• 元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    集会の様子  「ノーモア原発公害裁判の勝利を目指す宮城県民集会」が11月25日に仙台市で行われた。  「宮城県民集会」と謳っているが、いわき市民訴訟、浪江町津島訴訟、川俣町山木屋訴訟など、福島県内の原発賠償集団訴訟の原告メンバーなどが多数参加した。集会では、それら集団訴訟に加え、女川原発再稼働差し止め訴訟、子ども被ばく訴訟、みやぎ訴訟、山形訴訟などの現状報告や、意見・情報交換が行われた。  現在、それら訴訟の多くは仙台高裁での二審に移っており、仙台高裁からほど近い「仙台市戦災復興記念館」を会場に行われた同集会には、約100人が参加した。  同集会の目玉企画は、元裁判官の樋口英明氏の記念講演。樋口氏は1952年生まれ。三重県出身。大阪、名古屋などの地裁・家裁などの判事補・判事を経て、2012年から福井地裁判事部総括判事を務めた。同職時代の2014年5月、福井県大飯原発の周辺住民が申し立てた関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止め訴訟で、運転差し止めを命じる判決を下した。さらに2015年4月、関西電力高浜原発についても、周辺住民らの仮処分申し立てを認め、同原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出した。その後、名古屋家裁に異動となり、2017年に定年退官した。 『私が原発を止めた理由』(旬報社)などの著書でも知られる。  樋口氏は講演で「私自身、3・11までは原発に無関心だった。安全だと思い込んでいた」と語った。  加えて、樋口氏は「原発問題は先入観のかたまり」とも。国の監督官庁がしっかりやっているだろう、電力会社がきちんとしているだろう、と。そして何より、「われわれ素人に分かるはずがない難しいものだ」という先入観。  しかし、原発問題の本質は以下の2つしかないという。  ○人が管理し続けなければならない(止める、冷やす、閉じ込める)。  ○人が管理できなくなったときの事故、それに伴う被害は想像を絶するほど大きい。  「例えば、家電製品や自動車であれば、何かトラブルがあったら使用をやめればいい。その後、管理し続ける必要はない。自動車であれば、路肩に止めてJAFでも呼べばいい。原発はそうはいかない。止めた後も管理し続けなければならない。(前出の例と)似ているもので言うと飛行機。飛行中にトラブルがあり、ただ単にエンジンを止めただけでは大きな事故になる。その後の対応が必要になる。原発も同様」 樋口英明氏  原発を管理し続けるには、電気と水が必要になるが、大きな地震が発生した場合、停電や断水の恐れが生じる。そういった点から、「原発が大地震に耐えられるかどうか。その本質が分かったから、あの(原発運転差し止めを認める)判決を書いた」という。  樋口氏は、「原発は国家防衛上の弱点になる」、「自国に向けられた核兵器である」とも述べた。  このほか、生業訴訟など4件の集団訴訟に対する国の責任を認定しなかった最高裁判決(今年6月17日)についても解説した。  講演後は質疑応答の時間が設けられ、出席者らは樋口氏に聞きたいことを聞いて理解を深めた。

  • 小野町「特養暴行死」裁判リポート【つつじの里】

    小野町「特養暴行死」裁判リポート【つつじの里】

     小野町の特別養護老人ホームで昨年10月、入所者の94歳女性に暴行を加え死なせたとして傷害致死罪に問われていた元介護福祉士の男の裁判員裁判で、地裁郡山支部は懲役8年(求刑懲役8年)を言い渡した。男は「暴行はしていない」と無罪を主張。裁判とは別に特別監査をした町や県は、死亡原因を暴行と結論付けていた。裁判所は司法解剖の結果や男の暴行以外に死亡する可能性があり得ないことを認定し、有罪となった。法廷で男は、死亡した女性の息子から代理人を通じて「介護士として母の死に思うことはあるか」と問われ、「分からない」や無言を貫き通した。 被害者の最期を語らなかった被告 冨沢伸一被告 特別養護老人ホーム「つつじの里」  事件は昨年10月8日夜から翌9日早朝までの間に発生。小野町谷津作の特別養護老人ホーム「つつじの里」に勤める介護福祉士の冨沢伸一被告(42)=小野町字和名田下落合=が入所者の植田タミ子さん(当時94)を暴行の末、出血性ショックで死なせた。  発覚に至る経緯は次の通り。第一発見者の冨沢被告が同施設の看護師に連絡し、町内の嘱託医が「老衰」と診断、遺体を遺族に渡した。不審に思った施設関係者が警察に通報し、同11日に司法解剖を行った結果、下腹部など広範囲に複数のあざや皮下出血が見つかったことから、死因が外傷性の出血性ショックに変わった。事件発生から2カ月後の同12月7日に冨沢被告は殺人容疑で逮捕。傷害致死罪に問われた。  事件発覚後の昨年12月以降、町は県と合同で同施設に特別監査を計7回実施し、冨沢被告が腹部を圧迫する身体的虐待を行い、死亡させたと認定していた。同施設を2024年4月18日まで6カ月間の新規利用者受け入れ停止の処分とした。特別監査では別の職員が入所者に怒鳴る心理的虐待も確認。同法人の予防策は一時的で、介護を放棄している状態にあったとした(10月20日付福島民報より)。  行政処分上は冨沢被告による暴行が認定されたが、刑罰を与えるのに必要な事実の証明はまた別で、立証のハードルはより高い。冨沢被告は地裁郡山支部で行われた裁判員裁判で「暴行はしていない」と無罪を主張。弁護側は植田さんが具体的にどのような方法でけがをして亡くなったかは明らかでなく、立証できない以上無罪と、裁判員に推定無罪の原則を強調した。  冨沢被告は高校卒業後に郡山市内の専門学校で介護を学び、卒業後に介護福祉士として複数の施設に勤務してきた。暴行死事件を起こしたつつじの里には、開所と同時期の2019年10月1日から働き始めた。つつじの里は全室個室で約10床ずつ三つのユニットに分かれ定員29床。社会福祉法人かがやき福祉会(小野町、山田正昭理事長)が運営する。 入所者が暴行死したつつじの里のユニット(同施設ホームページより)  冨沢被告は職員の勤務調整や指導などを行うユニットリーダーだった。事件が起こった夜は2人態勢で、冨沢被告は夕方4時から朝9時まで割り当てられたユニットを1人で担当した。  暴行死した植田さんは2021年6月に入所した。自力で立って歩くことが困難で、床に尻を付いて手の力を使って歩いたり、車椅子に乗ったりして移動していた。転倒してけがを防止するため床に敷いたマットレスに寝ていた。  植田さんは心臓にペースメーカーを入れていた。事件3日前も病院で診察を受けたが体調は良好で、事件当日は朝、昼、晩と完食していた。それだけに、一晩での死亡は急だった。この時間帯に異変を目撃できた人物は冨沢被告しかいない。以下は法廷で明かされた植田さんのペースメーカーの記録や居室前廊下のカメラ映像、同僚の証言を基に記述する。  事件があった昨年10月8日の午後3時半ごろ、冨沢被告が出勤する。植田さんを車椅子に乗せ食堂で夕食を食べさせた冨沢被告は、午後6時半ごろに居室に連れ帰った。9日午前0時20分ごろにペースメーカーが心電図を記録していた。心電図は波形の異常を検知した時だけ記録する仕組みになっていた。同4時38分に心電図の波が消失するまでの間に冨沢被告は2回、食堂に車椅子で運び、28回居室に入った。午前3時38分、冨沢被告は「顔色不良、BEエラー」と植田さんの容体の異常を日誌に記録。4時38分に心電図の波が消失後、施設の准看護士に電話で相談した。准看護士は「俺もうダメかも知れない」との発言を聞いた。  同5時14分には別のユニットに勤務していた同僚に報告。さらに別の同僚は、冨沢被告から「警察に捕まってしまうかもしれない」と言われたという。 指さした先にいた犯人  施設の嘱託医は「老衰」と診断した。不審に思った施設関係者が警察に通報し、事件の発覚に至った。通報があったということは、冨沢被告は疑われていたということだ。裁判には施設の介護士が出廷し、昨年春ごろに植田さんの手の甲にあざがあり、虐待を疑って施設に報告していたことを証言した。  この介護士が入所者や職員が集まる食堂で植田さんの手の甲を見ると、大きなあざがあったという。口ごもる植田さんに「どうしたの」と問うとしばらく答えなかった後、「自分ではやっていない」。そして「やられた」と言った。「誰に」と問うと「男」。ちょうど食堂に男性職員2人が入ってきた。「あそこにいるか」と問うと「いない」。冨沢被告が入ってきた。介護士は同じように植田さんに聞いたが怖がっている様子で、それ以上話そうとしなかった。植田さんに介護士自身の手を持たせ、けがをさせた人物を指すように言うと冨沢被告を指した。介護士はすぐに上司に報告した。  本誌1月号「容疑者の素行を見過ごした運営法人」では、内情を知る人物の話として、2021年春ごろに冨沢被告が担当していた別の入所者の腕にあざが見つかったこと、職員が冨沢被告の問題点を上司に告げても施設側は真摯に聞き入れず、冨沢被告に口頭注意するのみだったことを報じている。運営状況に嫌気を指した職員数人が一斉に退職したこともあったという。町と県の特別監査では、冨沢被告とは別の職員による心理的虐待があり、予防策がその場限りであったことを認定した。  運営法人が冨沢被告ら職員による虐待の報告を放置していたことが今回の暴行死につながった。さらには嘱託医による「老衰診断」も重なり、通報がなければ事件が闇に葬られるところだった。  植田さんの親族4人は冨沢被告と施設運営者のかがやき福祉会に計約4975万円の損害賠償を求め、5月22日付で提訴している(福島民友11月7日付)。  傷害致死罪を問う裁判では植田さんの長男が厳罰を求める意見陳述をした。  《亡くなる3日前、母のために洋服を買いました。母は自分で選び、とても喜んで「ありがとう」と言いました。私たちは母にまた会うのを楽しみに別れました。そのやり取りが最後でした。10月9日、新しい服に腕を通すことなく亡くなりました。あんなに元気なのに信じられなかった。  天寿なのだと思い、信じられない気持ちを納得しようとしました。死んだ本当の原因を聞いた時は今まで感じたことのない怒りと憎しみで胸がいっぱいでした。信じていた介護士に暴力を振るわれて亡くなった。遺体を見ると足の裏まであざ。見るに堪えません。母は被告人に殴られたり怒られたりするのが怖くて助けを求めることができなかったと思います。最後に会った時、私は母の手にあざを見つけどうしたのと聞きましたが、母は教えてくれませんでした。気づいていれば亡くなることはなかったのではと悔やみ申し訳なく思っています。  介護士はお年寄りに優しくし、できないことをできるように助けになるのが仕事ではないでしょうか。なぜ暴力を振るい母を殺めたのか。施設と介護士を信用していたのに、被告人は信頼を裏切って助けを求められない母を殺めた。母は助けとなるべき介護士に絶望し、苦しみながら死んだ。私たち家族は被告人を到底許すことはできません。できうる限りの重い刑罰を求めます。できるなら生前の元気な母にもう一度会いたい》 「亡くなったことはショック」  法廷で遺族は弁護士を通じて、冨沢被告に質問した。その答えは「分からない」や無言が多かった。傍聴席からは植田さんの写真が見守っていた。 遺族代理人「植田さんはなぜ亡くなったと思う?」 冨沢被告「詳しくは分からない」 遺族代理人「事故で亡くなったとか具体的なことは分かるか」 冨沢被告「転倒はしていないと思う。それ以外は分からない」 遺族代理人「介護を担当していた時間に何かが起こって亡くなったのは間違いないか」 冨沢被告「はい」 遺族代理人「自分が担当していた時間に植田さんが亡くなったことについて思うことはあるか」 冨沢被告「分からない」 遺族代理人「分からないというのは自分の気持ちが?」 冨沢被告「思い当たる件がです」 遺族代理人「今聞いているのは亡くなった原因ではなく、あなたの感情についてです」 冨沢被告「亡くなったことについてショックを受けている」 遺族代理人「担当中に亡くなったわけで、監督が足りないと思うことはあったか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「午前3時半ごろ容体が急変した。救急車や看護師を呼ばなかったことに後悔はなかったか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「分からないんですね。遺族に申し上げたいことはあるか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「特にはないということですか」 冨沢被告「はい」  自らに不利益なことを証言しない権利はある。だが、亡くなった植田さんの最も近くにいて、その容体を把握していたのは冨沢被告しかいない。判決が出た後、被害者の最期を何らかの形で遺族に伝えるのが介護士としての責務ではないか。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人

  • 裁判で分かった県工事贈収賄事件の動機【赤羽組】【東日本緑化工業】

    裁判で分かった福島県工事贈収賄事件の動機【赤羽組】【東日本緑化工業】

     県発注工事をめぐる贈収賄・入札妨害は氷山の一角だ。裁判では、他の県職員や業者の関与もほのめかされた。非公開の設計金額を教える見返りに接待や現金を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われている県土木部職員は容疑を全面的に認める一方、「昔は業者との飲食が厳しくなかった」「手抜き工事が横行していた時代に、信頼と実績のある業者に頼むためだった」と先輩から受け継がれた習慣を赤裸々に語った。 県職員間で受け継がれる業者との親密関係 須賀川市にある赤羽組の事務所 郡山市にある東日本緑化工業の事務所  受託収賄、公契約関係競売入札妨害の罪に問われているのは、県中流域下水道建設事務所建設課主任主査(休職中)の遠藤英司氏(60)=郡山市。須賀川市の土木会社・㈱赤羽組社長の赤羽隆氏(69)は贈賄罪に、大熊町の土木会社・東日本緑化工業㈱社長の坂田紀幸氏(53)は公契約関係競売入札妨害の罪に問われている(業者の肩書は逮捕当時)。 競争入札の公平性を保つために非公開にしている設計金額=入札予定価格を、県発注工事の受注業者が仲の良い県職員に頼んで教えてもらったという点で赤羽氏と坂田氏が犯した罪は同じ入札不正だが、業者が行った接待が賄賂と認められるかどうか、県職員から得た情報を自社が元請けに入るために使ったかどうかで問われた罪が異なる。 以下、7月21日に開かれた赤羽氏の初公判と、同26日に開かれた遠藤氏の初公判をもとに書き進める。 赤羽組前社長の赤羽氏は贈賄罪に問われている。赤羽氏と遠藤氏の付き合いは34年前にさかのぼる。遠藤氏は高校卒業後の1982年に土木職の技術者として県庁に入庁。89年に郡山建設事務所(現県中建設事務所)で赤羽組が受注した工事の現場監督員をしている時に赤羽氏と知り合う。互いに相手の仕事ぶりに尊敬の念を覚えた。両氏は9歳違いだったが馬が合い、赤羽氏は遠藤氏を弟のようにかわいがり、遠藤氏も赤羽氏を兄のように慕っていたとそれぞれ法廷で語っている。赤羽氏の誘いで飲食をする関係になり、2011年からは2、3カ月に1回の割合で飲みに行く仲になった。「兄貴分」の赤羽氏が全額奢った。 遠藤氏によると、30年前はまだ受注業者と担当職員の飲食はありふれていたという。その時の感覚が抜けきれなかったのだろうか。遠藤氏は妻に「業者の人と一緒に飲みに行ってまずくないのか」と聞かれ、「許容範囲であれば問題ない」と答えている。(法廷での妻の証言) 赤羽氏は2014年ごろから、遠藤氏に設計金額の積算の基となる非公開の資材単価情報を聞くようになり、次第に工事の設計金額も教えてほしいと求めるようになった。赤羽組は3人がかりで積算をしていたが、札入れの最終金額は赤羽氏1人で決めていた。赤羽氏は法廷で「競争相手がいる場合、どの程度まで金額を上げても大丈夫か、きちんとした設計金額を知らないと競り勝てない」と動機を述べた。 2018年6月ごろから22年8月ごろの間に郡山駅前で2人で飲食し、赤羽氏が計18万円ほどを全額払ったことが「設計金額などを教えた見返り」と捉えられ、贈賄に問われている。 2021年4月に赤羽氏は郡山駅前のスナックで遠藤氏に「退職したら『後継者』確保に使ってほしい」と現金10万円を渡した。「後継者」とは、入札に関わる情報を教えてくれる県職員のこと。遠藤氏は現金を受け取るのはさすがにまずいと思い、断る素振りを見せたが、これまで築いた関係を壊したくないと、受け取って自宅に保管していたという。これが受託収賄罪に問われた。遠藤氏は県庁を退職後に、赤羽組に再就職することが「内定」していた。 もともと両者の間に現金の授受はなかったが、一緒に飲食し絆が深まると、個人的な信頼関係を失いたくないと金銭の供与を断れなくなる。昨今検挙が盛んな「小物」の贈収賄事件に共通する動機だ。検察側は赤羽氏に懲役1年、遠藤氏には懲役2年と追徴金約18万円、現金10万円の没収を求刑しており、判決は福島地裁でそれぞれ8月21日、同22日に言い渡される。 公契約関係競売入札妨害の罪に問われている東日本緑化工業の坂田氏の初公判は8月16日午後1時半から同地裁で行われる予定だ。 本誌7月号記事「収まらない県職員贈収賄事件」では、坂田氏についてある法面業者がこう語っていた。 「もともとは郡山市の福島グリーン開発㈱に勤めていたが、同社が2003年に破産宣告を受けると、㈲ジープランドという会社を興し社長に就いた。同社は法面工事の下請けが専門で、東日本緑化工業の千葉幸生代表とは県法面保護協会の集まりなどを通じて接点が生まれ、その後、営業・入札担当として同社に移籍したと聞いている。一族の人間を差し置いて社長を任されたくらいなので、千葉代表からそれなりの信頼を得ていたのでしょう」 元請けは秀和建設  7月26日の遠藤氏の公判では、坂田氏が2004年に東日本緑化工業に入社したと明かされた。遠藤氏とは1999年か2000年ごろ、当時勤めていた法面業者の工事で知り会ったという。遠藤氏はあぶくま高原道路管理事務所に勤務しており、何回か飲食に行く仲となった。 坂田氏は2012年ごろ、秀和建設(田村市)の取締役から公共工事を思うように落札できないと相談を受け、遠藤氏とは別の県職員から設計金額を教えてもらうようになる。その県職員から、遠藤氏は15年ごろにバトンタッチされ、引き続き設計金額を教えていた。それを基に秀和建設が工事を落札し、下請けに東日本緑化工業が常に入ることを考えていたと、坂田氏は検察への供述で明かしている。坂田氏は秀和建設以外の業者にも予定価格を教えることがあったという。 遠藤氏は、坂田氏に教えた情報が別の業者に流れていることに気付いていた。坂田氏が聞いてきたのは田村市内の道路改良工事で、法面業者である東日本緑化工業が元請けになるような工事ではなかったからだ。同社は大規模な工事を下請けに発注するために必要な特定建設業の許可を持っていなかった。 「聞いてどうするのか」と尋ねると、坂田氏は「いろいろあってな」。遠藤氏は悩んだが、「田村市内の業者が受注調整に使うのだろう」と想像し教えた。 前出・法面業者は「坂田氏は、遠藤氏から得た入札情報を他社に教えて落札させ、自分はその会社の下請けに入り仕事を得る仕組みを思いついた。東日本緑化工業の得意先は県内の法面業者ばかりなので、その中のどこかが不正に加担したんだと思います」と述べていた。この法面業者の見立ては正しかったわけだ。 坂田氏は年に数回、設計金額を聞いてきたという。そんな坂田氏を、遠藤氏は「情報通として業界内での立場を強めていた」と見ていた。 ここで重要なのは、不正入札に加担していたのが秀和建設と判明したことだ。同社の元社長は、昨年発覚した田村市発注工事の入札を巡る贈収賄事件で今年1月に贈賄で有罪判決を受けている。 今回の県工事贈収賄・入札妨害事件は、任意の捜査が始まったのが3月ごろ。県警は田村市の事件で秀和建設元社長を取り調べした段階で、次は同社の下請けに入っていた東日本緑化工業と県職員と狙いを付けていたのだろう。11年前には既に遠藤氏とは別の県職員が設計金額を教えていた。坂田氏も別の業者に教えていたということは、入札不正が氷山の一角に過ぎないこと分かる。思い当たるベテラン県職員は戦々恐々としているだろう。 あわせて読みたい 収まらない福島県職員贈収賄事件【赤羽組】【東日本緑化工業】

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

    女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

    裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

     本誌2019年11月号に「大熊町議の暴言に憤る町民」という記事を掲載した。大熊町から県外に避難している住民が、議員から暴言を受けたとして、議会に懲罰を求めたことをリポートしたもの。その後、この件は裁判に発展していたことが分かった。一方で、この問題は単なる「議員と住民のトラブル」では片付けられない側面がある。 根底に避難住民の微妙な心理 大熊町役場  最初に、問題の発端・経過について簡単に説明する。 2019年11月号記事掲載の数年前、大熊町から茨城県に避難しているAさんは、町がいわき市で開催した住民懇談会に参加した。当時、同町は原発事故の影響で全町避難が続いており、今後の復興のあり方などについて、町民の意見を聞く場が設けられたのである。Aさんはその席で、渡辺利綱町長(当時)に、帰還困難区域の将来的な対応について質問した。 Aさんによると、その途中で後に町議会議員となる佐藤照彦氏がAさんの質問を遮るように割って入り、「町長が10年後のことまで分かるわけない」、「私は(居住制限区域に指定されている)大川原地区に帰れるときが来たら、いち早く帰りたいと思うし、町長には、大川原地区の除染だけではなく、さらに大熊町全域にわたり、除染を行ってもらいたい」旨の発言をしたのだという。 当時は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、2015年11月の町議選に立候補した。定数12に現職10人、新人3人が立候補した同町議選で、佐藤氏は432票を獲得、3番目の得票で初当選し、2019年に2回目の当選を果たしている。 【佐藤照彦】大熊町議(引用:議会だより)  一方、2019年4月10日に、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区の避難指示が解除された。 そんな経過があり、同年9月、Aさんは佐藤議員に対して過去の発言を質した。Aさんによると、そのときのやり取りは以下のようなものだった。 Aさん「以前の説明会で『戻れるようになったら戻る』と話していたが、なぜ戻らないのか」 佐藤議員「そんなことは言っていない。帰りたい気持ちはある」 Aさん「説明会であのように明言しておきながら、議員としての責任はないのか」 佐藤議員「状況が変わった」 そんな問答の中で、Aさんは佐藤議員からこんな言葉を浴びせられたのだという。 「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」 住民懇談会の際は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、公職(議員)に就いたこと、2019年4月10日に、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除されたことから、佐藤議員に帰還意向などの今後の対応を聞いたところ、暴言を吐かれたというのだ。 Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」と憤り、同年9月24日付で、鈴木幸一議長(当時)に「大熊町議会議員佐藤照彦氏の暴言に対する懲罰責任及び謝罪文の要求」という文書を出した。 そこには、佐藤議員から「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれたことに加え、「県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外避難している住民に対する排他的発言です」などと記されていた。 Aさんによると、その後、鈴木議長から口頭で「要求文」への回答があったという。 「内容は『発言自体は本人も認めているが、議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した』というものでした」(Aさん) 当時、本誌が議会事務局に確認したところ、次のような説明だった。 「(Aさんからの)懲罰等の要求を受け、議会運営委員会で協議した結果、議会外のことのため、懲罰等は難しいという判断になり、当人(佐藤議員)には、自分の発言には責任を持って対応するように、といった注意がありました。そのことを議長(当時)から、(Aさんに)お伝えしています」 ちなみに、鈴木議長はこの直後に同年11月の町長選に立候補するために議員を辞職した。そのため、以降のこの件は松永秀篤副議長がAさんへの説明などの対応をした。 一方、佐藤議員は当時の本誌取材にこうコメントした。 「議会開会時に(議場の外の)廊下で(Aさんに)会い、私に『帰ると言っていたのに』ということを質したかったようです。私は『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えました。それが真意です。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』ということを言っていますが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない。それは町民の方も理解していると思います」 弁護士から通告書  Aさんは「暴言を吐かれた」と言い、佐藤議員は「『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』と伝えたのであって、県外避難者を侮辱するようなことを言うはずがない」と主張する。 両者の言い分に食い違いがあり、本来であれば、佐藤議員からAさんに「誤解が招くような言い方だったとするなら申し訳なかった」旨を伝えれば、それで終わりになった可能性が高い。 ところが、その後、この問題は佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求めて訴訟を起こす事態に発展した。 その前段として、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届いた。 そこには、①「あんたら県外にいる人間には言われる筋合いはない」との発言はしていない、②Aさんは佐藤議員に対して謝罪を求める行為をしているが、そもそも前述の発言はしていないので、謝罪要求に応じる義務がないし、応じるつもりもない、③今後は佐藤議員に直接接触せず、代理人弁護士を通すこと――等々が記されていた。 「懲罰請求に対して、鈴木議長から回答があった数日後、松永副議長から電話があり(※前述のように、鈴木議長は町長選に立候補するために議員辞職した)、『議場外のため、議会としてはこれ以上は踏み込めないので、今後は、佐藤議員と話し合ってもらいたい』と言われました。ただ、いつになっても佐藤議員から謝罪等の話がないため、2020年4月17日に私から佐藤議員に電話をしたところ、15秒前後で一方的に切られました。それから間もなく、佐藤議員の代理人弁護士から内容証明で通告書(前述の文書)が届いたのです」(Aさん) Aさんはそれを拒否し、あらためて佐藤議員に接触を図ろうとしたところ、佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求める訴訟を起こしたのである。文書には「何らかの連絡、接触行為があった場合は法的措置をとる」旨が記されており、実際にそうなった格好だ。 一方、佐藤議員はこう話す。 「本来なら、話し合いで決着できることで、裁判なんてするような話ではありません。ただ、冷静に話し合いができる状況ではなかったため、そういう手段をとりました」 面談強要禁止を認める判決  こうして、この問題は裁判に至ったのである。 同訴訟の判決は昨年10月4日にあり、裁判所はAさんが佐藤議員に「自身の発言についてどう責任を取るのか」、「どのように対応するのか」と迫ったことに対する「面談強要禁止」を認める判決を下した。 この判決を受け、Aさんは「この程度で、『面談禁止』と言われたら、町民として議員に『あの件はどうなっているのか』と聞くこともできない」と話していた。 その後、Aさんは一審判決を不服として、昨年10月18日付で控訴した。控訴審判決は、3月14日に言い渡され、1審判決を支持し、Aさんの請求を棄却するものだった。 Aさんは不服を漏らす。 「裁判所の判断は、時間の長さや回数に関係なく、数分の接触行為が佐藤議員の受忍限度を超える人格権の侵害に当たるというものでした。要するに弁護士を介さずに事実確認を行ったことが不法行為であると判断されたのです。この判決からすると、議員等の地位にある人や、経済的に余裕がある人が自分に不都合があったら弁護士に委任し、話し合いをするにはこちらも弁護士に依頼するか、裁判等をしなければならないことになります。この『面談強要禁止』が認められてしまったら、資力がなければ一般住民は泣き寝入りすることになってしまう」 さらにAさんはこう続ける。 「懲罰請求をした際、当時の正副議長から『佐藤議員の不適切な発言に対し、議員としての発言に注意をするように促したほか、本人(佐藤議員)も迷惑をかけたと反省し、謝罪なども含め、適切に対応をしていくとのことだから、今後は佐藤議員と話し合ってもらいたい』旨を伝えられました。にもかかわらず、佐藤議員は真摯な謝罪や話し合いどころか、自らの不都合な事実から逃れるため、面談強要禁止まで行った。これは、佐藤議員の公職者(議員)としての資質以前に、社会人として倫理的に逸脱しており、さらにこのような事態にまで至った責任は、議会にも一因があると思います」 一方、佐藤議員は次のようにコメントした。 「話し合いの余地がなかったため、こういう手段(裁判)を取らざるを得ませんでした。裁判では真実を訴えました。結果(面談強要禁止を認める判決が下されたこと)がすべてだと思っています」 なお、問題の発端となった「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」発言については、前述のように両者の証言に食い違いがあるが、控訴審判決では「仮に被控訴人(佐藤議員)の発言が排他的発言として不適切と評価されるものであったとしても、被控訴人の申し入れに対して……」とある。要は、佐藤議員の発言が不適切なものであっても、申し入れ(代理人弁護士の通知書)に反して直接接触を図る合理的理由にはならないということだが、排他的発言の存在自体は否定していない。 ともかく、裁判という思わぬ事態に至ったこの問題だが、本誌が伝えたいのは、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは語れない側面があるということである。 問題の本質 大熊町内(2019年4月に解除された区域)  1つは議員の在り方。原発避難区域(解除済みを含む)の議員は厳密には公選法違反状態にある人が少なくない。というのは、地方議員は「当該自治体に3カ月以上住んでいる」という住所要件があるが、実際は当該自治体に住まず、避難先に生活拠点があっても被選挙権がある。2019年11月号記事掲載時の佐藤議員がまさにそうだった。「特殊な条件にあるから仕方がない」、「緊急措置」という解釈なのだろうが、そもそも議員自身が「違法状態」にあるのに、避難先がどうとか、帰る・帰らないについて、どうこう言える立場とは言えない。  もっとも、これは当該自治体に責任があるわけではない。むしろ、国の責任と言えよう。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じるべきだったが、それをしなかったからだ。 もう1つは避難住民の在り方。本誌がこの間の取材で感じているのは、原発事故の避難区域では、「遠くに避難した人は悪、近くに避難した人は善」、「帰還しなかった人は悪、帰還した人は善」といった空気が流れていること。明確にそういったことを口にする人は少ないが、両者には見えない壁があり、何となくそんな風潮が感じられるのだ。 実際、前段で少し紹介したように、Aさんが2019年に議会に提出した懲罰請求には次のように書かれている。 《佐藤議員の発言は請求人(Aさん)だけに対するもので収まる話ではなく、県外に避難している町民に対して、物事を指摘される道理なく「県外にいる町民は、物事を言うな」とも捉えられる発言であり、到底、看過することができない議員による問題発言です。まして、佐藤議員は、避難町民の代表であり、公職の議会議員である当該暴言は、一町民(Aさん)に対する暴言で済む話ではなく、佐藤議員の日頃の県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外の避難している住民に対する排他的発言です》 ここからも読み取れるように、この問題の根底には、避難区域の住民の微妙な心理状況が関係しているように感じられる。 もっと言うと、避難住民の在り方の問題もある。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。結果、避難者はそこに住んでいながら、当該自治体の住民ではない、として肩身の狭い思いをしてきた。 こうした問題や前述のような風潮を生み出したのも国の責任と言えよう。これについても、本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。 こうした側面から、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは片付けられないのが今回の問題なのだ。本誌としては、そこに目を向け、正しい方向に進むように今後も検証・報道していきたいと考えている。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

  • 【塙強盗殺人事件】裁判で明らかになったカネへの執着

    【塙強盗殺人事件】裁判で明らかになったカネへの執着

    (2022年10月号)  塙町で75歳の女性を殺した後、奪ったキャッシュカードで現金計300万円を引き出したとして強盗殺人などの罪に問われていた鈴木敬斗被告(19)に9月15日、求刑通り無期懲役の判決が言い渡された。被告は被害者の孫。同17日付で控訴した。4月の改正少年法施行後、県内で初めて「特定少年」として、実名で起訴、審理された。判決は更生を期待する少年法は考慮せず、あくまで重罪に見合う刑罰を科した。被告は趣味の車の修理のため、手軽にカネを得ようと殺したと話すが、身勝手としか説明がつかない動機だ。なぜ祖母を殺そうとまで思ったのか、判決では触れられなかった事実を拾う。 逮捕見越して散財の異常性  裁判で明らかとなった事件の経過をたどる。被害者は塙町真名畑字鎌田に住む菊池ハナ子さん。主要道路から離れた山奥の平屋に独身の長男と2人で暮らしていた。事件は今年2月9~10日の深夜に起こった。菊池さんと長男は、9日午後5時半ごろ夕食を取り、同9時半ごろまでテレビを見るなどして過ごした。 長男は深夜勤務のため、同9時35分ごろに自家用の軽トラックで家を出た。長男の「行ってくっから」に「おう」と返す菊池さん。長男が最後に見たのはパジャマを着てテレビを見てくつろぐ姿だった。長男が出ていった後、鈴木被告は矢祭町内の自宅から菊池さんの家に車で向かった。車はレンタカーだった。 犯行時刻は同11時45分ごろから翌10日の午前0時17分ごろの間。 茶の間のタンスの引き出しに入っていた現金を盗むのが目的だった。凶行に及ぶ約1時間前の9日午後11時ごろには、コンビニで防水の黒手袋を購入。自宅に戻り、倉庫から凶器となる長さ約55㌢、直径約3・2㌢、重さ約420㌘の鉄パイプを持ち出した。パイプは改造・修理中の自家用車の排気マフラーに使うために買った材料の残りでステンレス製。殴打に使った部分は斜めにカットされていた。法廷内では銀色に輝き、アルミホイルのような見た目だった。殴打で数カ所へこんだ部分が鈍く乱反射していた。 鈴木被告は建築板金業を営む一人親方で趣味は車の改造だ。改造に使う部品や工具を買いそろえるためにカネが必要だったと動機を話す。犯行現場までの移動にレンタカーを使ったのも、被告によると自家用車を修理のために分解しており、乗ることができなかったからだという。 鈴木被告はレンタカーの尾灯を消したまま、矢祭町の自宅から塙町まで車を走らせた。道路沿いの家の防犯カメラが車を記録していた。尾灯をつけないままヘッドライトのみを光らせて走るのは、無灯火のままライトのレバーを手前に引きパッシングの状態を続けることで可能だ。「車好き」なら思いつくのは当たり前のことなのだろう。 鎌田集落に入った。菊池さん宅まで続く道は車1台通るのがやっとの幅で、すれ違いは困難だ。菊池さん宅近くの道の待避所に車を止めた。玄関前で飼っている犬に吠えられるのを避けるためだった。夜遅いので他の車はまず通らない。黒いパーカーの上に黒い合羽を着て黒手袋をはめ、夜陰に紛れて道を急いだ。手には鉄パイプを持っていた。菊池さん宅南側にある駐車場には菊池さんの長男が運転する軽トラが見当たらない。菊池さんは運転免許証を持っていないので、少なくとも長男はいないと鈴木被告は推測した。 犬が吠えるのを恐れた鈴木被告は南側の玄関からは入らず、北側に回り、掃き出し窓から家に侵入しようとした。掃き出し窓は無施錠だった。侵入した際、利き手と反対の右手には鉄パイプを持っていた。寝室は豆電球一つしか明かりがついておらず薄暗かった。鈴木被告は、菊池さんが侵入者に気づき布団から上体を起こしたのが分かった。こちらを見ている。鈴木被告は右手の鉄パイプを菊池さんがいるところへ夢中で振り下ろした。5回程度殴った後に自分のしたことに気づいたが、なおも殴り続け、少なくとも計15回殴打した。 菊池さんは頭や上半身から血を流し、倒れこんだ。倒れた時に背中を電気毛布のスイッチ部分にぶつけ、背中の肋骨も折れていた。ふすまには打撃でついたようなキズが残り、障子も破れていたが、鈴木被告は覚えていないと法廷で語った。長男が帰宅した際、菊池さんはまだ息があり救急搬送されたが、出血性ショックで亡くなった。 「足が付くのは分かっていた」  「子ども時代に来た時は、ばあちゃんはここでは寝てなかったはずだ」と思った鈴木被告にとって、菊池さんが北側の窓に面した部屋にいたのは想定外だったという。だが、本来の目的である現金を盗もうと、うめき声を出して倒れている菊池さんを残して隣りの茶の間に向かった。タンスの引き出しには現金はなかったが、巾着袋の中に通帳とキャッシュカードがあった。暗証番号が書かれた紙も入っていた。巾着袋を奪うと、鈴木被告は侵入したのと同じ掃き出し窓から外に出て、止めていた車に戻った。犬は吠えなかった。 事件から約3週間後の3月1日、鈴木被告は盗んだキャッシュカードを使って現金計300万円を引き出したとして窃盗容疑で棚倉署に逮捕された。同22日には、前述した強盗殺人の罪で再逮捕。家裁郡山支部から逆送され、地検郡山支部が強盗殺人罪などで起訴し実名を公表、裁判員裁判で成人と同じように裁かれたというわけだ。 逮捕されるまでの間、鈴木被告には罪に向き合う機会もあったが、傍目には自身の行為を悔いていない行動を取った。まずは証拠隠滅。犯行日の2月10日に茨城県内の川で、橋の上から凶器の鉄パイプを捨てた。菊池さんの葬式にも平然と出席していた。奪ったキャッシュカードで同10~16日の間に県南、いわき市、茨城県内のコンビニのATМで18回に分けて計300万円を引き出した。車の部品や交際相手にブランド品や服を買ったほか、クレジットカードの返済に使い切った。鈴木被告は「足が付くのは分かっていた。捕まるまで自由にしようと思った」と法廷でその時の心情を振り返った。 ここで鈴木被告の成育歴を振り返る。2002年生まれの鈴木被告は3人きょうだいの2番目。小学5年生の時に両親が別居し、2015年に離婚した。きょうだい3人は母親が引き取った。父親は別の家庭を持っている。殺害した菊池さんは父方の祖母に当たり、菊池さんと暮らしていた長男は、鈴木被告にとって伯父に当たる。 鈴木被告は矢祭町内の中学校を卒業後、建築板金の職人として茨城県で働き始めた。職場の人間関係に悩み、矢祭町に戻ってきた。技術を生かそうと町内の建築板金業で働き、昨年秋に独立して一人親方となった。平均月40万円は稼いでいたという。町内の母方の実家で母親とは別に暮らしていた。 収入は、経費や健康保険代、税金などが引かれるとしても、家賃を支払う必要がないと考えれば十分な額だ。それでも菊池さんに十数万円の借金をしていた。借金について、鈴木被告は「車や仕事道具に出費し管理ができなかった」「ばあちゃんには甘えているところがあった」と述べている。 菊池さんの口座に大金があると知ったのは、状況から見て1年前にさかのぼる。矢祭町に帰ってから、菊池さんの資金援助を得て運転免許証を取得した被告は、昨年9月に運転ができない菊池さんに頼まれ、塙町内の金融機関へ現金を引き出しに連れていった。ATMの前で、操作方法を菊池さんに教える鈴木被告の画像が残されている。そこで、口座にある金額を知ったというわけだ。 今年1月20日には、鈴木被告は交際相手を連れて菊池さんを訪ね、カネを無心している。「妊娠したので検査費用が必要」と話したという。 この話は、菊池さんが、栃木県へ嫁いだ自身の妹に電話で伝えていた。殺害される3日前の2月6日の電話では、1月の借金は「断った」と話した。交際相手とのその後について、裁判官が鈴木被告に質問したが「自分はもう分からない」と答えた。裁判中にそれ以上聞かれることはなかった。 情状酌量は一切なし 事件現場となった被害者の自宅  鈴木被告は「車の修理代にカネが欲しかった」と言っており、菊池さんに断られた時点で盗むしかないと考えた。これだけでも身勝手ではあるが、鉄パイプを持ち込んだことで取り返しのつかない事件を起こしてしまったというわけだ。 菊池さんの次男に当たる鈴木被告の父親は、弁護側の証人として出廷し、「事件については整理できず何とも言えない」と複雑な立場にある心情を話した。「バカ親と言われるのは仕方ない」と断ったうえで「家族間の事件」と捉えていると打ち明けた。そして、「できれば息子が罪を償った後は引き取りたい」と訴えた。母親も出廷し、幼少期から暴力とは無縁だったと証言した。 一方、同居する母親を殺された長男は「家族間の事件」では済まないと代理人を通して思いを伝えた。鈴木被告にとって「かあちゃん(菊池さん)は弱く、身近で簡単にカネを取れる存在だった」と指摘し、「どうして高齢の女性にあんなひどいことができるのか。敬斗は社会一般では私の甥かもしれないが、私からすれば『犯人』に他ならない」と刑務所行きの厳罰を求めた。 地裁郡山支部で9月15日に開かれた判決公判には約35の一般傍聴席に対し70人近くが抽選に並んだ。筆者は同7日の初公判と、翌8日の被告人質問は傍聴券を手にしたが、肝心の判決は約2倍の倍率に阻まれた。判決は抽選に当たった傍聴マニアから聞いた。彼によると、 「少年だとか情状酌量とかは一切なかったね。裁判長は判決とは別に、被告に『立ち直れると期待している』と言っていたよ。でも、判決は無期でしょ。それはそれ、これはこれなんだろうね」 強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役だ。無期懲役は仮釈放が認められるまでに最低30年はかかると言われている。鈴木被告は仙台高裁に控訴中。まだ若い被告にとって納得できない判決だろう。 鈴木被告の最後の支えとなるのは、証人として出廷した両親しかいない。最後まで味方でいてくれる肉親の温かさを感じれば感じるほど、鈴木被告は、最も大切で頼りにしていた家族(菊池さん)を殺された長男の気持ちに向き合わなければならない。一度は自分自身を徹底的に否定する心情になることは必至で、全人生に付きまとうだろう。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人

