教員が性犯罪の被告となった刑事裁判で、横浜市教育委員会が教職員を動員して横浜地裁の傍聴席を埋め尽くして他の傍聴者を締め出し、憲法で保障された公開裁判を妨害していた事件は記憶に新しい。8月2日、地裁郡山支部で行われた裁判でも「教員動員」をした裁判があった。大リーグの大谷翔平選手をモデルにした高級腕時計を騙し取った事件の裁判。
傍聴席が教員動員で埋まったワケ

「いくら大谷選手が人気とはいえ、なぜ教員が動員されるのか」と筆者は不思議に思ったが、結論を言うとただの研修だった。
とはいえ筆者は驚いた。法廷に入ると45席ある傍聴席のうち四十数席が埋まっていたからだ。空いていた前方の1席に座れた。傍聴席を埋めていたのはワイシャツを着た中年男性たち。傍聴マニアには見えず、職務で来たようだ。横浜地裁の公開裁判妨害事件が最近あったため「他の傍聴人を締め出す目的ではないか」と考えたが、今回の事件は公務員の不祥事でも耳目を集めた事件でもない。男が拾ったクレジットカードで高級時計を買い漁った詐欺事件だ。
傍聴席の1人が「地歴公民研修会」と書かれたプリントを持っているのが見えた。裁判傍聴に中学や高校の教員が動員されたのは確かだが、社会科の研修のようだ。
傍聴人が大挙したことを一番不可解に思っていたのは、おそらく被告人の合佐毘正伸(61)=須賀川市西山寺=だろう。警察官2人に拘束されたまま入廷し、傍聴席を振り向くと首をかしげていた。
合佐毘被告は今年1月、茨城県土浦市の時計店で大谷翔平選手モデルの高級腕時計2点計64万円相当を他人のクレジットカードを不正に使って購入したり、栃木県さくら市のガソリンスタンドで同じカードを使って給油したりしたとして詐欺罪に問われた。
クレジットカードを拾ったのは偶然だった。昨年12月に郡山市内のビジネスホテルの駐車場でアメックスのゴールドカードを拾った。利用限度額に上限がなく、高所得者でなければ取得できないカードだ。
警察署は目と鼻の先だが、合佐毘被告は自分の物にする方を選んだ。合佐毘被告は逮捕時、タクシー会社で配車係をしていたが、以前は家電量販店で働いていた。その時にアメックスのゴールドカードは1回の使用で100万円を超えなければ持ち主に連絡がいかないことを知った。
100万円以下でも庶民ができることはたくさんある。合佐毘被告は元日に郡山市内のスーパーで買い物をし、そこでクレジットカードを初めて不正利用した。1月25日には逮捕のきっかけとなった茨城県土浦市の時計販売店を訪れ、「限定品を見繕ってほしい」と店員に20種類のブランドを用意させ、転売目的で騙し取った。中には数百万円、数千万円の限定品もあったが、支払いが100万円を超えるとカードの持ち主に連絡されてしまう。選んだのは大谷翔平選手モデルの限定品や純金製の腕時計だった。
クレジットカードには持ち主の名前がローマ字でしか印字されない。合佐毘被告は、持ち主の漢字表記を自分で考え、時計店が出した書類に署名して本人を装った。自分の金で支払うわけではないのに、なぜか値切って64万円で購入している。その後、腕時計2本は須賀川市内の質店に50万円で売却し現金化した。
持ち主は2月になって身に覚えのない高額請求があることに気づいた。合佐毘被告は1月1日から25日の間にクレジットカードを10回不正利用し、106万8000円を消費していた。持ち主から被害届が出され、カード利用情報とガソリンスタンドのカメラの映像からすぐに犯人が割り出された。
合佐毘被告は法廷で次のように語った。
弁護人「詐欺をした気持ちは」
合佐毘被告「しくじったと思っている」
弁護人「どういう意味か」
合佐毘被告「やらなければよかった」
合佐毘被告は他にもクレジットカードを不正利用してパソコンを購入し、転売して現金を得ていた。得た金は飲食費やたばこ代、家賃、光熱費の他、自身のクレジットカードの支払いに充てていたという。タクシー配車係の収入は手取りで月額10万円。65歳の受給開始年齢を前倒しして年金を受け取っており、それを含めると月18万円の収入になる。被害者には月2、3万円ずつ返していくという。
裁判は平日に行われるので、当事者でもない限り、仕事をしている者が法廷を訪れることはない。初めて見る者は、人間が身体拘束されて登場するシーンに驚く。社会科教員らしき傍聴人は熱心に見てメモを取っていた。今は物珍しさが勝っているだろう。公開裁判は、見世物ではなく、司法権力が適切に人を裁いているかを主権者が監視できるようにするためのものだ。生徒たちには、その点を忘れずに伝えてほしい。