったが、福島はまだ4分の3です。しかも、コロナ禍で売上高が最も減少したのは福島でした。私は福島が行政都市であり、かつ他2市と比べて若者の割合が少ないことが要因とみています。県職員(行政関係者)が夜の街に出ないと、飲食店は悲惨な状態になります」(追分会長) 飲食業の再生の動きが鈍いのは、度重なる感染拡大に息切れしたことも要因だ。 「福島では昨年10月に到来した第8波で閉めた店が多く、駅前の大規模店も撤退しました。3、4月の歓送迎会シーズンで持ち直した現状を見ると、もう少し続けていればと思いますが、それはあくまで結果論です。これ以上ない経営努力を続けていたところに電気代の値上げが直撃し、体力が尽きてしまった。水道光熱費だけで10~20万円と賃料と同じ額に達する店もありました」 そうした中でも、コロナ禍を乗り切った飲食店には「三つの共通点」があるという。 「一つ目は『飲む』から『食べる』へのシフトです。スナックやバーが減り、代わりに小料理屋、イタリアン、焼き鳥屋が増えました」 「二つ目が『大』から『小』への移向です。宴会がなくなりました。あったとしても仲間内の小規模なものです。売りだった広い客席は大規模店には仇となりました。健闘しているのは、区分けして小規模宴会を呼び込んだ店です」 最後は「老」から「若」への変化。 「老舗が減りましたね。後継者がいない高齢の経営者が、コロナを機に見切りを付けたからです」 一方、これをチャンスと見てコロナ前では店を出すことなど考えられなかった駅前の一等地に若手経営者が出店する動きがあるという。経営者たちが見据えるのは、福島駅東口の再開発だ。 「4月から再開発エリアに建つ古い建物の本格的な取り壊しが始まりました。3年間の工事で市外・県外から500~1000人の作業員が動員されます。福島市役所の新庁舎(仮称・市民センター)建設も拍車をかけるでしょう。市内に建設業のミニバブルが訪れる中、ホテルや飲食店の需要は高まるとみられるが、老舗の飲食店が減っているので受け皿は十分にない。そのタイミングでお客さんを満足させる店を出すことができれば、不動の地位を獲得できると思います」 追分のグループ会社である不動産業㈱マーケッティングセンター(福島市)では毎年、市内の飲食店を同社従業員が訪問して開店・閉店状況を記録し、「マップレポート」にまとめてきた。最新調査は2019年12月~20年10月に行った。同レポートによると、開店は41店、閉店は106店。飲食店街全体としては、感染拡大前の837店から65店減り、772店となった。減少率は7・7%で、1988年に調査を開始して以降最大の減少幅だった。 「特に閉店が多かったのはスナック・バーです。48店が閉店し、全閉店数の44%を占めました」 もっとも、スナック・バーは開店数も業種別で最も多い。同レポートによると、11カ月の間に22店が開店し、全開店数の54%を占めた。酒とカラオケを備えれば営業できるため参入が容易で、もともと入れ替わりが盛んな業種と言えるだろう。 25%減ったスナック  マーケッティングセンターほどの正確性は保証できないが、本誌は夜の飲食店数をコロナ前後で比較した。1月号では郡山市のスナック・バーの閉店数を電話帳から推計。忘年会シーズンの昨年12月にスナックのママに電話をして客の入り具合を聞き取った。 電話帳から消えたと言って必ずしも閉店を意味するわけではない。もともと固定電話を契約していない店もあるだろう。ただし「昔から営業していた店が移転を機に契約を更新しなかったり、経費削減のために解約したりするケースはある」と前出の飲食店主Aは話す。今まで続けていたことをやめるという点で、固定電話の契約解除は、店に何らかの変化があったことを示す。 コロナ前の2019年と感染拡大後の2021年の情報を載せた電話帳(NTT作成「タウンページ」)を比較したところ、福島市の掲載店舗数は次のように減少した。 スナック 194店→145店(新規掲載1店、消滅50店) 差し引き49店が減った。減少数をコロナ前の店舗数で割った減少率は25・2%。 バー・クラブ 42店→35店(新規掲載なし、消滅7店) 減少率は16・6%。 果たしてスナック、バー・クラブの減少率は他の業種と比べ高いのか低いのか。夜の街に関わる他の業種の増減を調べた。2021年時点で20店舗以上残っている業種を記す。電話帳に掲載されている業種は店側が複数申告できるため、重複があることを断っておく(カッコ内は減少率)。 飲食店 208店→178店(14・4%) 居酒屋 143店→118店(17・4%) 食堂 75店→69店(8・0%) ラーメン店 63店→60店(5・0%) うどん・そば店 63店→55店(12・6%)  レストラン(ファミレス除く) 50店→42店(16・0%)  すし店(回転ずし除く) 39店→38店(2・5%) 中華・中国料理店 33店→31店(6・0%) 焼肉・ホルモン料理店 29店→24店(17・2%) 焼鳥店 25店→23店(8・0%)  日本料理店 23店→22店(4・3%) 酒を提供する居酒屋の減少率は17・4%と高水準だが、スナックは前記の通り、それを上回る25・2%だ。マーケティングセンターの2020年調査では、スナック48店が閉店した。照らし合わせると、電話帳から消えたスナックには閉店した店が含まれていることが推測できる。 筆者は電話帳から消えたスナックを訪ね、営業状況や移転先を確認した。結果は一覧表にまとめた。深夜食堂に業種転換した店、コロナ前に広げた支店を「選択と集中」させて危機を乗り越えた店、賃料の低いビルに引っ越し再起を図る店など、形を変えて生き残っている店も少なくない。 電話帳から消えた福島市街地のスナック ○…営業確認、×…営業未確認、※…ビル以外の店舗 陣場町 第10佐勝ビルスナッククローバー〇SECOND彩スナック彩に集約ハリカ〇レイヴァン(LaVan)✕ペガサス30ビル花音✕スナッククレスト(CREST)✕スナックトモト✕プラスαkana✕ハーモニー✕ボルサリーノスナックARINOS✕ファンタジー〇ポート99ラーイ(Raai)✕第5寿ビルジョーカー✕アイランド〇※モア・グレース✕※ 置賜町 エース7ビル韓国スナックローズハウス✕CuteCute✕トリコロール✕フィリピーナ✕ジャガービルトイ・トイ・トイ(toi・toi・toi)✕マノン✕鈴✕ピア21ビルK・桂✕ラパン✕ミナモトビルシャルム✕都ビル仮面舞踏会✕清水第1ビルマドンナ✕第5清水ビルラウンジラグナ✕ 栄町 イーストハウスあづま会館志桜里✕スナック楓店名キッチンkaedeで「食」に業種転換花むら✕第2あづまソシアルビルショーパブパライソ✕せらみ✕ムーチャークーチャー〇ユートピアビルスナックみつわ✕わがまま天使✕※ 万世町 パセオビルカトレア✕萌木✕ 新町 クラフトビルぼんと✕ゆー(YOU)✕金源ビルザ・シャトル✕スナック星(ぴょる)✕※凛〇※ 大町 コロールビルのりちゃんあっちゃん(ai)×エスケープ(SK-P)×※  電話帳に載っていないスナックもそこそこある。ただ、書き入れ時の金曜夜9時でも営業している様子がなく、移転先をたどれない店が多かった。あるビルの閉ざされた一室は、かつてはフィリピン人女性がもてなすショーパブだったのだろう。「福島県知事の緊急事態宣言の要請により当店は暫くの間休業とさせていただきます」と書かれた紙がドアに張られ、扉の隙間には開封されていない郵便物が挟まっていた。 「やめたくない」  ビル入口にあるテナントを示す看板は点灯しているのに、どこの階にも店が見当たらない事態も何度も遭遇した。あるベテランママの話。 「看板を総取っ換えしなきゃならないから、余程のことがないとオーナーは交換しない。