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震災・原発事故

  • 「次の大地震に備えて廃炉を」警鐘鳴らす能登の反原発リーダー【北野進さん】

    【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 他人事ではない能登半島地震

    1月1日16時10分、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7・6、最大震度7の巨大地震が発生した。この間、東日本大震災をはじめ大地震に遭遇してきた本県だが、能登地方の被害の大きさに衝撃を受けた人も多いはずだ。地震被災地の現状と本県の大地震リスクを調べた。(志賀) 専門家に聞く〝福島県のリスク〟 倒壊した7階建てのビル(輪島市、藤室玲治さん撮影)  石川県によると、1月20日現在の能登半島地震による被害状況は死者232人(災害関連死14人含む)。重軽傷者1169人。住宅被害3万1670棟。  被害が大きかった珠洲市の住宅被害はまだ正確な数が把握されていないが、市内約6000戸のうち5割が全壊した見通し。  隣接する富山県の被災状況は重軽傷者47人、住宅被害4239棟(全壊23棟)。  地震発生直後に大津波警報が発令されたことから津波被害が懸念されたが、それ以上に目立ったのは、家屋倒壊により生き埋めとなって命を落としたケースだ。  氏名・年齢が公表された石川県の死者114人のうち87%(100人)は家屋倒壊によるもの。死因は窒息死・圧死と考えられ、土砂災害による死者も8人(7%)いた。  家屋倒壊が目立った要因の1つ目は、地震規模が圧倒的に巨大な地震だったことだ。家屋倒壊などで6434人が亡くなった阪神・淡路大震災はマグニチュード7・3。能登半島地震はそれを上回るマグニチュード7・6。数値としては0・3差だが、地震のエネルギーは実に3倍だ。  震度7の揺れを観測した石川県志賀町では、地震計から算出した「加速度」が2825・8ガルに達した。東日本大震災の2933・7ガル(宮城県栗原市)に匹敵する揺れが発生していたことになる。  地震波を分析すると、1回の揺れの周期が1~2秒で、木造家屋に大きな被害をもたらす地震波「キラーパルス」が観測された。  要因の2つ目は、耐震化率の低さ。石川県によると、2017年時点で県内の建物の約4割は建築基準法の旧耐震基準(1981年以前)だった。耐震化率(耐震補強により新耐震基準=1981年以降=を満たした割合)は76%に留まる。  高齢化率が高い能登半島の耐震化率はさらに低い。被害が大きかった珠洲市の耐震化率は、2018年度末時点で51%。輪島市は2019年末時点で45・2%。同時期の全国平均87%を大きく下回っている(福島民友1月5日付)。  耐震工学に詳しい東北大学災害科学国際研究所の五十子幸樹教授は次のように解説する。  「震度が大きい地域でも、耐震補強により新耐震基準を満たしている建物は無被害か小さい被害で済んだ。まずは耐震化が重要ということです。また、倒壊した建物の屋根は瓦を固定するため土葺きとなっていて重いことも被害率を高めている可能性がある。このほか、地盤の液状化現象により住宅が傾くなどの被害を受けることもあるので、危険性のある場所はあらかじめ地盤改良などの対策が必要です」  要因の3つ目は、2020年12月ごろから能登半島で群発地震が発生しており、そのダメージが家屋に蓄積していた可能性があること。  2022年6月、2023年5月には最大震度6強の地震が発生しており、今回の激震でとどめを刺された格好だ。 住宅に累積するダメージ 写真は倒壊した住宅(輪島市、藤室玲治さん撮影)  翻って本県では、地震で家屋倒壊が発生する心配はないのか。  県によると、2018年現在の耐震化率は87・1%で、全国平均並み(約87%)となっている。震災や2度の福島県沖地震により、旧耐震基準の住宅が建て替え・改修を迫られたため現在はさらに耐震化率が向上していそうだ。  ただ、何度も大地震を経験すれば当然ながらダメージは残っていく。2022年3月の福島県沖地震で震度6強の揺れに見舞われた国見町では「震災と2021年2月の地震には何とか耐えたが、今回の大地震で自宅の壁が崩落してしまった」と嘆いていた男性がいた。  今後も数年に一度の周期で大地震が発生すると考えるべきだろう。発生確率が高いとされているのは、宮城県沖の陸寄りで繰り返し発生する一回り小さいプレート間地震、いわゆる宮城県沖地震だ。30年以内に70~90%の確率で発生すると予想されている。過去の地震を踏まえると、本県でも震度5~6の揺れが観測されるが、そのときマイホームが無事に乗り切れるか否かは、実際に大地震が来ないと分からない。  前出・五十子教授は大地震によるダメージについてこのように話す。  「建築基準法は、大きな地震を複数回受けた場合の耐震性については何も規定していません。地震後の調査で残存耐震性能を評価する試みもあるが、あまり広がっていません。福島県では市町村の耐震診断、耐震改修補助制度を支援しており、住宅リフォームに合わせて耐震改修をする場合の助成金などもあるので、積極的に活用していくべきです」  住宅の耐震診断は10万~25万円程度とのことだが、旧耐震基準の住宅だと補助を活用して数千円程度で利用できるという。マイホームの倒壊リスクを減らすための投資と考え、まずは診断を受けておいた方が良さそう。特に築年数が20年以上で、震度4~5以上の地震を何度か経験した木造住宅はリスクが高いという専門家の指摘もあるので、自宅が該当する人は意識して対策を講じていく必要がある。 いわきでも「流体地震」 「流体」で起こる地震のイメージ  能登半島での群発地震の一因とされているのが、地下深くに存在する「流体」(マグマやガスを含む水)だ。約3000万立方㍍に及ぶ高熱・高圧の水が分離しながら地上に向かって上昇することで、周辺の岩盤が押されたり、断層の隙間に入り込んで滑りやすくなる。  その結果、半島周辺にある複数の海底活断層帯が刺激され連動して動いたため、広範囲での巨大な地震になったとみられている。  実は流体が一因となる地震は本県でも起きていた。  東日本大震災から1カ月後の2011年4月11日、いわき市付近を震源とするマグニチュード7・0、最大震度6強の直下型地震が発生した。土砂崩れが起きて4人が命を落としたが、この地震の一因となったのがいわき市と茨城県北茨城市の間の地下にある流体だったと言われる。  能登半島の群発地震と流体の関係を研究する京都大学防災研究所附属地震災害研究センターの西村卓也教授は次のように解説する。  「地下から湧き出る温泉が全国にあるように、流体は全国のさまざまな地域の地下にある。実際どれぐらいの量があるのか、全容は把握されていません。能登半島地震やいわき市の地震のように、流体が断層まで上がってきて影響を与えることが頻繁にあるわけではないが、福島県を含む全国で同じような地震が起こるリスクは把握しておくべきです」  本県内陸の主要な活断層としては双葉断層、福島盆地西縁断層帯、会津盆地西縁断層帯などがあり、30年以内に直下型の大地震が発生する確率は限りなく0に近いと予測されている。だが、地下の流体の影響で断層の滑りが良くなれば、突発的に大地震が発生する可能性もある。そういう意味では、本県も油断は禁物ということだ。 孤立集落化を防ぐ対策  能登半島地震では、道路インフラが寸断され、発災直後は孤立する人や集落が数多く発生した。車社会かつ人口密度が低い本県も他人事ではない。  避難計画を専門としている東北大学災害科学国際研究所の奥村誠教授は「福島県では相馬福島道路など復興道路の整備も進んでいる。西日本と比べ谷筋の奥で暮らしているような集落はそれほど多くない。能登半島の被災地のように孤立する可能性は少ないのではないか」と前置きしたうえで、次のように語る。  「東日本大震災では被災地の道路復旧を進める際に、2方向から沿岸部の道路に入って作業を進める『櫛の歯作戦』を採用しました。災害時のスムーズな避難や復旧においては、最低限2方向からアクセスできることを意識して道を作っておくことが重要です。山間部であれば、山道などを活用して尾根のところをつなげておくという方法もあります」  「一方で、孤立する可能性がある山間部の過疎地は平時から道路が寸断されたときのことを想定した整備が有効だと思います。例えば道路に面する耕作放棄地を道路の余裕幅として残しておく、状態のいい空き家はすぐ壊さず避難先候補として残しておけばいい。逆に状態の良くない空き家は壊して空き地にしておけば、ヘリポートの離着陸が可能な場所として活用できます」  その一方で、奥村教授は「石川県は早い段階で広域避難に切り替える必要があった」と指摘する。  「被災者には、電気・ガス・水道が止まり、携帯電話なども通じない被災地にとどまるより、金沢市もしくは隣県の福井県の宿泊施設に避難してもらう二次避難をもっと早くから積極的に進めた方がよかったと思います。長期間の避難となれば理解を得るのが難しいですが、状況が厳しい能登ではまだまだ有効な方法です。福島からの広域避難の経験や教訓が生かせるところだと思います」 それに対し、福島県の災害関連死を研究しているときわ会常磐病院の澤野豊明医師は「広域避難のリスクにも目を向けるべきだ」と指摘する。  「震災・原発事故のときは、広域避難させた高齢者の症状が悪化したというデータがあります。広域避難により避難生活が長期化すれば、災害関連死を増やす要因になることも忘れてはならないと思います」  いずれにしても、大きな地震災害が起こるたびに同様の問題は出てくるはず。救急医療におけるトリアージのように、どの人を地元に残し、どの人を広域避難させるか、より早く判断する仕組みが求められる。 加速する支援の動き 被災地でDMATとして活動した澤野医師(中央)ら常磐病院スタッフ  1月20日現在、自治体職員などをはじめ、福島県内から多くの人が被災地支援で現場に足を運んでいる。  前出・澤野医師は同病院の看護師ら4人とともに、1月6日から8日にかけてDMAT(ディーマット、災害派遣医療チーム)として珠洲市に入った。地元で一番大きい医療機関・珠洲市総合病院の担当部署に配属され、それぞれ診療、病棟支援、業務調整員として活動したという。  澤野医師によると、現地までの道のりは厳しいものだったようだ。  「車で向かいましたが、道路は亀裂や落石、段差だらけで、土砂崩れで片側交互通行になっているところも多かった。命の危険を感じるほどでした。珠洲市に入ると潰れた家屋が多く見られ、地震の影響を実感させられました」  能登半島では周辺が停電していることもあり、真っ暗な中を20~30㌔の速度で走行し、13時間かけて病院に到着した。病院ではリハビリ室などを使って雑魚寝で過ごした。  「担当したのが発災6日目だったこともあり、避難所生活でストレスを抱えていたり、持病が悪化して来院した方を診察しました。高齢者が多い地域だからか、わざわざ若い人に車を出してもらうのを遠慮した結果、病気が悪化したというケースもありました」(同)  こうした支援が行われる一方で、石川県のホームページには「能登方面への不要不急の移動は控えて!」と書かれ、1月4日には岸田文雄総理もSNSで「現在、限られた輸送ルートに一般の車両が殺到し深刻な渋滞が発生しています。被災地へ速やかに必要な物資が届けられるよう、できる限り利用を抑制していただくことについて、国民の皆様のご理解とご協力をお願いします」と呼びかけた。  そのため、ネットなどでは被災地支援に関する議論が展開され、個人で支援物資を持って被災地に向かうジャーナリストや政治家を批判する向きもあったほどだ。 いまこそ被災地へ  そうした中、福島大学地域未来デザインセンターの特任准教授を務め、浜通りの復興支援に取り組む藤室玲治さんは、この間すでに3回にわたって被災地に支援物資を届けに行っている。  「2007年にも能登半島で大きな地震が発生し、支援に足を運んだとき、輪島市の仮設住宅の区長・藤本幸雄さんにお世話になった。今年1月1日、藤本さんに安否確認したところ、『水もガスも電気もないから大変』と言われた。そこで翌2日に物資を持って現地に向かうことにしました。物資をいろいろ買い込んで、金沢市まで移動してホテルで一泊。そこから1日かけて輪島市に向かい、藤本さんに物資を渡しました。追加で欲しいものがあるということだったので、かほく市のイオンで物資を買い込んで再び届けに行きました」  ネットなどで被災地支援のあり方が議論になっていたころには、すでに行動を始めていた、と。  「地震直後は幹線道路にも倒木、落石、ひび割れなどがあり、行くまでにずいぶん時間がかかりました。穴水町では大きいひび割れの中に車がのみ込まれているのを見ました。これまでさまざまな被災地に行っていますが初めての体験でした」(同)  藤室さんは兵庫県神戸市出身で、神戸大学2年生のときに阪神・淡路大震災に遭う。同市長田区にあった兵庫高校の避難所で支援活動をしたのを機に、災害ボランティアに従事するようになった。それだけに、被災地支援のあり方については確固たる信念を持っている。  「自治体では『いまは受け入れらない』とボランティアの自粛を呼びかけていましたが、東日本大震災などで災害ボランティアの経験があるグループやNPO法人はいち早く現地避難所に入って炊き出しをしていました。そもそも行政職員が重要度の高い災害対応の仕事に追われている中で、ボランティアの仕切りもやるというのは無理がある。そういうとき、役場に代わって被災者を支援するのがボランティアの本来の役割だと思います」  藤室さんは毎週のように被災地に足を運んでボランティアをしているが、時間が経つごとに道路状況は着実に良くなっており、1月20日に車で輪島市まで行った際には渋滞と感じるエリアもなかった。ボランティアの内容も変わりつつあり、1月20日に学生とともに避難所に行った際は、被災者に足湯に入ってもらい話を傾聴する活動をした。  藤室さんによると、県内の宿泊施設や県外の公営住宅などで被災者を受け入れる広域避難も始まっているが、利用している人はあまりおらず、避難所に残るどころか生活インフラが完全に復旧していない自宅で過ごす人も少なくないようだ。  「自宅に残る理由は片付けを優先したり、車で自由に移動できたり、障害を持つ家族や高齢の家族がいて避難所での生活が難しいなど、さまざまです。災害関連死は在宅で最も多く発生すると言われているので心配です」(藤室さん)  今後、復旧・復興が進む中でボランティアのニーズはさらに高まるとみられる。2月以降、3連休などを利用して足を運ぶ人も増えそうだ。  藤室さんは「被災地で必要な物資は時期によって異なる。何か支援物資を持っていこうと考えるのであれば、現地で支援に入っているグループやNPO法人などに問い合わせるのが良いと思います」と語る。  能登半島地震は本県にとっても他人事ではない。その教訓をしっかり生かして防災対策を講じ、被災者支援に取り組んでいく必要がある。

  • 災害時にデマに振り回されないための教訓

    災害時にデマに振り回されないための教訓

     能登半島地震では、存在しない住所から救助を求めたり、架空の寄付を募ったり、不安を煽るような情報がSNS上に複数出回っている。東日本大震災の際も流布したデマ。当時、その渦中にいた元首長二人に、厳しい状況の時こそデマに振り回されず、正しい情報に触れる・発信する大切さを聞いた。 二人の元市長が明かす震災時の「負の連鎖」  当時福島市長の瀬戸孝則氏(76)は米沢、新潟、沖縄、果ては海外に逃げたという逃亡説が囁かれた。  震災発生から2カ月後の2011年5月、本誌が瀬戸氏に真偽を尋ねると、こんな答えが返ってきた。  「慰問に来た新潟の首長から『マスコミに露出してPRしないと大変だよ』とアドバイスされた。新潟でも中越地震の際、目立たない首長は逃げたとウワサされたそうです。ただ、当市は浜通りに比べて被害が小さく、マスコミが積極的に取り上げる事案もなかった。それなのに被害の大きい自治体を差し置いて、私がマスコミに出るわけにはいかない」  常識的には、あれほどの大災害が起きれば様々な情報が瞬時に首長に集まり、その場で必要な判断を迫られる。そうした状況で、もし首長が逃げたら大ニュースだ。福島市役所には市政記者室があり、番記者が瀬戸氏の動向を常に見ている。  だから自身に関するデマが出回っていると知っても深刻に受け止めなかったが、2012年2月に神戸大学大学院教授が講演で「福島市長は山形市に住んで、公用車で毎日市役所に通っている」と発言した時はさすがに強く抗議した。  同年4月、教授は市役所を訪れ直接謝罪したが、瀬戸氏は怒るでもなく淡々と謝罪を受け入れた。  あれから間もなく13年。本誌の取材に「あの場面で厳しく怒っていれば逃亡説は打ち消せたのかな」と振り返る瀬戸氏は、能登半島地震の被災地に思いを巡らせながら当時のことを静かに語ってくれた。  「あの時、逃げたと言われたのは私、原正夫郡山市長、渡辺敬夫いわき市長の3人。共通するのは人口30万人の中核市です。小さい市や町村では、首長が逃げたというウワサはほとんど聞かなかったと思います」  30万人の市になると、市長が市内を隅々まで回るのは難しい。そうした中、東日本大震災が自然災害だけだったら直接の被害者は限定されていただろう。分かり易く言うと、台風で収穫前のリンゴが落下すれば被害者はリンゴ農家、河川が越水すれば被害者は浸水家屋の持ち主、という具合。同じ地域に住んでいても、直接被害を受けていない人は「大変だな」くらいにしか思わない。  しかし、東日本大震災は自然災害に加えて放射能災害が襲った。目に見えない放射能は、原発周辺の人たちだけでなく、遠く離れた全員を被害者にした。放射線量がほとんど上がらなかった地域でも、被曝を心配する人が続出した。  「全員が被害者なので、全員が一斉に不安になる。そこで出てくる不満や怒りをどこかにぶつけたくてもぶつける場所がないので、市長が標的になる。平時は市長が何をしているかなんて気に掛けないのに、ああいう時は『何をやってるんだ』となり、姿が見えないと『逃げたんじゃないか』となってしまう。こうした負の連鎖は、放射能災害特有の現象だと思います」(同)  冷静に考えれば原発事故の加害者は東電・国なのに、両者に言っても反応がないので余計に不満・怒りが募る。その矛先が市民にとって最も身近な政治家である市長に向いた、というのが瀬戸氏の見立てだ。  「幸い志賀原発は大丈夫だったので、逃げたと言われる首長さんはいないのではないか。首長さんが避難所を回り、被災者に声をかける姿をテレビで見たが、苦労は絶えないと思う。政治家はやって当たり前、やらないと厳しく批判されるのが性だが、デマに基づいて非難するのは違う。今回の地震では、デマに振り回される人が一人でも少なくなることを願います」(同) 流言は智者に止まる  当時郡山市長の原正夫氏(80)もデマに翻弄され、それを乗り越えようとした首長の一人だ。  「デマとそれに基づく中傷は時代が変わってもなくならないと思う。これだけITが発達すればフェイクニュースも増え、それを悪用する輩も次々と出てきますからね」  原氏によると、日本人は性善説に立った思考付けがなされている。法律や条例が「悪いことをするはずがない」という建て付けでつくられていることが、それを物語る。だから罰則も諸外国に比べて甘い、と。  「被災地で流布するデマに接すると、多くの人は『そんなデマを平気で流すなんて信じられない』という気持ちになる。普通の感覚の持ち主は、あんな状況でデマなんて流さない。しかし現実には悪質なデマを流す人がいる。かつての性善説が通用しない今、罰則を厳しくさえすればデマを防げるわけではないが、それと同時に私は教育の大切さを強く感じます。判断する基準、物事を見極める力を幼少期から養うべきです」  原氏が原発事故直後のこんな体験を明かしてくれた。  「市の災害対策本部近くに岐阜から応援に来た陸上自衛隊がテントを張って駐留したが、会議に出席してほしいと要請しても誰もテントから出てこない。何度も要請してようやく責任者が出てきたと思ったら、全身を完全防備していた。岐阜の上官から『全員、完全防備で屋内退避』の指令が出ていたというのです」  しかし、自衛隊員は全員、線量計を所持しており、一帯の放射線量が低いことを認識していた。対する郡山市は、市全体でガイガーカウンターを3台しか所有していなかった。  「上官の指令に従わなければならないことは理解できる。その指令が経産省からの線量の情報によるものだったこともあとから分かった。しかし、現場にいない経産省に市の線量なんて分かるはずがない。ましてや隊員は、所持している線量計で現場の線量を把握していた。私は責任者に『上官に正しい情報をきちんと伝えなさい』と強く求めました」  それから1時間後、責任者は完全防備をやめ、制服姿で会議に出席したという。  「もしあんな姿を市民に目撃されたら『郡山は危ない』と誤解され、一気にパニックになっていたと思います。デマではないが、正しくない情報に基づいて行動するリスクを強く感じた場面でしたね」  こうした状況が日々連続する中、原氏が意識したのは錯綜する情報に惑わされず、最悪の事態を想定した対策を講じることだったという。  デマとの接触は完全には避けられない。性善説が崩れていると嘆いても仕方がない。ならば情報リテラシー(世の中に溢れる情報を適切に活用できる基礎能力)を磨くことが自分を守り、他人を傷付けない第一歩になるのだろう。また、東日本大震災時よりSNSが普及している現在は、良かれと思って拡散した情報がデマの場合、かえって世の中を混乱させる恐れもある。「流言は智者に止まる」を意識することも大切だ。  そんな原氏も瀬戸氏と同様、逃亡説に翻弄された。地震で自宅が損壊し、市内の長女宅に3カ月避難したところ「逃げた」というデマが流れた。3選を目指した2013年4月の市長選は、デマがマイナスに作用し落選の憂き目に遭った。 「自分はともかく、家族に悲しい思いをさせたのは申し訳なかった」  そう話す原氏は、マスコミへの牽制も忘れなかった。  「とにかく正確な情報を発信してほしいし、切り取った発信の仕方もできれば避けてほしい」  原氏の言葉から、マスコミがデマを広めてしまう可能性があることも肝に銘じたい。

  • 津波被災地のいまを描いた映画『水平線』

    津波被災地のいまを描いた映画『水平線』

     福島県でロケが行われたピエール瀧さん主演の映画『水平線』が、全国に先駆けて昨年12月8日から同14日の期間、福島市のフォーラム福島で公開された。舞台挨拶で同館を訪れた瀧さんと小林且弥監督に、制作に至った経緯や福島県の印象を聞いた。 ピエール瀧さん&小林且弥監督にインタビュー 舞台挨拶でフォーラム福島を訪れたピエール瀧さん(左)と小林且弥監督 https://www.youtube.com/watch?v=2dvPjbKfmp0 主演・ピエール瀧 × 監督・小林且弥、映画『水平線』本予告【2024年3月1日より全国順次公開】  『水平線』の舞台は福島県のとある港町。津波で妻をなくした井口真吾(ピエール瀧さん)は、個人で海洋散骨を行う会社を営みながら、水産加工場で働く一人娘と暮らしている。ある日、井口のもとに持ち込まれた遺骨は、かつて世間を騒がせた通り魔殺人事件の犯人のものだった。  福島県沖への散骨に対し異議を唱える通り魔事件被害者の遺族、〝正義〟を振りかざして井口を執拗に追い回す中央のジャーナリスト、散骨による風評被害を恐れる漁業関係者。苦しい選択を迫られ、井口は決断を下す。それらの〝騒動〟を通して、震災以来、どこか距離感があった井口と娘が、家族の〝不在〟と向き合うようになる。  津波被災者の喪失と再生がテーマだが、井口が陽気に飲み歩くシーンや娘に変な絡み方をして嫌がられる様子もユーモアたっぷりに描かれており、一面的ではない津波被災地のいまを映し出している。  撮影は2022年10月、相馬市、南相馬市でのオール現地ロケで行われ、自宅や水産加工場などは実際に使われている建物を使用している。松川浦や南相馬市沿岸部の風力発電などの風景が象徴的に組み込まれ、相馬市役所のシーンでは市職員もエキストラとして登場している。  監督は、俳優として活躍しながら、舞台の演出や映画の企画・プロデュースを手掛け、今作が長編映画デビューとなる小林且弥さん。主演の瀧さんとは、2013年に公開された映画『凶悪』(白石和彌監督)で暴力団の兄貴役(瀧さん)、舎弟役(小林監督)で共演した際に意気投合。自身初の監督作品への出演を熱望し、実現に至った。  こうした作品を撮影した理由を、小林監督はこのように語る。  「震災復興をテーマにしたドラマに役者として参加し、津波被災地の方と交流する機会があったのに加え、福島出身の友人が地元に戻ったのをきっかけに、頻繁に福島県を訪れて、地元の方を交えて飲むようになったんです。彼らと本音で話をするうちに、〝外の人間〟が『震災を風化させてはいけない』と一方的な正しさを振りかざしている状況と、SNSの普及などで『寛容さ』が急速に失われている社会がリンクして見えた。劇中に登場するジャーナリストは世間一般に蔓延する『懲罰感情』や『形なき声』を象徴する存在です」  ロケ期間はわずか12日間で、「親子の感情がぶつかり合うシーンや、海のシーンは撮り直しが難しいので緊張しました」(小林監督)。  映画のポイントを尋ねると、小林監督は次のように述べた。  「(主役の井口)真吾の〝決断〟は倫理的に問われる行為でもありますが、あれには私の思いが込められています。東京から来た僕を福島県の皆さんは温かく受け入れてくれた。東京より共感力が高く、人を排除することが少ないと感じます。それは震災を乗り越えてきた経験があるからかもしれません。舞台挨拶での観客の皆さんの表情を見る限り、私の思いは伝わった感じがしました」  フォーラム福島での先行上映は終了したが、3月1日からテアトル新宿を皮切りに全国で順次公開され、公開劇場は今後発表される予定。ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。 ピエール瀧さんに聞く福島の印象 ピエール瀧さん  ――これまでライブ活動などで福島県に来たことはありましたか。  「デビューしてちょっと経ったころ、福島ローカルの深夜の音楽番組に出演して、冗談で『二度と来るか!』と悪態をついたんです。それ以来、ツアー会場などの都合もあって本当に来る機会に恵まれず、昨年開催された音楽フェス『ライブアヅマ2023』でしばらくぶりにバンドとして足を運ぶことができました」  ――被災者を演じて感じたことは。  「お芝居はこれまでの社会経験や体験を基に紡ぎ出す作業だと考えていますが、震災当時東京にいた立場で、津波によって家族を亡くした役に寄り添うのは限界があるので、正直不安な部分はありました。ただ小林監督に『瀧さんはそのまま演じてもらえればいいです』と言ってもらって、重荷をだいぶ取り払ってもらいました。井口はさまざまなことを乗り越え、それでもスンと暮らしている市井の人。妙な責任感や償いのスタンスがにじみ出るのはよくない。そういう意味では、小林監督の一言で、井口を演じることについて〝消化〟することができました」  ――撮影を通して感じた福島県の印象について教えてください。  「相馬市や南相馬市の皆さんには、エキストラの方も含め積極的に協力していただいて、感謝の気持ちでいいっぱいです。相馬市役所の皆さんもエキストラとして参加することを楽しんでいただいて、僕みたいなものでも顔を合わせることができてよかったと思いました。市役所の方と話す中で、災害危険区域の活用法などについてざっくばらんな感じで意見を出したところ、『それいいアイデアですね!』と言ってもらったりして、震災時に東京にいた人間としてはうれしかったです。  ロケをする中で、震災から10年以上経っても、至るところにその爪痕が残っていることを知りました。もともとロケ先とかで、住宅の庭先とかを覗いたりしながら路地裏をうろうろ歩くのが好きなんです。撮影期間中も、松川浦のあたりをずいぶん歩きましたが、何でもない風景が何でもなく存在していることの尊さを感じて、心に染み入るものがありました。松川浦の静かな雰囲気もとても印象に残っています。  あと印象に残っていることと言えば、鳥久さん(鳥久精肉店、相馬市)のから揚げ弁当ですね。ロケ最終日に出た弁当を食べたら、『ご飯もから揚げもめっちゃうまいじゃん!』ってなった。店を調べて、翌日JR福島駅に向かう途中にも買って、移動中の車内ですぐ食べました。後日、福島テレビの番組企画で相馬市を案内してもらうことになった際も、こちらからオーダーを出して鳥久さんに寄ってもらったほど。またから揚げ弁当を食べて、『やっぱうめえ!』と感動しました」 Ⓒ2023 STUDIO NAYURA 監督小林且弥、脚本齋藤孝、出演ピエール瀧、栗林藍希、足立智充、内田慈。企画・制作STUDIO NAYURA、制作協力G-STAR.PRO SHAIKER、配給・宣伝マジックアワー。119分。3月1日テアトル新宿ほか全国順次公開。 https://studio-nayura.com/suiheisen/

