東京電力福島第一原子力発電所を題材にした演劇「福島三部作」で知られる劇作家谷賢一氏(42)から性行為を強要されたなどとして、谷氏が主宰する劇団に所属していた女性俳優大内彩加さん(31)=飯舘村出身=が谷氏に損害賠償を求めた訴訟が和解した。東京地裁で開かれた証人尋問をリポートする。
証人尋問が浮き彫りにした「和解」の実相
大内彩加さんは、谷賢一氏が主宰する劇団に所属していた2018年7月に性行為を強要された他、日常的に体を触られるなどのセクハラを受けたとして2022年11月に谷氏を訴えた。谷氏は「事実無根」と主張し争っていた。
谷氏は2018年10月、原発事故による避難指示が解除された双葉町に東京から単身移住し、活動拠点を構えたことがある。劇団主宰者という優越的立場から、劇団内で谷氏によるハラスメント行為が横行していたと言う大内さんは、谷氏が浜通りを拠点に演劇活動を始めることで「福島県内でも性暴力やハラスメント行為が起こりうる」と危惧し、提訴後に被害を公表した(本誌2023年2月号で詳報)。
これまで裁判は非公開で進められてきたが昨年10月28日、東京地裁で公開の証人尋問が開かれた。50人ほどが座れる傍聴席はすべて埋まり、あぶれる人もいた。
尋問終了後、裁判所は判決の期日を今年1月27日に指定したが、裁判官の仲裁で協議を重ねた原告と被告は「裁定和解」を受け入れ、昨年11月27日に双方がネットを通じて公表した。
谷氏が自身のブログに載せた「裁判所による裁定和解に至る考え」によると、裁判所の判断は次の通り。
《本件においては、劇団の主宰者(被告)による劇団員(原告)に対する行為が不法行為となるかどうかが問題となっている。具体的には、①被告が、原告の胸部や臀部を複数回触ったことに関し、原告の同意があったかどうか、②被告が、原告の意に反し、性行為を強要したかどうかが主たる争点となっている。上記①の点については、原告が迎合的な態度を示すことがあったとしても、劇団の主宰者と劇団員という立場の差に鑑みると、原告の真摯な同意があったとは認め難く、一定の不法行為責任が生じ得る行為であったといえる。一方、上記②の点については、原告の立証に隘路があること、また、行為があったとされる時期に照らすと時効が成立し得ること等の事情を踏まえると、不法行為責任を追及するのは困難といえる。(以下は双方を諭す内容なので省略)》。和解条項は非公表。
原告の大内さんは、自身のnoteで「勝利的和解」という受け止めを示した。谷氏が大内さんの胸や尻を複数回触ったことについて、裁判所が劇団の主宰者と劇団員の立場の差を鑑み、「原告の真摯な同意があったとは認めがたく、一定の不法行為責任が生じる行為であったといえる」と判断したからという。
一方、被告の谷氏は自身のブログで「事実と異なる点についてはこの先名誉毀損の訴えを起こし白黒を明らかにする覚悟でいましたが、今回裁判所から提示された文書により、性行為の強要がなかったこと、その他重要な点において私の主張が受け入れられたと言えることから、訴訟の長期化による疲弊も著しいことも鑑み、和解に同意し、裁判を終了することに致しました」と述べた。
裁判上の和解は「仲直り」を意味しない。10月28日の証人尋問ではどのようなやり取りがあったのか。
路上飲酒時の記憶

大内さんと谷氏の間には衝立が置かれ、互いが見えないように配慮がなされた。原告代理人は大内さんに性交を強要されたとする日の谷氏の飲酒量について質問。夜に劇団員たちと居酒屋を出た後、コンビニで缶ビールを2、3本とウォッカを買って路上で飲んでいたという。大内さんによると、谷氏はかねてから「飲酒しても記憶は残っている」と劇団員に豪語していたが、酩酊状態で稽古場に来て記憶がないことがあった。
2018年当時、大内さんは都内の1LDKの部屋に1人で住んでいた。原告代理人が問う。
――被告は「原告が『ウチに泊まりなよ』と言ってきた」と主張する。
「絶対にありえない」
――なぜか。