一つの階が丸ごと空いているビルもあるわ」 飲食店主Bも言う。 「存在しない店の看板は覆い隠せばいいが、オーナーは敢えてそうはしません。テナントもしてほしくないでしょう。人けがないビルと明かすことになるからです」 テナントの空きは、スナック業界の深刻さも表している。 「手狭ですが家賃が安い新参者向けのビルがあります。入口にある看板は20軒くらいついていて全部埋まっているように見えるが、各階に行くと数軒しか営業していない。新しく店を始める人がいないんでしょうね」(店主B) 閉店する際も「後腐れなく」とはいかない。前出のベテランママがため息をつく。 「せいせいした気持ちで店をやめる人なんて誰もいませんよ。出入りしているカラオケ業者から聞いた話です。カラオケ代を3カ月分滞納した店があり、取り立てに行った。払えない以上は、目ぼしい財産を処分し、返済に充てて店を閉めなければならない。そこのママは『やめたくない』と泣いたそうです。しかし、そのカラオケ業者も雇われの身なので淡々と請求するしかなかったそうです」 大抵は連帯保証人となっている配偶者や恋人、親きょうだいが返済するという。 2021、22年に起きた2度の大地震は、コロナにあえぐスナックにとって泣きっ面に蜂だった。酒瓶やグラスがたくさん割れた。あるビルでは、オーナーとテナントが補償でもめ、納得しない人は移転するか、これを機に廃業したという。テナントの半数近くに及んだ。 福島市内のビルの多くは30~40年前のバブル期に建てられた。初期から入居しているテナントは、家賃は契約時のままで、コロナで赤字になってもなかなか引き下げてもらえなかった。コロナ禍ではどこのビルも空室が増え、オーナーは家賃を下げて新規入居者を募集。余力のあるスナックはより良い条件のビルに移転したという。 ベテランママは引退を見据える年齢に差しかかっている。苦境でも店を続ける理由は何か。 「コロナが収束するまではやめたくない。閉店した店はどこもふっと消えて、周りは『コロナで閉めた』とウワサする。それぞれ事情があってやめたのに、時代に負けたみたいで嫌だ。私にとっては、誰もがマスクを外して気兼ねなく話せるようになったらコロナ収束ですね。最後はなじみのお客さんを迎え、惜しまれながら去りたい」 ベテランママの願いはかなうか。 あわせて読みたい コロナで3割減った郡山のスナック 〝コロナ閉店〟した郡山バー店主に聞く

  • 福島医大「敷地内薬局」から県内進出狙う関西大手【I&H】

    (2022年10月号)  福島県立医科大学(福島市)で大手調剤薬局グループI&H(兵庫県芦屋市)による「敷地内薬局」の設置が進められている。「医薬分業」の観点から禁じられてきたが、6年前の規制緩和を受け、その動きは全国に広がる。医大は土地の貸付料を得ながら、薬局に付随するカフェテラスを呼び込める一方、薬局は県下最大数の処方箋が見込める。設置の公募には地元薬局を含め6社が応募し、上位3社が接戦。敷地内薬局にそもそも反対の県薬剤師会は蚊帳の外に置かれ、本県医療を象徴する場を県外大手に取られた形だ。 蚊帳の外に置かれた福島県薬剤師会  福島県立医科大学(医大)は公立大学法人で、福島市光が丘に医学部、看護学部、附属病院などのほか、保健科学部をJR福島駅前に、会津医療センターを会津若松市に置く。保健科学部と会津医療センターを除いた職員数は2640人、学生数は1427人(2021年5月1日現在)。附属病院の病床数は788床。入院患者は年間20万人。外来患者は同約34万人で、1日平均1429人(いずれも2020年度)。 敷地内薬局の収入につながるのは、医師が外来患者に発行する院外処方箋だ。医大は年間約17万枚を取り扱っており、1日平均約720枚。県内最大級の規模からして、処方箋枚数も少なくはないだろう。 医大に敷地内薬局を設置する過程をたどる前に、そもそも医薬分業と敷地内薬局とは何か。 医薬分業は、「診断して処方箋を書く者」と「処方箋を見て調剤する者」を分けて互いの仕事をチェックさせ、適正な薬剤治療を進める仕組み。1970年代以前の日本では、医師が診療報酬を増やそうと自ら多くの薬を出す「薬漬け医療」の傾向があり、医療費を抑制するため分業が進められてきたとされる。こうして、患者は医師から出された処方箋を持って病院門前や自宅近くの薬局で薬をもらう流れができた。だが「流れ作業的な調剤」「二度手間」の批判もあり、医療費削減の効果も疑問視。規制改革の流れの中で、厚労省が2016年9月に病院が経営を異にする事業者に敷地を貸し、薬局を設置することを認めた。 2019年4月には、東大医学部附属病院に敷地内薬局2店舗がオープンし、全国の医大・医学部に波及する。薬剤師会からは「大家と店子の関係では薬局の独立性が危ぶまれる」と反発が起こった。これに対し、厚生労働省は処方箋の受け付けごとに算定する調剤基本料42点(1点=10円)について、病院との関係が深い敷地内薬局は7点に減らし、参入しても「儲けにくい」ようにした。 薬剤師会が反発するのに病院が敷地内薬局の設置を進めるのは経営上の理由からだ。 一つは土地の貸付料が得られる。特に大学病院は敷地が広く、土地を遊ばせておくのはもったいない。大学病院は独立行政法人として経営努力を求められている背景もある。 もう一つは、福利厚生施設を自己負担なしで整備してもらえる利点がある。 こうして、病院は薬局に土地を貸し、薬局は本業の調剤だけでなく、病院の求めに応じて売店やカフェテラス、職員寮などを運営するようになった。 前述の通り、敷地内薬局は調剤基本料が低く抑えられている。しかも病院は薬局以外の事業にも高水準を求めてくる。にもかかわらず、大手調剤薬局はなぜ参入するのか。県内の薬局に勤めるある薬剤師は、 「資本力の強みです。大手は事業買収を重ね、調剤業務以外に介護、飲食など多業種を抱え込んでいます。調剤を基本にその他の業種との相乗効果で儲けていく方針です。各地域の医療拠点に出店することで、その土地での知名度と実績を上げる。それを足掛かりにさらに出店攻勢をかけ、シェア獲得を狙っているのでしょう」 各地の薬剤師会は医薬分業の建前から敷地内薬局に反対してきた。経営面でもペイするのが難しいため、参入には慎重だ。その隙を大手が突く。各地の薬剤師会は「敷地内薬局のジレンマ」に陥っている。 県内の公立病院では、医大の次に藤田総合病院(国見町)が2022年3月に敷地内薬局の事業者を公募した。門前に薬局を構えていた2社が応じ、アインHD(札幌市)が優先交渉権者となった。 不満を露わにする前会長  医大は2021年12月に事業者の公募を告知した。別の薬局に勤める薬剤師は県薬剤師会(県薬)からメールで一報を受けた時、「医大もとうとうやったか」と覚悟した。 県薬は後手に回った。 「ホームページで公募が告知されたのが13日。応募締め切りは24日でした。土日・祝日は応募を受け付けないので、実質10日間です。ところが、県薬が会員に知らせたのは締め切り後の28日でした。県薬も寝耳に水だったのでしょう」(同)  当時、県薬の会長だった町野紳氏(まちの薬局経営・㈲マッチ社長、会津若松市)が会員に送った書面には医大への戸惑いが見られる。 「医大は本県唯一の医育機関と位置付けられており、本来、患者や地域住民から真に評価される医薬分業の推進をする立場でなければならず、今回の整備事業は賛同しかねるものです」。公募については、「募集期間が短かったこともあり、皆様からの意見を伺う機会を設けられず、対策を講じることができなかったことは誠に遺憾に思います」とし、「会員の意見を伺う機会を設けたいと考えております」と続けた。 町野氏は2022年6月に4期8年の任期を終え会長を退いた。