  • 【東電福島第一原発ALPS作業員被曝】重大事案をスルーするな【牧内昇平】

    【東電福島第一原発ALPS作業員被曝】重大事案をスルーするな【牧内昇平】

     汚染水の海洋放出開始からわずか2カ月。多核種除去設備(ALPS)のメンテナンス中だった作業員が放射性物質を含む廃液を浴び、被ばくする事故が起きた。それでも世の中は大騒ぎせず、放出は粛々と進む。これでいいのだろうか? 事故の詳細を検討するところから始めたい。 重大事案をスルーするな 被ばく事故現場の写真。なお記事中の写真・図・表はすべて東電の発表資料から転載、または同資料に基づき筆者が作成した  東京電力福島第一原発にたまる汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出は昨年8月24日に始まった。それから約2カ月後の10月25日、東電は報道関係者に以下のメールを送った。  《福島第一原子力発電所 協力企業作業員における放射性物質の付着について   本日午前10時40分頃、増設ALPSのクロスフローフィルタ出口配管(吸着塔手前)の洗浄を行っていた協力企業作業員5名に、配管洗浄水またはミストが飛散しました。午前11時10分頃、このうち協力企業作業員1名の全面マスクに汚染が確認され、またAPD(β線)の鳴動を確認しました(以下略)》  作業員5人のうち2人は原発からの退域基準(1平方㌢当たり4ベクレル)まで除染することが難しいと判断され、県立医大病院まで搬送されたという。  幸いなことに搬送された2人は3日後に退院したそうだ。しかし、極めて深刻な事態が起きたことに変わりはない。東電によると、被ばくによる作業員の入院は2011年3月24日以来である。一体なぜこんな事故が起きたのか。東電が11月半ばに発表した報告を基に考えたい。 事故はなぜ起きた?  事故が起きたのは、昨年10月に行われた2回目の海洋放出が終わり、3回目に向けて準備中の時期だった。ALPSは止まり、設備のメンテナンスが行われていた。どこで事故が起きたのかを示したのが図1だ。  東電はタンクに入った汚染水に対して、まずは薬液でコバルトやマンガンなどを沈殿させる「前処理」を実施。その後、「吸着塔」というフィルター機能をもった装置を通過させる。これらの作業で放射性物質を一定量取り除き、海水で薄めて太平洋に捨てている(※ただし、すべての放射性物質が除去できるわけではない。このため筆者は海洋放出自体に反対である)。  汚染水のタンクや各設備は様々な配管でつながっている。事故が起きたのは吸着塔の手前の配管である。ブースターポンプという装置を経由して汚染水を吸着塔まで運ぶのだが、稼働していると配管の中に炭酸塩がたまる。これを除去するための洗浄作業が行われていた。  現場の見取り図と作業員の配置を示したのが図2だ。  薬注ポンプから配管内へ硝酸を流し込む。硝酸に反応して炭酸塩が溶け、炭酸ガスと洗浄廃液が配管を通っていく。ガスと廃液は吸着塔の手前に設置された弁を経由し、仮設ホースを通って廃液受け入れタンクに落ちる。こうした作業だった。直接手を動かす作業員は5人。全体のとりまとめ役である工事担当者や放射線管理員も現場に同席していた。  起きたことを時系列でまとめたのが表1である。 表1 事故前後の流れ(時系列) 10月25日 7:30頃現場作業開始10:00頃廃液タンクの監視をしていた作業員CがAと交代。別エリアへ設計担当が弁を少し閉じる10:25頃硝酸を押し込めなくなったため、作業員Dが薬注ポンプを停止10:30頃~仮設ホースが外れて廃液が飛散。作業員AとBに水がかかる作業員Aがホースをタンクに戻す。Aの線量計のアラームが鳴る作業員AとBがアノラック下を着用工事担当者からの連絡で作業員C、D、Eが現場へ移動10:45頃~飛散した廃液の拭き取りを実施(作業員B~E、工事担当者)ホースを押さえていた作業員Aの線量計が連続して鳴る放管1がAに退避を指示放管1が倉庫に戻って交換用の靴などを取ってくる工事担当者がロープなどで現場の立ち入り禁止措置を実施放管1は各自の線量計の数値上昇を確認し、全員に退避を指示10:50頃全員が休憩所へ退避を開始11:10頃東電に事故の連絡を入れる12:28作業員Aが敷地内の救急医療室(ER)に到着。まもなく除染開始12:42作業員(B~E)がERに到着。除染を開始13:08事故が起きた建屋への関係者以外の立ち入り制限を実施14:45作業員5名(A~E)の放射性物質の内部取り込みなしを確認19:23作業員AとBを管理区域退出レベルまで除染するのは困難と判断20:59作業員AとBが県立医大附属病院へ出発22:25県立医大附属病院に到着(その後入院)10月28日作業員AとBが退院  はじめは問題なかった。作業員Cが廃液受け入れタンクの様子を確認する役だった。AとBという別の作業員が後方からCの仕事を見守っていた。状況が変わったのは作業開始から約2時間半が経過した頃だ。CがAに仕事を引き継ぎ、別の作業に移った。【この時、AとBは放射性物質から身を守るためのアノラック(カッパのようなもの)を着ていなかった】  それと同じ頃、設計担当は洗浄廃液の受け入れ量が増えすぎるのを心配していた。そこで配管と仮設ホースをつなぐ弁を操作し、少し閉じた。流路を狭めて仮設ホース側に流れる廃液の量を減らし、炭酸ガスのみを移動させようとしたのだ。【こうした弁の調整は当初の予定には入っていなかった】  弁の調整から約30分後、仮設ホースの先から廃液が勢いよく噴き出した。水の勢いによって、タンク上部に差し込まれていたホース先端部がはずれて暴れ出し、近くにいたAとBに放射性物質を含む廃液がかかった。Aがはずれたホースをつかんでタンクに戻した。  東電が事故の原因として発表したのは以下の3点だ。  ①弁操作による配管の閉塞  設計担当が弁を少し閉じたため、洗浄作業ではがれ落ちた炭酸塩が弁の配管側にたまり、一時的に詰まった(配管側の圧力が上昇)。その後、弁付近の炭酸塩が溶け、「詰まり」が解消された。このため、配管側にたまっていた洗浄廃液が弁の下流側(仮設ホース側)に勢いよく流れ出した。  ②ホースの固縛位置が不十分  仮に廃液が勢いよく流れ出したとしても、ホースがタンク入り口の真上で固定され、そこから先端部がまっすぐタンクに下りていれば、ホースが暴れてタンクから飛び出す恐れは少ない。だが、今回の作業ではタンクの斜め上の位置でホースが固定されていたため、勢いが強くなった時にホース先端部がタンクから飛び出してしまった。 ③不十分な現場管理体制(表2) 役割分担装  備工事担当者工事とりまとめカバーオール1重アノラック下設計担当仮設ホース内流動状態の監視カバーオール1重放管1放射線管理業務カバーオール2重放管2放射線管理業務※事故時は休憩のため不在カバーオール2重作業責任者3次請け1の作業班長(別現場)作業員A廃液タンクの監視(助勢)※Cが離れてからは主に担当カバーオール2重B作業班員への指揮廃液タンクの監視(助勢)カバーオール2重C廃液タンクの監視※主担当。途中から別作業へカバーオール1重アノラック上下D薬注ポンプの操作カバーオール1重アノラック上下E薬注ポンプの監視カバーオール1重アノラック上下  作業員AとBがアノラックを着ていれば被ばくは軽減できた。放射性液体を扱う作業ではアノラック着用のルールがあったのに、AとBは「液体が飛散する可能性はない」と考え、着用しなかった。工事担当者や放射線管理員もそれを指示しなかった。そもそも、作業員たちを指揮する立場の「作業班長」が別の現場に行っていて不在だった。  東電による事故原因3点の中で、最も深刻なのは③だろう。アノラック着用も作業班長の常駐も、安全に作業を行うために必ず守らなければならないルールだ。それが守られていなかった。現場管理体制はメチャクチャだったと言わざるを得ない。 危機感が薄い東電幹部  この事態を東電幹部はどう受け止めているのか。筆者は11月30日に開かれた福島第一廃炉推進カンパニー・小野明プレジデントの記者会見に出席し、この点を聞いた(左頁参照)。  小野氏の会見で感じたことがいくつかある。一つ目は、東電は「(元請け業者の)東芝のせいだ」と思わせたいのではないか、ということだ。  この作業は多重請負体制の下で行われていた(図3)。東電が東芝エネルギーシステムズ(以下、東芝)に発注し、東芝が3次請けまで使って現場作業を行っていた。小野氏は会見で今後の発注停止をちらつかせるなどし、原発メーカー東芝への不信感、「信頼してきたのに裏切られた」感を醸し出していた。  当り前のことだが、いくら東芝が悪くても、それによって東電が責任を免れることはあり得ない。東芝の現場管理体制を十分にチェックできていなかったのは東電だからだ。  記者会見でもう一つ感じたのは、東電幹部の危機感が薄すぎるのではないか、という点だ。  小野氏は「海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なる」とし、今後の放出スケジュールへの影響はないと言う。今回の事故は設備のメンテナンス中に起きた。実際の海洋放出作業は東電社員だけで行っている。「だから大丈夫だ」と小野氏は言いたげだが、「東芝より東電を信頼する」という人は果たしてどれくらいいるだろうか。  東電ホールディングスの小早川智明社長は、事故から1カ月たっても現場を視察していないという。思い出すのは、海洋放出が始まる2日前の昨年8月22日のことだ。小早川氏は内堀雅雄知事と会うために福島県庁を訪れ、その後報道対応を行った。筆者は「万が一基準を超えるような汚染水が放出された場合、誰の責任になるのか、小早川社長の責任問題に発展すると考えてよろしいか」と聞いた。小早川氏は「私の責任の下で、安全に作業を進めるように指示してまいります」と答えた。  「安全に」という言葉には当然、「作業員の安全」も含まれているはずだ。実際に被ばく・入院する事態が起きたが、小早川氏は「自らの責任の下で」十分に対処しているだろうか。はなはだ疑問である。 このままスルーしていいのか?  こんな事故が起きたにも関わらず、東電は23年に計画していた合計3回の海洋放出を予定通り実行した。下請け作業員の被ばく事故など、まるで「なかったこと」のような扱いである(先述した11月30日の記者会見で、小野氏ら東電幹部は海洋放出の進捗を説明したが、本件事故について自分たちから切り出すことはなかった。質疑応答の時間に筆者が質問して初めて口を開いた。記者側が聞かなければ「終わったこと」「なかったこと」になっていたのである)。  また、多くのマスメディアも東電と同じくらい危機感が薄いと感じるのは筆者だけだろうか。  たとえば地元主要紙の福島民報である。事故翌日(10月26日)付の朝刊に載った記事は、第1社会面(テレビ欄の裏)のマンガ下、2段見出しだった。原稿の締め切り時間などの関係があるのかもしれないが、1面に必要な記事ではないのか。  また、東電が事故原因を発表した次の日(11月17日)付の朝刊も、第2社会面に、やはり2段見出しの短い記事が載っただけである。どちらの記事も1面ではなく、その面のトップ記事でもなかった。  一方、事故前の10月22日付朝刊には「東電があす、2回目の海洋放出を完了する」という記事が1面にあった。放出スケジュールの報道に比べて、事故の報道が小さいように感じる。  数十年も海洋放出を続ける中で「ノーミス」などあり得ない。そう思っていたが、さすがにわずか2カ月で作業員が入院するとは思わなかった。これは東電(や元請け業者である東芝)の意識が低いからなのか。それとも元々、膨大な量の汚染水を処理して海に捨てるというプロジェクト自体が簡単ではないからなのか。恐らくはその両方ではないだろうか。  国際原子力機関(IAEA)は「海洋放出が人や環境に与える影響は無視できる程度だ」と言う。しかし、これは現場の放出作業が完璧に行われた場合の話、いわば理論上の話だろう。実際には配管の劣化とかホースの固縛位置とか、現場でなければ分からない問題がたくさんあると思う。10月の事故は設備のメンテナンス中に起きたが、なんらかの事故が稼働中に起きないと言い切れるのだろうか。それらを考慮した場合のリスクは本当に「無視できるほど小さい」のだろうか。  今回の事故を軽視すべきではない。同様(もしくは今回以上)の事故が今後も起きることを想定し、海洋放出を続けるのがいいのか、代替策はないのかを検討すべきだ。 東電記者会見でのやり取り  ――本日のお話に出てこなかったのですが、10月25日の作業員被ばくについて総括をうかがいます。  小野明氏 本件に関しては近隣の皆さま、社会の皆さまにご心配をおかけしていると思います。申し訳ございません。当社は福島第一の廃炉の実施主体として適切な作業環境、健康維持に関する責任が当然ございます。私としては今回の事態を非常に重く受け止めております。原因究明、再発防止に向けてヒアリングなどを実施し、元請けの東芝において我々の要求事項が一部順守されていないことが確認されています。我々は是正を求めていますが、併せてそこを確認できなかったことは我々の責任ですので非常に重く受け止めておりまして、確認を強化しています。  ――認識がかなり甘いんじゃないかというのが正直なところです。東芝に対して「是正を求める」という対処だけでいいのかどうか。  小野 東芝には我々の要求事項をしっかり守ってくれとお願いしてますが、本当にそれができているかは我々が確認しなければいけないと思っています。今回請負体制のところが3次までやっています。請負の体制も含めて実際のやり方がよかったかというところ、今後どうしていくべきかというところまで踏み込んで少し検討したいと考えています。  ――3次請けまでつながる多重請負構造も含めて見直しの余地が現実的にあるということでしょうか。  小野 東芝といろいろ話をしていく中で、彼らが元請けとして現場を管理してないなというのが私の印象でありました。そういう意味で、本当に今回東芝に出す(発注する)のがよかったかは少し検討する必要があるのではないかと思っています。もっとしっかりした管理ができるところもあるのではないかと思いますので、実際に東芝から変えるかどうかは別としても、元請けとしてのあり方、今の請負体制のあり方は検討してみたいと思います。  ――東電トップの小早川社長は事故の現場を視察したのでしょうか。  小野 小早川自体はまだ来ていませんが、このあと、彼はこちらの方に来て、実際に現場を確認したり、我々と議論をしたり、という予定は今あります。  ――今回の件で海洋放出のスケジュールに何らかの影響は。  小野 海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なっていますし、取り扱っている水の種類、それから装置関係も異なっています。そういう意味で本件と同様の身体汚染が起こるリスクは非常に低いと思っていますし、放出には影響ないと考えています。  ――今回の件は作業員が入院するという点ではかなり重大だったんじゃないかと考えています。頭の体操として、どういった場合に実際に海洋放出をいったん止めるのか。かなり深刻な事案だったけどスケジュールには全然影響ないとなると、何があってもこのまま海洋放出が続くんじゃないかと思わざるを得ないのですが。  小野 先ほども申した通り、まず、扱っている水の種類が全く違うということはご理解いただければと思います。我々としては今回の件をしっかりと踏まえ、体制とか手順、装備品等を確認して、海洋放出の作業に万全を期していきたいと考えております。 あわせて読みたい 【牧内昇平】福島民報社が手掛けた県事業11件 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 浪江町が特定帰還居住区域の復興再生計画を策定

    浪江町が特定帰還居住区域の復興再生計画を策定

     原発事故に伴う避難指示区域で、現在も残っているのは帰還困難区域のみ。同区域の一部は「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)に指定され各種環境整備が進められた。JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線開通に合わせて2020年3月末までに解除され、そのほかは葛尾村が2022年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が昨年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除された。  ただ、復興拠点は、帰還困難区域の約8%にとどまり、残りの大部分は手付かずだった。そんな中、国は昨年6月に「福島復興再生特別措置法」を改定し、復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定め、2020年代(2029年まで)に住民が戻って生活できることを目指す方針を示した。  復興拠点の延長のような形で、主にそこに隣接するエリアが指定され、居住区域を少しずつ拡大していくようなイメージである。  同制度ができ、早速、大熊町と双葉町で動きがあった。2022年に実施した帰還意向調査結果や復興拠点との位置関係、放射線量などを考慮し、大熊町の下野上1区、双葉町の下長塚行政区と三字行政区が昨年9月に先行して「特定帰還居住区域」に指定された。昨年12月20日からは先行除染がスタートしている。  両町の「特定帰還居住区域復興再生計画」によると、ともに計画期間は2023年9月から2029年12月まで。その間に、除染や家屋解体を進め、道路、電気・通信、上下水道などの生活インフラ整備を実施して帰還(避難指示解除)を目指す。  両町に続き、浪江町は昨年12月15日までに「浪江町特定帰還居住区域復興再生計画」をまとめた。帰還困難区域を抱えるのは7市町村あるが同計画策定は3例目。その後、県との協議を経て国に申請した。本誌は締め切りの関係上、同計画について国の認可が下りたかどうかは確認できていないが、過去の「特定復興再生拠点区域復興再生計画」などの事例からしても、すんなり認定されるものと思われる。  同町の計画では、帰還困難区域に指定されている全14行政区が対象に含まれている。計画期間は大熊・双葉両町と同じ2023年9月から2029年12月まで。  整備概要は以下の通り。  ○除染・家屋解体を進め、道路、河川、電気・通信、上下水道等の生活インフラの復旧・整備を実施する。  ○集会所等については、利用ニーズへの対応や効率的な運営を考慮し、住民のコミュニティー再生に寄与するものとなるよう再整備を進める。  ○農業水利施設の復旧・整備等については、各地域における営農再開に向けた検討状況等に留意しつつ、関係者と協議の上、営農に必要な範囲での実施に向けて調整を進める。  ○そのほか、生活関連サービスについては、避難指示解除時のサービス提供を目指し、関係者と調整を進める。  ○インフラ整備と除染等の措置などについては、特定復興再生拠点区域復興再生計画の際と同様に、一体的かつ効率的に実施する。  こうして、帰還困難区域全域解除に向けて、一歩前進したわけだが、違和感があるのは、帰還困難区域の除染が国費で行われること。原因者である東電に負担を求めないのだ。以前の本誌記事でも指摘したが、帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるのが筋で、そうではなく国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。

  • 元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    集会の様子  「ノーモア原発公害裁判の勝利を目指す宮城県民集会」が11月25日に仙台市で行われた。  「宮城県民集会」と謳っているが、いわき市民訴訟、浪江町津島訴訟、川俣町山木屋訴訟など、福島県内の原発賠償集団訴訟の原告メンバーなどが多数参加した。集会では、それら集団訴訟に加え、女川原発再稼働差し止め訴訟、子ども被ばく訴訟、みやぎ訴訟、山形訴訟などの現状報告や、意見・情報交換が行われた。  現在、それら訴訟の多くは仙台高裁での二審に移っており、仙台高裁からほど近い「仙台市戦災復興記念館」を会場に行われた同集会には、約100人が参加した。  同集会の目玉企画は、元裁判官の樋口英明氏の記念講演。樋口氏は1952年生まれ。三重県出身。大阪、名古屋などの地裁・家裁などの判事補・判事を経て、2012年から福井地裁判事部総括判事を務めた。同職時代の2014年5月、福井県大飯原発の周辺住民が申し立てた関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止め訴訟で、運転差し止めを命じる判決を下した。さらに2015年4月、関西電力高浜原発についても、周辺住民らの仮処分申し立てを認め、同原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出した。その後、名古屋家裁に異動となり、2017年に定年退官した。 『私が原発を止めた理由』(旬報社)などの著書でも知られる。  樋口氏は講演で「私自身、3・11までは原発に無関心だった。安全だと思い込んでいた」と語った。  加えて、樋口氏は「原発問題は先入観のかたまり」とも。国の監督官庁がしっかりやっているだろう、電力会社がきちんとしているだろう、と。そして何より、「われわれ素人に分かるはずがない難しいものだ」という先入観。  しかし、原発問題の本質は以下の2つしかないという。  ○人が管理し続けなければならない(止める、冷やす、閉じ込める)。  ○人が管理できなくなったときの事故、それに伴う被害は想像を絶するほど大きい。  「例えば、家電製品や自動車であれば、何かトラブルがあったら使用をやめればいい。その後、管理し続ける必要はない。自動車であれば、路肩に止めてJAFでも呼べばいい。原発はそうはいかない。止めた後も管理し続けなければならない。(前出の例と)似ているもので言うと飛行機。飛行中にトラブルがあり、ただ単にエンジンを止めただけでは大きな事故になる。その後の対応が必要になる。原発も同様」 樋口英明氏  原発を管理し続けるには、電気と水が必要になるが、大きな地震が発生した場合、停電や断水の恐れが生じる。そういった点から、「原発が大地震に耐えられるかどうか。その本質が分かったから、あの(原発運転差し止めを認める)判決を書いた」という。  樋口氏は、「原発は国家防衛上の弱点になる」、「自国に向けられた核兵器である」とも述べた。  このほか、生業訴訟など4件の集団訴訟に対する国の責任を認定しなかった最高裁判決(今年6月17日)についても解説した。  講演後は質疑応答の時間が設けられ、出席者らは樋口氏に聞きたいことを聞いて理解を深めた。

  • 【牧内昇平】福島民報社が手掛けた県事業11件

     地元マスメディアの福島民報社が県庁から金をもらって県産水産物のPR事業を行っていたことは本誌7月号に書いた。権力の監視役としてふさわしくない行為だと指摘したが、実はこんな事例が山ほどある。2021年度に福島民報社が請け負った他の県事業を紹介しよう。 社説・一般記事を使ってPR  2021年、県庁の農林水産部は「オールメディアによる漁業の魅力発信業務」という事業を福島民報社に委託した。予算は約1億2000万円。同社を含めた県内の新聞、テレビ、ラジオの合計8社で県産水産物の風評払拭プロパガンダを行うという事業だった。同社は一般の新聞記事やテレビのニュース報道(たとえば県が県産トラフグや伊勢エビのブランド化に乗り出した、といった内容)を「プロモーション実績」として県に報告していた。   この事業について、筆者は本誌7月号でこう指摘した。  《オールメディア風評払拭事業が「聖域」であるべき報道の分野まで入り込んでいる(中略)権力とは一線を画すのが、権力を監視するウォッチドッグ(番犬)たる報道機関としての信頼を保つためのルールである》  地元マスメディアが県の広報担当に成り下がっているのではないか、というのが筆者の問題意識だった。  これは一種の例外的事象だ、と思いたいところだが、実はこうした例が山ほどあるのだ。「オールメディア事業」の番頭役を務めた福島民報社について調べてみると、21年度だけで少なくとも11件の県事業を受託していることが確認された(別表)。1億円を超える予算がついた「オールメディア事業」を除いても、受託額の合計は6000万円にのぼる。(表に掲げたのは筆者の乏しい取材力で把握できたものだけだ。実際の受託事業数はもっと多い可能性もある) 2021年度に福島民報社が受託した県事業 事業名発注元金額事業目的・内容テレワークタウンしらかわ推進事業県南地方振興局968万円新白河駅を起点とした「テレワークタウン」構想を進め、首都圏からテレワーカーを呼び込むふくしまチャレンジライフ推進調査事業(県中地域)県中地方振興局547万円県中地域のふくしまチャレンジライフプログラム(短期滞在型仕事・生活体験)の企画・運営、広報ふくしまチャレンジライフ推進事業(県南地方)県南地方振興局492万円県南地方のふくしまチャレンジライフプログラム(短期滞在型仕事・生活体験)の企画・運営、広報魅力体感!そうそう体験型観光振興事業相双地方振興局499万円相双の地域資源を発掘する体験型観光バスツアーを実施ふくしまのプロスポーツ魅力向上事業企画調整部545万円県内プロスポーツチームの魅力を発信し、ファン拡大、試合観戦者増につなげる市町村と連携した移住促進交流イベント等実施事業企画調整部309万円「起業」「子育て」などをテーマに県内への移住に関する交流イベントを開催国際交流員による「ふくしまの今」発信事業生活環境部695万円県の国際交流員が県内の観光地などを取材し、SNSなどで国内外に向けて発信する東京2020ふくしまフード・クラフト発信事業観光交流局249万円東京オリンピック・パラリンピック関連イベントで日本酒をはじめとする県産品のPR・販売を行うアフターコロナを見据えた地域づくり推進事業いわき地方振興局977万円中山間地域にサイクリングモデルコースを造成。地域の魅力を発信する「アンバサダー」を育成するアフターコロナを見据えた食の担い手応援事業いわき地方振興局720万円いわき市の「食の魅力」を学び、伝える人材を育てる現地視察会やワークショップの開催ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業(オールメディアによる漁業の魅力発信業務)農林水産部1億1999万円福島民報など地元メディア8社が自社の媒体を通じて県産水産物のPRを行う※県への情報開示請求で入手した資料を基に筆者作成。金額は1万円未満を切り捨てた。 受託した県事業を新聞記事で周知  筆者は福島県に対して情報開示請求を行い、これらの事業について福島民報社が提出した実績報告書などを入手した。その結果言えるのは、同社が自らの新聞を利用して当該事業のPRを行っていたことだ。  たとえば県南地方振興局から約970万円で受注した「テレワークタウンしらかわ推進事業」については、21年10月7日付福島民報4面に以下の紹介記事が載っている。  《ゴルフ場でワーケーション 関係人口拡大 3カ所で専用プラン   県県南地方振興局は、ゴルフ場に宿泊してテレワークを行い、就業時間前後や休憩中にプレーを楽しむワーケーションを推進する取り組みを始めた。「ゴルファーケーション」と名付け…(以下略)》  この記事が載った4面はいわゆる「経済面」だ。ゴルファーケーションの記事の下には「イオンの売上高が過去最高」とか、「財務省が日本郵政株を追加売却」などといった経済ニュースが掲載されていた。読者は当然、ゴルファーケーションの記事も一般的な地域の経済ニュースとして受け取ったことだろう。  そして同年12月中旬には新聞中程の地域面に「テレワークタウンしらかわ」と題した5回シリーズの連載が組まれた。内容は、県南地方振興局長へのインタビューやテレワーク対応の仕事場の紹介などだ。ゴルファーケーションの課題や事業効果などを批判的に検証しているかと問われれば、疑問符がつく内容だろう。結局これらの記事は「報道」の体裁を取りつつ、県の事業をPRしているに過ぎないのではなかろうか。  自社の受託事業であることが紙面上で明らかになっていないのも問題だ。紹介した新聞記事は主語が「福島県」になっている。(「県南地方振興局はワーケーションを推進する取り組みを始めた」など)。福島民報社がこの事業を受託していること、1000万円近い予算がついていることなどは記事を読んだだけでは分からない。これは読者からしてみればアンフェアだろう。  新聞記事による事業PRは多くの案件で行われていた。  相双地域の観光バスツアーを実施する「魅力体感! そうそう体験型観光振興事業」の場合、同社は受注前の企画提案の段階で《新聞社機能を最大限に生かし、紙面はもちろん、様々なデジタルメディア、SNSを駆使し、相双地域の魅力を県内に広く発信します》とアピールしていた。  そして約束通り、ツアー開始前の同年7月6日付福島民報3面に「相双観光親子で楽しんで きょうから参加募る」というPR記事を掲載。数日後から「行こう! 相双の夏」というタイトルの特集記事を随時紙面化した。  11月20・21日に行われた女性向けツアーに関しては、同月3日に「女性限定相双楽しんで 参加者募集」という記事を出し、さらに開催後の22日にも「女子旅で相双満喫」という結果報告記事が出ている。自らが受託した県事業を手厚くPRしたのである。繰り返しになるが、紹介したのは広告ではなく、通常の記事だ。そして同社がこの事業を受託していることは記事に書かれていない。  福島ファイヤーボンズなど県内のプロチームをPRする「ふくしまのプロスポーツ魅力向上事業」も同様だ。同社は提案書で《これまで各球団の取材・報道をはじめ、イベント事業など積極的に連携・展開しております。その経験と知見を活かし、県内プロスポーツの魅力を発信できるのは弊社しかいないという強い思いで本事業に参加させていただくことにしました》と熱く(!)アピール。実績報告書の中では、ファン拡大のためのイベント実施などと共に、《スポーツ担当記者が取材し、福島民報朝刊で県内3プロスポーツの動向、試合結果等毎回記事掲載》と書いた。民報のスポーツ記事は県のPR事業の一環だったということになる。 社説まで利用していいのか? 福島民報社  驚いてしまったのは、いわき地方振興局が発注した「アフターコロナを見据えた地域づくり推進事業」である。市内の山間部にサイクリングのモデルコースを作ったり、地域の観光スポットを紹介するフォトコンテストを実施したりする事業だ。これを福島民報社が受託し、例によって事業のPRやコンテストの結果紹介記事を紙面に掲載したのだが、実は「新聞の顔」とも言うべき社説(福島民報の場合は「論説」)にも同種の記事が載っていた。  《阿武隈山地の観光振興を目指す取り組みが、いわき市で始まった。自然景観、歴史遺産、特色ある食文化を掘り起こし、サイクリングルートをつくる。海産物や沿岸部の観光施設などを主力としてきた市内の観光に新たな魅力を加え、疲弊する山間部の地域づくりにつなげる試みとして注目したい》(21年10月13日付福島民報「論説」)  新聞の社説は「世の中がどんな方向に進んでいくべきか」を書く欄だ。そこに単なる県事業のヨイショが載るのはお粗末だし、ましてやその事業を自社が受託しているというのでは論外だ。ちなみにこの社説(論説)の筆者は、当該の「アフターコロナ事業」の統括責任者(いわき支社長)として同社の企画提案書に名前が載っている人物と同姓同名だった。  前にも書いたが、権力と報道機関の間には一定の距離感が欠かせない。県の事業を受託してしまったら、少なくともその分野について批判的な検証を加えるのは困難だろう。世の中から期待されている「番犬」の役割を放棄していることにならないか。  福島民報社の担当者は筆者の取材に対して、「福島県の県紙として、福島復興の支援などに役割を果たしてまいります」としている。 あわせて読みたい 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

    【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

     東京電力福島第一原発にたまる「汚染水」の海洋放出が始まり、対抗措置として中国が日本産水産物の輸入を停止した。こうした状況で水産業の救済策として始まったのが「食べて応援」キャンペーンである。どこもかしこも「魚を食べよう」ばかり。挙句の果てには「魚を食べて中国に勝とう」という言説まで出てきた。「戦前回帰」したくないならば、問題の本質を冷静に見極めなければいけない。  「关于全面暂停进口日本水产品的公告(日本産水産物の輸入全面停止に関するお知らせ)」  汚染水(政府は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出が始まった8月24日、中国の税関当局がこう発表した。放射能汚染のリスクを防ぎ、消費者の健康と食品の安全を確保するためだという。同様に香港も、福島や東京をはじめとした10都県からの水産物輸入を禁止した。 国・地域別の水産物輸出額(2022年)を見ると、第1位が中国の871億円、2位が香港の755億円だ。両者が輸出額全体の約4割を占める。そんなお得意様との取引が、この日を境に露と消えてしまった。  大方の予想通り(「想定外」などと語った閣僚もいたが)、海洋放出は国内の水産業に大きな痛手となった。 どこもかしこも 「食べて応援」ばかり Xの首相官邸アカウントは、岸田首相らが常磐ものを食べる映像を配信した  この状況を打開するため、日本政府が力を入れているのが「食べて応援」キャンペーンである。先頭を走るのは海洋放出について「全責任を持つ」と豪語した岸田文雄首相だ。8月31日には東京・豊洲市場を視察。仲卸業者らと話してこの問題に関心を持っていることをアピールした。また前日の30日にはX(旧ツイッター)の首相官邸アカウントからこんな動画を発信した(写真参照)。  ――首相が西村康稔経産相や鈴木俊一財務相らと食卓を囲む。食膳に並ぶのは、ヒラメ、スズキ、タコなどの福島県産食材。刺身かなにかを口に入れた首相が、ややわざとらしく言う。「おいしいです!」  キャンペーンは全国的な広がりを見せている。野村哲郎農林水産相(当時)は各省庁の食堂に国産水産物のメニューを追加するよう要請。浜田靖一防衛相(同)は自衛隊の駐屯地や基地で国産の魚を使う方針を示した。東京の小池百合子氏、大阪の吉村洋文氏、愛知の大村秀章氏……。各地の知事たちも競って常磐ものを食べ、その姿をメディアに報じさせた。  経済界もこの流れに乗っている。「財界総理」とも言われる経団連会長の十倉雅和氏は、9月上旬の記者会見で「中国の対応は極めて遺憾だ」と発言。全会員企業に対して社員食堂や社内外での会合時に国産水産品を活用するよう呼びかけた(経団連ホームページから引用)。日本商工会議所も東京・帝国ホテルで開いた懇親会で福島の魚を使った料理を出し、消費拡大PRに一役買った。  官民合同の「食べて応援」キャンペーンは自然発生的なものではない。下地作りには国の予算が使われている。「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」という事業がある。産業界や全国の自治体に同ネットワークへの参加を募り、社員食堂や社屋に出入りするキッチンカーなどで三陸・常磐ものの食材を扱うように促すものだ。  この事業、経産省が海洋放出に伴う需要対策基金を使ってJR東日本企画に委託している。2023年度の委託額上限は1億7000万円である。同ネットワークのホームページによると、参加企業・団体数は10月16日現在で1090者(うち一部を表に掲載した)。「原子力ムラ」ならぬ「海洋放出ムラ」が形成されたと感じるのは筆者だけだろうか。 【「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」参加企業・団体の例】 ・自治体愛知県、青森県、茨城県、岩手県、大阪府、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、長野県、兵庫県、福島県、宮城県、石巻市、いわき市、大阪市、桐生市、さいたま市、塩竃市、南あわじ市、宮古市、矢板市、女川町・企業等IHI、旭化成、ENEOS、沖縄電力、鹿島建設、関西電力、九州電力、共同通信社(一般社団法人)、産経新聞社、JTB、四国電力、セブン&アイ・ホールディングス、中国電力、中部電力、電気事業連合会、東レ、東京電力ホールディングス、東邦銀行、東北電力、トヨタ自動車、日本経団連、日本原子力研究開発機構(JAEA)、日本原子力産業協会、日本原子力発電、日本原燃、東日本旅客鉄道、福島イノベーション・コースト構想推進機構、福島県漁連、福島民報社、福島民友新聞社、北陸電力、北海道電力・政府機関等外務省、カジノ管理委員会事務局、環境省、金融庁、宮内庁、経済産業省、警察庁、原子力規制庁、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)、公正取引委員会、厚生労働省、国土交通省、財務省、消費者庁、人事院、総務省、内閣官房、内閣府、農林水産省、復興庁、防衛省、法務省、文部科学省※同ネットワークのホームページを基に筆者作成  言論統制の流れもできつつあるようだ。「汚染」という言葉を使うと大バッシングを受ける事態になっている。象徴的だったのは、水産業支援の前面に立つべき野村農水相による「失言」問題である。野村氏は8月末、「ALPS処理水」ではなく「汚染水」という言葉を使ったことが報じられた。直後に岸田首相が発言の撤回と謝罪を指示。野村氏はこれに従い、しかも翌月の内閣改造で大臣職を退任させられた。  海洋放出に反対している共産党でも気になる動きがあった。同党の元地方議員(広島県内)がXへの投稿で「汚染魚」という表現を使った。党もこれを問題視。この元議員は党公認での次期衆院選への立候補を取りやめた。確かによくない表現だが、やや過剰な反応のようにも思える。右を向いても左を向いても「食べて応援」ばかりの異様なムードになっている。  政府は9月4日、「水産業を守る政策パッケージ」と題した、中国の輸入規制への対抗策をまとめた。この中にも「食べて応援」が入っている。  政策の柱は、①「国内消費拡大・生産持続」、②「風評影響への対応」、③「輸出先の転換」、④「国内加工体制の強化」、⑤「迅速かつ丁寧な賠償」の5つだ。数字の順番から言えば①の「国内消費拡大・生産持続」が特に期待されていると考えていいだろう。その①の内容として最初に挙げられているのが、「国内消費拡大に向けた国民運動の展開」である。  要するに「食べて応援」を国民運動のレベルに高めようというものだ。具体策として挙げられているのは、「ふるさと納税」を活用した取り組みである。ふるさと納税で寄付を受けた自治体は、返礼として地域の特産品を贈る。海洋放出後、県内漁業の拠点であるいわき市にふるさと納税し、海の幸を返礼品としてもらう人が増えた。水産業の衰退を心配した市民一人一人の自発的な行為だったと考えられる。  日本政府はこうした市民の心情に便乗し、これを「国民運動」として推し進めようとしているのだ。  経産省によると、他には学校給食で国産の魚介類を使うことなどが「国民運動」に該当するという。 「魚を食べて中国に勝とう」 国家基本問題研究所が9月上旬に複数の新聞に出した意見広告  政府が「食べて応援」を「国民運動」に祭り上げたタイミングで世に出たのが、こんな新聞広告である。  《日本の魚を食べて中国に勝とう》  この意見広告を出したのは「国家基本問題研究所」という団体である。保守派の論客として知られるジャーナリストの櫻井よしこ氏が理事長を務めている。櫻井氏は中国脅威論を根拠として日本の軍事力強化などを主張している人物。同氏の写真の横には、こんな主張が書いてあった。  《おいしい日本の水産物を食べて、中国の横暴に打ち勝ちましょう。(中略)中国と香港への日本の水産物輸出は年間約1600億円です。私たち一人ひとりがいつもより1000円ちょっと多く福島や日本各地の魚や貝を食べれば、日本の人口約1億2000万人で当面の損害1600億円がカバーできます。安全で美味。沢山食べて、栄養をつけて、明るい笑顔で中国に打ち勝つ。早速今日からでも始めましょう》  苦境に陥った水産業者を支えたいという気持ちは理解できる。また、海洋放出の直後、原発とは関係ない公共施設などに対して、中国の国番号(86)から抗議の電話が殺到したという出来事もあった。県内の飲食店なども迷惑を被ったという。これらの行為はよくない。だが、そうしたことを考慮しても、隣国を過度に敵視する言説には全く賛同できない。 「新しい戦前」は海洋放出から?  思い出すのは日本がアジア太平洋戦争を起こした頃のことだ。1937年の日中戦争をきっかけに、国民の戦意高揚をはかり、最大限の国力を戦争に注ぎ込むための「国民精神総動員運動」が始まった。  街中には「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません。勝つまでは」などの標語が掲げられた。食料不足を防ぐため、「何がなんでもカボチャを作れ」というポスターまで作られた。戦争に反対する人や協力的でない人は「非国民」と呼ばれた。  同じようなことが今起きていると筆者は感じる。マスメディアの報道やSNSは「食べて応援!」「STOP風評被害」というメッセージであふれかえっている。一方、政府の言う「ALPS処理水」を「汚染水」と呼んだだけで「非国民だ!」と非難されるような現状もある。  大物芸能人のタモリ氏は昨年末、「来年はどんな年になるでしょう?」と問われた時に「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えた。海洋放出をめぐる中国とのやりとりや日本国内のムードを眺めた時、タモリ氏の言葉が急速に現実味を帯びてくる。  ここは原点に戻って考えたい。自主的な「買って応援」を否定するつもりはないが、大々的にやればやるほど本質を覆い隠してしまう。今回の水産業者の苦悩を引き起こしたのは一体誰だろうか? 魚の輸入を停止した中国政府だろうか? いや、違う。そもそもの原因を作ったのは、日本政府と東京電力だ。原発事故を起こし、その後、時の首相が「アンダーコントロール(制御されている)」などと言っておきながら汚染水の発生を食い止めることができず、挙句の果てに海洋放出してしまった。しかも隣国の理解を十分に得ないまま強行したため、国内の水産業に深刻な事態を招いた。  本来批判されるべきは日本政府と東電だ。私たち市民は問題の本質を冷静に見極めなければいけない。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【ジャーナリスト 牧内昇平】