  • 第3弾【田村市贈収賄事件】裁判で暴かれた不正入札の構図【田村市役所】

    第3弾【田村市贈収賄事件】裁判で暴かれた不正入札の構図

     田村市の一連の贈収賄事件に関わったとして受託収賄と加重収賄に問われた元市職員の判決が1月13日午後2時半から福島地裁で言い渡される。裁判では除染関連の公共事業発注に関し、談合を主導していた業者の証言が提出された。予定価格の漏洩が常態化していたことも明らかになり、事件は前市長、そして懇意の業者が共同で公共事業発注をゆがめた結果、倫理崩壊が市職員にも蔓延して起こったと言える。 汚職のきっかけは前市長派業者への反感  元市職員の武田護被告(47)=郡山市=は市内の土木建築業者から賄賂を受け取った罪を全面的に認めている。昨年12月7日の公判で検察側が求めた刑は懲役2年6月と追徴金29万9397円。注目は実刑か執行猶予が付くかどうかだ。立件された贈賄の経路は二つある。  一つは三和工業の役員(当時)に非公開の資材単価表のデータを提供した見返りに商品券を受け取ったルート。もう一つが秀和建設ルートだ。市発注の除染除去物質端末輸送業務に関し、2019年6月27日~9月27日にかけて行われた入札で、武田被告は予定価格を同社の吉田幸司社長(当時)に教えた見返りに飲食の接待を受けた。同社は3件落札、落札率は96・95~97・90%だった。  三和工業の元役員には懲役8月、執行猶予3年が確定した。秀和建設の吉田氏は在宅起訴されている。  田村市は設計金額と予定価格を同額に設定している。武田被告は少なくともこの2社に設計金額を教え、見返りを得ていた。他の業者については、見返りの受け取りは否定しているが、やはり教えてきたという。  入札の公正さをゆがめ、公務員としての信頼に背いたのは確かだが、後付けとはいえ彼なりの理由があったようだ。2社に便宜を図った動機を取り調べでこう述べている。  「真面目にやっている人が損をしている。楽に仕事を得ようとしている人たちを思い通りにさせたくなかった」  「真面目にやっている人」とは武田被告からすると三和工業と秀和建設。では「楽に仕事を得ようとしている人」とは誰か。それは、本田仁一前市長時代に受注調整=談合を主導していた「市長派業者」を指している。検察側は田村市で行われていた公共事業発注について、次の事実を前提としたうえで武田被告に尋問していた。  ・船引町建設業組合では事前に落札の優先順位を決めるのが慣例だった。  ・除染除去物質端末輸送業務では一時保管所を整地した業者が優先的に落札する決まりがあった。  ・田村市復興事業協同組合(既に解散)が受注調整=談合をしていた。  これらの事実は船引町建設業組合を取りまとめる業者の社長と市復興事業協同組合長を務める業者の社長が取り調べで認めている。  「落札の優先順位を定める円滑調整役だった。業者は優先順位に従って落札する権利を与えられ、業者同士が話し合う。どこの輸送業務をどの業者が落札するか決定し、船引町の組合には結果が報告されてくる。それを同町を除く市内の各組合長に伝えていた」(船引町建設業組合長)  市復興事業協同組合長も「一時保管所を整地したら除染土壌の運搬も担うよう他地区と調整していた」と認めている。この組合長については本誌2018年8月号「田村市の公共事業を仕切る〝市長派業者〟の評判」という記事で市内の老舗業者が言及している。  「本田仁一市長の地元・旧常葉町に本社がある㈱西向建設工業の石井國仲社長は本田市長の後援会長を務めている。一方、市内の建設業界を取り仕切るのは田村市復興事業組合で組合長を務める富士工業㈱の猪狩恭典社長。この2人が『これは本田市長の意向だ』として公共工事を仕切っているんです」(同記事より)  除染土壌の輸送業務をめぐっては業者が落札の便宜を図ってもらうために、本田前市長派業者の主導で市に多額の匿名寄付をし、除染費用を還流させていた問題があった。元市職員が刑事事件に問われたことで、公共事業発注の腐敗体質が明らかになったわけだ。  武田被告は本田前市長派業者による不正が行われていた中で、自分も懇意の業者に便宜を図ろうと不正に手を染めたことになる。取り調べに「楽に仕事を得ようとする業者」に反感があったと語ったが、自分もまた同様の業者を生み出してしまった。田村市では予定価格を業者に教えるのが常態化していたというから、規範が崩れ、不正を犯すハードルが低くなっていたことが分かる。 不必要な事業を発注か  武田被告は公共事業発注の腐敗体質について、市の事業に決定権を持つ者、つまり本田前市長や職員上層部の関与もほのめかしている。  「我々公務員は言われた仕事をやる立場。決定する立場の人間が必要な事業なのか判断しているのか疑問だった。そのような事業を取る会社はそういう(=楽をして仕事を取ろうとする)会社も見受けられた」  上層部が不必要な事業をつくり、一部の業者が群がっていたという構図が見て取れる。  武田被告が市職員を辞めたのは2022年3月末。本誌は前号で、宮城県川崎町の職員が単価表データを地元の建設会社役員と積算ソフト会社社員に漏らして報酬を受け取った事件を紹介した。本誌は同種の事件を起こしていた武田被告が立件を恐れて退職したとみていたが、本人の証言によると、単に「堅苦しい役所がつまらなかった」らしい。  2022年1~2月には就職活動を行い、土木資料の販売を行う民間会社から内定を得た。市役所退職後の4月から働き始め、市の建設業務に携わった経験を生かして営業やパソコンで図面を作る仕事をしていた。市役所の閉塞感から解放され「楽しくて、初めて仕事にやりがいを感じた」という。  武田被告は1995年3月に短大を卒業後、郡山市の広告代理店に就職。解雇され職探しをしていたところ、父親の勧めで96年に旧大越町役場に入庁した。建設部水道課に所属していた2013、14年ごろに秀和建設の役員(吉田前社長の実弟)と知り合い、年に3、4回飲みに行く仲になった。  役所内に情報源を持ちたかった吉田氏の意向で、実弟は武田被告への接待をセッティング。吉田氏と武田被告はLINEで設計金額を教える間柄になった。この時期の贈収賄は時効を迎えたため立件されていない。当時は冨塚宥暻市長の時代だから、市長が誰かにかかわらず設計金額漏洩は悪習化していたようだ。  後始末に追われる白石高司市長だが、自身も公募型プロポーザルの審査委員が選定した新病院施工者を独断で覆した責任を問われ、市議会が百条委員会を設置し調査を進めている。前市政から続く問題で市民からの信頼を失っている田村市だが、武田被告が「市役所はつまらない」と評したように、内部(市職員)からも見限られてはいないか。外部からメスが入ったことを契機に膿を出し切り、生まれ変わるきっかけにするべきだ。 あわせて読みたい 【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相 【第2弾】【田村市・贈収賄事件】積算ソフト会社の「カモ」にされた市と業者 第4弾【田村市贈収賄事件】露呈した不正入札の常態化

  • 「次の大地震に備えて廃炉を」警鐘鳴らす能登の反原発リーダー【北野進さん】

    【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 【大熊町】鉄くず窃盗が象徴する原発被災地の無法ぶり

    【大熊町】鉄くず窃盗が象徴する原発被災地の無法ぶり

     東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域となった大熊町図書館の解体工事現場から鉄くずを盗んだとして、窃盗の罪に問われた作業員の男4人の裁判が1月16日に地裁いわき支部であった。解体工事は環境省が発注し、鹿島建設と東急建設のJVが約51億円で落札。鉄くずを盗んだのは1次下請けの土木工事業、青田興業(大熊町)の作業員だった。4人のうち3人は秋田県出身の友人同士。別の工事でも作業員が放射線量を測定せずに物品を持ち出し、転売していた事態が明らかになり、原発被災地の無法ぶりが浮き彫りになった。 鉄くず窃盗事件  窃盗罪に問われているのはいわき市平在住の大御堂雄太(39)、高橋祐樹(38)、加瀬谷健一(40)と伊達市在住の渡辺友基(38)の4被告。大御堂氏、高橋氏、加瀬谷氏は秋田県出身で、かつて同県内の同じ建設会社で働いており友人関係だった。2017年に福島県内に移住し同じ建設会社で働き始め、青田興業には2023年春から就業した。3人は加瀬谷氏の車に乗り合わせて、いわき市の自宅から大熊町の会社に通い、そこから各自の現場に向かっていた。  大熊町図書館の解体工事は環境省が発注し、鹿島建設と東急建設のJVが約51億円で落札(落札率92%)、2022年5月に契約締結した。1次下請けの青田興業が23年2月から解体に着手していた。図書館は鉄筋コンクリート造りで、4人は同年5月に6回にわたり、ここから鉄くずを盗んだ。環境省は関係した3社を昨年12月11日まで6週間の指名停止にした。  建物は原発事故で放射能汚染されており、鉄くずは放射性廃棄物扱いとなっている。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、持ち出すには汚染状態を測定しなければならず、処分場所も指定されている。作業員が盗んで売却したのは言うまでもなく犯罪だが、汚染の可能性がある物を持ち出し流通・拡散させたことがより悪質性を高めた。  その後、帰還困難区域で作業員による廃棄物持ち出しが次々と明らかになる。大熊町内で西松建設が受注したホームセンター解体現場では、商品の自転車が無断で持ち出されたり設備の配管が盗まれたりした。(放射性)廃棄物の自転車が転売されているという通報を受け同社が調査したところ、2次下請け業者が「作業員が知り合いの子にあげるため、子ども用の自転車2台を持ち出した」と回答したという(2023年10月28日付朝日新聞より)。  大熊町図書館の鉄くず窃盗事件は、複数人による犯罪だったこと、作業員たちが転売で得た金額が100万円と高額だったため逮捕・起訴された。裁判で明らかになった犯行の経緯は次の通り。  高橋氏(勧誘役)と加瀬谷氏(運搬役)は2023年4月末から大熊町の商業施設の解体工事現場で作業をしていた。青田興業が担う図書館の解体工事が遅れていたため、5月初旬から渡辺氏が現場に入り手伝うようになった。そのころ、大御堂氏(計画者)はまだ商業施設の現場にいたが、図書館の解体工事にも出入り。そこで鉄くずを入れたコンテナを外に運び出す方法を考えた。4人は犯行動機を問われ、「パチンコなどのギャンブルや生活費のために金が欲しかった」と取り調べや法廷で答えている。  大御堂氏が犯行を計画、同じ秋田県出身の高橋氏と加瀬谷氏を誘う。最初の犯行は5月12、13日にかけて2回に分け、同郷の3人で約7㌧の鉄くずを運び出した。コンテナに入れてアームロール車(写真参照)で運び出す必要があり、操作・運搬は加瀬谷氏の仕事だった。高橋氏は通常通り仕事を続け、異変がないか見張った。鉄くずは南相馬市の廃品回収業者に持ち込み、現金30万円余りに換えた。大御堂氏が分配し、自身と高橋氏が12万5000円、加瀬谷が5万円ほど受け取った。 参考写真:アームロール車の一例(トラック流通センターのサイトより)  味をしめて5月下旬にまた犯行を考えた。高橋氏は渡辺氏が過去に別の窃盗罪で検挙されていることを知り、犯行に誘った。同25~27日ごろに同じ方法で約14㌧を4回に分けて盗み、今度は浪江町の回収業者に持ち込み70万円余りで売った。  発覚は時間の問題だった。7月下旬に青田興業の協力会社から同社に「作業員が鉄くずを盗んで売っていたのではないか」と通報があった。確認すると4人が認めたため元請けの鹿島建設東北支店に報告。警察に被害を通報し、昨年10月25日に4人は逮捕された。青田興業は9月末付で4人を解雇した。  4人は大熊町の所有物である図書館の鉄筋部分に当たる鉄くずを盗み、100万円に換金した。しかも、その鉄くずは放射能汚染の検査をしておらず、リサイクルされ市場に拡散してしまった(環境省は「放射線量は人体に影響のないレベル」と判断)。4人は二重に過ちを犯したことになる。元請けJV代表の鹿島建設は面目を潰され、地元の青田興業も苦しい立場に置かれている。だが、被告側の証人として出廷した青田興業社長は4人を再雇用する方針を示した。  「もう一度会社で教育し、犯した罪に向き合ってほしい。会社の信用を少しずつ回復させたい」  検察官から「大変温情的ですね。会社も打撃を受けているのに許せるのですか」と質問が飛ぶと、  「盗みを知った時は怒りを覚えました。確かに会社は指名停止を受け大打撃を受けました。元請けにも町にも環境省にも迷惑を掛けた。でも今見放したら、この4人を雇ってくれる人はどこにもいないでしょう」 監視カメラが張り巡らされる未来  鉄くず窃盗事件は、数ある解体工事の過程で起こった盗みの一部に過ぎない。鉄くずは重機を使わなければ運び出せず、1人では不可能。本来、複数人で作業をしていれば互いが監視役を果たせるはずだが、実行した4人のうち3人は、同郷で以前も同じ職場にいた期間が長かったため共謀して盗む方向に気持ちが動いた。作業員同士が協力しなければ実現しなかった犯罪で、そのような環境をつくった点では青田興業にも責任はあるだろう。4人を再雇用する場合、同じ空間で作業する場面がないように隔離する必要がある。  原発被災地域で除染作業に携わった経験を持つある土木業経営者は、監視の目が届かない被災地の問題をこう指摘する。  「帰還が進まず人の目が及ばない地域なので、盗む気があれば誰もが簡単にできる。窃盗集団とみられる者が太陽光発電のパネルを盗んだ例もあった。防ぐには監視カメラを張り巡らせて、『見ているぞ』とメッセージを与え続けるしかないのではないか。もっとも、そのカメラを盗む窃盗団もいるので、イタチごっこに終わる懸念もある」  原発被災地域では監視の目を強めているが、パトロールに当たっていた警察官が常習的に下着泥棒を行っていたり、民間の戸別巡回員が無断で民有地に侵入し柿や栗を盗んだりする事件も起きている。人間の規範意識の高さをあまり当てにしてはいけない事例で、今後、監視カメラの設置がより進むだろう。

  • 【会津若松】神明通り廃墟ビルが放置されるワケ

     会津若松市の中心市街地に位置する商店街・神明通り沿いに、廃墟と化したビルがある。大規模地震で倒壊する危険性が高いと診断されており、近隣の商店主らは早期解体を求めているが、市の反応は鈍い。ビルにはアスベストが使われており、外部への飛散を懸念する声も強まっている。 近隣からアスベスト飛散を心配する声 廃墟のような外観の三好野ビル  神明通りと言えば、会津若松市中心市街地を南北に走る大通りだ。国道118号、国道121号など幹線道路の経路となっており、JR会津若松駅方面と鶴ヶ城方面を結ぶ。通り沿いの商店街には昭和30年代からアーケードが設けられ、大善デパート(後のニチイダイゼン)、若松デパート(後の中合会津店)、長崎屋会津若松店が相次いで出店。多くの人でにぎわった。  もっとも、近年は郊外化が進んだ影響で衰退が著しく、2つのデパートと長崎屋はいずれも撤退。映画館なども閉館し、食品スーパーのリオン・ドール神明通り店も閉店。人通りはすっかりまばらになった。コロナ禍でその傾向はさらに加速し、空きテナント、空きビルが目立つ。  そんな寂しい商店街の現状を象徴するように佇んでいるのが、神明通りの南側、中町フジグランドホテル駐車場に隣接する、通称「三好野ビル」だ。  鉄筋コンクリート・コンクリートブロック造、地下1階、地上7階建て。1962(昭和37)年に新築され、その名の通り「三好野」という人気飲食店が営業していた。同市内の経済人が当時を振り返る。  「本格的な洋食を提供するレストランで、和食・中華のフロアもあった。子どものころ、あの店で初めてビフテキやグラタンを食べたという人も多いのではないか。50代以上であればみんな知っている店だと思います。会津中央病院前にも店舗を出していました」  ただ、いまから20年ほど前に閉店し、一時的に中華料理店として復活したもののすぐに閉店。現在はビル全体が廃墟のようになっている。 壁には枯れたツタが絡まり、よく見ると至るところで壁が崩落。細かい亀裂も入っており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。市内の事情通によると、実際、中町フジグランドホテル駐車場に外壁の破片が落下したことがあり、「近くを通ると人や車に当たるかもしれない」と、同ホテルの負担で塀が設置された。外壁が崩れないようにネットでも覆われた。  ただその後も改善はされず、強化ガラスが窓枠から外れ、隣接する衣料品店の屋根に破片が突き刺さる事故も発生した。衣料品店の店主は次のように語る。  「朝、店に来たら床に雨水が溜まっていた。業者を呼んで雨漏りの原因を調べたら、隣のビルから落ちた大きなガラスの破片が原因だと分かったのです。もし歩行者に直撃していたら亡くなっていたと思います」  消防のはしご車が出動し、不安定な窓ガラスに外から板を張り付ける形で応急処置を施したが、近隣商店主の不安は募るばかりだ。  何より懸念されるのは、地震などが発生した際に倒壊するリスクだ。  県は耐震改修促進法に基づき、大地震発生時に避難路となる道路沿いの建築物が倒壊して避難を妨げることがないように、「避難路沿道建築物」に耐震診断を義務付けている。  会津若松市の場合、国道118号北柳原交差点(一箕町大字亀賀=国道49号と国道118号・国道121号が交わる交差点)から同国道門田町大字中野字屋敷地内(門田小学校、第五中学校周辺)までの区間が「大地震時に円滑な通行を確保すべき避難路」と定められている。すなわち神明通り沿いに立つ三好野ビルも「避難路沿道建築物」に当たる。  昨年3月31日付で県建築指導課が公表した診断結果によると、震度6強以上の大規模地震が発生した際の三好野ビルの安全性評価は、3段階で最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」。耐震性能の低さにレッドカードが示されたわけ。  耐震性が低いビルを所有者はなぜ放置しているのか。不動産登記簿で権利関係を確認したところ、三好野ビルは概ね①相続した土地に建てた建物、②飲食店を始めた後に隣接する土地を買い足して増築した建物――の2つに分かれるようだ。  ①の所有者は、土地=レストランを運営していた㈲三好野の代表取締役・田中雄一郎氏、建物=雄一郎氏の母親・田中ヒデ子氏。  ②の所有者は、土地・建物とも㈲三好野。同社は1968(昭和43)年設立、資本金850万円。  ただ、雄一郎氏は十数年前に亡くなっており、登記簿に記されていた自宅住所を訪ねたがすでに取り壊されていた。雄一郎氏の弟で、同社取締役に就いていた田中充氏と連絡が取れたが、「会社はもう活動していない。親族は相続放棄し、私だけ名前が残っていた。ただ、私は会津中央病院前の店舗を任されていたので、神明通りのビルの事情はよく分からない」と話した。 会津若松市が特定空き家に指定 壁や窓ガラスの崩落、倒壊リスクがある三好野ビルの前を歩いて下校する小学生  ①の土地・建物には▽極度額900万円の根抵当権(根抵当権者第四銀行)、▽極度額2400万円の根抵当権(根抵当権者東邦銀行)、▽債権額670万円の抵当権(抵当権者住宅金融公庫)が設定されていた。  一方、②の土地・建物には▽債権額1000万円の抵当権(抵当権者田中充氏)が設定されていた。ただ、事情を知る経済人の中には「数年前の時点で抵当権・根抵当権は残っていなかったはず」と話す人もいるので、抹消登記を怠っていた可能性もある。  気になるのは、②の土地・建物が2006(平成18)年、2012(平成24)年、2017(平成29)年の3度にわたり会津若松市に差し押さえられていたこと。前出・田中充氏の話を踏まえると、固定資産税を滞納していたと思われるが、昨年5月には一斉に解除されていた。  市納税課に確認したところ、「個別の案件については答えられない」としながらも「差押が解除されるのは滞納された市税が納められたほか、『換価見込みなし(競売にかけても売れる見込みがない)』と判断されるケースもある」と話す。総合的に判断して、後者である可能性が高そうだ。  行政は三好野ビルをどうしていく考えなのか。県会津若松建設事務所の担当者は「耐震改修するにしても解体するにしてもかなりの金額がかかる。国などの補助制度を使うこともできるが、少なからず自己負担を求められる。そのため、市とともに関係者(おそらく田中充氏のこと)に会って、今後について話し合っている」という。  市の窓口である危機管理課にも確認したところ、こちらでは空き家問題という視点からも解決策を探っている様子。市議会昨年6月定例会では、大竹俊哉市議(4期)の一般質問に対し、猪俣建二副市長がこのように答弁していた。  《平成29年に空き家等対策の推進に関する特別措置法に基づく特定空き家等に指定し、所有者等に対し助言・指導等を行ってきたところであり、加えて神明通り商店街の方々と今後の対応を検討してきた経過にあります。当該ビルにつきましては、中心市街地の国道沿いにあり、周辺への影響も大きいことから、引き続き状態を注視しつつ、改修や解体に係る国等の制度の活用も含め、所有者等や神明通り商店街の方々、関係機関と連携を図りながら、早期の改善が図られるよう協議してまいります》  特定空き家とは▽倒壊の恐れがある、▽衛生上有害、▽著しく景観を損なう――といった要素がある空き家のこと。自治体は指定された空き家の所有者に対し「助言・指導」を行い、改善しなければ「勧告」、「命令」が行われる。「勧告」を受けると、翌年から固定資産税・都市計画税が軽減される特例措置がなくなってしまう。「命令」に応じなかった所有者には50万円以下の過料が科せられる。  それでも改善がみられない場合は行政代執行という形で、解体などの是正措置を行い、費用を所有者から徴収する。所有者が特定できない場合は自治体の負担で略式代執行が行われることになる。この場合、代執行の撤去費用の一部を国が補助する仕組みがある。  ただし、三好野ビルの解体費用は数千万円とみられ、市が一部負担するにも金額が大きい。耐震性でレッドカードが出ている三好野ビルに対し、行政が及び腰のように見えるのはこうした背景もあるのだろう。 コロナ禍で頓挫した活用計画 建物の中を覗いたら看板と車がそのまま置かれていた  「実はあの建物の活用をかなり具体的に検討していた」と明かすのは、神明通り商店街振興組合の堂平義忠理事長だ。  「5年前ごろ、『低額で譲ってもらえるなら振興組合の方で活用したい』と伝え、市役所の関係部署によるプロジェクトチームをつくってもらって本格的に調査したことがありました。経済産業省の補助金を使い、バックパッカー向けの宿泊施設をつくろうと考えていました。解体費用は当時9000万円。一方、改装にかかる総事業費は4億5000万円で、補助金を除く約2億円を振興組合で負担する計画でした」  だが、詳細を話し合っているうちにコロナ禍に入り、そのまま計画は頓挫。仮に再び経産省の補助事業に採択されても、崩落が進んでおり、建設費が高騰していることを踏まえると予算内に収まらない見込みのため、活用を断念したようだ。  同振興組合では三好野ビルについて、毎年市に早急な対応を求める意見書を提出しているが、市の反応は鈍いという。  「この間、まちづくりに関するさまざまな話し合いの場がありましたが、中心市街地活性の計画などに組み込んで解体を進めようという考えは、市にはないようです。事故が起きてからでは遅いと思うのですが……。個人的には、人通りが減ったとは言え中心市街地なので、解体・更地にして売りに出した方が喜ばれるのではないかと思います」(堂平氏)  ある経営者は「三好野ビルには放置しておくわけにはいかない〝もう一つのリスク〟がある」と話す。  「建てられた年代を考えると、内装にはアスベストが使われているはず。吸入すると肺がんを起こす可能性があるため、現在は製造が禁止されているが、仮に地震などで崩壊することがあればアスベストが周辺に飛散することになる。壁が崩落して穴が空いている場所もあるので、周囲に飛散しないか、業界関係者も心配している。市に早急な対応を訴えた人もいたが、取り合ってもらえなかったようです」  前出・堂平氏も「調査に入った際、『4階から上はアスベストが雨漏りで固まっている状態だった』と聞いた」と明かす。  市危機管理課の担当者に問い合わせたところ、三好野ビルの内部にアスベストが使われていることを認めたうえで、「アスベストは建物の内壁に使われており外に飛んで行くことはないので、そこに関しては心配していない」と話す。だが三好野ビル周辺は、地元買い物客はもちろん観光客、さらには登下校の児童・生徒も通行している。万が一のことを考え、せめてアスベストの実態調査と対策だけでも早急に着手すべきだ。  廃墟と言えば、本誌昨年11月号で会津若松市の温泉街に残る廃墟ホテルの問題を取り上げた。  運営会社の倒産・休業などで廃墟化する宿泊施設が温泉街に増えている。そうした宿泊施設は固定資産税が滞納されたのを受けて、ひとまず市が差し押さえるが、たとえ競売にかけても買い手がつかないことが予想されるため対応が後回しにされ、結局何年も放置される実態がある。  近隣の旅館経営者は「行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」と要望していた。  それに対し会津若松市観光課の担当者は「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、(市の負担で)清算人を立て、裁判所で手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」と対応の難しさについて話していた。  早急な対応を求める周辺と、慎重な対応に終始する市という構図は、三好野ビルも温泉街も同じと言えよう。言い換えれば会津若松市は「2つの廃墟問題」に振り回されていることになる。 市に求められる役割 室井照平市長  ㈲三好野の取締役を務めていた田中充氏は「私は75歳のいまも働きに出ているほどなので、解体費用を賄うお金なんてとてもない」と話す。  一方で次のようにも話した。  「あの場所を取得して、解体後に活用したいという方がいて、各所で相談していると聞いています。県や市の担当者の方には『私個人ではもうどうにもできないので、申し訳ないですが皆さんに対応をお任せしたい』と伝えてあります」  解体後の土地を活用したいと話すのが誰なのかは分からなかったが、解体費用まで負担して購入する人がいるのであれば朗報と言える。  1月1日に発生した能登半島地震で倒壊した石川県輪島市のビルも7階建てだった。三好野ビルが現状のまま放置されれば、同じようなことが起こる可能性もある。もっと言えば、市内には三好野ビル以外に大規模地震が発生した際の安全性評価が最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」となった建物が7カ所もあった。市はアスベスト対策も含め、地元から不安の声が広がっていることを重く受け止め、この問題に本腰を入れて臨む必要があろう。  昨年の市長選前には室井照平市長も三好野ビルを視察に訪れ、前出・堂平理事長や周辺商店に対し現状を把握した旨を話したという。今こそ先頭に立って音頭を取るべきだ。