会員の間では、「敷地内薬局設置の動きを把握できなかったため、責任を取ったのでは」との見方がある。 本人に聞くと、「任期を迎えたから辞めた。それだけです」。 設置の動きを把握していたかについては、「知っていたら潰しに動いたでしょうね」と冗談交じりに言った。敷地内薬局への参入については、「医薬分業の観点から会として反対しているので、参入することはありません」と言う。 医大の近くには、県薬が運営する「ほうらい薬局」がある。経営への影響を尋ねると、「微々たるものと考えます」と答えた。 医大の敷地内薬局設置事業の正式名は「敷地内薬局及び福利厚生施設等整備事業」。事業者の選定は公募型プロポーザル方式で行われた。この方式は発注者が事業者に建設物についての提案を求め、応募者の中から審査を経て優先交渉権者を選ぶ。 募集要項や要求水準書によると、医大は土地の一部を貸与し、事業者は薬局1店舗とカフェテラス、コンビニなどを含む集合店舗施設の整備と運営を行う。建設予定地は附属病院への玄関口に当たる「いのちと未来のメディカル棟」の南側で、現在は「おもいやり駐車場」に使われている。 貸付される面積は約1600平方㍍。貸付料について、医大は年額で1平方㍍当たり最低1077円以上を提示。概算すると、事業者は総額170万円以上を土地使用料として毎年払う必要がある。だが、これはあくまで最低額。事業者が医大に提出する資料には、1億円の位まで記入可能な「土地使用料提案書」があり、2022年2月21日にプレゼンテーション形式で行われた最終審査では「本学に対する経済的貢献度」という評価事項があった。いかに高い土地代を払えるかが客観的に物を言うということだろう。 土地を貸付する期間は原則20年以内としている。ただ、医大が「優れた提案」と判断した場合は延長され、最長で30年未満使用できる。 同28日までに医大は、阪神調剤薬局を全国展開するI&Hを優先交渉権者に選んだと公表した。県内では傘下の薬局が2店舗ある。現在、同社と医大は交渉を進めている。  大手が資本力で圧倒か  公募には6社が応募し、うち1社は最終審査前に辞退した。結果は表1の通り。医大は優先交渉権者以外の社名や、審査員7人の氏名、各審査員の採点結果を明かしていない。それぞれ、「事業者の利益を害する」「干渉、圧力を受け審査員の中立性が損なわれる」「医大の利益や地位を害する」との理由だ。 表1 医大敷地内薬局公募の最終審査に参加した5社の得点評価項目I&HA社B社C社D社(1)患者の利便性・安全性に関する評価【70】5658524040(2)福島県立医科大学への相乗的あるいは相加的効果に関する評価【70】5656543640(3)地域への貢献に関する評価【105】6456524446(4)アメニティ施設に関する評価【105】7581844863(5)施設整備に関する評価【105】8790905760(6)実施体制に関する評価【140】1081121167664(7)事業の継続性及び健全性に関する評価【140】1241161126448合計【700】570569560365361※【】は審査員7人の評価項目ごとの配点を合計した点=満点  ただ医薬業界の情報筋によると、I&H以外に公募に応じた5社は、アインHD(北海道札幌市)、クオールHD(東京都港区)、日本調剤(東京都千代田区)、コスモファーマ(郡山市)、ハシドラッグ(福島市)だという。ハシドラッグは共同企業体で臨んだようだが、組んだ企業がどこかは不明。5社のうちどこが辞退したかも分かっていない。 I&Hと応募した可能性が高い5社の経営規模を表2にまとめた。表1の得点と突き合わせると見えてくるものがある。 表2 公募への参加が噂された6社の経営規模資本金売上高従業員I&Hグループ42億円1224億円(連結か)4087人(21年5月期)アインHD218億円3162億円(連結)9568人(22年4月期)クオールHD57億円1661億円(連結)5620人(22年3月期)日本調剤グループ39億円2993億円(連結)5552人(22年3月期)コスモファーマグループ8500万円240億円(連結か)1418人(21年9月期)ハシドラッグ5000万円90億円55人(21年5月期)アイン、クオール、日本調剤は有価証券報告書を、その他はHPや民間信用調査会社のデータを基に作成  注目すべきは上位3社と下位2社との総合点の開きだ。上位3社は8割得点し、どこが首位でもおかしくない点差だが、下位のC社、D社は半分強しか取れていない。点差が如実に開いたのは⑹、⑺の項目。特に⑺には財務状況や類似事業の実績、医大への経済的貢献度を評価する小項目がある。資本力があり、敷地内薬局へ既に参入している大手には有利となる。 これらを踏まえるとA社、B社は大手、C社、D社は地元薬局と推理できる。 地元薬局にとって厳しい戦いではあった。それを承知したうえで、ある地元薬局の取締役は、県外企業にメンツをつぶされたことを苦々しく思っている。 「『阪神調剤』の看板を医大病院の玄関前に掲げられるわけです。地元に根付いてきた薬局としては見過ごせません」 この取締役が地元への貢献の例に挙げるのが2020年6月に楢葉町が設置した「ならは薬局」だ。県薬などが設立した県復興支援薬剤師センターが運営している。震災・原発事故後に帰還が進む地域の医療を支えるため、重要な役割を果たす施設と認識するが、収益は見込めないという。それでも「運営する意義は大きい」との自負がある。 前述の通り、医大が敷地内薬局設置の公募を行ったのは「実質10日間」だが、取締役は医大が事実上、県薬に一声も掛けなかったことを突き放されたと感じているようだ。 「悔しいと思うのはわがままに過ぎないのでしょうか」(同) 残酷だが、医大も患者も便利になれば、事業者が県内であれ県外であれ関係ないのだろう。 勉強会開催の狙い  他方でこの取締役は、帰還地域におけるI&Hの動きをいぶかしむ。 「関連団体が、医大敷地内薬局の公募審査結果が出る4日前(2月24日)に厚労省の官僚や県内市町村職員を巻き込んで会議を開いていたんです」 主催は任意団体の「福島薬局ゼロ解消ラウンドテーブル実行委員会」。目的は名前の通り、震災・原発事故後に住民が帰還しつつある地域への薬局整備を考えるもの。事務局は城西国際大学アドミニストレーション学科(東京都)。同委員会メンバーにはI&Hの岩崎英毅取締役のほか、同大や岡山大医学部、東邦大薬学部の教員ら4人が名を連ねている(表3)。 表3 福島薬局ゼロ解消ラウンドテーブル実行委員会(敬省略)メンバー役職渡邉暁洋岡山大学医学部助教小林大高東邦大学薬学部非常勤講師岩崎英毅I&H取締役鈴木崇弘城西国際大学国際アドミニス トレーション研究科長黒澤武邦城西国際大学国際アドミニストレーション研究科 准教授  4人の名前をネットで検索してみると、過去に国会議員の政策担当秘書を務めたり、自民党のシンクタンク設立に関わったりしたほか、原発事故の国会事故調事務局に勤務するなど、政府―薬局―福島県をつなぐ顔ぶれだ。 筆者はI&Hに「岩崎取締役が同委員会に所属し、福島県内で会議を開いたのは、営業や情報収集が目的ではないのか」と尋ねたが、同社は「知見や課題を共有することで無薬局解消につなげるため」と答えた。公式には勉強会ということだ。 同委員会の実態は詳細には分からないが、I&Hが県内進出に積極的な姿勢であることは間違いない。今後、地元薬局は同社と協調していくのか、それとも対抗していくのか、対応を迫られるだろう。 これまで中小規模の地元薬局は「医薬分業」を推進するための規制に守られてきた。医大に敷地内薬局が設置されることについて、前出・前県薬会長の町野氏は「影響は微々たるもの」とする。だが、2018年11月に敷地内薬局が設置された長岡赤十字病院(新潟県長岡市)の近隣薬局3店舗では、処方箋枚数が設置前より4分の1減少し、金額ベースで10%落ち込んだという(『NIKKEI Drug Information』2019年4月号)。 医大の近隣・敷地外薬局でも持ち込まれる処方箋が減るのは間違いない。問題は影響をどこまで抑えられるかだ。地元薬局は楽観していないだろう。 あわせて読みたい 【浪江町】新設薬局は医大進出の関西大手グループ