    【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】

     何としても、一日でも早く、海に捨てるのをやめさせる――。東京電力福島第一原発で始まった原発事故汚染水の海洋放出を止めるため、市民たちが国と東電を相手取った裁判を始めた。9月8日、漁業者を含む市民151人が福島地裁に提訴。10月末には追加提訴も予定しているという。「放出反対」の気運をどこまで高められるかが注目だ。 「二重の加害」への憤り 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  9月8日の午後、福島市の官公庁街にブルーののぼり旗がはためいた。  《海を汚さないで! ALPS処理汚染水差止訴訟》  台風13号の接近情報が入る中、少なくとも数十人の原告や支援者たちが集まっていた。この日の約2週間前の8月24日、原発事故汚染水(政府・東電の言う「ALPS処理水」)の海洋放出が始まった。反対派や慎重派の声を十分に聞かない「強行」に、市民たちの怒りのボルテージは高まっていた。  のぼり旗を掲げながら福島地裁に向かってゆっくりと進む。シュプレヒコールが始まる。  「汚染水を海に捨てるな! 福島の海を汚すな!」  熱を帯びた声の重なりが雨のぱらつく福島市街に渦巻いた。  「我々のふるさとを汚すな! 国と東京電力は原発事故の責任をとれ!」  提訴後、市民たちは近くにある福島市の市民会館で集会を行った。弁護団の共同代表を務める広田次男弁護士が熱っぽく語る。 広田次男弁護士(8月23日、本誌編集部撮影)  「先月の23日に記者会見し、28日から委任状の発送作業などを行ってきました。今日まで10日弱で151名の方々が加わってくれたことは評価に値することだと思います」  広田氏の隣には同じく共同代表の河合弘之弁護士が座っていた。共同代表はこの日不参加の海渡雄一弁護士も含めた3人である。広田氏は長年浜通りの人権派弁護士として活動してきたベテラン。河合、海渡の両氏は全国を渡り歩いて脱原発訴訟を闘うコンビだ。  この日訴状に名を連ねたのは福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県に住む市民(避難者を含む)と漁業者たち。必要資料の提出が間に合わなかった人も多数いるため、早速10月末に追加提訴を行う予定だという。少なくとも数百人規模の原告たちの思いが、上記の3人をはじめとした弁護士たちに託されることになる。  報道陣に渡された訴状はA4版で40ページ。請求の理由が書かれた文章の冒頭には「福島県民の怒り」というタイトルがついていた。  《本件訴訟の当事者である原告らは、いずれも「3・11原発公害の被害者」であり、各自、「故郷はく奪・損傷による平穏生活権の侵害」を受けた者であるという特質を備えている。したがって、ALPS処理汚染水の放出による環境汚染は、その「重大な過失」によって放射能汚染公害をもたらした加害者が、被害者に対して「故意に」行う新たな加害行為である。原告と被告東電・被告国の間には、二重の加害と被害の関係があると言える。本件訴訟は、二重の加害による権利侵害は絶対に容認できないとの怒りをもって提訴するものである》(訴状より)  原発事故を起こした国と東電が今度は故意に海を汚す。これは福島の人びとへの「二重の加害」である――。河合弘之弁護士はこの理屈をたとえ話で説明した。  「危険運転で人をはねたとします。その人が倒れました。なんとか必死に立ち上がって、歩き始めました。そこのところを後ろから襲いかかって殴り倒すような2回目の加害行為。これが今度の放射性物質を含む汚染水の海洋投棄だと思います。1回目の危険運転は、ひどいけれども過失罪です。今度流すのは故意、悪意です。過失による加害行為をした後に、故意による加害行為を始めたというのが、この海洋放出の実態です」  「二重の加害」への憤り。この思いは原告たちの共通認識と言えるだろう。原告共同代表を務める鈴木茂男さん(いわき市在住)はこのように語っている。  「私たち福島県民は12年前の原発事故の被害者です。現在に至るまで避難を続けている人もたくさんいます。被害が継続している人たちがまだまだたくさんいるのです。その中で国と東電がALPS処理汚染水の海洋放出を強行するということは、私たち被害者たちに対して新たな被害を与えるということだと思います。それなのに国と東電は一切謝罪をしていません。漁業者との約束を破ったにも関わらず、『約束を破っていない』と強弁して、『すみません』の一言も発していません。こんなことがまかり通っていいのでしょうか? 社会の常識からいえば、やむを得ない事情で約束を守れない状況になったら、その理由を説明し、頭を下げて謝罪し、理解を求めるのが、人の道ではないでしょうか。謝罪もせず、『理解は進んでいる』と言う。これはどういうことなのでしょうか? 福島第一原発では毎日汚染水が増え続けています。この汚染水の発生をストップさせることがまず必要です。私は海洋放出を黙って見ているわけにはいきません。何としても、いったん止める。そして根本的な対策を考えさせる。止めるのは一日でも早いほうがいい。そのための本日の提訴だと思っています」  提訴後の集会でのほかの原告たちの声(別表)も読んでほしい。 海洋放出差し止め訴訟「原告の声」 佐藤和良さん(いわき市)「今、マスコミでは『小売りの魚屋さんが頑張っています』というのがよく取り上げられています。食べて応援。岸田首相や西村経済産業大臣をはじめとして、みんな急に刺身を食べたり、海鮮丼を食べたりして、『常磐ものはうまい』と言っています。でも、30年やってられるんですか? 急に魚食うなよと言いたいです。『汚染水』ではなくて『処理水』だという言論統制が幅を利かすようになっています。本当に戦争の足音が近づいてきたんじゃないかと思います。非常に厳しい日本社会になってきています。我々は引くことができません」 大賀あや子さん(大熊町から新潟県へ避難)「大熊町議会では2020年9月に処分方法の早期決定を求める意見書を国に提出しました。政府東電の説明を受け、住民の声を聞き取る機会を設けず、町議会での参考人聴取や熟議もないままに出されたものでした。交付金のため国に従うという原発事故前からの構図は変わっていないということでしょうか。海洋放出に賛成しない町民の声が埋もれてしまっています」 後藤江美子さん(伊達市)「私が原告になろうと思ったのは生活者として当たり前の常識が通用しないことに憤りを感じたからです。『関係者の理解なしには海洋放出しない』という約束がありました。この約束は反故にしないと言いながら、どうして海洋放出を開始するのか。子どもたちに正々堂々きちんと説明することができるのでしょうか。平気でうそをつく、ごまかす、後出しじゃんけんで事実を知らせる。国や東電がやっていることは人として恥ずかしくないのでしょうか。岸田さんはこれから30年すべて自分が責任をもつとおっしゃいましたが、次の世代を生きる孫や子のことを考えれば、本当はもっと慎重な行動が求められているのではないかと思います」 権利の侵害を主張 東京電力本店  訴えの中身に目を転じてみよう。裁判は国を相手取った行政訴訟と、東電を相手取った民事訴訟との二部構成になる。原告たちが求めているのはおおむね以下の2点だ。  ・国(原子力規制委員会)は、東電が出した海洋放出計画への認可を取り消せ。  ・東電はALPS処理汚染水の海洋への放出をしてはならない。  なぜ原告たちにこれらを求める根拠があるのか。海洋放出によって漁業者や市民たちの権利が侵害されるからだというのが原告たちの主張だ。  《ALPS処理汚染水が海洋放出されれば、原告らが漁獲し、生産している漁業生産物の販売が著しく困難となることは明らかである。政府は、これらの損害については補償するとしているが、まさに、補償しなければならない事態を招き寄せる「災害」であることを認めているといわなければならない。さらに、一般住民である原告との関係では、この海洋放出行為は、これらの漁業生産物を摂取することで、将来健康被害を受ける可能性があるという不安をもたらし、その平穏生活権を侵害する行為である》(訴状より)  漁師たちが漁をする権利(漁業行使権)が妨害されるだけでなく、生業を傷つけられること自体が漁師の人格権侵害に当たるという指摘もあった。この点について、訴状は週刊誌(『女性自身』8月22・29日合併号)の記事を引用している。  《新地町の漁師、小野春雄さんはこう憤る。「政府は、『水産物の価格が下落したら買い上げて冷凍保存する』と言って基金を作ったけど、俺ら漁師はそんなこと望んでない。消費者が〝おいしい〟と喜ぶ顔が見たいから魚を捕るんだ。税金をドブに捨てるような使い方はやめてもらいたい!」》  仮に金銭補償が受けられたとしても、漁師としての生きがいや誇りは戻ってこない。小野さんが言いたいのはそういうことだと思う。  訴状はさらに、さまざまな論点から海洋放出を批判している。要点のみ紹介する。  ・ALPS処理汚染水に含まれるトリチウムやその他の放射性物質の毒性、および食物連鎖による生体濃縮の毒性について、適切な調査・評価がなされていない。  ・放射性廃棄物の海洋投棄を禁じたロンドン条約などに違反する。  ・国と東電には環境への負荷が少ない代替策を採用すべき義務がある。  ・国際社会の強い反対を押し切って海洋放出を強行することは日本の国益を大きく損なう。  ・IAEA包括報告書によって海洋放出を正当化することはできない。 弁護団共同代表の海渡氏は裁判のポイントを以下のように解説する。  「分かりやすい例を一つだけ挙げます。今回の海洋放出は、ALPS処理された汚染水の中にどれだけの放射性物質が含まれているかが明らかになっていません。放出される中にはトリチウムだけでなくストロンチウム、セシウム、炭素14なども含まれています。それらが放出されることによって海洋環境や生物にどういう被害をもたらし得るか。環境アセスメントがきちんと行われていません。国連人権理事会の場でもそういう調査をしろと言われているのに、それが全く行われていない。決定的に重大な国の過誤、欠落と言えると思います」 原発事故汚染水の海洋放出と差し止め訴訟の経緯 2021年4月日本政府が海洋放出の方針を決定2022年7月原子力規制委員会が東電の海洋放出設備計画を認可8月福島県と大熊・双葉両町が東電の海洋放出設備工事を事前了解2023年7/4国際原子力機関(IAEA)が包括報告書を公表8/22日本政府が関係閣僚等会議を開き、8月24日の放出開始を決める23日海洋放出差し止め訴訟の弁護団と原告予定者が提訴方針を発表24日海洋放出開始。中国は日本からの水産物輸入を全面的に停止9/4日本政府が水産事業者への緊急支援策として新たに207億円を拠出すると発表8日海洋放出差し止め訴訟、第1次提訴11日東電が初回分の海洋放出を完了(約7800㌧を放出)10月末差し止め訴訟、追加提訴(予定) 多くの市民を巻き込めるか 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  問題は、原告たちの訴えが認められるかどうかだ。提訴前の8月23日に開かれた記者会見で、筆者はあえて弁護団に「勝算」を聞いた。広田氏は以下のように答えた。「何をもって裁判の勝ち負けとするか、そのメルクマール自体が裁判の展開によっては難しい中身を伴うかもしれませんが、勝算はもちろんあります。勝算がなければこうやって大勢の皆さんに立ち上がろうと弁護団が言うことはあり得ません。どういう形で勝つかまではここで具体的に断言はできませんが、ともかくどういう形であれ、やってよかった、立ち上がってよかった、そう思える結果を残せると確信しております」。  海渡氏は以下の見解を示した。  「この裁判は十分勝算があると思っています。最も勝算があると考える部分は、現に漁業協同組合に加入している漁業者の方がこの裁判に加わってくれたことです。彼らの生業が海洋放出によって甚大な影響を受けることはまちがいない。そしてそれが過失ではなく故意による災害であることもまちがいない。これはきわめて明白なことです。まともな裁判官だったら正面から認めるはずです。一般市民の方々の平穏生活権の侵害については、これまでの原発事故被害者の損害賠償訴訟の中で、避難者の救済法理として考えられてきたものです。たくさんの民事法学者の賛同を得ている、かなり確実な法理論です。チャレンジングなところもありますが、この部分も十分勝算があると思っています」  筆者の考えでは、最大のポイントはいかに運動を広げられるかだ。法廷闘争だけで海洋放出を止めるのではなく、裁判を起こすことで二重の加害に対する市民たちの憤りを「見える化」し、できるだけ多くの人に「やっぱり放射性物質を海に流してはだめだ」と考えてもらう。世論を味方につけ、判決を待たずして政府に政策転換を迫る。そんな流れを作れないだろうか。  そのためには原告の数をもっと増やしたいところだろう。仮に数千人規模の市民が海洋放出差し止めを求めて裁判所に押し寄せたら、裁判官たちにもいい意味でのプレッシャーがかかるのではないか。素人考えではあるが、筆者はそう思っている。  とはいえ司法の壁は高い。記憶に新しいのは昨年6月17日の最高裁判決だ。原発事故の損害賠償などを求める市民たちが福島、千葉、群馬、愛媛地裁で始めた合計4件の訴訟について、最高裁第二小法廷は国の法的責任を認めないという判決を下した。高裁段階では群馬をのぞく3件で原告たちが勝っていたが、それでも最高裁は国の責任を認めなかった。東電に必要な事故対策をとらせなかった国の無為無策が司法の場で免罪されてしまった。司法から猛省を迫られなかったことが、原発事故対応に関して国に余裕をもたらし、今回の海洋放出強行につながったという見方もある。  しかし、壁がどんなに高かろうとも、政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の役割の一つだということを忘れてはならない。国のやることがおかしいと感じたとき、司法に期待をかけるのは国民の権利である。海洋放出に反対する市民運動を続けてきた織田千代さん(いわき市)は、今回の海洋放出差し止め訴訟の原告にも加わった。織田さんはこう話す。  「福島で原発事故を経験した私たちは、事故が起きるとどうなるのかを12年以上さんざん見てきました。そして福島のおいしいものを食べるときに浮かんでしまう『これ大丈夫かな?』という気持ちは、事故の前にはなかった感情です。つまり、原発事故は当たり前の日常を傷つけ続けているということだと思います。それを知っている私たちは、絶対にこれ以上放射能を広げるなと警告する責任があると思います。国はその声を無視し続け、約束を守ろうとしませんでした。それでも私たちは安心して生きていきたいと願うことをやめるわけにはいきません。私たちの声を『ないこと』にはできません」 ※補足1海洋放出差し止め訴訟の原告たちは新しい原告や訴訟支援者の募集を続けている。原告は福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県の市民が対象で(同地域からの避難者を含む)、それ以外の地域に住む人は訴訟の支援者になってほしいという。問い合わせはALPS処理汚染水差止訴訟原告団事務局(090-7797-4673、ran1953@sea.plala.or.jp)まで。 ※補足2生業訴訟の第2陣(原告数1846人)は福島地裁で係属中。全国各地のほかの集団訴訟とも協力し、いわゆる「6.17最高裁不当判決」をひっくり返そうとしている。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 避難区域除染で堆積物を放置!?

    避難区域除染で堆積物を放置!?

     9月号の情報ファインダーで「除染のあり方を環境省に問う住民」という記事を掲載した。内容は次のようなもの。  浪江町に土地・建物を持つAさん(住まいは浪江町ではないが、帰還困難区域の住民で、同町内に不動産を有している。実際の名義人はAさんではなくその家族)が、「自身の所有地周辺で不適切な除染が行われていた」として環境省と話し合いを行っているという。  具体的には、Aさんの所有地の隣が竹林になっており、そこは別の所有者の土地だが、自身の敷地から覗き込むと、堆積物が放置されているのが目に付いた。Aさんの所有地の竹林と面する側は、かなり放射線量が高いため、環境省に「不適切除染ではないのか」、「何とかしてほしい」と求めているのだという。  もしかしたら、竹林の所有者が「この部分(堆積物がある場所)はそのままにしておいてほしい」と依頼した可能性もあるため、それだけで「不適切除染」と断定することはできない。  ただ、Aさんからしたら、「せっかく自身の敷地を除染してもらっても、隣接地がそんな状況では意味がない」として、環境省に説明・対応を求めているようだ。 Aさん所有地の隣の竹林に放置された堆積物(環境省がAさんに提出した資料より)  この間、Aさんは環境省と文書や直接の面談で説明・対応などを求めてきたが、前号の記事掲載時点では、「まだ最終的な報告や、こう対応しますということは示されていない」とのことだった。  その後、8月30日付で環境省から回答があった。  内容は以下のようなもの。  ○除染業者にヒアリングを行ったところ、森林除染において、残置物があった場合、一般的な片付け等は実施せず、残置物の上の堆積物を除去しているが、作業上支障となるものについては企業努力により集積することもある。  ○本件の除染では、残置物の上の堆積物をそのままの状態で除去し、あるいは残置物を移動して堆積物を除去していたと考えられる。  ○事業者に確認したところ、竹や残置物が残された状態でも、適正な除染は実施されていると推察されるとの回答だった。一方で、当時の施工記録が十分に残されていない(※除染が行われたのは2013年度)中で、本件の除染が適正に実施されたという確証もないと認識している。  ○明確な不適正除染が行われたと判断するには至らないが、今回(Aさんから)指摘があったことを踏まえ、信頼性のある施工管理、適正な除染の実施に努めていく。  「当時の施工記録が十分に残されていない中、本件の除染が適正に実施されたという確証がない」としつつ、「明確な不適正除染が行われたと判断するには至らない」との回答にAさんは納得していない。  Aさんと直接やり取りをした環境省福島地方環境事務所の担当者は「個人情報もありますので、個別の案件についてはコメントを控えさせてください」とのことだった。  Aさんは「これから、帰還困難区域(特定帰還居住区域)の除染が行われることになると思うが、そういった不備がある除染が行われるようでは意味がない。そうした点からも、環境省には形式的なものでなく、意味のある除染をしてもらいたい。私自身の問題についても、納得いくまで環境省と協議したいと思っている」と話した。

  • 田村市の新病院工事問題で新展開

    田村市の新病院工事問題で新展開

     7月に開かれた田村市議会の臨時会で、市が提出した新病院の工事請負契約に関する議案が反対多数で否決されたことを先月号で伝えたが、その後、新たな動きがあった。 安藤ハザマとの請負契約が白紙に 田村市船引町地内にある新病院建設予定地  新病院の施工予定者は、昨年4~6月にかけて行われた公募型プロポーザルで、選定委員会が最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。しかし、これに納得しなかった白石高司市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と選定委員会の選定を覆す決定をした。これに一部議員が猛反発し、昨年10月、百条委員会が設置された。  今年3月、百条委は議会に調査報告書を提出したが、その中身は法的な問題点を見つけられず、白石市長に「猛省を促す」と結論付けるのが精一杯だった。  そうした因縁を引きずり迎えた7月の臨時会は、直前の6月定例会で新病院に関する予算が賛成多数で可決していたこともあり、安藤ハザマとの工事請負契約も可決するとみられていた。ところが、結果はまさかの否決。白石市長が反対に回った議員をどのように説得するのか今後の対応が注目されたが、本誌に飛び込んできたのは予想外の情報だった。  「市は6月下旬に安藤ハザマと仮契約を結んだが、白紙に戻し入札をやり直すというのです」(経済人)  議会筋によると、7月下旬に開かれた会派代表者会議で市から入札をやり直す方針が伝えられたという。今後、6月定例会で可決した新病院に関する予算を減額補正し、新たに入札を行って施工予定者を選び直す模様。設計はこれまでのものを踏襲するか、若干の変更があるかもしれないという。  「安藤ハザマは今回の新病院工事で、地元企業に十数億円の仕事を発注する予定だったが、船引町商工会に『契約が白紙になったため、地元発注ができなくなった』と連絡してきたそうです」(前出・経済人)  船引町商工会の話。  「8月上旬に安藤ハザマから連絡がありました。市から契約白紙を告げられたそうです。担当者からは繰り返し謝罪されたが、経済が落ち込む中、地元企業に様々な仕事が落ちると期待していただけに残念でなりません」(白石利夫事務局長)  船引町商工会では安藤ハザマと取引を希望する地元企業から見積もりを出してもらうなど、同社とのつなぎ役を務めていた。ガソリンスタンド、車両のリース、弁当など様々な業種から既に見積もりが寄せられていただけに「取引がなくなり、皆落胆しています」(同)という。  市のホームページによると、新病院は2023~24年度にかけて工事を行い25年度に開院予定となっているが、議会筋によると、入札をやり直せば工事は24年夏~26年夏、開院はその後にずれ込む。予定より1年以上開院が遅れることになる。  「白石市長は否決された工事請負契約を可決させるため、反対した議員を説得すると思われたが、そうした努力を一切せずに入札やり直しを決めた。一方、反対した議員も、当初計画より工事費が高いことを理由に否決したが、これ以上工事が遅れれば物価高やウクライナ問題のあおりで工事費はさらに割高になる。白石市長も反対した議員も新病院が必要なことでは一致しているのに、互いに歩み寄らなかった結果、『開院の遅れ』と『工事費のさらなる増額』という二つの不利益を市民に強いることになった」(前出・経済人) 白石高司市長  入札をやり直して開院を遅らせるのではなく、政治的な協議で軌道修正を図り、予定通り開院させる方法は取れなかったのか。  市内では「互いに正論を述べているつもりかもしれないが、市民の立場に立って成熟した議論ができないようでは話にならない」と冷めた意見も聞かれる。白石市長も議会も猛省すべきだ。 ※新病院建設を担当する市保健課に問い合わせると「安藤ハザマとの契約はいったんリセットされる。今後どのように入札を行うかは9月定例会など正式な場でお伝えすることになる」とコメントした。 あわせて読みたい 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長 【田村市百条委】呆れた報告書の中身 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠 【田村市】新病院問題で露呈【白石市長】の稚拙な議会対策

  • 動き出した「特定帰還居住区域」計画

    動き出した「特定帰還居住区域」計画

     原発事故に伴い設定された帰還困難区域のうち、「特定復興再生拠点区域」から外れたエリアを、新たに「特定帰還居住区域」として設定し、住民が戻って生活できるように環境整備をする政府方針が決まった。それに先立ち、今年度内に、大熊町と双葉町で先行除染が行われる予定で、大熊町では8月に対象住民説明会を実施した。 先行除染の費用は60億円 先行除染の範囲(福島民報3月2日付紙面より)  原発事故に伴う避難指示区域は、当初は警戒区域・計画的避難区域として設定され、後に避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに再編された。現在、避難指示解除準備区域と居住制限区域は、すべて解除されている。  一方、帰還困難区域は、比較的放射線量が低いところを「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)に指定し、除染や各種インフラ整備などを実施。JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線開通に合わせて2020年3月末までに解除され、そのほかは葛尾村が昨年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が今年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除された。  ただ、復興拠点は、帰還困難区域全体の約8%にとどまり、残りの大部分は解除の目処が全く立っていなかった。そんな中、国は今年6月に「福島復興再生特別措置法」を改定し、復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定め、2020年代(2029年まで)に住民が戻って生活できることを目指す方針を示した。  それに先立ち、今年度内に大熊町と双葉町で先行除染が行われることになった。昨年実施した帰還意向調査結果や特定復興再生拠点区域との位置関係、放射線量などを考慮し、大熊町の下野上1区、双葉町の下長塚行政区と三字行政区が先行除染の候補地とされた。  これを受け、大熊町は8月19、20日に住民説明会を開催した。非公開(報道陣や対象行政区以外の町民は参加不可)だったため、内容の詳細は分かっていないが、町によると「国(環境省)を交えて、対象行政区の住民に概要や対象範囲などについて説明を行う」とのことだった。  ある関係者によると、「だいたい80世帯くらいが対象になるようだが、実際の住まいとしては20軒くらい。同行政区の帰還希望者の敷地は除染・家屋解体などを行う、といった説明がなされたようです」という。  先行除染が行われることが決まったのは今年春。その時はまだ「特定帰還居住区域」案などを盛り込んだ「福島復興再生特別措置法」の改定前だったが、先行除染の範囲などは、住民の帰還意向調査などに基づいて、国と当該町村が協議して決める、としており、ようやく詳細に動き出した格好だ。なお、国は先行除染費用として今年度当初予算に60億円を計上している。 復興拠点内外が点在 下野上1区の集会所と屯所  先行除染が行われる下野上1区は、JR大野駅の西側に位置する。同行政区は約300世帯あるが、復興拠点に入ったところとそうでないところがあるという。前出の関係者によると、復興拠点外は約80世帯で、当然、今回の先行除染は同行政区の復興拠点から外れたところが対象になり、復興拠点と隣接している。県立大野病院と常磐道大熊ICの中間当たりが対象エリアとなる。  同行政区の住民によると、「アンケート(意向調査)で、下野上1区は帰還希望者が比較的多かった。そのため、先行除染の対象エリアに選ばれた」という。 同町では、昨年8月から9月にかけて、「特定帰還居住区域」に関する意向調査が行われた。対象597世帯のうち340世帯が回答した。結果は「帰還希望あり」が143(世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされる)。「帰還希望なし」(世帯全員が帰還希望なし)が120、「保留」が77だった。  回答があった世帯の約42%が「帰還希望あり」だった。ただ、今回に限らず、原発事故の避難指示区域(解除済みを含む)では、この間幾度となく住民意向調査が実施されてきたが、回答しなかった人(世帯)は、「もう戻らないと決めたから、自分には関係ないと思って回答しなかった」という人が多い。つまり、未回答の大部分は「帰還希望なし」と捉えることができる。そう考えると、「帰還意向あり」は25%前後になる。さらに今回の調査では、世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされるため、実際の帰還希望者(人数)の割合は、もっと低いと思われる。  そんな中でも、下野上1区は帰還希望者が比較的多かったため、先行除染の対象になったということだ。  前述したように、同行政区内では、復興拠点に入ったところとそうでないところが混在している。そのため、向こうは解除されたのに、こっちは解除されないのは納得できないといった思いもあったに違いない。そんな事情から、同行政区は帰還希望者が比較的多かったのだろう。  国は7月28日、「改定・福島復興再生特別措置法」を踏まえた「福島復興再生基本方針」の改定を閣議決定した。特定帰還居住区域復興のための計画(特定帰還居住区域復興再生計画)の要件などが定められている。これに基づき、今後対象自治体では、「特定帰還居住区域」の設定、同復興再生計画の策定に入る。同時に、大熊・双葉両町で先行除染が開始され、2029年までの避難解除を目指すことになる。  ただ、以前の本誌記事も指摘したように、帰還困難区域の除染が、原因者である東電の責任(負担)ではなく、国費(税金)で行われるのは違和感がある。帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるのが筋で、そうではなく国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。

  • 海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

    海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

     海洋放出にお墨付きを与えたとされる国際原子力機関(IAEA)の包括報告書。そこにはどのようなことが書かれているのか。世界の廃炉政策を研究しており、本誌で「廃炉の流儀」を連載している尾松亮さんに解説してもらった。  政府は海洋放出を正当化する根拠として国際原子力機関(IAEA)の報告書(7月4日発表包括報告書)を引き合いに出す。この包括報告書で、IAEAが海洋放出計画を「国際基準に沿ったもの」と認め、お墨付きを与えたというのだ。  例えば、8月1日に行われた茨城沿海地区漁業協同組合連合会との面会で、西村康稔経済産業大臣はこの報告書を持ち出し「放出に対する日本の取り組みは国際的な安全基準に合致している」と説明した(8月2日付NHK茨城NEWS WEB)。  海洋放出計画は「国際基準に合致している」と、各紙各局の報道は繰り返す。  しかし、根拠となった「国際基準」とはどんなもので、何をすれば国際基準に合致すると見なされるのか、そのことを詳しく伝える報道は少なくとも日本では見たことがない。  海洋放出推進の論拠となっているIAEA包括報告書で、その「国際基準」への整合性はどのように証明されているのか。 ①【IAEA包括報告書とは】和訳なし、結論部分だけが報じられる  2023年7月4日、IAEAは「福島第一原子力発電所におけるALPS処理水安全レビューに関する包括報告書」(※) を発表した。 ※IAEA “COMPREHENSIVE REPORT ON THE SAFETY REVIEWOF THE ALPS-TREATED WATER AT THE FUKUSHIMA DAIICHI NUCLEAR POWER STATION” https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf  2021年4月にALPS処理水海洋放出を決定した直後、日本政府はIAEAに対して「処理水放出計画を国際的安全基準の観点から独立レビュー」するよう要請した。その要請を受けて実施されたIAEAレビューの内容をまとめたのがこの包括報告書である。  これは付録資料含め全129頁の英文による報告書。発表から1カ月以上経過した8月下旬時点で外務省や経産省のホームページを見ても報告書全体の和訳は無い。数枚の日本語要旨がつけられているだけである。「英語が読めない住民は結論の要約だけ読んで信じれば良い」と言わんばかりである。 表1:IAEA包括報告書の主な構成 章章タイトル1章導入2章「基本的安全原則との整合性評価」3章「安全要求事項との整合性評価」4章モニタリング、分析及び実証5章今後の取り組み  そして日本の報道機関は、この報告書の中身を分析することなく「国際基準に合致」「放射線影響は無視できる程度」という結論部分だけを繰り返し伝えている。  この結論を読むとき、疑問を持たなければならない。メルトダウンした核燃料に直接触れた水の海への投棄を認める「国際基準」とは何ものか? どういう取り組みをしたら、国際安全基準に合致していると言えるのか? その適合評価は十分厳しく行われたのか?  この報告書で処理水海洋放出計画の「国際基準(国際機関であるIAEAが定めた基準)」との整合性をチェックしているのは、主に第2章(「基本的安全原則との整合性評価」)及び第3章(「安全要求事項との整合性評価」)である。  「国際基準に合致」と言われれば、さも厳しい要求事項があり、東電と政府の海洋放出計画はそれらの要求事項を「全て満たしている」かのように聞こえる。しかし報告書の内容を読むと、この「国際基準」がいかに頼りないものであるかが明らかになる。  本稿ではこれら整合性評価で特に問題のある部分について紹介したい。 ②【基本原則との適合評価】こんな程度で「合致」を認めるのか?  例えば2章1節では、「安全性に対する責任」という基本原則との整合性が確認される。 表2:2章で整合性評価される基本的安全原則 節番号項目2.1安全性に対する責任2.2政府の役割2.3安全性に関するリーダーシップとマネジメント2.4正当化2.5放射線防護の最適化2.6個人に対するリスクの制限2.7現世代及び将来世代とその環境の防護2.8事故防止策2.9緊急時対策と対応策2.1現存被ばくリスクを低減するための防護策  これは「安全性に対する一次的責任は、放射線リスクを引き起こす活動あるいは施設の責任主体である個人あるいは組織が負わなければならない」という原則(IAEA国際基準の一つ)である。この原則について適合性はどうチェックされたか、該当箇所を見てみたい。  「日本で定められた法制度および規制制度の枠組みの下、東京電力が福島第一原子力発電所からのALPS処理水の放出の安全性に対する一次的責任を負っている」(包括報告書15頁)。つまり「海洋放出実施企業が安全に対する責任を負う」というルールさえ定めれば、「国際基準に合致」となるのだ。  2章2節は「政府の役割」という基本原則との整合性評価である。これは「独立規制組織を含む、安全性のための効果的な法制度上及び政府組織面での枠組みが打ち立てられ維持されていなければならない」という基本原則。これについてIAEAはどう評価したか。  「原子力規制委員会は独立規制組織として設立され、その責任事項には、ALPS処理水の海洋放出のための東京電力の施設及び活動に対する規制管理についての責任も含まれる」(同17頁)として、「基準合致」を認めてしまう。規制委員会があるからOKというのだ。  2章8節では「核災害または放射線事故を防止するとともに影響緩和するためにあらゆる実践的な取り組みが行われなければならない」という基本原則との整合性が確認される。ここでIAEAは「放出プロセスを管理しALPS処理水の意図せぬ流出を防ぐために東京電力によって安全確保のための堅実な工学的設計と手続き上の管理が行われている」(同29頁)として「原則合致」を認めている。その根拠として、非常時に海洋放出を止める停止装置(Isolation Valves等)があることを挙げている。非常用設備と事故防止計画があるから「基準合致」というのだ。東電のように何度も設備故障を起こし、安全基準違反を繰り返してきた企業に対して、「設備が用意されているから基準合致」というのは甘すぎるのではないか?  ここまで読んで「おかしい」と思わないだろうか? これら「基本原則」は、原子力施設を運営する国や企業に求められる初歩中の初歩の制度整備要求でしかない。これらを満たせば海洋放出計画も「国際基準に合致」ということになるのなら、ほぼ全ての原発保有国は「基準合致」のお墨付きをもらえる。 ③【安全要求事項との適合評価】40年前の基準でも科学的?  3章では「安全性要求事項」との整合性がチェックされている。 表3:3章で整合性評価される安全性要求事項 節番号項目3.1規制管理と認可3.2管理放出のシステムとプロセスにおける安全に関する側面3.3汚染源の特性評価3.4放射線環境影響評価3.5汚染源および環境のモニタリング3.6利害関係者の参画3.7職業被ばく防護  例えば3章4節では、東電の「環境影響評価」がIAEAの基準に沿って実施されているかチェックしている。この東電の「放射線環境影響評価」は、IAEAが「(処理水海洋放出による)人間と環境への影響は無視できる程度」と結論づける根拠となったものだ。  例えば、IAEAの基準「放射線防護と放射線源の安全:国際基本安全基準」(GSR Part3)には、影響評価について次のような規定がある。「安全評価は次のような形で行われるものとする。(a)被ばくが起こる経路を特定し、(b)通常運転時において被ばくが起こりうる可能性とその程度について確定すると共に合理的で実践可能な範囲で、あり得る被ばく影響の評価を行う」(同60頁)  これら基準に定められた評価項目を扱い、定められた手続きに沿って「環境影響評価」を実施すれば、この「国際基準に合致」したことになる。当該環境影響評価が、将来にわたる放射線影響リスクを網羅的かつ客観的に提示することまでは求められていない。そもそも網羅的な影響評価は不可能であり、不確実性が残ることは最初から許容されている。  例えばIAEAは、内部被ばくの影響評価に際して、極めて簡略化された推定値を用いることを容認している。具体的に言えば、国際放射性防護委員会(ICRP)の基準に基づき(1)カレイ目の魚類、(2)カニ、(3)昆布科の海藻、の3種類の海産物を通じた内部被ばくを評価すれば是とする。そして影響評価に際して用いる濃縮係数(汚染された海水からどの程度の放射性物質が水産物に取り込まれるかの指標)については、「魚類の濃縮係数はデータが不足しており不確実である」(同83頁)と認めている。IAEAは「海産物の摂取が主な被ばく源となる」(同72頁) と認めながらも、不確実性の高い内部被ばく評価で合格を与えているのだ。  東京電力は、水産物を通じた内部被ばく評価に際してIAEA技術報告書(TRS―422)に示された濃縮係数を用いている。水産物からの内部被ばくを評価する際に要となるのがこの濃縮係数だ。しかし、技術報告書TRS―422(2004年時点)に示された濃縮係数は20年も昔の数字であることを考慮しないといけない。さらにTRS―422に示された濃縮係数の多くは、前版である1985年の技術報告書(TRS―247)から更新されていない。「多くの要素について、完全な更新はこれまでのところ不可能で、そのためTRS―247に掲載された値が依然として現時点での最良の推定値となっている」(TRS―422、29頁)とIAEAが認める。つまり、ほとんどの値が1985年時点の推定値なのだ。  汚染された海水からどの魚種にどの程度の濃度で放射性物質が濃縮されるのか、の知識は40年近くの間IAEAの基準の中で更新されていない。それでもこの基準に依拠して内部被ばく推定を行えば、「国際基準に合致した科学的な評価」ということになってしまうのだ。  セシウムやストロンチウムを総量でどれくらい放出するのかも分かっておらず、トリチウムの放出量すら粗い推定値しかない。こんな前提条件で科学的・客観的な環境影響評価ができるはずがないのだ。この「国際基準」そのものに相当の欠陥があると言わざるを得ない。 ④「正当化」基準への適合は認められていない  重要な国際基準の一つについてはチェックすらされていない。この「包括報告書」のなかでIAEA自身が、安全基準の一つである「正当化(Justification)」について評価を放棄したことを認めている。「今回のIAEAの安全レビューの範囲には、海洋放出策について日本政府が行った正当化策の詳細に関する評価は含まれない」(同19頁)という。(詳しくは本誌8月号)  「正当化」とは「実施される行為によりもたらされる個人や社会の便益が、その行為による被害(社会的、経済的、環境的被害を含む)を上回ることを確認する」ことを求める基準(GSG―8)である。今回の場合で言えば「海洋放出により個人や社会が受ける便益は何か」「その便益は海洋放出によってもたらされる社会的、経済的被害を上回るものであるか」の確認と立証が求められる。この「正当化」基準に沿った評価が行われていないことについては内外の専門家から指摘がある。  これについて日本政府は「正当化」基準を考慮したと主張する。外務省の英文報告書(2023年7月31日)では「便益について、日本政府はALPS処理水の放出は2011年東日本大震災被災地の復興のために欠かせないものであると結論づけた。被害に関しては(中略)日本政府の考えでは海洋放出が環境や人々に否定的な影響を与える可能性は極めて低い」と述べる。  海洋放出が復興にどのように寄与して定量的にどんな便益をもたらすのか。風評被害や社会的影響も含めた害はどの程度になり、それを便益が上回るものなのか。IAEAの基準に沿った「正当化」が行われた形跡は全く見えない。  金科玉条のように振りかざされる「国際基準に合致」とは、こんな程度のことなのだ。  全文和訳を作らない政府とIAEA、内容を検証せず結論部だけ繰り返す報道機関ともに、このずさんな報告書の内容を国民から隠そうとしているようにしか見えない。 おまつ・りょう 1978年生まれ。 東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学後、通信社やシンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。「廃炉制度研究会」主宰。