  • 献上桃事件を起こした男の正体【加藤正夫】

    献上桃事件を起こした男の正体【加藤正夫】

     「自分は東大の客員教授であり宮内庁関係者だ」と全国の農家から皇室への献上名目で農産物を騙し取っていた男の裁判が昨年12月26日、福島地裁で開かれた。県内では福島市飯坂町湯野地区の農家が2021年から2年にわたり桃を騙し取られていた。男は皇室からの返礼として「皇室献上桃生産地」と書かれた偽の木札を交付。昨年夏に経歴が嘘と判明し、男は逮捕・起訴された。桃の行方は知れない。裁判で男は「献上品を決める権限はないが、天皇陛下に桃を勧める権限はある」と強弁し、無罪を主張するのだった。 「天皇に桃を勧める権限」を持つ!?ニセ東大教授 福島地裁  詐欺罪に問われた男は農業園芸コンサルタントの加藤正夫氏(75)=東京都練馬区。刑務官2人に付き従われて入廷した加藤氏は小柄で、上下紺色のジャージを着ていた。眼鏡を掛け、白いマスク姿。整髪料が付いたままなのか、襟足まで伸びた白髪混じりの髪は脂ぎっており、オールバックにしていた。  加藤氏は2022年夏に福島市飯坂町湯野地区の70代農家Aさんを通じ、Aさんを合わせて4軒の農家から「皇室に献上する」と桃4箱(時価1万6500円相当)を騙し取った罪に問われている。宮内庁名義の「献上依頼書」を偽造し、農家を信じ込ませたとして偽造有印公文書行使の罪にも問われた。  被害は県内にとどまらない。献上名目で北海道や茨城県、神奈川県の農家がトマトやスイカ、ミカンなどの名産品を騙し取られている。茨城県の事件は福島地裁で併合審理される予定だ。加藤氏の東京の自宅には全国から米や野菜、果物が届けられており、立件されていない事件を合わせれば多くの農家が被害に遭ったのだろう。  加藤氏はいったいどのような弁明をするのか。検察官が前述の罪状を読み上げた後、加藤氏の反論は5分以上に及んだ。異例の長さだ。  加藤氏「検察の方は、私が被害者のAさんに対して宮内庁に桃を推薦したとか、選ぶ権利があると言ったとおっしゃっていましたけど、Aさんには最初から私は宮内庁職員ではありませんと言っています。Aさんから桃を騙し取るつもりは毛頭ありません。私に選ぶ権利はありませんが、福島の桃を『いい桃ですよ』と推薦する権利は持っています。それと献上依頼書は5、6年前に宮内庁の方から古いタイプのひな形にハンコを押したものをいただきまして、それをもとに宮内庁と打ち合わせて納品日を記入しました。ですから献上依頼書は、ある意味では宮内庁と打ち合わせて内容を書いたものでして……」  要領を得ない発言に業を煮やした裁判官が「つまり、偽造ということか」と聞くと  加藤氏「宮内庁と打ち合わせをした上で私の方で必要な事柄を記入してAさんにお渡ししています」  裁判官「他に言いたいことは」  加藤氏「私は桃を献上品に選ぶ権限は持っていませんが、良質な物については『これはいい桃ですから、どうか陛下が召し上がってください』と勧める権利はあります」  裁判官「選定権限はないと」  加藤氏「はい。決定権は宮内庁にあります」  加藤氏は「献上桃の選定権限はないが推薦権限はある」などという理屈を持ち出し、Aさんを騙すつもりはなかったので無罪と主張した。宮内庁とのつながりも自ら言い出したわけではなく、Aさんが誤信したと主張した。  延々と自説を述べる加藤氏だが、献上依頼書が偽造かどうかの見解はまだ答えていない。裁判官が再び聞くと、加藤氏は「結局、私が持っていたのは5、6年前の古いタイプの献上依頼書なんですね。宮内庁から空欄になったものをいただきました。そこには福島市飯坂町のAさんの桃はたいへん良い桃で以下の通り指定すると登録番号が記入されていました。私がいつ献上するかを書いて、宮内庁やAさんと打ち合わせをして……」  裁判官「細かい話になるのでそこはまだいいです。偽造かどうかを答えてください」  加藤氏「それは、コピーをした白い紙に……」  裁判官「まず結論を」  結局、加藤氏は献上依頼書が偽造かどうか答えず、自身が作った書類であることは間違いないと認めた。釈明は5分超に及んだが、まだ補足しておきたいことがあったようだ。  加藤氏「2022年8月1日にAさんから桃4箱を受け取りましたが、うち2箱は確かに宮内庁に献上しました。残り1箱は成分を分析してデータを取りました。ビタミンなどを測りました」  裁判官「全部で4箱なので1箱足りないですが」  加藤氏「最後の1箱はカットして断面を品質の分析に使いました」  検査に2箱も費やすとは、贅沢な試料の使い方だ。  裁判官とのやり取りから「ああ言えばこう言う」加藤氏の人となりがつかめただろう。桃を騙し取られたAさんは取り調べにこう述べている。  「加藤氏が本当のことを話すとは思えない。彼は手の込んだ嘘を付いて、いったい何の目的で私に近づいてきたのか理解できない」(陳述書より) 「陛下が食べる桃を検査」  加藤氏がAさんに近づいたきっかけは農業資材会社を経営するBさんだった。2016年ごろ、加藤氏は別の農家を通じてBさんと知り合う。加藤氏は周囲に「東大農学部を卒業した東大大学院農学部の客員教授で宮内庁関係者」と名乗っていたという。Bさんには「自分は宮内庁庭園課に勤務経験があり、天皇家や秋篠宮家が口にする物を選定する仕事をしていた」とより具体的に嘘を付いていた。  加藤氏はBさんが肥料開発の事業をしていると知ると「自分は東大大学院農学部の下部組織である樹木園芸研究所の所長だ。私の研究所なら1回3万円で肥料を分析できる」と言い、本来は数十万円かかるという成分分析を低価格で請け負った。これを機にBさんの信頼を得る。  だが、いずれの経歴も嘘だった。宮内庁に勤務経験はないし、東大傘下の「樹木園芸研究所」は実在しない。ただ、加藤氏は日本大学農獣医学部を卒業しており、専門的な知識はあった模様。「農学に明るい」が真っ赤な嘘ではない点が、経歴を信じ込ませた。  加藤氏はBさんとの縁で「東大客員教授」として農家の勉強会で講師を務めるようになった。ここで今回の被害者Aさんと接点ができた。2021年5月ごろにはAさんら飯坂町湯野地区の農家たちに対して「この地区の桃はおいしい。ぜひ献上桃として推薦したい。私は宮内庁で陛下が食べる桃の農薬残量や食味を検査しており、献上品を選定できる立場にある」と言った。  同年7月にAさんは「献上品」として加藤氏に桃計70㌔を託した。加藤氏は宮内庁からの返礼として「皇室献上桃生産地」と揮毫された木札を渡した。木札の写真は、当時市内にオープンしたばかりの道の駅ふくしまに福島市産の桃をPRするため飾られた。  実は、宮内庁からの返礼とされる木札も加藤氏の創作だった。加藤氏は「献上した農家には木札が送られる。宮内庁から受け取るには10万円必要だが、農家に負担を掛けたくない。誰か知り合いに揮毫してくれる人はいないか」とBさんに書道家を紹介してほしいと依頼、木札に書いてもらった。  桃を騙し取ってから2年目の2022年6月には前述・宮内庁管理部大膳課名義の献上依頼書を偽造し、Aさんたちに「今年もよろしく」と依頼した。「宮内」の押印があったが、これは加藤氏が姓名「宮内」の印鑑として印章店に5500円で作ってもらった物だった。印章店も「宮内さん」が「宮内庁」に化けるとは思いもしなかっただろう。昨年に続きAさんたちは桃を加藤氏に託した。  「皇室献上桃生産地」の木札に「宮内」の印鑑。もっともらしいあかしは、嘘に真実味を与えるのと同時に注目を浴び、かえってボロが出るきっかけとなった。現在、県内で皇室に献上している桃は桑折町産だけだ。新たに福島市からも桃が献上されれば喜ばしいニュースになる。返礼の木札を好意的に取り上げようと新聞社が取材を進める中で、宮内庁が加藤氏とのつながりと、福島市からの桃献上を否定した。疑念が高まる。2023年7月に朝日新聞が加藤氏の経歴詐称と献上桃の詐取疑惑を初報。Aさんが被害届を出し、加藤氏は詐欺罪で捕まった。  ただ、事件発覚以前からAさん、Bさんともに加藤氏に疑念の目を向けるようになっていた。加藤氏は「献上品を出してくれた人たちは天皇陛下と会食する機会が得られる」と触れ回っていたが、Bさんが「会食はいつになるのか」と尋ねても加藤氏は適当な理由を付けて「延期になった」「中止になった」とはぐらかしていたからだ。  Bさんは知り合いの東大教員に加藤氏の経歴を尋ねると「そんな男は知らない」。2023年7月に宮内庁を訪れ確認したところ、加藤氏の経歴が全くのデタラメで桃も献上されていないことが分かった。Aさんはこの年も近隣農家から桃を集め、同月下旬に加藤氏に託すところだったが、Bさんから真実を知らされ加藤氏を問い詰めた。加藤氏は「献上した」と強弁し、経歴詐称については理由を付けて正直に答えなかった。  2021、22年と加藤氏に託した桃の行方は分かっていない。転売したのか、自己消費したのか。加藤氏が「献上した」と言い張る以上、裁判で白状する可能性は低い。  もっと分からないのは動機だ。農産物の転売価格はたかが知れており、騙し取った量で十分な稼ぎになったとは思えない。時間が経てば品質が落ちるので短期間で売りさばかなければならず、高価格で販売するにはブランド化しなければならないが、裏のマーケットでそれができるのか。第一、加藤氏は「宮内庁関係者」「東大客員教授」を詐称し、非合法の儲け方をするには悪目立ちしすぎだ。 学歴コンプレックス  犯行動機は転売ではなく、加藤氏の学歴コンプレックスと虚栄心ではないか。それを端的に示す発言がある。加藤氏は取り調べでの供述で「東大農学部農業生物学科を卒業し、東大大学院で9年間研究員をしていた」と自称していたが、実際は日大農獣医学部農業工学科卒と認めている。昨年12月に開かれた初公判の最後には、明かされた自身の学歴を訂正しようと固執した。  「ちょっとよろしいですか。私の経歴で日本大学を卒業とありますが、卒業後に5年間、東京大学の研究員をしていますので……」  冒頭の要領を得ない説明がよみがえる。まだまだ続きそうな気配だ。 これには加藤氏の弁護士も「そういうことは被告人質問で言いましょう」と制した。  天皇と東大。日本でこれほどどこへ行っても通じる権威はないだろう。加藤氏は「宮内庁とのつながり」「東大の研究者」をひっさげて全国の農村に出没し、それらしい農学の知識を披露して「先生」と崇められていた。水を差す者が誰もいない環境で虚栄心を肥大させていったのではないか。福島市飯坂町湯野地区の桃農家は愚直においしさを追求していただけだったのに、嘘で固められた男の餌食になった。

  • 政経東北【2024年3月号】

    政経東北【2024年3月号】

    【政経東北 目次】県内元信者が明かす旧統一教会の手口/【衆院選新3区】未知の県南で奮闘する会津の与野党現職/【白河】旧鹿島ガーデンヴィラ「奇妙なM&A」の顛末/【センバツ出場】学法石川の軌跡/安田秀一いわきFCオーナーに聞く/【特集・原発事故から13年】/福島駅東口再開発に暗雲 アマゾンで購入する BASEで購入する 県内元信者が明かす旧統一教会の手口 新法では救われない「宗教2世」 【衆院選新3区】未知の県南で奮闘する会津の与野党現職 上杉支持者に敬遠される菅家氏、玄葉票取り込みが課題の小熊氏 【白河】旧鹿島ガーデンヴィラ「奇妙なM&A」の顛末 不動産を市内外の4社が競売で取得 【棚倉町議会】議長2年交代めぐるガチンコ対決 議員グループ分裂で9月町長選への影響必至!? 問われるあぶくま高原道路の意義 利用促進を妨げる有料区間 【センバツ出場】学法石川の軌跡 佐々木順一朗監督のチームづくりに迫る 【スポーツインタビュー】安田秀一いわきFCオーナーに聞く 「君が来れば、スタジアムができる」 過渡期を迎えた公設温浴施設【会津編】 会津美里町は民間譲渡で存続 【特集・原発事故から13年】 ①県内復興公営住宅・仮設住宅のいま ②復興事業で変わる双葉郡の居住者構成 ③追加原発賠償の課題 ④復興イノベーションは実現できるのか ⑤原発集団訴訟 6・17最高裁判決は絶対なのか(牧内昇平) ⑥フクイチ核災害は継続中(春橋哲史) ⑦廃炉の流儀 拡大版(尾松亮) 県職員・教員の不祥事が減らないワケ 横領金回収が絶望的な会津若松市と楢葉町 国見町議会には荷が重い救急車事業検証 福島駅東口再開発に暗雲 福島駅「東西口再編」に必要な本音の議論 その他の特集 巻頭言 復興まちづくりの在り方 グラビア 旧避難区域の〝いま〟 今月のわだい 維新の会県総支部「郡山移転」の狙い 南相馬木刀傷害男の被害者が心境吐露 矢吹町「ホテルニュー日活」破産の背景 桐島聡に影響与えた⁉福島医大の爆弾魔 特別インタビュー 小櫻輝・県交通安全協会長 管野啓二・JA福島五連会長 企画特集 地域資源を生かした田村市のまちづくり 挑戦とシン化を続けるいわき商工会議所 市長インタビュー 木幡浩・福島市長 須田博行・伊達市長 高松義行・本宮市長 首長新任期の抱負 星學・下郷町長 インフォメーション 新常磐交通 福島観光自動車 陽日の郷あづま館 矢祭町・矢祭町教育委員会 連載 横田一の政界ウオッチ耳寄り健康講座(ときわ会グループ)ふくしま歴史再発見(岡田峰幸)熟年離婚 男の言い分(橋本比呂)東邦見聞録高橋ユキのこちら傍聴席選挙古今東西(畠山理仁)ふくしまに生きる 編集後記

  • 立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

    【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 反対一色の【松川浦自然公園】湿地埋め立て

    反対一色の【松川浦自然公園】湿地埋め立て

     相馬市尾浜の市営松川浦環境公園に隣接する私有地の湿地で、埋め立て工事が計画されている。地元住民や環境団体、相馬双葉漁協は「生活環境が悪化する」、「自然環境が損なわれる」などの理由で反対している。事業者側の担当者を直撃すると、反対意見に対する〝本音〟をぶちまけた。 〝騒いでいるのは一部〟とうそぶく事業者  松川浦は太平洋から隔てられた県内唯一の「潟湖」。震災・原発事故後、ノリ・アサリの養殖は自粛を余儀なくされたが、現在は復活。2020年には浜の駅松川浦がオープンし、同市の観光拠点となっている。一帯は県立自然公園に指定され、多様な自然環境が維持されている。  埋め立て工事が計画されているのは、そんな松川浦県立自然公園内の北西部に当たる同市札ノ沢の私有地。大森山、市松川浦環境公園(旧衛生センター跡地)に隣接する約2㌶の湿地で、松川浦とは堤防で隔てられているが、水門でつながっている。  もともと同湿地を所有していたのは、東京都在住の野崎節子氏(故人)で、〝野崎湿地〟と呼ばれている。かつては絶滅危惧Ⅰ類のヒヌマイトトンボの生息地として知られていたが、津波でヨシ群落が壊滅して以来、確認できなくなった。  「ただ、2022年に県が実施した動植物調査結果によると、レッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)に登録されている植物・昆虫・底生生物が10種以上確認されています。同公園の中でも重要な希少種の生息域です」(かつて野崎氏から同湿地の管理を任されていた環境保護団体「はぜっ子倶楽部」の新妻香織代表)  そうした中で昨年9月、所有者である野崎氏の親族から同湿地を取得したのが、同月に設立されたばかりの合同会社ケーエム(宮城県気仙沼市、三浦公男代表社員)だ。資本金100万円。事業目的は不動産賃貸・売買・仲介・管理、鉱物・砂利・砂・土石、各種建材の販売など。  三浦氏は64歳で、北部生コンクリート(宮城県気仙沼市)の社長でもある。1983年設立。資本金4000万円。民間信用調査機関によると2022年9月期売上高5億8000万円、当期純利益9000万円。  県立自然公園では自然環境に影響を及ぼす恐れのある行為が規制される。ただ、同湿地は県への届け出で土地開発が可能となる「普通地域」で、埋め立ては禁止されていない。ケーエムは11月8日、県に届け出を提出。市には工事の進入路などに市有地を使う許可申請をした。  同17日には、市松川浦環境公園の管理業務を受託するNPO法人松川浦ふれあいサポート(菊地三起郎理事長)の役員を対象とした説明会が開かれた。説明会を担当したのは北部生コンクリートの子会社で、運搬事業を担うアクトアライズ(宮城県仙台市宮城野区、三浦公男社長)。説明会は同法人関係者以外の人にも開放され、県議や市議、住民、漁業関係者、環境団体関係者など約30人が出席した。  説明会の参加者によると、同湿地取得の目的はケーエムの事務所用地の確保。横浜湘南道路(首都圏中央連絡自動車道=圏央道の一部)の建設工事で出た残土など約7万立方㍍で湿地を埋め立てる。土は汚染物質を検査した後、船で相馬港まで運び、車両で現地に運び込む計画だ。  当日出た意見は「汚染されていないか不安になる」、「ノリやアサリは原発事故後、苦難の中で復活した。新たな風評被害が生まれると困る」、「絶滅危惧種が多く生息している場所を埋め立てないでほしい」、「松川浦環境公園は環境省のみちのく潮風トレイルの始発点(終着点)でもある場所。ここの景観を壊すことは大変な損失になる」など。慎重な対応を求める意見が大半だったという。  12月10日には地元住民を対象とした説明会が開かれたが、この前後に新聞報道が出たこともあり、反対意見が続出したようだ。  さらに同12日には地元の細田地区会が工事への反対を決議し、立谷秀清市長に要望書を提出。同日、松川浦周辺の宿泊施設でつくる市松川浦観光旅館組合も、立谷市長に反対の申し入れを行った。同19日には相馬市の相馬双葉漁協が「埋め立てにより周辺の漁場が将来にわたり影響を受ける」として、市に埋め立て反対を申し入れた。  一方、12月4日には、前述した工事の進入路などに市有地を使う許可申請について、NPO法人松川浦ふれあいサポートが「住民への説明が不十分で、地域として不安と不信があることから、市の行政財産使用許可を控えるべき」とする意見書を立谷市長に提出した。  埋め立て計画に対し反対一色となっており、こうした反応を受けて県や市も慎重な姿勢を見せている。  県(知事)は県立自然公園内の「普通地域」の土地開発届け出があった際、風景を保護するために必要があると認められる場合、30日以内に土地開発の禁止・制限、期間延長などの措置を命じることができる。  県自然保護課の担当者は「特に法令違反などはなかったので、措置を命じることはありませんでした」としながらも、「地元住民の理解促進に努め、自然環境への影響を考慮するよう要請しました」と話す。 市長は反対意見尊重 野崎湿地  相馬市の立谷市長は前述した私有地の使用許可をめぐり、NPO法人松川浦ふれあいサポートの意見書を受け取った際、「地域にとって重要な土地に関して、住民の理解が得られない以上、市として行政財産使用を許可できない」と述べた。  12月7日に開かれた相馬市議会12月定例会の一般質問でも、中島孝市議(1期)の質問に答える形で「現時点で公共の利益または公益性が認められないことに加え、地域住民の理解を得られておらず、意見書が寄せられていることを踏まえると、市は使用許可については不適切と考えています」と答弁した。  市執行部は「説明会で多数の住民から不安の声が寄せられたことを踏まえ、事業者に対し、埋め立てようとしている土地に不適切なものが混入していないか、そのことによって長年にわたり弊害が起きないか、丁寧な説明を求めてきた。また、県から意見書を求められたので、①周辺環境の保全に十分配慮すること、②長期的な環境への影響が発生した際の責任や対応態勢を明確にすること、③住民の理解を得ないまま工事に着手しないこと――などの意見を表明した。以前、相馬中核工業団地東地区に不適切な残土が運搬された苦い経験(汚染物質を含む残土が運搬された。〝川崎残土問題〟と呼ばれている)もあることから意見書を提出した」と説明した。  中島市議が「市は環境基本条例を制定している。環境面への影響を考えて、市が先頭に立って反対すべきではないか」と質したのに対し、立谷市長は「許認可権は県が持っている。反対運動を演出(主導)するようなことは慎みたいが、反対の声が多ければ十分尊重する」と話した。  こうした中で、それでも事業者は埋め立て計画を強行するのか。12月11日、土地を所有するケーエムに代わって〝窓口役〟を務める前出・アクトアライズの福島営業所(浪江町)を訪ねたところ、伊藤裕規環境事業部長が取材に応じた。 アクトアライズ福島営業所  ――野崎湿地を取得したケーエムとはどんな会社か。  「北部生コンの三浦公男社長の個人会社。当初、湿地は個人で取得するつもりだったが、経費を精算するために会社を立ち上げた。この事務所自体は10年ぐらい前に設置しました(アクトアライズは2022年設立なので、関連会社の事務所という意味だと思われる)」  ――埋め立て計画について住民から反対の声が上がっている。  「一部の人が騒いでいるだけ。環境団体や共産党の関係者がわーっと来て質問しているだけで、多くの地元の人は辟易している。NPO法人松川浦ふれあいサポートや相馬双葉漁協などの〝まともな人〟は『特に反対意見はないが、埋め立てた後にどう利用されるのか気になる』とのことだったので、必要なエリア以外は相馬市に寄贈することも含めて検討しています」  ――「一部の人が騒いでいる」というがどんなことを言っているのか。  「弊社のダンプが狭い道を猛スピードで走行していて、運転手に注意したら逆に暴言を吐かれた――とか。各車両にGPSが付いているので、具体的にどこであったことなのか教えてほしいと言ってもあやふやな答えしか返ってこない。運転手一人ひとりに確認したが、注意されたという人は一人もいなかった。埋め立て計画を止めるための完全な言いがかりでしょう。地元で活動する環境団体関係者から『(約2万平方㍍の湿地と)私が所有する100坪(331平方㍍)の田んぼと交換しましょう』と意味不明な提案をされ(※)市議らから『市長に金を渡して埋め立てを決めたというウワサも出ている』などめちゃくちゃなことも言われた。名誉棄損、威力業務妨害に当たる行為もあったので、今後の対応について弁護士と相談しています」 ※環境団体関係者は「野崎湿地だけは避けてほしい。どうしても事務所建設用地が必要ならば100坪の土地を提供してもいい」と提案したとのこと。  ――野崎湿地は希少生物がいるので自然環境保護の観点から埋め立ては控えるべきとの意見がある。  「現場に行ったら自転車や冷蔵庫が捨ててあり、引っ張り上げた。環境が大事というのならまずごみ拾いからやるべきではないか。希少なトンボが生息しているというが、調査の結果、いまはいなくなったとも聞いている。自然環境保護といっても完全に主観の話になっている」  「裁判も辞さない」  ――そもそもどういう経緯で湿地を取得したのか。  「(北部生コンクリート本社がある)宮城県と(アクトアライズ福島営業所がある)浪江町をつなぐ中継地点かつ物流拠点である相馬港周辺の土地を探す中で、不動産業者からあの場所(野崎湿地)を紹介された。僕らは車を止める場所として300坪だけ購入するつもりだった。ただ、前の所有者(野崎氏の親族)に『一括して購入してほしい』、『子どもが落ちたら危ないので埋め立ててほしい』と依頼され、2㌶分を購入して埋め立てることにした。地元の学校関係者にも『埋め立ててもらった方がいい』と言われ、行政区長からも了解を得たので計画したまでです」  ――運び込まれる土に対する不安は大きいようだ。  「まるで汚染土でも運び込むように言われているが、神奈川県横浜市の道路工事現場で、NEXCOがシールドマシンを使ってトンネルを掘り出した際に出てきた普通の土ですよ。仮にその辺の山から土を持ってきても重金属など有害物質が入っている可能性がある。うちは公共工事の土しか扱っていないので、もし汚染物質が混入していたら、排出者である自治体やNEXCOに責任を取ってもらうだけです」  ――今後の見通しは。  「年が明けたらNPO法人松川浦ふれあいサポートに跡地利用のビジョンを示し、そのうえで市に再度市有地を使う許可申請を行う。それでも市が同意できないというなら裁判も辞さない考えです」  取材時点では「(反対しているといっても)一部住民が騒いでいるだけ」とかなり強気の姿勢を見せていた伊藤氏だが、前述の通りその後、細田地区会、市松川浦観光旅館組合、相馬双葉漁協、NPO法人松川浦ふれあいサポートなどが反対意見を表明している。  学校関係者は埋め立てに賛意を示したとのことだが、あらためて市教委に確認したところ、「中村二小、中村二中とも説明を受けただけと聞いている。事実と異なる」という(後日、アクトアライズの営業課長に電話取材したところ、「教頭と面会したのは私だ。間違いなく『埋め立ててもらった方がいい』と言っていた」と主張していた)。  細田地区会にも確認したが、津野信会長が「反対決議は班長など30人ほどが集まって決めた。一部の人の声だけで決めたわけではない。実際にダンプのドライバーに注意して暴言を吐かれた人もいる」と反論した。  〝まともな人〟と評価されていたNPO法人松川浦ふれあいサポートの菊地理事長は「特定の政党や特定の団体と意見を共にする考えはない」と強調しつつも「現在の環境のまま残してほしいというのがわれわれの思いだ」と話した。  双方の主張がすれ違っており、どちらが正しいか判然としないが、いずれにしても「一部の人が騒いでいるだけ」とは言い難い状況と言えよう。一方で、「自然環境保護をうたうわりに、粗大ごみが放置されていた」という指摘は、事実であれば地元住民や環境団体にとって耳が痛い指摘ではないか。 世界・国の流れと逆行  福島大学共生システム理工学類の黒沢高秀教授(植物分類学、生態学)は「ネイチャーポジティブ(生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せること)を推進する世界・国の流れと逆行した動きであることを残念に思います」と述べる。  「2022年、生物多様性条約第15回締約国会議で世界目標『昆明・モントリオール生物多様性枠組』が採択され、昨年3月には『生物多様性国家戦略2023―2030』が閣議決定されました。同月、県が同戦略を反映した『第3次ふくしま生物多様性推進計画』を策定しています。にもかかわらず、県は従来と変わらないスタンスで県立自然公園内の埋め立てを容認し、相馬市も地元自治体として意見を言う機会があったのに動かなかったことになります」  黒沢教授によると、松川浦県立自然公園はもともと全国的に著名な景勝地で、1927(昭和2)年には東京日日新聞・大阪毎日新聞の企画で日本百景にも選ばれたという。だがその後、埋め立て・護岸工事が進む中で岸辺の風景が消失していき、戦後は景勝地選定から外れた。  「風景を大切にしないことが観光客・経済的価値の減少、生態系サービスの享受の低下につながり、そのことでさらに風景を大切にしない傾向が強まる〝負のスパイラル〟に陥っているようにも見える。今回の問題をきっかけに、松川浦の風景の重要性があらためて認識され、風景保全や再生が進み、全国的な景勝地としてのステータスを取り戻す方向に進むことを望みます」(同)  12月20日、相馬市議会12月定例会最終日には、同市議会に寄せられた野崎湿地の埋め立て中止を求める陳情が請願として採択され、市議会として埋め立てに反対する決議が議決された。  アクトアライズは報道に対し、「地域住民の理解を得て進めていきたい」と取り繕ったコメントをしているが、前述の対応を聞く限り本音は違うのだろう。ちなみに、住民説明会参加者から「しっかりしていて信頼できる人」と評されていた同社の営業課長にも電話取材したが、やはり「反対しているのは一部の人」という認識を示した。  同湿地埋め立て計画に対し、県と相馬市はどう対応していくのか。地元住民や各団体は自然保護のためにどうアクションするのか。今後の動きで生物多様性に対するスタンスが自ずと見えてきそうだ。 ※はぜっ子倶楽部の新妻代表は「メンバーで協力してお金を出し合い土地を買い取り、県に管理してもらう考えだ」と明かした。

  • 南相馬闇バイト強盗が招いた住民不和

    南相馬闇バイト強盗が招いた住民不和

     昨年2月、南相馬市の高齢者宅を襲った闇バイト強盗事件が地域住民に不和を与えている。強盗の被害に遭った男性A氏(78)が近所の男性B氏(74)を犯人視し、昨年8月に木刀で突いた。A氏は傷害罪に問われ、現在裁判が続く。B氏が根拠なく犯人扱いされた窮状と、加害者が既に別の犯罪の被害者であることへの複雑な思いを打ち明けた。 ※A氏は傷害罪で逮捕・起訴され、実名が公表されているが、闇バイト強盗被害が傷害事件を誘発した要因になっていることと地域社会への影響を鑑み匿名で報じる。 強盗被害者に殴られた男性が真相を語る 木刀で殴られた位置を示す男性  傷害事件は、昨年2月に南相馬市で発生した若者らによる闇バイト強盗事件が遠因だ。20~22歳のとび職、専門学校生からなる男3人組が犯罪グループから指示を受けて福島駅(福島市)で合流し、南相馬市の山あいにある被害者宅に武器を持って押し入った。リーダー格の男は札幌市在住、残り2人は東京都内在住で高校の同級生。2組はそれぞれ指示役から「怪しい仕事」を持ち掛けられ、強盗と理解した上で決行した。   強盗致傷罪に問われた実行犯3人には懲役6~7年の実刑判決が言い渡されている。東京都の2人に強盗を持ち掛けた同多摩市のとび職石志福治(27)=職業、年齢は逮捕時=は共謀を問われ、1月15日に福島地裁で裁判員裁判の初公判が予定されている。  強盗被害を受けた夫婦は家を荒らされ、現金8万円余りを奪われただけでなく大けがを負った。何の落ち度もないのに急に押し入られたわけで、現在に至るまで多大な精神的被害を受けている。にもかかわらず、犯行を計画・指示した札幌市のグループの上層部は法の裁きを受けていない。SNSや秘匿性の高い通信アプリを通じ何人も人を介して指示を出しており、立証が困難なためだ。犯罪を実行する闇バイト人員は後を絶たず、トカゲの尻尾切りに終わっている。被害者は全容がつかめず釈然としない。その怒りはどこに向ければいいのか。  矛先が向いたのが近所に住む知人男性B氏だった。当人が傷害事件のあった8月11日を振り返る。  「その日はうだるような暑さでした。午後2~3時の間に車でA氏の自宅前を通るとA氏が道路沿いに座っていました。私は助手席の窓を開けて『暑いから熱中症になるなよ』と声を掛けるとA氏は『水持ってるから大丈夫』と答えました」  A氏からB氏の携帯電話に着信があったのは午後10時41分ごろだった。  「私は深夜の電話は一切出ないことにしています。放っておくと玄関ドアを叩く音が聞こえました。開けるとA氏がいたので『おやじ、どうした?』と聞くと、A氏は『お前を殺しに来た』。私が『お前に殺されるようなタマじゃない』と答えるやA氏は左手に持った20㌢くらいの木刀を私の額に向かって突き出してきました。眉間に当たった感覚があり、口の中にたらたらと血が入ってきたので出血がおびただしいと理解した」  B氏がのちに警察から凶器の写真を見せられると、木刀の切っ先や周りに釘が複数打ち込まれていたという。「釘バットという凶器があるでしょ。あんな感じです。これで額を突かれればあれだけ血が出るのも頷ける」(B氏)。  攻撃を受けた後、B氏はA氏の両手を掴んで動きを封じ、B氏の借家と同じ敷地に住む大家の元へ連れていき助けを求めた。警察に通報してもらうと、A氏と軽トラを運転してきたA氏の妻はそのまま帰っていったという。A氏は凶器の木刀を置いていった。B氏は「大家が軽トラの荷台に戻していたので、木刀の現物を詳しくは見ていない」と語った。  地裁相馬支部で昨年12月11日に開かれた公判ではB氏や大家に対する証人尋問が行われた。B氏は「A氏を許すことはできない」と厳罰を求めた。  この傷害事件で気になるのがA氏の動機だ。なぜ強盗被害者が木刀で知人を襲うに至ったのか。裁判で検察側は「B氏が北海道出身だったことで、A氏は早合点した」と言及している。どういうことか。  12月11日、証人尋問を終えたB氏に相馬市内のファミレスで話を聞いた。  「確かに私は北海道出身です。東日本大震災・原発事故後に土木工事業者として福島県に来ました。除染関連の仕事に従事していました」  B氏は、A氏が闇バイトを利用した一連の強盗事件で、指示役「ルフィ」らが北海道出身で日本では札幌市を拠点にしていたことと自分を結び付けたのではないかと推測する。南相馬市の闇バイト集団は、全国の高齢者が自宅に持つ現金や金塊などの資産状況を裏ルートで把握していた。B氏は「A氏は資産情報を漏らした犯人が自分だと因縁をつけたのではないか」と憤慨する。  「疑うべきところは私ではない。震災直後、A氏の自宅敷地内には除染や工事作業員の寮があり、全国から身元が判然としない人物が多く出入りしていた。私は南相馬に10年以上根を下ろし、大家さんや地元の方に良くしてもらっている。強盗の片棒を担いだと思われていたのは残念です」 救済制度の周知不足  B氏から話を聞くうちに、犯罪被害者救済制度を知らないことが明らかになった。福島県は犯罪被害者等支援条例を2022年4月に施行しているが、取り調べた警察や検察、居住地の南相馬市からは同制度が十分に周知されていなかった。筆者の取材を受ける中で同制度の存在を知り、検察から渡された手引きを見返すと支援の内容が載っていた。 犯罪被害者支援に特化した条例を制定している県内の自治体 白河市、喜多方市、本宮市、天栄村、北塩原村、西会津町、湯川村、金山町、昭和村、西郷村、矢吹町、棚倉町、塙町、三春町、小野町、広野町、楢葉町 (警察庁「地方公共団体における犯罪被害者等施策に関する取組状況」より)  犯罪被害者を支援する条例は岩手県以外の都道府県が制定する。被害者やその家族が被害から回復し、社会復帰できるように行政と事業者、支援団体の連携と相談体制、被害に対する金銭的支援を定めたもの。福島県は「犯罪被害者等見舞金」として、各市町村が給付する見舞金を半額補助している。  けがを負わされた被害者は治療費が掛かるし、外傷は治っても心理的ショックは長期間なくなることはない。その間は仕事に就けなくなる可能性も高い。B氏も額のけがが気になり、しばらく人前に出られなかったという。  問題意識を持って被害者支援に特化した条例を制定する市町村も出て来た。警察庁の2023年4月1日現在の統計によると、県内では表の17市町村が制定している。南相馬市は制定していない。  条例があることは当事者への理解が進んでいる自治体のバロメーターと言っていい。近年制定した自治体には、凄惨な事件の舞台となったところもある。誰もが加害者と被害者になってはいけない。だが、現に起こり、近しい人の協力だけでは復帰は難しく、公的支援が必要だ。南相馬市で発生した二つの事件を機に、全県で実効性の伴う犯罪被害者・家族の支援体制を整備するべきだ。

  • 陸自郡山駐屯地「強制わいせつ」有罪判決の意義

    陸自郡山駐屯地「強制わいせつ」有罪判決の意義

     陸上自衛隊郡山駐屯地に所属する部隊内で起こった強制わいせつ事件で、被告の元自衛官の男3人に懲役2年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。被害者の元自衛官五ノ井里奈さんは、顔と実名を出し社会に訴えてきた。福島県では昨年、性加害をしたと告発される福島ゆかりの著名人が相次いだ。被害者が公表せざるを得ないのは、怒りはもちろん、当事者が認めず事態が動かないため、世論に問うしか道が残っていないからだ。2024年はこれ以上性被害やハラスメント告発の声を上げずに済むよう、全ての人が自身の振る舞いに敏感になる必要がある。(小池航) 本誌が報じてきた性被害告発 被告たちを撮ろうとカメラを構えるマスコミ=2023年12月12日。 裁判所を出る関根被告(左)と木目沢被告(右)=同10月30日。  陸上自衛隊郡山駐屯地に所属する部隊の男性隊員3人が同僚の女性隊員を押し倒し腰を押しつけたとして強制わいせつ罪に問われた裁判で、福島地裁は昨年12月12日に懲役2年執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡した(肩書は当時)。有罪となった3人はいずれも郡山市在住の会社員、渋谷修太郎被告(31)=山形県米沢市出身、関根亮斗被告(30)=須賀川市出身、木目沢佑輔被告(29)=郡山市出身。刑事裁判に先立って3人は自衛隊の調査で被害女性への加害行為を認定され、懲戒免職されていた。  冒頭の報じ方に違和感を覚える読者がいるかもしれない。それは、裁判の判決報道のひな形に則り、刑事裁判の主役である被告人をメーンに据えたからだ。定型の判決報道で実態を表せないほど、郡山駐屯地の強制わいせつ事件は有罪となるまで異例の道筋をたどった。被害を受けた元女性自衛官が顔と実名を出して、一度不起訴になった事件の再調査を世論に訴える必要に迫られたためだ。  被害を実名公表したのは五ノ井里奈さん(24)=宮城県東松島市出身。2021年8月の北海道矢臼別演習場での訓練期間中に宴会が行われていた宿泊部屋で受けた被害をユーチューブで公表した。防衛省・自衛隊が特別防衛監察を実施して事件を再調査し、男性隊員らによる性加害を認め謝罪するまでには、自衛隊内での被害報告から約1年かかった。加害行為に関わった男性隊員5人のうち技を掛けて倒し腰を押しつける行為をした3人が強制わいせつ罪で在宅起訴された。被告3人はわいせつ行為を否定。うち1人は腰を振ったことを認めたが「笑いを取るためだった」などとわいせつ目的ではなかったと主張。しかし、3人とも有罪となった。原稿執筆時の12月21日時点で控訴するかどうかは不明。  筆者は福島地裁で行われた全7回の公判を初めから終わりまで傍聴した。注目度が高かったため、マスコミや事件の関係者が座る席を除く一般傍聴席は抽選だった。本誌は裁判所の記者クラブに加盟していないため席の割り当てはない。外勤スタッフ8人総出で抽選に臨み、何とか傍聴席を確保できた。判決公判は一般傍聴席35席に202人が抽選に臨み、倍率は5・77倍だった。  事件を再調査した特別防衛監察は、これまではおそらく取り合ってこなかったであろう自衛隊内のハラスメント行為を洗い出した。自衛隊福島地方協力本部(福島市)では、新型コロナウイルスのワクチン接種を拒否した隊員に接種を強要するなどの威圧的な言動をしたとして、同本部の50代の3等陸佐を戒告の懲戒処分にした(福島民報昨年11月27日付より)。  ある拠点の現役男性自衛官は特別防衛監察後の変化を振り返る。  「セクハラ・パワハラを調査するアンケートや面談の頻度が増えた。月例教育でも毎度ハラスメントについて教育するようになり、掲示板には注意喚起のチラシが張られている。男性隊員は女性隊員と距離を置くようになり、体に触れるなんてあり得ない」  特別防衛監察によりセクハラ・パワハラの実態が明るみになったことで自衛隊のイメージは悪化し、この男性自衛官は常に国民の目を気にしているという。  「自衛隊は日本の防衛という重要任務を担っていて国民が清廉潔白さを求めているし、実際そうでなければならない。見られているという感覚は以前よりも強い」 今年2024年は自衛隊が発足して70年。軍隊が禁じられた日本国憲法下で警察予備隊発足後、保安隊、自衛隊と名前を変えた。国民の信頼を得る秩序ある組織にするには、ハラスメント対策を一過性に終わらせず、現場の声を拾い上げて対処する恒常的な仕組みの整備が急務だ。 本誌が向き合ってきた証言 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  性加害やハラスメントは自衛隊内だけではない。本誌は昨年、福島県ゆかりの著名人から性被害を受けたとする告発者の報道に力を入れてきた。加害行為は立場が上の者から下の者に行われ、被害者は往々にして泣き寝入りを迫られる。  昨年2月号「地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の裏の顔 飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相」では、飯舘村出身の女性俳優大内彩加さんが、所属する劇団の主宰である谷賢一氏から性行為を強要されたと告発、損害賠償を求めて提訴した。谷氏は否定し、法廷で争う。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に移住し、演劇事業を繰り広げようとしていた。東京の劇団内で谷氏によるセクハラやパワハラを受けていた大内さんは新たに出会った福島の人々にハラスメントが及ぶのを恐れ、実態を知らせて防ぐために被害を公表したと語った。  7月号では大内彩加さんにインタビューし、性被害告発後に誹謗中傷を受けるなど二次被害を受けていることを続報した。  4月号「生業訴訟を牽引した弁護士の『裏の顔』」では、演劇や映画界で蔓延するハラスメントの撲滅に取り組んできた馬奈木厳太郎弁護士から訴訟代理人の立場を利用され、性的関係を迫られたとして、女性俳優Aさんが損害賠償を求めて提訴した。馬奈木氏は県内では東京電力福島第一原発事故をめぐる「生業訴訟」の原告団事務局長として知られていたが、Aさんの提訴前の2022年12月に退いていた。本誌も記事でコメントを紹介するなど知見を借りていた。  8月号「前理事長の性加害疑惑に揺れる会津・中沢学園」は、元職員が性被害を訴えた。証言を裏付けるため、筆者は被害者から相談を受けた刑事を訪ねたり、被害を訴える別の人物の証言記録を確認し、掲載にこぎつけた。8月号発売の直前に学園側は記事掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立ててきたが、学園側は裁判所の判断を待たず申し立てを取り下げた。9月号ではその時の審尋を詳報した。  本誌が報じてきたのはハラスメントがあったことを示すLINEのやり取りや音声、知人や行政機関への相談記録など被害を裏付ける証拠がある場合だ。ただし、証拠を常に示せるとは限らない。泣き寝入りしている被害者は多々いるだろう。五ノ井さんの証言を認め、裁判所が下した有罪判決を契機に、まずは今まさに被害を訴えている人たちの声に、世の中は親身に耳を傾けるべきだ。

