「政治」と私たちの向き合い方

経歴
さわだ・だいき 1983年生まれ。福島県出身。琉球大卒、東北大大学院教育学研究科修了。TBSラジオ記者として東日本大震災などを取材。TBSテレビ出向を経て、2018年からTBSラジオ国会担当記者。著書に『ラジオ報道の現場から 声を上げる、声を届ける』(亜紀書房)など。人気ポッドキャスト「セイジドウラク」のパーソナリティー。
「永田町」を異世界のものとして観察する

こんにちは、TBSラジオで国会担当記者をしている澤田大樹です。会津地方の出身で、2018年から8年間、TBSラジオ唯一の専業記者として、政府、省庁、与野党の政治家など幅広く取材しています。
また、学生時代からの友人と趣味を語るように政治について話す「セイジドウラク」というPodcast(ポッドキャスト)番組を配信していて、今年の6月、『永田町の人をウォッチしてみた よくわからない国会議員の仕事』(カンゼン)という本を出版しました。
この本は、政局の裏側を描いたものや政策について書いたもの、あるいは、特定の政治家を礼賛したり、逆に徹底的に批判したりするような濃い味付けの本ではありません。
私がこの本で目指したのは、「政治家という、ちょっと変わった生態系に属する人々の観察記録」ともいうべきものです。いわば、文化人類学のような視点で永田町というムラを外から眺めてみました。
そう思うに至ったのは日々国会や国会議員を取材していて、「政治家とは日々どういうことをしているのか」、「国会とはどういう場なのか」といったことが、国民にほとんど知られていないという問題意識があったことです。国民に関わることについて話し合い、決めているのに、そのことが全く知られていないのは政治家にとっても、国民にとっても、私たちメディアにとっても不幸なことだなと思います。
例えば、国会議員にも質疑と質疑の間に昼休みがあるのですが、1時間の合間に会議があったり、勉強会があったりで昼食を取れる時間はほとんどありません。それゆえ、国会議員たちは驚くほど食べるのが早く、私が同席した議員はもりそば4枚を5分かからずに食べきるほどでした。それゆえ国会では短時間で食べられるそばが人気で、国会の敷地内に3店舗もあったりします。
時間がないことについていえば、本会議中に寝ている議員が映り、非難を浴びることがあります。もちろん、居眠りは褒められたものではありませんが、朝8時から政策について議論する党の部会が始まり、国会の質疑の合間に役所との打ち合わせや支援者らとの面会、修学旅行生の案内といった予定が分刻みで入っており、夜は懇親会が3階建てで入っていて議員宿舎に帰るのは日付が変わるころ……こんなスケジュールを知っていたら、国会議員の見え方が少し変わるかもしれませんし、ちょっと政治に興味が持てるかもしれません。
私は先述した『セイジドウラク』というポッドキャスト番組を選挙ライターの宮原ジェフリーさんと配信しているのですが先ほどのそばの話をはじめ、もっとカジュアルに触れてほしい、政治って面白いんだよという思いで作っていて、多くの方に聴いていただいています。「政治」というと教科書的でつまらないものであったり、あるいは対立をあおったり、裏側を暴露したりなどおどろおどろしいものになりがちですが、「国会ってこんなことを話しているよ」とか「国会議員って超早食いなんだよ」といった日頃政治ニュースでは触れないようなことを入り口に、「政治って面白い」ということを伝えたかったのです。
なぜ政治は「つまらない」&「よく分からない」のか
そもそも、なぜ私がこれほどまでに政治を「面白い」と思い、皆さんにその面白さを伝えたいと考えるようになったのか。
その原体験は、子供の頃にあります。小学生の頃、当時の菅直人厚生大臣がO―157という食中毒の風評被害対策の一環としてカイワレ大根を食べる姿をテレビで見た時でした。当時は、『ビートたけしのTVタックル』や各局のワイドショーなどで、政治を面白おかしく取り上げる番組が数多く放送されていて、菅大臣の姿を「カイワレ大臣」として面白がっていたのです。
政治のニュースや政治家たちの言動を、ちょっと茶化しながら、しかし分かりやすく総まとめにしてくれるコーナーがあり、毎週テレビにかじりつくようにして見ていました。私にとって政治とは、決して「難しくて堅苦しくて、近寄りがたいもの」ではなく、「人間臭くて、ツッコミどころが満載で、見ていて楽しいもの」としてインプットされたのです。
ただ、一般の人から見ると政治は「難しい」「つまらない」「怖い」「よく分からない」といった世界に見えるのではないでしょうか。
その最大の理由は、中にいる政治家や私たちメディアが、「永田町の常識」に慣れきってしまい、異常を異常と感じなくなっていること。そして、私たちメディア側の「報道スタイル」にも大きな責任があります。
