数あるハラスメントの中で、最近注目を集めているのが「カスタマーハラスメント(カスハラ)」だ。顧客・取引先(カスタマー)から受ける嫌がらせや過度なクレームを指す。一見、縁遠く感じる高齢者施設でも以前から散見されていたカスハラだが、職員による利用者への虐待などがクローズアップされがちで、これまであまり表面化してこなかった。高齢者施設で起きているカスハラの実態に迫る。
経営側に求められる正当な苦情との見極め

カスハラが注目を集めたきっかけは、10月に東京都で全国初となるカスハラ防止条例が可決・成立したことだった。条例は来年4月から施行されるが、最近、自治体の職員がつけるネームプレートがフルネームから名字だけに変更されていることにお気付きの読者も多いと思う。
「お前の名前を覚えたぞ」「SNSにさらしてやる」――窓口業務をしている職員が、客からそんな脅しを受けるケースが後を絶たない。客からの暴言や理不尽な要求に備え、やりとりをボイスレコーダーに記録する自治体も増えている。
「お客様は神様」という考えはもはや時代遅れだ。客はカネを払うんだから何をしてもいいということにはならない。労働者が安全・安心に働ける職場をつくるには、カスハラ対策は必然と言える。
こうした中、これまでカスハラが潜在化してきたのが高齢者施設だ。
一見、カスハラとは縁遠く感じる高齢者施設。本誌も、職員による利用者への虐待や、上司から職員へのハラスメントが原因で現場が機能不全に陥り、利用者に満足なサービスが提供されない弊害などをリポートしたことはあったが、正直、カスハラは聞いたことがなかった。
取材のきっかけは、県中地区の介護老人保健施設をめぐり60代の男性から相談を受けたことだった。
90代の義母が長期入所療養介護のサービスを利用し始めたが、職員から暴言を吐かれた。義母はショックを受け、もう家に帰りたいと言い出した。施設に説明を求めたが、職員も事務長も口裏を合わせたように暴言を吐いたことを認めない。これでは信用できないと、入所1カ月で義母を退所させた。数日後、施設を運営する法人の理事長が訪ねて来て謝罪され「もう一度チャンスを」と言われたが、義母が嫌と言っている場所には戻せないと断った。職員、事務長が非を認め、謝罪すれば許したかもしれないが、あの施設を利用することは二度とない――。
この話だけ聞くと施設に非があるように思えるが、施設の言い分を聞くと印象が変わる。取材に応じたのは男性の話にも出てくる理事長だ。
男性から説明を求められたのは事実。しかし、職員は暴言なんて吐いていない。職員の言葉を、義母が誤解して受け止めただけ。誤解させたことは申し訳なく思うが、この職員の普段の働きぶりを見れば問題を起こす人物でないことは理解してもらえると思う。しかし、職員、事務長がいくら説明し、謝罪しても男性は納得せず、義母を退所させた。そこで翌日、私が男性宅を訪問し、謝罪するとともに「施設のほうが本人も家族も安心だろうから、もう一度入所されてはどうか」と勧めたが、聞き入れてもらえなかった。非難された職員はやるせなかったと思うが、それでも「もう一度(義母の)お世話をさせてほしい」と気持ちを切り替えていただけに残念――。
職員の言葉が正しく伝わらず、義母に誤解して受け取られ、溝が深まっていった様子がうかがえる。
言った・言わないは水掛け論になるので、どちらの主張が正しいかを結論付けるのは控えたい。ただ一つ言えるのは、男性は義母を守りたい一心で施設に抗議したのに対し、理事長も職員の暴言が事実ではない以上、この職員を守る姿勢を毅然と示したのだ。
「こうした類いのボタンの掛け違いは日常茶飯事です」と打ち明けるのは、県北地方の社会福祉法人で理事を務める男性だ。
「こちらはそんなつもりで言ったわけではないのに誤解して受け取られ、利用者や家族にそこまで言われなきゃならないの?というくらい猛抗議を受けることは結構ある。職員は使命感を持って働いているのに、凄まじい暴言を浴びせられると悲しい気持ちになります」
男性理事はカスハラが起きるきっかけとして、こんな事例を挙げる。
「北欧のように入所者1人に職員1人がつく体制なら事故は防げると思います。しかし、人員配置基準は入所者3人に対し職員1人と定められているので、職員が目を離す隙がどうしてもできてしまう。例えば、普段歩行器を使う利用者が、職員が他の利用者のお世話をしている隙に勝手に歩行器無しで歩き、転倒して骨折したとすると、その責任は施設が負うことになります。職員が『歩行器無しでは歩かないで』と再三注意したとしても、です」
辛いのは、そのあとに浴びせられる利用者家族からの非難だ。