  • 浪江町社会福祉協議会で事務局長が突然退任

     浪江町は帰還困難区域のうち、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除の動きが進む。3月に解除の判断が示されるが、本誌編集部には「解除後の医療福祉は大丈夫なのか」と心配の声が寄せられている。調べると、浪江町社会福祉協議会では本誌既報のパワハラ問題が解決していない。(小池航) 調査で指摘された自身のパワハラ  本誌昨年11月号「浪江町社協でパワハラと縁故採用が横行」という記事で、職員によるパワーハラスメントが蔓延している問題を取り上げた。被害者がうつ病を発症して退職を余儀なくされ、業務をカバーするため職員たちの負担が増加した。加害者は1人で会計を担当しており、替えが利かない立場を笠に着て、決裁を恣意的に拒否していた。こうした事態は専門家からガバナンス崩壊と指摘された。 浪江町社会福祉協議会の事務方トップである事務局長は、加害者を十分に指導せずパワハラを放置していた。自身は、親族や知人の血縁者を少なくとも4人採用。介護業界は人手不足とは言え、求められているのは介護士や看護師など福祉や医療の有資格者。事務局長が採用した職員たちは資格を持たず、即戦力とは言い難かった。職員や町民から「社協を私物化した縁故採用」と問題視されていた。 その事務局長が3月末付で退くというのだ。2月中旬を最後に出勤もしていない。 退任するのは鈴木幸治事務局長(69)。同社協の理事も兼ねる。鈴木事務局長は53歳ごろまで町職員を務めた後、町内の請戸漁港を拠点に漁師に転身。大震災・原発事故後の2013年から町議を1期務めた。鈴木事務局長によると、議員を辞めた後に本間茂行副町長(当時)に請われ、2019年から現職。現在2期4年目。 鈴木事務局長は昨年10月、筆者が同社協で起こっていたパワハラについて取材した際、「調査する」と明言していた。筆者は調査の進展を聞くため2月20日に同社協の事務所を訪ねた。鈴木事務局長との面談を求めたが、応対した職員から不在と伝えられた。代わりに理事会のトップを務める栃本勝雄会長が応じた。この時、筆者はまだ鈴木事務局長が辞めるとは知らされていなかった。 栃本会長は調査の進捗状況をこう説明した。 「弁護士と相談し、全職員にパワハラを見聞きしたかアンケートを実施したが、報告できるようなきちんとした結果はまだ出ていません。調査結果の報告、パワハラに関与したとされる職員への対応、社協内でのハラスメント対策をどうするかも含め、弁護士と相談しながら進めているところです」 ハラスメントは重大な人権侵害と厳しい目が向けられる昨今、一般企業や役所では規則を整え、調査でハラスメントによる加害行為が認定された職員は懲戒処分の対象になる流れにある。栃本会長によると、加害行為の疑いがある職員は在職中とのことだが、 「懲戒処分にするかどうかという話までは発展していません」(同) アンケートは昨年末までに実施した。同社協が依頼した弁護士に、職員が個別に回答を郵送、弁護士は個人が特定されない形にまとめた。公平性を担保するため、パワハラの舞台となった同社協はアンケートに関わる作業にはタッチしていないという。1月に入り、中間報告という形で結果が上層部に明かされた。全職員や理事会、評議会には知らせていないが、栃本会長は 「年度内には全職員に正式結果を知らせる予定です。理事会には正式結果と合わせて経過の報告も必要と考えています。ただ、現時点では正式結果がまとまっておらず、お答えできません」 ここまで質問に答えて、栃本会長は一息ついて言った。 「何せ私も吉田数博前町長(同社協前会長)から引き継いで昨年6月に就任したもので。ですから、会長に就くまでは内情を知らなかったんです」 筆者が「やはり詳しいのは長年勤めている鈴木事務局長ですかね」と聞くと、 「鈴木事務局長は休暇に入っています。任期満了を迎える3月末で辞める予定です」(同) 栃本会長によると、1月下旬に鈴木事務局長から「体調が思わしくないので、任期満了を迎える今期で辞めたい」と言われたという。事務所にあった私物も既に片付けており、再び出勤するかどうか分からないとのこと。 パワハラを放置した責任を取って辞めたということなのだろうか。栃本会長に問うと「私には分かりませんし、彼とはそのような話はしていません。任期満了となるから辞めるだけでしょ」。 鈴木事務局長はデイサービス利用者の送迎も担当していた。 「今はデイサービスの事業所に任せています。人手が必要なのに痛手ですよ。残った職員でカバーしながらやっています」(同) 公用車の私的使用も 参考画像 トヨタ「カローラクロス」(ハイブリット車・2WD)2022年12月のカタログより  体調不良で休んでいるというのが気になる。昨年11月号の取材時、パワハラを放置した責任があるのではないかと考え、鈴木事務局長に根掘り葉掘り質問した。あるいは記事により心身が病んでしまったのだろうか。後味が悪いので、事務局長が現在どうしているか複数の町関係者に問い合わせると意外な事実が分かった。 「同社協では『事務局長はどうしているか』と質問されたら『任期満了で辞める』と答えることになっているそうです。ですが実際の話は少し違います」(ある町関係者) 任期満了で退くのは事実だが、任期を迎える1カ月以上も前から、送迎の役目を投げ出してまで出勤しなくなったのは確かに不可解だ。取材で得られた情報を総合すると、鈴木事務局長は同社協にいづらくなり、嫌気が差して一足早く去ったというのが実情のようだ。 発端は、前述の同社協上層部に先行して伝えられたアンケート結果だった。 パワハラの加害者と疑われる職員から受けた被害が多数記述されていると思われたが、ふたを開けてみると、鈴木事務局長自身もセクハラ、パワハラ、モラハラの加害者という回答が相次いだのだ。「こんな人がいる職場では働けない。1日も早く辞めてほしい」と切実な訴えもあったという。 ハラスメントだけではなかった。同社協が職務に使っているSUVタイプの自動車「トヨタ カローラクロス」を鈴木事務局長が週末に私的利用しているという記述もあった。 同社協が第三者である弁護士にアンケートの集計を依頼し、結果は上層部しか知らないはずなのに、なぜこうも詳細に分かるのか。それは当の鈴木事務局長が自ら明かしたからだ。2月の最終出勤日に部署ごとに職員を集め、前述の自身に関わる内容を話したという。 ハラスメントの加害者のほとんどは組織の中で立場の強い者だ。加害行為を「指導」や「業務」と履き違え、本人は自覚がないことが往々にしてある。だが、被害者が苦痛と感じれば、それはハラスメントになるのが現代の常識。まずは被害者の話に耳を傾け、組織として事実かどうかを認定することが求められる。 昨年11月号の取材で鈴木事務局長は「パワハラがあると聞いてびっくりしている」「当事者同士の言葉遣い、受け取り方による」とパワハラから目をそらし、矮小化とも取れる発言をしていた。自分は関係ないと思っていただけに、今回のアンケート結果に愕然としただろう。部下から「1日も早く辞めてほしい」と言われては、任期満了を待たずに一刻も早く辞めたい気持ちになる。 