「私は身内でさえ自分の部屋に入れるのが生理的に無理なぐらいの潔癖症。私から自分の部屋に『来て』と言うことはない」
――自宅に来ようとする被告を振り切って帰ることはできなかったと述べているが、なぜか。
「後ろから抱き着かれて羽交い絞めにされた。被告は体格がいいので跳ねのけられなかった。深夜の駒場東大駅前ガード下は人通りがなく、助けを求めることもできなかった」
――自宅での被告の行動は。
「ベッドに寝転がりウォッカを飲みながら、私に来るよう命令した」
――どうしたのか。
「嫌だったので距離を取った」
――被告はどうしたのか。
「無理やり手をつかみ私を押し倒した。両肩を力づくで押さえてベッドに押し付けて四つん這いになってきた。私は身をよじって抵抗した」
――抵抗するあなたに被告はどうしたか。
「私の服をまくり上げてショーツを剥ぎ取り、被告の陰部を私の陰部に無理やり押し付けてきた。最悪の状況に絶望し、もし妊娠したらどうしようと考え、被告にコンドームを付けてほしいと懇願した。被告は渋ったが、もう一度頼むと渋々付けて行為に及んだ」
――行為を受けている間、抵抗はしたのか。
「ずっと抵抗していた。首を振ったり体をよじったりして暴れ続けた」
――被告のその後の行動は。
「被告は『つまらない女だ』というようなことを言って、ふてくされたのかベッドで寝た」
――コンドームを付けるよう頼んだのは、性行為に同意したということか。
「一切同意なんてしていない」
大内さんは性行為の強要を示すものとして、友人に不安を打ち明けたLINEのやり取りを当初は「性行為の後のもの」として証拠提出していた。だが、谷氏と大内さんがスマートフォンの位置情報を照会した結果、大内さんが被害に遭ったとする時間帯は、正確にはLINEを送った後だった。大内さんは時系列を訂正。原告代理人の質問に大内さんは「友人にこれから最悪の事態になるのを考えて当たり散らすかのようにメッセージを送った」と説明した。

被告代理人は証言の信用性を崩すために、前記時間の変遷を追及するのに加えて、大内さんの人間関係や性格などに問題があるとして尋問を進めた。原告側代理人は「異議あり。関係ない」と抗議し、裁判長が被告側に質問を変えるよう促す場面があった。さらに、被告代理人は匿名にすべき人物の実名を誤って何度も口外し、原告側から注意を受けた。
次は谷氏への尋問。被告代理人から生活状況を尋ねられた谷氏は、大内さんの告発以降、演劇には関わっていないと話した。ネット上の「炎上」で心が抉られ、こもりがちになると悪い考えを起こしそうなので、マラソンや登山を始め、四国八十八カ所巡りにも挑戦したという。ペンネームで演劇以外の創作活動をしている。体調不良が続くが、この日は裁判のために整えてきた。
――原告が主張する「同意のない性交」はあったか。
「ありえない」
――なぜそう言えるのか。
「酒量が多かった。その日は夜に劇団員複数人で、居酒屋で飲んだ。ジョッキやとっくりで4、5杯は飲んだと思う。店を出ると路上に缶や瓶を四つ五つ並べて飲んだ」
――記憶はあったのか。
「記憶を失うほどではない」
――なぜ性交できないのか。
「当時、うつ病の治療のためにアモキサンという薬を10年以上使用していた。この薬を飲むと男性機能が働かない。通常の性交は無理。強制的な挿入はなおさら難しい」
――原告の家に行ったのは間違いないか。
「間違いない。『東京公演が終わったら私と一緒に飲んでほしい』との趣旨のことを言われていた。『演劇のことを話したい』『家が近いから泊まってもいい』とも。終電を逃し、駅前のファストフード店の前に酒瓶を並べて飲んだ」
――原告から「私の家に来ていいよ」と言われたのは当日か。
「『いざとなったら家に来てください』と言われたが、当日かは分からない。事前に言われたのだと思う」
――帰れなくなった後に「泊まりなよ」と言われたのか。
「言われた」
――家ではどこにいたのか。
「床に転がって酒を飲んでいた」
――その後は?