「決まって言われるのが『なぜきちんと見ていなかったんだ!』という言葉です。いや、職員はでき得る範囲で見ているんです。でも転倒した状況を理解していない家族は、いくら説明しても納得してくれない。家族の見えないところで起きたことなので(納得しないのは)当然と言えば当然だが、中には執拗に責め立てる家族もいるので、心身を擦り減らしてしまう職員が多い」(同)
こうなると、職員が辞める→人手不足で満足なサービスを提供できなくなる→事故が余計起きやすくなる→家族からのクレームもますます増える――という悪循環に陥っていく。
男性理事は「昔より家族に謝罪する回数は圧倒的に増えた」と嘆く。
「ですから当法人では、家族への謝罪は職員に任せず、理事長が全て行っています。カスハラから職員を守るとともに、責任者である理事長が謝罪と説明をすることで家族に納得してもらうためです」(同)
男性理事の法人では、カスハラ対策は行っていないのか。
「定期的に研修会を行ったり、週に一度開く会議で利用者や家族からどんな言動があったかを職員に聞き取りし、施設全体で共有するようにしています」(同)
それでも実際に被害に遭わないと分からないのか、研修後もピンときていない職員は少なくないという。
4割が「ある」と回答

介護現場におけるハラスメントへの対応に関する調査研究の報告書
翻って、高齢者施設のカスハラはどのような状況にあるのか。
厚生労働省の補助事業として三菱総合研究所が行った介護現場におけるハラスメントへの対応に関する調査研究の報告書(2021年3月)によると、全国143の介護老人保健施設に、過去1年間に利用者・家族等からハラスメントを受けたことがあるか尋ねたところ「ある」36・4%、「ない」63・6%という結果だった(※)。以下、質問項目毎に結果を見ていく(複数回答なので割合を足しても100%にならない)。
Q:被害を受けた職員への発生後の対応で苦慮したことは何か。
「被害を受けた職員への事実関係の聞き取りが難しかった」13・5%
「被害を受けた職員へのフォローが難しかった」50・0%
「状況を把握したのちの迅速な対応が難しかった」42・3%
「担当の変更など具体的な対応が難しかった」21・2%
「苦慮することはなかった」19・2%
Q:利用者・家族等に対して発生後の対応で苦慮したことは何か。
「利用者・家族等への事実関係の聞き取りが難しかった」34・6%
「利用者・家族等にハラスメント行為の禁止について理解してもらうのが難しかった」57・7%
「担当者の変更について理解してもらうのが難しかった」3・8%
「契約の変更(例えば他事業者の紹介など)を行うのが難しかった」28・8%
「複数人での訪問や同性介助などの対応を提案したが、利用者から同意を得られなかった」5・8%
「担当するケアマネージャーに理解してもらうのが難しかった」7・7%
「苦慮することはなかった」15・4%
Q:他の職員に対して発生後の対応で苦慮したことは何か。
「影響が判断できず、情報の共有が難しかった」21・2%
「発生事案について理解が得られなかった」3・8%
「担当者を変更するのが難しかった」19・2%
「複数人での訪問や同性介助などの対応に人手が不足した」9・6%
「具体的な対応について話し合う場の設定が難しかった」34・6%
「苦慮することはなかった」34・6%
カスハラが起きた介護老人保健施設が、被害を受けた職員のケアだけでなく、加害者である利用者・家族等への対応や無関係な職員への説明にも苦慮していることが分かる。
県中地区の介護施設で施設長を務める男性は「利用者の直接の家族より、周りの家族からのカスハラがとにかく酷い」と打ち明ける。
「利用者を普段から面倒みている家族(主介助者)は、施設にお世話になっているという感謝からクレームを言うことはほぼない。これに対し、お正月やお盆しか会いに来ないような主介助者のきょうだいほど些細なことで苦情を言ってきます。利用者が怪我をした場合も、主介助者は施設の説明に納得しているのに、そのきょうだいはずっと怒っていることはよくある。市役所に苦情を言う人さえいます」
たまにしか会いに来ない家族ほどカスハラが目立つ、と。中にはこんな理不尽な要求をする家族も。
「施設には提携病院があるので、利用者が病気や怪我をした場合はそこに連れて行きます。しかし、中には『〇〇病院に連れて行け』と指定してくる家族がいます」(同)
はっきりとした理由は分からないが、施設長は「そういう家族には共通点がある」と明かす。
「利用者が決まって共済年金を受給しているんです。しかも健康状態が芳しくない。共済年金をアテにしている家族は利用者に亡くなられては困ると、大病院での診療を希望するのかな」(同)
施設が採るべき対応

施設長の施設でも、カスハラが起きた場合、被害を受けた職員を異動させるなどの対策を普段から講じているが、とりわけ注意を払っているのが生活相談員へのケアだという。
