新しい内閣総理大臣のもと、各議員は解散総選挙の時期を見極めようと懸命だ。しかし、中には選挙に向けたスタートを切りたくても切れずにいる候補者や、準備が整い切らずに走り出す候補者もいる。今の衆院福島4区は、まさにそんな状態かもしれない。自民党の現職と新人の綱引き、立憲民主党に現れた未知の新人、共産党の動向。慌ただしさを増す浜通りの選挙情勢に迫る。(佐藤仁)
吉野正芳氏が進退表明を渋るワケ

史上最多9人が立候補した自民党総裁選は9月27日投票だが、この稿は締め切りの都合上、総裁選の結果を反映できない。しかし、誰が新総裁になっても首班指名を経て内閣総理大臣に就任すれば、遅かれ早かれ解散総選挙に打って出るとみられる。衆院選の投票日は最短で10月27日とされ、11月10日も有力視される。
衆院小選挙区「10増10減」の改正公職選挙法により、福島県の選挙区数は1減の4選挙区になった。このうち1、2、3区は早くから自民党と立憲民主党の現職が激突する構図が明確になっていたが、4区については①自民党現職の進退と立候補に意欲を見せる新人の綱引き、②立憲民主党の候補者不在、③共産党が4選挙区のうち唯一候補者を擁立――という3要素が混在していた。
現状を、順を追って見ていくことにする。
4区の現職は自民党の吉野正芳衆院議員(76)。旧5区を地盤に8期務め、「10増10減」後の新4区に変わっても次期衆院選で公認候補予定者となる支部長に就いた。
ただ、吉野氏は健康問題を抱えていた。2018年10月まで復興大臣を務めたあとに病気を発症。療養を経て復帰したが、身体の一部に障がいが残った。そんな体調で前回21年の衆院選に立候補し8選を果たしたものの、選挙中に足を痛めてからは車椅子の生活が続いている。
吉野氏の姿が公の場で目撃されたのは1年以上前。昨年2月ごろ、いわき市内で営まれた葬儀に参列したあとは3月の自民党県連定期大会を欠席。通常国会も欠席届を提出し登院しなかった。ただ、会期末の6月には上京した自民党県議と議員会館で面会。その時の様子はスタッフが車椅子を押し、県議の問い掛けにうなずくだけで会話らしい会話はなかったという。
その後は、昨年10月召集の臨時国会、今年1月召集の通常国会とも議長宛てに応召延期届を提出し一度も登院していない。
筆者は取材で自民党の国会議員、県議に会うと必ず吉野氏の現状を尋ねるが、返ってくる答えは「よく分からない」か「自宅療養中で、月に一度市内の病院に通院しているらしい」という二つだった。
県連内でも音信不通となる中、吉野氏の進退は大きな関心事となっていた。分かり易く言うと、これ以上議員を続けられないのは明白だが、吉野氏が引退を表明しないため、県連は後任を決められない状態が続いているのだ。
県連内からは「任期を全うするのはいいが、進退を明らかにしてもらわないと次の衆院選に向けた体制がつくれない」と困惑の声が上がり、中には「自分のことだけで、周りの迷惑を考えていない」と吉野氏を無責任と切り捨てる県議もいた。
これに対し「吉野先生を悪く言う前に、そういう状況を自らつくった県連が反省する方が先だ」と憤るのは吉野事務所の関係者だ。
「県連が地元紙にあんな記事を書かせなければ、進退表明が先延ばしされることはなかった」(同)
「あんな記事」とは昨年6月9日付福島民報の1面に載った記事を指す。内容は吉野氏が今期限りで引退する意向を周囲に伝えたというもので《党本部が今後、吉野氏に意向を確認した上で後継となる公認候補の選定が進められる見通し。吉野氏と同じく、いわき市を地盤とする自民党県議の坂本竜太郎氏(43)=2期=を軸に調整が進められるもよう》(同紙より抜粋)と書かれていた。
振り返ると、昨年6月上旬は解散総選挙の可能性が囁かれていたが、吉野氏に活動再開の気配はなく、かといって進退表明の話もなく、県連は苛立ちを募らせていた。立候補に意欲を見せる坂本竜太郎氏も、現職が辞めないうちは表立った動きはできないが、選挙準備に取り掛かりたいのが本音だった。
そこで、県連が吉野氏に引導を渡すため、福島民報に記事を書かせたというのだ。雑誌と違い、新聞があそこまで踏み込んだ記事を書くのは県連上層部のゴーサインがないと難しい。吉野事務所のコメントが一切載っていなかったことも県連リーク説に信憑性を持たせた。
「記事を見た吉野先生は怒っていました。解散の可能性があったのは事実だが、政治家の出処進退は外野がどうこう言う話ではない」(前出・吉野事務所関係者)
一方でこの時、吉野氏は膝を骨折するなどした影響で、身体が思うように動かなくなっていたことも事実だった。「リハビリに専念せざるを得ない状況」(同)の中、吉野氏はしかるべきタイミングで進退表明を考えていたという。
