7月23日、矢祭町のユーパル矢祭2階多目的ホールで、歴史小説家・植松三十里(みどり)氏の講演会が行われた。令和5年度矢祭町ふるさと創生事業の一環として実施された。
テーマは〝~近代日本の礎を築いた福島の男たち~〟。矢祭町出身で、幕末に活躍した吉岡艮太夫をはじめ、県内で活躍した偉人の功績について、植松氏が自身の作品をもとに紐解いた。
講演前に佐川正一郎町長が「日本の歴史の大切さ、そして日本の未来を考える大切さを、講演を通じて後世に伝えていきたい」とあいさつした。
講師の植松氏は静岡県生まれ。東京女子大文理学部史学科卒業後、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。7年間の米国暮らし、建築都市デザイン事務所での勤務を経て、フリーライターに転身した。
2003(平成15)年に発表した『桑港(サンフランシスコ)にて』で第27回歴史文学賞を受賞。2009(平成21)年には『群青 日本海軍の礎を築いた男』で第28回新田次郎文学賞、『彫残二人』で第15回中山義秀文学賞を受賞した。昨年11月に刊行された最新作『家康を愛した女たち』も話題を呼んでいる。
講演会で取り上げられた吉岡艮太夫は、一般的に吉岡勇平という名前で知られている。
17歳で故郷を離れた後、日本各地を巡って文武両道に励み、江戸の御家人・吉岡家の養子となった。数年後に養父の後を継いで幕府の表御台所人として出仕。その後、旅で身につけた地理学をもとに執筆した江戸湾防備策が認められ、当時海防に従事していた代官・江川太郎左衛門の塾に入門した。
29歳で幕府の軍艦取締役に登用され、その翌年、勝海舟やジョン万次郎、若かりし頃の福沢諭吉らとともに、軍艦・咸臨丸に公用方として乗船、37日間の航海を経てサンフランシスコへと渡った。
吉岡らが日本を離れている間に尊王攘夷運動が高まり、大政奉還や鳥羽・伏見の戦いにおける幕府軍の敗北など、明治維新への機運が高まった。だが、吉岡は、江戸城の無血開城によって徳川慶喜が江戸を追いやられる際に護衛の任に就き、幕府が解体されてもなお徳川家の行く末を幕臣として見届けた。その忠義は最後まで揺らぐことはなかったという。
このほか、常磐炭鉱の開祖である片寄平蔵、帝国ホテルのライト館を手掛けた建築家・遠藤新の足跡についての講演も行われた。後半では植松氏と佐川町長、咸臨丸子孫の会メンバーで、木村摂津守喜毅(軍艦奉行)の玄孫にあたる宗像氏、浜口興右衛門(運用方)の曾孫にあたる小林氏を交えたトークセッションも催された。
会場には町民など約200人が足を運び、幕末を駆け抜けた「福島の男たち」の活躍ぶりに思いを馳せた。
【植松三十里】歴史小説家の講演会開催【矢祭町】
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