よこやま・つとむ 河北新報編集部記者。1988年青森県出身。福島総局に2021年4月から24年3月まで赴任。国見町の「企業版ふるさと納税」寄付金還流疑惑を中心になって取材執筆する。一連の報道を基に書き下ろした『過疎ビジネス』(集英社新書、2025年)で第73回菊池寛賞受賞。
福島県“国見町問題”の教訓を生かした宮城県知事選報道
2025年10月の宮城県知事選で、河北新報は投票行動に影響を与えかねないインターネット上の偽・誤情報に対抗する検証報道を展開した。報道企画「かほQチェック」である。事実の文脈を整理・再構成した上で、最終的な評価や判断を読者に委ねる独自の手法をとり、選挙報道の「量的公平」と「質的公平」のあり方を地方から問い直したつもりだ。来年2027年には統一地方選が控えている。経過を振り返りつつ、SNS時代の選挙に向き合う地方紙の報道の今後を考えてみたい。
宮城県知事選に立候補したのは、6選を目指す現職の村井嘉浩氏と、自民党元参院議員の和田政宗氏(現在は東北比例の参政党衆院議員)、立憲民主党元県議の遊佐美由紀氏ら計5人だった。結果は村井氏が34万190票を獲得し、追い上げた和田氏を1万5815票差で振り切り、県政史上最多の6選を果たした。
知事選取材班の一人は、年末回顧連載で当時の状況をこうつづっている。
「無所属新人の和田政宗氏は当時、自民党籍を持ちながら参政と政策覚書を結ぶ戦いに打って出た。神谷宗幣代表は告示後、仙台市中心部に4度も応援演説に入り、おびただしい支持者らが毎回詰めかけた。連携前は数えるほどだった和田氏の聴衆は日を追うごとに増え、SNSでの応援の書き込みも盛り上がりを見せた。リアルとネットの行き来で増幅し、熱狂を生む手法に脅威を感じた」(2025年12月25日河北新報朝刊)
知事選をめぐっては、告示の約1カ月前から県政に関する偽・誤情報がSNS上で広がり始め、告示後は候補者や支援者に対する誹謗中傷が数え切れないほど飛び交った。SNS発で争点化したのは、宮城県が一時検討した後に白紙撤回した土葬墓地整備の問題、許可申請前のメガソーラー建設計画、外資系企業が絡む上下水道運営権の民間委託などだった。
偽・誤情報の広がりは想像以上で、県政に関する断片的な情報が連想ゲームのように結び付き、個々の持論や政治的な主義主張によって解釈された「事実」がSNS上で拡散した。X上では「売国的宮城県知事村井嘉浩の悪行14選」と称する画像が出回り、そこには「外国人労働者大量受け入れ推進」という誇張、「宮城県をザンビアのホームタウンに!」「メガソーラー大歓迎!!」といった捏造が入り交じった。
一つ一つの文言を精査すると全てがフェイクというわけではないのだが、定義の曖昧な「売国」の二文字で束ねると「邪悪な意図」を裏付ける証拠のように見えてくる。SNS上の度を越した罵詈雑言が現実の世界に押し寄せ、選挙戦はかつてなく混沌とした。
急速に進む地方部の人口減少や仙台一極集中といった本質的な県政課題の論戦は深まらなかった。県政界に四半世紀身を置くベテラン県議が「宮城県政史上最悪の選挙」と語るほどの異様な17日間だった。
発端は村井氏と神谷氏の応酬
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誤解なきように、今回の知事選の構図を詳しく説明しておく必要があるだろう。
事の発端は知事選の3カ月前、参政党の神谷宗幣代表が7月の参院選の際に仙台市で行った演説だった。神谷氏は演説で、宮城県による水道事業の民間委託を「外資へ売った」「おかしい宮城県は」などと非難した。反発した村井氏が神谷氏に公開討論を求めるなど、両氏の応酬が過熱した。
村井氏は、演説内容の訂正や公開討論を拒否した神谷氏を「逃げたということ」「非常にがっかりした」と記者会見で当てこすった。神谷氏も黙ってはおらず、河北新報のインタビューで知事選への独自候補擁立を明言し、対立が決定的になった。