報道機関は長年、「法案が成立した」「誰が大臣を辞任した」という「結果」や「次の総理総裁や大臣は誰になる」といった政局ばかりを追いかけ、伝えてきました。
また、政治を取り上げる際も、テレビのニュース番組で1つの政治ニュースに割ける時間は、数十秒から多くても数分程度です。その短い時間の中では、どうしても「結論」や「派手な言い争い」のシーンだけが切り取られがちです。
しかし現実の国会では、例えば大臣や官僚が野党の質問に対して全く答えようとしなかったり、意味不明な答弁を繰り返して時間を潰し、論点をはぐらかすような光景が延々と繰り広げられています。
テレビではカットされてしまうような、こうしたやりとりにこそ、政府の国民に対するスタンスの本質だったりするのですが、あまり報じられません。では、国会の質疑は「つまらない」「よく分からない」ものでしょうか?
実は国会では、テレビ中継されるもの以外にも多い日で10以上の委員会が開かれています。
その中では、新たに作る法律についての立法府としての審議のほかにも、例えば「持っている山林の木を勝手に切られたのだが、どうすればよいのか?」とか「車いす利用者は新幹線を当日予約できないのはどうにかならないのか」といったものすごく生活に根差した問題についてもやり取りされています。
さらに「就職氷河期世代」への支援について当事者として継続的に政府に質し続けている議員がいて、実際に支援が政策として進んだりするところを見ていると、国会という場のダイナミズムを感じることができますし、「国会って大事だよ」と教科書で言われてきたことの意味がよく分かります。
居酒屋で「応援する野球チーム」を語るように
日本では昔から、「居酒屋で政治と宗教と野球の話はタブー」と言われてきました。なぜ、私たちは海外(特に欧米)のように、カジュアルに政治の話ができないのでしょうか。
一つの要因として、「子どものころから家庭で政治について触れてこない」という環境があると思います。私や「セイジドウラク」を一緒にやっている宮原さんの家では、食卓で政治のニュースについて語り合うのがごく当たり前の風景でした。そこでは、「この政党が絶対に正しい」と意見を強制するのではなく、「世の中にはいろんな考え方の人がいるよね」という前提で話がなされていました。
イギリスでは、パブでお酒を飲みながら選挙の開票特番を見るという文化もあると聞きます。日本の場合、政治的立場を表明することが、「私はこういう人間である」ことと一緒くたに捉えられてしまう印象を受けます。そのため、支持政党や政策について意見が異なると、「自分の人格やこれまでの生き方まで否定された」と重く受け止めてしまいやすいのです。そうした衝突を避けるために「居酒屋では政治の話はタブー」という暗黙のルールが形成されてしまったのではないでしょうか。
しかし、私たちはもっと肩の力を抜いて政治に触れることもできるはずです。政治の話は、「推しの野球チームの戦術や、監督の采配についてあーだこーだ分析して楽しむ」くらいの温度感で語っていいのです。そうしたカジュアルな政治談議の土壌を作っていくことが、今の日本には必要だと感じています。
首相を務めた大隈重信は講演の中で「謡いを謡うとか、角力を見るとか、芝居を見に行くというくらいに、政治の趣味がないといけない」、そうした国民の目がないと、「政治家というものは堕落」すると言っています。興味をもって、好きなアイドルやスポーツを語るように政治を見る、そういったことが大事だと考えています。
メディアの多様化と、政治を覆う危うい空気
近年、YouTube(ユーチューブ)などの動画プラットフォームを中心に、政治に関するコンテンツが爆発的に増えています。再生数を見ても非常に多くの方に視聴されており、まさに政治が「エンターテインメント化」「コンテンツ化」している時代と言えます。
これには大きなメリットがあります。動画プラットフォームの存在により、従来のテレビや新聞という既存のメディアを通さずに、記者会見の様子がライブ配信されたり、議員個人の生の声や、記者の解説、皆さんの発信を、関心のある人に直接、スピーディーに届けられるようになりました。
私の取材で言えば、森喜朗氏の会見のノーカット版や、細田博之氏への追跡取材などが、ラジオの放送にとどまらずネットを通じて何十万人という人に見てもらえるようになったのです(※)。ポッドキャストやユーチューブを通じて、国会の制度そのものに興味を持ってくれる層を開拓できたのはメディア、プラットフォームの多様化がもたらした成果です。
※澤田氏は森喜朗氏の女性蔑視発言を会見で鋭く追及したほか、旧統一教会問題やセクハラ疑惑について説明責任を果たさない細田博之氏に対し、50回以上にわたり直撃取材を重ねたことで注目を集めた。