  • 五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    ノンフィクション作家 岩下明日香  元自衛官の五ノ井里奈さんが、陸上自衛隊郡山駐屯地の部隊内で受けた性被害を実名告発した後、マスコミと世論が関心を持つまでには時間を要した。告発当初から取材し、五ノ井さんの著書『声をあげて』の構成を手掛けたノンフィクション作家が振り返る。 名もなき元自衛官の女性が閉塞的な日本社会に大きな風穴を開ける。 五ノ井里奈さん=筆者撮影  台風接近により、天候が崩れるという天気予報に憂いた。電車が動かなくなったら東京から郡山までたどり着けないかもしれない。「本当に彼女が自衛官だったかもわからない」「交通費は出さない」と編集部が躊躇していた取材のため、自腹を切った新幹線の切符が紙くずになるかもしれない。そんな心配は杞憂だった。  2022年7月5日、昼過ぎに降り立った郡山は、早足で夏がやってきたかのように汗ばむ真夏日だった。  郡山を訪れたきっかけは、元自衛官・五ノ井里奈さんに会うためだ。五ノ井さんは、自衛隊を6月28日に退官し、その翌日にユーチューブ『街録チャンネル』などの動画を通じて自衛隊内で受けた性被害を告発していた。瞬く間にソーシャルメディアで拡散され、それが雑誌系ウェブメディアの業務委託記者をしていた筆者の目に留まったのだ。  動画のなかの五ノ井さんは、取り乱すことなく、卑劣な被害の経緯を淡々と語っていた。当時、まだ五ノ井さんは22歳という若さ。純粋な眼差しとあどけなさが残っていた。  五ノ井さんを含め、性犯罪に巻き込まれた被害者を記事で取り上げるとき、証言だけではなく、裏取りができないと記事化は難しい。説得力のある記事でなければ、被害者は虚偽の証言をしているのではないかという疑いの目が向けられ、インターネット上で誹謗中傷が膨らむという二次被害のリスクも孕む。  実際に記事にするとはあらかじめ約束できない取材だった。もし記事にできなかったら、追いつめられている被害者を落胆させてしまうから。懺悔すれば、最終的に記事を出すことができなかったことは一度ではなく、その度に被害者を傷つけているような罪悪感に駆られるのだ。  五ノ井さんにも確定的なことを約束せずにいた。被害者の証言を裏付けるものを見つけられるのか。話を聴いてみないとわからないと思い、郡山を目指した。  真夏日の郡山駅に到着してすぐに駅周辺を探索した。当時はまだコロナ禍で、駅ビルのカフェにはちらほら人がいる程度。人目があるとナイーブな話はしにくいだろうと思い、静かな場所を求めて駅の外へ出た。  すると、駅前にある赤い看板のカラオケ店が目に飛び込んできた。コロナ禍の影響で、カラオケ店ではボックスをリモートワーク用に貸し出していた。カラオケボックスなら防音対策がしっかりして静かだろうと思い、店員に料金を聞いてから、早々に駅に引き返し、待ち合わせ場所である新幹線の改札口前で待機した。  改札を出て左手にある「みどりの窓口」付近から発着する新幹線を示す電光掲示板を眺めていると、カーキ色のTシャツに迷彩ズボンをはいた男性がベビーカーを押して、改札前で足をとめ、妻らしき女性にベビーカーを託した。改札を通っていく妻子を見送る自衛官らしき男性が手を振って見送っていた。  近くに駐屯地でもあるのだろうか。それくらい筆者は自衛隊や土地に疎かった。当時はまだ、五ノ井さんが郡山駐屯地に所属していたことすら知らなかった。  しばらくすると、キャップを目深に被った青いレンズのサングラスをかけた人がこちらに向かって歩いてきた。半袖に短パンのラフな格好。  「あっ!」  青いサングラスの子が五ノ井さんだとすぐにわかった。五ノ井さん曰く、駐屯地が近くにあり、隊員が日ごろからウロウロしているため、サングラスと帽子で隠していたという。地方の平日の昼過ぎ、しかもコロナ禍で人の出が減り、わりと閑散としていた駅では、青いサングラスがむしろ目立っていた。「地元のヤンキー」が現れたかと思い、危うく目をそらすところだったが、大福のように白い肌と柔らかい雰囲気は、まさしく動画で深刻な被害を告白していた五ノ井さんであった。 必ず書くと心に決めた瞬間  五ノ井さんは、カラオケ店のドリンクバーでそそいだお茶に一口もつけずに淡々と自衛隊内で起きていたことを語った。淡々とではあるが、「聴いてほしい、ちゃんと書いてほしい」と必死に訴えてきてくれた目を今でも覚えている。会う前までは不確定だったが、必ず書くと心に決めた瞬間があった。五ノ井さんがこう言い放った瞬間だ。  「ただ技をキメて、押し倒しただけで笑いが起きるわけがないじゃないですか」  五ノ井さんは3人の男性隊員から格闘の技をかけられ、腰を振るなどのわいせつな行為を受けた。その間、周囲で見ていた十数人の男性自衛官は、止めることなく、笑っていた。男性同士の悪ノリで、その場に居合わせたたった1人の女性を凌辱していた場面が筆者の目に浮かんだ。目の奥が熱くなって、涙がわっと湧き溢れて、マスクがせき止めた。  自衛隊という上下関係が厳しく、気軽に相談できる女性の数が圧倒的に少ない環境で、仲間であるはずの隊員を傷つける行為。どうして周囲の人が誰も止めに入らないのか。閉ざされた実力集団において、自分よりも弱い者を攻撃することで、自分は強いという優位性を誇示したかったのだろうか。  ときに力の誇示は、暴力に発展する。国防を担う自衛隊は、国民を守るために「力」を備える。だが、それがいとも簡単に「暴力」に変わり、しかも周囲は「そういうものだ」とか「それくらいのことで」と浅はかに黙認する。そして一般社会の感覚とはかけ離れていき、集団的に暴力に寛容になり、エスカレートしていくのではないだろうか。  閉ざされた環境からして、被害者は五ノ井さんだけではないはずだ。取材を続ける意義は大きいと確信した。カラオケボックスにある受話器が「プルルルル~」とタイムリミットを知らせてきたが、2回ほど延長してじっくり話を聴いた。  五ノ井さんがユーチューブで告発してから2週間後、筆者の書いた記事は『アエラ』のウェブ版で配信された。すると、瞬く間に拡散され、同日中には野党の国会議員が防衛省に「厳正な調査」を要請し、事態が大きく動き出した。  さらに五ノ井さんは、防衛大臣に対して、第三者委員会による再調査を求めるオンライン署名と、自衛隊内でハラスメントを経験したことがある人へのアンケート調査も実施。署名を広く呼び掛けるために東京都内で記者会見の場を設けた。オンライン署名は1週間で6万件を突破し、署名サイトの運営者は「個人に関する署名でここまで集まるのはこれまでになかった」というほどの勢いだ。五ノ井さんのSNSのフォロワーも驚異的に伸び、同じような経験をしたことがあるという匿名の元隊員からの書き込みをも出てきた。  だが、現実は厳しかった。7月27日に開いた記者会見に足を運ぶと、NHKの女性記者1人だけ。遅れて朝日新聞の女性記者がもう1人。そして筆者をあわせて、マスコミはたったの3人だった。真夏に黒いリクルートスーツを身にまとった五ノ井さんは、空席の目立つ記者席に向かって、声を振り絞った。  「中隊内で隠ぺいや口裏合わせが行われていると、内部の隊員から聞いたので、ちゃんと第三者委員会を立ち上げ、公正な再調査をしてほしいです」 マスコミの反応が薄かった理由  静かに終わった会見後、五ノ井さんはコピー用紙に書き込んだ数枚のメモを筆者に差し出した。報道陣から質問されそうなことを事前にまとめ、答えられるように用意していたのだ。手書きで何度も書き直した跡が残っていた。なのに、ほとんど質問されなかった。結局、五ノ井さんのはじめての会見を報じたのは、筆者だけだった。  SNS上では反響が大きかったにもかかわらず、当初、マスコミの反応は薄かった。理由はおそらく2つ考えられる。1つ目は、五ノ井さんが強制わいせつ事件として自衛隊内の犯罪を捜査する警務隊に被害届を出したものの、検察は5月31日付で被疑者3人を不起訴処分にしていたから、司法のお墨付きがない。2つ目は、自衛隊に限らず、大手マスコミ自体も男性社会かつ縦社会でハラスメントが起こりやすい組織構造を持っているから、感覚的にハラスメントに対して意識が低い。  一度不起訴になった性犯罪を、あえて蒸し返す意義はどこにあるのか。昭和体質の編集部が考えることは、筆者もよくわかっている。刑事事件で不起訴になったとしても、警務隊や検察が十分な捜査を尽くしていなかった可能性があるにもかかわらず。  マスコミの関心が薄い反面、ネット上では誹謗中傷が沸き上がった。署名と同時に集めていたアンケート内には殺害予告も含まれていた。心無い言葉の矢がネットを通じて被害者の心を引き裂く「セカンドレイプ」にも五ノ井さんは苦しみ、体調を崩しがちになった。それでも萎縮することなく、五ノ井さんは野党のヒアリングに参加した。顔がほてり、目がうつろで今にも倒れそうな状態で踏ん張っていた。  8月31日に市ヶ谷に直接出向き、防衛省に再調査を求める署名とアンケート結果を提出。この時にやっとテレビも報じはじめた。少しずつマスコミと世論が関心を持ちだし、防衛省も特別防衛監察を実施して再調査に乗り出す。  そのわずか1カ月後の9月29日、自衛隊トップと防衛省が五ノ井さんの被害を認めて謝罪する異例の事態が起きた。この日、五ノ井さんから「パンプスがこわれた」というメッセージを受け取っていた。防衛省から直接謝罪を受けるため、急いで永田町の議員会館に向かっている途中で片方のヒールにヒビが入ったらしい。相当焦って家を出てきたのだろう。引き返す時間がないため、そのまま議員会館に行くという。  「足のサイズは?」  「わからないです。二十何センチくらい。全然これでもいけるので大丈夫です!」  筆者も永田町に急いでいた。ヒールにヒビが入ったというのが、靴の底が抜けて歩けないような状態を想像し、それはピンチと思い、GUに駆け込んで黒のパンプスを買ってから議員会館に向かった。到着して驚いたのが、ほんの1カ月半前までは大手メディアからほぼ注目されていなかったのに、この時は立ち見がでるほど報道陣で会場が埋め尽くされた。議員秘書経由でパンプスは五ノ井さんに届けられたが、すぐに謝罪会見は始まり、履き替える時間もなかったのか、ヒビの入ったヒールのまま五ノ井さんが会場に入ってきた。防衛省人事教育局長と陸幕監部らは、五ノ井さんと向かい合うようにして立ち、頭を下げて謝罪すると、五ノ井さんも小さく頭を垂れた。  郡山で取材をした時には、淡々と被害を語っていた五ノ井さんだったが、この日は悔しさがにじみ出るように目が赤かった。防衛省・自衛隊に向けて言葉を詰まらせた。  「今になって認められたことは……、遅いと思っています」  もし自衛隊内で初動捜査を適切に行っていたら、被害者が自衛隊を去ることも、実名・顔出しすることもなく、誹謗中傷に苦しむこともなかっただろう。  後日、五ノ井さんはばつが悪そうに言うのだ。  「パンプス、ぶかぶかでした」  100円ショップで中敷きを買って詰めてもぶかぶかですぐ脱げるようだ。その場しのぎで買った安物を大事に履こうとしてくれていた。 裁判所を出る被告3人を見届ける 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  防衛省・自衛隊がセクハラの事実を認めてからも、五ノ井さんの闘いは続く。10月には加害者4人からも対面で謝罪を受け、12月には5人が懲戒免職になった。  さらに、不起訴になった強制わいせつ事件を郡山検察審査会に不服申し立てをし、2022年9月に不起訴不当となり、検察の再捜査も開始。2023年3月には不起訴から一転、元隊員3人は在宅起訴された。6月から福島地裁で行われていた公判で、3人はいずれも無罪を主張。五ノ井さんは初公判から福島地裁に足を運び、被告らや元同僚の目撃者らの発言に耳を傾けた。そこにはいつも、実家の宮城県から母親が駆けつけていた。  4回目の公判。被告人質問を終えた被告3人が裁判所から出ていく姿を、母親と筆者は見届けた。  「親が娘の代わりに訴えることはできるんでしょうか……」  涙を目に溜めながら言う母親に返す言葉が見つからず、背中をさすった。被告の1人が、五ノ井さんを押し倒して腰を振った理由を「笑いをとるためだった」と公判で発言したのを、母親も間近で聞いていた。被告に無罪を主張する権利があるとはいえ、被害者はもちろん、その家族もどれほど心をえぐられたことか。それでも親子は半年間にわたるすべての公判を傍聴し続けた。  福島地裁は12月12日、被告3人にそれぞれ懲役2年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。  被害から2年以上が経過し、五ノ井さんは現在24歳。希望と可能性に溢れていたはずの20代前半を、被害によってすべてを奪われ、巨大組織と性犯罪者と対峙してきた。その姿にいま、世界が目を向けている。  英『フィナンシャル・タイムズ』による「世界で最も影響力がある女性25人」を皮切りに、米誌『タイム』は世界で最も影響力がある「次世代の100人」に、英公共放送BBCも「100人の女性」(2023年)に五ノ井さんを選出した。  判決の翌日、外国特派員協会で会見を開いた五ノ井さんは、前を向いて堂々と語った。  「世の中に告発してから約2年間、自分の人生をかけて闘ってきました。被害の経験は必要ありませんでしたが、無駄なことは何一つありませんでした。誹謗中傷も、公判も、人との関わりも、そのすべてが自分の人生を鍛えてくれる種となり、生きていく力に変わりました。私にとってはすべてが学びでした」  閉塞的な社会に風穴を開けた功績は、ロールモデルとして人々に勇気を与えていくだろう。 いわした・あすか ノンフィクション作家。1989年山梨県生まれ。『カンボジア孤児院ビジネス』(2017、潮出版)で第4回「潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。五ノ井里奈さんの近著『声をあげて』(2023、小学館)の構成を務める。現在はスローニュースで編集・取材を行う。

  • 巨岩騒動の【田村市】産業団地で異例の工事費増額

    巨岩騒動の【田村市】産業団地で異例の工事費増額

     田村市常葉地区で整備が進む東部産業団地の敷地から巨大な岩が次々と出土。そのうちの一つは高さ17㍍にもなり、あまりの大きさに市内外から見物客が訪れるほどだ。テレビでも「観光地にしてはどうか」と好意的な声が紹介されているが、半面「あそこに団地をつくるのは最初から無理があった」と否定的な声はクローズアップされていない。巨岩のおかげで工事費は当初予定より増えたが、議会は問題アリと認識しているのに執行部を厳しく批判できない事情を抱える。 議会が市長、業者を追及しないワケ 敷地から出土した巨岩。隣の重機と比べると、その大きさが分かる  田村市船引地区から都路地区に向かって国道288号を車で走ると、両地区に挟まれた常葉地区で大規模な造成工事が行われている場所が見えてくる。実際の工事は高台で進んでいるため、目に入るのは綺麗に整備された法面だが、それと一緒に気付くのが巨大な岩の存在だ。  国道沿いにポツンとある一軒家と余平田集会所の向こう側にそびえる巨岩は軽く10㍍を超えている。表面はつるつるしていて、どこか人工物のようにも見える。近付いてみると横で作業する重機がまるでおもちゃのようで、思わず笑ってしまう。  「今の時間帯は誰もいないけど、結構見物客が来てますよ。先日はテレビ局が来た。その前は新聞記者も来たっけな」  現場にいた作業員がそう教えてくれた。説明が手馴れていたのは、いろいろな人が来て同じような質問をされるからだろう。  ここは田村市が整備を進める東部産業団地の敷地内だ。巨岩があるのは、ちょうど調整池を整備する場所に当たる。  昨年11月22日付の河北新報によると、同所はもともと大きな石が数多く露出する地域で、出土した巨石群は花こう岩の一種。市の試算では体積計1万4000立方㍍以上、総重量3万6400㌧以上。一方、同29日にテレビ朝日が報じたところによれば、巨岩は高さ17㍍、横30㍍、奥行き22㍍と推測され、奈良の大仏の台座を含めた高さ(18㍍)に匹敵するという。  巨岩は民家に隣接しているため、発破は危険。そこで市は重機で破砕する予定だったが、想定より硬く、そのままにせざるを得なかった。  これにより、調整池の工事は変更される事態となった。巨岩を動かせないため、そこを避けるようにして調整池の形・深さを変え、予定していた水量を確保できるようにする。  変更に伴い市は工事費を増額。発注額は2億7100万円だったが、昨年12月定例会で市は6億9900万円に増額する契約変更議案を提出し、議決された。工期も2024年3月末までだったが、同年9月末までに延長された。  気になるのは、壊すことも動かすこともできない巨岩の今後だ。同団地の担当部署である市商工課に問い合わせると  「進出企業の工場建設計画もあるので、市としては団地を早期に完成させることを優先したい。巨岩をどうするかはこれから議論していく」(担当者)  巨岩は市内外から見物客が訪れており、市民からは「あんな立派な巨岩はお目にかかれない。観光地にしてはどうか」との意見が上がっている。市でもそういう意見があることは承知しており、白石高司市長もテレビ局の取材に「地域おこしにつながらないか。巨岩を活用するアイデアを募っていきたい」とコメントしている。  実は、都路地区にはさまざまな名前の付いた巨石が点在し、ちょっとした観光スポットになっていることをご存知だろうか。  例えば亀の形をした「古代亀石」は高さ10・7㍍、周囲50・5㍍、重さ2800㌧。近くに立てられた看板にはこんな伝説が書かれている。 「古代亀石」  《古きからの言い伝えによると無病息災鶴は千年亀は万年と言われた亀によく似た石を住民が〆縄張り崇拝したと言う。石の上部に天狗が降りた足跡を残した奇観有りと言う。地区の人々が名石の周りを清掃し関心の想を呼び起して居ます》  古代亀石のすぐ近くには笠石山の登山口があり、頂上付近に「笠石」や「夫婦石」という巨石がある。登山口から1~2分の場所には綺麗に真っ二つに割れた「笠石山の刃」という巨石もあり、漫画『鬼滅の刃』で主人公・竈門炭次郎が師匠との修行で最終段階に挑んだ岩に似ていると密かに評判になっている。 「笠石山の刃」  さらに古代亀石の周辺には、文字通り船の形をした「船石」や「博打石」といった巨石もある。  これらの巨石群と東部産業団地の巨岩は車で10~15分の距離しか離れておらず、観光ルートとして確立することは十分可能だろう。  偶然にも巨岩が大々的に報じられる1カ月前には、都路地区と葛尾村にまたがる五十人山の巨石が話題になった。巨石には坂上田村麻呂が50人の家来を座らせて蝦夷平定の戦略を練ったという伝説があり、都路小学校の児童が授業中に「本当に50人座れるの?」と質問したことをきっかけに、市と村が昨年10月に実証体験会を開いた。結果は53人が座り、伝説は本当だったことが証明された。  ユニークな取り組みだが、正直、巨岩・巨石観光は地味に映る。しかし、市内の観光業関係者は  「確かに地味だが、どの世界にもマニアは存在する。数は少なくても、マニアは足繁く通い、深い知識を持ってSNSで発信する。それがじわじわと評判を呼び、興味のない人も引き寄せる。そんな好循環が期待できると思います」  磨けば有益な観光資源になる可能性を秘めている、と。  実際、巨岩はしめ縄を付ければ神秘性が生まれそう。破砕すれば、なんだかバチが当たりそうな雰囲気もあるから不思議だ。 団地にふさわしくない場所 本田仁一前市長 白石高司市長  もっとも、市内には巨岩を明るい話題と捉える人ばかりではない。東部産業団地が抱える本質的な問題を指摘する人もいる。  もともと同団地は県内でも数少ない大規模区画の企業用地を造成するため、本田仁一前市長時代の2020年に着工された。開発面積約42㌶で、事業費107億3800万円は福島再生加速化交付金と震災復興特別交付税から捻出されたが、場所については当初から疑問視する向きが多くあった。  すなわち、同団地は①丘がいくつも連なっており、整地するには丘を削らなければならない、②大量の木を伐採しなければならないという二つの大きな労力が要る場所だった。前述の通り大きな石が数多く露出しており、その処理に苦労することも予想された。  なぜ、そのような場所が産業団地に選ばれたのか。当時、市は「復興の観点から浜通りと中通りの中間に当たる常葉が最適と判断した」と説明したが、市民からは「常葉は本田氏の地元。我田引水で選んだだけ」という不満が漏れていた。  加えて、造成工事を受注したのが本田氏の有力支持者である富士工業(と三和工業のJV)だったこと、整地前に行われた大量の木の伐採に本田氏の家族が経営する林業会社が関与していたことも、同団地が歓迎されない要因になっていた。  こうした疑惑を抱えた同団地の区画セールスを、2021年の市長選で本田氏を破り初当選した白石氏が引き継いだわけだが、区画が広すぎる、水の大量供給に不安がある、高速道路のICから距離がある等々の理由から進出企業は見つかるのかという懸念が囁かれた。  幸い、二つある区画のうち、B区画(9・1㌶)には電子機器関連のヒメジ理化(兵庫県姫路市)、A区画(14・3㌶)には道路舗装の大成ロテック(東京都新宿区)が進出することが決まった。大成ロテックは昨年11月に地鎮祭を行い、操業は2025年度中。ヒメジ理化も昨年12月に起工式があり、25年3月の操業開始を目指している。  あとは調整池の工事を終え、工場が稼働し、巨岩の活用方法を考えるだけ――と言いたいところだが、実は、造成工事をめぐり表沙汰になっていない問題がある。  造成工事を受注したのは富士工業と三和工業のJVであることは前述したが、当初の工事費は45億9800万円だった。それが、昨年3月定例会で61億1600万円に、さらに12月定例会で64億6000万円に契約変更された。当初から18億6200万円も増えたことになる。  市商工課によると、工事費が増えた理由は  「工事が始まる前は軟岩と思っていたが、出土した岩を調べると中硬岩であることが分かった。加えて岩が想定以上に分布していたこともあり、造成工、掘削工、法枠工が変更され、それに伴い工事費が増えた」(担当者)  この話を聞くだけで、最初から産業団地にふさわしくない場所だったことが分かるが、問題は工事費が増えた経緯だ。 進め方の順序が逆  土木業界関係者はこう話す。  「市は昨年3月定例会で46億円から61億円に増額した際、増えるのは今回限りとしていたが、半年後の9月にはあと1回増やす必要があるとの認識を示していたそうです」  問題は工事費がさらに増えると分かったあと、造成工事がどのように進められたか、である。  「普通は見積もりをして、工事費がいくら増えると分かってから、市が議会に契約変更の議案を提出します。議案が議決されれば、市と業者は変更契約を交わし、市は増額分の予算を執行、業者は増額分の工事に着手します」(同)  しかし、61億1600万円から64億6000万円に増額された際はこの順序を踏んでいなかったという。  「12月定例会の時点で造成工事はほぼ終わっており、その結果、工事費が61億円から64億円に増えたため、あとから市が契約変更の議案を提出したというのです」(同)  工事費が3億円も増えれば、それに伴って工期も延長されるのが一般的。「土木の現場で1億円の予算を1カ月で消化するのは無理」(同)というから、3カ月延長されてもいいはず。ところが今回の契約変更では、予算は64億6000万円に増えたのに、工期は従前の2024年3月末で変わらなかった。  そのことを知って「おかしい」と感じていた土木業界関係者の耳に、市役所内から「どうやら造成工事はほぼ終わっており、工事費が予定より3億円オーバーしたため、その分を増額した契約変更の議案があとから議会に提出されたようだ」との話が漏れ伝わってきたという。  「公共工事の進め方としては順序が逆。もしかすると岩の数量が不確定で工事費を算出できず、いったん仮契約を結んだあと、工事費が確定してから契約変更を議決したのかもしれないが、巨大工事を秘密裏に進めているようで解せない」(同)  このような進め方が通ってしまったのは、事業費(107億3800万円)が福島再生加速化交付金と震災復興特別交付税から捻出され、市の持ち出しはゼロという点も関係しているのかもしれない。  「事業費107億円のうち、実際に執行されたのは100億円と聞いています。つまり、まだ7億円余裕があるし、これ以上遅れると進出企業に迷惑がかかるので、工事を先に進めることを優先したのでは。市の財政から出すことになっていたら、順序が逆になるなんてあり得ない」(同)  この点を市商工課に質すと、担当者はしばらく押し黙ったあと、造成工事が先に進み、変更契約があとになったことを認めた。  「ちょっと……現場の者とも確認して、今後については……」  言葉を詰まらせる担当者に「公共工事の進め方としてはおかしいのではないか。どこに問題点があったか上層部と認識を共有すべきだ」と告げると「はい」とだけ答えた。  本誌はあらためて、市商工課にメールで四つの質問をぶつけた。  ①増額分の3億円余りの工事は12月定例会で契約変更が議決された時点でどこまで進んでいたのか。それとも、議決された時点で工事は完了していたのか。  ②工事費が3億円余り増えると市が知った経緯を教えてほしい。  ③工事費の増額は、業者から「見積もりをしたら増えることが分かったので、その分をみてほしい」と言われたのか。それとも工事が終わってから「かかった金額を調べたところ64億円になったので、オーバーした3億円を市の方でみてほしい」と言われたのか。  ④市は「工事費が増えるなら契約変更をしなければならないので、関連議案が議決されてから追加の工事に入ってほしい」と業者に注意しなかったのか。もし業者が勝手に工事を進めていたとしたら「なぜ契約変更前に工事を進めたのか」と注意すべきではなかったのか。  これらは締め切り間際に判明し、担当者の出張等も重なったため、市からは期日までに回答を得られなかった。期日後に返答があれば、あらためて紹介したい(※1)。 ※1 今号の締め切りは昨年12月22日だったが、市商工課からは「25日以降に回答したい」と連絡があった。  富士工業にも問い合わせたが「現場を知る者が出たり入ったりしていていつ戻るか分からない」(事務員)と言うので、市商工課と同じく質問をメールで送った。こちらも締め切り間際だったこともあり期日までに回答がなかったので、期日後に返答があれば紹介したい(※2)。 ※2 締め切り直後、猪狩恭典社長から連絡があり「岩量が確定せず正確な工事費が出せない状況で、市といったん仮契約を結んだ。進め方の順序が逆と言われればそうだが、問題があったとは認識していなかった」などといった回答が寄せられたが、「詳細を話すのは御社に対する市の回答を待ってからにしたい」とのことだった。 契約変更前の施工はアウト 今井照・地方自治総合研究所特任研究員  自治体政策が専門の今井照・地方自治総合研究所特任研究員は次のような見解を示す。  「契約で工事費が61億円となっているのに、議会で契約変更を議決する前に64億円の工事をしていたらアウトです。一方、見積もりをしたら64億円になることが分かったというなら、まだ施工していないのでセーフです。ポイントは、市が契約変更の議案を提出した時点で工事の進捗率がどれくらいだったのか、だと思います」  今井氏によると、契約変更の議決を経ずに施工するのは「違法行為」になるという(神戸地判昭和43年2月29日行政事件裁判例集19巻1・2号「違法支出補てん請求事件」)。  「ただし罰則はないので、業者が市に損害を与えていれば損害賠償を請求できるが、今回の場合はそうとは言い切れない。神戸地裁の判例でも賠償責任は否定されています」(同)  問題は市と業者だけにあるのではない。一連の出来事を見過ごした議会にも責任がある。  「本来なら『なぜ順序が逆になったのか』と議会が追及する場面。しかし、白石市長と対峙する議員は本田前市長を支持し、東部産業団地は本田氏が推し進めた事業なので強く言えない。工事を受注しているのが本田氏を応援していた富士工業という点も、追及できない理由なのでは……。一方、白石氏を支持する議員も本来は『おかしい』と言うべきなのに、同団地は本田氏から引き継いだ事業なので、白石氏を責め立てるのは酷と控えめになっている。だから、両者とも騒ぎ立てず『仕方がない』となっているのかもしれない」(議会ウオッチャー)  それとも、これ以上工事が遅れれば同団地に進出するヒメジ理化と大成ロテックの操業計画にも影響が及ぶので、順序が逆になっても工事を進めることを市政全体が良しとする空気になっていたのだろうか。  巨岩に沸き立ち、とりわけテレビは面白おかしく報じているが、造成工事が異例の進め方になっていること、もっと言うと、そもそもあの場所は産業団地に不適だったことを認識すべきだ。

  • 泥沼化する大熊町議と住民のトラブル

     本誌昨年5月号に「裁判に発展した大熊町議と住民のトラブル」という記事を掲載した。問題の経過はこうだ。  ○2019年に、大熊町から茨城県に避難しているAさんが、佐藤照彦議員と、避難指示解除後の帰還についての問答の中で、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を浴びせられた。  ○Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」として議会に懲罰要求した。  ○議会は佐藤議員に聞き取りなどを行い、Aさんに「議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した」と回答した。  ○佐藤議員は、当時の本誌取材に「(Aさんに対して)『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えた。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』と言っているが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない」とコメントした。  ○その後、Aさんが佐藤議員に謝罪を求めたところ、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届き、最終的には佐藤議員がAさんに対し「面談強要禁止」を求める訴訟を起こした。  ○同訴訟の判決は2022年10月4日にあり、「面談強要禁止」を認める判決を下した。Aさんは一審判決を不服として控訴した。控訴審判決は、昨年3月14日に言い渡され、一審判決を支持し、Aさんの請求を棄却した。  以上が大まかな経過である。  こうして、思わぬ方向に動いたこの問題だが、実は、今度はAさんが佐藤議員を相手取り、裁判(昨年5月12日付、福島地裁いわき支部)を起こしたことが分かった。  請求の趣旨は、「佐藤議員は、大熊町議会・委員会で、『Aさんが虚偽を述べている』旨の答弁をしたほか、虚偽の内容証明書、裁判陳述等によって名誉毀損、畏怖・威迫・プライバシー侵害等の人格権侵害を受けた」として、160万円の損害賠償を求めるもの。  要は、Aさんが佐藤議員から、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれ、議会に懲罰要求した際、佐藤議員は議会・委員会などで「(Aさんは)私に嫌がらせをするため、排他的発言をしたとして事実を歪曲している」旨の発言をしたほか、「弁護士を介して、民事・刑事の提訴予告等の畏怖・威迫行為を記載する内容証明書を送付した」として、損害賠償を求めたのである。  泥沼化するこの問題がどんな結末を迎えるのかは分からないが、本誌昨年5月号で指摘したように、背景には「宙ぶらりんな避難住民の在り方」が関係している。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。その結果、今回のようなトラブルを生み出していると言っても過言ではない。 あわせて読みたい 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

  • 運営法人の怠慢が招いた小野町特養暴行死

     小野町の特別養護老人ホーム「つつじの里」で起きた傷害致死事件をめぐり、一審で懲役8年の判決を言い渡された同特養の元職員・冨沢伸一被告(42)は判決を不服として昨年12月5日付で控訴した。  地裁郡山支部で同11月に行われた裁判員裁判の模様は先月号「被害者の最期を語らなかった被告」をご覧いただきたいが、公判の行方と併せて注目されるのが同特養を運営する社会福祉法人「かがやき福祉会」の今後だ。  同福祉会に対しては、県と小野町が2022年12月以降に計7回の特別監査を実施。  町は昨年10月、介護保険法に基づき、同特養に今年4月まで6カ月間の新規利用者受け入れ停止処分を科し、同福祉会に改善勧告を出している。  《施設職員らへの聞き取りなどから、介護福祉士の職員(本誌注・冨沢被告)が入所者の腹部を圧迫する身体的虐待を行い、死亡させたと認定した。別の職員が入所者に怒鳴る心理的虐待も確認した。法人の予防策は一時的で介護を放棄の状態にあったとした》(福島民報昨年10月20日付より)  法人登記簿によると、かがやき福祉会(小野町)は2018年12月設立。資産総額1億6000万円。公表されている現況報告書(昨年4月現在)によると、理事長は山田正昭氏、理事は猪狩公宏、阿部京一、猪狩真典、斎藤升男、先﨑千吉子の各氏。資金収支内訳表を見ると、23年3月期は620万円の赤字。  「現在の理事体制で法人・施設の運営が改まるとは思えない」  と話すのは田村地域の特養ホームに詳しい事情通だ。  「職員の間では冨沢氏が問題人物であることは周知の事実だった。今回の傷害致死事件も、法人がきちんと対応していれば未然に防げた可能性が高かった」(同)  事情通によると、事件が起きる8カ月前の2022年2月、介護福祉士の資格を持つ職員6人が一斉に退職した。このうちの2人は、冨沢被告と同じユニットリーダーを務める施設の中心的職員だった。  6人が一斉に退職した理由は、法人が自分たちの進言を真摯に聞き入れようとしなかったことだった。  「冨沢氏が夜勤の翌日、入所者を風呂に入れると体にアザがついている事案が度々あり、職員たちは『このままでは死人が出る』と本気で心配していたそうです。理事に『冨沢氏を夜勤から外すべき』と意見を述べる職員もいたそうです。しかし、理事は『冨沢にはきちんと言い聞かせたから大丈夫だ』と深刻に受け止めなかった。こうした危機意識の無さに6人は呆れ、抗議の意味も込めて一斉に退職したのです」(同)  有資格者がごっそりいなくなれば運営はきつくなるが、後任者の補充は上手くいかなかった。こうした中で、他の入所者にも暴力を振るっていた疑いのある冨沢被告が人手不足による忙しさから暴力をエスカレートさせ、今回の悲劇につながった可能性は大いに考えられる。  「法人に理事を刷新する雰囲気は全くない。亡くなった植田タミ子さんを当初『老衰』と診断した嘱託医もそのまま勤務している。変わったことと言えば昨年夏、ケアマネージャーの女性に事件の責任を負わせ辞めさせたことくらい。しかし、そのケアマネは『なぜ私なのか』と猛反発していたそうです」(同)  山田理事長は町から改善勧告を受けた際、マスコミに「全てを真摯に受け止め、職員一丸で信頼回復に努める」とコメントしたが、職員の進言を聞き入れず、冨沢被告の素行を見て見ぬふりをした理事を刷新しなければ信頼回復は難しいし、入所者の家族も安心して施設に預けられないのではないか。 ※かがやき福祉会に今後の運営について尋ねたところ「行政の指導に従って運営していく。理事変更の話は出ていない」(担当者)とコメントした。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人 小野町「特養暴行死」裁判リポート【つつじの里】