参政党は当初、7月の参院選宮城選挙区に立候補して落選した党県連副会長(当時)のローレンス綾子氏を知事選候補として検討していた。同じく7月の参院選で落選した和田氏は、その後しばらく動静が定かではなかったが、9月上旬に自民、参政両党の支持者を含む市民団体から要請を受ける形で知事選立候補を表明した。
和田氏は記者会見で「村井県政でやり切れなかったことを発展につなげ、失敗したことは手直しをして発展させていく」と話し、水道事業の見直しや土葬可能な墓地整備に反対の姿勢を示した。ここで事態が動き出す。
神谷氏は主義主張が近い和田氏の立候補表明を受け、仙台市内で和田氏とローレンス氏の公開討論会を催し、参政党支持者の反応を探る次善策に打って出た。両氏の訴えに大きな違いがないことが浮き彫りになり、参政党はローレンス氏の擁立を見送った。神谷氏にとって和田氏との連携は、村井氏に対抗する上で戦略的な判断だったといえる。
和田氏と参政党が交わした政策覚書には、水道再公営化や「移民」政策への反対、土葬不許可、メガソーラー抑制などが盛り込まれた。参政党の知事選への対応方針は「自主投票」とされたが、日を追うごとに和田氏を全面支援する動きが加速し、和田氏を持ち上げる内容のSNS投稿が急激に増えていった。まるで「推し活」状態だった。
河北新報が2025年10月中のX(旧ツイッター)の知事選関連投稿約5万件をSNS分析ツール「ソーシャルインサイト」で調べたところ、選挙期間中(10月9~25日)の投稿の41.6%が参政党の公式Xアカウントをフォローするユーザーによるものだったと判明した。日別に見ると、投稿全体に占める参政党フォロワーの割合は、参政党の神谷氏が告示後初めて和田氏の応援演説を行った12日の50.1%が最高だった。
分析ツールが推定した発信地の最多は東京都の28.6%で、宮城県の21.6%を7ポイント上回っていた。関東はこの他に神奈川県が6.0%、埼玉、千葉両県が各3.0%。9月の1カ月間のX投稿も調べると、最多発信地は10月と同じ東京都の27.4%で、宮城県からは15.6%にとどまった。前哨戦から首都圏発の投稿が高い割合を占め、参政党公式Xをフォローするユーザーが存在感を示していた。
和田氏を支援した参政党は、直前の参院選で「日本人ファースト」を掲げて躍進した。知事選をめぐるSNS上の投稿の多くもまた、外国人の増加や政治の不作為に対する不満にあふれていた。関心の近い情報が繰り返し表示されやすいSNS空間で怒りの声が増幅し、「いいね」が集まりやすい刺激的なフレーズが跋扈した。
宮城県はベトナム、カンボジア、インドネシアの各政府機関と人材の安定的な受け入れに向けた覚書を交わし、外国人材の県内定着を図ってきた。かねて村井氏は「日本人の若者だけでは(人手が足りず)雇用を賄えない。外国人材に活路を見いだしていくのは当然のこと」と強調していた。参政党が掲げる「移民政策への反対」とは相いれない。
土葬、水道、メガソーラーといった本来は別々の県政課題が、外国人政策への不満、既存政治に対する不信という二軸に絡め取られ、SNS上で膨れ上がった「正義」の矛先が「敵」に向けられた。
村井氏から消えた覇気
「かほQチェック」の集中展開を決めたのは、告示から6日後の10月15日だった。その日の夕刻、沿岸部の岩沼市であった村井氏の個人演説会を先輩記者と筆者で取材した。村井氏の表情には覇気が感じられず、らしくなかった。演説の内容がSNS上に流布された県政に関する誤情報の釈明ばかりであるのも気になった。
居合わせた村井氏の支援県議に話を聞くと、この県議のSNSのコメント欄に「移民に家族を襲撃させたらいい」「(家族を)レイプしてくださいとささげてください」などと書き込まれているのを見せられた。
その場で村井氏の応援演説をした当時の岩沼市長は「マスコミの報道はうそばかり」と聴衆をあおった。公人が理由も語らずに報道機関の信用をおとしめておいて、このようなSNS上のおぞましい中傷や悪質な偽・誤情報には苦言の一つもないのかと、腹が立ったのを覚えている。