不祥事追及がうやむやに  いずれにせよ、鈴木事務局長は同社協を去った。それでも、ある職員は同社協の行く末を懸念する。 「アンケート結果が出たタイミングで事務局長が辞めることで、あらゆる不祥事の責任を取ったとみなされ、問題がうやむやになってしまうのを恐れています。このままでは、パワハラを行っていた職員におとがめがないまま幕引きになってしまいます」 鈴木事務局長は決してパワハラと縁故採用の責任を取って辞めるわけではない。同社協が表向きの理由として知らせているように、任期満了を迎えるから辞めるのだ。既に出勤していないのも「体調が思わしくない」と栃本会長に申し出たためだ。 間もなく70歳のため、高齢で体力的に職務が務まらないなら仕方がない。ただ、栃本会長は「鈴木事務局長が担当していたデイサービス利用者の送迎を他の職員に頼んでいる」と漏らしており、急きょ出勤しなくなったことで、サービスの受益者である町民や同社協職員の業務に与えた影響はゼロではないだろう。 こうした中、町民と職員が関心を寄せるのが後任の事務局長だ。同社協は退職した町職員が事務局長に就くのが慣例だった。社協は、建前は民間の社会福祉法人だが、自治体の福祉事業の外注先という面があり、委託事業や補助金が主な収入源。浪江町社協の2021年度収支決算によると、事業活動による収入のうち、最も多くを占めるのが町や県からの「受託金収入」で1億5300万円(事業活動収入の約68%)。次が町の補助金などからなる「経常経費補助金収入」で4400万円(同約19%、金額は10万円以下を切り捨て)。 自治体の補助金で運営が成り立っている以上、社協と調整を円滑にするため自治体職員を派遣するのが通常で、現に浪江町でも町職員を1人出向させている。 栃本会長は「後任の事務局長は町役場と相談しながら決めます」と話す。同社協との実務を調整する町介護福祉課の松本幸夫課長は、後任の事務局長について、 「町長や副町長には同社協から報告が上がっていると思いますが、介護福祉課には伝わっていません。社会福祉行政に明るい人物も考えられるし、それ以外の人も含めて検討していると思います」 要するに、発表できる段階にはないということだ。 同社協は人材不足にも陥っているが、栃本会長は人材確保に向けた方針を次のように明かす。 「現場で実務を担う介護や医療の有資格者を募集しなければならないと思っています。地元のために一緒に働いてくれるだけで十分ありがたいのですが、半面、限られた人員で運営していく以上、採用するなら有資格者が望ましいです」 鈴木事務局長が行った無計画な縁故採用からの脱却が進みそうだ。 最後に、同社協の目指すべき未来を示した発言を紹介する。長文だが重要なのですべてを引用する。 《震災後、役場機能の移転に合わせて社協も転々としました。避難当時の混乱で職員が一人もいなかった時期もありました。一部地域の避難指示の解除を受け、2017(平成29)年4月に社協も町へ戻ることができました。現在は、浪江町と二本松市の事務所を拠点に、町民の様々な福祉サービスに取り組んでいます。 福祉における一番の課題は、これからの介護です。町内に居住する住民1600人のうち65歳以上の割合を示す高齢化率は約40%ですが、震災前に町に住んでいた人に限ると約70%と非常に高くなっています。自分の子どもや孫と離れて一人で暮らす方も多く、次第に介護が必要となってきています。2022(令和4)年には、町の地域スポーツセンターの向かいにデイサービス機能を備えた介護関連施設が完成する予定です。私たち社協は、オープンと同時に円滑にサービスを提供できる体制を整えていきたいと考えています。 原発事故の影響で散り散りになった町民にとっては、テーブルを囲み、お茶菓子を食べて語り合うだけでも、心の拠り所になるはずです。そんな交流の場を必要としている高齢者が町には数多くいます。浪江町民のために役場との連携をより深め、福祉政策の実現に取り組んでいきたいと思います》(『浪江町 震災・復興記録誌』2021年6月より) 発言の主は鈴木事務局長。筆者も同感だ。 あわせて読みたい 【浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

  • 【谷賢一氏】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

     飯舘村出身の俳優・大内彩加さん(29)が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(40)から性行為を強要されたとして損害賠償を求めて提訴している。谷氏は「事実無根」と法廷で争う方針だが姿を見せず「無実」の説明もしていない。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に単身移住。浜通りを拠点に演劇の上演や指導を計画していた。大内さんは、「劇団員にしてきたように福島でも性暴力を起こすのではないか」と恐れ、被害公表に踏み切った。(小池航) 【大内彩加】飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相  谷氏から性被害を受けたと大内さんがネットで公表したのは昨年12月15日。翌16日からは谷氏の新作劇が南相馬市で上演される予定だったが、被害の告発を重く見た主催者は中止を決定。谷氏は自身のブログで、大内さんの主張は「事実無根および悪意のある誇張」とし、司法の場で争う方針を示している。 谷賢一氏はどのような人物か。本人のブログなどによると、郡山市生まれで、小学校入学前までを石川町で過ごし、千葉県柏市で育った。明治大学で演劇学を専攻し、英国に留学。2005年に劇団「DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)」を旗揚げした。大内さんが所属しているのがこの劇団だ。 自身のルーツが福島県で、父親は技術者として東京電力福島第一原発で働いていたという縁。さらに、原発の在り方に疑問を抱いていたことから、作品化を目指して2016年夏から取材を始めた。事故を起こした福島第一原発がある双葉町などを訪れ、2年の執筆と稽古を重ねて福島県と原発の歴史をテーマにした一連の舞台「福島三部作」に仕上げた。 作品は2019年に東京や大阪、いわき市で一挙上演。連日満員で、小劇場作品としては異例の1万人を動員した。その戯曲は20年に鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞を同時受賞した。谷氏が昨年10月に双葉町に移住したのは、何度も訪れるうちに愛着が湧き、放っておけなくなったからという。 性被害を受けた大内彩加さんは、飯舘村出身。南相馬市の原町高校2年生の時に東日本大震災・原発事故を経験した。放送部に所属し、避難先の群馬県の高校では朗読の全国大会に出場。卒業後は上京して芝居を学び、イベントの司会や舞台で活躍してきた。2015年からは故郷・飯館村をPRする「までい大使」を務めている。 大内彩加さん。「匿名では揉み消される」と、顔を出し実名で告発した。  大内さんが東京で活動しているころ、谷氏が福島三部作に出演する俳優を募集していると知った。故郷を離れても芝居を通して何かしら福島と関わりたいと思っていた大内さんはオーディションを受けた。 結果は合格。谷氏からは「いつか平田オリザさんと浜通りで演劇祭をやるからお前も手伝うんだぞ」と言われた。平田氏は、劇団「青年団」を主宰する劇作家・演出家だ。震災前からいわき市の高校で演劇指導をしてきた縁で、県立ふたば未来学園(広野町)でも講師を務めた。