  • 元裁判官・樋口英明氏が語る原発問題

    集会の様子  「ノーモア原発公害裁判の勝利を目指す宮城県民集会」が11月25日に仙台市で行われた。  「宮城県民集会」と謳っているが、いわき市民訴訟、浪江町津島訴訟、川俣町山木屋訴訟など、福島県内の原発賠償集団訴訟の原告メンバーなどが多数参加した。集会では、それら集団訴訟に加え、女川原発再稼働差し止め訴訟、子ども被ばく訴訟、みやぎ訴訟、山形訴訟などの現状報告や、意見・情報交換が行われた。  現在、それら訴訟の多くは仙台高裁での二審に移っており、仙台高裁からほど近い「仙台市戦災復興記念館」を会場に行われた同集会には、約100人が参加した。  同集会の目玉企画は、元裁判官の樋口英明氏の記念講演。樋口氏は1952年生まれ。三重県出身。大阪、名古屋などの地裁・家裁などの判事補・判事を経て、2012年から福井地裁判事部総括判事を務めた。同職時代の2014年5月、福井県大飯原発の周辺住民が申し立てた関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止め訴訟で、運転差し止めを命じる判決を下した。さらに2015年4月、関西電力高浜原発についても、周辺住民らの仮処分申し立てを認め、同原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定を出した。その後、名古屋家裁に異動となり、2017年に定年退官した。 『私が原発を止めた理由』(旬報社)などの著書でも知られる。  樋口氏は講演で「私自身、3・11までは原発に無関心だった。安全だと思い込んでいた」と語った。  加えて、樋口氏は「原発問題は先入観のかたまり」とも。国の監督官庁がしっかりやっているだろう、電力会社がきちんとしているだろう、と。そして何より、「われわれ素人に分かるはずがない難しいものだ」という先入観。  しかし、原発問題の本質は以下の2つしかないという。  ○人が管理し続けなければならない(止める、冷やす、閉じ込める)。  ○人が管理できなくなったときの事故、それに伴う被害は想像を絶するほど大きい。  「例えば、家電製品や自動車であれば、何かトラブルがあったら使用をやめればいい。その後、管理し続ける必要はない。自動車であれば、路肩に止めてJAFでも呼べばいい。原発はそうはいかない。止めた後も管理し続けなければならない。(前出の例と)似ているもので言うと飛行機。飛行中にトラブルがあり、ただ単にエンジンを止めただけでは大きな事故になる。その後の対応が必要になる。原発も同様」 樋口英明氏  原発を管理し続けるには、電気と水が必要になるが、大きな地震が発生した場合、停電や断水の恐れが生じる。そういった点から、「原発が大地震に耐えられるかどうか。その本質が分かったから、あの(原発運転差し止めを認める)判決を書いた」という。  樋口氏は、「原発は国家防衛上の弱点になる」、「自国に向けられた核兵器である」とも述べた。  このほか、生業訴訟など4件の集団訴訟に対する国の責任を認定しなかった最高裁判決(今年6月17日)についても解説した。  講演後は質疑応答の時間が設けられ、出席者らは樋口氏に聞きたいことを聞いて理解を深めた。

  • 小野町「特養暴行死」裁判リポート【つつじの里】

     小野町の特別養護老人ホームで昨年10月、入所者の94歳女性に暴行を加え死なせたとして傷害致死罪に問われていた元介護福祉士の男の裁判員裁判で、地裁郡山支部は懲役8年(求刑懲役8年)を言い渡した。男は「暴行はしていない」と無罪を主張。裁判とは別に特別監査をした町や県は、死亡原因を暴行と結論付けていた。裁判所は司法解剖の結果や男の暴行以外に死亡する可能性があり得ないことを認定し、有罪となった。法廷で男は、死亡した女性の息子から代理人を通じて「介護士として母の死に思うことはあるか」と問われ、「分からない」や無言を貫き通した。 被害者の最期を語らなかった被告 冨沢伸一被告 特別養護老人ホーム「つつじの里」  事件は昨年10月8日夜から翌9日早朝までの間に発生。小野町谷津作の特別養護老人ホーム「つつじの里」に勤める介護福祉士の冨沢伸一被告(42)=小野町字和名田下落合=が入所者の植田タミ子さん(当時94)を暴行の末、出血性ショックで死なせた。  発覚に至る経緯は次の通り。第一発見者の冨沢被告が同施設の看護師に連絡し、町内の嘱託医が「老衰」と診断、遺体を遺族に渡した。不審に思った施設関係者が警察に通報し、同11日に司法解剖を行った結果、下腹部など広範囲に複数のあざや皮下出血が見つかったことから、死因が外傷性の出血性ショックに変わった。事件発生から2カ月後の同12月7日に冨沢被告は殺人容疑で逮捕。傷害致死罪に問われた。  事件発覚後の昨年12月以降、町は県と合同で同施設に特別監査を計7回実施し、冨沢被告が腹部を圧迫する身体的虐待を行い、死亡させたと認定していた。同施設を2024年4月18日まで6カ月間の新規利用者受け入れ停止の処分とした。特別監査では別の職員が入所者に怒鳴る心理的虐待も確認。同法人の予防策は一時的で、介護を放棄している状態にあったとした(10月20日付福島民報より)。  行政処分上は冨沢被告による暴行が認定されたが、刑罰を与えるのに必要な事実の証明はまた別で、立証のハードルはより高い。冨沢被告は地裁郡山支部で行われた裁判員裁判で「暴行はしていない」と無罪を主張。弁護側は植田さんが具体的にどのような方法でけがをして亡くなったかは明らかでなく、立証できない以上無罪と、裁判員に推定無罪の原則を強調した。  冨沢被告は高校卒業後に郡山市内の専門学校で介護を学び、卒業後に介護福祉士として複数の施設に勤務してきた。暴行死事件を起こしたつつじの里には、開所と同時期の2019年10月1日から働き始めた。つつじの里は全室個室で約10床ずつ三つのユニットに分かれ定員29床。社会福祉法人かがやき福祉会(小野町、山田正昭理事長)が運営する。 入所者が暴行死したつつじの里のユニット(同施設ホームページより)  冨沢被告は職員の勤務調整や指導などを行うユニットリーダーだった。事件が起こった夜は2人態勢で、冨沢被告は夕方4時から朝9時まで割り当てられたユニットを1人で担当した。  暴行死した植田さんは2021年6月に入所した。自力で立って歩くことが困難で、床に尻を付いて手の力を使って歩いたり、車椅子に乗ったりして移動していた。転倒してけがを防止するため床に敷いたマットレスに寝ていた。  植田さんは心臓にペースメーカーを入れていた。事件3日前も病院で診察を受けたが体調は良好で、事件当日は朝、昼、晩と完食していた。それだけに、一晩での死亡は急だった。この時間帯に異変を目撃できた人物は冨沢被告しかいない。以下は法廷で明かされた植田さんのペースメーカーの記録や居室前廊下のカメラ映像、同僚の証言を基に記述する。  事件があった昨年10月8日の午後3時半ごろ、冨沢被告が出勤する。植田さんを車椅子に乗せ食堂で夕食を食べさせた冨沢被告は、午後6時半ごろに居室に連れ帰った。9日午前0時20分ごろにペースメーカーが心電図を記録していた。心電図は波形の異常を検知した時だけ記録する仕組みになっていた。同4時38分に心電図の波が消失するまでの間に冨沢被告は2回、食堂に車椅子で運び、28回居室に入った。午前3時38分、冨沢被告は「顔色不良、BEエラー」と植田さんの容体の異常を日誌に記録。4時38分に心電図の波が消失後、施設の准看護士に電話で相談した。准看護士は「俺もうダメかも知れない」との発言を聞いた。  同5時14分には別のユニットに勤務していた同僚に報告。さらに別の同僚は、冨沢被告から「警察に捕まってしまうかもしれない」と言われたという。 指さした先にいた犯人  施設の嘱託医は「老衰」と診断した。不審に思った施設関係者が警察に通報し、事件の発覚に至った。通報があったということは、冨沢被告は疑われていたということだ。裁判には施設の介護士が出廷し、昨年春ごろに植田さんの手の甲にあざがあり、虐待を疑って施設に報告していたことを証言した。  この介護士が入所者や職員が集まる食堂で植田さんの手の甲を見ると、大きなあざがあったという。口ごもる植田さんに「どうしたの」と問うとしばらく答えなかった後、「自分ではやっていない」。そして「やられた」と言った。「誰に」と問うと「男」。ちょうど食堂に男性職員2人が入ってきた。「あそこにいるか」と問うと「いない」。冨沢被告が入ってきた。介護士は同じように植田さんに聞いたが怖がっている様子で、それ以上話そうとしなかった。植田さんに介護士自身の手を持たせ、けがをさせた人物を指すように言うと冨沢被告を指した。介護士はすぐに上司に報告した。  本誌1月号「容疑者の素行を見過ごした運営法人」では、内情を知る人物の話として、2021年春ごろに冨沢被告が担当していた別の入所者の腕にあざが見つかったこと、職員が冨沢被告の問題点を上司に告げても施設側は真摯に聞き入れず、冨沢被告に口頭注意するのみだったことを報じている。運営状況に嫌気を指した職員数人が一斉に退職したこともあったという。町と県の特別監査では、冨沢被告とは別の職員による心理的虐待があり、予防策がその場限りであったことを認定した。  運営法人が冨沢被告ら職員による虐待の報告を放置していたことが今回の暴行死につながった。さらには嘱託医による「老衰診断」も重なり、通報がなければ事件が闇に葬られるところだった。  植田さんの親族4人は冨沢被告と施設運営者のかがやき福祉会に計約4975万円の損害賠償を求め、5月22日付で提訴している(福島民友11月7日付)。  傷害致死罪を問う裁判では植田さんの長男が厳罰を求める意見陳述をした。  《亡くなる3日前、母のために洋服を買いました。母は自分で選び、とても喜んで「ありがとう」と言いました。私たちは母にまた会うのを楽しみに別れました。そのやり取りが最後でした。10月9日、新しい服に腕を通すことなく亡くなりました。あんなに元気なのに信じられなかった。  天寿なのだと思い、信じられない気持ちを納得しようとしました。死んだ本当の原因を聞いた時は今まで感じたことのない怒りと憎しみで胸がいっぱいでした。信じていた介護士に暴力を振るわれて亡くなった。遺体を見ると足の裏まであざ。見るに堪えません。母は被告人に殴られたり怒られたりするのが怖くて助けを求めることができなかったと思います。最後に会った時、私は母の手にあざを見つけどうしたのと聞きましたが、母は教えてくれませんでした。気づいていれば亡くなることはなかったのではと悔やみ申し訳なく思っています。  介護士はお年寄りに優しくし、できないことをできるように助けになるのが仕事ではないでしょうか。なぜ暴力を振るい母を殺めたのか。施設と介護士を信用していたのに、被告人は信頼を裏切って助けを求められない母を殺めた。母は助けとなるべき介護士に絶望し、苦しみながら死んだ。私たち家族は被告人を到底許すことはできません。できうる限りの重い刑罰を求めます。できるなら生前の元気な母にもう一度会いたい》 「亡くなったことはショック」  法廷で遺族は弁護士を通じて、冨沢被告に質問した。その答えは「分からない」や無言が多かった。傍聴席からは植田さんの写真が見守っていた。 遺族代理人「植田さんはなぜ亡くなったと思う?」 冨沢被告「詳しくは分からない」 遺族代理人「事故で亡くなったとか具体的なことは分かるか」 冨沢被告「転倒はしていないと思う。それ以外は分からない」 遺族代理人「介護を担当していた時間に何かが起こって亡くなったのは間違いないか」 冨沢被告「はい」 遺族代理人「自分が担当していた時間に植田さんが亡くなったことについて思うことはあるか」 冨沢被告「分からない」 遺族代理人「分からないというのは自分の気持ちが?」 冨沢被告「思い当たる件がです」 遺族代理人「今聞いているのは亡くなった原因ではなく、あなたの感情についてです」 冨沢被告「亡くなったことについてショックを受けている」 遺族代理人「担当中に亡くなったわけで、監督が足りないと思うことはあったか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「午前3時半ごろ容体が急変した。救急車や看護師を呼ばなかったことに後悔はなかったか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「分からないんですね。遺族に申し上げたいことはあるか」 冨沢被告「……」 遺族代理人「特にはないということですか」 冨沢被告「はい」  自らに不利益なことを証言しない権利はある。だが、亡くなった植田さんの最も近くにいて、その容体を把握していたのは冨沢被告しかいない。判決が出た後、被害者の最期を何らかの形で遺族に伝えるのが介護士としての責務ではないか。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人

  • 裁判で分かった福島県工事贈収賄事件の動機【赤羽組】【東日本緑化工業】

     県発注工事をめぐる贈収賄・入札妨害は氷山の一角だ。裁判では、他の県職員や業者の関与もほのめかされた。非公開の設計金額を教える見返りに接待や現金を受け取ったとして、受託収賄罪などに問われている県土木部職員は容疑を全面的に認める一方、「昔は業者との飲食が厳しくなかった」「手抜き工事が横行していた時代に、信頼と実績のある業者に頼むためだった」と先輩から受け継がれた習慣を赤裸々に語った。 県職員間で受け継がれる業者との親密関係 須賀川市にある赤羽組の事務所 郡山市にある東日本緑化工業の事務所  受託収賄、公契約関係競売入札妨害の罪に問われているのは、県中流域下水道建設事務所建設課主任主査(休職中)の遠藤英司氏(60)=郡山市。須賀川市の土木会社・㈱赤羽組社長の赤羽隆氏(69)は贈賄罪に、大熊町の土木会社・東日本緑化工業㈱社長の坂田紀幸氏(53)は公契約関係競売入札妨害の罪に問われている(業者の肩書は逮捕当時)。 競争入札の公平性を保つために非公開にしている設計金額=入札予定価格を、県発注工事の受注業者が仲の良い県職員に頼んで教えてもらったという点で赤羽氏と坂田氏が犯した罪は同じ入札不正だが、業者が行った接待が賄賂と認められるかどうか、県職員から得た情報を自社が元請けに入るために使ったかどうかで問われた罪が異なる。 以下、7月21日に開かれた赤羽氏の初公判と、同26日に開かれた遠藤氏の初公判をもとに書き進める。 赤羽組前社長の赤羽氏は贈賄罪に問われている。赤羽氏と遠藤氏の付き合いは34年前にさかのぼる。遠藤氏は高校卒業後の1982年に土木職の技術者として県庁に入庁。89年に郡山建設事務所(現県中建設事務所)で赤羽組が受注した工事の現場監督員をしている時に赤羽氏と知り合う。互いに相手の仕事ぶりに尊敬の念を覚えた。両氏は9歳違いだったが馬が合い、赤羽氏は遠藤氏を弟のようにかわいがり、遠藤氏も赤羽氏を兄のように慕っていたとそれぞれ法廷で語っている。赤羽氏の誘いで飲食をする関係になり、2011年からは2、3カ月に1回の割合で飲みに行く仲になった。「兄貴分」の赤羽氏が全額奢った。 遠藤氏によると、30年前はまだ受注業者と担当職員の飲食はありふれていたという。その時の感覚が抜けきれなかったのだろうか。遠藤氏は妻に「業者の人と一緒に飲みに行ってまずくないのか」と聞かれ、「許容範囲であれば問題ない」と答えている。(法廷での妻の証言) 赤羽氏は2014年ごろから、遠藤氏に設計金額の積算の基となる非公開の資材単価情報を聞くようになり、次第に工事の設計金額も教えてほしいと求めるようになった。赤羽組は3人がかりで積算をしていたが、札入れの最終金額は赤羽氏1人で決めていた。赤羽氏は法廷で「競争相手がいる場合、どの程度まで金額を上げても大丈夫か、きちんとした設計金額を知らないと競り勝てない」と動機を述べた。 2018年6月ごろから22年8月ごろの間に郡山駅前で2人で飲食し、赤羽氏が計18万円ほどを全額払ったことが「設計金額などを教えた見返り」と捉えられ、贈賄に問われている。 2021年4月に赤羽氏は郡山駅前のスナックで遠藤氏に「退職したら『後継者』確保に使ってほしい」と現金10万円を渡した。「後継者」とは、入札に関わる情報を教えてくれる県職員のこと。遠藤氏は現金を受け取るのはさすがにまずいと思い、断る素振りを見せたが、これまで築いた関係を壊したくないと、受け取って自宅に保管していたという。これが受託収賄罪に問われた。遠藤氏は県庁を退職後に、赤羽組に再就職することが「内定」していた。 もともと両者の間に現金の授受はなかったが、一緒に飲食し絆が深まると、個人的な信頼関係を失いたくないと金銭の供与を断れなくなる。昨今検挙が盛んな「小物」の贈収賄事件に共通する動機だ。検察側は赤羽氏に懲役1年、遠藤氏には懲役2年と追徴金約18万円、現金10万円の没収を求刑しており、判決は福島地裁でそれぞれ8月21日、同22日に言い渡される。 公契約関係競売入札妨害の罪に問われている東日本緑化工業の坂田氏の初公判は8月16日午後1時半から同地裁で行われる予定だ。 本誌7月号記事「収まらない県職員贈収賄事件」では、坂田氏についてある法面業者がこう語っていた。 「もともとは郡山市の福島グリーン開発㈱に勤めていたが、同社が2003年に破産宣告を受けると、㈲ジープランドという会社を興し社長に就いた。同社は法面工事の下請けが専門で、東日本緑化工業の千葉幸生代表とは県法面保護協会の集まりなどを通じて接点が生まれ、その後、営業・入札担当として同社に移籍したと聞いている。一族の人間を差し置いて社長を任されたくらいなので、千葉代表からそれなりの信頼を得ていたのでしょう」 元請けは秀和建設  7月26日の遠藤氏の公判では、坂田氏が2004年に東日本緑化工業に入社したと明かされた。遠藤氏とは1999年か2000年ごろ、当時勤めていた法面業者の工事で知り会ったという。遠藤氏はあぶくま高原道路管理事務所に勤務しており、何回か飲食に行く仲となった。 坂田氏は2012年ごろ、秀和建設(田村市)の取締役から公共工事を思うように落札できないと相談を受け、遠藤氏とは別の県職員から設計金額を教えてもらうようになる。その県職員から、遠藤氏は15年ごろにバトンタッチされ、引き続き設計金額を教えていた。それを基に秀和建設が工事を落札し、下請けに東日本緑化工業が常に入ることを考えていたと、坂田氏は検察への供述で明かしている。坂田氏は秀和建設以外の業者にも予定価格を教えることがあったという。 遠藤氏は、坂田氏に教えた情報が別の業者に流れていることに気付いていた。坂田氏が聞いてきたのは田村市内の道路改良工事で、法面業者である東日本緑化工業が元請けになるような工事ではなかったからだ。同社は大規模な工事を下請けに発注するために必要な特定建設業の許可を持っていなかった。 「聞いてどうするのか」と尋ねると、坂田氏は「いろいろあってな」。遠藤氏は悩んだが、「田村市内の業者が受注調整に使うのだろう」と想像し教えた。 前出・法面業者は「坂田氏は、遠藤氏から得た入札情報を他社に教えて落札させ、自分はその会社の下請けに入り仕事を得る仕組みを思いついた。東日本緑化工業の得意先は県内の法面業者ばかりなので、その中のどこかが不正に加担したんだと思います」と述べていた。この法面業者の見立ては正しかったわけだ。 坂田氏は年に数回、設計金額を聞いてきたという。そんな坂田氏を、遠藤氏は「情報通として業界内での立場を強めていた」と見ていた。 ここで重要なのは、不正入札に加担していたのが秀和建設と判明したことだ。同社の元社長は、昨年発覚した田村市発注工事の入札を巡る贈収賄事件で今年1月に贈賄で有罪判決を受けている。 今回の県工事贈収賄・入札妨害事件は、任意の捜査が始まったのが3月ごろ。県警は田村市の事件で秀和建設元社長を取り調べした段階で、次は同社の下請けに入っていた東日本緑化工業と県職員と狙いを付けていたのだろう。11年前には既に遠藤氏とは別の県職員が設計金額を教えていた。坂田氏も別の業者に教えていたということは、入札不正が氷山の一角に過ぎないこと分かる。思い当たるベテラン県職員は戦々恐々としているだろう。 あわせて読みたい 収まらない福島県職員贈収賄事件【赤羽組】【東日本緑化工業】

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

     本誌2019年11月号に「大熊町議の暴言に憤る町民」という記事を掲載した。大熊町から県外に避難している住民が、議員から暴言を受けたとして、議会に懲罰を求めたことをリポートしたもの。その後、この件は裁判に発展していたことが分かった。一方で、この問題は単なる「議員と住民のトラブル」では片付けられない側面がある。 根底に避難住民の微妙な心理 大熊町役場  最初に、問題の発端・経過について簡単に説明する。 2019年11月号記事掲載の数年前、大熊町から茨城県に避難しているAさんは、町がいわき市で開催した住民懇談会に参加した。当時、同町は原発事故の影響で全町避難が続いており、今後の復興のあり方などについて、町民の意見を聞く場が設けられたのである。Aさんはその席で、渡辺利綱町長(当時)に、帰還困難区域の将来的な対応について質問した。 Aさんによると、その途中で後に町議会議員となる佐藤照彦氏がAさんの質問を遮るように割って入り、「町長が10年後のことまで分かるわけない」、「私は(居住制限区域に指定されている)大川原地区に帰れるときが来たら、いち早く帰りたいと思うし、町長には、大川原地区の除染だけではなく、さらに大熊町全域にわたり、除染を行ってもらいたい」旨の発言をしたのだという。 当時は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、2015年11月の町議選に立候補した。定数12に現職10人、新人3人が立候補した同町議選で、佐藤氏は432票を獲得、3番目の得票で初当選し、2019年に2回目の当選を果たしている。 【佐藤照彦】大熊町議(引用:議会だより)  一方、2019年4月10日に、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区の避難指示が解除された。 そんな経過があり、同年9月、Aさんは佐藤議員に対して過去の発言を質した。Aさんによると、そのときのやり取りは以下のようなものだった。 Aさん「以前の説明会で『戻れるようになったら戻る』と話していたが、なぜ戻らないのか」 佐藤議員「そんなことは言っていない。帰りたい気持ちはある」 Aさん「説明会であのように明言しておきながら、議員としての責任はないのか」 佐藤議員「状況が変わった」 そんな問答の中で、Aさんは佐藤議員からこんな言葉を浴びせられたのだという。 「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」 住民懇談会の際は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、公職(議員)に就いたこと、2019年4月10日に、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除されたことから、佐藤議員に帰還意向などの今後の対応を聞いたところ、暴言を吐かれたというのだ。 Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」と憤り、同年9月24日付で、鈴木幸一議長(当時)に「大熊町議会議員佐藤照彦氏の暴言に対する懲罰責任及び謝罪文の要求」という文書を出した。 そこには、佐藤議員から「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれたことに加え、「県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外避難している住民に対する排他的発言です」などと記されていた。 Aさんによると、その後、鈴木議長から口頭で「要求文」への回答があったという。 「内容は『発言自体は本人も認めているが、議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した』というものでした」(Aさん) 当時、本誌が議会事務局に確認したところ、次のような説明だった。 「(Aさんからの)懲罰等の要求を受け、議会運営委員会で協議した結果、議会外のことのため、懲罰等は難しいという判断になり、当人(佐藤議員)には、自分の発言には責任を持って対応するように、といった注意がありました。そのことを議長(当時)から、(Aさんに)お伝えしています」 ちなみに、鈴木議長はこの直後に同年11月の町長選に立候補するために議員を辞職した。そのため、以降のこの件は松永秀篤副議長がAさんへの説明などの対応をした。 一方、佐藤議員は当時の本誌取材にこうコメントした。 「議会開会時に(議場の外の)廊下で(Aさんに)会い、私に『帰ると言っていたのに』ということを質したかったようです。私は『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えました。それが真意です。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』ということを言っていますが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない。それは町民の方も理解していると思います」 弁護士から通告書  Aさんは「暴言を吐かれた」と言い、佐藤議員は「『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』と伝えたのであって、県外避難者を侮辱するようなことを言うはずがない」と主張する。 両者の言い分に食い違いがあり、本来であれば、佐藤議員からAさんに「誤解が招くような言い方だったとするなら申し訳なかった」旨を伝えれば、それで終わりになった可能性が高い。 ところが、その後、この問題は佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求めて訴訟を起こす事態に発展した。 その前段として、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届いた。 そこには、①「あんたら県外にいる人間には言われる筋合いはない」との発言はしていない、②Aさんは佐藤議員に対して謝罪を求める行為をしているが、そもそも前述の発言はしていないので、謝罪要求に応じる義務がないし、応じるつもりもない、③今後は佐藤議員に直接接触せず、代理人弁護士を通すこと――等々が記されていた。 「懲罰請求に対して、鈴木議長から回答があった数日後、松永副議長から電話があり(※前述のように、鈴木議長は町長選に立候補するために議員辞職した)、『議場外のため、議会としてはこれ以上は踏み込めないので、今後は、佐藤議員と話し合ってもらいたい』と言われました。ただ、いつになっても佐藤議員から謝罪等の話がないため、2020年4月17日に私から佐藤議員に電話をしたところ、15秒前後で一方的に切られました。それから間もなく、佐藤議員の代理人弁護士から内容証明で通告書(前述の文書)が届いたのです」(Aさん) Aさんはそれを拒否し、あらためて佐藤議員に接触を図ろうとしたところ、佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求める訴訟を起こしたのである。文書には「何らかの連絡、接触行為があった場合は法的措置をとる」旨が記されており、実際にそうなった格好だ。 一方、佐藤議員はこう話す。 「本来なら、話し合いで決着できることで、裁判なんてするような話ではありません。ただ、冷静に話し合いができる状況ではなかったため、そういう手段をとりました」 面談強要禁止を認める判決  こうして、この問題は裁判に至ったのである。 同訴訟の判決は昨年10月4日にあり、裁判所はAさんが佐藤議員に「自身の発言についてどう責任を取るのか」、「どのように対応するのか」と迫ったことに対する「面談強要禁止」を認める判決を下した。 この判決を受け、Aさんは「この程度で、『面談禁止』と言われたら、町民として議員に『あの件はどうなっているのか』と聞くこともできない」と話していた。 その後、Aさんは一審判決を不服として、昨年10月18日付で控訴した。控訴審判決は、3月14日に言い渡され、1審判決を支持し、Aさんの請求を棄却するものだった。 Aさんは不服を漏らす。 「裁判所の判断は、時間の長さや回数に関係なく、数分の接触行為が佐藤議員の受忍限度を超える人格権の侵害に当たるというものでした。要するに弁護士を介さずに事実確認を行ったことが不法行為であると判断されたのです。この判決からすると、議員等の地位にある人や、経済的に余裕がある人が自分に不都合があったら弁護士に委任し、話し合いをするにはこちらも弁護士に依頼するか、裁判等をしなければならないことになります。この『面談強要禁止』が認められてしまったら、資力がなければ一般住民は泣き寝入りすることになってしまう」 さらにAさんはこう続ける。 「懲罰請求をした際、当時の正副議長から『佐藤議員の不適切な発言に対し、議員としての発言に注意をするように促したほか、本人(佐藤議員)も迷惑をかけたと反省し、謝罪なども含め、適切に対応をしていくとのことだから、今後は佐藤議員と話し合ってもらいたい』旨を伝えられました。にもかかわらず、佐藤議員は真摯な謝罪や話し合いどころか、自らの不都合な事実から逃れるため、面談強要禁止まで行った。これは、佐藤議員の公職者(議員)としての資質以前に、社会人として倫理的に逸脱しており、さらにこのような事態にまで至った責任は、議会にも一因があると思います」 一方、佐藤議員は次のようにコメントした。 「話し合いの余地がなかったため、こういう手段(裁判)を取らざるを得ませんでした。裁判では真実を訴えました。結果(面談強要禁止を認める判決が下されたこと)がすべてだと思っています」 なお、問題の発端となった「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」発言については、前述のように両者の証言に食い違いがあるが、控訴審判決では「仮に被控訴人(佐藤議員)の発言が排他的発言として不適切と評価されるものであったとしても、被控訴人の申し入れに対して……」とある。要は、佐藤議員の発言が不適切なものであっても、申し入れ(代理人弁護士の通知書)に反して直接接触を図る合理的理由にはならないということだが、排他的発言の存在自体は否定していない。 ともかく、裁判という思わぬ事態に至ったこの問題だが、本誌が伝えたいのは、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは語れない側面があるということである。 問題の本質 大熊町内(2019年4月に解除された区域)  1つは議員の在り方。原発避難区域(解除済みを含む)の議員は厳密には公選法違反状態にある人が少なくない。というのは、地方議員は「当該自治体に3カ月以上住んでいる」という住所要件があるが、実際は当該自治体に住まず、避難先に生活拠点があっても被選挙権がある。2019年11月号記事掲載時の佐藤議員がまさにそうだった。「特殊な条件にあるから仕方がない」、「緊急措置」という解釈なのだろうが、そもそも議員自身が「違法状態」にあるのに、避難先がどうとか、帰る・帰らないについて、どうこう言える立場とは言えない。  もっとも、これは当該自治体に責任があるわけではない。むしろ、国の責任と言えよう。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じるべきだったが、それをしなかったからだ。 もう1つは避難住民の在り方。本誌がこの間の取材で感じているのは、原発事故の避難区域では、「遠くに避難した人は悪、近くに避難した人は善」、「帰還しなかった人は悪、帰還した人は善」といった空気が流れていること。明確にそういったことを口にする人は少ないが、両者には見えない壁があり、何となくそんな風潮が感じられるのだ。 実際、前段で少し紹介したように、Aさんが2019年に議会に提出した懲罰請求には次のように書かれている。 《佐藤議員の発言は請求人(Aさん)だけに対するもので収まる話ではなく、県外に避難している町民に対して、物事を指摘される道理なく「県外にいる町民は、物事を言うな」とも捉えられる発言であり、到底、看過することができない議員による問題発言です。まして、佐藤議員は、避難町民の代表であり、公職の議会議員である当該暴言は、一町民(Aさん)に対する暴言で済む話ではなく、佐藤議員の日頃の県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外の避難している住民に対する排他的発言です》 ここからも読み取れるように、この問題の根底には、避難区域の住民の微妙な心理状況が関係しているように感じられる。 もっと言うと、避難住民の在り方の問題もある。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。結果、避難者はそこに住んでいながら、当該自治体の住民ではない、として肩身の狭い思いをしてきた。 こうした問題や前述のような風潮を生み出したのも国の責任と言えよう。これについても、本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。 こうした側面から、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは片付けられないのが今回の問題なのだ。本誌としては、そこに目を向け、正しい方向に進むように今後も検証・報道していきたいと考えている。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