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】福島第一原発のタンク群(今年1月、代表撮影)

    大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 課題が多い帰還困難「復興拠点外」政策

    課題が多い帰還困難「復興拠点外」政策

     原発事故に伴い設定された帰還困難区域のうち、「特定復興再生拠点区域」から外れたエリアを、新たに「特定帰還居住区域」として設定し、住民が戻って生活できるように環境整備をする方針を盛り込んだ「改正・福島復興再生特別措置法」が成立した。その概要と課題について考えていきたい。 帰還希望者少数に多額の財政投資は妥当か 大熊町役場  原発事故に伴う避難指示区域は、当初は警戒区域・計画的避難区域として設定され、後に避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに再編された。現在、避難指示解除準備区域と居住制限区域は、すべて解除されている。 一方、帰還困難区域は、文字通り住民が戻って生活することが難しい地域とされてきた。ただその後、帰還困難区域のうち、比較的放射線量が低いところを「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)として定め、除染や各種インフラ整備などを実施した後、5年をメドに避難指示を解除し帰還を目指す、との基本方針が示された。 これに従い、帰還困難区域を抱える町村は、復興拠点を設定し「特定復興再生拠点区域復興再生計画」を策定した。帰還困難区域は7市町村にまたがり、総面積は約337平方㌔。このうち復興拠点に指定されたのは約27・47平方㌔で、帰還困難区域全体の約8%にとどまる。南相馬市は対象人口が少ないことから、復興拠点を定めていない。 復興拠点のうち、JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線再開通に合わせて2020年3月末までに解除された。そのほかは、葛尾村が昨年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が今年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除され、すべての復興拠点で解除が完了した。以降は、住民が戻って生活できるようになった。 一方、復興拠点から外れたところは、2021年7月に「2020年代の避難指示解除を目指す」といった大まかな方針は示されていたが、具体的なことは決まっていなかった。ただ、今年に入り、国は復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定めることを盛り込んだ「改正・福島復興再生特別措置法」の素案をまとめ、6月2日に同法が成立した。 その概要はこうだ。 ○対象の市町村長は、知事と協議のうえ、復興拠点外に「特定帰還居住区域」を設定する。「特定帰還居住区域」は帰還住民の日常生活に必要な宅地、道路、集会所、墓地等を含む範囲で、①放射線量を一定基準以下に低減できること、②一体的な日常生活圏を構成しており、事故前の住居で生活再建を図ることができること、③計画的、効率的な公共施設等の整備ができること、④拠点区域と一体的に復興再生できることなどが要件。 ○市町村は、それらの事項を含む「特定帰還居住区域復興再生計画」を策定して、国(内閣総理大臣)に認定申請する。 ○国(内閣総理大臣)は、特定帰還居住区域復興再生計画の申請があったら、その内容を精査して認定の可否を決める。 ○認定を受けた計画に基づき、国(環境省)が国費で除染を実施するほか、道路などのインフラ整備についても国による代行が可能。 復興拠点は、対象町村がエリア設定と同区域内の除染・インフラ整備などの計画を立て、それを国に提出し、国から認定されれば、国費で環境整備が行われる、というものだった。「特定帰還居住区域」についても、それに準じた内容と言える。避難解除は「2020年代」、すなわち2029年までに住民が戻って生活できることを目指すということだ。 こうした方針が本決まりになったことに対して、大熊町の対象者(自宅が復興拠点外にある町民)はこう話す。 「復興拠点外の扱いについては、この間、各行政区などで町や国に対して要望してきました。そうした中、今回、方向性が示され、関連の法律が成立したことは前進と言えますが、まだまだ不透明な部分も多い」 「特定帰還居住区域」に関する意向調査 復興拠点と復興拠点外の境界(双葉町)  この大熊町民によると、昨年8月から9月にかけて、「特定帰還居住区域」に関する意向調査が行われたという(※意向調査実施時は「改正・福島復興再生特別措置法」の成立前で、「特定帰還居住区域」は仮の名称・制度だった)。詳細を確認したところ、国と当該自治体が共同で、大熊・双葉・富岡・浪江の4町民を対象に、「第1期帰還意向確認」の名目で意向調査が実施された。 大熊町では、対象597世帯のうち340世帯が回答した。結果は「帰還希望あり」が143(世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされる)で、このうち「営農意向あり」が81、「営農意向なし」が24、「その他」が38。「帰還希望なし」(世帯全員が帰還希望なし)が120、「保留」が77だった。 回答があった世帯の約42%が「帰還希望あり」だった。ただ、今回に限らず、原発事故の避難指示区域(解除済みを含む)では、この間幾度となく住民意向調査が実施されてきたが、回答しなかった人(世帯)は、「もう戻らないと決めたから、自分には関係ないと思って回答しなかった」という人が多い。つまり、未回答の大部分は「帰還希望なし」と捉えることができる。そう考えると、「帰還意向あり」は25%前後になる。ほかの3町村も同様の結果だったようだ。今回の調査では、世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされるため、実際の帰還希望者(人数)の割合は、もっと低いと思われる。 前出の大熊町民も「アンケート結果を見ると、回答があった340世帯のうち、143世帯が『帰還希望あり』との回答だったが、仲間内での話や実際の肌感覚では、そんなにいるとは思えない」という。 今後、対象自治体では、「特定帰還居住区域」の設定、同復興再生計画の策定に入る。それに先立ち、住民懇談会なども開かれると思うが、そこでどんな意見・要望が出るのか。ひとまずはそこに注目したいが、本誌が以前から指摘しているのは、原因者である東電の責任(負担)で環境回復させるのではなく、国費(税金)でそれを行うのは妥当か、ということ。 対象住民(特に年配の人)の中には、「どんな状況であれ戻りたい」という人も一定数おり、それは当然尊重されるべきだ。ただ、国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。詰まるところは、帰還困難区域は、基本的には立ち入り禁止にし、どうしても戻りたい人、あるいはそこで生活しないとしても「たまには生まれ育ったところに立ち寄りたい」といった人たちのための必要最低限の環境整備にとどめるか、帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるかのどちらかしかあり得ない。

  • 【本誌記者が検証】二本松市の「ガッカリ」電動キックボード貸出事業

    【本誌記者が検証】二本松市の「ガッカリ」電動キックボード貸出事業

     二本松市観光連盟は3月31日から、観光客向けに市の歴史観光施設「にほんまつ城報館」で電動キックボード・電動バイクの貸し出しを行っている。 二本松市の地図データ(国土地理院、『政経東北』が作成)  ところが、7月上旬、その電動キックボードの馬力不足を指摘する体験リポート動画がツイッターで拡散。同施設でレンタルされている車両が、坂道をまともにのぼれない実態が広く知られることとなった。 https://twitter.com/mamoru800813/status/1675329278693752833  動画を見ているうちに、実際にどんな乗り心地なのか体感してみたくなり、投稿があった数日後、同施設を訪れて電動キックボードをレンタルしてみた(90分1000円)。 安全事項や機器の説明、基本的な操作に関する簡単なレクチャーを受けた後、練習に同施設の駐車場を2周して、いざ出発。 同施設から観光スポットに向かうという想定で、二本松城(霞ヶ城)天守台への坂道、竹根通り、竹田坂、亀谷坂などを走行した。だが、いずれのルートも坂道に入るとスピードが落ち始め、最終的に時速5㌔(早歩きぐらいのスピード)以下となってしまう。運転に慣れないうちはバランスが取りづらく、うまく地面を蹴り進めることもできないため、車道の端をひたすらゆっくりとのぼり続けた。追い越していく自動車のドライバーの視線が背中に突き刺さる。 竹根通りで最高速度を出して上機嫌だったが…… 竹田坂、亀谷坂をのぼっている途中で失速し、必死で地面を蹴り進める  レンタルの電動アシスト自転車(3時間300円)に乗りながら同行撮影していた後輩記者は、「じゃあ、僕、先に上に行っていますね」とあっという間に追い越していった。 運転に慣れてくると、立ち乗りで風を切って進んでいく感覚が楽しくなる。試しに竹根通りをアクセル全開で走行したところ、時速30㌔までスピードが出た(さすがに立ち乗りでは怖かったので座って運転)。軽装備ということもあり、転倒の恐怖は付きまとうが、爽快感を味わえた。 しかし、そう思えたのは下り坂と平地だけ。亀谷坂では、「露伴亭」の辺りで失速し、地面を蹴っても進まなくなり、炎天下で、20㌔超の車両を汗だくで押して歩いた。総じて快適さよりも、坂道で止まってしまう〝ガッカリ〟感の方が大きく、初めて訪れた観光客におすすめしたい気分にはなれなかった。 右ハンドル付け根にアクセル(レバー)と速度計が取り付けられている 二本松城天守台に到着する頃には疲労困憊  同連盟によると「(体重が軽い)女性は坂道もスイスイのぼれる」とのこと。体重75㌔の本誌記者では限界がある……ということなのだろうが、そもそも中心市街地に坂道が多い同市で、その程度の馬力の乗り物をなぜ導入しようと考えたのか。 54頁からの記事で導入の経緯や同連盟の主張を掲載しているので、併せて読んでいただきたい。(志賀) 「にほんまつ城報館」には甲冑着付け体験もあり(1回1000円) https://twitter.com/seikeitohoku/status/1677459284739899392

  • 強行された「汚染水」海洋放出

    強行された「汚染水」海洋放出

     8月24日、東京電力福島第一原発で発生した汚染水を浄化処理した後の水が、海洋放出された。  政府は海洋放出の時期を「夏ごろ」としてきた。岸田文雄首相が米国での日米韓首脳会談から帰国し、夏の終わりが近づくと、怒涛の勢いで準備が進められた。  8月20日には岸田首相が福島第一原発を視察。東京電力幹部と面会し、トンボ返りで帰京した。  同21日には岸田首相らが東京で全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長や福島県漁連役員と面会した。反対を表明しながらも政府対応に理解を示したのを受け、政府は「関係者から一定の理解を得た」と認識。同22日の関係閣僚等会議で同24日の放出を決定した。同日午後には西村康稔経済産業大臣が来福し、内堀雅雄知事や県漁連の野﨑哲会長らに説明した。  政府と東電は2015(平成27)年8月、地下水バイパスなどの水の海洋放出について県漁連と交渉した際、「ALPS処理水に関しては、関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束していたが、結局、反対意見を押し切る形で海洋放出が強行された。  こうした政府・東電の姿勢に憤りを覚える一方で、本誌も含めた反対意見はなぜ届かなかったのか、なぜ世の中を変えられなかったのか、顧みる必要があるだろう。  今後、国内でのいわゆる風評被害の発生、海外からの反発が必至だが、今回のような強行姿勢で乗り切れるとは思えない。原発敷地内では現在も汚染水が発生し続けており、港湾内の魚からは基準値を大きく超える放射性物質が検出されている。汚染水問題は新たなステージに差し掛かったと言える。 福島第一原発視察のため、SPに囲まれながらJR郡山駅前のエスカレーターを降りる岸田文雄首相(右列中央、8月20日、本誌編集部撮影) 県魚連の野﨑哲会長(写真左)に海洋放出決定を伝えに来た西村康稔経済産業大臣(8月22日、提供写真) 福島第一原発の海洋放出関連施設を視察し、東電幹部と面会する岸田首相(8月20日、首相官邸HPより) 岸田首相が訪れたJR郡山駅やいわき駅、福島第一原発周辺には多くのSPや警察官が配置された(8月20日、本誌編集部撮影) 海洋放出決定後、政府や東電から報告を受けた内堀雅雄知事(中央)と伊澤史朗双葉町長(左)、吉田淳大熊町長(8月22日、本誌編集部撮影) 県庁を訪れた東京電力ホールディングスの小早川智明社長(8月22日、本誌編集部撮影) 県庁前には海洋放出撤回を求める市民が集結し、シュプレヒコールを上げた(8月22日、本誌編集部撮影)

  • 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発の事故で発生している汚染水について、海洋放出したい政府・東電と反対する市民たちとの意見交換会が県内で開かれている。はっきり言って市民側の主張の方が、圧倒的に説得力がある。政府は至急、代替案の検討を始めるべきである。 議論は圧倒的に市民側が優勢 経済産業省資源エネルギー庁参事官の木野正登氏(左)と東電リスクコミュニケーターの木元崇宏氏  7月6日午後6時、会津若松市内の「會津稽古堂」多目的ホールには緊張感がみなぎっていた。集まった約120人の市民が真剣な表情でステージを見つめている。 壇上に掲示された集会のタイトルは「海洋放出に関する会津地方住民説明・意見交換会」。主催は市民たちで作る「実行委員会」だ。メンバーの一人、千葉親子氏がチクリと刺のある開会挨拶を行った。 「本来であれば、海洋放出の当事者である国・東電が説明会を企画して住民の疑問や不安に答えていただきたいところでしたが、このような形となりました。今日は限られた時間ではありますが、忌憚のない意見交換ができればと願っています」 謝らない政府 経産官僚 木野正登氏(環境省HPより)  前半は政府と東電からの説明だった。経済産業省資源エネルギー庁参事官の木野正登氏と東電リスクコミュニケーターの木元崇宏氏が隣り合って座り、マイクを握った。 東電の木元氏は冒頭で、「今なお多くの方々にご不便、ご心配をおかけしておりますこと、改めてお詫び申し上げます」と語り、頭を下げた。形式的ではあるが一応、「謝罪」だ。経産省からそういう謝罪はなかった。淡々と政府の見解を説明するのみ。参加者たちは黙って聞いているが、目が血走っている人もいる。一触即発の雰囲気が漂う。 「陸上保管は本当にできないのか?」 東京電力  午後6時半、いよいよ意見交換がはじまった。市民側を代表して実行委メンバーの5人がステージに上がり、順番に質問していく。 実行委「福島の復興を妨げないために、あるいは風評や実害を生まないためには、長期の陸上保管だという意見があります。場所さえ確保できれば東電も国も同じ思いであると思いますが、いかがでしょうか?」 経産省木野氏「場所ですけれども、いろいろと法律の制約があります。原子力施設から放射性廃棄物を運搬するとか保管するとかいったこともですね。手続きが必要になります」 この答えには会場が納得しなかった。「福島に押しつけるな!」という声が飛ぶ。経産省が続ける。 木野氏「なので、そういった制約が様々あるということですね。また、実際どこかの場所に置いたとしたら、そこにまたいわゆる風評が生まれてしまう懸念もあるのではないかと思っております」 今度は会場から失笑が漏れた。「福島だったらいいの?」との声が上がる。東電が説明する番になる。 東電木元氏「これ以上タンクに保管するということは廃炉作業を滞らせてしまうために難しいというところがありますけども、事故前の濃度や基準をしっかり守るのが大前提と考えてございます。ただ、事故を起こしてしまった東電への信用の問題もございます。当社以外の機関にも分析をお願いして透明性を確保いたします」 司会者(実行委の一人)「今は敷地の話をしております」 木元氏「廃炉をこれ以上滞らせないためにも、これ以上のタンクの設置は難しい。また、排出についてはしっかり基準を満足させるということが大前提と考えてございます」 実行委「敷地が確保できれば陸上保管がベストだという思いは同じですか、という質問でした」 木元氏「今お話しさせていただきました通り、事故前排水させていただいていた基準の水でございますので、それをしっかり守ることが大事だと考えています」 質問に正面から答えようとしない木元氏に対し、会場から「答えになってない!」と声が飛ぶ。実行委は矛先を経産省に戻した。 実行委「陸上保管こそが復興を妨げない、あるいは風評も実害も拡大させない、やり方なんじゃないですか? そこの考え方は同じではないのかと聞いているんです。そもそもの前提、意識は同じですか?」 経産省木野氏「はい。陸上保管ができればそれがいいですけれども、現実的ではないわけですよね」  実行委「現実的ではないというお答えがありましたけれども、廃炉の妨げになると言いますが、事故から10年たって廃炉は進んでますか? 燃料デブリの取り出しはできてますか? 取り出しがいつになるか分からない中では、目の前にある汚染水の被害を拡大させないために陸上保管しようという方向になぜできないのでしょうか? 当分廃炉の妨げなんかにはならないでしょ? 私はそう思いますが、いかがでしょうか?」 木野氏「廃炉が進んでいますかと聞かれれば、進んでおります。ただし燃料デブリ、これはご存じの通り、取り出せてませんね。2号機から取り出しを開始しますけれども、まだ数グラムしか取れてません。今後はしっかり拡大して、進めていかなければいけない訳です。それを保管するスペースも確保していかないといけない、ということなんです。なので、タンクで敷地を埋め尽くしてしまうと廃炉が進まなくなるということです。そこはご理解いただければと思います」 会場から「理解できない」との声。 「最大限努力をするのが東電や国の使命」  実行委「具体的には、環境省が取得した広大な土地が隣接してあるはずです。以前使われていたフランジタンクを取り壊した部分もあるはずです。やはり風評を広げない、実害を広げないために最大限の努力をするというのが東電や国の使命だと思いますが、いかがでしょうか? 」 福島第一原発の周辺には除染廃棄物を集めた中間貯蔵施設がある。このスペースを使えないのか。東電や国はタンクの敷地確保に向けて最大限努力すべきだという指摘に、会場から拍手が飛んだ。これに対する経産省・東電の回答はこうだ。 経産省木野氏「中間貯蔵施設はですね。あそこにだいたい1600人の地権者の方がいて、泣く泣く土地を手放していただいた方もいますし、または借地ということで30年間お貸しいただいた方もいらっしゃいます。やはり双葉・大熊の住民の方の心情を考えるとですね、そこにタンクを置かせてもらうというのは非常に難しいですし、やはり大熊・双葉の町の復興も考えなければいけないということでございます」 東電木元氏「フランジタンクを解体したところが今どうなっているかというと、新しいタンクに置き換わっているところもありますし、ガレキなど固体廃棄物の保管場所になっているところもあります。固体廃棄物はどうしても第一原発の敷地内で保管しなければいけない。そのための土地も確保しなければいけないということが現実問題としてあります。今後デブリが取り出せたときは非常に濃度が高い廃棄物が発生いたします。これをしっかり保管しなければいけないと考えております」 会場から「それはいつですか?」との声が飛ぶ。先ほど経産省木野氏が認めた通り、燃料デブリの取り出しはまだ進んでいない。実行委メンバーは冒頭に戻り、「法律の制約がある」という経産省の説明を批判した。 実行委「福島県内は事故後、非常事態の状況にあります。本当は年間1ミリシーベルトなんですけど、まだ20ミリシーベルトで我慢せいという状態なんです。そんな中で一般の法律を持ち出して、だからできないとか、そんなことを言っている場合じゃないということです」 会場から拍手が起こる。 実行委「ここは(長期保管を)やるということで、福島県の人たちのことを考えて、その身になって進めていただきたいと思いますよ」 会場からさらに拍手。だが、経産省は頑なだ。 木野氏「やはりあの、被災12市町村、避難させてしまった12市町村の復興も進めていかないといけない、ということもあります。なのでですね、我々も県民のためを思いながら廃炉と復興を進めていきたいと思っております」 「海に捨てる放射性物質の総量は?」 福島第一原発敷地内のタンク群  福島第一原発では毎日、地下水や雨水が壊れた原子炉建屋に流れこんでいる。その水は溶融した核燃料に直接触れたり、核燃料に触れていた水と混ざったりして「汚染水」になる。だから通常運転している原発からの排水と、メルトダウンを起こした原子炉で発生する「汚染水」とは意味合いが全く異なる。 仮に多核種除去設備(ALPS)が正常に稼働したとしても、すべての放射性核種が除去できるわけではない。トリチウムが大量に残るのはもちろんのこと、ほかの核種も残る(表)。どんな核種がどのくらい放出されるのか。市民側の1人はこの点を追及した。 ALPS処理後に残る核種の一部 核種の名前濃度(1㍑当たり)年間排水量年間放出量トリチウム19万㏃1億2000万㍑22兆㏃炭素1415㏃(同上)17億㏃マンガン540.0067㏃(同上)78万㏃コバルト600.44㏃(同上)5100万㏃ストロンチウム900.22㏃(同上)2500万㏃テクネチウム990.7㏃(同上)8100万㏃カドミウム113m0.018㏃(同上)210万㏃ヨウ素1292.1㏃(同上)2億4000万㏃セシウム1370.42㏃(同上)4900万㏃プルトニウム2390.00063㏃(同上)7.3万㏃※東電が「ALPSで処理済み」としているタンク群で実施された64核種の測定結果の一部。濃度に違いはあるが、様々な核種が残る。上記64核種の測定は、原発敷地内の大半のタンクでは未実施 ※東電資料:「多核種除去設備等処理水の海洋放出に係る放射線影響評価報告書(設計段階)」を基に筆者作成  実行委「ALPSでは除去できない放射性物質の生物影響をどのように認識されているのか。放出する処理水の総量と放射性物質の総量も明らかにしてほしいと思います」 経産省木野氏「さまざまな核種が入っているということでございますが、これがちゃんと規制基準以下に浄化されているということです。こうしたものが含まれているという前提で、自然界から受ける放射線の量よりも7万分の1~100万分の1の被ばく量ってことです。これはトリチウムだけではないです。ストロンチウム、ヨウ素、コバルトも含まれている前提での評価です」 東電木元氏「総量はこれからしっかり測定・評価。処理した後の水を分析させていただきます。これが積み上がることによって、最終的な総量が分かるわけですけども、今の段階では7割の水が2次処理、これからALPSで浄化する水が含まれておりますので、今の段階ではどのくらいとお示しすることが難しいです」 司会者(実行委の一人)「放射性物質の総量も分からないんですね? ひとつ確認させてください」 木元氏「総量はこれからしっかり分析を続けてまいります。そこでお示しができるものと考えております」 「お金よりも子どもたちの健康、安全」  実行委メンバーによる代表質問が終わった後、会場の参加者たちが1人数分ずつ意見を述べた。切実な思いが伝わってくる内容が多かった。そのうちのいくつかを紹介する。 「私は昭和17年生まれです。年も80を過ぎました。お金よりも子どもたちの健康、安全ですよね。金ではない。経済ではない。子どもたちが安心して生きられる環境をどう作るか。これが、あなたたちの一番の責任ではないのですか?」 「県民感情として、これ以上福島をいじめないでください。首都圏は受益者負担を全然してない。この中で東京電力のお世話になっている人は誰もいませんよ。ここは東北電力の管内ですから。どうしても捨てたいならば、東京湾に持って行ってどんどん流してくださいよ。安全、安全と言うんであれば、なにも問題はないはずです」 発言の機会を求めて挙手する人が後を絶たない中、約2時間半にわたる意見交換会は終了した。 「大熊町民を口実に使うのは許せません」 大熊町役場  筆者が見る限り、会津若松での意見交換会は圧倒的に、反対する市民側が優勢だった。 一番注目すべきは代替案をめぐる議論だと思う。市民たちは経産省から「場所さえ確保できれば陸上保管がベスト」という見解を引き出し、「ではなぜ真剣に検討しないのか」と迫った。これに対する経産省の回答は説得力があるとは思えなかった。「法律上の制約」を口にしたが、政府は自分たちの通したい法律は1年くらいで作ってしまう。そんなに時間はかからないはずだ。次に経産省は、福島第一原発が立地する大熊・双葉両町の住民の心情を持ち出した。「中間貯蔵施設の土地は地権者の方が泣く泣く手放したものだ」などとして、陸上保管の敷地確保が難しい理由として説明した。 しかし、この説明も納得できない。大熊・双葉両町に中間貯蔵施設を作る時、政府は住民たちと「30年以内の県外処分」を約束した。施設がスタートしてから約8年経つが、最終処分先はいまだに決まらず、約束が守られるメドは立っていない。 県外処分の約束を中ぶらりんにしておきながら、タンクの増設を求める声に対しては、「双葉・大熊両町民の心情が……」などと言う。こういう作法を「二枚舌」と呼ぶのではないか。 実際、大熊町民の中にも怒っている人はいる。原発事故で大熊から会津若松に避難した馬場由佳子さんは住民票を大熊に残している大熊町民だ。7月6日の意見交換会に参加した馬場さんは感想をこう語った。 「大熊の復興のために汚染水を流すって……。そういう時ばかり……。『ふざけんな!』なんです。ちゃんと放射線量を測ったり、除染したり、汚染水を流すのではなくて私たちの意見を聞いたり。そういうことが大熊の復興につながると思います。私も含めてほとんどの大熊町民は、国や東電が言うようにあと30年や40年で福島第一原発の廃炉が終わるとは信じていないと思います。中間貯蔵施設にある除染廃棄物を県外処分するという約束についても楽観していないでしょう。そんな中で、国は自分たちに都合がいい時だけ『大熊町民のために』と言います。私たちを口実に使うのは許せません」 もっと議論を 住民説明・意見交換会には約120人の市民が訪れた  先ほど紹介した通り、ALPSで除去できないのはトリチウムだけではない。30年、40年かけて海に流し終えた時に「影響は100%ない」と言い切るのは困難だ。国際原子力機関(IAEA)も、人間や環境への影響を「無視できる」という言い方はしているが、「リスクがゼロだ」とは言っていない。代替案があるなら真剣に検討するのが政府の務めだ。 そして実際に代替案は複数出ている。たとえば脱原発社会の構築をめざす市民グループや大学教授らがつくる原子力市民委員会は、「大型タンクによる長期保管」と「モルタル固化」の二つを提案している。大型タンクは石油備蓄のためにすでに使われているし、モルタル固化は米国の核施設で実績があるという。同委員会の座長を務める龍谷大学の大島堅一教授(環境経済学)はこう話す。 「これらの案はプラント技術者などさまざまな方に検討をしていただいたもので、我々としては自信を持っています。公開の場で討論することを望んでおり、機会があるごとに申し上げていますが、政府から正式な討論の対象として選んでいただいていないのが現状です」(7月18日付オンライン記者会見) 筆者としては、この原子力市民委員会と経産省との直接の議論を聞いてみたい。議論の中身を吟味することによって代替案の可能性の有無がクリアになるように思う。もちろん市民たちとの話し合いも不足している。 7月6日の会津若松に続いて、17日には郡山市内で市民と政府・東電との意見交換会が開かれた。多岐に渡るテーマの中で筆者が印象的だったのは「政府主催の公聴会を企画せよ」との指摘だった。 会津若松と郡山の意見交換会はいずれも市民側が政府・東電に要請して実現したものだ。政府主催による一般参加できる形式の公聴会は、2021年4月に海洋放出の方針が決定されて以来、一度も開催されていない(方針決定前には3回だけ実施)。市民側はこういった点を指摘し、政府側にうったえた。 「意見を聞いてから方針を決めるのが筋ではないでしょうか? 公聴会をやるべきですよ。福島県民はものすごく怒ってますよ」 政府側は「自治体や漁業関係者の方々に意見を聞いております」といった回答に終始した。 専門家も交えた代替案の検討を行うべきだし、住民たちとの意見交換も重要だ。それらをなるべく公開すれば国民が考える機会は増える。経産省は海洋放出について「みんなで知ろう。考えよう。」と打ち出している。今こそそれを実現する時だ。東電によると、原発敷地内のタンクが満杯になるのは「来年の2月から6月頃」とのことだ。まだ時間はある。もっと議論を。 あわせて読みたい 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 被災地で再び暗躍するゼネコン元所長

    被災地で再び暗躍するゼネコン元所長

     震災・原発事故の復興事業をめぐり、ゼネコン幹部が下請け業者から謝礼金をもらったり、過剰な接待を受けていたことが次々と判明し、マスコミで報じられたことを記憶している人は多いと思う。 その後、復興事業の減少により問題は沈静化していったが、今、浜通りでは「ある元幹部の存在」が再び注目を集めている。 元幹部を、ここでは「H氏」と紹介しよう。H氏は準大手ゼネコン・前田建設工業(東京都千代田区)に勤務し、震災・原発事故後は東北支店環境省関連工事統括所長として楢葉町と双葉町の除染や解体工事、中間貯蔵施設の本体工事などを取り仕切った。2015年12月には広野町のNPO法人が主催した復興関連イベントのパネルディスカッションにパネラーの一人として参加したこともある。 復興を後押しする一員という立ち位置でイベントに参加したH氏だったが、その裏では様々な問題を引き起こしていた。以下は朝日新聞2021年6月30日付社会面に掲載された記事である。 《(環境省が2012、13年に発注した楢葉町と双葉町の除染、解体工事などをめぐり)前田建設は17~18年に弁護士を入れた内部調査を実施。複数の業者や社員らを聴取した結果、同社関係者によると、当時の現場幹部らが業者から過剰な接待や現金提供を受けていたことが判明したという。 前田建設の協力会社の内部資料によると、協力会社の当時の幹部が13年から5年間、仙台市や東京・銀座の高級クラブなどで前田建設の現場幹部らへの接待を重ね、うち1人については計30回で約80万円の費用を負担していた。 さらに、複数の下請け業者の証言では、18年ごろまでにハワイ旅行や北海道・九州でのゴルフ旅行が企画され、複数の前田建設の現場幹部の旅費や滞在費を業者が負担していたという》 これら接待の中心にいたのがH氏で、ゴルフコンペは「双明会」と銘打ち定期的に行われていたという。このほか女性関係のトラブルも指摘されていたH氏は、2016年に統括所長を降格され、17年に前田建設を退職した。 しかし、その後もいわき市内のマンションを拠点に、統括所長時代に築いた人脈を駆使して不動産、人材派遣、土木、ロボット、旅館経営など複数の会社を設立。それらの事務所は現在も中心市街地の某ビル内にまとめて置かれている。法人登記簿を確認すると、H氏は1社を除いて全社で役員に名前を連ねていた。 ある業者によると、H氏は前田建設を退職後も下請け業者に接近し、復興事業に食い込んでいたという。浜通りの一部業者は、そんなH氏を何かと〝重宝〟し、関係の維持に努めていた。 ところが前記の新聞報道後、脱税などで警察の捜査が及ぶことを恐れたのか、H氏はいわき市内のマンションを離れ、都内に身を潜めた。それが、半年ほど前から再び市内で見かけるようになったとして、業者の間で話題になっているのだ。 某ビルの1、2、3、6、7階にH氏が関係する会社が事務所を構える  前田建設は今年度、大熊町の特定復興再生拠点区域の除染と解体工事を48億2400万円で受注したが、その下請けに、H氏は自身とつながりがある九州の業者を使うよう同社の現場責任者に働きかけているという。その情報をキャッチした同社が現場責任者に確認すると、H氏との直接的な関係は否定したが「大熊町の事業者と食事をしていたら、同じ店で偶然H氏と会った」などと説明したという。 前田建設がH氏の暗躍に強い警戒感を示していることが分かる。被災地を〝食い物〟にする輩を放置してはならない。関係各所はH氏の動向を厳しく監視すべきだ。