谷氏は青年団演出部に所属していた(今回の告発を受けて退団)。大内さんは、故郷の浜通りで著名な演劇人の関わるイベントに携わることを夢見た。 三部作の上演に向けて、谷氏が主宰する劇団での稽古が始まった。2018年6月、大内さんが都内で稽古に参加した時だ。谷氏が女性俳優の尻をやたらと触り、抱きついていた。周囲の劇団員は止めないし、何も言わなかった。 間もなく自分が標的になった。休憩に入ると、谷氏は大内さんに肩を揉むように言ってきた。従うと、谷氏は手を伸ばして大内さんの胸を触ってきたという。谷氏はその後もことあるごとに体を触ってきた。大内さんが言葉で拒絶しても、谷氏はやめなかった。 大内さんは「我慢すれば済むこと。三部作に関わるチャンスを逃したくない」と不快感を押し殺した。しかし、被害はエスカレートする。稽古終わりのある夜、谷氏は東京・池袋駅のホームで大内さんを羽交い絞めして服の上から胸を触ってきた。周りには人が大勢いた。大内さんは身長169㌢、谷氏は185㌢という体格差もあり抵抗できなかった。 「俺はお前の家に行く」  同年7月26日は都内で福島三部作の先行上演があった日だ。この日大内さんは谷氏から性被害を受ける。終演後の夜、大内さん、谷氏、出演した俳優たちの計5人で駒場東大前駅近くで飲んだ。男性俳優2人と女性俳優1人が先に帰った。谷氏と大内さんだけが残された。 谷氏は大内さんを羽交い絞めにして、服の中に手を入れて胸を揉んできたという。何度も抵抗したが、力の差は歴然だった。谷氏は「終電を逃したのでお前の家に行っていいか」と聞いてきた。大内さんは1人でホテルに泊まるか、自宅に帰ってほしいと頼んだが、谷氏は「妻には連絡した。俺はお前の家に行く」。タクシーに押し込まれ、自分の家に行かざるを得なくなった。 当時住んでいた家は1LDK。大内さんは、酒に酔っていた谷氏をベッドに寝かし、自分は床やリビングに逃げようとしたが抵抗はむなしかった。 翌日、大内さんは前日夜に飲み会に同席していた女性俳優にLINEでメッセージを送った(図)。動揺と谷氏への嫌悪感が見て取れる。 性被害を受けた翌日の2018年7月27日に、大内さんが女性俳優とやりとりしたLINEの画像。セクハラの証拠となる他のLINE画像は、昨年12月24日配信の「NEWSポストセブン」が公開している。  「彼女も谷からパワーハラスメントを受けていました。2人で傷をなめ合うことしかできなかった」(大内さん) 正式に劇団に籍を置いてからも被害は続いた。大内さんに交際相手がいると知れ渡る2021年3月まで谷氏は胸や尻を触る行為をやめず、LINEではセクハラメッセージを送り続けた。 大内さんは何もしなかったわけではない。劇団内で解決しようと、古参の劇団員にレイプ被害を打ち明けた。だが、答えは 「大内よりも酷い目に遭ったやつはいっぱいいたからな。それで辞めていった女の子はたくさんいたよ」 谷氏の振る舞いは、古参劇団員も目撃しているはずだった。 「性暴力は、この劇団では当たり前のことなんだ、誰も助けてくれないんだと絶望しました」(大内さん) 2022年春頃、大内さんは稽古中も、街中で1人でいる時も訳もなく涙が出てきた。何を食べても味を感じないし、芝居を見ても本を読んでも頭に入ってこない。歩けずに過呼吸になったこともあった。間もなく舞台から離れた。 同年5月ごろ、谷氏は劇団内でハラスメント防止講習を行い、「ハラスメントを許さないという姿勢を外部に表明しよう」と提案した。「劇団内でハラスメントがあったから対策をするんですよね」。谷氏のこれまでの所業を暗にとがめる劇団員の質問に、谷氏は「してきたわけではない」と否定。ただ「決して品行方正な劇団ではないが、何も言わずには済まないだろう」と言った。大内さんは傍で聞いていた。 心身は限界だった。心療内科で同年6月にうつ病と診断された。「私はいつもの状態ではなかったんだ」。病名を与えられて初めて、自分を客観的に眺めることができた。 「死を選んだら谷に殺されたのと同じだよ」  被害に向き合うと、あの日の光景がフラッシュバックする。苦痛から逃れるために「死にたい」と思う希死念慮にさいなまれた。 劇団から距離を置いたことで、少しずつだが被害を友人たちに打ち明けられるようになった。年上のある女性俳優は大内さんにこう言った。 「いま死を選んだら『自殺』ではなく『他殺』だよ。谷に殺されたのと同じ。彩加ちゃんは毎日眠れなくて、苦しくて、辛い思いを何度もしてきたんでしょ。それなら谷にも同じ気持ちを味わわせなきゃ。裁判でも何でもいいから形にして社会に訴えて、これ以上被害者を出さないこと。そうしないと彩加ちゃんはきっとこれからも苦しみ続けるよ」 原町高校時代の友人は、普段の温厚さからは想像できない怒りようだった。 「谷には早く福島から出て行ってほしい。こんなこと、あってはいけない」。そして、「彩加は全然悪くない」と言ってくれた。 「私は怒っていいんだ」。我慢することばかりで、自分の感情にふたをしていた。友人たちが自分の身に起こったことのように憤ってくれたことで、大内さんは怒りの感情を少しずつ取り戻していった。 性被害を告白できるまでには4年かかった。弁護士からは、刑事告訴するには時間が経っているため立証が難しく、時効も高い壁になるだろうと言われた。民事で損害賠償を求める選択しかなかった。 提訴は2022年11月24日付。判断を法廷に託したのは、演劇界で性暴力、パワハラなどあらゆるハラスメントが横行している現状を見過ごされないように広く訴えるためだ。 同年9月には、別の劇団の男性が自死したと聞いた。ハラスメントとの因果関係は不明だが、主宰者から何らかの被害を受けて退団したという話は耳にしていた。 「男性が亡くなったと聞いた時、なんでもっと早く私自身の被害を明らかにしなかったんだろうと悔やみました。同じ境遇の人が他にもいると彼が知っていたら、『自分だけじゃない』と自死を踏みとどまったかもしれない。提訴しなければならないと決意したのは、彼の死を知ったからです」(大内さん) 「性暴力は福島県でも起こりうる」  提訴は、谷氏の所業を福島県民に知らせ、移住先での新たな被害を防ぐ狙いもあった。性暴力は稽古場や谷氏が酒に酔った際に起きている。谷氏は双葉町で一人暮らしをしていた。移住先では自宅で稽古を付け、酒宴を開くこともあると知り、「劇団員にしてきたことが福島でも起こりうる」と大内さんは恐れた。 大内さんは東京地裁で1月16日に開かれた裁判の第1回期日に出廷し、閉廷後に記者団の取材に応じた。法廷に谷氏の姿はなかった。 本誌は谷氏にメールで質問状を送り取材を依頼した。「訴訟代理人を通してほしい」とのことだったので、谷氏の弁護士に質問状を郵送したが、期限までに返答はなかった。 谷氏は福島県で何をしようとしていたのか。公開資料を読み解く。 谷氏は昨年9月16日に「一般社団法人ENGEKI BASE」を設立している。法人登記簿によると、主たる事務所はJR双葉駅西側に隣接する帰還者用の住宅。谷氏の新居だ。代表理事に谷賢一、他の理事に大原研二、山口ひろみの名がある。大原氏は南相馬市出身の俳優で、福島三部作では大内さんと一緒に方言指導を務めた。被害告発後には、谷氏が主宰する劇団を退団したと発表している。 同法人は演劇を主とした文化芸術の発信・交流による福島県の地域活性を事業目的とし、「演劇・舞踊などの舞台芸術作品の創作・発信」「アーティストの招聘」「演劇事業の制作」を掲げている。現在、ホームページが閲覧できず、谷氏の回答も得られていないため全容を知ることはできないが、谷氏はこの法人を軸に福島県での活動を描いていたようだ。 