  • 【塙強盗殺人事件】裁判で明らかになったカネへの執着

    (2022年10月号)  塙町で75歳の女性を殺した後、奪ったキャッシュカードで現金計300万円を引き出したとして強盗殺人などの罪に問われていた鈴木敬斗被告(19)に9月15日、求刑通り無期懲役の判決が言い渡された。被告は被害者の孫。同17日付で控訴した。4月の改正少年法施行後、県内で初めて「特定少年」として、実名で起訴、審理された。判決は更生を期待する少年法は考慮せず、あくまで重罪に見合う刑罰を科した。被告は趣味の車の修理のため、手軽にカネを得ようと殺したと話すが、身勝手としか説明がつかない動機だ。なぜ祖母を殺そうとまで思ったのか、判決では触れられなかった事実を拾う。 逮捕見越して散財の異常性  裁判で明らかとなった事件の経過をたどる。被害者は塙町真名畑字鎌田に住む菊池ハナ子さん。主要道路から離れた山奥の平屋に独身の長男と2人で暮らしていた。事件は今年2月9~10日の深夜に起こった。菊池さんと長男は、9日午後5時半ごろ夕食を取り、同9時半ごろまでテレビを見るなどして過ごした。 長男は深夜勤務のため、同9時35分ごろに自家用の軽トラックで家を出た。長男の「行ってくっから」に「おう」と返す菊池さん。長男が最後に見たのはパジャマを着てテレビを見てくつろぐ姿だった。長男が出ていった後、鈴木被告は矢祭町内の自宅から菊池さんの家に車で向かった。車はレンタカーだった。 犯行時刻は同11時45分ごろから翌10日の午前0時17分ごろの間。 茶の間のタンスの引き出しに入っていた現金を盗むのが目的だった。凶行に及ぶ約1時間前の9日午後11時ごろには、コンビニで防水の黒手袋を購入。自宅に戻り、倉庫から凶器となる長さ約55㌢、直径約3・2㌢、重さ約420㌘の鉄パイプを持ち出した。パイプは改造・修理中の自家用車の排気マフラーに使うために買った材料の残りでステンレス製。殴打に使った部分は斜めにカットされていた。法廷内では銀色に輝き、アルミホイルのような見た目だった。殴打で数カ所へこんだ部分が鈍く乱反射していた。 鈴木被告は建築板金業を営む一人親方で趣味は車の改造だ。改造に使う部品や工具を買いそろえるためにカネが必要だったと動機を話す。犯行現場までの移動にレンタカーを使ったのも、被告によると自家用車を修理のために分解しており、乗ることができなかったからだという。 鈴木被告はレンタカーの尾灯を消したまま、矢祭町の自宅から塙町まで車を走らせた。道路沿いの家の防犯カメラが車を記録していた。尾灯をつけないままヘッドライトのみを光らせて走るのは、無灯火のままライトのレバーを手前に引きパッシングの状態を続けることで可能だ。「車好き」なら思いつくのは当たり前のことなのだろう。 鎌田集落に入った。菊池さん宅まで続く道は車1台通るのがやっとの幅で、すれ違いは困難だ。菊池さん宅近くの道の待避所に車を止めた。玄関前で飼っている犬に吠えられるのを避けるためだった。夜遅いので他の車はまず通らない。黒いパーカーの上に黒い合羽を着て黒手袋をはめ、夜陰に紛れて道を急いだ。手には鉄パイプを持っていた。菊池さん宅南側にある駐車場には菊池さんの長男が運転する軽トラが見当たらない。菊池さんは運転免許証を持っていないので、少なくとも長男はいないと鈴木被告は推測した。 犬が吠えるのを恐れた鈴木被告は南側の玄関からは入らず、北側に回り、掃き出し窓から家に侵入しようとした。掃き出し窓は無施錠だった。侵入した際、利き手と反対の右手には鉄パイプを持っていた。寝室は豆電球一つしか明かりがついておらず薄暗かった。鈴木被告は、菊池さんが侵入者に気づき布団から上体を起こしたのが分かった。こちらを見ている。鈴木被告は右手の鉄パイプを菊池さんがいるところへ夢中で振り下ろした。5回程度殴った後に自分のしたことに気づいたが、なおも殴り続け、少なくとも計15回殴打した。 菊池さんは頭や上半身から血を流し、倒れこんだ。倒れた時に背中を電気毛布のスイッチ部分にぶつけ、背中の肋骨も折れていた。ふすまには打撃でついたようなキズが残り、障子も破れていたが、鈴木被告は覚えていないと法廷で語った。長男が帰宅した際、菊池さんはまだ息があり救急搬送されたが、出血性ショックで亡くなった。 「足が付くのは分かっていた」  「子ども時代に来た時は、ばあちゃんはここでは寝てなかったはずだ」と思った鈴木被告にとって、菊池さんが北側の窓に面した部屋にいたのは想定外だったという。だが、本来の目的である現金を盗もうと、うめき声を出して倒れている菊池さんを残して隣りの茶の間に向かった。タンスの引き出しには現金はなかったが、巾着袋の中に通帳とキャッシュカードがあった。暗証番号が書かれた紙も入っていた。巾着袋を奪うと、鈴木被告は侵入したのと同じ掃き出し窓から外に出て、止めていた車に戻った。犬は吠えなかった。 事件から約3週間後の3月1日、鈴木被告は盗んだキャッシュカードを使って現金計300万円を引き出したとして窃盗容疑で棚倉署に逮捕された。同22日には、前述した強盗殺人の罪で再逮捕。家裁郡山支部から逆送され、地検郡山支部が強盗殺人罪などで起訴し実名を公表、裁判員裁判で成人と同じように裁かれたというわけだ。 逮捕されるまでの間、鈴木被告には罪に向き合う機会もあったが、傍目には自身の行為を悔いていない行動を取った。まずは証拠隠滅。犯行日の2月10日に茨城県内の川で、橋の上から凶器の鉄パイプを捨てた。菊池さんの葬式にも平然と出席していた。奪ったキャッシュカードで同10~16日の間に県南、いわき市、茨城県内のコンビニのATМで18回に分けて計300万円を引き出した。車の部品や交際相手にブランド品や服を買ったほか、クレジットカードの返済に使い切った。鈴木被告は「足が付くのは分かっていた。捕まるまで自由にしようと思った」と法廷でその時の心情を振り返った。 ここで鈴木被告の成育歴を振り返る。2002年生まれの鈴木被告は3人きょうだいの2番目。小学5年生の時に両親が別居し、2015年に離婚した。きょうだい3人は母親が引き取った。父親は別の家庭を持っている。殺害した菊池さんは父方の祖母に当たり、菊池さんと暮らしていた長男は、鈴木被告にとって伯父に当たる。 鈴木被告は矢祭町内の中学校を卒業後、建築板金の職人として茨城県で働き始めた。職場の人間関係に悩み、矢祭町に戻ってきた。技術を生かそうと町内の建築板金業で働き、昨年秋に独立して一人親方となった。平均月40万円は稼いでいたという。町内の母方の実家で母親とは別に暮らしていた。 収入は、経費や健康保険代、税金などが引かれるとしても、家賃を支払う必要がないと考えれば十分な額だ。それでも菊池さんに十数万円の借金をしていた。借金について、鈴木被告は「車や仕事道具に出費し管理ができなかった」「ばあちゃんには甘えているところがあった」と述べている。 菊池さんの口座に大金があると知ったのは、状況から見て1年前にさかのぼる。矢祭町に帰ってから、菊池さんの資金援助を得て運転免許証を取得した被告は、昨年9月に運転ができない菊池さんに頼まれ、塙町内の金融機関へ現金を引き出しに連れていった。ATMの前で、操作方法を菊池さんに教える鈴木被告の画像が残されている。そこで、口座にある金額を知ったというわけだ。 今年1月20日には、鈴木被告は交際相手を連れて菊池さんを訪ね、カネを無心している。「妊娠したので検査費用が必要」と話したという。 この話は、菊池さんが、栃木県へ嫁いだ自身の妹に電話で伝えていた。殺害される3日前の2月6日の電話では、1月の借金は「断った」と話した。交際相手とのその後について、裁判官が鈴木被告に質問したが「自分はもう分からない」と答えた。裁判中にそれ以上聞かれることはなかった。 情状酌量は一切なし 事件現場となった被害者の自宅  鈴木被告は「車の修理代にカネが欲しかった」と言っており、菊池さんに断られた時点で盗むしかないと考えた。これだけでも身勝手ではあるが、鉄パイプを持ち込んだことで取り返しのつかない事件を起こしてしまったというわけだ。 菊池さんの次男に当たる鈴木被告の父親は、弁護側の証人として出廷し、「事件については整理できず何とも言えない」と複雑な立場にある心情を話した。「バカ親と言われるのは仕方ない」と断ったうえで「家族間の事件」と捉えていると打ち明けた。そして、「できれば息子が罪を償った後は引き取りたい」と訴えた。母親も出廷し、幼少期から暴力とは無縁だったと証言した。 一方、同居する母親を殺された長男は「家族間の事件」では済まないと代理人を通して思いを伝えた。鈴木被告にとって「かあちゃん(菊池さん)は弱く、身近で簡単にカネを取れる存在だった」と指摘し、「どうして高齢の女性にあんなひどいことができるのか。敬斗は社会一般では私の甥かもしれないが、私からすれば『犯人』に他ならない」と刑務所行きの厳罰を求めた。 地裁郡山支部で9月15日に開かれた判決公判には約35の一般傍聴席に対し70人近くが抽選に並んだ。筆者は同7日の初公判と、翌8日の被告人質問は傍聴券を手にしたが、肝心の判決は約2倍の倍率に阻まれた。判決は抽選に当たった傍聴マニアから聞いた。彼によると、 「少年だとか情状酌量とかは一切なかったね。裁判長は判決とは別に、被告に『立ち直れると期待している』と言っていたよ。でも、判決は無期でしょ。それはそれ、これはこれなんだろうね」 強盗殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役だ。無期懲役は仮釈放が認められるまでに最低30年はかかると言われている。鈴木被告は仙台高裁に控訴中。まだ若い被告にとって納得できない判決だろう。 鈴木被告の最後の支えとなるのは、証人として出廷した両親しかいない。最後まで味方でいてくれる肉親の温かさを感じれば感じるほど、鈴木被告は、最も大切で頼りにしていた家族(菊池さん)を殺された長男の気持ちに向き合わなければならない。一度は自分自身を徹底的に否定する心情になることは必至で、全人生に付きまとうだろう。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人

  • 第3弾【田村市贈収賄事件】裁判で暴かれた不正入札の構図

     田村市の一連の贈収賄事件に関わったとして受託収賄と加重収賄に問われた元市職員の判決が1月13日午後2時半から福島地裁で言い渡される。裁判では除染関連の公共事業発注に関し、談合を主導していた業者の証言が提出された。予定価格の漏洩が常態化していたことも明らかになり、事件は前市長、そして懇意の業者が共同で公共事業発注をゆがめた結果、倫理崩壊が市職員にも蔓延して起こったと言える。 汚職のきっかけは前市長派業者への反感  元市職員の武田護被告(47)=郡山市=は市内の土木建築業者から賄賂を受け取った罪を全面的に認めている。昨年12月7日の公判で検察側が求めた刑は懲役2年6月と追徴金29万9397円。注目は実刑か執行猶予が付くかどうかだ。立件された贈賄の経路は二つある。  一つは三和工業の役員(当時)に非公開の資材単価表のデータを提供した見返りに商品券を受け取ったルート。もう一つが秀和建設ルートだ。市発注の除染除去物質端末輸送業務に関し、2019年6月27日~9月27日にかけて行われた入札で、武田被告は予定価格を同社の吉田幸司社長(当時)に教えた見返りに飲食の接待を受けた。同社は3件落札、落札率は96・95~97・90%だった。  三和工業の元役員には懲役8月、執行猶予3年が確定した。秀和建設の吉田氏は在宅起訴されている。  田村市は設計金額と予定価格を同額に設定している。武田被告は少なくともこの2社に設計金額を教え、見返りを得ていた。他の業者については、見返りの受け取りは否定しているが、やはり教えてきたという。  入札の公正さをゆがめ、公務員としての信頼に背いたのは確かだが、後付けとはいえ彼なりの理由があったようだ。2社に便宜を図った動機を取り調べでこう述べている。  「真面目にやっている人が損をしている。楽に仕事を得ようとしている人たちを思い通りにさせたくなかった」  「真面目にやっている人」とは武田被告からすると三和工業と秀和建設。では「楽に仕事を得ようとしている人」とは誰か。それは、本田仁一前市長時代に受注調整=談合を主導していた「市長派業者」を指している。検察側は田村市で行われていた公共事業発注について、次の事実を前提としたうえで武田被告に尋問していた。  ・船引町建設業組合では事前に落札の優先順位を決めるのが慣例だった。  ・除染除去物質端末輸送業務では一時保管所を整地した業者が優先的に落札する決まりがあった。  ・田村市復興事業協同組合(既に解散)が受注調整=談合をしていた。  これらの事実は船引町建設業組合を取りまとめる業者の社長と市復興事業協同組合長を務める業者の社長が取り調べで認めている。  「落札の優先順位を定める円滑調整役だった。業者は優先順位に従って落札する権利を与えられ、業者同士が話し合う。どこの輸送業務をどの業者が落札するか決定し、船引町の組合には結果が報告されてくる。それを同町を除く市内の各組合長に伝えていた」(船引町建設業組合長)  市復興事業協同組合長も「一時保管所を整地したら除染土壌の運搬も担うよう他地区と調整していた」と認めている。この組合長については本誌2018年8月号「田村市の公共事業を仕切る〝市長派業者〟の評判」という記事で市内の老舗業者が言及している。  「本田仁一市長の地元・旧常葉町に本社がある㈱西向建設工業の石井國仲社長は本田市長の後援会長を務めている。一方、市内の建設業界を取り仕切るのは田村市復興事業組合で組合長を務める富士工業㈱の猪狩恭典社長。この2人が『これは本田市長の意向だ』として公共工事を仕切っているんです」(同記事より)  除染土壌の輸送業務をめぐっては業者が落札の便宜を図ってもらうために、本田前市長派業者の主導で市に多額の匿名寄付をし、除染費用を還流させていた問題があった。元市職員が刑事事件に問われたことで、公共事業発注の腐敗体質が明らかになったわけだ。  武田被告は本田前市長派業者による不正が行われていた中で、自分も懇意の業者に便宜を図ろうと不正に手を染めたことになる。取り調べに「楽に仕事を得ようとする業者」に反感があったと語ったが、自分もまた同様の業者を生み出してしまった。田村市では予定価格を業者に教えるのが常態化していたというから、規範が崩れ、不正を犯すハードルが低くなっていたことが分かる。 不必要な事業を発注か  武田被告は公共事業発注の腐敗体質について、市の事業に決定権を持つ者、つまり本田前市長や職員上層部の関与もほのめかしている。  「我々公務員は言われた仕事をやる立場。決定する立場の人間が必要な事業なのか判断しているのか疑問だった。そのような事業を取る会社はそういう(=楽をして仕事を取ろうとする)会社も見受けられた」  上層部が不必要な事業をつくり、一部の業者が群がっていたという構図が見て取れる。  武田被告が市職員を辞めたのは2022年3月末。本誌は前号で、宮城県川崎町の職員が単価表データを地元の建設会社役員と積算ソフト会社社員に漏らして報酬を受け取った事件を紹介した。本誌は同種の事件を起こしていた武田被告が立件を恐れて退職したとみていたが、本人の証言によると、単に「堅苦しい役所がつまらなかった」らしい。  2022年1~2月には就職活動を行い、土木資料の販売を行う民間会社から内定を得た。市役所退職後の4月から働き始め、市の建設業務に携わった経験を生かして営業やパソコンで図面を作る仕事をしていた。市役所の閉塞感から解放され「楽しくて、初めて仕事にやりがいを感じた」という。  武田被告は1995年3月に短大を卒業後、郡山市の広告代理店に就職。解雇され職探しをしていたところ、父親の勧めで96年に旧大越町役場に入庁した。建設部水道課に所属していた2013、14年ごろに秀和建設の役員(吉田前社長の実弟)と知り合い、年に3、4回飲みに行く仲になった。  役所内に情報源を持ちたかった吉田氏の意向で、実弟は武田被告への接待をセッティング。吉田氏と武田被告はLINEで設計金額を教える間柄になった。この時期の贈収賄は時効を迎えたため立件されていない。当時は冨塚宥暻市長の時代だから、市長が誰かにかかわらず設計金額漏洩は悪習化していたようだ。  後始末に追われる白石高司市長だが、自身も公募型プロポーザルの審査委員が選定した新病院施工者を独断で覆した責任を問われ、市議会が百条委員会を設置し調査を進めている。前市政から続く問題で市民からの信頼を失っている田村市だが、武田被告が「市役所はつまらない」と評したように、内部(市職員)からも見限られてはいないか。外部からメスが入ったことを契機に膿を出し切り、生まれ変わるきっかけにするべきだ。 あわせて読みたい 【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相 【第2弾】【田村市・贈収賄事件】積算ソフト会社の「カモ」にされた市と業者 第4弾【田村市贈収賄事件】露呈した不正入札の常態化

  • 【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 【大熊町】鉄くず窃盗が象徴する原発被災地の無法ぶり

     東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域となった大熊町図書館の解体工事現場から鉄くずを盗んだとして、窃盗の罪に問われた作業員の男4人の裁判が1月16日に地裁いわき支部であった。解体工事は環境省が発注し、鹿島建設と東急建設のJVが約51億円で落札。鉄くずを盗んだのは1次下請けの土木工事業、青田興業(大熊町)の作業員だった。4人のうち3人は秋田県出身の友人同士。別の工事でも作業員が放射線量を測定せずに物品を持ち出し、転売していた事態が明らかになり、原発被災地の無法ぶりが浮き彫りになった。 鉄くず窃盗事件  窃盗罪に問われているのはいわき市平在住の大御堂雄太(39)、高橋祐樹(38)、加瀬谷健一(40)と伊達市在住の渡辺友基(38)の4被告。大御堂氏、高橋氏、加瀬谷氏は秋田県出身で、かつて同県内の同じ建設会社で働いており友人関係だった。2017年に福島県内に移住し同じ建設会社で働き始め、青田興業には2023年春から就業した。3人は加瀬谷氏の車に乗り合わせて、いわき市の自宅から大熊町の会社に通い、そこから各自の現場に向かっていた。  大熊町図書館の解体工事は環境省が発注し、鹿島建設と東急建設のJVが約51億円で落札(落札率92%)、2022年5月に契約締結した。1次下請けの青田興業が23年2月から解体に着手していた。図書館は鉄筋コンクリート造りで、4人は同年5月に6回にわたり、ここから鉄くずを盗んだ。環境省は関係した3社を昨年12月11日まで6週間の指名停止にした。  建物は原発事故で放射能汚染されており、鉄くずは放射性廃棄物扱いとなっている。放射性物質汚染対処特別措置法に基づき、持ち出すには汚染状態を測定しなければならず、処分場所も指定されている。作業員が盗んで売却したのは言うまでもなく犯罪だが、汚染の可能性がある物を持ち出し流通・拡散させたことがより悪質性を高めた。  その後、帰還困難区域で作業員による廃棄物持ち出しが次々と明らかになる。大熊町内で西松建設が受注したホームセンター解体現場では、商品の自転車が無断で持ち出されたり設備の配管が盗まれたりした。(放射性)廃棄物の自転車が転売されているという通報を受け同社が調査したところ、2次下請け業者が「作業員が知り合いの子にあげるため、子ども用の自転車2台を持ち出した」と回答したという(2023年10月28日付朝日新聞より)。  大熊町図書館の鉄くず窃盗事件は、複数人による犯罪だったこと、作業員たちが転売で得た金額が100万円と高額だったため逮捕・起訴された。裁判で明らかになった犯行の経緯は次の通り。  高橋氏(勧誘役)と加瀬谷氏(運搬役)は2023年4月末から大熊町の商業施設の解体工事現場で作業をしていた。青田興業が担う図書館の解体工事が遅れていたため、5月初旬から渡辺氏が現場に入り手伝うようになった。そのころ、大御堂氏(計画者)はまだ商業施設の現場にいたが、図書館の解体工事にも出入り。そこで鉄くずを入れたコンテナを外に運び出す方法を考えた。4人は犯行動機を問われ、「パチンコなどのギャンブルや生活費のために金が欲しかった」と取り調べや法廷で答えている。  大御堂氏が犯行を計画、同じ秋田県出身の高橋氏と加瀬谷氏を誘う。最初の犯行は5月12、13日にかけて2回に分け、同郷の3人で約7㌧の鉄くずを運び出した。コンテナに入れてアームロール車(写真参照)で運び出す必要があり、操作・運搬は加瀬谷氏の仕事だった。高橋氏は通常通り仕事を続け、異変がないか見張った。鉄くずは南相馬市の廃品回収業者に持ち込み、現金30万円余りに換えた。大御堂氏が分配し、自身と高橋氏が12万5000円、加瀬谷が5万円ほど受け取った。 参考写真:アームロール車の一例(トラック流通センターのサイトより)  味をしめて5月下旬にまた犯行を考えた。高橋氏は渡辺氏が過去に別の窃盗罪で検挙されていることを知り、犯行に誘った。同25~27日ごろに同じ方法で約14㌧を4回に分けて盗み、今度は浪江町の回収業者に持ち込み70万円余りで売った。  発覚は時間の問題だった。7月下旬に青田興業の協力会社から同社に「作業員が鉄くずを盗んで売っていたのではないか」と通報があった。確認すると4人が認めたため元請けの鹿島建設東北支店に報告。警察に被害を通報し、昨年10月25日に4人は逮捕された。青田興業は9月末付で4人を解雇した。  4人は大熊町の所有物である図書館の鉄筋部分に当たる鉄くずを盗み、100万円に換金した。しかも、その鉄くずは放射能汚染の検査をしておらず、リサイクルされ市場に拡散してしまった(環境省は「放射線量は人体に影響のないレベル」と判断)。4人は二重に過ちを犯したことになる。元請けJV代表の鹿島建設は面目を潰され、地元の青田興業も苦しい立場に置かれている。だが、被告側の証人として出廷した青田興業社長は4人を再雇用する方針を示した。  「もう一度会社で教育し、犯した罪に向き合ってほしい。会社の信用を少しずつ回復させたい」  検察官から「大変温情的ですね。会社も打撃を受けているのに許せるのですか」と質問が飛ぶと、  「盗みを知った時は怒りを覚えました。確かに会社は指名停止を受け大打撃を受けました。元請けにも町にも環境省にも迷惑を掛けた。でも今見放したら、この4人を雇ってくれる人はどこにもいないでしょう」 監視カメラが張り巡らされる未来  鉄くず窃盗事件は、数ある解体工事の過程で起こった盗みの一部に過ぎない。鉄くずは重機を使わなければ運び出せず、1人では不可能。本来、複数人で作業をしていれば互いが監視役を果たせるはずだが、実行した4人のうち3人は、同郷で以前も同じ職場にいた期間が長かったため共謀して盗む方向に気持ちが動いた。作業員同士が協力しなければ実現しなかった犯罪で、そのような環境をつくった点では青田興業にも責任はあるだろう。4人を再雇用する場合、同じ空間で作業する場面がないように隔離する必要がある。  原発被災地域で除染作業に携わった経験を持つある土木業経営者は、監視の目が届かない被災地の問題をこう指摘する。  「帰還が進まず人の目が及ばない地域なので、盗む気があれば誰もが簡単にできる。窃盗集団とみられる者が太陽光発電のパネルを盗んだ例もあった。防ぐには監視カメラを張り巡らせて、『見ているぞ』とメッセージを与え続けるしかないのではないか。もっとも、そのカメラを盗む窃盗団もいるので、イタチごっこに終わる懸念もある」  原発被災地域では監視の目を強めているが、パトロールに当たっていた警察官が常習的に下着泥棒を行っていたり、民間の戸別巡回員が無断で民有地に侵入し柿や栗を盗んだりする事件も起きている。人間の規範意識の高さをあまり当てにしてはいけない事例で、今後、監視カメラの設置がより進むだろう。

  • 【会津若松】神明通り廃墟ビルが放置されるワケ

     会津若松市の中心市街地に位置する商店街・神明通り沿いに、廃墟と化したビルがある。大規模地震で倒壊する危険性が高いと診断されており、近隣の商店主らは早期解体を求めているが、市の反応は鈍い。ビルにはアスベストが使われており、外部への飛散を懸念する声も強まっている。 近隣からアスベスト飛散を心配する声 廃墟のような外観の三好野ビル  神明通りと言えば、会津若松市中心市街地を南北に走る大通りだ。国道118号、国道121号など幹線道路の経路となっており、JR会津若松駅方面と鶴ヶ城方面を結ぶ。通り沿いの商店街には昭和30年代からアーケードが設けられ、大善デパート(後のニチイダイゼン)、若松デパート(後の中合会津店)、長崎屋会津若松店が相次いで出店。多くの人でにぎわった。  もっとも、近年は郊外化が進んだ影響で衰退が著しく、2つのデパートと長崎屋はいずれも撤退。映画館なども閉館し、食品スーパーのリオン・ドール神明通り店も閉店。人通りはすっかりまばらになった。コロナ禍でその傾向はさらに加速し、空きテナント、空きビルが目立つ。  そんな寂しい商店街の現状を象徴するように佇んでいるのが、神明通りの南側、中町フジグランドホテル駐車場に隣接する、通称「三好野ビル」だ。  鉄筋コンクリート・コンクリートブロック造、地下1階、地上7階建て。1962(昭和37)年に新築され、その名の通り「三好野」という人気飲食店が営業していた。同市内の経済人が当時を振り返る。  「本格的な洋食を提供するレストランで、和食・中華のフロアもあった。子どものころ、あの店で初めてビフテキやグラタンを食べたという人も多いのではないか。50代以上であればみんな知っている店だと思います。会津中央病院前にも店舗を出していました」  ただ、いまから20年ほど前に閉店し、一時的に中華料理店として復活したもののすぐに閉店。現在はビル全体が廃墟のようになっている。 壁には枯れたツタが絡まり、よく見ると至るところで壁が崩落。細かい亀裂も入っており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。市内の事情通によると、実際、中町フジグランドホテル駐車場に外壁の破片が落下したことがあり、「近くを通ると人や車に当たるかもしれない」と、同ホテルの負担で塀が設置された。外壁が崩れないようにネットでも覆われた。  ただその後も改善はされず、強化ガラスが窓枠から外れ、隣接する衣料品店の屋根に破片が突き刺さる事故も発生した。衣料品店の店主は次のように語る。  「朝、店に来たら床に雨水が溜まっていた。業者を呼んで雨漏りの原因を調べたら、隣のビルから落ちた大きなガラスの破片が原因だと分かったのです。もし歩行者に直撃していたら亡くなっていたと思います」  消防のはしご車が出動し、不安定な窓ガラスに外から板を張り付ける形で応急処置を施したが、近隣商店主の不安は募るばかりだ。  何より懸念されるのは、地震などが発生した際に倒壊するリスクだ。  県は耐震改修促進法に基づき、大地震発生時に避難路となる道路沿いの建築物が倒壊して避難を妨げることがないように、「避難路沿道建築物」に耐震診断を義務付けている。  会津若松市の場合、国道118号北柳原交差点(一箕町大字亀賀=国道49号と国道118号・国道121号が交わる交差点)から同国道門田町大字中野字屋敷地内(門田小学校、第五中学校周辺)までの区間が「大地震時に円滑な通行を確保すべき避難路」と定められている。すなわち神明通り沿いに立つ三好野ビルも「避難路沿道建築物」に当たる。  昨年3月31日付で県建築指導課が公表した診断結果によると、震度6強以上の大規模地震が発生した際の三好野ビルの安全性評価は、3段階で最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」。耐震性能の低さにレッドカードが示されたわけ。  耐震性が低いビルを所有者はなぜ放置しているのか。不動産登記簿で権利関係を確認したところ、三好野ビルは概ね①相続した土地に建てた建物、②飲食店を始めた後に隣接する土地を買い足して増築した建物――の2つに分かれるようだ。  ①の所有者は、土地=レストランを運営していた㈲三好野の代表取締役・田中雄一郎氏、建物=雄一郎氏の母親・田中ヒデ子氏。  ②の所有者は、土地・建物とも㈲三好野。同社は1968(昭和43)年設立、資本金850万円。  ただ、雄一郎氏は十数年前に亡くなっており、登記簿に記されていた自宅住所を訪ねたがすでに取り壊されていた。雄一郎氏の弟で、同社取締役に就いていた田中充氏と連絡が取れたが、「会社はもう活動していない。親族は相続放棄し、私だけ名前が残っていた。ただ、私は会津中央病院前の店舗を任されていたので、神明通りのビルの事情はよく分からない」と話した。 会津若松市が特定空き家に指定 壁や窓ガラスの崩落、倒壊リスクがある三好野ビルの前を歩いて下校する小学生  ①の土地・建物には▽極度額900万円の根抵当権(根抵当権者第四銀行)、▽極度額2400万円の根抵当権(根抵当権者東邦銀行)、▽債権額670万円の抵当権(抵当権者住宅金融公庫)が設定されていた。  一方、②の土地・建物には▽債権額1000万円の抵当権(抵当権者田中充氏)が設定されていた。ただ、事情を知る経済人の中には「数年前の時点で抵当権・根抵当権は残っていなかったはず」と話す人もいるので、抹消登記を怠っていた可能性もある。  気になるのは、②の土地・建物が2006(平成18)年、2012(平成24)年、2017(平成29)年の3度にわたり会津若松市に差し押さえられていたこと。前出・田中充氏の話を踏まえると、固定資産税を滞納していたと思われるが、昨年5月には一斉に解除されていた。  市納税課に確認したところ、「個別の案件については答えられない」としながらも「差押が解除されるのは滞納された市税が納められたほか、『換価見込みなし(競売にかけても売れる見込みがない)』と判断されるケースもある」と話す。総合的に判断して、後者である可能性が高そうだ。  行政は三好野ビルをどうしていく考えなのか。県会津若松建設事務所の担当者は「耐震改修するにしても解体するにしてもかなりの金額がかかる。国などの補助制度を使うこともできるが、少なからず自己負担を求められる。そのため、市とともに関係者(おそらく田中充氏のこと)に会って、今後について話し合っている」という。  市の窓口である危機管理課にも確認したところ、こちらでは空き家問題という視点からも解決策を探っている様子。市議会昨年6月定例会では、大竹俊哉市議(4期)の一般質問に対し、猪俣建二副市長がこのように答弁していた。  《平成29年に空き家等対策の推進に関する特別措置法に基づく特定空き家等に指定し、所有者等に対し助言・指導等を行ってきたところであり、加えて神明通り商店街の方々と今後の対応を検討してきた経過にあります。当該ビルにつきましては、中心市街地の国道沿いにあり、周辺への影響も大きいことから、引き続き状態を注視しつつ、改修や解体に係る国等の制度の活用も含め、所有者等や神明通り商店街の方々、関係機関と連携を図りながら、早期の改善が図られるよう協議してまいります》  特定空き家とは▽倒壊の恐れがある、▽衛生上有害、▽著しく景観を損なう――といった要素がある空き家のこと。自治体は指定された空き家の所有者に対し「助言・指導」を行い、改善しなければ「勧告」、「命令」が行われる。「勧告」を受けると、翌年から固定資産税・都市計画税が軽減される特例措置がなくなってしまう。「命令」に応じなかった所有者には50万円以下の過料が科せられる。  それでも改善がみられない場合は行政代執行という形で、解体などの是正措置を行い、費用を所有者から徴収する。所有者が特定できない場合は自治体の負担で略式代執行が行われることになる。この場合、代執行の撤去費用の一部を国が補助する仕組みがある。  ただし、三好野ビルの解体費用は数千万円とみられ、市が一部負担するにも金額が大きい。耐震性でレッドカードが出ている三好野ビルに対し、行政が及び腰のように見えるのはこうした背景もあるのだろう。 コロナ禍で頓挫した活用計画 建物の中を覗いたら看板と車がそのまま置かれていた  「実はあの建物の活用をかなり具体的に検討していた」と明かすのは、神明通り商店街振興組合の堂平義忠理事長だ。  「5年前ごろ、『低額で譲ってもらえるなら振興組合の方で活用したい』と伝え、市役所の関係部署によるプロジェクトチームをつくってもらって本格的に調査したことがありました。経済産業省の補助金を使い、バックパッカー向けの宿泊施設をつくろうと考えていました。解体費用は当時9000万円。一方、改装にかかる総事業費は4億5000万円で、補助金を除く約2億円を振興組合で負担する計画でした」  だが、詳細を話し合っているうちにコロナ禍に入り、そのまま計画は頓挫。仮に再び経産省の補助事業に採択されても、崩落が進んでおり、建設費が高騰していることを踏まえると予算内に収まらない見込みのため、活用を断念したようだ。  同振興組合では三好野ビルについて、毎年市に早急な対応を求める意見書を提出しているが、市の反応は鈍いという。  「この間、まちづくりに関するさまざまな話し合いの場がありましたが、中心市街地活性の計画などに組み込んで解体を進めようという考えは、市にはないようです。事故が起きてからでは遅いと思うのですが……。個人的には、人通りが減ったとは言え中心市街地なので、解体・更地にして売りに出した方が喜ばれるのではないかと思います」(堂平氏)  ある経営者は「三好野ビルには放置しておくわけにはいかない〝もう一つのリスク〟がある」と話す。  「建てられた年代を考えると、内装にはアスベストが使われているはず。吸入すると肺がんを起こす可能性があるため、現在は製造が禁止されているが、仮に地震などで崩壊することがあればアスベストが周辺に飛散することになる。壁が崩落して穴が空いている場所もあるので、周囲に飛散しないか、業界関係者も心配している。市に早急な対応を訴えた人もいたが、取り合ってもらえなかったようです」  前出・堂平氏も「調査に入った際、『4階から上はアスベストが雨漏りで固まっている状態だった』と聞いた」と明かす。  市危機管理課の担当者に問い合わせたところ、三好野ビルの内部にアスベストが使われていることを認めたうえで、「アスベストは建物の内壁に使われており外に飛んで行くことはないので、そこに関しては心配していない」と話す。だが三好野ビル周辺は、地元買い物客はもちろん観光客、さらには登下校の児童・生徒も通行している。万が一のことを考え、せめてアスベストの実態調査と対策だけでも早急に着手すべきだ。  廃墟と言えば、本誌昨年11月号で会津若松市の温泉街に残る廃墟ホテルの問題を取り上げた。  運営会社の倒産・休業などで廃墟化する宿泊施設が温泉街に増えている。そうした宿泊施設は固定資産税が滞納されたのを受けて、ひとまず市が差し押さえるが、たとえ競売にかけても買い手がつかないことが予想されるため対応が後回しにされ、結局何年も放置される実態がある。  近隣の旅館経営者は「行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」と要望していた。  それに対し会津若松市観光課の担当者は「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、(市の負担で)清算人を立て、裁判所で手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」と対応の難しさについて話していた。  早急な対応を求める周辺と、慎重な対応に終始する市という構図は、三好野ビルも温泉街も同じと言えよう。言い換えれば会津若松市は「2つの廃墟問題」に振り回されていることになる。 市に求められる役割 室井照平市長  ㈲三好野の取締役を務めていた田中充氏は「私は75歳のいまも働きに出ているほどなので、解体費用を賄うお金なんてとてもない」と話す。  一方で次のようにも話した。  「あの場所を取得して、解体後に活用したいという方がいて、各所で相談していると聞いています。県や市の担当者の方には『私個人ではもうどうにもできないので、申し訳ないですが皆さんに対応をお任せしたい』と伝えてあります」  解体後の土地を活用したいと話すのが誰なのかは分からなかったが、解体費用まで負担して購入する人がいるのであれば朗報と言える。  1月1日に発生した能登半島地震で倒壊した石川県輪島市のビルも7階建てだった。三好野ビルが現状のまま放置されれば、同じようなことが起こる可能性もある。もっと言えば、市内には三好野ビル以外に大規模地震が発生した際の安全性評価が最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」となった建物が7カ所もあった。市はアスベスト対策も含め、地元から不安の声が広がっていることを重く受け止め、この問題に本腰を入れて臨む必要があろう。  昨年の市長選前には室井照平市長も三好野ビルを視察に訪れ、前出・堂平理事長や周辺商店に対し現状を把握した旨を話したという。今こそ先頭に立って音頭を取るべきだ。