  • 【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 他人事ではない能登半島地震

    1月1日16時10分、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7・6、最大震度7の巨大地震が発生した。この間、東日本大震災をはじめ大地震に遭遇してきた本県だが、能登地方の被害の大きさに衝撃を受けた人も多いはずだ。地震被災地の現状と本県の大地震リスクを調べた。(志賀) 専門家に聞く〝福島県のリスク〟 倒壊した7階建てのビル(輪島市、藤室玲治さん撮影)  石川県によると、1月20日現在の能登半島地震による被害状況は死者232人(災害関連死14人含む)。重軽傷者1169人。住宅被害3万1670棟。  被害が大きかった珠洲市の住宅被害はまだ正確な数が把握されていないが、市内約6000戸のうち5割が全壊した見通し。  隣接する富山県の被災状況は重軽傷者47人、住宅被害4239棟(全壊23棟)。  地震発生直後に大津波警報が発令されたことから津波被害が懸念されたが、それ以上に目立ったのは、家屋倒壊により生き埋めとなって命を落としたケースだ。  氏名・年齢が公表された石川県の死者114人のうち87%(100人)は家屋倒壊によるもの。死因は窒息死・圧死と考えられ、土砂災害による死者も8人(7%)いた。  家屋倒壊が目立った要因の1つ目は、地震規模が圧倒的に巨大な地震だったことだ。家屋倒壊などで6434人が亡くなった阪神・淡路大震災はマグニチュード7・3。能登半島地震はそれを上回るマグニチュード7・6。数値としては0・3差だが、地震のエネルギーは実に3倍だ。  震度7の揺れを観測した石川県志賀町では、地震計から算出した「加速度」が2825・8ガルに達した。東日本大震災の2933・7ガル(宮城県栗原市)に匹敵する揺れが発生していたことになる。  地震波を分析すると、1回の揺れの周期が1~2秒で、木造家屋に大きな被害をもたらす地震波「キラーパルス」が観測された。  要因の2つ目は、耐震化率の低さ。石川県によると、2017年時点で県内の建物の約4割は建築基準法の旧耐震基準(1981年以前)だった。耐震化率(耐震補強により新耐震基準=1981年以降=を満たした割合)は76%に留まる。  高齢化率が高い能登半島の耐震化率はさらに低い。被害が大きかった珠洲市の耐震化率は、2018年度末時点で51%。輪島市は2019年末時点で45・2%。同時期の全国平均87%を大きく下回っている(福島民友1月5日付)。  耐震工学に詳しい東北大学災害科学国際研究所の五十子幸樹教授は次のように解説する。  「震度が大きい地域でも、耐震補強により新耐震基準を満たしている建物は無被害か小さい被害で済んだ。まずは耐震化が重要ということです。また、倒壊した建物の屋根は瓦を固定するため土葺きとなっていて重いことも被害率を高めている可能性がある。このほか、地盤の液状化現象により住宅が傾くなどの被害を受けることもあるので、危険性のある場所はあらかじめ地盤改良などの対策が必要です」  要因の3つ目は、2020年12月ごろから能登半島で群発地震が発生しており、そのダメージが家屋に蓄積していた可能性があること。  2022年6月、2023年5月には最大震度6強の地震が発生しており、今回の激震でとどめを刺された格好だ。 住宅に累積するダメージ 写真は倒壊した住宅(輪島市、藤室玲治さん撮影)  翻って本県では、地震で家屋倒壊が発生する心配はないのか。  県によると、2018年現在の耐震化率は87・1%で、全国平均並み(約87%)となっている。震災や2度の福島県沖地震により、旧耐震基準の住宅が建て替え・改修を迫られたため現在はさらに耐震化率が向上していそうだ。  ただ、何度も大地震を経験すれば当然ながらダメージは残っていく。2022年3月の福島県沖地震で震度6強の揺れに見舞われた国見町では「震災と2021年2月の地震には何とか耐えたが、今回の大地震で自宅の壁が崩落してしまった」と嘆いていた男性がいた。  今後も数年に一度の周期で大地震が発生すると考えるべきだろう。発生確率が高いとされているのは、宮城県沖の陸寄りで繰り返し発生する一回り小さいプレート間地震、いわゆる宮城県沖地震だ。30年以内に70~90%の確率で発生すると予想されている。過去の地震を踏まえると、本県でも震度5~6の揺れが観測されるが、そのときマイホームが無事に乗り切れるか否かは、実際に大地震が来ないと分からない。  前出・五十子教授は大地震によるダメージについてこのように話す。  「建築基準法は、大きな地震を複数回受けた場合の耐震性については何も規定していません。地震後の調査で残存耐震性能を評価する試みもあるが、あまり広がっていません。福島県では市町村の耐震診断、耐震改修補助制度を支援しており、住宅リフォームに合わせて耐震改修をする場合の助成金などもあるので、積極的に活用していくべきです」  住宅の耐震診断は10万~25万円程度とのことだが、旧耐震基準の住宅だと補助を活用して数千円程度で利用できるという。マイホームの倒壊リスクを減らすための投資と考え、まずは診断を受けておいた方が良さそう。特に築年数が20年以上で、震度4~5以上の地震を何度か経験した木造住宅はリスクが高いという専門家の指摘もあるので、自宅が該当する人は意識して対策を講じていく必要がある。 いわきでも「流体地震」 「流体」で起こる地震のイメージ  能登半島での群発地震の一因とされているのが、地下深くに存在する「流体」(マグマやガスを含む水)だ。約3000万立方㍍に及ぶ高熱・高圧の水が分離しながら地上に向かって上昇することで、周辺の岩盤が押されたり、断層の隙間に入り込んで滑りやすくなる。  その結果、半島周辺にある複数の海底活断層帯が刺激され連動して動いたため、広範囲での巨大な地震になったとみられている。  実は流体が一因となる地震は本県でも起きていた。  東日本大震災から1カ月後の2011年4月11日、いわき市付近を震源とするマグニチュード7・0、最大震度6強の直下型地震が発生した。土砂崩れが起きて4人が命を落としたが、この地震の一因となったのがいわき市と茨城県北茨城市の間の地下にある流体だったと言われる。  能登半島の群発地震と流体の関係を研究する京都大学防災研究所附属地震災害研究センターの西村卓也教授は次のように解説する。  「地下から湧き出る温泉が全国にあるように、流体は全国のさまざまな地域の地下にある。実際どれぐらいの量があるのか、全容は把握されていません。能登半島地震やいわき市の地震のように、流体が断層まで上がってきて影響を与えることが頻繁にあるわけではないが、福島県を含む全国で同じような地震が起こるリスクは把握しておくべきです」  本県内陸の主要な活断層としては双葉断層、福島盆地西縁断層帯、会津盆地西縁断層帯などがあり、30年以内に直下型の大地震が発生する確率は限りなく0に近いと予測されている。だが、地下の流体の影響で断層の滑りが良くなれば、突発的に大地震が発生する可能性もある。そういう意味では、本県も油断は禁物ということだ。 孤立集落化を防ぐ対策  能登半島地震では、道路インフラが寸断され、発災直後は孤立する人や集落が数多く発生した。車社会かつ人口密度が低い本県も他人事ではない。  避難計画を専門としている東北大学災害科学国際研究所の奥村誠教授は「福島県では相馬福島道路など復興道路の整備も進んでいる。西日本と比べ谷筋の奥で暮らしているような集落はそれほど多くない。能登半島の被災地のように孤立する可能性は少ないのではないか」と前置きしたうえで、次のように語る。  「東日本大震災では被災地の道路復旧を進める際に、2方向から沿岸部の道路に入って作業を進める『櫛の歯作戦』を採用しました。災害時のスムーズな避難や復旧においては、最低限2方向からアクセスできることを意識して道を作っておくことが重要です。山間部であれば、山道などを活用して尾根のところをつなげておくという方法もあります」  「一方で、孤立する可能性がある山間部の過疎地は平時から道路が寸断されたときのことを想定した整備が有効だと思います。例えば道路に面する耕作放棄地を道路の余裕幅として残しておく、状態のいい空き家はすぐ壊さず避難先候補として残しておけばいい。逆に状態の良くない空き家は壊して空き地にしておけば、ヘリポートの離着陸が可能な場所として活用できます」  その一方で、奥村教授は「石川県は早い段階で広域避難に切り替える必要があった」と指摘する。  「被災者には、電気・ガス・水道が止まり、携帯電話なども通じない被災地にとどまるより、金沢市もしくは隣県の福井県の宿泊施設に避難してもらう二次避難をもっと早くから積極的に進めた方がよかったと思います。長期間の避難となれば理解を得るのが難しいですが、状況が厳しい能登ではまだまだ有効な方法です。福島からの広域避難の経験や教訓が生かせるところだと思います」 それに対し、福島県の災害関連死を研究しているときわ会常磐病院の澤野豊明医師は「広域避難のリスクにも目を向けるべきだ」と指摘する。  「震災・原発事故のときは、広域避難させた高齢者の症状が悪化したというデータがあります。広域避難により避難生活が長期化すれば、災害関連死を増やす要因になることも忘れてはならないと思います」  いずれにしても、大きな地震災害が起こるたびに同様の問題は出てくるはず。救急医療におけるトリアージのように、どの人を地元に残し、どの人を広域避難させるか、より早く判断する仕組みが求められる。 加速する支援の動き 被災地でDMATとして活動した澤野医師(中央)ら常磐病院スタッフ  1月20日現在、自治体職員などをはじめ、福島県内から多くの人が被災地支援で現場に足を運んでいる。  前出・澤野医師は同病院の看護師ら4人とともに、1月6日から8日にかけてDMAT(ディーマット、災害派遣医療チーム)として珠洲市に入った。地元で一番大きい医療機関・珠洲市総合病院の担当部署に配属され、それぞれ診療、病棟支援、業務調整員として活動したという。  澤野医師によると、現地までの道のりは厳しいものだったようだ。  「車で向かいましたが、道路は亀裂や落石、段差だらけで、土砂崩れで片側交互通行になっているところも多かった。命の危険を感じるほどでした。珠洲市に入ると潰れた家屋が多く見られ、地震の影響を実感させられました」  能登半島では周辺が停電していることもあり、真っ暗な中を20~30㌔の速度で走行し、13時間かけて病院に到着した。病院ではリハビリ室などを使って雑魚寝で過ごした。  「担当したのが発災6日目だったこともあり、避難所生活でストレスを抱えていたり、持病が悪化して来院した方を診察しました。高齢者が多い地域だからか、わざわざ若い人に車を出してもらうのを遠慮した結果、病気が悪化したというケースもありました」(同)  こうした支援が行われる一方で、石川県のホームページには「能登方面への不要不急の移動は控えて!」と書かれ、1月4日には岸田文雄総理もSNSで「現在、限られた輸送ルートに一般の車両が殺到し深刻な渋滞が発生しています。被災地へ速やかに必要な物資が届けられるよう、できる限り利用を抑制していただくことについて、国民の皆様のご理解とご協力をお願いします」と呼びかけた。  そのため、ネットなどでは被災地支援に関する議論が展開され、個人で支援物資を持って被災地に向かうジャーナリストや政治家を批判する向きもあったほどだ。 いまこそ被災地へ  そうした中、福島大学地域未来デザインセンターの特任准教授を務め、浜通りの復興支援に取り組む藤室玲治さんは、この間すでに3回にわたって被災地に支援物資を届けに行っている。  「2007年にも能登半島で大きな地震が発生し、支援に足を運んだとき、輪島市の仮設住宅の区長・藤本幸雄さんにお世話になった。今年1月1日、藤本さんに安否確認したところ、『水もガスも電気もないから大変』と言われた。そこで翌2日に物資を持って現地に向かうことにしました。物資をいろいろ買い込んで、金沢市まで移動してホテルで一泊。そこから1日かけて輪島市に向かい、藤本さんに物資を渡しました。追加で欲しいものがあるということだったので、かほく市のイオンで物資を買い込んで再び届けに行きました」  ネットなどで被災地支援のあり方が議論になっていたころには、すでに行動を始めていた、と。  「地震直後は幹線道路にも倒木、落石、ひび割れなどがあり、行くまでにずいぶん時間がかかりました。穴水町では大きいひび割れの中に車がのみ込まれているのを見ました。これまでさまざまな被災地に行っていますが初めての体験でした」(同)  藤室さんは兵庫県神戸市出身で、神戸大学2年生のときに阪神・淡路大震災に遭う。同市長田区にあった兵庫高校の避難所で支援活動をしたのを機に、災害ボランティアに従事するようになった。それだけに、被災地支援のあり方については確固たる信念を持っている。  「自治体では『いまは受け入れらない』とボランティアの自粛を呼びかけていましたが、東日本大震災などで災害ボランティアの経験があるグループやNPO法人はいち早く現地避難所に入って炊き出しをしていました。そもそも行政職員が重要度の高い災害対応の仕事に追われている中で、ボランティアの仕切りもやるというのは無理がある。そういうとき、役場に代わって被災者を支援するのがボランティアの本来の役割だと思います」  藤室さんは毎週のように被災地に足を運んでボランティアをしているが、時間が経つごとに道路状況は着実に良くなっており、1月20日に車で輪島市まで行った際には渋滞と感じるエリアもなかった。ボランティアの内容も変わりつつあり、1月20日に学生とともに避難所に行った際は、被災者に足湯に入ってもらい話を傾聴する活動をした。  藤室さんによると、県内の宿泊施設や県外の公営住宅などで被災者を受け入れる広域避難も始まっているが、利用している人はあまりおらず、避難所に残るどころか生活インフラが完全に復旧していない自宅で過ごす人も少なくないようだ。  「自宅に残る理由は片付けを優先したり、車で自由に移動できたり、障害を持つ家族や高齢の家族がいて避難所での生活が難しいなど、さまざまです。災害関連死は在宅で最も多く発生すると言われているので心配です」(藤室さん)  今後、復旧・復興が進む中でボランティアのニーズはさらに高まるとみられる。2月以降、3連休などを利用して足を運ぶ人も増えそうだ。  藤室さんは「被災地で必要な物資は時期によって異なる。何か支援物資を持っていこうと考えるのであれば、現地で支援に入っているグループやNPO法人などに問い合わせるのが良いと思います」と語る。  能登半島地震は本県にとっても他人事ではない。その教訓をしっかり生かして防災対策を講じ、被災者支援に取り組んでいく必要がある。

  • 災害時にデマに振り回されないための教訓

     能登半島地震では、存在しない住所から救助を求めたり、架空の寄付を募ったり、不安を煽るような情報がSNS上に複数出回っている。東日本大震災の際も流布したデマ。当時、その渦中にいた元首長二人に、厳しい状況の時こそデマに振り回されず、正しい情報に触れる・発信する大切さを聞いた。 二人の元市長が明かす震災時の「負の連鎖」  当時福島市長の瀬戸孝則氏(76)は米沢、新潟、沖縄、果ては海外に逃げたという逃亡説が囁かれた。  震災発生から2カ月後の2011年5月、本誌が瀬戸氏に真偽を尋ねると、こんな答えが返ってきた。  「慰問に来た新潟の首長から『マスコミに露出してPRしないと大変だよ』とアドバイスされた。新潟でも中越地震の際、目立たない首長は逃げたとウワサされたそうです。ただ、当市は浜通りに比べて被害が小さく、マスコミが積極的に取り上げる事案もなかった。それなのに被害の大きい自治体を差し置いて、私がマスコミに出るわけにはいかない」  常識的には、あれほどの大災害が起きれば様々な情報が瞬時に首長に集まり、その場で必要な判断を迫られる。そうした状況で、もし首長が逃げたら大ニュースだ。福島市役所には市政記者室があり、番記者が瀬戸氏の動向を常に見ている。  だから自身に関するデマが出回っていると知っても深刻に受け止めなかったが、2012年2月に神戸大学大学院教授が講演で「福島市長は山形市に住んで、公用車で毎日市役所に通っている」と発言した時はさすがに強く抗議した。  同年4月、教授は市役所を訪れ直接謝罪したが、瀬戸氏は怒るでもなく淡々と謝罪を受け入れた。  あれから間もなく13年。本誌の取材に「あの場面で厳しく怒っていれば逃亡説は打ち消せたのかな」と振り返る瀬戸氏は、能登半島地震の被災地に思いを巡らせながら当時のことを静かに語ってくれた。  「あの時、逃げたと言われたのは私、原正夫郡山市長、渡辺敬夫いわき市長の3人。共通するのは人口30万人の中核市です。小さい市や町村では、首長が逃げたというウワサはほとんど聞かなかったと思います」  30万人の市になると、市長が市内を隅々まで回るのは難しい。そうした中、東日本大震災が自然災害だけだったら直接の被害者は限定されていただろう。分かり易く言うと、台風で収穫前のリンゴが落下すれば被害者はリンゴ農家、河川が越水すれば被害者は浸水家屋の持ち主、という具合。同じ地域に住んでいても、直接被害を受けていない人は「大変だな」くらいにしか思わない。  しかし、東日本大震災は自然災害に加えて放射能災害が襲った。目に見えない放射能は、原発周辺の人たちだけでなく、遠く離れた全員を被害者にした。放射線量がほとんど上がらなかった地域でも、被曝を心配する人が続出した。  「全員が被害者なので、全員が一斉に不安になる。そこで出てくる不満や怒りをどこかにぶつけたくてもぶつける場所がないので、市長が標的になる。平時は市長が何をしているかなんて気に掛けないのに、ああいう時は『何をやってるんだ』となり、姿が見えないと『逃げたんじゃないか』となってしまう。こうした負の連鎖は、放射能災害特有の現象だと思います」(同)  冷静に考えれば原発事故の加害者は東電・国なのに、両者に言っても反応がないので余計に不満・怒りが募る。その矛先が市民にとって最も身近な政治家である市長に向いた、というのが瀬戸氏の見立てだ。  「幸い志賀原発は大丈夫だったので、逃げたと言われる首長さんはいないのではないか。首長さんが避難所を回り、被災者に声をかける姿をテレビで見たが、苦労は絶えないと思う。政治家はやって当たり前、やらないと厳しく批判されるのが性だが、デマに基づいて非難するのは違う。今回の地震では、デマに振り回される人が一人でも少なくなることを願います」(同) 流言は智者に止まる  当時郡山市長の原正夫氏(80)もデマに翻弄され、それを乗り越えようとした首長の一人だ。  「デマとそれに基づく中傷は時代が変わってもなくならないと思う。これだけITが発達すればフェイクニュースも増え、それを悪用する輩も次々と出てきますからね」  原氏によると、日本人は性善説に立った思考付けがなされている。法律や条例が「悪いことをするはずがない」という建て付けでつくられていることが、それを物語る。だから罰則も諸外国に比べて甘い、と。  「被災地で流布するデマに接すると、多くの人は『そんなデマを平気で流すなんて信じられない』という気持ちになる。普通の感覚の持ち主は、あんな状況でデマなんて流さない。しかし現実には悪質なデマを流す人がいる。かつての性善説が通用しない今、罰則を厳しくさえすればデマを防げるわけではないが、それと同時に私は教育の大切さを強く感じます。判断する基準、物事を見極める力を幼少期から養うべきです」  原氏が原発事故直後のこんな体験を明かしてくれた。  「市の災害対策本部近くに岐阜から応援に来た陸上自衛隊がテントを張って駐留したが、会議に出席してほしいと要請しても誰もテントから出てこない。何度も要請してようやく責任者が出てきたと思ったら、全身を完全防備していた。岐阜の上官から『全員、完全防備で屋内退避』の指令が出ていたというのです」  しかし、自衛隊員は全員、線量計を所持しており、一帯の放射線量が低いことを認識していた。対する郡山市は、市全体でガイガーカウンターを3台しか所有していなかった。  「上官の指令に従わなければならないことは理解できる。その指令が経産省からの線量の情報によるものだったこともあとから分かった。しかし、現場にいない経産省に市の線量なんて分かるはずがない。ましてや隊員は、所持している線量計で現場の線量を把握していた。私は責任者に『上官に正しい情報をきちんと伝えなさい』と強く求めました」  それから1時間後、責任者は完全防備をやめ、制服姿で会議に出席したという。  「もしあんな姿を市民に目撃されたら『郡山は危ない』と誤解され、一気にパニックになっていたと思います。デマではないが、正しくない情報に基づいて行動するリスクを強く感じた場面でしたね」  こうした状況が日々連続する中、原氏が意識したのは錯綜する情報に惑わされず、最悪の事態を想定した対策を講じることだったという。  デマとの接触は完全には避けられない。性善説が崩れていると嘆いても仕方がない。ならば情報リテラシー(世の中に溢れる情報を適切に活用できる基礎能力)を磨くことが自分を守り、他人を傷付けない第一歩になるのだろう。また、東日本大震災時よりSNSが普及している現在は、良かれと思って拡散した情報がデマの場合、かえって世の中を混乱させる恐れもある。「流言は智者に止まる」を意識することも大切だ。  そんな原氏も瀬戸氏と同様、逃亡説に翻弄された。地震で自宅が損壊し、市内の長女宅に3カ月避難したところ「逃げた」というデマが流れた。3選を目指した2013年4月の市長選は、デマがマイナスに作用し落選の憂き目に遭った。 「自分はともかく、家族に悲しい思いをさせたのは申し訳なかった」  そう話す原氏は、マスコミへの牽制も忘れなかった。  「とにかく正確な情報を発信してほしいし、切り取った発信の仕方もできれば避けてほしい」  原氏の言葉から、マスコミがデマを広めてしまう可能性があることも肝に銘じたい。

  • 津波被災地のいまを描いた映画『水平線』

     福島県でロケが行われたピエール瀧さん主演の映画『水平線』が、全国に先駆けて昨年12月8日から同14日の期間、福島市のフォーラム福島で公開された。舞台挨拶で同館を訪れた瀧さんと小林且弥監督に、制作に至った経緯や福島県の印象を聞いた。 ピエール瀧さん&小林且弥監督にインタビュー 舞台挨拶でフォーラム福島を訪れたピエール瀧さん(左)と小林且弥監督 https://www.youtube.com/watch?v=2dvPjbKfmp0 主演・ピエール瀧 × 監督・小林且弥、映画『水平線』本予告【2024年3月1日より全国順次公開】  『水平線』の舞台は福島県のとある港町。津波で妻をなくした井口真吾(ピエール瀧さん)は、個人で海洋散骨を行う会社を営みながら、水産加工場で働く一人娘と暮らしている。ある日、井口のもとに持ち込まれた遺骨は、かつて世間を騒がせた通り魔殺人事件の犯人のものだった。  福島県沖への散骨に対し異議を唱える通り魔事件被害者の遺族、〝正義〟を振りかざして井口を執拗に追い回す中央のジャーナリスト、散骨による風評被害を恐れる漁業関係者。苦しい選択を迫られ、井口は決断を下す。それらの〝騒動〟を通して、震災以来、どこか距離感があった井口と娘が、家族の〝不在〟と向き合うようになる。  津波被災者の喪失と再生がテーマだが、井口が陽気に飲み歩くシーンや娘に変な絡み方をして嫌がられる様子もユーモアたっぷりに描かれており、一面的ではない津波被災地のいまを映し出している。  撮影は2022年10月、相馬市、南相馬市でのオール現地ロケで行われ、自宅や水産加工場などは実際に使われている建物を使用している。松川浦や南相馬市沿岸部の風力発電などの風景が象徴的に組み込まれ、相馬市役所のシーンでは市職員もエキストラとして登場している。  監督は、俳優として活躍しながら、舞台の演出や映画の企画・プロデュースを手掛け、今作が長編映画デビューとなる小林且弥さん。主演の瀧さんとは、2013年に公開された映画『凶悪』(白石和彌監督)で暴力団の兄貴役(瀧さん)、舎弟役(小林監督)で共演した際に意気投合。自身初の監督作品への出演を熱望し、実現に至った。  こうした作品を撮影した理由を、小林監督はこのように語る。  「震災復興をテーマにしたドラマに役者として参加し、津波被災地の方と交流する機会があったのに加え、福島出身の友人が地元に戻ったのをきっかけに、頻繁に福島県を訪れて、地元の方を交えて飲むようになったんです。彼らと本音で話をするうちに、〝外の人間〟が『震災を風化させてはいけない』と一方的な正しさを振りかざしている状況と、SNSの普及などで『寛容さ』が急速に失われている社会がリンクして見えた。劇中に登場するジャーナリストは世間一般に蔓延する『懲罰感情』や『形なき声』を象徴する存在です」  ロケ期間はわずか12日間で、「親子の感情がぶつかり合うシーンや、海のシーンは撮り直しが難しいので緊張しました」(小林監督)。  映画のポイントを尋ねると、小林監督は次のように述べた。  「(主役の井口)真吾の〝決断〟は倫理的に問われる行為でもありますが、あれには私の思いが込められています。東京から来た僕を福島県の皆さんは温かく受け入れてくれた。東京より共感力が高く、人を排除することが少ないと感じます。それは震災を乗り越えてきた経験があるからかもしれません。舞台挨拶での観客の皆さんの表情を見る限り、私の思いは伝わった感じがしました」  フォーラム福島での先行上映は終了したが、3月1日からテアトル新宿を皮切りに全国で順次公開され、公開劇場は今後発表される予定。ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。 ピエール瀧さんに聞く福島の印象 ピエール瀧さん  ――これまでライブ活動などで福島県に来たことはありましたか。  「デビューしてちょっと経ったころ、福島ローカルの深夜の音楽番組に出演して、冗談で『二度と来るか!』と悪態をついたんです。それ以来、ツアー会場などの都合もあって本当に来る機会に恵まれず、昨年開催された音楽フェス『ライブアヅマ2023』でしばらくぶりにバンドとして足を運ぶことができました」  ――被災者を演じて感じたことは。  「お芝居はこれまでの社会経験や体験を基に紡ぎ出す作業だと考えていますが、震災当時東京にいた立場で、津波によって家族を亡くした役に寄り添うのは限界があるので、正直不安な部分はありました。ただ小林監督に『瀧さんはそのまま演じてもらえればいいです』と言ってもらって、重荷をだいぶ取り払ってもらいました。井口はさまざまなことを乗り越え、それでもスンと暮らしている市井の人。妙な責任感や償いのスタンスがにじみ出るのはよくない。そういう意味では、小林監督の一言で、井口を演じることについて〝消化〟することができました」  ――撮影を通して感じた福島県の印象について教えてください。  「相馬市や南相馬市の皆さんには、エキストラの方も含め積極的に協力していただいて、感謝の気持ちでいいっぱいです。相馬市役所の皆さんもエキストラとして参加することを楽しんでいただいて、僕みたいなものでも顔を合わせることができてよかったと思いました。市役所の方と話す中で、災害危険区域の活用法などについてざっくばらんな感じで意見を出したところ、『それいいアイデアですね!』と言ってもらったりして、震災時に東京にいた人間としてはうれしかったです。  ロケをする中で、震災から10年以上経っても、至るところにその爪痕が残っていることを知りました。もともとロケ先とかで、住宅の庭先とかを覗いたりしながら路地裏をうろうろ歩くのが好きなんです。撮影期間中も、松川浦のあたりをずいぶん歩きましたが、何でもない風景が何でもなく存在していることの尊さを感じて、心に染み入るものがありました。松川浦の静かな雰囲気もとても印象に残っています。  あと印象に残っていることと言えば、鳥久さん(鳥久精肉店、相馬市)のから揚げ弁当ですね。ロケ最終日に出た弁当を食べたら、『ご飯もから揚げもめっちゃうまいじゃん!』ってなった。店を調べて、翌日JR福島駅に向かう途中にも買って、移動中の車内ですぐ食べました。後日、福島テレビの番組企画で相馬市を案内してもらうことになった際も、こちらからオーダーを出して鳥久さんに寄ってもらったほど。またから揚げ弁当を食べて、『やっぱうめえ!』と感動しました」 Ⓒ2023 STUDIO NAYURA 監督小林且弥、脚本齋藤孝、出演ピエール瀧、栗林藍希、足立智充、内田慈。企画・制作STUDIO NAYURA、制作協力G-STAR.PRO SHAIKER、配給・宣伝マジックアワー。119分。3月1日テアトル新宿ほか全国順次公開。 https://studio-nayura.com/suiheisen/