「後援会の中からも『早く進退を明らかにした方がいい』という声はあったし、長年の支持者からも『今後の説明がないのはどういうことだ』とお叱りを受けました」(同)
吉野氏の支持者は、県議時代から一貫して支えてきた信者のような存在だが、その支持者からも進退表明を求める意見が出ていたという。ただ、吉野氏が自宅療養に入るとそのタイミングは失われた。
その後の事務所の対応を、吉野氏の熱心な支持者が痛烈に批判する。
「そうなった以上は、事務所が吉野先生と適切にコミュニケーションを取り、本人の意向を確認するか、それが難しければご家族と相談して進退表明に向かわなければならないのに、私の目には事務所が対応を怠ったように見える。そこに竜太郎氏を良しとしない一部後援会の人たちが加わり、進退がはっきりしない状態が続いている」(同)
これについては、ある県連関係者も常々こう口にしていた。
「理想は本人が進退を明らかにすることだが、それが難しければ事務所か家族が明らかにするか、党本部に伝えるべき。ちなみに県連には未だに何の連絡もない」
酒気帯び運転の過去

要するに、一部の事務所・後援会の面々が吉野氏の意向をきちんと汲んでいない、と。原因は何か。
「分かりません。ただ、吉野先生の支持者が竜太郎氏に拒否反応を示しているのは事実」(前出・吉野氏の熱心な支持者)
坂本竜太郎氏の父は、吉野氏と同じ地盤で衆院議員を通算7期務めた故・坂本剛二氏。自民党を一時離れるも、復党後は吉野氏とコスタリカを組むなど旧5区の主導権争いをする間柄だった。
竜太郎氏は剛二氏の秘書を務めたあと、いわき市議(1期)、県議(2期)を務めたが、昨年11月の県議選は告示直前で立候補を取りやめ、支持者の間では「衆院選に向けた意思表示」という受け止めが広がった。
本誌昨年12月号で、竜太郎氏は筆者にこうコメントしている。
「吉野先生には、まずはご快復なされ今の任期を全うしていただき、末永くご指導いただきたいです。その先のことは県連や党本部がお考えになることですが、県議選立候補を取りやめたのは覚悟を示すなら今しかないと考えたからです」
雰囲気的には、吉野氏が引退したあとは自民党から竜太郎氏が立候補することが既成事実化している。
「とんでもない話だ。彼は酒気帯び運転で逮捕された男。そんな人物を国政選挙の公認候補に選んだら、自民党の良識が疑われる」(前出・吉野氏の熱心な支持者)
竜太郎氏は2009年のいわき市議補選で初当選したが、翌10年12月に酒気帯び運転で現行犯逮捕され、同市議を辞職した過去がある。
「吉野先生の支持者は、そんな竜太郎氏を『吉野先生の後任にふさわしくない』と思っており、今回のいわき市議選でも地元・勿来地区から立候補した自民党候補者のもとを坂本氏が訪問していることを知ると、誰もその事務所を訪れようとしなかった。吉野先生の支持者は自民党を応援しているのではなく先生個人を応援しているので、自民党が竜太郎氏を公認しても応援しない」(同)
実際、勿来地区から立候補した自民党候補者(3人)の今回と前回の得票数を比べると、300~600票近く減らしている。前回より投票率が下がったとはいえ(44・77%→41・28%)、「自然減なら100票減で収まるが、300~600票減ということは意図して入れなかった人がいたと考えるべき」(同)。すなわち吉野氏の支持者が、竜太郎氏を推そうとしている自民党に愛想を尽かしているというわけ。
もっとも、竜太郎氏側もその辺りは理解しているようで「問題を起こしたことは事実なので、批判は避けようがない。むしろ批判する人は最初から期待できない票に数えるしかない」と割り切っている。
この稿が読者の目に触れるころには吉野氏は進退表明しているかもしれないが、後任は竜太郎氏ですんなり決まるのか。
自民党の県議や党員らに話を聞くと「ストレートに『じゃあ次は竜太郎氏で』とはならないだろうから、とりあえず公募をかけるのでは」という。しかし、県連元幹部は「公募はない」と断言する。
「公募をかけるには一定の期間が必要だが、いつ衆院が解散されるか分からない中でそんなことをしている余裕はない」
現実的には、県連で適任者を探すことになるという。
「県連幹事長を中心に政治経験、地盤、人物評価などを総合的に検討し、何人かリストアップする。その中から一人ずつ声を掛け、応じてもらえたら4区内の各支部に打診して意見を集約します。そこで了承が得られれば次の公認候補に選ばれる、という流れになります」(同)
今のところ、竜太郎氏はその一番手と見ていい。
いわき市議選で自民党候補の応援に来ていた竜太郎氏に聞くと、
「県議選の立候補取りやめからこの間、自分にできることをしながら過ごしてきました。解散総選挙について、私から言えることは何もありません。いろいろなことを決めるのは県連や党本部ですから、私は決まったことに従うだけです」