  • 献上桃事件を起こした男の正体【加藤正夫】

     「自分は東大の客員教授であり宮内庁関係者だ」と全国の農家から皇室への献上名目で農産物を騙し取っていた男の裁判が昨年12月26日、福島地裁で開かれた。県内では福島市飯坂町湯野地区の農家が2021年から2年にわたり桃を騙し取られていた。男は皇室からの返礼として「皇室献上桃生産地」と書かれた偽の木札を交付。昨年夏に経歴が嘘と判明し、男は逮捕・起訴された。桃の行方は知れない。裁判で男は「献上品を決める権限はないが、天皇陛下に桃を勧める権限はある」と強弁し、無罪を主張するのだった。 「天皇に桃を勧める権限」を持つ!?ニセ東大教授 福島地裁  詐欺罪に問われた男は農業園芸コンサルタントの加藤正夫氏(75)=東京都練馬区。刑務官2人に付き従われて入廷した加藤氏は小柄で、上下紺色のジャージを着ていた。眼鏡を掛け、白いマスク姿。整髪料が付いたままなのか、襟足まで伸びた白髪混じりの髪は脂ぎっており、オールバックにしていた。  加藤氏は2022年夏に福島市飯坂町湯野地区の70代農家Aさんを通じ、Aさんを合わせて4軒の農家から「皇室に献上する」と桃4箱(時価1万6500円相当)を騙し取った罪に問われている。宮内庁名義の「献上依頼書」を偽造し、農家を信じ込ませたとして偽造有印公文書行使の罪にも問われた。  被害は県内にとどまらない。献上名目で北海道や茨城県、神奈川県の農家がトマトやスイカ、ミカンなどの名産品を騙し取られている。茨城県の事件は福島地裁で併合審理される予定だ。加藤氏の東京の自宅には全国から米や野菜、果物が届けられており、立件されていない事件を合わせれば多くの農家が被害に遭ったのだろう。  加藤氏はいったいどのような弁明をするのか。検察官が前述の罪状を読み上げた後、加藤氏の反論は5分以上に及んだ。異例の長さだ。  加藤氏「検察の方は、私が被害者のAさんに対して宮内庁に桃を推薦したとか、選ぶ権利があると言ったとおっしゃっていましたけど、Aさんには最初から私は宮内庁職員ではありませんと言っています。Aさんから桃を騙し取るつもりは毛頭ありません。私に選ぶ権利はありませんが、福島の桃を『いい桃ですよ』と推薦する権利は持っています。それと献上依頼書は5、6年前に宮内庁の方から古いタイプのひな形にハンコを押したものをいただきまして、それをもとに宮内庁と打ち合わせて納品日を記入しました。ですから献上依頼書は、ある意味では宮内庁と打ち合わせて内容を書いたものでして……」  要領を得ない発言に業を煮やした裁判官が「つまり、偽造ということか」と聞くと  加藤氏「宮内庁と打ち合わせをした上で私の方で必要な事柄を記入してAさんにお渡ししています」  裁判官「他に言いたいことは」  加藤氏「私は桃を献上品に選ぶ権限は持っていませんが、良質な物については『これはいい桃ですから、どうか陛下が召し上がってください』と勧める権利はあります」  裁判官「選定権限はないと」  加藤氏「はい。決定権は宮内庁にあります」  加藤氏は「献上桃の選定権限はないが推薦権限はある」などという理屈を持ち出し、Aさんを騙すつもりはなかったので無罪と主張した。宮内庁とのつながりも自ら言い出したわけではなく、Aさんが誤信したと主張した。  延々と自説を述べる加藤氏だが、献上依頼書が偽造かどうかの見解はまだ答えていない。裁判官が再び聞くと、加藤氏は「結局、私が持っていたのは5、6年前の古いタイプの献上依頼書なんですね。宮内庁から空欄になったものをいただきました。そこには福島市飯坂町のAさんの桃はたいへん良い桃で以下の通り指定すると登録番号が記入されていました。私がいつ献上するかを書いて、宮内庁やAさんと打ち合わせをして……」  裁判官「細かい話になるのでそこはまだいいです。偽造かどうかを答えてください」  加藤氏「それは、コピーをした白い紙に……」  裁判官「まず結論を」  結局、加藤氏は献上依頼書が偽造かどうか答えず、自身が作った書類であることは間違いないと認めた。釈明は5分超に及んだが、まだ補足しておきたいことがあったようだ。  加藤氏「2022年8月1日にAさんから桃4箱を受け取りましたが、うち2箱は確かに宮内庁に献上しました。残り1箱は成分を分析してデータを取りました。ビタミンなどを測りました」  裁判官「全部で4箱なので1箱足りないですが」  加藤氏「最後の1箱はカットして断面を品質の分析に使いました」  検査に2箱も費やすとは、贅沢な試料の使い方だ。  裁判官とのやり取りから「ああ言えばこう言う」加藤氏の人となりがつかめただろう。桃を騙し取られたAさんは取り調べにこう述べている。  「加藤氏が本当のことを話すとは思えない。彼は手の込んだ嘘を付いて、いったい何の目的で私に近づいてきたのか理解できない」(陳述書より) 「陛下が食べる桃を検査」  加藤氏がAさんに近づいたきっかけは農業資材会社を経営するBさんだった。2016年ごろ、加藤氏は別の農家を通じてBさんと知り合う。加藤氏は周囲に「東大農学部を卒業した東大大学院農学部の客員教授で宮内庁関係者」と名乗っていたという。Bさんには「自分は宮内庁庭園課に勤務経験があり、天皇家や秋篠宮家が口にする物を選定する仕事をしていた」とより具体的に嘘を付いていた。  加藤氏はBさんが肥料開発の事業をしていると知ると「自分は東大大学院農学部の下部組織である樹木園芸研究所の所長だ。私の研究所なら1回3万円で肥料を分析できる」と言い、本来は数十万円かかるという成分分析を低価格で請け負った。これを機にBさんの信頼を得る。  だが、いずれの経歴も嘘だった。宮内庁に勤務経験はないし、東大傘下の「樹木園芸研究所」は実在しない。ただ、加藤氏は日本大学農獣医学部を卒業しており、専門的な知識はあった模様。「農学に明るい」が真っ赤な嘘ではない点が、経歴を信じ込ませた。  加藤氏はBさんとの縁で「東大客員教授」として農家の勉強会で講師を務めるようになった。ここで今回の被害者Aさんと接点ができた。2021年5月ごろにはAさんら飯坂町湯野地区の農家たちに対して「この地区の桃はおいしい。ぜひ献上桃として推薦したい。私は宮内庁で陛下が食べる桃の農薬残量や食味を検査しており、献上品を選定できる立場にある」と言った。  同年7月にAさんは「献上品」として加藤氏に桃計70㌔を託した。加藤氏は宮内庁からの返礼として「皇室献上桃生産地」と揮毫された木札を渡した。木札の写真は、当時市内にオープンしたばかりの道の駅ふくしまに福島市産の桃をPRするため飾られた。  実は、宮内庁からの返礼とされる木札も加藤氏の創作だった。加藤氏は「献上した農家には木札が送られる。宮内庁から受け取るには10万円必要だが、農家に負担を掛けたくない。誰か知り合いに揮毫してくれる人はいないか」とBさんに書道家を紹介してほしいと依頼、木札に書いてもらった。  桃を騙し取ってから2年目の2022年6月には前述・宮内庁管理部大膳課名義の献上依頼書を偽造し、Aさんたちに「今年もよろしく」と依頼した。「宮内」の押印があったが、これは加藤氏が姓名「宮内」の印鑑として印章店に5500円で作ってもらった物だった。印章店も「宮内さん」が「宮内庁」に化けるとは思いもしなかっただろう。昨年に続きAさんたちは桃を加藤氏に託した。  「皇室献上桃生産地」の木札に「宮内」の印鑑。もっともらしいあかしは、嘘に真実味を与えるのと同時に注目を浴び、かえってボロが出るきっかけとなった。現在、県内で皇室に献上している桃は桑折町産だけだ。新たに福島市からも桃が献上されれば喜ばしいニュースになる。返礼の木札を好意的に取り上げようと新聞社が取材を進める中で、宮内庁が加藤氏とのつながりと、福島市からの桃献上を否定した。疑念が高まる。2023年7月に朝日新聞が加藤氏の経歴詐称と献上桃の詐取疑惑を初報。Aさんが被害届を出し、加藤氏は詐欺罪で捕まった。  ただ、事件発覚以前からAさん、Bさんともに加藤氏に疑念の目を向けるようになっていた。加藤氏は「献上品を出してくれた人たちは天皇陛下と会食する機会が得られる」と触れ回っていたが、Bさんが「会食はいつになるのか」と尋ねても加藤氏は適当な理由を付けて「延期になった」「中止になった」とはぐらかしていたからだ。  Bさんは知り合いの東大教員に加藤氏の経歴を尋ねると「そんな男は知らない」。2023年7月に宮内庁を訪れ確認したところ、加藤氏の経歴が全くのデタラメで桃も献上されていないことが分かった。Aさんはこの年も近隣農家から桃を集め、同月下旬に加藤氏に託すところだったが、Bさんから真実を知らされ加藤氏を問い詰めた。加藤氏は「献上した」と強弁し、経歴詐称については理由を付けて正直に答えなかった。  2021、22年と加藤氏に託した桃の行方は分かっていない。転売したのか、自己消費したのか。加藤氏が「献上した」と言い張る以上、裁判で白状する可能性は低い。  もっと分からないのは動機だ。農産物の転売価格はたかが知れており、騙し取った量で十分な稼ぎになったとは思えない。時間が経てば品質が落ちるので短期間で売りさばかなければならず、高価格で販売するにはブランド化しなければならないが、裏のマーケットでそれができるのか。第一、加藤氏は「宮内庁関係者」「東大客員教授」を詐称し、非合法の儲け方をするには悪目立ちしすぎだ。 学歴コンプレックス  犯行動機は転売ではなく、加藤氏の学歴コンプレックスと虚栄心ではないか。それを端的に示す発言がある。加藤氏は取り調べでの供述で「東大農学部農業生物学科を卒業し、東大大学院で9年間研究員をしていた」と自称していたが、実際は日大農獣医学部農業工学科卒と認めている。昨年12月に開かれた初公判の最後には、明かされた自身の学歴を訂正しようと固執した。  「ちょっとよろしいですか。私の経歴で日本大学を卒業とありますが、卒業後に5年間、東京大学の研究員をしていますので……」  冒頭の要領を得ない説明がよみがえる。まだまだ続きそうな気配だ。 これには加藤氏の弁護士も「そういうことは被告人質問で言いましょう」と制した。  天皇と東大。日本でこれほどどこへ行っても通じる権威はないだろう。加藤氏は「宮内庁とのつながり」「東大の研究者」をひっさげて全国の農村に出没し、それらしい農学の知識を披露して「先生」と崇められていた。水を差す者が誰もいない環境で虚栄心を肥大させていったのではないか。福島市飯坂町湯野地区の桃農家は愚直においしさを追求していただけだったのに、嘘で固められた男の餌食になった。

  • 政経東北【2024年3月号】

    【政経東北 目次】県内元信者が明かす旧統一教会の手口/【衆院選新3区】未知の県南で奮闘する会津の与野党現職/【白河】旧鹿島ガーデンヴィラ「奇妙なM&A」の顛末/【センバツ出場】学法石川の軌跡/安田秀一いわきFCオーナーに聞く/【特集・原発事故から13年】/福島駅東口再開発に暗雲 アマゾンで購入する BASEで購入する 県内元信者が明かす旧統一教会の手口 新法では救われない「宗教2世」 【衆院選新3区】未知の県南で奮闘する会津の与野党現職 上杉支持者に敬遠される菅家氏、玄葉票取り込みが課題の小熊氏 【白河】旧鹿島ガーデンヴィラ「奇妙なM&A」の顛末 不動産を市内外の4社が競売で取得 【棚倉町議会】議長2年交代めぐるガチンコ対決 議員グループ分裂で9月町長選への影響必至!? 問われるあぶくま高原道路の意義 利用促進を妨げる有料区間 【センバツ出場】学法石川の軌跡 佐々木順一朗監督のチームづくりに迫る 【スポーツインタビュー】安田秀一いわきFCオーナーに聞く 「君が来れば、スタジアムができる」 過渡期を迎えた公設温浴施設【会津編】 会津美里町は民間譲渡で存続 【特集・原発事故から13年】 ①県内復興公営住宅・仮設住宅のいま ②復興事業で変わる双葉郡の居住者構成 ③追加原発賠償の課題 ④復興イノベーションは実現できるのか ⑤原発集団訴訟 6・17最高裁判決は絶対なのか(牧内昇平) ⑥フクイチ核災害は継続中(春橋哲史) ⑦廃炉の流儀 拡大版(尾松亮) 県職員・教員の不祥事が減らないワケ 横領金回収が絶望的な会津若松市と楢葉町 国見町議会には荷が重い救急車事業検証 福島駅東口再開発に暗雲 福島駅「東西口再編」に必要な本音の議論 その他の特集 巻頭言 復興まちづくりの在り方 グラビア 旧避難区域の〝いま〟 今月のわだい 維新の会県総支部「郡山移転」の狙い 南相馬木刀傷害男の被害者が心境吐露 矢吹町「ホテルニュー日活」破産の背景 桐島聡に影響与えた⁉福島医大の爆弾魔 特別インタビュー 小櫻輝・県交通安全協会長 管野啓二・JA福島五連会長 企画特集 地域資源を生かした田村市のまちづくり 挑戦とシン化を続けるいわき商工会議所 市長インタビュー 木幡浩・福島市長 須田博行・伊達市長 高松義行・本宮市長 首長新任期の抱負 星學・下郷町長 インフォメーション 新常磐交通 福島観光自動車 陽日の郷あづま館 矢祭町・矢祭町教育委員会 連載 横田一の政界ウオッチ耳寄り健康講座(ときわ会グループ)ふくしま歴史再発見(岡田峰幸)熟年離婚 男の言い分(橋本比呂)東邦見聞録高橋ユキのこちら傍聴席選挙古今東西(畠山理仁)ふくしまに生きる 編集後記

  • 【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 反対一色の【松川浦自然公園】湿地埋め立て

     相馬市尾浜の市営松川浦環境公園に隣接する私有地の湿地で、埋め立て工事が計画されている。地元住民や環境団体、相馬双葉漁協は「生活環境が悪化する」、「自然環境が損なわれる」などの理由で反対している。事業者側の担当者を直撃すると、反対意見に対する〝本音〟をぶちまけた。 〝騒いでいるのは一部〟とうそぶく事業者  松川浦は太平洋から隔てられた県内唯一の「潟湖」。震災・原発事故後、ノリ・アサリの養殖は自粛を余儀なくされたが、現在は復活。2020年には浜の駅松川浦がオープンし、同市の観光拠点となっている。一帯は県立自然公園に指定され、多様な自然環境が維持されている。  埋め立て工事が計画されているのは、そんな松川浦県立自然公園内の北西部に当たる同市札ノ沢の私有地。大森山、市松川浦環境公園(旧衛生センター跡地)に隣接する約2㌶の湿地で、松川浦とは堤防で隔てられているが、水門でつながっている。  もともと同湿地を所有していたのは、東京都在住の野崎節子氏(故人)で、〝野崎湿地〟と呼ばれている。かつては絶滅危惧Ⅰ類のヒヌマイトトンボの生息地として知られていたが、津波でヨシ群落が壊滅して以来、確認できなくなった。  「ただ、2022年に県が実施した動植物調査結果によると、レッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)に登録されている植物・昆虫・底生生物が10種以上確認されています。同公園の中でも重要な希少種の生息域です」(かつて野崎氏から同湿地の管理を任されていた環境保護団体「はぜっ子倶楽部」の新妻香織代表)  そうした中で昨年9月、所有者である野崎氏の親族から同湿地を取得したのが、同月に設立されたばかりの合同会社ケーエム(宮城県気仙沼市、三浦公男代表社員)だ。資本金100万円。事業目的は不動産賃貸・売買・仲介・管理、鉱物・砂利・砂・土石、各種建材の販売など。  三浦氏は64歳で、北部生コンクリート(宮城県気仙沼市)の社長でもある。1983年設立。資本金4000万円。民間信用調査機関によると2022年9月期売上高5億8000万円、当期純利益9000万円。  県立自然公園では自然環境に影響を及ぼす恐れのある行為が規制される。ただ、同湿地は県への届け出で土地開発が可能となる「普通地域」で、埋め立ては禁止されていない。ケーエムは11月8日、県に届け出を提出。市には工事の進入路などに市有地を使う許可申請をした。  同17日には、市松川浦環境公園の管理業務を受託するNPO法人松川浦ふれあいサポート(菊地三起郎理事長)の役員を対象とした説明会が開かれた。説明会を担当したのは北部生コンクリートの子会社で、運搬事業を担うアクトアライズ(宮城県仙台市宮城野区、三浦公男社長)。説明会は同法人関係者以外の人にも開放され、県議や市議、住民、漁業関係者、環境団体関係者など約30人が出席した。  説明会の参加者によると、同湿地取得の目的はケーエムの事務所用地の確保。横浜湘南道路(首都圏中央連絡自動車道=圏央道の一部)の建設工事で出た残土など約7万立方㍍で湿地を埋め立てる。土は汚染物質を検査した後、船で相馬港まで運び、車両で現地に運び込む計画だ。  当日出た意見は「汚染されていないか不安になる」、「ノリやアサリは原発事故後、苦難の中で復活した。新たな風評被害が生まれると困る」、「絶滅危惧種が多く生息している場所を埋め立てないでほしい」、「松川浦環境公園は環境省のみちのく潮風トレイルの始発点(終着点)でもある場所。ここの景観を壊すことは大変な損失になる」など。慎重な対応を求める意見が大半だったという。  12月10日には地元住民を対象とした説明会が開かれたが、この前後に新聞報道が出たこともあり、反対意見が続出したようだ。  さらに同12日には地元の細田地区会が工事への反対を決議し、立谷秀清市長に要望書を提出。同日、松川浦周辺の宿泊施設でつくる市松川浦観光旅館組合も、立谷市長に反対の申し入れを行った。同19日には相馬市の相馬双葉漁協が「埋め立てにより周辺の漁場が将来にわたり影響を受ける」として、市に埋め立て反対を申し入れた。  一方、12月4日には、前述した工事の進入路などに市有地を使う許可申請について、NPO法人松川浦ふれあいサポートが「住民への説明が不十分で、地域として不安と不信があることから、市の行政財産使用許可を控えるべき」とする意見書を立谷市長に提出した。  埋め立て計画に対し反対一色となっており、こうした反応を受けて県や市も慎重な姿勢を見せている。  県(知事)は県立自然公園内の「普通地域」の土地開発届け出があった際、風景を保護するために必要があると認められる場合、30日以内に土地開発の禁止・制限、期間延長などの措置を命じることができる。  県自然保護課の担当者は「特に法令違反などはなかったので、措置を命じることはありませんでした」としながらも、「地元住民の理解促進に努め、自然環境への影響を考慮するよう要請しました」と話す。 市長は反対意見尊重 野崎湿地  相馬市の立谷市長は前述した私有地の使用許可をめぐり、NPO法人松川浦ふれあいサポートの意見書を受け取った際、「地域にとって重要な土地に関して、住民の理解が得られない以上、市として行政財産使用を許可できない」と述べた。  12月7日に開かれた相馬市議会12月定例会の一般質問でも、中島孝市議(1期)の質問に答える形で「現時点で公共の利益または公益性が認められないことに加え、地域住民の理解を得られておらず、意見書が寄せられていることを踏まえると、市は使用許可については不適切と考えています」と答弁した。  市執行部は「説明会で多数の住民から不安の声が寄せられたことを踏まえ、事業者に対し、埋め立てようとしている土地に不適切なものが混入していないか、そのことによって長年にわたり弊害が起きないか、丁寧な説明を求めてきた。また、県から意見書を求められたので、①周辺環境の保全に十分配慮すること、②長期的な環境への影響が発生した際の責任や対応態勢を明確にすること、③住民の理解を得ないまま工事に着手しないこと――などの意見を表明した。以前、相馬中核工業団地東地区に不適切な残土が運搬された苦い経験(汚染物質を含む残土が運搬された。〝川崎残土問題〟と呼ばれている)もあることから意見書を提出した」と説明した。  中島市議が「市は環境基本条例を制定している。環境面への影響を考えて、市が先頭に立って反対すべきではないか」と質したのに対し、立谷市長は「許認可権は県が持っている。反対運動を演出(主導)するようなことは慎みたいが、反対の声が多ければ十分尊重する」と話した。  こうした中で、それでも事業者は埋め立て計画を強行するのか。12月11日、土地を所有するケーエムに代わって〝窓口役〟を務める前出・アクトアライズの福島営業所(浪江町)を訪ねたところ、伊藤裕規環境事業部長が取材に応じた。 アクトアライズ福島営業所  ――野崎湿地を取得したケーエムとはどんな会社か。  「北部生コンの三浦公男社長の個人会社。当初、湿地は個人で取得するつもりだったが、経費を精算するために会社を立ち上げた。この事務所自体は10年ぐらい前に設置しました(アクトアライズは2022年設立なので、関連会社の事務所という意味だと思われる)」  ――埋め立て計画について住民から反対の声が上がっている。  「一部の人が騒いでいるだけ。環境団体や共産党の関係者がわーっと来て質問しているだけで、多くの地元の人は辟易している。NPO法人松川浦ふれあいサポートや相馬双葉漁協などの〝まともな人〟は『特に反対意見はないが、埋め立てた後にどう利用されるのか気になる』とのことだったので、必要なエリア以外は相馬市に寄贈することも含めて検討しています」  ――「一部の人が騒いでいる」というがどんなことを言っているのか。  「弊社のダンプが狭い道を猛スピードで走行していて、運転手に注意したら逆に暴言を吐かれた――とか。各車両にGPSが付いているので、具体的にどこであったことなのか教えてほしいと言ってもあやふやな答えしか返ってこない。運転手一人ひとりに確認したが、注意されたという人は一人もいなかった。埋め立て計画を止めるための完全な言いがかりでしょう。地元で活動する環境団体関係者から『(約2万平方㍍の湿地と)私が所有する100坪(331平方㍍)の田んぼと交換しましょう』と意味不明な提案をされ(※)市議らから『市長に金を渡して埋め立てを決めたというウワサも出ている』などめちゃくちゃなことも言われた。名誉棄損、威力業務妨害に当たる行為もあったので、今後の対応について弁護士と相談しています」 ※環境団体関係者は「野崎湿地だけは避けてほしい。どうしても事務所建設用地が必要ならば100坪の土地を提供してもいい」と提案したとのこと。  ――野崎湿地は希少生物がいるので自然環境保護の観点から埋め立ては控えるべきとの意見がある。  「現場に行ったら自転車や冷蔵庫が捨ててあり、引っ張り上げた。環境が大事というのならまずごみ拾いからやるべきではないか。希少なトンボが生息しているというが、調査の結果、いまはいなくなったとも聞いている。自然環境保護といっても完全に主観の話になっている」  「裁判も辞さない」  ――そもそもどういう経緯で湿地を取得したのか。  「(北部生コンクリート本社がある)宮城県と(アクトアライズ福島営業所がある)浪江町をつなぐ中継地点かつ物流拠点である相馬港周辺の土地を探す中で、不動産業者からあの場所(野崎湿地)を紹介された。僕らは車を止める場所として300坪だけ購入するつもりだった。ただ、前の所有者(野崎氏の親族)に『一括して購入してほしい』、『子どもが落ちたら危ないので埋め立ててほしい』と依頼され、2㌶分を購入して埋め立てることにした。地元の学校関係者にも『埋め立ててもらった方がいい』と言われ、行政区長からも了解を得たので計画したまでです」  ――運び込まれる土に対する不安は大きいようだ。  「まるで汚染土でも運び込むように言われているが、神奈川県横浜市の道路工事現場で、NEXCOがシールドマシンを使ってトンネルを掘り出した際に出てきた普通の土ですよ。仮にその辺の山から土を持ってきても重金属など有害物質が入っている可能性がある。うちは公共工事の土しか扱っていないので、もし汚染物質が混入していたら、排出者である自治体やNEXCOに責任を取ってもらうだけです」  ――今後の見通しは。  「年が明けたらNPO法人松川浦ふれあいサポートに跡地利用のビジョンを示し、そのうえで市に再度市有地を使う許可申請を行う。それでも市が同意できないというなら裁判も辞さない考えです」  取材時点では「(反対しているといっても)一部住民が騒いでいるだけ」とかなり強気の姿勢を見せていた伊藤氏だが、前述の通りその後、細田地区会、市松川浦観光旅館組合、相馬双葉漁協、NPO法人松川浦ふれあいサポートなどが反対意見を表明している。  学校関係者は埋め立てに賛意を示したとのことだが、あらためて市教委に確認したところ、「中村二小、中村二中とも説明を受けただけと聞いている。事実と異なる」という(後日、アクトアライズの営業課長に電話取材したところ、「教頭と面会したのは私だ。間違いなく『埋め立ててもらった方がいい』と言っていた」と主張していた)。  細田地区会にも確認したが、津野信会長が「反対決議は班長など30人ほどが集まって決めた。一部の人の声だけで決めたわけではない。実際にダンプのドライバーに注意して暴言を吐かれた人もいる」と反論した。  〝まともな人〟と評価されていたNPO法人松川浦ふれあいサポートの菊地理事長は「特定の政党や特定の団体と意見を共にする考えはない」と強調しつつも「現在の環境のまま残してほしいというのがわれわれの思いだ」と話した。  双方の主張がすれ違っており、どちらが正しいか判然としないが、いずれにしても「一部の人が騒いでいるだけ」とは言い難い状況と言えよう。一方で、「自然環境保護をうたうわりに、粗大ごみが放置されていた」という指摘は、事実であれば地元住民や環境団体にとって耳が痛い指摘ではないか。 世界・国の流れと逆行  福島大学共生システム理工学類の黒沢高秀教授(植物分類学、生態学)は「ネイチャーポジティブ(生物多様性の損失を食い止め、回復軌道に乗せること)を推進する世界・国の流れと逆行した動きであることを残念に思います」と述べる。  「2022年、生物多様性条約第15回締約国会議で世界目標『昆明・モントリオール生物多様性枠組』が採択され、昨年3月には『生物多様性国家戦略2023―2030』が閣議決定されました。同月、県が同戦略を反映した『第3次ふくしま生物多様性推進計画』を策定しています。にもかかわらず、県は従来と変わらないスタンスで県立自然公園内の埋め立てを容認し、相馬市も地元自治体として意見を言う機会があったのに動かなかったことになります」  黒沢教授によると、松川浦県立自然公園はもともと全国的に著名な景勝地で、1927(昭和2)年には東京日日新聞・大阪毎日新聞の企画で日本百景にも選ばれたという。だがその後、埋め立て・護岸工事が進む中で岸辺の風景が消失していき、戦後は景勝地選定から外れた。  「風景を大切にしないことが観光客・経済的価値の減少、生態系サービスの享受の低下につながり、そのことでさらに風景を大切にしない傾向が強まる〝負のスパイラル〟に陥っているようにも見える。今回の問題をきっかけに、松川浦の風景の重要性があらためて認識され、風景保全や再生が進み、全国的な景勝地としてのステータスを取り戻す方向に進むことを望みます」(同)  12月20日、相馬市議会12月定例会最終日には、同市議会に寄せられた野崎湿地の埋め立て中止を求める陳情が請願として採択され、市議会として埋め立てに反対する決議が議決された。  アクトアライズは報道に対し、「地域住民の理解を得て進めていきたい」と取り繕ったコメントをしているが、前述の対応を聞く限り本音は違うのだろう。ちなみに、住民説明会参加者から「しっかりしていて信頼できる人」と評されていた同社の営業課長にも電話取材したが、やはり「反対しているのは一部の人」という認識を示した。  同湿地埋め立て計画に対し、県と相馬市はどう対応していくのか。地元住民や各団体は自然保護のためにどうアクションするのか。今後の動きで生物多様性に対するスタンスが自ずと見えてきそうだ。 ※はぜっ子倶楽部の新妻代表は「メンバーで協力してお金を出し合い土地を買い取り、県に管理してもらう考えだ」と明かした。

  • 南相馬闇バイト強盗が招いた住民不和

     昨年2月、南相馬市の高齢者宅を襲った闇バイト強盗事件が地域住民に不和を与えている。強盗の被害に遭った男性A氏(78)が近所の男性B氏(74)を犯人視し、昨年8月に木刀で突いた。A氏は傷害罪に問われ、現在裁判が続く。B氏が根拠なく犯人扱いされた窮状と、加害者が既に別の犯罪の被害者であることへの複雑な思いを打ち明けた。 ※A氏は傷害罪で逮捕・起訴され、実名が公表されているが、闇バイト強盗被害が傷害事件を誘発した要因になっていることと地域社会への影響を鑑み匿名で報じる。 強盗被害者に殴られた男性が真相を語る 木刀で殴られた位置を示す男性  傷害事件は、昨年2月に南相馬市で発生した若者らによる闇バイト強盗事件が遠因だ。20~22歳のとび職、専門学校生からなる男3人組が犯罪グループから指示を受けて福島駅(福島市)で合流し、南相馬市の山あいにある被害者宅に武器を持って押し入った。リーダー格の男は札幌市在住、残り2人は東京都内在住で高校の同級生。2組はそれぞれ指示役から「怪しい仕事」を持ち掛けられ、強盗と理解した上で決行した。   強盗致傷罪に問われた実行犯3人には懲役6~7年の実刑判決が言い渡されている。東京都の2人に強盗を持ち掛けた同多摩市のとび職石志福治(27)=職業、年齢は逮捕時=は共謀を問われ、1月15日に福島地裁で裁判員裁判の初公判が予定されている。  強盗被害を受けた夫婦は家を荒らされ、現金8万円余りを奪われただけでなく大けがを負った。何の落ち度もないのに急に押し入られたわけで、現在に至るまで多大な精神的被害を受けている。にもかかわらず、犯行を計画・指示した札幌市のグループの上層部は法の裁きを受けていない。SNSや秘匿性の高い通信アプリを通じ何人も人を介して指示を出しており、立証が困難なためだ。犯罪を実行する闇バイト人員は後を絶たず、トカゲの尻尾切りに終わっている。被害者は全容がつかめず釈然としない。その怒りはどこに向ければいいのか。  矛先が向いたのが近所に住む知人男性B氏だった。当人が傷害事件のあった8月11日を振り返る。  「その日はうだるような暑さでした。午後2~3時の間に車でA氏の自宅前を通るとA氏が道路沿いに座っていました。私は助手席の窓を開けて『暑いから熱中症になるなよ』と声を掛けるとA氏は『水持ってるから大丈夫』と答えました」  A氏からB氏の携帯電話に着信があったのは午後10時41分ごろだった。  「私は深夜の電話は一切出ないことにしています。放っておくと玄関ドアを叩く音が聞こえました。開けるとA氏がいたので『おやじ、どうした?』と聞くと、A氏は『お前を殺しに来た』。私が『お前に殺されるようなタマじゃない』と答えるやA氏は左手に持った20㌢くらいの木刀を私の額に向かって突き出してきました。眉間に当たった感覚があり、口の中にたらたらと血が入ってきたので出血がおびただしいと理解した」  B氏がのちに警察から凶器の写真を見せられると、木刀の切っ先や周りに釘が複数打ち込まれていたという。「釘バットという凶器があるでしょ。あんな感じです。これで額を突かれればあれだけ血が出るのも頷ける」(B氏)。  攻撃を受けた後、B氏はA氏の両手を掴んで動きを封じ、B氏の借家と同じ敷地に住む大家の元へ連れていき助けを求めた。警察に通報してもらうと、A氏と軽トラを運転してきたA氏の妻はそのまま帰っていったという。A氏は凶器の木刀を置いていった。B氏は「大家が軽トラの荷台に戻していたので、木刀の現物を詳しくは見ていない」と語った。  地裁相馬支部で昨年12月11日に開かれた公判ではB氏や大家に対する証人尋問が行われた。B氏は「A氏を許すことはできない」と厳罰を求めた。  この傷害事件で気になるのがA氏の動機だ。なぜ強盗被害者が木刀で知人を襲うに至ったのか。裁判で検察側は「B氏が北海道出身だったことで、A氏は早合点した」と言及している。どういうことか。  12月11日、証人尋問を終えたB氏に相馬市内のファミレスで話を聞いた。  「確かに私は北海道出身です。東日本大震災・原発事故後に土木工事業者として福島県に来ました。除染関連の仕事に従事していました」  B氏は、A氏が闇バイトを利用した一連の強盗事件で、指示役「ルフィ」らが北海道出身で日本では札幌市を拠点にしていたことと自分を結び付けたのではないかと推測する。南相馬市の闇バイト集団は、全国の高齢者が自宅に持つ現金や金塊などの資産状況を裏ルートで把握していた。B氏は「A氏は資産情報を漏らした犯人が自分だと因縁をつけたのではないか」と憤慨する。  「疑うべきところは私ではない。震災直後、A氏の自宅敷地内には除染や工事作業員の寮があり、全国から身元が判然としない人物が多く出入りしていた。私は南相馬に10年以上根を下ろし、大家さんや地元の方に良くしてもらっている。強盗の片棒を担いだと思われていたのは残念です」 救済制度の周知不足  B氏から話を聞くうちに、犯罪被害者救済制度を知らないことが明らかになった。福島県は犯罪被害者等支援条例を2022年4月に施行しているが、取り調べた警察や検察、居住地の南相馬市からは同制度が十分に周知されていなかった。筆者の取材を受ける中で同制度の存在を知り、検察から渡された手引きを見返すと支援の内容が載っていた。 犯罪被害者支援に特化した条例を制定している県内の自治体 白河市、喜多方市、本宮市、天栄村、北塩原村、西会津町、湯川村、金山町、昭和村、西郷村、矢吹町、棚倉町、塙町、三春町、小野町、広野町、楢葉町 (警察庁「地方公共団体における犯罪被害者等施策に関する取組状況」より)  犯罪被害者を支援する条例は岩手県以外の都道府県が制定する。被害者やその家族が被害から回復し、社会復帰できるように行政と事業者、支援団体の連携と相談体制、被害に対する金銭的支援を定めたもの。福島県は「犯罪被害者等見舞金」として、各市町村が給付する見舞金を半額補助している。  けがを負わされた被害者は治療費が掛かるし、外傷は治っても心理的ショックは長期間なくなることはない。その間は仕事に就けなくなる可能性も高い。B氏も額のけがが気になり、しばらく人前に出られなかったという。  問題意識を持って被害者支援に特化した条例を制定する市町村も出て来た。警察庁の2023年4月1日現在の統計によると、県内では表の17市町村が制定している。南相馬市は制定していない。  条例があることは当事者への理解が進んでいる自治体のバロメーターと言っていい。近年制定した自治体には、凄惨な事件の舞台となったところもある。誰もが加害者と被害者になってはいけない。だが、現に起こり、近しい人の協力だけでは復帰は難しく、公的支援が必要だ。南相馬市で発生した二つの事件を機に、全県で実効性の伴う犯罪被害者・家族の支援体制を整備するべきだ。

  • 陸自郡山駐屯地「強制わいせつ」有罪判決の意義

     陸上自衛隊郡山駐屯地に所属する部隊内で起こった強制わいせつ事件で、被告の元自衛官の男3人に懲役2年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。被害者の元自衛官五ノ井里奈さんは、顔と実名を出し社会に訴えてきた。福島県では昨年、性加害をしたと告発される福島ゆかりの著名人が相次いだ。被害者が公表せざるを得ないのは、怒りはもちろん、当事者が認めず事態が動かないため、世論に問うしか道が残っていないからだ。2024年はこれ以上性被害やハラスメント告発の声を上げずに済むよう、全ての人が自身の振る舞いに敏感になる必要がある。(小池航) 本誌が報じてきた性被害告発 被告たちを撮ろうとカメラを構えるマスコミ=2023年12月12日。 裁判所を出る関根被告(左)と木目沢被告(右)=同10月30日。  陸上自衛隊郡山駐屯地に所属する部隊の男性隊員3人が同僚の女性隊員を押し倒し腰を押しつけたとして強制わいせつ罪に問われた裁判で、福島地裁は昨年12月12日に懲役2年執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡した(肩書は当時)。有罪となった3人はいずれも郡山市在住の会社員、渋谷修太郎被告(31)=山形県米沢市出身、関根亮斗被告(30)=須賀川市出身、木目沢佑輔被告(29)=郡山市出身。刑事裁判に先立って3人は自衛隊の調査で被害女性への加害行為を認定され、懲戒免職されていた。  冒頭の報じ方に違和感を覚える読者がいるかもしれない。それは、裁判の判決報道のひな形に則り、刑事裁判の主役である被告人をメーンに据えたからだ。定型の判決報道で実態を表せないほど、郡山駐屯地の強制わいせつ事件は有罪となるまで異例の道筋をたどった。被害を受けた元女性自衛官が顔と実名を出して、一度不起訴になった事件の再調査を世論に訴える必要に迫られたためだ。  被害を実名公表したのは五ノ井里奈さん(24)=宮城県東松島市出身。2021年8月の北海道矢臼別演習場での訓練期間中に宴会が行われていた宿泊部屋で受けた被害をユーチューブで公表した。防衛省・自衛隊が特別防衛監察を実施して事件を再調査し、男性隊員らによる性加害を認め謝罪するまでには、自衛隊内での被害報告から約1年かかった。加害行為に関わった男性隊員5人のうち技を掛けて倒し腰を押しつける行為をした3人が強制わいせつ罪で在宅起訴された。被告3人はわいせつ行為を否定。うち1人は腰を振ったことを認めたが「笑いを取るためだった」などとわいせつ目的ではなかったと主張。しかし、3人とも有罪となった。原稿執筆時の12月21日時点で控訴するかどうかは不明。  筆者は福島地裁で行われた全7回の公判を初めから終わりまで傍聴した。注目度が高かったため、マスコミや事件の関係者が座る席を除く一般傍聴席は抽選だった。本誌は裁判所の記者クラブに加盟していないため席の割り当てはない。外勤スタッフ8人総出で抽選に臨み、何とか傍聴席を確保できた。判決公判は一般傍聴席35席に202人が抽選に臨み、倍率は5・77倍だった。  事件を再調査した特別防衛監察は、これまではおそらく取り合ってこなかったであろう自衛隊内のハラスメント行為を洗い出した。自衛隊福島地方協力本部(福島市)では、新型コロナウイルスのワクチン接種を拒否した隊員に接種を強要するなどの威圧的な言動をしたとして、同本部の50代の3等陸佐を戒告の懲戒処分にした(福島民報昨年11月27日付より)。  ある拠点の現役男性自衛官は特別防衛監察後の変化を振り返る。  「セクハラ・パワハラを調査するアンケートや面談の頻度が増えた。月例教育でも毎度ハラスメントについて教育するようになり、掲示板には注意喚起のチラシが張られている。男性隊員は女性隊員と距離を置くようになり、体に触れるなんてあり得ない」  特別防衛監察によりセクハラ・パワハラの実態が明るみになったことで自衛隊のイメージは悪化し、この男性自衛官は常に国民の目を気にしているという。  「自衛隊は日本の防衛という重要任務を担っていて国民が清廉潔白さを求めているし、実際そうでなければならない。見られているという感覚は以前よりも強い」 今年2024年は自衛隊が発足して70年。軍隊が禁じられた日本国憲法下で警察予備隊発足後、保安隊、自衛隊と名前を変えた。国民の信頼を得る秩序ある組織にするには、ハラスメント対策を一過性に終わらせず、現場の声を拾い上げて対処する恒常的な仕組みの整備が急務だ。 本誌が向き合ってきた証言 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  性加害やハラスメントは自衛隊内だけではない。本誌は昨年、福島県ゆかりの著名人から性被害を受けたとする告発者の報道に力を入れてきた。加害行為は立場が上の者から下の者に行われ、被害者は往々にして泣き寝入りを迫られる。  昨年2月号「地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の裏の顔 飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相」では、飯舘村出身の女性俳優大内彩加さんが、所属する劇団の主宰である谷賢一氏から性行為を強要されたと告発、損害賠償を求めて提訴した。谷氏は否定し、法廷で争う。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に移住し、演劇事業を繰り広げようとしていた。東京の劇団内で谷氏によるセクハラやパワハラを受けていた大内さんは新たに出会った福島の人々にハラスメントが及ぶのを恐れ、実態を知らせて防ぐために被害を公表したと語った。  7月号では大内彩加さんにインタビューし、性被害告発後に誹謗中傷を受けるなど二次被害を受けていることを続報した。  4月号「生業訴訟を牽引した弁護士の『裏の顔』」では、演劇や映画界で蔓延するハラスメントの撲滅に取り組んできた馬奈木厳太郎弁護士から訴訟代理人の立場を利用され、性的関係を迫られたとして、女性俳優Aさんが損害賠償を求めて提訴した。馬奈木氏は県内では東京電力福島第一原発事故をめぐる「生業訴訟」の原告団事務局長として知られていたが、Aさんの提訴前の2022年12月に退いていた。本誌も記事でコメントを紹介するなど知見を借りていた。  8月号「前理事長の性加害疑惑に揺れる会津・中沢学園」は、元職員が性被害を訴えた。証言を裏付けるため、筆者は被害者から相談を受けた刑事を訪ねたり、被害を訴える別の人物の証言記録を確認し、掲載にこぎつけた。8月号発売の直前に学園側は記事掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立ててきたが、学園側は裁判所の判断を待たず申し立てを取り下げた。9月号ではその時の審尋を詳報した。  本誌が報じてきたのはハラスメントがあったことを示すLINEのやり取りや音声、知人や行政機関への相談記録など被害を裏付ける証拠がある場合だ。ただし、証拠を常に示せるとは限らない。泣き寝入りしている被害者は多々いるだろう。五ノ井さんの証言を認め、裁判所が下した有罪判決を契機に、まずは今まさに被害を訴えている人たちの声に、世の中は親身に耳を傾けるべきだ。