5期20年を経た現職の村井氏に対する政策的な批判はあって当然であるし、県民感情を逆なでしてきた行政運営の強引さや多選の弊害は厳しく検証しなければならないが、だからといって言っていいことと悪いことがある。SNS空間の暴走は看過できないレベルにあり、地元紙の我々が見て見ぬふりをするわけにはいかないと、帰りの車中で先輩記者と話し合った。
取材班は告示前から内々に「プランB」の必要性を議論していた。従来型の知事選報道も、記録の継続性を考えれば一定程度必要だが、経験則が全く通用しない「SNS選挙」の局面を想定しておかなければ、いざとなった時に対応できない。SNS分析ツールで得た投稿データを基に「争点」の基礎情報の整理を事前に行い、本番に備えていた。
「一見さん」に優しい記事を
知事選期間中の「かほQチェック」は、2025年10月9日の告示日から10月26日の投開票日までに関連記事を含む計10本を河北新報朝刊紙面と河北新報オンラインに掲載した。日付と見出しは次の通りだ。
▽「土葬」は1.7万回超 宮城県知事選についての「X」投稿 関東からの発信が4割を超える(10月11日)
▽宮城県知事選挙の期日前投票が開始3日間で前回の31倍 なぜ急増?(10月18日)
▽宮城県知事選挙で再び争点「水道みやぎ」導入の経緯って?(10月18日)
▽宮城県知事選挙で話題「土葬墓地」検討撤回の経緯って?(10月19日)
▽「宮城県がメガソーラー大歓迎」は事実誤認 これまでの経緯と対策は?(10月22日)
▽取らぬ狸の皮算用? 宮城県知事選挙の主要3候補「財政論」を点検(10月23日)
▽宮城県知事選挙で誤情報がSNSで拡散中 法令違反に問われる可能性も(10月23日)
▽宮城県知事選でユーチューブ動画氾濫 Xで「虚報」と一緒に拡散中(10月23日)
▽「デマ」あふれる宮城県知事選挙 冷静な投票行動を(10月24日)
▽「次、落とすのはこのドクソ野郎」「売国奴宣言ですね」 一部宮城県議がSNSで誹謗中傷被害(10月25日)
これらの事実検証の報道は、記者の先入観や確証バイアスを排するため二人一組で取材と執筆に当たった。紙面記事とは別にオンライン版限定の詳報記事も用意し、無料で公開した。オンライン版の記事には引用・参照した全ての一次情報へのリンクを付け、第三者が内容を再検証しやすいようにした。
新聞は「既報」の再掲を避けがちだが、過去の掲載記事をリライトした出稿をためらわなかった。日ごろの報道で蓄積した情報に追加取材を加え、「一見さん」に優しい記事を目指した。公正で民主的な論戦は、誰もが共有可能な事実の基盤なしには成り立たないからだ。
淡々と文脈のずれを可視化
「かほQチェック」は、一般的なファクトチェック報道とは少し性質が異なる。個別の言説や主張に対する包括的なレーティング(対象言説に関する真実性・正確性の評価や判定)をあえて行わず、即応性を高めているのが特長だ。

SNS上の文脈の中にある偽・誤情報について、誤りが確認できる点は指摘した上で、事実、主張、解釈の関係を報道の文脈に置き直して整理する。取り上げるテーマは偽・誤情報の拡散の規模やその重大性、現場で得た生の取材実感などを踏まえて決めている。
誰しも自分が信じるものを頭ごなしに否定されれば身構える。とりわけSNS上の政治的な言説には、個々人の信念に根差した感情の発露が多く見られる。単に事実の間違いを突きつけるだけでは反発を招き、社会の分断を深めてしまう。だからこそ、誤った情報を信じて広めた人を責めるのではなく、個別の持論や主義主張の賛否を問うのでもなく、淡々と文脈のずれを可視化した。読者自身が「どう判断するか」を考える基礎材料の提示に徹した。