  • 【東電福島第一原発ALPS作業員被曝】重大事案をスルーするな【牧内昇平】

     汚染水の海洋放出開始からわずか2カ月。多核種除去設備(ALPS)のメンテナンス中だった作業員が放射性物質を含む廃液を浴び、被ばくする事故が起きた。それでも世の中は大騒ぎせず、放出は粛々と進む。これでいいのだろうか? 事故の詳細を検討するところから始めたい。 重大事案をスルーするな 被ばく事故現場の写真。なお記事中の写真・図・表はすべて東電の発表資料から転載、または同資料に基づき筆者が作成した  東京電力福島第一原発にたまる汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出は昨年8月24日に始まった。それから約2カ月後の10月25日、東電は報道関係者に以下のメールを送った。  《福島第一原子力発電所 協力企業作業員における放射性物質の付着について   本日午前10時40分頃、増設ALPSのクロスフローフィルタ出口配管(吸着塔手前)の洗浄を行っていた協力企業作業員5名に、配管洗浄水またはミストが飛散しました。午前11時10分頃、このうち協力企業作業員1名の全面マスクに汚染が確認され、またAPD(β線)の鳴動を確認しました(以下略)》  作業員5人のうち2人は原発からの退域基準(1平方㌢当たり4ベクレル)まで除染することが難しいと判断され、県立医大病院まで搬送されたという。  幸いなことに搬送された2人は3日後に退院したそうだ。しかし、極めて深刻な事態が起きたことに変わりはない。東電によると、被ばくによる作業員の入院は2011年3月24日以来である。一体なぜこんな事故が起きたのか。東電が11月半ばに発表した報告を基に考えたい。 事故はなぜ起きた?  事故が起きたのは、昨年10月に行われた2回目の海洋放出が終わり、3回目に向けて準備中の時期だった。ALPSは止まり、設備のメンテナンスが行われていた。どこで事故が起きたのかを示したのが図1だ。  東電はタンクに入った汚染水に対して、まずは薬液でコバルトやマンガンなどを沈殿させる「前処理」を実施。その後、「吸着塔」というフィルター機能をもった装置を通過させる。これらの作業で放射性物質を一定量取り除き、海水で薄めて太平洋に捨てている(※ただし、すべての放射性物質が除去できるわけではない。このため筆者は海洋放出自体に反対である)。  汚染水のタンクや各設備は様々な配管でつながっている。事故が起きたのは吸着塔の手前の配管である。ブースターポンプという装置を経由して汚染水を吸着塔まで運ぶのだが、稼働していると配管の中に炭酸塩がたまる。これを除去するための洗浄作業が行われていた。  現場の見取り図と作業員の配置を示したのが図2だ。  薬注ポンプから配管内へ硝酸を流し込む。硝酸に反応して炭酸塩が溶け、炭酸ガスと洗浄廃液が配管を通っていく。ガスと廃液は吸着塔の手前に設置された弁を経由し、仮設ホースを通って廃液受け入れタンクに落ちる。こうした作業だった。直接手を動かす作業員は5人。全体のとりまとめ役である工事担当者や放射線管理員も現場に同席していた。  起きたことを時系列でまとめたのが表1である。 表1 事故前後の流れ(時系列) 10月25日 7:30頃現場作業開始10:00頃廃液タンクの監視をしていた作業員CがAと交代。別エリアへ設計担当が弁を少し閉じる10:25頃硝酸を押し込めなくなったため、作業員Dが薬注ポンプを停止10:30頃~仮設ホースが外れて廃液が飛散。作業員AとBに水がかかる作業員Aがホースをタンクに戻す。Aの線量計のアラームが鳴る作業員AとBがアノラック下を着用工事担当者からの連絡で作業員C、D、Eが現場へ移動10:45頃~飛散した廃液の拭き取りを実施(作業員B~E、工事担当者)ホースを押さえていた作業員Aの線量計が連続して鳴る放管1がAに退避を指示放管1が倉庫に戻って交換用の靴などを取ってくる工事担当者がロープなどで現場の立ち入り禁止措置を実施放管1は各自の線量計の数値上昇を確認し、全員に退避を指示10:50頃全員が休憩所へ退避を開始11:10頃東電に事故の連絡を入れる12:28作業員Aが敷地内の救急医療室(ER)に到着。まもなく除染開始12:42作業員(B~E)がERに到着。除染を開始13:08事故が起きた建屋への関係者以外の立ち入り制限を実施14:45作業員5名(A~E)の放射性物質の内部取り込みなしを確認19:23作業員AとBを管理区域退出レベルまで除染するのは困難と判断20:59作業員AとBが県立医大附属病院へ出発22:25県立医大附属病院に到着(その後入院)10月28日作業員AとBが退院  はじめは問題なかった。作業員Cが廃液受け入れタンクの様子を確認する役だった。AとBという別の作業員が後方からCの仕事を見守っていた。状況が変わったのは作業開始から約2時間半が経過した頃だ。CがAに仕事を引き継ぎ、別の作業に移った。【この時、AとBは放射性物質から身を守るためのアノラック(カッパのようなもの)を着ていなかった】  それと同じ頃、設計担当は洗浄廃液の受け入れ量が増えすぎるのを心配していた。そこで配管と仮設ホースをつなぐ弁を操作し、少し閉じた。流路を狭めて仮設ホース側に流れる廃液の量を減らし、炭酸ガスのみを移動させようとしたのだ。【こうした弁の調整は当初の予定には入っていなかった】  弁の調整から約30分後、仮設ホースの先から廃液が勢いよく噴き出した。水の勢いによって、タンク上部に差し込まれていたホース先端部がはずれて暴れ出し、近くにいたAとBに放射性物質を含む廃液がかかった。Aがはずれたホースをつかんでタンクに戻した。  東電が事故の原因として発表したのは以下の3点だ。  ①弁操作による配管の閉塞  設計担当が弁を少し閉じたため、洗浄作業ではがれ落ちた炭酸塩が弁の配管側にたまり、一時的に詰まった(配管側の圧力が上昇)。その後、弁付近の炭酸塩が溶け、「詰まり」が解消された。このため、配管側にたまっていた洗浄廃液が弁の下流側(仮設ホース側)に勢いよく流れ出した。  ②ホースの固縛位置が不十分  仮に廃液が勢いよく流れ出したとしても、ホースがタンク入り口の真上で固定され、そこから先端部がまっすぐタンクに下りていれば、ホースが暴れてタンクから飛び出す恐れは少ない。だが、今回の作業ではタンクの斜め上の位置でホースが固定されていたため、勢いが強くなった時にホース先端部がタンクから飛び出してしまった。 ③不十分な現場管理体制(表2) 役割分担装  備工事担当者工事とりまとめカバーオール1重アノラック下設計担当仮設ホース内流動状態の監視カバーオール1重放管1放射線管理業務カバーオール2重放管2放射線管理業務※事故時は休憩のため不在カバーオール2重作業責任者3次請け1の作業班長(別現場)作業員A廃液タンクの監視(助勢)※Cが離れてからは主に担当カバーオール2重B作業班員への指揮廃液タンクの監視(助勢)カバーオール2重C廃液タンクの監視※主担当。途中から別作業へカバーオール1重アノラック上下D薬注ポンプの操作カバーオール1重アノラック上下E薬注ポンプの監視カバーオール1重アノラック上下  作業員AとBがアノラックを着ていれば被ばくは軽減できた。放射性液体を扱う作業ではアノラック着用のルールがあったのに、AとBは「液体が飛散する可能性はない」と考え、着用しなかった。工事担当者や放射線管理員もそれを指示しなかった。そもそも、作業員たちを指揮する立場の「作業班長」が別の現場に行っていて不在だった。  東電による事故原因3点の中で、最も深刻なのは③だろう。アノラック着用も作業班長の常駐も、安全に作業を行うために必ず守らなければならないルールだ。それが守られていなかった。現場管理体制はメチャクチャだったと言わざるを得ない。 危機感が薄い東電幹部  この事態を東電幹部はどう受け止めているのか。筆者は11月30日に開かれた福島第一廃炉推進カンパニー・小野明プレジデントの記者会見に出席し、この点を聞いた(左頁参照)。  小野氏の会見で感じたことがいくつかある。一つ目は、東電は「(元請け業者の)東芝のせいだ」と思わせたいのではないか、ということだ。  この作業は多重請負体制の下で行われていた(図3)。東電が東芝エネルギーシステムズ(以下、東芝)に発注し、東芝が3次請けまで使って現場作業を行っていた。小野氏は会見で今後の発注停止をちらつかせるなどし、原発メーカー東芝への不信感、「信頼してきたのに裏切られた」感を醸し出していた。  当り前のことだが、いくら東芝が悪くても、それによって東電が責任を免れることはあり得ない。東芝の現場管理体制を十分にチェックできていなかったのは東電だからだ。  記者会見でもう一つ感じたのは、東電幹部の危機感が薄すぎるのではないか、という点だ。  小野氏は「海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なる」とし、今後の放出スケジュールへの影響はないと言う。今回の事故は設備のメンテナンス中に起きた。実際の海洋放出作業は東電社員だけで行っている。「だから大丈夫だ」と小野氏は言いたげだが、「東芝より東電を信頼する」という人は果たしてどれくらいいるだろうか。  東電ホールディングスの小早川智明社長は、事故から1カ月たっても現場を視察していないという。思い出すのは、海洋放出が始まる2日前の昨年8月22日のことだ。小早川氏は内堀雅雄知事と会うために福島県庁を訪れ、その後報道対応を行った。筆者は「万が一基準を超えるような汚染水が放出された場合、誰の責任になるのか、小早川社長の責任問題に発展すると考えてよろしいか」と聞いた。小早川氏は「私の責任の下で、安全に作業を進めるように指示してまいります」と答えた。  「安全に」という言葉には当然、「作業員の安全」も含まれているはずだ。実際に被ばく・入院する事態が起きたが、小早川氏は「自らの責任の下で」十分に対処しているだろうか。はなはだ疑問である。 このままスルーしていいのか?  こんな事故が起きたにも関わらず、東電は23年に計画していた合計3回の海洋放出を予定通り実行した。下請け作業員の被ばく事故など、まるで「なかったこと」のような扱いである(先述した11月30日の記者会見で、小野氏ら東電幹部は海洋放出の進捗を説明したが、本件事故について自分たちから切り出すことはなかった。質疑応答の時間に筆者が質問して初めて口を開いた。記者側が聞かなければ「終わったこと」「なかったこと」になっていたのである)。  また、多くのマスメディアも東電と同じくらい危機感が薄いと感じるのは筆者だけだろうか。  たとえば地元主要紙の福島民報である。事故翌日(10月26日)付の朝刊に載った記事は、第1社会面(テレビ欄の裏)のマンガ下、2段見出しだった。原稿の締め切り時間などの関係があるのかもしれないが、1面に必要な記事ではないのか。  また、東電が事故原因を発表した次の日(11月17日)付の朝刊も、第2社会面に、やはり2段見出しの短い記事が載っただけである。どちらの記事も1面ではなく、その面のトップ記事でもなかった。  一方、事故前の10月22日付朝刊には「東電があす、2回目の海洋放出を完了する」という記事が1面にあった。放出スケジュールの報道に比べて、事故の報道が小さいように感じる。  数十年も海洋放出を続ける中で「ノーミス」などあり得ない。そう思っていたが、さすがにわずか2カ月で作業員が入院するとは思わなかった。これは東電(や元請け業者である東芝)の意識が低いからなのか。それとも元々、膨大な量の汚染水を処理して海に捨てるというプロジェクト自体が簡単ではないからなのか。恐らくはその両方ではないだろうか。  国際原子力機関(IAEA)は「海洋放出が人や環境に与える影響は無視できる程度だ」と言う。しかし、これは現場の放出作業が完璧に行われた場合の話、いわば理論上の話だろう。実際には配管の劣化とかホースの固縛位置とか、現場でなければ分からない問題がたくさんあると思う。10月の事故は設備のメンテナンス中に起きたが、なんらかの事故が稼働中に起きないと言い切れるのだろうか。それらを考慮した場合のリスクは本当に「無視できるほど小さい」のだろうか。  今回の事故を軽視すべきではない。同様(もしくは今回以上)の事故が今後も起きることを想定し、海洋放出を続けるのがいいのか、代替策はないのかを検討すべきだ。 東電記者会見でのやり取り  ――本日のお話に出てこなかったのですが、10月25日の作業員被ばくについて総括をうかがいます。  小野明氏 本件に関しては近隣の皆さま、社会の皆さまにご心配をおかけしていると思います。申し訳ございません。当社は福島第一の廃炉の実施主体として適切な作業環境、健康維持に関する責任が当然ございます。私としては今回の事態を非常に重く受け止めております。原因究明、再発防止に向けてヒアリングなどを実施し、元請けの東芝において我々の要求事項が一部順守されていないことが確認されています。我々は是正を求めていますが、併せてそこを確認できなかったことは我々の責任ですので非常に重く受け止めておりまして、確認を強化しています。  ――認識がかなり甘いんじゃないかというのが正直なところです。東芝に対して「是正を求める」という対処だけでいいのかどうか。  小野 東芝には我々の要求事項をしっかり守ってくれとお願いしてますが、本当にそれができているかは我々が確認しなければいけないと思っています。今回請負体制のところが3次までやっています。請負の体制も含めて実際のやり方がよかったかというところ、今後どうしていくべきかというところまで踏み込んで少し検討したいと考えています。  ――3次請けまでつながる多重請負構造も含めて見直しの余地が現実的にあるということでしょうか。  小野 東芝といろいろ話をしていく中で、彼らが元請けとして現場を管理してないなというのが私の印象でありました。そういう意味で、本当に今回東芝に出す(発注する)のがよかったかは少し検討する必要があるのではないかと思っています。もっとしっかりした管理ができるところもあるのではないかと思いますので、実際に東芝から変えるかどうかは別としても、元請けとしてのあり方、今の請負体制のあり方は検討してみたいと思います。  ――東電トップの小早川社長は事故の現場を視察したのでしょうか。  小野 小早川自体はまだ来ていませんが、このあと、彼はこちらの方に来て、実際に現場を確認したり、我々と議論をしたり、という予定は今あります。  ――今回の件で海洋放出のスケジュールに何らかの影響は。  小野 海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なっていますし、取り扱っている水の種類、それから装置関係も異なっています。そういう意味で本件と同様の身体汚染が起こるリスクは非常に低いと思っていますし、放出には影響ないと考えています。  ――今回の件は作業員が入院するという点ではかなり重大だったんじゃないかと考えています。頭の体操として、どういった場合に実際に海洋放出をいったん止めるのか。かなり深刻な事案だったけどスケジュールには全然影響ないとなると、何があってもこのまま海洋放出が続くんじゃないかと思わざるを得ないのですが。  小野 先ほども申した通り、まず、扱っている水の種類が全く違うということはご理解いただければと思います。我々としては今回の件をしっかりと踏まえ、体制とか手順、装備品等を確認して、海洋放出の作業に万全を期していきたいと考えております。 あわせて読みたい 【牧内昇平】福島民報社が手掛けた県事業11件 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 浪江町が特定帰還居住区域の復興再生計画を策定

     原発事故に伴う避難指示区域で、現在も残っているのは帰還困難区域のみ。同区域の一部は「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)に指定され各種環境整備が進められた。JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線開通に合わせて2020年3月末までに解除され、そのほかは葛尾村が2022年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が昨年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除された。  ただ、復興拠点は、帰還困難区域の約8%にとどまり、残りの大部分は手付かずだった。そんな中、国は昨年6月に「福島復興再生特別措置法」を改定し、復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定め、2020年代(2029年まで)に住民が戻って生活できることを目指す方針を示した。  復興拠点の延長のような形で、主にそこに隣接するエリアが指定され、居住区域を少しずつ拡大していくようなイメージである。  同制度ができ、早速、大熊町と双葉町で動きがあった。2022年に実施した帰還意向調査結果や復興拠点との位置関係、放射線量などを考慮し、大熊町の下野上1区、双葉町の下長塚行政区と三字行政区が昨年9月に先行して「特定帰還居住区域」に指定された。昨年12月20日からは先行除染がスタートしている。  両町の「特定帰還居住区域復興再生計画」によると、ともに計画期間は2023年9月から2029年12月まで。その間に、除染や家屋解体を進め、道路、電気・通信、上下水道などの生活インフラ整備を実施して帰還(避難指示解除)を目指す。  両町に続き、浪江町は昨年12月15日までに「浪江町特定帰還居住区域復興再生計画」をまとめた。帰還困難区域を抱えるのは7市町村あるが同計画策定は3例目。その後、県との協議を経て国に申請した。本誌は締め切りの関係上、同計画について国の認可が下りたかどうかは確認できていないが、過去の「特定復興再生拠点区域復興再生計画」などの事例からしても、すんなり認定されるものと思われる。  同町の計画では、帰還困難区域に指定されている全14行政区が対象に含まれている。計画期間は大熊・双葉両町と同じ2023年9月から2029年12月まで。  整備概要は以下の通り。  ○除染・家屋解体を進め、道路、河川、電気・通信、上下水道等の生活インフラの復旧・整備を実施する。  ○集会所等については、利用ニーズへの対応や効率的な運営を考慮し、住民のコミュニティー再生に寄与するものとなるよう再整備を進める。  ○農業水利施設の復旧・整備等については、各地域における営農再開に向けた検討状況等に留意しつつ、関係者と協議の上、営農に必要な範囲での実施に向けて調整を進める。  ○そのほか、生活関連サービスについては、避難指示解除時のサービス提供を目指し、関係者と調整を進める。  ○インフラ整備と除染等の措置などについては、特定復興再生拠点区域復興再生計画の際と同様に、一体的かつ効率的に実施する。  こうして、帰還困難区域全域解除に向けて、一歩前進したわけだが、違和感があるのは、帰還困難区域の除染が国費で行われること。原因者である東電に負担を求めないのだ。以前の本誌記事でも指摘したが、帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるのが筋で、そうではなく国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。

  • 元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    集会の様子  「ノーモア原発公害裁判の勝利を目指す宮城県民集会」が11月25日に仙台市で行われた。  「宮城県民集会」と謳っているが、いわき市民訴訟、浪江町津島訴訟、川俣町山木屋訴訟など、福島県内の原発賠償集団訴訟の原告メンバーなどが多数参加した。集会では、それら集団訴訟に加え、女川原発再稼働差し止め訴訟、子ども被ばく訴訟、みやぎ訴訟、山形訴訟などの現状報告や、意見・情報交換が行われた。  現在、それら訴訟の多くは仙台高裁での二審に移っており、仙台高裁からほど近い「仙台市戦災復興記念館」を会場に行われた同集会には、約100人が参加した。  同集会の目玉企画は、元裁判官の樋口英明氏の記念講演。樋口氏は1952年生まれ。三重県出身。大阪、名古屋などの地裁・家裁などの判事補・判事を経て、2012年から福井地裁判事部総括判事を務めた。同職時代の2014年5月、福井県大飯原発の周辺住民が申し立てた関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止め訴訟で、運転差し止めを命じる判決を下した。さらに2015年4月、関西電力高浜原発についても、周辺住民らの仮処分申し立てを認め、同原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出した。その後、名古屋家裁に異動となり、2017年に定年退官した。 『私が原発を止めた理由』(旬報社)などの著書でも知られる。  樋口氏は講演で「私自身、3・11までは原発に無関心だった。安全だと思い込んでいた」と語った。  加えて、樋口氏は「原発問題は先入観のかたまり」とも。国の監督官庁がしっかりやっているだろう、電力会社がきちんとしているだろう、と。そして何より、「われわれ素人に分かるはずがない難しいものだ」という先入観。  しかし、原発問題の本質は以下の2つしかないという。  ○人が管理し続けなければならない(止める、冷やす、閉じ込める)。  ○人が管理できなくなったときの事故、それに伴う被害は想像を絶するほど大きい。  「例えば、家電製品や自動車であれば、何かトラブルがあったら使用をやめればいい。その後、管理し続ける必要はない。自動車であれば、路肩に止めてJAFでも呼べばいい。原発はそうはいかない。止めた後も管理し続けなければならない。(前出の例と)似ているもので言うと飛行機。飛行中にトラブルがあり、ただ単にエンジンを止めただけでは大きな事故になる。その後の対応が必要になる。原発も同様」 樋口英明氏  原発を管理し続けるには、電気と水が必要になるが、大きな地震が発生した場合、停電や断水の恐れが生じる。そういった点から、「原発が大地震に耐えられるかどうか。その本質が分かったから、あの(原発運転差し止めを認める)判決を書いた」という。  樋口氏は、「原発は国家防衛上の弱点になる」、「自国に向けられた核兵器である」とも述べた。  このほか、生業訴訟など4件の集団訴訟に対する国の責任を認定しなかった最高裁判決(今年6月17日)についても解説した。  講演後は質疑応答の時間が設けられ、出席者らは樋口氏に聞きたいことを聞いて理解を深めた。

  • 【牧内昇平】福島民報社が手掛けた県事業11件

     地元マスメディアの福島民報社が県庁から金をもらって県産水産物のPR事業を行っていたことは本誌7月号に書いた。権力の監視役としてふさわしくない行為だと指摘したが、実はこんな事例が山ほどある。2021年度に福島民報社が請け負った他の県事業を紹介しよう。 社説・一般記事を使ってPR  2021年、県庁の農林水産部は「オールメディアによる漁業の魅力発信業務」という事業を福島民報社に委託した。予算は約1億2000万円。同社を含めた県内の新聞、テレビ、ラジオの合計8社で県産水産物の風評払拭プロパガンダを行うという事業だった。同社は一般の新聞記事やテレビのニュース報道(たとえば県が県産トラフグや伊勢エビのブランド化に乗り出した、といった内容)を「プロモーション実績」として県に報告していた。   この事業について、筆者は本誌7月号でこう指摘した。  《オールメディア風評払拭事業が「聖域」であるべき報道の分野まで入り込んでいる(中略)権力とは一線を画すのが、権力を監視するウォッチドッグ(番犬)たる報道機関としての信頼を保つためのルールである》  地元マスメディアが県の広報担当に成り下がっているのではないか、というのが筆者の問題意識だった。  これは一種の例外的事象だ、と思いたいところだが、実はこうした例が山ほどあるのだ。「オールメディア事業」の番頭役を務めた福島民報社について調べてみると、21年度だけで少なくとも11件の県事業を受託していることが確認された(別表)。1億円を超える予算がついた「オールメディア事業」を除いても、受託額の合計は6000万円にのぼる。(表に掲げたのは筆者の乏しい取材力で把握できたものだけだ。実際の受託事業数はもっと多い可能性もある) 2021年度に福島民報社が受託した県事業 事業名発注元金額事業目的・内容テレワークタウンしらかわ推進事業県南地方振興局968万円新白河駅を起点とした「テレワークタウン」構想を進め、首都圏からテレワーカーを呼び込むふくしまチャレンジライフ推進調査事業(県中地域)県中地方振興局547万円県中地域のふくしまチャレンジライフプログラム(短期滞在型仕事・生活体験)の企画・運営、広報ふくしまチャレンジライフ推進事業(県南地方)県南地方振興局492万円県南地方のふくしまチャレンジライフプログラム(短期滞在型仕事・生活体験)の企画・運営、広報魅力体感!そうそう体験型観光振興事業相双地方振興局499万円相双の地域資源を発掘する体験型観光バスツアーを実施ふくしまのプロスポーツ魅力向上事業企画調整部545万円県内プロスポーツチームの魅力を発信し、ファン拡大、試合観戦者増につなげる市町村と連携した移住促進交流イベント等実施事業企画調整部309万円「起業」「子育て」などをテーマに県内への移住に関する交流イベントを開催国際交流員による「ふくしまの今」発信事業生活環境部695万円県の国際交流員が県内の観光地などを取材し、SNSなどで国内外に向けて発信する東京2020ふくしまフード・クラフト発信事業観光交流局249万円東京オリンピック・パラリンピック関連イベントで日本酒をはじめとする県産品のPR・販売を行うアフターコロナを見据えた地域づくり推進事業いわき地方振興局977万円中山間地域にサイクリングモデルコースを造成。地域の魅力を発信する「アンバサダー」を育成するアフターコロナを見据えた食の担い手応援事業いわき地方振興局720万円いわき市の「食の魅力」を学び、伝える人材を育てる現地視察会やワークショップの開催ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業(オールメディアによる漁業の魅力発信業務)農林水産部1億1999万円福島民報など地元メディア8社が自社の媒体を通じて県産水産物のPRを行う※県への情報開示請求で入手した資料を基に筆者作成。金額は1万円未満を切り捨てた。 受託した県事業を新聞記事で周知  筆者は福島県に対して情報開示請求を行い、これらの事業について福島民報社が提出した実績報告書などを入手した。その結果言えるのは、同社が自らの新聞を利用して当該事業のPRを行っていたことだ。  たとえば県南地方振興局から約970万円で受注した「テレワークタウンしらかわ推進事業」については、21年10月7日付福島民報4面に以下の紹介記事が載っている。  《ゴルフ場でワーケーション 関係人口拡大 3カ所で専用プラン   県県南地方振興局は、ゴルフ場に宿泊してテレワークを行い、就業時間前後や休憩中にプレーを楽しむワーケーションを推進する取り組みを始めた。「ゴルファーケーション」と名付け…(以下略)》  この記事が載った4面はいわゆる「経済面」だ。ゴルファーケーションの記事の下には「イオンの売上高が過去最高」とか、「財務省が日本郵政株を追加売却」などといった経済ニュースが掲載されていた。読者は当然、ゴルファーケーションの記事も一般的な地域の経済ニュースとして受け取ったことだろう。  そして同年12月中旬には新聞中程の地域面に「テレワークタウンしらかわ」と題した5回シリーズの連載が組まれた。内容は、県南地方振興局長へのインタビューやテレワーク対応の仕事場の紹介などだ。ゴルファーケーションの課題や事業効果などを批判的に検証しているかと問われれば、疑問符がつく内容だろう。結局これらの記事は「報道」の体裁を取りつつ、県の事業をPRしているに過ぎないのではなかろうか。  自社の受託事業であることが紙面上で明らかになっていないのも問題だ。紹介した新聞記事は主語が「福島県」になっている。(「県南地方振興局はワーケーションを推進する取り組みを始めた」など)。福島民報社がこの事業を受託していること、1000万円近い予算がついていることなどは記事を読んだだけでは分からない。これは読者からしてみればアンフェアだろう。  新聞記事による事業PRは多くの案件で行われていた。  相双地域の観光バスツアーを実施する「魅力体感! そうそう体験型観光振興事業」の場合、同社は受注前の企画提案の段階で《新聞社機能を最大限に生かし、紙面はもちろん、様々なデジタルメディア、SNSを駆使し、相双地域の魅力を県内に広く発信します》とアピールしていた。  そして約束通り、ツアー開始前の同年7月6日付福島民報3面に「相双観光親子で楽しんで きょうから参加募る」というPR記事を掲載。数日後から「行こう! 相双の夏」というタイトルの特集記事を随時紙面化した。  11月20・21日に行われた女性向けツアーに関しては、同月3日に「女性限定相双楽しんで 参加者募集」という記事を出し、さらに開催後の22日にも「女子旅で相双満喫」という結果報告記事が出ている。自らが受託した県事業を手厚くPRしたのである。繰り返しになるが、紹介したのは広告ではなく、通常の記事だ。そして同社がこの事業を受託していることは記事に書かれていない。  福島ファイヤーボンズなど県内のプロチームをPRする「ふくしまのプロスポーツ魅力向上事業」も同様だ。同社は提案書で《これまで各球団の取材・報道をはじめ、イベント事業など積極的に連携・展開しております。その経験と知見を活かし、県内プロスポーツの魅力を発信できるのは弊社しかいないという強い思いで本事業に参加させていただくことにしました》と熱く(!)アピール。実績報告書の中では、ファン拡大のためのイベント実施などと共に、《スポーツ担当記者が取材し、福島民報朝刊で県内3プロスポーツの動向、試合結果等毎回記事掲載》と書いた。民報のスポーツ記事は県のPR事業の一環だったということになる。 社説まで利用していいのか? 福島民報社  驚いてしまったのは、いわき地方振興局が発注した「アフターコロナを見据えた地域づくり推進事業」である。市内の山間部にサイクリングのモデルコースを作ったり、地域の観光スポットを紹介するフォトコンテストを実施したりする事業だ。これを福島民報社が受託し、例によって事業のPRやコンテストの結果紹介記事を紙面に掲載したのだが、実は「新聞の顔」とも言うべき社説(福島民報の場合は「論説」)にも同種の記事が載っていた。  《阿武隈山地の観光振興を目指す取り組みが、いわき市で始まった。自然景観、歴史遺産、特色ある食文化を掘り起こし、サイクリングルートをつくる。海産物や沿岸部の観光施設などを主力としてきた市内の観光に新たな魅力を加え、疲弊する山間部の地域づくりにつなげる試みとして注目したい》(21年10月13日付福島民報「論説」)  新聞の社説は「世の中がどんな方向に進んでいくべきか」を書く欄だ。そこに単なる県事業のヨイショが載るのはお粗末だし、ましてやその事業を自社が受託しているというのでは論外だ。ちなみにこの社説(論説)の筆者は、当該の「アフターコロナ事業」の統括責任者(いわき支社長)として同社の企画提案書に名前が載っている人物と同姓同名だった。  前にも書いたが、権力と報道機関の間には一定の距離感が欠かせない。県の事業を受託してしまったら、少なくともその分野について批判的な検証を加えるのは困難だろう。世の中から期待されている「番犬」の役割を放棄していることにならないか。  福島民報社の担当者は筆者の取材に対して、「福島県の県紙として、福島復興の支援などに役割を果たしてまいります」としている。 あわせて読みたい 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

     東京電力福島第一原発にたまる「汚染水」の海洋放出が始まり、対抗措置として中国が日本産水産物の輸入を停止した。こうした状況で水産業の救済策として始まったのが「食べて応援」キャンペーンである。どこもかしこも「魚を食べよう」ばかり。挙句の果てには「魚を食べて中国に勝とう」という言説まで出てきた。「戦前回帰」したくないならば、問題の本質を冷静に見極めなければいけない。  「关于全面暂停进口日本水产品的公告(日本産水産物の輸入全面停止に関するお知らせ)」  汚染水(政府は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出が始まった8月24日、中国の税関当局がこう発表した。放射能汚染のリスクを防ぎ、消費者の健康と食品の安全を確保するためだという。同様に香港も、福島や東京をはじめとした10都県からの水産物輸入を禁止した。 国・地域別の水産物輸出額(2022年)を見ると、第1位が中国の871億円、2位が香港の755億円だ。両者が輸出額全体の約4割を占める。そんなお得意様との取引が、この日を境に露と消えてしまった。  大方の予想通り(「想定外」などと語った閣僚もいたが)、海洋放出は国内の水産業に大きな痛手となった。 どこもかしこも 「食べて応援」ばかり Xの首相官邸アカウントは、岸田首相らが常磐ものを食べる映像を配信した  この状況を打開するため、日本政府が力を入れているのが「食べて応援」キャンペーンである。先頭を走るのは海洋放出について「全責任を持つ」と豪語した岸田文雄首相だ。8月31日には東京・豊洲市場を視察。仲卸業者らと話してこの問題に関心を持っていることをアピールした。また前日の30日にはX(旧ツイッター)の首相官邸アカウントからこんな動画を発信した(写真参照)。  ――首相が西村康稔経産相や鈴木俊一財務相らと食卓を囲む。食膳に並ぶのは、ヒラメ、スズキ、タコなどの福島県産食材。刺身かなにかを口に入れた首相が、ややわざとらしく言う。「おいしいです!」  キャンペーンは全国的な広がりを見せている。野村哲郎農林水産相(当時)は各省庁の食堂に国産水産物のメニューを追加するよう要請。浜田靖一防衛相(同)は自衛隊の駐屯地や基地で国産の魚を使う方針を示した。東京の小池百合子氏、大阪の吉村洋文氏、愛知の大村秀章氏……。各地の知事たちも競って常磐ものを食べ、その姿をメディアに報じさせた。  経済界もこの流れに乗っている。「財界総理」とも言われる経団連会長の十倉雅和氏は、9月上旬の記者会見で「中国の対応は極めて遺憾だ」と発言。全会員企業に対して社員食堂や社内外での会合時に国産水産品を活用するよう呼びかけた(経団連ホームページから引用)。日本商工会議所も東京・帝国ホテルで開いた懇親会で福島の魚を使った料理を出し、消費拡大PRに一役買った。  官民合同の「食べて応援」キャンペーンは自然発生的なものではない。下地作りには国の予算が使われている。「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」という事業がある。産業界や全国の自治体に同ネットワークへの参加を募り、社員食堂や社屋に出入りするキッチンカーなどで三陸・常磐ものの食材を扱うように促すものだ。  この事業、経産省が海洋放出に伴う需要対策基金を使ってJR東日本企画に委託している。2023年度の委託額上限は1億7000万円である。同ネットワークのホームページによると、参加企業・団体数は10月16日現在で1090者(うち一部を表に掲載した)。「原子力ムラ」ならぬ「海洋放出ムラ」が形成されたと感じるのは筆者だけだろうか。 【「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」参加企業・団体の例】 ・自治体愛知県、青森県、茨城県、岩手県、大阪府、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、長野県、兵庫県、福島県、宮城県、石巻市、いわき市、大阪市、桐生市、さいたま市、塩竃市、南あわじ市、宮古市、矢板市、女川町・企業等IHI、旭化成、ENEOS、沖縄電力、鹿島建設、関西電力、九州電力、共同通信社(一般社団法人)、産経新聞社、JTB、四国電力、セブン&アイ・ホールディングス、中国電力、中部電力、電気事業連合会、東レ、東京電力ホールディングス、東邦銀行、東北電力、トヨタ自動車、日本経団連、日本原子力研究開発機構(JAEA)、日本原子力産業協会、日本原子力発電、日本原燃、東日本旅客鉄道、福島イノベーション・コースト構想推進機構、福島県漁連、福島民報社、福島民友新聞社、北陸電力、北海道電力・政府機関等外務省、カジノ管理委員会事務局、環境省、金融庁、宮内庁、経済産業省、警察庁、原子力規制庁、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)、公正取引委員会、厚生労働省、国土交通省、財務省、消費者庁、人事院、総務省、内閣官房、内閣府、農林水産省、復興庁、防衛省、法務省、文部科学省※同ネットワークのホームページを基に筆者作成  言論統制の流れもできつつあるようだ。「汚染」という言葉を使うと大バッシングを受ける事態になっている。象徴的だったのは、水産業支援の前面に立つべき野村農水相による「失言」問題である。野村氏は8月末、「ALPS処理水」ではなく「汚染水」という言葉を使ったことが報じられた。直後に岸田首相が発言の撤回と謝罪を指示。野村氏はこれに従い、しかも翌月の内閣改造で大臣職を退任させられた。  海洋放出に反対している共産党でも気になる動きがあった。同党の元地方議員(広島県内)がXへの投稿で「汚染魚」という表現を使った。党もこれを問題視。この元議員は党公認での次期衆院選への立候補を取りやめた。確かによくない表現だが、やや過剰な反応のようにも思える。右を向いても左を向いても「食べて応援」ばかりの異様なムードになっている。  政府は9月4日、「水産業を守る政策パッケージ」と題した、中国の輸入規制への対抗策をまとめた。この中にも「食べて応援」が入っている。  政策の柱は、①「国内消費拡大・生産持続」、②「風評影響への対応」、③「輸出先の転換」、④「国内加工体制の強化」、⑤「迅速かつ丁寧な賠償」の5つだ。数字の順番から言えば①の「国内消費拡大・生産持続」が特に期待されていると考えていいだろう。その①の内容として最初に挙げられているのが、「国内消費拡大に向けた国民運動の展開」である。  要するに「食べて応援」を国民運動のレベルに高めようというものだ。具体策として挙げられているのは、「ふるさと納税」を活用した取り組みである。ふるさと納税で寄付を受けた自治体は、返礼として地域の特産品を贈る。海洋放出後、県内漁業の拠点であるいわき市にふるさと納税し、海の幸を返礼品としてもらう人が増えた。水産業の衰退を心配した市民一人一人の自発的な行為だったと考えられる。  日本政府はこうした市民の心情に便乗し、これを「国民運動」として推し進めようとしているのだ。  経産省によると、他には学校給食で国産の魚介類を使うことなどが「国民運動」に該当するという。 「魚を食べて中国に勝とう」 国家基本問題研究所が9月上旬に複数の新聞に出した意見広告  政府が「食べて応援」を「国民運動」に祭り上げたタイミングで世に出たのが、こんな新聞広告である。  《日本の魚を食べて中国に勝とう》  この意見広告を出したのは「国家基本問題研究所」という団体である。保守派の論客として知られるジャーナリストの櫻井よしこ氏が理事長を務めている。櫻井氏は中国脅威論を根拠として日本の軍事力強化などを主張している人物。同氏の写真の横には、こんな主張が書いてあった。  《おいしい日本の水産物を食べて、中国の横暴に打ち勝ちましょう。(中略)中国と香港への日本の水産物輸出は年間約1600億円です。私たち一人ひとりがいつもより1000円ちょっと多く福島や日本各地の魚や貝を食べれば、日本の人口約1億2000万人で当面の損害1600億円がカバーできます。安全で美味。沢山食べて、栄養をつけて、明るい笑顔で中国に打ち勝つ。早速今日からでも始めましょう》  苦境に陥った水産業者を支えたいという気持ちは理解できる。また、海洋放出の直後、原発とは関係ない公共施設などに対して、中国の国番号(86)から抗議の電話が殺到したという出来事もあった。県内の飲食店なども迷惑を被ったという。これらの行為はよくない。だが、そうしたことを考慮しても、隣国を過度に敵視する言説には全く賛同できない。 「新しい戦前」は海洋放出から?  思い出すのは日本がアジア太平洋戦争を起こした頃のことだ。1937年の日中戦争をきっかけに、国民の戦意高揚をはかり、最大限の国力を戦争に注ぎ込むための「国民精神総動員運動」が始まった。  街中には「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません。勝つまでは」などの標語が掲げられた。食料不足を防ぐため、「何がなんでもカボチャを作れ」というポスターまで作られた。戦争に反対する人や協力的でない人は「非国民」と呼ばれた。  同じようなことが今起きていると筆者は感じる。マスメディアの報道やSNSは「食べて応援!」「STOP風評被害」というメッセージであふれかえっている。一方、政府の言う「ALPS処理水」を「汚染水」と呼んだだけで「非国民だ!」と非難されるような現状もある。  大物芸能人のタモリ氏は昨年末、「来年はどんな年になるでしょう?」と問われた時に「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えた。海洋放出をめぐる中国とのやりとりや日本国内のムードを眺めた時、タモリ氏の言葉が急速に現実味を帯びてくる。  ここは原点に戻って考えたい。自主的な「買って応援」を否定するつもりはないが、大々的にやればやるほど本質を覆い隠してしまう。今回の水産業者の苦悩を引き起こしたのは一体誰だろうか? 魚の輸入を停止した中国政府だろうか? いや、違う。そもそもの原因を作ったのは、日本政府と東京電力だ。原発事故を起こし、その後、時の首相が「アンダーコントロール(制御されている)」などと言っておきながら汚染水の発生を食い止めることができず、挙句の果てに海洋放出してしまった。しかも隣国の理解を十分に得ないまま強行したため、国内の水産業に深刻な事態を招いた。  本来批判されるべきは日本政府と東電だ。私たち市民は問題の本質を冷静に見極めなければいけない。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】