実際、1月20~22日に富岡町で開かれた「富岡演劇祭」(NPO法人富岡町3・11を語る会主催)では、当初協力団体に名を連ね、谷氏はシンポジウムで前出・平田オリザ氏と対談する予定だった。テーマも「演劇は町をゲンキにできるか?」。双葉町へ移住した谷氏あっての企画だ。しかし、大内さんの被害告発を受け、主催者は谷氏との断絶を宣言し、シンポの「代打」には文化庁次長や富岡町職員ら3人を当てた。谷氏が所属していた劇団青年団主宰の平田氏も登壇したが、本来の対談相手がいなくなったことに言及する者は誰もいなかった。 谷氏の「裏の顔」は演劇界以外には知られていなかったので、内情に疎い県民が「被災地を応援してくれている」ともてはやしていたのは仕方がない。問題は、谷氏とまるで関係がなかったかのように取り繕うことだ。 最たる例が地元紙だ。帰還地域に移住した著名人だったこともあり、初めは「再起した双葉から、新たな物語が始まろうとしている」(22年10月9日付福島民友)などと盛んにPRした。ところが大内さんが性被害を公表すると、福島民報も福島民友もばつの悪さからか関連記事は共同通信の配信で済ませている。独自取材をする気配はない。メディアが報じるのに及び腰のため、ネットでは憶測を呼び、当事者はバッシングなどの二次被害を受けている状況だ。 谷氏は口を閉ざすが、大内さんはあらゆるメディアの取材に応じる方針だ。だが、地元メディアは積極的に取り上げようとしない。福島県出身の被害者の真意が県民に伝わらないのは、この県の悲劇である。 その後 https://twitter.com/o_saika/status/1630131447188303873 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635965899386793984 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635966118958620672 あわせて読みたい 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 セクハラの舞台となった陸上自衛隊郡山駐屯地【五ノ井里奈さん】 生業訴訟を牽引した弁護士の「裏の顔」【馬奈木厳太郎】

  • 一人親方潰しの消費税インボイス

     今年10月から「インボイス制度」が始まり、年間の売り上げが1000万円以下の事業者は収入減の危機に瀕している。影響を受けるのは、地方では大工などの「一人親方」、都市部ではフリーライターや個人タクシーなど。制度が始まると収入減に加え事務負担も増えるため、高齢の一人親方は廃業を検討する人も多い。県内の商工団体からは、政府に対し制度の検証を求める声が上がっている。(小池) 収入減迫られ廃業考える事業者も  インボイス(適格申請書)とは、売り手が買い手に対し料金に消費税が含まれていることを証明する書類のことだ。消費税を納めている「課税事業者」でないと発行できない。インボイス制度は2019年の消費税10%増税と軽減税率が始まった際、「消費税の複数税率制度下において適正な課税を確保するため」という理由で導入が決められた。  それでは、なぜ制度導入で売り上げ1000万円以下の事業者は収入減になるのか。それを知るには消費税の納め方を説明する必要がある。財務省ホームページに掲載されている図を使う(図)。  消費税は物やサービスの「取引」にかかる税金。消費者は、消費税を「負担」、つまり商品本体価格に上乗せされた分を払ってはいるが、納める手続きはしていない。手続きは納税義務者に当たる「課税事業者」が行っている。図で言うと小売業者の服屋、卸売業者、服の製造業者だ。  各事業者の下部に記された金額は、売り上げに課された「仕入税額控除」前の納税額を表している。合計すると2200円となり、消費者が負担した1000円を超える。重複して課税が行われていることになる。  重複課税を防ぐため、課税事業者は前述の控除を行っている。インボイス制度下では、制度への登録申請を行った業者(=課税事業者)が発行するものしか「インボイス」と認められず、これがなければ仕入税額控除が原則受けられなくなる。  既に課税事業者の場合は、登録すれば済む話だ。問題は、仕入れ先が年間の売り上げ1000万円以下の「免税事業者」である場合だ。  免税事業者は消費税を納めていないので、仕入税額控除もこれまで必要なかった。だが、自分の商品・サービスの買い手である発注元がインボイスを求めてきたら対応を迫られる。取る道は二つある。  ①消費税免税の権利を放棄して課税事業者となりインボイスを発行。売り上げの消費税を新たに払う。  ②免税事業者のままでいて、料金を値下げする。値下げした分を発注元が納める。  ①も②も免税事業者の自腹分が増え、収入が減る。身近な例で言うとハウスメーカー(課税事業者)と一人親方(免税事業者)の関係がなじみ深いだろう。  顧客がマイホーム建築をハウスメーカーに依頼。メーカーは大工、内装業者、電気設備業者、左官業などの一人親方に仕事を発注する。ハウスメーカーからすると、一人親方の中にインボイス発行事業者(=課税事業者)とインボイスが発行できない事業者(=免税事業者)が混在すると面倒だ。インボイスはそもそも仕入税額控除を受けるための証明書だから、全ての一人親方に発行を要求する流れになる。  県内でも、一人親方にそれとなく課税事業者に移行するよう促す動きがあるようだ。ある商工団体の職員はこう話す。  「『元請から課税事業者に登録するつもりかどうか聞くアンケートが来た』という相談が一人親方から多数寄せられています。(昨年)11月までに回答してほしいという要望もあったそうです」  なぜ「つもりかどうか」などとまどろっこしい聞き方をするのか。それは「課税事業者になってほしい」と一方的に言うと、元請と下請という上下関係下での要求から、独占禁止法の「優越的地位の乱用」に当たる恐れがあるからだ。強気な一人親方でなければ、元請の言外の意味をくみ取って「登録する」に〇をつけるだろう。  一人親方らが加盟する全国建設労働組合総連合と一般財団法人建設経済研究所は、昨年9~10月にかけてインボイス制度に関するアンケートを行った。その中の「取引している上位企業から、あなたが『課税事業者と免税事業者のどちらなのか』をアンケートや口頭などで聞かれたことがあるか」との設問には16・1%(305人)が「ある」と答え、残り83・9%(1591人)が「ない」と答えた。  県内のハウスメーカー社長も「一人親方との取引はありますが、インボイス制度は周知していません。対応もまだ決めていない。何しろ理解が追いついていなくて」と言う。  社長のコメントを裏付けるように、民間信用調査会社の東京商工リサーチが昨年12月上旬に全国の企業に行ったアンケートでは、インボイス制度に登録しない免税事業者との取引について、「検討中」が46・7%で最多だった。以下「これまで通り」40・3%、「取引しない」10・2%、「取引価格を引き下げる」2・7%。免税事業者に負担を強いる「取引しない」「取引価格引き下げ」が、前回の8月調査と比べて0・4~0・6㌽上昇とジワリ増えているという。  調査対象の大企業(602社)、中小企業(3808社)別では、「取引しない」が大企業で5・8%、中小企業で10・9%。中小企業の方がよりシビアに判断している。現時点で「検討中」の前出・ハウスメーカー社長も、一人親方にインボイスを要求する可能性が高いだろう。 複雑な税制が現場に負担  一人親方に限らず個人事業者は、価格交渉で不利な立場に置かれる。免税事業者は、消費税の価格転嫁分を自分の利益にする「益税」が認められてきたとされるが、上下関係がある中、果たしてその分の料金を上げることは実際にできたのか。