SNS上の情報は、一つの事実に個別の持論や別の事実、政治的な主義主張が絡み合い、独特の文脈を形成している。切り取られ方や解釈の仕方によって、事実の文脈や意味合いが次々と変化する。そこには、事実の全体像を見失わせ、有権者の判断材料を偏らせる危うさがある。自分と同じ考えの情報ばかりに接する「エコーチェンバー」、好みの情報以外が届かなくなる「フィルターバブル」に陥れば、客観的な事実に基づく冷静な判断が難しくなる。
福島県国見町の「救急車リース事業問題」が土台に
こうした見方や考え方は、今回の知事選で急ごしらえしたものではない。「かほQチェック」は、2024年の兵庫県知事選で問題となったSNS上の偽・誤情報や特定個人に対する誹謗中傷の「二の舞」を防ぐ対策の一つとして、翌2025年の2月に始まった。
兵庫県知事選では、神戸新聞など地元メディアが「真実を報じない現職の敵」とみなされ、攻撃の対象となった。筆を尽くして挽回しようにも相手にされず、冷静な議論の呼びかけは届かず、「オールドメディアの敗北」とまで言われた。1年後に宮城県知事選を控えた河北新報にとって人ごとではない事態で、筆者と当時の担当デスクで検討を重ね、「かほQチェック」の設計思想を固めたのだった。
企画の位置付けは初回記事の中で次のように紹介している。
「インターネット上では『本当かな?』と首をかしげてしまう情報が『事実』としてあふれています。そのような情報の真偽を河北新報記者が確かめて、読者のみなさんに判断してもらうための記事を配信していきます。(タイトルは『河北新報が世の中のクエスチョン(疑問)をチェックするコーナー』の略称です)」(2025年2月19日「河北新報オンライン」で配信)
設計の下敷きとしたのは、筆者が2023年から断続的に報じた福島県国見町の「救急車リース事業問題」で学んだ手法だった。事案の説明は割愛するが、要はその国見町問題を取材する過程で虚実入り交じる町執行部の説明に手を焼き、「ファクトチェック」の方法論を調べて実践しようとしたことが、後に「かほQチェック」を考案する土台となった。
当時参考にしたのは、元NHK記者の立岩陽一郎氏と弁護士の楊井人文氏による共著『ファクトチェックとは何か』(岩波ブックレット、2018年)だった。基本ルールから国際的な潮流まで端的にまとめられており、ファクトチェックの特徴として「ある言説内容が真(True)/正確(Correct)なのか偽(False)/不正確(Incorrect)なのかを評定する機能」を挙げている。いわゆる事実関係の判定、レーティングだ。
国見町問題の取材当時、実はこのレーティングの設計にハードルを感じて本格的な導入を見送った。国内でファクトチェックの普及・推進に取り組む非営利団体FIJ(ファクトチェック・イニシアティブ)のガイドラインによれば、レーティングの発表自体は必須とされていないが、実施する場合は判定基準を明確にした上で対外的に示す必要がある。
レーティングの基準を曖昧にしたまま企画をスタートさせ、判定の恣意性を疑われては元も子もない。そもそも新聞社が事実を「判定」して示すことが、自分たちの読者の判断を助ける最良の方法なのか、という疑問もあった。結局、町執行部の説明と取材結果の相違を整理したQ&A仕立ての記事を「ファクトチェック風」と称してまとめた経緯があった。
この時の経験から、読者の顔を想像しながら報道する大切さを実感した。報道に期待されるのは、真偽を判定すること以上に、散らばった事実関係を整理し、議論の前提となる文脈を示すことではないか、と考えたのだった。
選挙報道には「量的公平性」だけでなく「質的公平性」を
2024年の兵庫県知事選を経て、選挙報道は「量的公平」にとどまらない「質的公平」をどう確保するかが課題となっていた。量的公平とは、新聞なら行数、テレビなら放送時間の秒数など、候補者間の扱いの「量」をできる限り均衡させる考え方だ。それは候補者に対して説明しやすい「公平」ではあるが、過度になれば脱色された無味乾燥のカタログ的な報道になり、有権者の判断に必要な情報が必ずしも提供されるとは限らない。