  • 五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    ノンフィクション作家 岩下明日香  元自衛官の五ノ井里奈さんが、陸上自衛隊郡山駐屯地の部隊内で受けた性被害を実名告発した後、マスコミと世論が関心を持つまでには時間を要した。告発当初から取材し、五ノ井さんの著書『声をあげて』の構成を手掛けたノンフィクション作家が振り返る。 名もなき元自衛官の女性が閉塞的な日本社会に大きな風穴を開ける。 五ノ井里奈さん=筆者撮影  台風接近により、天候が崩れるという天気予報に憂いた。電車が動かなくなったら東京から郡山までたどり着けないかもしれない。「本当に彼女が自衛官だったかもわからない」「交通費は出さない」と編集部が躊躇していた取材のため、自腹を切った新幹線の切符が紙くずになるかもしれない。そんな心配は杞憂だった。  2022年7月5日、昼過ぎに降り立った郡山は、早足で夏がやってきたかのように汗ばむ真夏日だった。  郡山を訪れたきっかけは、元自衛官・五ノ井里奈さんに会うためだ。五ノ井さんは、自衛隊を6月28日に退官し、その翌日にユーチューブ『街録チャンネル』などの動画を通じて自衛隊内で受けた性被害を告発していた。瞬く間にソーシャルメディアで拡散され、それが雑誌系ウェブメディアの業務委託記者をしていた筆者の目に留まったのだ。  動画のなかの五ノ井さんは、取り乱すことなく、卑劣な被害の経緯を淡々と語っていた。当時、まだ五ノ井さんは22歳という若さ。純粋な眼差しとあどけなさが残っていた。  五ノ井さんを含め、性犯罪に巻き込まれた被害者を記事で取り上げるとき、証言だけではなく、裏取りができないと記事化は難しい。説得力のある記事でなければ、被害者は虚偽の証言をしているのではないかという疑いの目が向けられ、インターネット上で誹謗中傷が膨らむという二次被害のリスクも孕む。  実際に記事にするとはあらかじめ約束できない取材だった。もし記事にできなかったら、追いつめられている被害者を落胆させてしまうから。懺悔すれば、最終的に記事を出すことができなかったことは一度ではなく、その度に被害者を傷つけているような罪悪感に駆られるのだ。  五ノ井さんにも確定的なことを約束せずにいた。被害者の証言を裏付けるものを見つけられるのか。話を聴いてみないとわからないと思い、郡山を目指した。  真夏日の郡山駅に到着してすぐに駅周辺を探索した。当時はまだコロナ禍で、駅ビルのカフェにはちらほら人がいる程度。人目があるとナイーブな話はしにくいだろうと思い、静かな場所を求めて駅の外へ出た。  すると、駅前にある赤い看板のカラオケ店が目に飛び込んできた。コロナ禍の影響で、カラオケ店ではボックスをリモートワーク用に貸し出していた。カラオケボックスなら防音対策がしっかりして静かだろうと思い、店員に料金を聞いてから、早々に駅に引き返し、待ち合わせ場所である新幹線の改札口前で待機した。  改札を出て左手にある「みどりの窓口」付近から発着する新幹線を示す電光掲示板を眺めていると、カーキ色のTシャツに迷彩ズボンをはいた男性がベビーカーを押して、改札前で足をとめ、妻らしき女性にベビーカーを託した。改札を通っていく妻子を見送る自衛官らしき男性が手を振って見送っていた。  近くに駐屯地でもあるのだろうか。それくらい筆者は自衛隊や土地に疎かった。当時はまだ、五ノ井さんが郡山駐屯地に所属していたことすら知らなかった。  しばらくすると、キャップを目深に被った青いレンズのサングラスをかけた人がこちらに向かって歩いてきた。半袖に短パンのラフな格好。  「あっ!」  青いサングラスの子が五ノ井さんだとすぐにわかった。五ノ井さん曰く、駐屯地が近くにあり、隊員が日ごろからウロウロしているため、サングラスと帽子で隠していたという。地方の平日の昼過ぎ、しかもコロナ禍で人の出が減り、わりと閑散としていた駅では、青いサングラスがむしろ目立っていた。「地元のヤンキー」が現れたかと思い、危うく目をそらすところだったが、大福のように白い肌と柔らかい雰囲気は、まさしく動画で深刻な被害を告白していた五ノ井さんであった。 必ず書くと心に決めた瞬間  五ノ井さんは、カラオケ店のドリンクバーでそそいだお茶に一口もつけずに淡々と自衛隊内で起きていたことを語った。淡々とではあるが、「聴いてほしい、ちゃんと書いてほしい」と必死に訴えてきてくれた目を今でも覚えている。会う前までは不確定だったが、必ず書くと心に決めた瞬間があった。五ノ井さんがこう言い放った瞬間だ。  「ただ技をキメて、押し倒しただけで笑いが起きるわけがないじゃないですか」  五ノ井さんは3人の男性隊員から格闘の技をかけられ、腰を振るなどのわいせつな行為を受けた。その間、周囲で見ていた十数人の男性自衛官は、止めることなく、笑っていた。男性同士の悪ノリで、その場に居合わせたたった1人の女性を凌辱していた場面が筆者の目に浮かんだ。目の奥が熱くなって、涙がわっと湧き溢れて、マスクがせき止めた。  自衛隊という上下関係が厳しく、気軽に相談できる女性の数が圧倒的に少ない環境で、仲間であるはずの隊員を傷つける行為。どうして周囲の人が誰も止めに入らないのか。閉ざされた実力集団において、自分よりも弱い者を攻撃することで、自分は強いという優位性を誇示したかったのだろうか。  ときに力の誇示は、暴力に発展する。国防を担う自衛隊は、国民を守るために「力」を備える。だが、それがいとも簡単に「暴力」に変わり、しかも周囲は「そういうものだ」とか「それくらいのことで」と浅はかに黙認する。そして一般社会の感覚とはかけ離れていき、集団的に暴力に寛容になり、エスカレートしていくのではないだろうか。  閉ざされた環境からして、被害者は五ノ井さんだけではないはずだ。取材を続ける意義は大きいと確信した。カラオケボックスにある受話器が「プルルルル~」とタイムリミットを知らせてきたが、2回ほど延長してじっくり話を聴いた。  五ノ井さんがユーチューブで告発してから2週間後、筆者の書いた記事は『アエラ』のウェブ版で配信された。すると、瞬く間に拡散され、同日中には野党の国会議員が防衛省に「厳正な調査」を要請し、事態が大きく動き出した。  さらに五ノ井さんは、防衛大臣に対して、第三者委員会による再調査を求めるオンライン署名と、自衛隊内でハラスメントを経験したことがある人へのアンケート調査も実施。署名を広く呼び掛けるために東京都内で記者会見の場を設けた。オンライン署名は1週間で6万件を突破し、署名サイトの運営者は「個人に関する署名でここまで集まるのはこれまでになかった」というほどの勢いだ。五ノ井さんのSNSのフォロワーも驚異的に伸び、同じような経験をしたことがあるという匿名の元隊員からの書き込みをも出てきた。  だが、現実は厳しかった。7月27日に開いた記者会見に足を運ぶと、NHKの女性記者1人だけ。遅れて朝日新聞の女性記者がもう1人。そして筆者をあわせて、マスコミはたったの3人だった。真夏に黒いリクルートスーツを身にまとった五ノ井さんは、空席の目立つ記者席に向かって、声を振り絞った。  「中隊内で隠ぺいや口裏合わせが行われていると、内部の隊員から聞いたので、ちゃんと第三者委員会を立ち上げ、公正な再調査をしてほしいです」 マスコミの反応が薄かった理由  静かに終わった会見後、五ノ井さんはコピー用紙に書き込んだ数枚のメモを筆者に差し出した。報道陣から質問されそうなことを事前にまとめ、答えられるように用意していたのだ。手書きで何度も書き直した跡が残っていた。なのに、ほとんど質問されなかった。結局、五ノ井さんのはじめての会見を報じたのは、筆者だけだった。  SNS上では反響が大きかったにもかかわらず、当初、マスコミの反応は薄かった。理由はおそらく2つ考えられる。1つ目は、五ノ井さんが強制わいせつ事件として自衛隊内の犯罪を捜査する警務隊に被害届を出したものの、検察は5月31日付で被疑者3人を不起訴処分にしていたから、司法のお墨付きがない。2つ目は、自衛隊に限らず、大手マスコミ自体も男性社会かつ縦社会でハラスメントが起こりやすい組織構造を持っているから、感覚的にハラスメントに対して意識が低い。  一度不起訴になった性犯罪を、あえて蒸し返す意義はどこにあるのか。昭和体質の編集部が考えることは、筆者もよくわかっている。刑事事件で不起訴になったとしても、警務隊や検察が十分な捜査を尽くしていなかった可能性があるにもかかわらず。  マスコミの関心が薄い反面、ネット上では誹謗中傷が沸き上がった。署名と同時に集めていたアンケート内には殺害予告も含まれていた。心無い言葉の矢がネットを通じて被害者の心を引き裂く「セカンドレイプ」にも五ノ井さんは苦しみ、体調を崩しがちになった。それでも萎縮することなく、五ノ井さんは野党のヒアリングに参加した。顔がほてり、目がうつろで今にも倒れそうな状態で踏ん張っていた。  8月31日に市ヶ谷に直接出向き、防衛省に再調査を求める署名とアンケート結果を提出。この時にやっとテレビも報じはじめた。少しずつマスコミと世論が関心を持ちだし、防衛省も特別防衛監察を実施して再調査に乗り出す。  そのわずか1カ月後の9月29日、自衛隊トップと防衛省が五ノ井さんの被害を認めて謝罪する異例の事態が起きた。この日、五ノ井さんから「パンプスがこわれた」というメッセージを受け取っていた。防衛省から直接謝罪を受けるため、急いで永田町の議員会館に向かっている途中で片方のヒールにヒビが入ったらしい。相当焦って家を出てきたのだろう。引き返す時間がないため、そのまま議員会館に行くという。  「足のサイズは?」  「わからないです。二十何センチくらい。全然これでもいけるので大丈夫です!」  筆者も永田町に急いでいた。ヒールにヒビが入ったというのが、靴の底が抜けて歩けないような状態を想像し、それはピンチと思い、GUに駆け込んで黒のパンプスを買ってから議員会館に向かった。到着して驚いたのが、ほんの1カ月半前までは大手メディアからほぼ注目されていなかったのに、この時は立ち見がでるほど報道陣で会場が埋め尽くされた。議員秘書経由でパンプスは五ノ井さんに届けられたが、すぐに謝罪会見は始まり、履き替える時間もなかったのか、ヒビの入ったヒールのまま五ノ井さんが会場に入ってきた。防衛省人事教育局長と陸幕監部らは、五ノ井さんと向かい合うようにして立ち、頭を下げて謝罪すると、五ノ井さんも小さく頭を垂れた。  郡山で取材をした時には、淡々と被害を語っていた五ノ井さんだったが、この日は悔しさがにじみ出るように目が赤かった。防衛省・自衛隊に向けて言葉を詰まらせた。  「今になって認められたことは……、遅いと思っています」  もし自衛隊内で初動捜査を適切に行っていたら、被害者が自衛隊を去ることも、実名・顔出しすることもなく、誹謗中傷に苦しむこともなかっただろう。  後日、五ノ井さんはばつが悪そうに言うのだ。  「パンプス、ぶかぶかでした」  100円ショップで中敷きを買って詰めてもぶかぶかですぐ脱げるようだ。その場しのぎで買った安物を大事に履こうとしてくれていた。 裁判所を出る被告3人を見届ける 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  防衛省・自衛隊がセクハラの事実を認めてからも、五ノ井さんの闘いは続く。10月には加害者4人からも対面で謝罪を受け、12月には5人が懲戒免職になった。  さらに、不起訴になった強制わいせつ事件を郡山検察審査会に不服申し立てをし、2022年9月に不起訴不当となり、検察の再捜査も開始。2023年3月には不起訴から一転、元隊員3人は在宅起訴された。6月から福島地裁で行われていた公判で、3人はいずれも無罪を主張。五ノ井さんは初公判から福島地裁に足を運び、被告らや元同僚の目撃者らの発言に耳を傾けた。そこにはいつも、実家の宮城県から母親が駆けつけていた。  4回目の公判。被告人質問を終えた被告3人が裁判所から出ていく姿を、母親と筆者は見届けた。  「親が娘の代わりに訴えることはできるんでしょうか……」  涙を目に溜めながら言う母親に返す言葉が見つからず、背中をさすった。被告の1人が、五ノ井さんを押し倒して腰を振った理由を「笑いをとるためだった」と公判で発言したのを、母親も間近で聞いていた。被告に無罪を主張する権利があるとはいえ、被害者はもちろん、その家族もどれほど心をえぐられたことか。それでも親子は半年間にわたるすべての公判を傍聴し続けた。  福島地裁は12月12日、被告3人にそれぞれ懲役2年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。  被害から2年以上が経過し、五ノ井さんは現在24歳。希望と可能性に溢れていたはずの20代前半を、被害によってすべてを奪われ、巨大組織と性犯罪者と対峙してきた。その姿にいま、世界が目を向けている。  英『フィナンシャル・タイムズ』による「世界で最も影響力がある女性25人」を皮切りに、米誌『タイム』は世界で最も影響力がある「次世代の100人」に、英公共放送BBCも「100人の女性」(2023年)に五ノ井さんを選出した。  判決の翌日、外国特派員協会で会見を開いた五ノ井さんは、前を向いて堂々と語った。  「世の中に告発してから約2年間、自分の人生をかけて闘ってきました。被害の経験は必要ありませんでしたが、無駄なことは何一つありませんでした。誹謗中傷も、公判も、人との関わりも、そのすべてが自分の人生を鍛えてくれる種となり、生きていく力に変わりました。私にとってはすべてが学びでした」  閉塞的な社会に風穴を開けた功績は、ロールモデルとして人々に勇気を与えていくだろう。 いわした・あすか ノンフィクション作家。1989年山梨県生まれ。『カンボジア孤児院ビジネス』(2017、潮出版)で第4回「潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。五ノ井里奈さんの近著『声をあげて』(2023、小学館)の構成を務める。現在はスローニュースで編集・取材を行う。

  • 巨岩騒動の【田村市】産業団地で異例の工事費増額

     田村市常葉地区で整備が進む東部産業団地の敷地から巨大な岩が次々と出土。そのうちの一つは高さ17㍍にもなり、あまりの大きさに市内外から見物客が訪れるほどだ。テレビでも「観光地にしてはどうか」と好意的な声が紹介されているが、半面「あそこに団地をつくるのは最初から無理があった」と否定的な声はクローズアップされていない。巨岩のおかげで工事費は当初予定より増えたが、議会は問題アリと認識しているのに執行部を厳しく批判できない事情を抱える。 議会が市長、業者を追及しないワケ 敷地から出土した巨岩。隣の重機と比べると、その大きさが分かる  田村市船引地区から都路地区に向かって国道288号を車で走ると、両地区に挟まれた常葉地区で大規模な造成工事が行われている場所が見えてくる。実際の工事は高台で進んでいるため、目に入るのは綺麗に整備された法面だが、それと一緒に気付くのが巨大な岩の存在だ。  国道沿いにポツンとある一軒家と余平田集会所の向こう側にそびえる巨岩は軽く10㍍を超えている。表面はつるつるしていて、どこか人工物のようにも見える。近付いてみると横で作業する重機がまるでおもちゃのようで、思わず笑ってしまう。  「今の時間帯は誰もいないけど、結構見物客が来てますよ。先日はテレビ局が来た。その前は新聞記者も来たっけな」  現場にいた作業員がそう教えてくれた。説明が手馴れていたのは、いろいろな人が来て同じような質問をされるからだろう。  ここは田村市が整備を進める東部産業団地の敷地内だ。巨岩があるのは、ちょうど調整池を整備する場所に当たる。  昨年11月22日付の河北新報によると、同所はもともと大きな石が数多く露出する地域で、出土した巨石群は花こう岩の一種。市の試算では体積計1万4000立方㍍以上、総重量3万6400㌧以上。一方、同29日にテレビ朝日が報じたところによれば、巨岩は高さ17㍍、横30㍍、奥行き22㍍と推測され、奈良の大仏の台座を含めた高さ(18㍍)に匹敵するという。  巨岩は民家に隣接しているため、発破は危険。そこで市は重機で破砕する予定だったが、想定より硬く、そのままにせざるを得なかった。  これにより、調整池の工事は変更される事態となった。巨岩を動かせないため、そこを避けるようにして調整池の形・深さを変え、予定していた水量を確保できるようにする。  変更に伴い市は工事費を増額。発注額は2億7100万円だったが、昨年12月定例会で市は6億9900万円に増額する契約変更議案を提出し、議決された。工期も2024年3月末までだったが、同年9月末までに延長された。  気になるのは、壊すことも動かすこともできない巨岩の今後だ。同団地の担当部署である市商工課に問い合わせると  「進出企業の工場建設計画もあるので、市としては団地を早期に完成させることを優先したい。巨岩をどうするかはこれから議論していく」(担当者)  巨岩は市内外から見物客が訪れており、市民からは「あんな立派な巨岩はお目にかかれない。観光地にしてはどうか」との意見が上がっている。市でもそういう意見があることは承知しており、白石高司市長もテレビ局の取材に「地域おこしにつながらないか。巨岩を活用するアイデアを募っていきたい」とコメントしている。  実は、都路地区にはさまざまな名前の付いた巨石が点在し、ちょっとした観光スポットになっていることをご存知だろうか。  例えば亀の形をした「古代亀石」は高さ10・7㍍、周囲50・5㍍、重さ2800㌧。近くに立てられた看板にはこんな伝説が書かれている。 「古代亀石」  《古きからの言い伝えによると無病息災鶴は千年亀は万年と言われた亀によく似た石を住民が〆縄張り崇拝したと言う。石の上部に天狗が降りた足跡を残した奇観有りと言う。地区の人々が名石の周りを清掃し関心の想を呼び起して居ます》  古代亀石のすぐ近くには笠石山の登山口があり、頂上付近に「笠石」や「夫婦石」という巨石がある。登山口から1~2分の場所には綺麗に真っ二つに割れた「笠石山の刃」という巨石もあり、漫画『鬼滅の刃』で主人公・竈門炭次郎が師匠との修行で最終段階に挑んだ岩に似ていると密かに評判になっている。 「笠石山の刃」  さらに古代亀石の周辺には、文字通り船の形をした「船石」や「博打石」といった巨石もある。  これらの巨石群と東部産業団地の巨岩は車で10~15分の距離しか離れておらず、観光ルートとして確立することは十分可能だろう。  偶然にも巨岩が大々的に報じられる1カ月前には、都路地区と葛尾村にまたがる五十人山の巨石が話題になった。巨石には坂上田村麻呂が50人の家来を座らせて蝦夷平定の戦略を練ったという伝説があり、都路小学校の児童が授業中に「本当に50人座れるの?」と質問したことをきっかけに、市と村が昨年10月に実証体験会を開いた。結果は53人が座り、伝説は本当だったことが証明された。  ユニークな取り組みだが、正直、巨岩・巨石観光は地味に映る。しかし、市内の観光業関係者は  「確かに地味だが、どの世界にもマニアは存在する。数は少なくても、マニアは足繁く通い、深い知識を持ってSNSで発信する。それがじわじわと評判を呼び、興味のない人も引き寄せる。そんな好循環が期待できると思います」  磨けば有益な観光資源になる可能性を秘めている、と。  実際、巨岩はしめ縄を付ければ神秘性が生まれそう。破砕すれば、なんだかバチが当たりそうな雰囲気もあるから不思議だ。 団地にふさわしくない場所 本田仁一前市長 白石高司市長  もっとも、市内には巨岩を明るい話題と捉える人ばかりではない。東部産業団地が抱える本質的な問題を指摘する人もいる。  もともと同団地は県内でも数少ない大規模区画の企業用地を造成するため、本田仁一前市長時代の2020年に着工された。開発面積約42㌶で、事業費107億3800万円は福島再生加速化交付金と震災復興特別交付税から捻出されたが、場所については当初から疑問視する向きが多くあった。  すなわち、同団地は①丘がいくつも連なっており、整地するには丘を削らなければならない、②大量の木を伐採しなければならないという二つの大きな労力が要る場所だった。前述の通り大きな石が数多く露出しており、その処理に苦労することも予想された。  なぜ、そのような場所が産業団地に選ばれたのか。当時、市は「復興の観点から浜通りと中通りの中間に当たる常葉が最適と判断した」と説明したが、市民からは「常葉は本田氏の地元。我田引水で選んだだけ」という不満が漏れていた。  加えて、造成工事を受注したのが本田氏の有力支持者である富士工業(と三和工業のJV)だったこと、整地前に行われた大量の木の伐採に本田氏の家族が経営する林業会社が関与していたことも、同団地が歓迎されない要因になっていた。  こうした疑惑を抱えた同団地の区画セールスを、2021年の市長選で本田氏を破り初当選した白石氏が引き継いだわけだが、区画が広すぎる、水の大量供給に不安がある、高速道路のICから距離がある等々の理由から進出企業は見つかるのかという懸念が囁かれた。  幸い、二つある区画のうち、B区画(9・1㌶)には電子機器関連のヒメジ理化(兵庫県姫路市)、A区画(14・3㌶)には道路舗装の大成ロテック(東京都新宿区)が進出することが決まった。大成ロテックは昨年11月に地鎮祭を行い、操業は2025年度中。ヒメジ理化も昨年12月に起工式があり、25年3月の操業開始を目指している。  あとは調整池の工事を終え、工場が稼働し、巨岩の活用方法を考えるだけ――と言いたいところだが、実は、造成工事をめぐり表沙汰になっていない問題がある。  造成工事を受注したのは富士工業と三和工業のJVであることは前述したが、当初の工事費は45億9800万円だった。それが、昨年3月定例会で61億1600万円に、さらに12月定例会で64億6000万円に契約変更された。当初から18億6200万円も増えたことになる。  市商工課によると、工事費が増えた理由は  「工事が始まる前は軟岩と思っていたが、出土した岩を調べると中硬岩であることが分かった。加えて岩が想定以上に分布していたこともあり、造成工、掘削工、法枠工が変更され、それに伴い工事費が増えた」(担当者)  この話を聞くだけで、最初から産業団地にふさわしくない場所だったことが分かるが、問題は工事費が増えた経緯だ。 進め方の順序が逆  土木業界関係者はこう話す。  「市は昨年3月定例会で46億円から61億円に増額した際、増えるのは今回限りとしていたが、半年後の9月にはあと1回増やす必要があるとの認識を示していたそうです」  問題は工事費がさらに増えると分かったあと、造成工事がどのように進められたか、である。  「普通は見積もりをして、工事費がいくら増えると分かってから、市が議会に契約変更の議案を提出します。議案が議決されれば、市と業者は変更契約を交わし、市は増額分の予算を執行、業者は増額分の工事に着手します」(同)  しかし、61億1600万円から64億6000万円に増額された際はこの順序を踏んでいなかったという。  「12月定例会の時点で造成工事はほぼ終わっており、その結果、工事費が61億円から64億円に増えたため、あとから市が契約変更の議案を提出したというのです」(同)  工事費が3億円も増えれば、それに伴って工期も延長されるのが一般的。「土木の現場で1億円の予算を1カ月で消化するのは無理」(同)というから、3カ月延長されてもいいはず。ところが今回の契約変更では、予算は64億6000万円に増えたのに、工期は従前の2024年3月末で変わらなかった。  そのことを知って「おかしい」と感じていた土木業界関係者の耳に、市役所内から「どうやら造成工事はほぼ終わっており、工事費が予定より3億円オーバーしたため、その分を増額した契約変更の議案があとから議会に提出されたようだ」との話が漏れ伝わってきたという。  「公共工事の進め方としては順序が逆。もしかすると岩の数量が不確定で工事費を算出できず、いったん仮契約を結んだあと、工事費が確定してから契約変更を議決したのかもしれないが、巨大工事を秘密裏に進めているようで解せない」(同)  このような進め方が通ってしまったのは、事業費(107億3800万円)が福島再生加速化交付金と震災復興特別交付税から捻出され、市の持ち出しはゼロという点も関係しているのかもしれない。  「事業費107億円のうち、実際に執行されたのは100億円と聞いています。つまり、まだ7億円余裕があるし、これ以上遅れると進出企業に迷惑がかかるので、工事を先に進めることを優先したのでは。市の財政から出すことになっていたら、順序が逆になるなんてあり得ない」(同)  この点を市商工課に質すと、担当者はしばらく押し黙ったあと、造成工事が先に進み、変更契約があとになったことを認めた。  「ちょっと……現場の者とも確認して、今後については……」  言葉を詰まらせる担当者に「公共工事の進め方としてはおかしいのではないか。どこに問題点があったか上層部と認識を共有すべきだ」と告げると「はい」とだけ答えた。  本誌はあらためて、市商工課にメールで四つの質問をぶつけた。  ①増額分の3億円余りの工事は12月定例会で契約変更が議決された時点でどこまで進んでいたのか。それとも、議決された時点で工事は完了していたのか。  ②工事費が3億円余り増えると市が知った経緯を教えてほしい。  ③工事費の増額は、業者から「見積もりをしたら増えることが分かったので、その分をみてほしい」と言われたのか。それとも工事が終わってから「かかった金額を調べたところ64億円になったので、オーバーした3億円を市の方でみてほしい」と言われたのか。  ④市は「工事費が増えるなら契約変更をしなければならないので、関連議案が議決されてから追加の工事に入ってほしい」と業者に注意しなかったのか。もし業者が勝手に工事を進めていたとしたら「なぜ契約変更前に工事を進めたのか」と注意すべきではなかったのか。  これらは締め切り間際に判明し、担当者の出張等も重なったため、市からは期日までに回答を得られなかった。期日後に返答があれば、あらためて紹介したい(※1)。 ※1 今号の締め切りは昨年12月22日だったが、市商工課からは「25日以降に回答したい」と連絡があった。  富士工業にも問い合わせたが「現場を知る者が出たり入ったりしていていつ戻るか分からない」(事務員)と言うので、市商工課と同じく質問をメールで送った。こちらも締め切り間際だったこともあり期日までに回答がなかったので、期日後に返答があれば紹介したい(※2)。 ※2 締め切り直後、猪狩恭典社長から連絡があり「岩量が確定せず正確な工事費が出せない状況で、市といったん仮契約を結んだ。進め方の順序が逆と言われればそうだが、問題があったとは認識していなかった」などといった回答が寄せられたが、「詳細を話すのは御社に対する市の回答を待ってからにしたい」とのことだった。 契約変更前の施工はアウト 今井照・地方自治総合研究所特任研究員  自治体政策が専門の今井照・地方自治総合研究所特任研究員は次のような見解を示す。  「契約で工事費が61億円となっているのに、議会で契約変更を議決する前に64億円の工事をしていたらアウトです。一方、見積もりをしたら64億円になることが分かったというなら、まだ施工していないのでセーフです。ポイントは、市が契約変更の議案を提出した時点で工事の進捗率がどれくらいだったのか、だと思います」  今井氏によると、契約変更の議決を経ずに施工するのは「違法行為」になるという(神戸地判昭和43年2月29日行政事件裁判例集19巻1・2号「違法支出補てん請求事件」)。  「ただし罰則はないので、業者が市に損害を与えていれば損害賠償を請求できるが、今回の場合はそうとは言い切れない。神戸地裁の判例でも賠償責任は否定されています」(同)  問題は市と業者だけにあるのではない。一連の出来事を見過ごした議会にも責任がある。  「本来なら『なぜ順序が逆になったのか』と議会が追及する場面。しかし、白石市長と対峙する議員は本田前市長を支持し、東部産業団地は本田氏が推し進めた事業なので強く言えない。工事を受注しているのが本田氏を応援していた富士工業という点も、追及できない理由なのでは……。一方、白石氏を支持する議員も本来は『おかしい』と言うべきなのに、同団地は本田氏から引き継いだ事業なので、白石氏を責め立てるのは酷と控えめになっている。だから、両者とも騒ぎ立てず『仕方がない』となっているのかもしれない」(議会ウオッチャー)  それとも、これ以上工事が遅れれば同団地に進出するヒメジ理化と大成ロテックの操業計画にも影響が及ぶので、順序が逆になっても工事を進めることを市政全体が良しとする空気になっていたのだろうか。  巨岩に沸き立ち、とりわけテレビは面白おかしく報じているが、造成工事が異例の進め方になっていること、もっと言うと、そもそもあの場所は産業団地に不適だったことを認識すべきだ。

  • 泥沼化する大熊町議と住民のトラブル

     本誌昨年5月号に「裁判に発展した大熊町議と住民のトラブル」という記事を掲載した。問題の経過はこうだ。  ○2019年に、大熊町から茨城県に避難しているAさんが、佐藤照彦議員と、避難指示解除後の帰還についての問答の中で、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を浴びせられた。  ○Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」として議会に懲罰要求した。  ○議会は佐藤議員に聞き取りなどを行い、Aさんに「議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した」と回答した。  ○佐藤議員は、当時の本誌取材に「(Aさんに対して)『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えた。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』と言っているが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない」とコメントした。  ○その後、Aさんが佐藤議員に謝罪を求めたところ、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届き、最終的には佐藤議員がAさんに対し「面談強要禁止」を求める訴訟を起こした。  ○同訴訟の判決は2022年10月4日にあり、「面談強要禁止」を認める判決を下した。Aさんは一審判決を不服として控訴した。控訴審判決は、昨年3月14日に言い渡され、一審判決を支持し、Aさんの請求を棄却した。  以上が大まかな経過である。  こうして、思わぬ方向に動いたこの問題だが、実は、今度はAさんが佐藤議員を相手取り、裁判(昨年5月12日付、福島地裁いわき支部)を起こしたことが分かった。  請求の趣旨は、「佐藤議員は、大熊町議会・委員会で、『Aさんが虚偽を述べている』旨の答弁をしたほか、虚偽の内容証明書、裁判陳述等によって名誉毀損、畏怖・威迫・プライバシー侵害等の人格権侵害を受けた」として、160万円の損害賠償を求めるもの。  要は、Aさんが佐藤議員から、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれ、議会に懲罰要求した際、佐藤議員は議会・委員会などで「(Aさんは)私に嫌がらせをするため、排他的発言をしたとして事実を歪曲している」旨の発言をしたほか、「弁護士を介して、民事・刑事の提訴予告等の畏怖・威迫行為を記載する内容証明書を送付した」として、損害賠償を求めたのである。  泥沼化するこの問題がどんな結末を迎えるのかは分からないが、本誌昨年5月号で指摘したように、背景には「宙ぶらりんな避難住民の在り方」が関係している。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。その結果、今回のようなトラブルを生み出していると言っても過言ではない。 あわせて読みたい 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

  • 運営法人の怠慢が招いた小野町特養暴行死

     小野町の特別養護老人ホーム「つつじの里」で起きた傷害致死事件をめぐり、一審で懲役8年の判決を言い渡された同特養の元職員・冨沢伸一被告(42)は判決を不服として昨年12月5日付で控訴した。  地裁郡山支部で同11月に行われた裁判員裁判の模様は先月号「被害者の最期を語らなかった被告」をご覧いただきたいが、公判の行方と併せて注目されるのが同特養を運営する社会福祉法人「かがやき福祉会」の今後だ。  同福祉会に対しては、県と小野町が2022年12月以降に計7回の特別監査を実施。  町は昨年10月、介護保険法に基づき、同特養に今年4月まで6カ月間の新規利用者受け入れ停止処分を科し、同福祉会に改善勧告を出している。  《施設職員らへの聞き取りなどから、介護福祉士の職員(本誌注・冨沢被告)が入所者の腹部を圧迫する身体的虐待を行い、死亡させたと認定した。別の職員が入所者に怒鳴る心理的虐待も確認した。法人の予防策は一時的で介護を放棄の状態にあったとした》(福島民報昨年10月20日付より)  法人登記簿によると、かがやき福祉会(小野町)は2018年12月設立。資産総額1億6000万円。公表されている現況報告書(昨年4月現在)によると、理事長は山田正昭氏、理事は猪狩公宏、阿部京一、猪狩真典、斎藤升男、先﨑千吉子の各氏。資金収支内訳表を見ると、23年3月期は620万円の赤字。  「現在の理事体制で法人・施設の運営が改まるとは思えない」  と話すのは田村地域の特養ホームに詳しい事情通だ。  「職員の間では冨沢氏が問題人物であることは周知の事実だった。今回の傷害致死事件も、法人がきちんと対応していれば未然に防げた可能性が高かった」(同)  事情通によると、事件が起きる8カ月前の2022年2月、介護福祉士の資格を持つ職員6人が一斉に退職した。このうちの2人は、冨沢被告と同じユニットリーダーを務める施設の中心的職員だった。  6人が一斉に退職した理由は、法人が自分たちの進言を真摯に聞き入れようとしなかったことだった。  「冨沢氏が夜勤の翌日、入所者を風呂に入れると体にアザがついている事案が度々あり、職員たちは『このままでは死人が出る』と本気で心配していたそうです。理事に『冨沢氏を夜勤から外すべき』と意見を述べる職員もいたそうです。しかし、理事は『冨沢にはきちんと言い聞かせたから大丈夫だ』と深刻に受け止めなかった。こうした危機意識の無さに6人は呆れ、抗議の意味も込めて一斉に退職したのです」(同)  有資格者がごっそりいなくなれば運営はきつくなるが、後任者の補充は上手くいかなかった。こうした中で、他の入所者にも暴力を振るっていた疑いのある冨沢被告が人手不足による忙しさから暴力をエスカレートさせ、今回の悲劇につながった可能性は大いに考えられる。  「法人に理事を刷新する雰囲気は全くない。亡くなった植田タミ子さんを当初『老衰』と診断した嘱託医もそのまま勤務している。変わったことと言えば昨年夏、ケアマネージャーの女性に事件の責任を負わせ辞めさせたことくらい。しかし、そのケアマネは『なぜ私なのか』と猛反発していたそうです」(同)  山田理事長は町から改善勧告を受けた際、マスコミに「全てを真摯に受け止め、職員一丸で信頼回復に努める」とコメントしたが、職員の進言を聞き入れず、冨沢被告の素行を見て見ぬふりをした理事を刷新しなければ信頼回復は難しいし、入所者の家族も安心して施設に預けられないのではないか。 ※かがやき福祉会に今後の運営について尋ねたところ「行政の指導に従って運営していく。理事変更の話は出ていない」(担当者)とコメントした。 あわせて読みたい 【小野町特養殺人】容疑者の素行を見過ごした運営法人 小野町「特養暴行死」裁判リポート【つつじの里】