「カスハラ被害を最も受けやすいのが生活相談員だからです。生活相談員は求人を出してもなかなか応募がなく、今の職員もようやく見つけた貴重な人材なので、カスハラで辞めることがないよう事後のケアを心掛けています」(同)
もちろん、苦情の中には貴重な意見もあり、職員間で共有してサービス向上に生かしているが、明確なカスハラに対しては職員が面と向かって「ノー」と言いづらいことも多いため「その時は私が代わりにやめるように言っています。職員を守るのも上司の役目ですから」(施設長)。
NPO法人福島県福祉サービス振興会(福島市)の菅原俊博氏(社会福祉士、介護支援専門員、社会福祉法人東白川福祉会相談役)は、高齢者施設でカスハラが起きる背景を次のように語る。
「介護保険制度が始まったころと比べて、利用者や家族の権利意識が変わったように思います。昔は親を施設に預けるのは恥ずかしいという考えから、面倒をみてもらって感謝しているという家族がほとんどでしたが、今は必要以上のことを要求するようになった。利用者は所得に応じて1~3割の自己負担をしているわけですが『負担しているんだからやれ』という感じですよね」
菅原氏はカスハラ加害者の特徴として次の九つを挙げる。①要求が理不尽、自分の基準で主張。②一方的で上から目線、高圧的な態度・振る舞いを見せる。③長時間の拘束(電話も同様)。④聞く耳を持たず引き下がらない。⑤威嚇、脅迫、金銭的要求をすることも。⑥明らかな嫌がらせをして、解決の糸口が見えなくなる。⑦原動力は存在感を示したいという思い。⑧過去のプライドを引きずり権威的になる。⑨過去の利用関係者や退職職員がクレーマーになることもある。
その上で、施設が採るべき対応をこう説明する。
「カスハラの放置は安全配慮義務違反になります。『介護現場にはつきものだから』『認知症だから許してあげて』『私が若いころは』というフレーズは被害を受けた職員に諦めの気持ちを植え付け、職場を去るきっかけにもなります。カスハラ対策は、施設が職員に対して負っている義務と認識してほしい」(同)
安全配慮義務を負わなかった施設は損害賠償責任を問われることもある。近年はカスハラ被害を受けた職員が「上司が守ってくれなかった」と施設を訴える事案も多発。職員から被害の訴えがあった時、施設は真剣に受け止め、丁寧に対応することが求められるとともに、トップが先頭に立ってカスハラと向き合う体制なのかどうかも重要になる。
「実は、苦情対応の職員から多く聞こえてくるのが『上司が守ってくれなかったことが一番辛かった』という訴えなんです」(同)
事案によっては警察や顧問弁護士に相談することも職員の精神的支えにつながると話す菅原氏。その一方で、施設にはカスハラと苦情の見極めも求められると指摘する。
「苦情には、施設にとって重要な意味が隠されています。それを最初からカスハラと決めつけたら、重要な意味を見過ごすことになることを認識しなければなりません」(同)
苦情とは、意見、要望、期待が満たされない時に生まれる感情だ。苦情は、組織にとっては些細なことかもしれないが、そう思うこと自体が危険と菅原氏は言う。
「とりわけ福祉サービスに対する苦情は、不平・不満があっても『何か言ったら不利益な対応をされるかもしれない』『もし退所させられたら代わりの施設が見つかるのか』等々の心配から、利用者・家族が我慢することが往々にしてある。そう考えると、苦情を言う行為はそれなりの緊張や勇気が伴っていることを施設側は汲む必要があります」(同)
グッドマンの法則
苦情を過剰反応と考えるのは危険だ。苦情には、施設(職員)には見えていない「大きなトラブルの芽」が含まれている。
「例えば、一人の利用者から『食事が不味い』と言われたら『他の利用者は言っていないので大丈夫』とはならない。米国のジョン・グッドマン氏が提唱する『グッドマンの法則』では、どんな商品・サービスでも40%の人が不満を抱き、そのうち4%の人はクレームを言うとしています。つまり、100人中40人は不満に思い、1・6人はクレームを言う計算。この1・6人のクレームを放置すれば40人の声を無視することになるし、逆に丁寧に対応すれば40人も満足することを認識しなければなりません」(同)
要するに、正当なクレーマーと悪質なクレーマーを見極めないと組織を改善したり、サービスを向上させるきっかけを失うことになるわけ。
高齢者施設では職員による利用者への虐待が問題になることも多いため、家族が敏感になる気持ちは理解できる。しかし、それが高じてカスハラをしてもいいということにはならない。一方で「職員を守るため」という旗印のもと、施設が正当な苦情まで排除するのも問題だ。
超高齢社会を迎える中、高齢者施設の社会的役割は今後ますます大きくなる。職員が働きやすい職場環境を整え、利用者に満足なサービスが提供されるよう、施設にはカスハラと苦情を見極めるバランスが求められる。