対して、ここでいう質的公平は、候補者への扱いを機械的に均等にするのではなく、有権者が投票先を判断するために必要な情報を、その内容が特定の候補者に有利か不利かにかかわらず積極的に報じる立場をとる。誰もがスマートフォンを持ち、親指一つで情報を発信できる時代だ。選挙報道には「量」の均衡だけではなく、有権者の判断に必要な事実を見極めて掘り下げる「質」が求められる。
この「量」と「質」のあり方は、兵庫県知事選以前から続く選挙報道の懸案だった。放送倫理・番組向上機構(BPO)は2017年に公表した「2016年の選挙をめぐるテレビ放送についての意見」で次の通り言及している。
「選挙に関する報道と評論に編集の自由が保障されている以上は、求められる『公平性』は『量的公平性(形式的公平性)』ではありえず、必然的に『質的公平性(実質的公平性)』となる。すなわち、選挙に関する報道と評論については、政策の内容、問題点、候補者の資質への疑問など有権者の選択に必要な情報を伝えるために、どの政党に対してであれ、どの候補者についてであれ、取材で知り得た事実を偏りなく報道し、明確な論拠に基づく評論をするという姿勢こそが求められる」(2017年2月7日放送倫理検証委員会決定第25号)
この意見は、2016年に行われた参院選と東京都知事選の報道に際し「真の争点に焦点を合わせて、各政党・立候補者の主張の違いとその評価を浮き彫りにする挑戦的な番組が目立たなかった」ことに苦言を呈したものだった。あくまで放送を対象とする意見だが、新聞の選挙報道を考える上でも示唆的だ。
敵味方に分ける空気に「水を差す」
しかし、その後もテレビや新聞では量的公平を重視する選挙報道が続き、兵庫県知事選で有権者のメディア不信が顕在化した。現職だった斎藤元彦氏が告発文書問題をめぐる県議会の不信任決議を受けて失職し、出直し選に臨んだのだが、地元メディアの選挙期間中の報道はいつも通り量的公平を意識して慎重だった。その情報の空白を埋めるかのように、大量の真偽不明の情報がSNS上で拡散した。
SNS上を飛び交う政治的な言説は、しばしば一貫性を欠く。言葉の定義や意味内容の移り変わりが激しく、矛盾に満ちている。情報の確からしさは「誰が言ったか」「どちら側の人間か」といった敵味方の関係性や「いいね」の多寡で判断されがちで、裏付けの有無や確からしさはいちいち吟味されない。選挙報道における質的公平の実践は、そんな敵味方に二分された空気に水を差す試みでもある。
「かほQチェック」が選挙以外で取り上げる個別テーマの選定は、SNS上の関心の高まりやニュース性を加味して柔軟に行っている。例えば、選択的夫婦別姓と旧姓の通称使用法制化に関する議論を整理した記事(2025年4月1日掲載)や、「日本国国章損壊罪」の制定を巡る議論に引き付けて「外国国章損壊罪」の制定経緯や内容を調べた記事(2026年5月3日掲載)などがある。
いずれのテーマもSNS上で賛否がぶつかり合い、立場ありきのポジショントークに終始しがちだ。意見の違いは民主主義社会の前提だが、検証可能な事実関係を共有した上での違いでなければ、決して噛み合うことのない不毛な議論になる。条件反射で敵味方のレッテルを貼り、どちらかを叩きつぶすまで終わらない罵倒合戦が続く。主張の異なる者同士の合意形成は、その糸口すら見えなくなる。
SNS上で増幅された「正義」と「真実」が政策論争を押しのけ、選挙の帰趨にまで影響しかねない状況を、民主主義社会はどこまで許容できるのか。政治的な価値観は人によって異なっていいが、主語の大きな大義名分に自らを重ね、敵味方を一方的に選別して、味方の語る言葉こそが正義であり真実であると無批判に受け入れるのは、どう考えても危うい。
方向性と手法を不断に見直し、より良い報道目指す