吉野氏をめぐっては、その後も9月3日付地元紙で「吉野氏、今期で引退へ」などと報じられているが、相変わらず本人や事務所のコメントは載っていない。早く進退表明してほしいと考える県連が再び書かせた記事と見ていいだろう。吉野氏の後任選びはすんなり進むのか。
「未知の新人」の経歴

旧5区時代から候補者を擁立できていない立憲民主党は、新4区に変わっても次の衆院選の候補者が決まらずにいた。
そんな状況に変化が見えたのは8月下旬。地元紙が「富岡町の会社役員斎藤裕喜氏を軸に最終調整」と報じたのだ。しかし4区の大票田であるいわき市の立憲関係者は、斎藤氏の名前を聞いても「全く知らない。新聞で初めて顔と名前を見た」という程度の認識だった。
「この間、県連に『地元で候補者を擁立してほしい』と言われてきたが、目ぼしい人には全て断られた。そこで『あとは県連と党本部に人選を委ねる』と一任していた。斎藤氏の顔と名前を見るのは新聞が初めてだったが『この人で衆院選を戦うのか』というのが今の率直な感想」(いわき市の立憲関係者)
斎藤氏は1979年いわき市生まれの45歳。磐城高校、いわき明星大学(現・医療創生大学)人文学部卒業。㈱青木会計(郡山市)、㈱船井財産コンサルタンツ福島(グループ内転籍)を経て、2015年2月から17年2月まで泉健太衆院議員(前立憲民主党代表)の公設第一秘書を務めた。その後、富岡町に移住し㈱福島環境研究開発を設立した。
法人登記簿によると、同社の本店所在地はいわき市四倉町で、富岡町本岡字清水前122が支店登記されている。資本金500万円。土木・建築にかかる復興事業、廃水・汚泥処理及び水質浄化事業、土壌改良事業、自然エネルギーによる発電・熱供給事業などを行っている。
地元紙に名前が出たあと、筆者はいわき市と富岡町の事務所を訪れたが不在だった。同町内の自宅を訪ねると斎藤氏の奥さんがいたが「すいません、余計なことを話すのは控えさせてください」と言われた。
県民連合のある県議はこう話す。
「浜通りに立憲の組織は存在しないので、よく(立候補要請を)引き受けたな、と。加えて知名度不足なので、短い準備期間でどこまで自民党候補者に迫れるか、厳しい選挙になると思います」
立憲民主党は9月17日、斎藤氏を4区に擁立することを正式に内定した。翌18日、福島市内で開かれた出馬会見で斎藤氏は次のように述べた。
「被災地は発災から13年経っても帰れない人が多くいます。そこに人口減少や高齢化、若者の就業といった問題が直撃しています。小規模事業者は経営難に見舞われ、そこに勤める従業員は所得が上がらず、子育てや教育に苦労しています。こうした中で復興に関わりたいと被災地に暮らし、会社を興した自分が、地域の皆さんの声を国に届けることができたらいいと考えています」
それにしても、県内の学校を卒業し就職も県内なのに、なぜ京都を選挙区とする泉健太衆院議員の秘書を務めたのか。斎藤氏はこう答える。
「震災後、会計事務所の社員として被災された経営者の賠償請求をお手伝いしましたが、避難所のあり方も含めて国の支援制度に疑問を感じていました。『こうすればもっと良い方向に変わるのでは』と思っていたタイミングで知人から泉衆院議員を紹介され『地元秘書としてやってみないか』と声を掛けていただいたものですから、勉強のため京都で2年間、公設第一秘書を務めました」
同い年の3氏が激突
会見後、県連幹事長を務める宮下雅志県議に話を聞いた。
「泉代表(当時)から小熊慎司衆院議員に『浜通りに斎藤という男がいる』と紹介があった。そこで、斎藤氏に打診したところ感触が良かったので、本人や関係先と協議し、4区から擁立することを決めました」
気になるのは、前回2021年の衆院選で、立憲民主党は旧5区に候補者擁立を決めたものの取りやめ、共産党新人を野党一候補として選挙戦に臨んだ経緯があることだ。
「あの判断はよくなかったと反省しています。共産党とは国家観が違うし、政策が一致する部分も多くない。にもかかわらず共闘したおかげで『立憲共産党』などと揶揄され、入った票もあったが逃げていく票も数多く目の当たりにしました。今回、斎藤氏は5者協議会(立憲、国民民主、社民、県民連合、連合福島)が推し、共産党が候補者を立てれば野党票は割れることになるが、その中で自民党に挑む今回の衆院選は試金石になると見ています」(同)
共産党は4区に、前回衆院選で旧5区から立候補した熊谷智氏(44)を擁立することを発表しているが、1、2、3区にも候補者を立てる方針(2区は丸本由美子元須賀川市議の擁立が決定)。前回の共闘路線から一転、与党だけでなく野党同士も意識した選挙戦になりつつある。

奇しくも坂本氏と斎藤氏は磐城高校の同級生で、熊谷氏も喜多方高校卒業だが両氏と同い年。若い3氏は大きく変わった選挙区でどのような戦いを見せるのか。