「原告が『そんなところに寝ていないでベッドに来たらどうですか』と言った。原告から『酒臭い』や『距離が近い』などと言われたのだろう。『これ以上はなし』と言われ、最後は床で寝てそこで起きた」
昔のノリが残っていた
――駒場東大駅前で原告の後ろから抱き着いて羽交い絞めにしたか。
「現場は深夜とはいえ人の目が相当ある。男女が2人で密接していたら目に付くし、羽交い絞めにしたら目立つ。実際私はやっていない」
――劇団内で他の女性に触る行為はあったか。
「はい」
――その行為をどう思うか。
「反省している」
――なぜそう思うのか。
「昔、親しい女優とふざけてやっていたノリが残っていた。時代の変化を見て、お互い減らしていこうと思ったが、自粛するのが遅かった」
――原告が触られたと主張しているハラスメントについて。
「原告は自分から際どい下ネタを言ってきて積極的だった。自分の体をネタにし、『私なんとも思ってないですから』と一種のタブーを破る行為をしていた。原告の提案と合意の中でやっていた」
最後は、原告代理人からの尋問。
――劇団内で特定の女性の胸や尻を触ったのは認めている。
「はい」
――2010年8月20日のツイッターでは別の劇団の女性たちについて、「片っ端からお尻触っておいた」と投稿している。
「やってない。ツイッターに事実を書くとは限らない。フィクションやユーモアではありえないことを書いて笑いを取ることがある」
――事実と違うということか。
「悪ふざけで書いた。その人たちは全員尻を触って許してくれるような人ではないし、そのような関係性にはない。書き込みは嘘だと思う」
――2018年には原告の尻や胸を触っていたのでは。
「肩揉みは私から頼んだのではなく原告からしてきた。私の頭に胸が当たっているので、『当たっているよ』と言うと『当ててんのよ』と返し、周りがはやし立てる流れだった」
――劇団員の男性が「被告が『誰か肩揉んで』と言い、男性劇団員が揉もうとすると、『男には揉まれたくない』と言われ、実際に揉むのは女性だけだった」と証言している。
「事実と違う。年上の男性劇団員がよく揉んでくれた」
――被告はふざけて胸に手が当たったと陳述している。
「当たったのではなく原告が当ててきた。注意する時に手で払って原告に突っこまれるやり取りはあったと思う」
――原告は行為をやめてもらおうと「先輩劇団員が触るのをやめろと言っています」と被告に伝えたことがあると言っている。
「そのような記憶はない」
――注意を受けたのでは。
「カジュアルな注意だ。触ろうとすると、劇団員にひっぱたかれたり、『ピーポーピーポー、逮捕だ』と言われ、手足を縛られて運ばれた」
――同意がない時は一方的に触ったか。
「『最近触ってこないな』とLINEを送ってきたので1回触った。後の2回は同意を得ていない。2人の関係性があった」
――被告は劇団主宰者であり演出家。原告が上の立場の者に嫌だと言えなかったとは考えなかったのか。
「表面的にはOKだとしても合意を得たとは思っていない。ただ原告は自らOKを言い、その声も尋常でない大きさだった」
「眠りに落ちるセオリー」
――原告の家に行った日、ビール換算で10杯以上飲んだ。記憶を無くさなかったのか。
「記憶を無くすほど酩酊はしていない。風景や会話を覚えている」
――原告に「よかったら泊まって」と言われたのか。
「前日か前々日に来てもいいと言われた」
――なぜ原告の家に行ったのか。
「原告と話をするためだ」
――なぜその場で話さなかったのか。
「夏の午前3~4時。家に行った方がいいとなったのでは」
――なぜ別の日に話さなかったのか。
「この場合の『話をしよう』はお世辞。一緒に家で公演を振り返りどちらからともなく眠りに落ちるのがセオリー」
――よくある話ということか。
「私は年を取ったからなくなったが、若い演劇人はあると思う」
――同じベッドでふざけて抱き着いたのは認めている。
「床にいたら、『ベッドで寝ていいよ』と言われ、ワチャワチャしていたら、距離が近かったのか『ここまで』と言われ、床に移動した」
――どれぐらい抱き着いたのか。
「3秒か5秒抱き着いた」
――許可は取っていたのか。
「取っていない」
――そもそも話をするために家に行ったのでは。
「家の間取りや家賃の話をした」
――なぜ原告に抱き着いたのか。
「男女別々にベッドに入っている状態で距離を詰めるフリ芸だ。『馬鹿、スケベ、近寄るな』と拒否されることで笑いが生まれる。一般の人には理解されないと思うが、原告とはそのようなやり取りを重ねていた」
――「公然と触ることにコミュニケーションの文脈がある」と被告は陳述している。
「実際に触っていたらコミュニケーションではない。ラブコメ漫画のようなシチュエーションだ。抱き着こうとしたら『調子にのるな』と言われ、引っぱたかれて撃沈する。ルパン3世でよくあるでしょう」
――他に見ている人がいない原告宅で抱き着いたのは、「人が見ている前でやることにコミュニケーションがある」という文脈に合わない。
「自制心を働かせている」
――ちょっと何を言ってるか分からないので次の質問。当時アモキサンという薬を処方されていた。確かに副作用で男性機能の減退があるが、性欲亢進という副作用もある。
「性欲亢進と減退が同時に来ることはない」
――当時は性欲減退のみ出ていたということか。
「はい」
◇ ◇ ◇
うつ病治療薬アモキサン(一般名アモキサピン)の添付文書には、「その他の副作用」の中に、1%未満の頻度で「脱力感、発熱、性欲減退、頻尿、性欲亢進」などがあると記されている。
証人尋問で、谷氏は相当量飲酒していたが「記憶はある」と主張している点、夜中に大内さんの自宅を訪ねて抱き着いたことは認めている点が重要だ。谷氏が言うセオリーと一般社会=観客とのズレが露呈した裁判だった。原告と被告は福島との縁が深く、原発事故が題材の演劇に関わっている。原発事故で傷ついた福島県民が見届けるべき係争なのでここに記録する。