知事選終了後の2025年12月にNHK放送文化研究所が実施したインターネット調査では、実際に投票した人の29%が「かほQチェック」の記事に接したと回答し、年代別では18~29歳が48%と最も多かった。投票行動への影響を尋ねると、記事を見聞きした人のうち50%が「影響した」と答えた。読者への判断材料の提供に徹した記事が一定の層に届き、投票判断に何らかの影響を与えた可能性が示されたものの、このアプローチが絶対の正解ではないことは強調しておきたい。
人を否定せず、欠落した事実の文脈を補い、情報の受け手の不安や切実さに目を配りながら、判断の土台を整える。これがSNS時代の選挙報道の理想の一つであると筆者は考えるが、理想を過度に信じて押し付けてしまっては、味方以外の主張を受け入れず敵をひたすらおとしめるSNSの言説と大して変わらない。批判があれば真摯に受け止め、方向性と手法を不断に見直し、より良い報道の形を目指す営みを続けなければならない。
安易に答えを導き出せない課題が山ほどある。例えば、検証テーマの選定について説明責任をどう果たすか。偽・誤情報の存在に記事で触れることで、逆にその偽・誤情報を知らなかった人にまで拡散してしまう問題もある。速報性と検証精度をどう両立させるか。新聞社の情報発信に関心がない層にどう歩み寄れるのか。「量的公平」には行数や秒数という尺度があるが、「質的公平」にはそれがない。何を見て何を検証するのかという編集判断そのものが、新たな公平性の問題になる。
取材で積み重ねた地域の文脈をつなぎ直す
知事選期間中、X上には「デマではなく村井に不都合な真実」「この記事こそがデマ、印象操作」といった河北新報への批判があった一方、積極的な報道を評価する声も県内外から多く寄せられた。一連の「かほQチェック」の是非もまた読者の判断に委ねたいが、少なくとも今回の「SNS選挙」を座して静観する選択肢はなかった。地域に支えられて紙齢を重ねてきた地元紙の存在意義に関わるからだ。
知事選報道を経て河北新報は今年、主に宮城県内の首長選の候補者を招いて政策を問うネット討論番組「かほQライブ」を新たにスタートさせた。知事選時も取材班で活躍した筆者の同僚が企画運営を手がけている。一般的に公開討論会は告示前に実施することがほとんどだが、「かほQライブ」は有権者の関心が高まる告示後の実施を基本とする。
これも「かほQチェック」と同様に、SNSで選挙情報を入手するのが当たり前の時代にあって、地元紙が責任を持って有権者に必要な判断材料を適切に届ける狙いがある。初回は今年7月12日投開票の柴田町長選で実施し、2人の候補者に解決したい地域課題や自らが思い描く町の将来図を語ってもらった。まだ手探りだが、今後は選挙以外のテーマでも討論を企画し、テキスト報道だけでは伝えきれない情報を補うコンテンツに育てたいと考えている。
SNSのユーザーは地続きの現実社会に暮らす生身の人間だ。バズも炎上もデジタル世界の空騒ぎと決めつけて無視していては、もはや地域社会で起きている変化を捉えきれなくなっている。日ごろ接する地域の読者の顔を思い浮かべられるのは地方紙の強みだが、新聞読者が減り続けている昨今、今まで通りの報道手法を正当化するのは違うだろう。
地方自治は「民主主義の学校」と言われる。地域の課題を知り、譲歩や妥協の必要を学び、知恵を出し合って自分たちの地域を自分たちで守り支えていく民主的なプロセスが、ひいては社会全体のあるべき姿を見いだすことにつながる。大げさではなく、地方自治は自由で平等な民主主義社会の土台を支えている。
その根幹をなす選挙において、報道に期待される仕事は何なのか、初心に立ち返って考え直す必要がある。SNSによって事実が断片化される時代に、地元紙が取材で積み重ねた地域の文脈をつなぎ直し、共有可能な事実の基盤を読者に返せるかが問われている。





















に向けて掲げられたプラカード。過激な言葉が並んだ=2025年10月19日、仙台市青葉区河北新報提供-002_eyecatch-520x305.jpg)