しかし一方で、深刻なデメリットも生じています。それは、「切り取り」と「極端化」の加速です。
SNS、特に百数十文字のテキストや短いショート動画のプラットフォームでは、物事の複雑な背景や前提条件がすべて削ぎ落とされてしまいます。結果として、「いかに相手を鮮やかに論破したか」「いかに過激な言葉で視聴者の怒りを煽るか」という、刺激の強いコンテンツばかりがアルゴリズムによって拡散されています。SNSのなかで政治を語ることによる炎上も起こりやすくなり、「政治を語る=怖いこと」になってしまっています。
拙著に書いた大事なポイントとして、「対立」は国会における見せ場ではないということがあります。国会において最も重要なプロセスは「妥協」と「調整」です。異なる意見を持つ者同士が、ギリギリの線で折り合いをつける。それが本来の政治の役割です。
しかし、こうした面は地味で「映えにくい」こともあり極端化したSNSの空間では、妥協や調整は「裏切り」や「悪」と見なされてしまいます。単純化された善悪二元論と、相手を嘲笑う冷笑主義が跋扈する現状には、強い危機感を覚えます。
加えて私が今、政治の現場で最も懸念しているのは、「耳障りの良いことを言うことだけが評価される空気」です。例えば、「国会改革」や「議員定数の削減」といった言葉は、有権者にとって非常に耳障りが良く、拍手喝采を浴びやすいスローガンです。もちろん無駄を省くことは重要ですが、現在の制度のメリット・デメリットが冷静に整理されないまま、「とにかく減らせばいい、変えればいい」という空気だけで政治が動いていくことには、非常に危ういものを感じています。
県選出国会議員の存在感と役割をどう見るか

こうした政治をめぐる現状を踏まえた上で、私が生まれ育った福島県の皆さんにぜひお伝えしたい視点があります。それは、皆さんが一票を投じて永田町へと送り出した「福島県選出の国会議員」たちの存在感や役割についてです。
福島県は、東日本大震災と原子力災害からの復興という、日本で最も重く複雑な課題を抱え続けている地域です。それに加えて、急激な人口減少や高齢化、産業や都市の空洞化、インフラや公共施設の老朽化など、日本全体が直面する諸課題の「先進県」でもあります。
その福島県から選出された代表である国会議員が国会という場でどんなことをやっているのか。全国ネットの報道では、彼らが華々しく総理大臣に質問するシーンしか流れないかもしれません。しかし、本当に見るべきは、カメラの回っていない場所での彼らの仕事ぶりなのです。選んだ有権者の皆さんにはぜひウォッチしていただきたいです。
県出身者の永田町での働きを伝えるのは福島県のメディアです。まずはメディアを通して働きぶりを見て、もっと知りたくなったらインターネットで国会の質疑には簡単にアクセスできます。さらに興味を持ったら国会や地域での国政報告会に出向いてみるのも一つの関わり方です。これまで思っていた政治とは違った意外な面が見えてくるかもしれません。気づいたことがあったら議員にぜひ直接伝えてみてください。
政治を少し良くするための「大人のスタンス」
最後に、私たちが「政治」というものを少しでも良い方向へ向かわせるために、有権者としてどう向き合えばいいのか。それは、政治家を「神様(完璧な正義)」や「悪魔(絶対的な悪)」として見ないことです。
特定の政治家や政党に熱狂し、「この人たちに任せればすべて解決する」と過度な期待を抱けば、裏切られて絶望することになります。逆に、「あいつらは巨悪だ」と全否定してしまえば、建設的な対話は生まれません。大前提になるのは「自分にとって完璧な政治家は存在しない」ということです。
私が皆さんにお勧めしたいのは、次のようなスタンスです。「期待はしすぎない。だけど、チェックの手は絶対に緩めない」。政治に対して、良い意味でドライになること。過度な熱狂も過度な絶望もせず、彼らの言動やプロセスを「よく観察する」という大人のスタンスを持つこと。選挙の時だけ盛り上がるのではなく、日々の政治を面白がりながらウォッチし続けること。
そうやって有権者が見つめ続けているという事実こそが、結果的に政治家たちの背筋をピンと伸ばさせます。特効薬はありませんが、それこそが、私たちの暮らしや政治を少しずつ良くしていく一番の近道ではないかと、私は信じています。
ぜひ皆さんも、肩の力を抜いて、私と一緒に「永田町」をウォッチしてみませんか。





















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