     何としても、一日でも早く、海に捨てるのをやめさせる――。東京電力福島第一原発で始まった原発事故汚染水の海洋放出を止めるため、市民たちが国と東電を相手取った裁判を始めた。9月8日、漁業者を含む市民151人が福島地裁に提訴。10月末には追加提訴も予定しているという。「放出反対」の気運をどこまで高められるかが注目だ。 「二重の加害」への憤り 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  9月8日の午後、福島市の官公庁街にブルーののぼり旗がはためいた。  《海を汚さないで! ALPS処理汚染水差止訴訟》  台風13号の接近情報が入る中、少なくとも数十人の原告や支援者たちが集まっていた。この日の約2週間前の8月24日、原発事故汚染水(政府・東電の言う「ALPS処理水」)の海洋放出が始まった。反対派や慎重派の声を十分に聞かない「強行」に、市民たちの怒りのボルテージは高まっていた。  のぼり旗を掲げながら福島地裁に向かってゆっくりと進む。シュプレヒコールが始まる。  「汚染水を海に捨てるな! 福島の海を汚すな!」  熱を帯びた声の重なりが雨のぱらつく福島市街に渦巻いた。  「我々のふるさとを汚すな! 国と東京電力は原発事故の責任をとれ!」  提訴後、市民たちは近くにある福島市の市民会館で集会を行った。弁護団の共同代表を務める広田次男弁護士が熱っぽく語る。 広田次男弁護士(8月23日、本誌編集部撮影)  「先月の23日に記者会見し、28日から委任状の発送作業などを行ってきました。今日まで10日弱で151名の方々が加わってくれたことは評価に値することだと思います」  広田氏の隣には同じく共同代表の河合弘之弁護士が座っていた。共同代表はこの日不参加の海渡雄一弁護士も含めた3人である。広田氏は長年浜通りの人権派弁護士として活動してきたベテラン。河合、海渡の両氏は全国を渡り歩いて脱原発訴訟を闘うコンビだ。  この日訴状に名を連ねたのは福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県に住む市民(避難者を含む)と漁業者たち。必要資料の提出が間に合わなかった人も多数いるため、早速10月末に追加提訴を行う予定だという。少なくとも数百人規模の原告たちの思いが、上記の3人をはじめとした弁護士たちに託されることになる。  報道陣に渡された訴状はA4版で40ページ。請求の理由が書かれた文章の冒頭には「福島県民の怒り」というタイトルがついていた。  《本件訴訟の当事者である原告らは、いずれも「3・11原発公害の被害者」であり、各自、「故郷はく奪・損傷による平穏生活権の侵害」を受けた者であるという特質を備えている。したがって、ALPS処理汚染水の放出による環境汚染は、その「重大な過失」によって放射能汚染公害をもたらした加害者が、被害者に対して「故意に」行う新たな加害行為である。原告と被告東電・被告国の間には、二重の加害と被害の関係があると言える。本件訴訟は、二重の加害による権利侵害は絶対に容認できないとの怒りをもって提訴するものである》(訴状より)  原発事故を起こした国と東電が今度は故意に海を汚す。これは福島の人びとへの「二重の加害」である――。河合弘之弁護士はこの理屈をたとえ話で説明した。  「危険運転で人をはねたとします。その人が倒れました。なんとか必死に立ち上がって、歩き始めました。そこのところを後ろから襲いかかって殴り倒すような2回目の加害行為。これが今度の放射性物質を含む汚染水の海洋投棄だと思います。1回目の危険運転は、ひどいけれども過失罪です。今度流すのは故意、悪意です。過失による加害行為をした後に、故意による加害行為を始めたというのが、この海洋放出の実態です」  「二重の加害」への憤り。この思いは原告たちの共通認識と言えるだろう。原告共同代表を務める鈴木茂男さん(いわき市在住)はこのように語っている。  「私たち福島県民は12年前の原発事故の被害者です。現在に至るまで避難を続けている人もたくさんいます。被害が継続している人たちがまだまだたくさんいるのです。その中で国と東電がALPS処理汚染水の海洋放出を強行するということは、私たち被害者たちに対して新たな被害を与えるということだと思います。それなのに国と東電は一切謝罪をしていません。漁業者との約束を破ったにも関わらず、『約束を破っていない』と強弁して、『すみません』の一言も発していません。こんなことがまかり通っていいのでしょうか? 社会の常識からいえば、やむを得ない事情で約束を守れない状況になったら、その理由を説明し、頭を下げて謝罪し、理解を求めるのが、人の道ではないでしょうか。謝罪もせず、『理解は進んでいる』と言う。これはどういうことなのでしょうか? 福島第一原発では毎日汚染水が増え続けています。この汚染水の発生をストップさせることがまず必要です。私は海洋放出を黙って見ているわけにはいきません。何としても、いったん止める。そして根本的な対策を考えさせる。止めるのは一日でも早いほうがいい。そのための本日の提訴だと思っています」  提訴後の集会でのほかの原告たちの声(別表)も読んでほしい。 海洋放出差し止め訴訟「原告の声」 佐藤和良さん(いわき市)「今、マスコミでは『小売りの魚屋さんが頑張っています』というのがよく取り上げられています。食べて応援。岸田首相や西村経済産業大臣をはじめとして、みんな急に刺身を食べたり、海鮮丼を食べたりして、『常磐ものはうまい』と言っています。でも、30年やってられるんですか? 急に魚食うなよと言いたいです。『汚染水』ではなくて『処理水』だという言論統制が幅を利かすようになっています。本当に戦争の足音が近づいてきたんじゃないかと思います。非常に厳しい日本社会になってきています。我々は引くことができません」 大賀あや子さん(大熊町から新潟県へ避難)「大熊町議会では2020年9月に処分方法の早期決定を求める意見書を国に提出しました。政府東電の説明を受け、住民の声を聞き取る機会を設けず、町議会での参考人聴取や熟議もないままに出されたものでした。交付金のため国に従うという原発事故前からの構図は変わっていないということでしょうか。海洋放出に賛成しない町民の声が埋もれてしまっています」 後藤江美子さん(伊達市)「私が原告になろうと思ったのは生活者として当たり前の常識が通用しないことに憤りを感じたからです。『関係者の理解なしには海洋放出しない』という約束がありました。この約束は反故にしないと言いながら、どうして海洋放出を開始するのか。子どもたちに正々堂々きちんと説明することができるのでしょうか。平気でうそをつく、ごまかす、後出しじゃんけんで事実を知らせる。国や東電がやっていることは人として恥ずかしくないのでしょうか。岸田さんはこれから30年すべて自分が責任をもつとおっしゃいましたが、次の世代を生きる孫や子のことを考えれば、本当はもっと慎重な行動が求められているのではないかと思います」 権利の侵害を主張 東京電力本店  訴えの中身に目を転じてみよう。裁判は国を相手取った行政訴訟と、東電を相手取った民事訴訟との二部構成になる。原告たちが求めているのはおおむね以下の2点だ。  ・国(原子力規制委員会)は、東電が出した海洋放出計画への認可を取り消せ。  ・東電はALPS処理汚染水の海洋への放出をしてはならない。  なぜ原告たちにこれらを求める根拠があるのか。海洋放出によって漁業者や市民たちの権利が侵害されるからだというのが原告たちの主張だ。  《ALPS処理汚染水が海洋放出されれば、原告らが漁獲し、生産している漁業生産物の販売が著しく困難となることは明らかである。政府は、これらの損害については補償するとしているが、まさに、補償しなければならない事態を招き寄せる「災害」であることを認めているといわなければならない。さらに、一般住民である原告との関係では、この海洋放出行為は、これらの漁業生産物を摂取することで、将来健康被害を受ける可能性があるという不安をもたらし、その平穏生活権を侵害する行為である》(訴状より)  漁師たちが漁をする権利(漁業行使権)が妨害されるだけでなく、生業を傷つけられること自体が漁師の人格権侵害に当たるという指摘もあった。この点について、訴状は週刊誌(『女性自身』8月22・29日合併号)の記事を引用している。  《新地町の漁師、小野春雄さんはこう憤る。「政府は、『水産物の価格が下落したら買い上げて冷凍保存する』と言って基金を作ったけど、俺ら漁師はそんなこと望んでない。消費者が〝おいしい〟と喜ぶ顔が見たいから魚を捕るんだ。税金をドブに捨てるような使い方はやめてもらいたい!」》  仮に金銭補償が受けられたとしても、漁師としての生きがいや誇りは戻ってこない。小野さんが言いたいのはそういうことだと思う。  訴状はさらに、さまざまな論点から海洋放出を批判している。要点のみ紹介する。  ・ALPS処理汚染水に含まれるトリチウムやその他の放射性物質の毒性、および食物連鎖による生体濃縮の毒性について、適切な調査・評価がなされていない。  ・放射性廃棄物の海洋投棄を禁じたロンドン条約などに違反する。  ・国と東電には環境への負荷が少ない代替策を採用すべき義務がある。  ・国際社会の強い反対を押し切って海洋放出を強行することは日本の国益を大きく損なう。  ・IAEA包括報告書によって海洋放出を正当化することはできない。 弁護団共同代表の海渡氏は裁判のポイントを以下のように解説する。  「分かりやすい例を一つだけ挙げます。今回の海洋放出は、ALPS処理された汚染水の中にどれだけの放射性物質が含まれているかが明らかになっていません。放出される中にはトリチウムだけでなくストロンチウム、セシウム、炭素14なども含まれています。それらが放出されることによって海洋環境や生物にどういう被害をもたらし得るか。環境アセスメントがきちんと行われていません。国連人権理事会の場でもそういう調査をしろと言われているのに、それが全く行われていない。決定的に重大な国の過誤、欠落と言えると思います」 原発事故汚染水の海洋放出と差し止め訴訟の経緯 2021年4月日本政府が海洋放出の方針を決定2022年7月原子力規制委員会が東電の海洋放出設備計画を認可8月福島県と大熊・双葉両町が東電の海洋放出設備工事を事前了解2023年7/4国際原子力機関(IAEA)が包括報告書を公表8/22日本政府が関係閣僚等会議を開き、8月24日の放出開始を決める23日海洋放出差し止め訴訟の弁護団と原告予定者が提訴方針を発表24日海洋放出開始。中国は日本からの水産物輸入を全面的に停止9/4日本政府が水産事業者への緊急支援策として新たに207億円を拠出すると発表8日海洋放出差し止め訴訟、第1次提訴11日東電が初回分の海洋放出を完了(約7800㌧を放出)10月末差し止め訴訟、追加提訴(予定) 多くの市民を巻き込めるか 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  問題は、原告たちの訴えが認められるかどうかだ。提訴前の8月23日に開かれた記者会見で、筆者はあえて弁護団に「勝算」を聞いた。広田氏は以下のように答えた。「何をもって裁判の勝ち負けとするか、そのメルクマール自体が裁判の展開によっては難しい中身を伴うかもしれませんが、勝算はもちろんあります。勝算がなければこうやって大勢の皆さんに立ち上がろうと弁護団が言うことはあり得ません。どういう形で勝つかまではここで具体的に断言はできませんが、ともかくどういう形であれ、やってよかった、立ち上がってよかった、そう思える結果を残せると確信しております」。  海渡氏は以下の見解を示した。  「この裁判は十分勝算があると思っています。最も勝算があると考える部分は、現に漁業協同組合に加入している漁業者の方がこの裁判に加わってくれたことです。彼らの生業が海洋放出によって甚大な影響を受けることはまちがいない。そしてそれが過失ではなく故意による災害であることもまちがいない。これはきわめて明白なことです。まともな裁判官だったら正面から認めるはずです。一般市民の方々の平穏生活権の侵害については、これまでの原発事故被害者の損害賠償訴訟の中で、避難者の救済法理として考えられてきたものです。たくさんの民事法学者の賛同を得ている、かなり確実な法理論です。チャレンジングなところもありますが、この部分も十分勝算があると思っています」  筆者の考えでは、最大のポイントはいかに運動を広げられるかだ。法廷闘争だけで海洋放出を止めるのではなく、裁判を起こすことで二重の加害に対する市民たちの憤りを「見える化」し、できるだけ多くの人に「やっぱり放射性物質を海に流してはだめだ」と考えてもらう。世論を味方につけ、判決を待たずして政府に政策転換を迫る。そんな流れを作れないだろうか。  そのためには原告の数をもっと増やしたいところだろう。仮に数千人規模の市民が海洋放出差し止めを求めて裁判所に押し寄せたら、裁判官たちにもいい意味でのプレッシャーがかかるのではないか。素人考えではあるが、筆者はそう思っている。  とはいえ司法の壁は高い。記憶に新しいのは昨年6月17日の最高裁判決だ。原発事故の損害賠償などを求める市民たちが福島、千葉、群馬、愛媛地裁で始めた合計4件の訴訟について、最高裁第二小法廷は国の法的責任を認めないという判決を下した。高裁段階では群馬をのぞく3件で原告たちが勝っていたが、それでも最高裁は国の責任を認めなかった。東電に必要な事故対策をとらせなかった国の無為無策が司法の場で免罪されてしまった。司法から猛省を迫られなかったことが、原発事故対応に関して国に余裕をもたらし、今回の海洋放出強行につながったという見方もある。  しかし、壁がどんなに高かろうとも、政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の役割の一つだということを忘れてはならない。国のやることがおかしいと感じたとき、司法に期待をかけるのは国民の権利である。海洋放出に反対する市民運動を続けてきた織田千代さん(いわき市)は、今回の海洋放出差し止め訴訟の原告にも加わった。織田さんはこう話す。  「福島で原発事故を経験した私たちは、事故が起きるとどうなるのかを12年以上さんざん見てきました。そして福島のおいしいものを食べるときに浮かんでしまう『これ大丈夫かな?』という気持ちは、事故の前にはなかった感情です。つまり、原発事故は当たり前の日常を傷つけ続けているということだと思います。それを知っている私たちは、絶対にこれ以上放射能を広げるなと警告する責任があると思います。国はその声を無視し続け、約束を守ろうとしませんでした。それでも私たちは安心して生きていきたいと願うことをやめるわけにはいきません。私たちの声を『ないこと』にはできません」 ※補足1海洋放出差し止め訴訟の原告たちは新しい原告や訴訟支援者の募集を続けている。原告は福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県の市民が対象で(同地域からの避難者を含む)、それ以外の地域に住む人は訴訟の支援者になってほしいという。問い合わせはALPS処理汚染水差止訴訟原告団事務局(090-7797-4673、ran1953@sea.plala.or.jp)まで。 ※補足2生業訴訟の第2陣(原告数1846人)は福島地裁で係属中。全国各地のほかの集団訴訟とも協力し、いわゆる「6.17最高裁不当判決」をひっくり返そうとしている。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 避難区域除染で堆積物を放置!?

     9月号の情報ファインダーで「除染のあり方を環境省に問う住民」という記事を掲載した。内容は次のようなもの。  浪江町に土地・建物を持つAさん(住まいは浪江町ではないが、帰還困難区域の住民で、同町内に不動産を有している。実際の名義人はAさんではなくその家族)が、「自身の所有地周辺で不適切な除染が行われていた」として環境省と話し合いを行っているという。  具体的には、Aさんの所有地の隣が竹林になっており、そこは別の所有者の土地だが、自身の敷地から覗き込むと、堆積物が放置されているのが目に付いた。Aさんの所有地の竹林と面する側は、かなり放射線量が高いため、環境省に「不適切除染ではないのか」、「何とかしてほしい」と求めているのだという。  もしかしたら、竹林の所有者が「この部分(堆積物がある場所)はそのままにしておいてほしい」と依頼した可能性もあるため、それだけで「不適切除染」と断定することはできない。  ただ、Aさんからしたら、「せっかく自身の敷地を除染してもらっても、隣接地がそんな状況では意味がない」として、環境省に説明・対応を求めているようだ。 Aさん所有地の隣の竹林に放置された堆積物(環境省がAさんに提出した資料より)  この間、Aさんは環境省と文書や直接の面談で説明・対応などを求めてきたが、前号の記事掲載時点では、「まだ最終的な報告や、こう対応しますということは示されていない」とのことだった。  その後、8月30日付で環境省から回答があった。  内容は以下のようなもの。  ○除染業者にヒアリングを行ったところ、森林除染において、残置物があった場合、一般的な片付け等は実施せず、残置物の上の堆積物を除去しているが、作業上支障となるものについては企業努力により集積することもある。  ○本件の除染では、残置物の上の堆積物をそのままの状態で除去し、あるいは残置物を移動して堆積物を除去していたと考えられる。  ○事業者に確認したところ、竹や残置物が残された状態でも、適正な除染は実施されていると推察されるとの回答だった。一方で、当時の施工記録が十分に残されていない(※除染が行われたのは2013年度)中で、本件の除染が適正に実施されたという確証もないと認識している。  ○明確な不適正除染が行われたと判断するには至らないが、今回(Aさんから)指摘があったことを踏まえ、信頼性のある施工管理、適正な除染の実施に努めていく。  「当時の施工記録が十分に残されていない中、本件の除染が適正に実施されたという確証がない」としつつ、「明確な不適正除染が行われたと判断するには至らない」との回答にAさんは納得していない。  Aさんと直接やり取りをした環境省福島地方環境事務所の担当者は「個人情報もありますので、個別の案件についてはコメントを控えさせてください」とのことだった。  Aさんは「これから、帰還困難区域(特定帰還居住区域)の除染が行われることになると思うが、そういった不備がある除染が行われるようでは意味がない。そうした点からも、環境省には形式的なものでなく、意味のある除染をしてもらいたい。私自身の問題についても、納得いくまで環境省と協議したいと思っている」と話した。

  • 田村市の新病院工事問題で新展開

     7月に開かれた田村市議会の臨時会で、市が提出した新病院の工事請負契約に関する議案が反対多数で否決されたことを先月号で伝えたが、その後、新たな動きがあった。 安藤ハザマとの請負契約が白紙に 田村市船引町地内にある新病院建設予定地  新病院の施工予定者は、昨年4~6月にかけて行われた公募型プロポーザルで、選定委員会が最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。しかし、これに納得しなかった白石高司市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と選定委員会の選定を覆す決定をした。これに一部議員が猛反発し、昨年10月、百条委員会が設置された。  今年3月、百条委は議会に調査報告書を提出したが、その中身は法的な問題点を見つけられず、白石市長に「猛省を促す」と結論付けるのが精一杯だった。  そうした因縁を引きずり迎えた7月の臨時会は、直前の6月定例会で新病院に関する予算が賛成多数で可決していたこともあり、安藤ハザマとの工事請負契約も可決するとみられていた。ところが、結果はまさかの否決。白石市長が反対に回った議員をどのように説得するのか今後の対応が注目されたが、本誌に飛び込んできたのは予想外の情報だった。  「市は6月下旬に安藤ハザマと仮契約を結んだが、白紙に戻し入札をやり直すというのです」(経済人)  議会筋によると、7月下旬に開かれた会派代表者会議で市から入札をやり直す方針が伝えられたという。今後、6月定例会で可決した新病院に関する予算を減額補正し、新たに入札を行って施工予定者を選び直す模様。設計はこれまでのものを踏襲するか、若干の変更があるかもしれないという。  「安藤ハザマは今回の新病院工事で、地元企業に十数億円の仕事を発注する予定だったが、船引町商工会に『契約が白紙になったため、地元発注ができなくなった』と連絡してきたそうです」(前出・経済人)  船引町商工会の話。  「8月上旬に安藤ハザマから連絡がありました。市から契約白紙を告げられたそうです。担当者からは繰り返し謝罪されたが、経済が落ち込む中、地元企業に様々な仕事が落ちると期待していただけに残念でなりません」(白石利夫事務局長)  船引町商工会では安藤ハザマと取引を希望する地元企業から見積もりを出してもらうなど、同社とのつなぎ役を務めていた。ガソリンスタンド、車両のリース、弁当など様々な業種から既に見積もりが寄せられていただけに「取引がなくなり、皆落胆しています」(同)という。  市のホームページによると、新病院は2023~24年度にかけて工事を行い25年度に開院予定となっているが、議会筋によると、入札をやり直せば工事は24年夏~26年夏、開院はその後にずれ込む。予定より1年以上開院が遅れることになる。  「白石市長は否決された工事請負契約を可決させるため、反対した議員を説得すると思われたが、そうした努力を一切せずに入札やり直しを決めた。一方、反対した議員も、当初計画より工事費が高いことを理由に否決したが、これ以上工事が遅れれば物価高やウクライナ問題のあおりで工事費はさらに割高になる。白石市長も反対した議員も新病院が必要なことでは一致しているのに、互いに歩み寄らなかった結果、『開院の遅れ』と『工事費のさらなる増額』という二つの不利益を市民に強いることになった」(前出・経済人) 白石高司市長  入札をやり直して開院を遅らせるのではなく、政治的な協議で軌道修正を図り、予定通り開院させる方法は取れなかったのか。  市内では「互いに正論を述べているつもりかもしれないが、市民の立場に立って成熟した議論ができないようでは話にならない」と冷めた意見も聞かれる。白石市長も議会も猛省すべきだ。 ※新病院建設を担当する市保健課に問い合わせると「安藤ハザマとの契約はいったんリセットされる。今後どのように入札を行うかは9月定例会など正式な場でお伝えすることになる」とコメントした。 あわせて読みたい 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長 【田村市百条委】呆れた報告書の中身 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠 【田村市】新病院問題で露呈【白石市長】の稚拙な議会対策

  • 動き出した「特定帰還居住区域」計画

     原発事故に伴い設定された帰還困難区域のうち、「特定復興再生拠点区域」から外れたエリアを、新たに「特定帰還居住区域」として設定し、住民が戻って生活できるように環境整備をする政府方針が決まった。それに先立ち、今年度内に、大熊町と双葉町で先行除染が行われる予定で、大熊町では8月に対象住民説明会を実施した。 先行除染の費用は60億円 先行除染の範囲(福島民報3月2日付紙面より)  原発事故に伴う避難指示区域は、当初は警戒区域・計画的避難区域として設定され、後に避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに再編された。現在、避難指示解除準備区域と居住制限区域は、すべて解除されている。  一方、帰還困難区域は、比較的放射線量が低いところを「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)に指定し、除染や各種インフラ整備などを実施。JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線開通に合わせて2020年3月末までに解除され、そのほかは葛尾村が昨年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が今年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除された。  ただ、復興拠点は、帰還困難区域全体の約8%にとどまり、残りの大部分は解除の目処が全く立っていなかった。そんな中、国は今年6月に「福島復興再生特別措置法」を改定し、復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定め、2020年代(2029年まで)に住民が戻って生活できることを目指す方針を示した。  それに先立ち、今年度内に大熊町と双葉町で先行除染が行われることになった。昨年実施した帰還意向調査結果や特定復興再生拠点区域との位置関係、放射線量などを考慮し、大熊町の下野上1区、双葉町の下長塚行政区と三字行政区が先行除染の候補地とされた。  これを受け、大熊町は8月19、20日に住民説明会を開催した。非公開(報道陣や対象行政区以外の町民は参加不可)だったため、内容の詳細は分かっていないが、町によると「国(環境省)を交えて、対象行政区の住民に概要や対象範囲などについて説明を行う」とのことだった。  ある関係者によると、「だいたい80世帯くらいが対象になるようだが、実際の住まいとしては20軒くらい。同行政区の帰還希望者の敷地は除染・家屋解体などを行う、といった説明がなされたようです」という。  先行除染が行われることが決まったのは今年春。その時はまだ「特定帰還居住区域」案などを盛り込んだ「福島復興再生特別措置法」の改定前だったが、先行除染の範囲などは、住民の帰還意向調査などに基づいて、国と当該町村が協議して決める、としており、ようやく詳細に動き出した格好だ。なお、国は先行除染費用として今年度当初予算に60億円を計上している。 復興拠点内外が点在 下野上1区の集会所と屯所  先行除染が行われる下野上1区は、JR大野駅の西側に位置する。同行政区は約300世帯あるが、復興拠点に入ったところとそうでないところがあるという。前出の関係者によると、復興拠点外は約80世帯で、当然、今回の先行除染は同行政区の復興拠点から外れたところが対象になり、復興拠点と隣接している。県立大野病院と常磐道大熊ICの中間当たりが対象エリアとなる。  同行政区の住民によると、「アンケート(意向調査)で、下野上1区は帰還希望者が比較的多かった。そのため、先行除染の対象エリアに選ばれた」という。 同町では、昨年8月から9月にかけて、「特定帰還居住区域」に関する意向調査が行われた。対象597世帯のうち340世帯が回答した。結果は「帰還希望あり」が143(世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされる)。「帰還希望なし」(世帯全員が帰還希望なし)が120、「保留」が77だった。  回答があった世帯の約42%が「帰還希望あり」だった。ただ、今回に限らず、原発事故の避難指示区域(解除済みを含む)では、この間幾度となく住民意向調査が実施されてきたが、回答しなかった人(世帯)は、「もう戻らないと決めたから、自分には関係ないと思って回答しなかった」という人が多い。つまり、未回答の大部分は「帰還希望なし」と捉えることができる。そう考えると、「帰還意向あり」は25%前後になる。さらに今回の調査では、世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされるため、実際の帰還希望者(人数)の割合は、もっと低いと思われる。  そんな中でも、下野上1区は帰還希望者が比較的多かったため、先行除染の対象になったということだ。  前述したように、同行政区内では、復興拠点に入ったところとそうでないところが混在している。そのため、向こうは解除されたのに、こっちは解除されないのは納得できないといった思いもあったに違いない。そんな事情から、同行政区は帰還希望者が比較的多かったのだろう。  国は7月28日、「改定・福島復興再生特別措置法」を踏まえた「福島復興再生基本方針」の改定を閣議決定した。特定帰還居住区域復興のための計画(特定帰還居住区域復興再生計画)の要件などが定められている。これに基づき、今後対象自治体では、「特定帰還居住区域」の設定、同復興再生計画の策定に入る。同時に、大熊・双葉両町で先行除染が開始され、2029年までの避難解除を目指すことになる。  ただ、以前の本誌記事も指摘したように、帰還困難区域の除染が、原因者である東電の責任(負担)ではなく、国費(税金)で行われるのは違和感がある。帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるのが筋で、そうではなく国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。

  • 海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

     海洋放出にお墨付きを与えたとされる国際原子力機関(IAEA)の包括報告書。そこにはどのようなことが書かれているのか。世界の廃炉政策を研究しており、本誌で「廃炉の流儀」を連載している尾松亮さんに解説してもらった。  政府は海洋放出を正当化する根拠として国際原子力機関(IAEA)の報告書(7月4日発表包括報告書)を引き合いに出す。この包括報告書で、IAEAが海洋放出計画を「国際基準に沿ったもの」と認め、お墨付きを与えたというのだ。  例えば、8月1日に行われた茨城沿海地区漁業協同組合連合会との面会で、西村康稔経済産業大臣はこの報告書を持ち出し「放出に対する日本の取り組みは国際的な安全基準に合致している」と説明した(8月2日付NHK茨城NEWS WEB)。  海洋放出計画は「国際基準に合致している」と、各紙各局の報道は繰り返す。  しかし、根拠となった「国際基準」とはどんなもので、何をすれば国際基準に合致すると見なされるのか、そのことを詳しく伝える報道は少なくとも日本では見たことがない。  海洋放出推進の論拠となっているIAEA包括報告書で、その「国際基準」への整合性はどのように証明されているのか。 ①【IAEA包括報告書とは】和訳なし、結論部分だけが報じられる  2023年7月4日、IAEAは「福島第一原子力発電所におけるALPS処理水安全レビューに関する包括報告書」(※) を発表した。 ※IAEA “COMPREHENSIVE REPORT ON THE SAFETY REVIEWOF THE ALPS-TREATED WATER AT THE FUKUSHIMA DAIICHI NUCLEAR POWER STATION” https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf  2021年4月にALPS処理水海洋放出を決定した直後、日本政府はIAEAに対して「処理水放出計画を国際的安全基準の観点から独立レビュー」するよう要請した。その要請を受けて実施されたIAEAレビューの内容をまとめたのがこの包括報告書である。  これは付録資料含め全129頁の英文による報告書。発表から1カ月以上経過した8月下旬時点で外務省や経産省のホームページを見ても報告書全体の和訳は無い。数枚の日本語要旨がつけられているだけである。「英語が読めない住民は結論の要約だけ読んで信じれば良い」と言わんばかりである。 表1:IAEA包括報告書の主な構成 章章タイトル1章導入2章「基本的安全原則との整合性評価」3章「安全要求事項との整合性評価」4章モニタリング、分析及び実証5章今後の取り組み  そして日本の報道機関は、この報告書の中身を分析することなく「国際基準に合致」「放射線影響は無視できる程度」という結論部分だけを繰り返し伝えている。  この結論を読むとき、疑問を持たなければならない。メルトダウンした核燃料に直接触れた水の海への投棄を認める「国際基準」とは何ものか? どういう取り組みをしたら、国際安全基準に合致していると言えるのか? その適合評価は十分厳しく行われたのか?  この報告書で処理水海洋放出計画の「国際基準(国際機関であるIAEAが定めた基準)」との整合性をチェックしているのは、主に第2章(「基本的安全原則との整合性評価」)及び第3章(「安全要求事項との整合性評価」)である。  「国際基準に合致」と言われれば、さも厳しい要求事項があり、東電と政府の海洋放出計画はそれらの要求事項を「全て満たしている」かのように聞こえる。しかし報告書の内容を読むと、この「国際基準」がいかに頼りないものであるかが明らかになる。  本稿ではこれら整合性評価で特に問題のある部分について紹介したい。 ②【基本原則との適合評価】こんな程度で「合致」を認めるのか?  例えば2章1節では、「安全性に対する責任」という基本原則との整合性が確認される。 表2:2章で整合性評価される基本的安全原則 節番号項目2.1安全性に対する責任2.2政府の役割2.3安全性に関するリーダーシップとマネジメント2.4正当化2.5放射線防護の最適化2.6個人に対するリスクの制限2.7現世代及び将来世代とその環境の防護2.8事故防止策2.9緊急時対策と対応策2.1現存被ばくリスクを低減するための防護策  これは「安全性に対する一次的責任は、放射線リスクを引き起こす活動あるいは施設の責任主体である個人あるいは組織が負わなければならない」という原則(IAEA国際基準の一つ)である。この原則について適合性はどうチェックされたか、該当箇所を見てみたい。  「日本で定められた法制度および規制制度の枠組みの下、東京電力が福島第一原子力発電所からのALPS処理水の放出の安全性に対する一次的責任を負っている」(包括報告書15頁)。つまり「海洋放出実施企業が安全に対する責任を負う」というルールさえ定めれば、「国際基準に合致」となるのだ。  2章2節は「政府の役割」という基本原則との整合性評価である。これは「独立規制組織を含む、安全性のための効果的な法制度上及び政府組織面での枠組みが打ち立てられ維持されていなければならない」という基本原則。これについてIAEAはどう評価したか。  「原子力規制委員会は独立規制組織として設立され、その責任事項には、ALPS処理水の海洋放出のための東京電力の施設及び活動に対する規制管理についての責任も含まれる」(同17頁)として、「基準合致」を認めてしまう。規制委員会があるからOKというのだ。  2章8節では「核災害または放射線事故を防止するとともに影響緩和するためにあらゆる実践的な取り組みが行われなければならない」という基本原則との整合性が確認される。ここでIAEAは「放出プロセスを管理しALPS処理水の意図せぬ流出を防ぐために東京電力によって安全確保のための堅実な工学的設計と手続き上の管理が行われている」(同29頁)として「原則合致」を認めている。その根拠として、非常時に海洋放出を止める停止装置(Isolation Valves等)があることを挙げている。非常用設備と事故防止計画があるから「基準合致」というのだ。東電のように何度も設備故障を起こし、安全基準違反を繰り返してきた企業に対して、「設備が用意されているから基準合致」というのは甘すぎるのではないか?  ここまで読んで「おかしい」と思わないだろうか? これら「基本原則」は、原子力施設を運営する国や企業に求められる初歩中の初歩の制度整備要求でしかない。これらを満たせば海洋放出計画も「国際基準に合致」ということになるのなら、ほぼ全ての原発保有国は「基準合致」のお墨付きをもらえる。 ③【安全要求事項との適合評価】40年前の基準でも科学的?  3章では「安全性要求事項」との整合性がチェックされている。 表3:3章で整合性評価される安全性要求事項 節番号項目3.1規制管理と認可3.2管理放出のシステムとプロセスにおける安全に関する側面3.3汚染源の特性評価3.4放射線環境影響評価3.5汚染源および環境のモニタリング3.6利害関係者の参画3.7職業被ばく防護  例えば3章4節では、東電の「環境影響評価」がIAEAの基準に沿って実施されているかチェックしている。この東電の「放射線環境影響評価」は、IAEAが「(処理水海洋放出による)人間と環境への影響は無視できる程度」と結論づける根拠となったものだ。  例えば、IAEAの基準「放射線防護と放射線源の安全:国際基本安全基準」(GSR Part3)には、影響評価について次のような規定がある。「安全評価は次のような形で行われるものとする。(a)被ばくが起こる経路を特定し、(b)通常運転時において被ばくが起こりうる可能性とその程度について確定すると共に合理的で実践可能な範囲で、あり得る被ばく影響の評価を行う」(同60頁)  これら基準に定められた評価項目を扱い、定められた手続きに沿って「環境影響評価」を実施すれば、この「国際基準に合致」したことになる。当該環境影響評価が、将来にわたる放射線影響リスクを網羅的かつ客観的に提示することまでは求められていない。そもそも網羅的な影響評価は不可能であり、不確実性が残ることは最初から許容されている。  例えばIAEAは、内部被ばくの影響評価に際して、極めて簡略化された推定値を用いることを容認している。具体的に言えば、国際放射性防護委員会(ICRP)の基準に基づき(1)カレイ目の魚類、(2)カニ、(3)昆布科の海藻、の3種類の海産物を通じた内部被ばくを評価すれば是とする。そして影響評価に際して用いる濃縮係数(汚染された海水からどの程度の放射性物質が水産物に取り込まれるかの指標)については、「魚類の濃縮係数はデータが不足しており不確実である」(同83頁)と認めている。IAEAは「海産物の摂取が主な被ばく源となる」(同72頁) と認めながらも、不確実性の高い内部被ばく評価で合格を与えているのだ。  東京電力は、水産物を通じた内部被ばく評価に際してIAEA技術報告書(TRS―422)に示された濃縮係数を用いている。水産物からの内部被ばくを評価する際に要となるのがこの濃縮係数だ。しかし、技術報告書TRS―422(2004年時点)に示された濃縮係数は20年も昔の数字であることを考慮しないといけない。さらにTRS―422に示された濃縮係数の多くは、前版である1985年の技術報告書(TRS―247)から更新されていない。「多くの要素について、完全な更新はこれまでのところ不可能で、そのためTRS―247に掲載された値が依然として現時点での最良の推定値となっている」(TRS―422、29頁)とIAEAが認める。つまり、ほとんどの値が1985年時点の推定値なのだ。  汚染された海水からどの魚種にどの程度の濃度で放射性物質が濃縮されるのか、の知識は40年近くの間IAEAの基準の中で更新されていない。それでもこの基準に依拠して内部被ばく推定を行えば、「国際基準に合致した科学的な評価」ということになってしまうのだ。  セシウムやストロンチウムを総量でどれくらい放出するのかも分かっておらず、トリチウムの放出量すら粗い推定値しかない。こんな前提条件で科学的・客観的な環境影響評価ができるはずがないのだ。この「国際基準」そのものに相当の欠陥があると言わざるを得ない。 ④「正当化」基準への適合は認められていない  重要な国際基準の一つについてはチェックすらされていない。この「包括報告書」のなかでIAEA自身が、安全基準の一つである「正当化(Justification)」について評価を放棄したことを認めている。「今回のIAEAの安全レビューの範囲には、海洋放出策について日本政府が行った正当化策の詳細に関する評価は含まれない」(同19頁)という。(詳しくは本誌8月号)  「正当化」とは「実施される行為によりもたらされる個人や社会の便益が、その行為による被害(社会的、経済的、環境的被害を含む)を上回ることを確認する」ことを求める基準(GSG―8)である。今回の場合で言えば「海洋放出により個人や社会が受ける便益は何か」「その便益は海洋放出によってもたらされる社会的、経済的被害を上回るものであるか」の確認と立証が求められる。この「正当化」基準に沿った評価が行われていないことについては内外の専門家から指摘がある。  これについて日本政府は「正当化」基準を考慮したと主張する。外務省の英文報告書(2023年7月31日)では「便益について、日本政府はALPS処理水の放出は2011年東日本大震災被災地の復興のために欠かせないものであると結論づけた。被害に関しては(中略)日本政府の考えでは海洋放出が環境や人々に否定的な影響を与える可能性は極めて低い」と述べる。  海洋放出が復興にどのように寄与して定量的にどんな便益をもたらすのか。風評被害や社会的影響も含めた害はどの程度になり、それを便益が上回るものなのか。IAEAの基準に沿った「正当化」が行われた形跡は全く見えない。  金科玉条のように振りかざされる「国際基準に合致」とは、こんな程度のことなのだ。  全文和訳を作らない政府とIAEA、内容を検証せず結論部だけ繰り返す報道機関ともに、このずさんな報告書の内容を国民から隠そうとしているようにしか見えない。 おまつ・りょう 1978年生まれ。 東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学後、通信社やシンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。「廃炉制度研究会」主宰。