下請事業者が多数あれば競争が生まれ、企業は「値下げがないなら取引しない」と言える立場にある。結果、価格は下に振れる。インボイス制度導入は「益税」を税収に変える狙いもあるが、そもそも、その恩恵を零細事業者がこれまで受けてきたかどうかは検証が必要だ。  インボイス制度導入で一人親方の収入が減ることは分かった。だが商工団体に寄せられる相談を聞くと、そもそも分かりにくい制度であることが問題のようだ。前出の商工団体職員は、理解できずに判断を決めかねている一人親方が多いことを指摘する。  「複雑すぎて分からないので『自分1人では商売ができない』と悩む一人親方がほとんどです。皆さん、腕一つで稼いできた職人です。経費も掛からず、売り上げ=収入の仕事のため、免税事業者として過ごしてきました。これまでやってきた税の計算は所得税ぐらい。我々だって制度を理解するのに一苦労しました。それを、なじみのない人にゼロから説明するとなると相当ハードルが高い。『損得がどうなるのか、はっきり教えて』と言われるけど、人によって条件が違うから一般論でしか話せません」  筆者も昨年12月に相馬税務署で開かれた説明会に参加したが、出席者に冊子が配られ、それを読み上げただけで具体例の説明はなかった。 相馬税務署での説明会  実際、出席者に制度を理解できた様子はなく、職員に個別相談を申し込む人もいた。今後、税務署の負担が増えそうだ。  インボイス制度で課税事業者になるかどうかは、あくまでも任意だ。「あなたが得な方を選んで」という政府の方針は聞こえはいいが、現実は零細事業者に課税事業者になることを強いるつくりになっている。商工団体や一人親方など現場に丸投げしているとしか言いようがなく、制度の導入自体が拙速だ。  県内のある税理士も制度上不備があると指摘する。  「事務手続きなど手間は相当かかります。猶予期間中は複数の書類が併存することになる。インボイスは軽減税率に伴う制度ですが、世界を見渡すと、軽減税率自体が非効率的だからやめる流れになっています」  「日本の場合、法律をいくつもつくって複雑になっています。インボイス導入と猶予期間、さらに影響がないように軽減措置というように、制度をつくった財務省ですら複雑すぎて訳が分からなくなっているのではないでしょうか。複雑な仕組みを未だにアナログな日本で進めようとしているから無理が生じている」  「結局、制度をつくっても検証しきれてないことが問題です。本当はもっと単純にして分かり易くした方が、社会的には効率的で平等になるのではないでしょうか。複雑にすればするほど、理解が追いつかない人は置いてけぼりで損をしてしまう」  一人親方は、まさに置いてけぼりだ。この税理士によると、売り上げ1000万円以下の事業者が課税事業者になると、新たな消費税負担は10万円単位になるという。 廃業の一要因に  自民・公明両党は昨年12月、2023年度の与党税制大綱にインボイス制度導入時の軽減策を盛り込んだ。免税事業者が新たに課税事業者になる場合、3年間は納税額を客から受け取った消費税の2割とし、本来の納税額より少なくする。売り上げが1億円以下の事業者を対象に、1万円未満の仕入れはインボイスを不要とし、事務負担を少なくする。  日本商工会議所(日商)の小林健会頭は、軽減策を受けて「真に負担軽減に資するかを検証し、必要に応じて制度改善を行うとともに、免税事業者等に対する政府広報を徹底し、事業者の混乱防止に全力を尽くしていただきたい」とコメントしている。日商は昨年9月、インボイス制度について①政府による十分な検証、②普及・周知の徹底、③影響最小策の検討、④検証と実態を踏まえ制度導入時期の延期を求めていたが、③が認められた形だ。  筆者は県内の10商工会議所に、インボイス制度について会員事業所からどのような相談が寄せられているか聞き取り調査をした。  「制度が分からない」「複雑で下請に理解してもらうのが難しい」はこれまでの事例の通り。インボイス制度自体の影響は未知数だが、原料が高騰しても価格転嫁できない状況がある中で「消費税負担が生じると厳しい」と、業績悪化の要因の一つに挙げる意見があった。中でも目を引いたのが「高齢化が進む零細事業者は制度を契機に廃業が進むのでは」という懸念だ。  個人事業主が多く加盟する民主商工会(民商)では既に現実になっているという。福島市、伊達市、伊達郡を管轄する福島民主商工会(会員約130人)は60~70代が中心。最も多い業種は建設関連業40~50人で全会員の約3割を占める。  内訳は大工、電気・水道などの設備工事業、サッシ業、左官業、塗装業、板金業、内装リフォーム業、建具業など。ハウスメーカーの発注を受けている一人親方だ。  「収入は減っても免税事業者にならなければ仕事がもらえない。『どうすっぺな』と悩む一方、高齢になったのでこれを機にやめるという人もいます」(福島民商の担当者) 将来の芽を摘み取る  インボイス制度で収入が減るのは主に企業にサービスを売るフリーランスの事業者だ。ライターや俳優など表現活動を生業とする人や個人タクシーなど、都市部で見られる仕事が多い。一方、地方の福島県で収入が減るのは、ほとんどが建設業に従事する一人親方だ。  複雑な制度を前に、みんな右往左往している。当事者であるにもかかわらず、問題の根本が分からないまま決断を迫られている。  とりわけ一人親方は、よく分からないので元請のハウスメーカーに一任している状況だ。結果、課税事業者となり収入が減ることになる。前出の商工団体職員が建設業界の事情を話す。  「建設業の中で、一人親方は『調整弁』の役割を果たしている。工事を早く終えるには多くの従業員が必要だが、常に同じだけの仕事量があるとは限らない。暇な時に従業員を抱えるのは経営上のリスクになる。最低限の従業員を抱え、忙しい時に一人親方に外注するのが発注元の効率的なやり方です」  「税制上のメリットもあります。従業員への給料は仕入税額控除ができないが、一人親方への外注は、実態は『給料』でも名目は『取引』なので消費税が課され、控除が可能なのです」  一人親方にとっても悪い仕組みではないという。  「特定のメーカーに縛られず、多方面から仕事を受けられます。個々の取引の売り上げは少額でも、受注数を増やして収入を確保する。建設業界はこうしたバランスで成り立っています」(同)  建設現場では世界的な原料不足で資材が高騰している。人手不足も恒常化している。そうした中で、インボイス制度を契機に「調整弁」である一人親方の廃業が増えたら、業界にとっては大きな痛手だ。福島県は建設業者が多く、地域経済の担い手でもある。一人親方とはいえ事業者が減ることになれば、経済の沈下はますます進むだろう。  「だからこそ、開始時期は10月に迫っているが制度の検証が必要なんだと思います。政府には再考を求めたい」(同)  政府はフリーランスのような多様な働き方を勧めているが、インボイス制度はこれら事業者の収入を減らす。やることが逆行している。政府は起業も支援しているが、これも制度によって阻まれる。今ある企業も設立当初は、軌道に乗るまで売り上げが少なかったはず。制度は、そのような新参者にも容赦なく消費税を課す。成長の芽を摘み取ることにならないか。食べていける収入を確保できなければ、チャレンジしようとする人が出てこなくなってしまう。  政府は地域を支える零細事業者の存続や新規事業者の参入よりも、インボイス制度導入による実質増税という目先の利益を選んだ。悪いことに、復興特別所得税の防衛費流用も強行する。少子高齢社会の中、「日本に将来性はない」と税制が自ら証明しているようなものだ。