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 課題が多い帰還困難「復興拠点外」政策

     原発事故に伴い設定された帰還困難区域のうち、「特定復興再生拠点区域」から外れたエリアを、新たに「特定帰還居住区域」として設定し、住民が戻って生活できるように環境整備をする方針を盛り込んだ「改正・福島復興再生特別措置法」が成立した。その概要と課題について考えていきたい。 帰還希望者少数に多額の財政投資は妥当か 大熊町役場  原発事故に伴う避難指示区域は、当初は警戒区域・計画的避難区域として設定され、後に避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域の3つに再編された。現在、避難指示解除準備区域と居住制限区域は、すべて解除されている。 一方、帰還困難区域は、文字通り住民が戻って生活することが難しい地域とされてきた。ただその後、帰還困難区域のうち、比較的放射線量が低いところを「特定復興再生拠点区域」(以下、「復興拠点」)として定め、除染や各種インフラ整備などを実施した後、5年をメドに避難指示を解除し帰還を目指す、との基本方針が示された。 これに従い、帰還困難区域を抱える町村は、復興拠点を設定し「特定復興再生拠点区域復興再生計画」を策定した。帰還困難区域は7市町村にまたがり、総面積は約337平方㌔。このうち復興拠点に指定されたのは約27・47平方㌔で、帰還困難区域全体の約8%にとどまる。南相馬市は対象人口が少ないことから、復興拠点を定めていない。 復興拠点のうち、JR常磐線の夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺は、同線再開通に合わせて2020年3月末までに解除された。そのほかは、葛尾村が昨年6月12日、大熊町が同6月30日、双葉町が同8月30日、浪江町が今年3月31日、富岡町が同4月1日、飯舘村が同5月1日に解除され、すべての復興拠点で解除が完了した。以降は、住民が戻って生活できるようになった。 一方、復興拠点から外れたところは、2021年7月に「2020年代の避難指示解除を目指す」といった大まかな方針は示されていたが、具体的なことは決まっていなかった。ただ、今年に入り、国は復興拠点から外れたところを「特定帰還居住区域」として定めることを盛り込んだ「改正・福島復興再生特別措置法」の素案をまとめ、6月2日に同法が成立した。 その概要はこうだ。 ○対象の市町村長は、知事と協議のうえ、復興拠点外に「特定帰還居住区域」を設定する。「特定帰還居住区域」は帰還住民の日常生活に必要な宅地、道路、集会所、墓地等を含む範囲で、①放射線量を一定基準以下に低減できること、②一体的な日常生活圏を構成しており、事故前の住居で生活再建を図ることができること、③計画的、効率的な公共施設等の整備ができること、④拠点区域と一体的に復興再生できることなどが要件。 ○市町村は、それらの事項を含む「特定帰還居住区域復興再生計画」を策定して、国(内閣総理大臣)に認定申請する。 ○国(内閣総理大臣)は、特定帰還居住区域復興再生計画の申請があったら、その内容を精査して認定の可否を決める。 ○認定を受けた計画に基づき、国(環境省)が国費で除染を実施するほか、道路などのインフラ整備についても国による代行が可能。 復興拠点は、対象町村がエリア設定と同区域内の除染・インフラ整備などの計画を立て、それを国に提出し、国から認定されれば、国費で環境整備が行われる、というものだった。「特定帰還居住区域」についても、それに準じた内容と言える。避難解除は「2020年代」、すなわち2029年までに住民が戻って生活できることを目指すということだ。 こうした方針が本決まりになったことに対して、大熊町の対象者(自宅が復興拠点外にある町民)はこう話す。 「復興拠点外の扱いについては、この間、各行政区などで町や国に対して要望してきました。そうした中、今回、方向性が示され、関連の法律が成立したことは前進と言えますが、まだまだ不透明な部分も多い」 「特定帰還居住区域」に関する意向調査 復興拠点と復興拠点外の境界(双葉町)  この大熊町民によると、昨年8月から9月にかけて、「特定帰還居住区域」に関する意向調査が行われたという(※意向調査実施時は「改正・福島復興再生特別措置法」の成立前で、「特定帰還居住区域」は仮の名称・制度だった)。詳細を確認したところ、国と当該自治体が共同で、大熊・双葉・富岡・浪江の4町民を対象に、「第1期帰還意向確認」の名目で意向調査が実施された。 大熊町では、対象597世帯のうち340世帯が回答した。結果は「帰還希望あり」が143(世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされる)で、このうち「営農意向あり」が81、「営農意向なし」が24、「その他」が38。「帰還希望なし」(世帯全員が帰還希望なし)が120、「保留」が77だった。 回答があった世帯の約42%が「帰還希望あり」だった。ただ、今回に限らず、原発事故の避難指示区域(解除済みを含む)では、この間幾度となく住民意向調査が実施されてきたが、回答しなかった人(世帯)は、「もう戻らないと決めたから、自分には関係ないと思って回答しなかった」という人が多い。つまり、未回答の大部分は「帰還希望なし」と捉えることができる。そう考えると、「帰還意向あり」は25%前後になる。ほかの3町村も同様の結果だったようだ。今回の調査では、世帯のうち1人でも帰還希望者がいれば「帰還希望あり」にカウントされるため、実際の帰還希望者(人数)の割合は、もっと低いと思われる。 前出の大熊町民も「アンケート結果を見ると、回答があった340世帯のうち、143世帯が『帰還希望あり』との回答だったが、仲間内での話や実際の肌感覚では、そんなにいるとは思えない」という。 今後、対象自治体では、「特定帰還居住区域」の設定、同復興再生計画の策定に入る。それに先立ち、住民懇談会なども開かれると思うが、そこでどんな意見・要望が出るのか。ひとまずはそこに注目したいが、本誌が以前から指摘しているのは、原因者である東電の責任(負担)で環境回復させるのではなく、国費(税金)でそれを行うのは妥当か、ということ。 対象住民(特に年配の人)の中には、「どんな状況であれ戻りたい」という人も一定数おり、それは当然尊重されるべきだ。ただ、国費で除染などをするのであれば、その恩恵を享受する人(帰還者数)に見合った財政投資でなければならない。詰まるところは、帰還困難区域は、基本的には立ち入り禁止にし、どうしても戻りたい人、あるいはそこで生活しないとしても「たまには生まれ育ったところに立ち寄りたい」といった人たちのための必要最低限の環境整備にとどめるか、帰還困難区域の除染に関しても東電に負担を求めるかのどちらかしかあり得ない。

  • 【本誌記者が検証】二本松市の「ガッカリ」電動キックボード貸出事業

     二本松市観光連盟は3月31日から、観光客向けに市の歴史観光施設「にほんまつ城報館」で電動キックボード・電動バイクの貸し出しを行っている。 二本松市の地図データ(国土地理院、『政経東北』が作成)  ところが、7月上旬、その電動キックボードの馬力不足を指摘する体験リポート動画がツイッターで拡散。同施設でレンタルされている車両が、坂道をまともにのぼれない実態が広く知られることとなった。 https://twitter.com/mamoru800813/status/1675329278693752833  動画を見ているうちに、実際にどんな乗り心地なのか体感してみたくなり、投稿があった数日後、同施設を訪れて電動キックボードをレンタルしてみた(90分1000円)。 安全事項や機器の説明、基本的な操作に関する簡単なレクチャーを受けた後、練習に同施設の駐車場を2周して、いざ出発。 同施設から観光スポットに向かうという想定で、二本松城(霞ヶ城)天守台への坂道、竹根通り、竹田坂、亀谷坂などを走行した。だが、いずれのルートも坂道に入るとスピードが落ち始め、最終的に時速5㌔(早歩きぐらいのスピード)以下となってしまう。運転に慣れないうちはバランスが取りづらく、うまく地面を蹴り進めることもできないため、車道の端をひたすらゆっくりとのぼり続けた。追い越していく自動車のドライバーの視線が背中に突き刺さる。 竹根通りで最高速度を出して上機嫌だったが…… 竹田坂、亀谷坂をのぼっている途中で失速し、必死で地面を蹴り進める  レンタルの電動アシスト自転車(3時間300円)に乗りながら同行撮影していた後輩記者は、「じゃあ、僕、先に上に行っていますね」とあっという間に追い越していった。 運転に慣れてくると、立ち乗りで風を切って進んでいく感覚が楽しくなる。試しに竹根通りをアクセル全開で走行したところ、時速30㌔までスピードが出た(さすがに立ち乗りでは怖かったので座って運転)。軽装備ということもあり、転倒の恐怖は付きまとうが、爽快感を味わえた。 しかし、そう思えたのは下り坂と平地だけ。亀谷坂では、「露伴亭」の辺りで失速し、地面を蹴っても進まなくなり、炎天下で、20㌔超の車両を汗だくで押して歩いた。総じて快適さよりも、坂道で止まってしまう〝ガッカリ〟感の方が大きく、初めて訪れた観光客におすすめしたい気分にはなれなかった。 右ハンドル付け根にアクセル(レバー)と速度計が取り付けられている 二本松城天守台に到着する頃には疲労困憊  同連盟によると「(体重が軽い)女性は坂道もスイスイのぼれる」とのこと。体重75㌔の本誌記者では限界がある……ということなのだろうが、そもそも中心市街地に坂道が多い同市で、その程度の馬力の乗り物をなぜ導入しようと考えたのか。 54頁からの記事で導入の経緯や同連盟の主張を掲載しているので、併せて読んでいただきたい。(志賀) 「にほんまつ城報館」には甲冑着付け体験もあり(1回1000円) https://twitter.com/seikeitohoku/status/1677459284739899392

  • 強行された「汚染水」海洋放出

     8月24日、東京電力福島第一原発で発生した汚染水を浄化処理した後の水が、海洋放出された。  政府は海洋放出の時期を「夏ごろ」としてきた。岸田文雄首相が米国での日米韓首脳会談から帰国し、夏の終わりが近づくと、怒涛の勢いで準備が進められた。  8月20日には岸田首相が福島第一原発を視察。東京電力幹部と面会し、トンボ返りで帰京した。  同21日には岸田首相らが東京で全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長や福島県漁連役員と面会した。反対を表明しながらも政府対応に理解を示したのを受け、政府は「関係者から一定の理解を得た」と認識。同22日の関係閣僚等会議で同24日の放出を決定した。同日午後には西村康稔経済産業大臣が来福し、内堀雅雄知事や県漁連の野﨑哲会長らに説明した。  政府と東電は2015(平成27)年8月、地下水バイパスなどの水の海洋放出について県漁連と交渉した際、「ALPS処理水に関しては、関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で約束していたが、結局、反対意見を押し切る形で海洋放出が強行された。  こうした政府・東電の姿勢に憤りを覚える一方で、本誌も含めた反対意見はなぜ届かなかったのか、なぜ世の中を変えられなかったのか、顧みる必要があるだろう。  今後、国内でのいわゆる風評被害の発生、海外からの反発が必至だが、今回のような強行姿勢で乗り切れるとは思えない。原発敷地内では現在も汚染水が発生し続けており、港湾内の魚からは基準値を大きく超える放射性物質が検出されている。汚染水問題は新たなステージに差し掛かったと言える。 福島第一原発視察のため、SPに囲まれながらJR郡山駅前のエスカレーターを降りる岸田文雄首相(右列中央、8月20日、本誌編集部撮影) 県魚連の野﨑哲会長(写真左)に海洋放出決定を伝えに来た西村康稔経済産業大臣(8月22日、提供写真) 福島第一原発の海洋放出関連施設を視察し、東電幹部と面会する岸田首相(8月20日、首相官邸HPより) 岸田首相が訪れたJR郡山駅やいわき駅、福島第一原発周辺には多くのSPや警察官が配置された(8月20日、本誌編集部撮影) 海洋放出決定後、政府や東電から報告を受けた内堀雅雄知事(中央)と伊澤史朗双葉町長(左)、吉田淳大熊町長(8月22日、本誌編集部撮影) 県庁を訪れた東京電力ホールディングスの小早川智明社長(8月22日、本誌編集部撮影) 県庁前には海洋放出撤回を求める市民が集結し、シュプレヒコールを上げた(8月22日、本誌編集部撮影)

  • 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発の事故で発生している汚染水について、海洋放出したい政府・東電と反対する市民たちとの意見交換会が県内で開かれている。はっきり言って市民側の主張の方が、圧倒的に説得力がある。政府は至急、代替案の検討を始めるべきである。 議論は圧倒的に市民側が優勢 経済産業省資源エネルギー庁参事官の木野正登氏(左)と東電リスクコミュニケーターの木元崇宏氏  7月6日午後6時、会津若松市内の「會津稽古堂」多目的ホールには緊張感がみなぎっていた。集まった約120人の市民が真剣な表情でステージを見つめている。 壇上に掲示された集会のタイトルは「海洋放出に関する会津地方住民説明・意見交換会」。主催は市民たちで作る「実行委員会」だ。メンバーの一人、千葉親子氏がチクリと刺のある開会挨拶を行った。 「本来であれば、海洋放出の当事者である国・東電が説明会を企画して住民の疑問や不安に答えていただきたいところでしたが、このような形となりました。今日は限られた時間ではありますが、忌憚のない意見交換ができればと願っています」 謝らない政府 経産官僚 木野正登氏(環境省HPより)  前半は政府と東電からの説明だった。経済産業省資源エネルギー庁参事官の木野正登氏と東電リスクコミュニケーターの木元崇宏氏が隣り合って座り、マイクを握った。 東電の木元氏は冒頭で、「今なお多くの方々にご不便、ご心配をおかけしておりますこと、改めてお詫び申し上げます」と語り、頭を下げた。形式的ではあるが一応、「謝罪」だ。経産省からそういう謝罪はなかった。淡々と政府の見解を説明するのみ。参加者たちは黙って聞いているが、目が血走っている人もいる。一触即発の雰囲気が漂う。 「陸上保管は本当にできないのか?」 東京電力  午後6時半、いよいよ意見交換がはじまった。市民側を代表して実行委メンバーの5人がステージに上がり、順番に質問していく。 実行委「福島の復興を妨げないために、あるいは風評や実害を生まないためには、長期の陸上保管だという意見があります。場所さえ確保できれば東電も国も同じ思いであると思いますが、いかがでしょうか?」 経産省木野氏「場所ですけれども、いろいろと法律の制約があります。原子力施設から放射性廃棄物を運搬するとか保管するとかいったこともですね。手続きが必要になります」 この答えには会場が納得しなかった。「福島に押しつけるな!」という声が飛ぶ。経産省が続ける。 木野氏「なので、そういった制約が様々あるということですね。また、実際どこかの場所に置いたとしたら、そこにまたいわゆる風評が生まれてしまう懸念もあるのではないかと思っております」 今度は会場から失笑が漏れた。「福島だったらいいの?」との声が上がる。東電が説明する番になる。 東電木元氏「これ以上タンクに保管するということは廃炉作業を滞らせてしまうために難しいというところがありますけども、事故前の濃度や基準をしっかり守るのが大前提と考えてございます。ただ、事故を起こしてしまった東電への信用の問題もございます。当社以外の機関にも分析をお願いして透明性を確保いたします」 司会者(実行委の一人)「今は敷地の話をしております」 木元氏「廃炉をこれ以上滞らせないためにも、これ以上のタンクの設置は難しい。また、排出についてはしっかり基準を満足させるということが大前提と考えてございます」 実行委「敷地が確保できれば陸上保管がベストだという思いは同じですか、という質問でした」 木元氏「今お話しさせていただきました通り、事故前排水させていただいていた基準の水でございますので、それをしっかり守ることが大事だと考えています」 質問に正面から答えようとしない木元氏に対し、会場から「答えになってない!」と声が飛ぶ。実行委は矛先を経産省に戻した。 実行委「陸上保管こそが復興を妨げない、あるいは風評も実害も拡大させない、やり方なんじゃないですか? そこの考え方は同じではないのかと聞いているんです。そもそもの前提、意識は同じですか?」 経産省木野氏「はい。陸上保管ができればそれがいいですけれども、現実的ではないわけですよね」  実行委「現実的ではないというお答えがありましたけれども、廃炉の妨げになると言いますが、事故から10年たって廃炉は進んでますか? 燃料デブリの取り出しはできてますか? 取り出しがいつになるか分からない中では、目の前にある汚染水の被害を拡大させないために陸上保管しようという方向になぜできないのでしょうか? 当分廃炉の妨げなんかにはならないでしょ? 私はそう思いますが、いかがでしょうか?」 木野氏「廃炉が進んでいますかと聞かれれば、進んでおります。ただし燃料デブリ、これはご存じの通り、取り出せてませんね。2号機から取り出しを開始しますけれども、まだ数グラムしか取れてません。今後はしっかり拡大して、進めていかなければいけない訳です。それを保管するスペースも確保していかないといけない、ということなんです。なので、タンクで敷地を埋め尽くしてしまうと廃炉が進まなくなるということです。そこはご理解いただければと思います」 会場から「理解できない」との声。 「最大限努力をするのが東電や国の使命」  実行委「具体的には、環境省が取得した広大な土地が隣接してあるはずです。以前使われていたフランジタンクを取り壊した部分もあるはずです。やはり風評を広げない、実害を広げないために最大限の努力をするというのが東電や国の使命だと思いますが、いかがでしょうか? 」 福島第一原発の周辺には除染廃棄物を集めた中間貯蔵施設がある。このスペースを使えないのか。東電や国はタンクの敷地確保に向けて最大限努力すべきだという指摘に、会場から拍手が飛んだ。これに対する経産省・東電の回答はこうだ。 経産省木野氏「中間貯蔵施設はですね。あそこにだいたい1600人の地権者の方がいて、泣く泣く土地を手放していただいた方もいますし、または借地ということで30年間お貸しいただいた方もいらっしゃいます。やはり双葉・大熊の住民の方の心情を考えるとですね、そこにタンクを置かせてもらうというのは非常に難しいですし、やはり大熊・双葉の町の復興も考えなければいけないということでございます」 東電木元氏「フランジタンクを解体したところが今どうなっているかというと、新しいタンクに置き換わっているところもありますし、ガレキなど固体廃棄物の保管場所になっているところもあります。固体廃棄物はどうしても第一原発の敷地内で保管しなければいけない。そのための土地も確保しなければいけないということが現実問題としてあります。今後デブリが取り出せたときは非常に濃度が高い廃棄物が発生いたします。これをしっかり保管しなければいけないと考えております」 会場から「それはいつですか?」との声が飛ぶ。先ほど経産省木野氏が認めた通り、燃料デブリの取り出しはまだ進んでいない。実行委メンバーは冒頭に戻り、「法律の制約がある」という経産省の説明を批判した。 実行委「福島県内は事故後、非常事態の状況にあります。本当は年間1ミリシーベルトなんですけど、まだ20ミリシーベルトで我慢せいという状態なんです。そんな中で一般の法律を持ち出して、だからできないとか、そんなことを言っている場合じゃないということです」 会場から拍手が起こる。 実行委「ここは(長期保管を)やるということで、福島県の人たちのことを考えて、その身になって進めていただきたいと思いますよ」 会場からさらに拍手。だが、経産省は頑なだ。 木野氏「やはりあの、被災12市町村、避難させてしまった12市町村の復興も進めていかないといけない、ということもあります。なのでですね、我々も県民のためを思いながら廃炉と復興を進めていきたいと思っております」 「海に捨てる放射性物質の総量は?」 福島第一原発敷地内のタンク群  福島第一原発では毎日、地下水や雨水が壊れた原子炉建屋に流れこんでいる。その水は溶融した核燃料に直接触れたり、核燃料に触れていた水と混ざったりして「汚染水」になる。だから通常運転している原発からの排水と、メルトダウンを起こした原子炉で発生する「汚染水」とは意味合いが全く異なる。 仮に多核種除去設備(ALPS)が正常に稼働したとしても、すべての放射性核種が除去できるわけではない。トリチウムが大量に残るのはもちろんのこと、ほかの核種も残る(表)。どんな核種がどのくらい放出されるのか。市民側の1人はこの点を追及した。 ALPS処理後に残る核種の一部 核種の名前濃度(1㍑当たり)年間排水量年間放出量トリチウム19万㏃1億2000万㍑22兆㏃炭素1415㏃(同上)17億㏃マンガン540.0067㏃(同上)78万㏃コバルト600.44㏃(同上)5100万㏃ストロンチウム900.22㏃(同上)2500万㏃テクネチウム990.7㏃(同上)8100万㏃カドミウム113m0.018㏃(同上)210万㏃ヨウ素1292.1㏃(同上)2億4000万㏃セシウム1370.42㏃(同上)4900万㏃プルトニウム2390.00063㏃(同上)7.3万㏃※東電が「ALPSで処理済み」としているタンク群で実施された64核種の測定結果の一部。濃度に違いはあるが、様々な核種が残る。上記64核種の測定は、原発敷地内の大半のタンクでは未実施 ※東電資料:「多核種除去設備等処理水の海洋放出に係る放射線影響評価報告書(設計段階)」を基に筆者作成  実行委「ALPSでは除去できない放射性物質の生物影響をどのように認識されているのか。放出する処理水の総量と放射性物質の総量も明らかにしてほしいと思います」 経産省木野氏「さまざまな核種が入っているということでございますが、これがちゃんと規制基準以下に浄化されているということです。こうしたものが含まれているという前提で、自然界から受ける放射線の量よりも7万分の1~100万分の1の被ばく量ってことです。これはトリチウムだけではないです。ストロンチウム、ヨウ素、コバルトも含まれている前提での評価です」 東電木元氏「総量はこれからしっかり測定・評価。処理した後の水を分析させていただきます。これが積み上がることによって、最終的な総量が分かるわけですけども、今の段階では7割の水が2次処理、これからALPSで浄化する水が含まれておりますので、今の段階ではどのくらいとお示しすることが難しいです」 司会者(実行委の一人)「放射性物質の総量も分からないんですね? ひとつ確認させてください」 木元氏「総量はこれからしっかり分析を続けてまいります。そこでお示しができるものと考えております」 「お金よりも子どもたちの健康、安全」  実行委メンバーによる代表質問が終わった後、会場の参加者たちが1人数分ずつ意見を述べた。切実な思いが伝わってくる内容が多かった。そのうちのいくつかを紹介する。 「私は昭和17年生まれです。年も80を過ぎました。お金よりも子どもたちの健康、安全ですよね。金ではない。経済ではない。子どもたちが安心して生きられる環境をどう作るか。これが、あなたたちの一番の責任ではないのですか?」 「県民感情として、これ以上福島をいじめないでください。首都圏は受益者負担を全然してない。この中で東京電力のお世話になっている人は誰もいませんよ。ここは東北電力の管内ですから。どうしても捨てたいならば、東京湾に持って行ってどんどん流してくださいよ。安全、安全と言うんであれば、なにも問題はないはずです」 発言の機会を求めて挙手する人が後を絶たない中、約2時間半にわたる意見交換会は終了した。 「大熊町民を口実に使うのは許せません」 大熊町役場  筆者が見る限り、会津若松での意見交換会は圧倒的に、反対する市民側が優勢だった。 一番注目すべきは代替案をめぐる議論だと思う。市民たちは経産省から「場所さえ確保できれば陸上保管がベスト」という見解を引き出し、「ではなぜ真剣に検討しないのか」と迫った。これに対する経産省の回答は説得力があるとは思えなかった。「法律上の制約」を口にしたが、政府は自分たちの通したい法律は1年くらいで作ってしまう。そんなに時間はかからないはずだ。次に経産省は、福島第一原発が立地する大熊・双葉両町の住民の心情を持ち出した。「中間貯蔵施設の土地は地権者の方が泣く泣く手放したものだ」などとして、陸上保管の敷地確保が難しい理由として説明した。 しかし、この説明も納得できない。大熊・双葉両町に中間貯蔵施設を作る時、政府は住民たちと「30年以内の県外処分」を約束した。施設がスタートしてから約8年経つが、最終処分先はいまだに決まらず、約束が守られるメドは立っていない。 県外処分の約束を中ぶらりんにしておきながら、タンクの増設を求める声に対しては、「双葉・大熊両町民の心情が……」などと言う。こういう作法を「二枚舌」と呼ぶのではないか。 実際、大熊町民の中にも怒っている人はいる。原発事故で大熊から会津若松に避難した馬場由佳子さんは住民票を大熊に残している大熊町民だ。7月6日の意見交換会に参加した馬場さんは感想をこう語った。 「大熊の復興のために汚染水を流すって……。そういう時ばかり……。『ふざけんな!』なんです。ちゃんと放射線量を測ったり、除染したり、汚染水を流すのではなくて私たちの意見を聞いたり。そういうことが大熊の復興につながると思います。私も含めてほとんどの大熊町民は、国や東電が言うようにあと30年や40年で福島第一原発の廃炉が終わるとは信じていないと思います。中間貯蔵施設にある除染廃棄物を県外処分するという約束についても楽観していないでしょう。そんな中で、国は自分たちに都合がいい時だけ『大熊町民のために』と言います。私たちを口実に使うのは許せません」 もっと議論を 住民説明・意見交換会には約120人の市民が訪れた  先ほど紹介した通り、ALPSで除去できないのはトリチウムだけではない。30年、40年かけて海に流し終えた時に「影響は100%ない」と言い切るのは困難だ。国際原子力機関(IAEA)も、人間や環境への影響を「無視できる」という言い方はしているが、「リスクがゼロだ」とは言っていない。代替案があるなら真剣に検討するのが政府の務めだ。 そして実際に代替案は複数出ている。たとえば脱原発社会の構築をめざす市民グループや大学教授らがつくる原子力市民委員会は、「大型タンクによる長期保管」と「モルタル固化」の二つを提案している。大型タンクは石油備蓄のためにすでに使われているし、モルタル固化は米国の核施設で実績があるという。同委員会の座長を務める龍谷大学の大島堅一教授(環境経済学)はこう話す。 「これらの案はプラント技術者などさまざまな方に検討をしていただいたもので、我々としては自信を持っています。公開の場で討論することを望んでおり、機会があるごとに申し上げていますが、政府から正式な討論の対象として選んでいただいていないのが現状です」(7月18日付オンライン記者会見) 筆者としては、この原子力市民委員会と経産省との直接の議論を聞いてみたい。議論の中身を吟味することによって代替案の可能性の有無がクリアになるように思う。もちろん市民たちとの話し合いも不足している。 7月6日の会津若松に続いて、17日には郡山市内で市民と政府・東電との意見交換会が開かれた。多岐に渡るテーマの中で筆者が印象的だったのは「政府主催の公聴会を企画せよ」との指摘だった。 会津若松と郡山の意見交換会はいずれも市民側が政府・東電に要請して実現したものだ。政府主催による一般参加できる形式の公聴会は、2021年4月に海洋放出の方針が決定されて以来、一度も開催されていない(方針決定前には3回だけ実施)。市民側はこういった点を指摘し、政府側にうったえた。 「意見を聞いてから方針を決めるのが筋ではないでしょうか? 公聴会をやるべきですよ。福島県民はものすごく怒ってますよ」 政府側は「自治体や漁業関係者の方々に意見を聞いております」といった回答に終始した。 専門家も交えた代替案の検討を行うべきだし、住民たちとの意見交換も重要だ。それらをなるべく公開すれば国民が考える機会は増える。経産省は海洋放出について「みんなで知ろう。考えよう。」と打ち出している。今こそそれを実現する時だ。東電によると、原発敷地内のタンクが満杯になるのは「来年の2月から6月頃」とのことだ。まだ時間はある。もっと議論を。 あわせて読みたい 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 被災地で再び暗躍するゼネコン元所長

     震災・原発事故の復興事業をめぐり、ゼネコン幹部が下請け業者から謝礼金をもらったり、過剰な接待を受けていたことが次々と判明し、マスコミで報じられたことを記憶している人は多いと思う。 その後、復興事業の減少により問題は沈静化していったが、今、浜通りでは「ある元幹部の存在」が再び注目を集めている。 元幹部を、ここでは「H氏」と紹介しよう。H氏は準大手ゼネコン・前田建設工業(東京都千代田区)に勤務し、震災・原発事故後は東北支店環境省関連工事統括所長として楢葉町と双葉町の除染や解体工事、中間貯蔵施設の本体工事などを取り仕切った。2015年12月には広野町のNPO法人が主催した復興関連イベントのパネルディスカッションにパネラーの一人として参加したこともある。 復興を後押しする一員という立ち位置でイベントに参加したH氏だったが、その裏では様々な問題を引き起こしていた。以下は朝日新聞2021年6月30日付社会面に掲載された記事である。 《(環境省が2012、13年に発注した楢葉町と双葉町の除染、解体工事などをめぐり)前田建設は17~18年に弁護士を入れた内部調査を実施。複数の業者や社員らを聴取した結果、同社関係者によると、当時の現場幹部らが業者から過剰な接待や現金提供を受けていたことが判明したという。 前田建設の協力会社の内部資料によると、協力会社の当時の幹部が13年から5年間、仙台市や東京・銀座の高級クラブなどで前田建設の現場幹部らへの接待を重ね、うち1人については計30回で約80万円の費用を負担していた。 さらに、複数の下請け業者の証言では、18年ごろまでにハワイ旅行や北海道・九州でのゴルフ旅行が企画され、複数の前田建設の現場幹部の旅費や滞在費を業者が負担していたという》 これら接待の中心にいたのがH氏で、ゴルフコンペは「双明会」と銘打ち定期的に行われていたという。このほか女性関係のトラブルも指摘されていたH氏は、2016年に統括所長を降格され、17年に前田建設を退職した。 しかし、その後もいわき市内のマンションを拠点に、統括所長時代に築いた人脈を駆使して不動産、人材派遣、土木、ロボット、旅館経営など複数の会社を設立。それらの事務所は現在も中心市街地の某ビル内にまとめて置かれている。法人登記簿を確認すると、H氏は1社を除いて全社で役員に名前を連ねていた。 ある業者によると、H氏は前田建設を退職後も下請け業者に接近し、復興事業に食い込んでいたという。浜通りの一部業者は、そんなH氏を何かと〝重宝〟し、関係の維持に努めていた。 ところが前記の新聞報道後、脱税などで警察の捜査が及ぶことを恐れたのか、H氏はいわき市内のマンションを離れ、都内に身を潜めた。それが、半年ほど前から再び市内で見かけるようになったとして、業者の間で話題になっているのだ。 某ビルの1、2、3、6、7階にH氏が関係する会社が事務所を構える  前田建設は今年度、大熊町の特定復興再生拠点区域の除染と解体工事を48億2400万円で受注したが、その下請けに、H氏は自身とつながりがある九州の業者を使うよう同社の現場責任者に働きかけているという。その情報をキャッチした同社が現場責任者に確認すると、H氏との直接的な関係は否定したが「大熊町の事業者と食事をしていたら、同じ店で偶然H氏と会った」などと説明したという。 前田建設がH氏の暗躍に強い警戒感を示していることが分かる。被災地を〝食い物〟にする輩を放置してはならない。関係各所はH氏の動向を厳しく監視すべきだ。