もり・さだゆき 1976年東京都出身。全国紙の記者として2011年に福島県を取材した後、大手IT企業で、ニュース編集やネット販売企画、防災・災害対応に携わる。同時に「ふくしまファン」として県内59市町村を歩き回り、ローカル出版社「福土舎」を創業する一方で、「福島に住んで。」アドバイザーや「福島をつなげる30人」発起人・事務局長を務めるなど、福島に関わる仕事を続けている。福土舎の公式ホームページはこちら
福島の料理人と農家の本を私が作った理由
世間は「AI全振り」の時代です。その真っただ中にある大手IT企業に勤めながら、私は2026年2月、南相馬市小高区に小さな出版社「福土舎」を立ち上げました。
「なぜ、福島で、出版社なのですか」
よく尋ねられます。出版不況といわれて久しく、出版社の大半は東京に集まっています。地方で出版を続けるのは、容易ではありません。それでも私が出版社をつくったのは、福島で出会った方たちの物語を、本という形で残したかったからです。
私は今も東京を生活の拠点としていますが、ここ数年はほぼ毎週、福島へ「通勤」しています。いわゆる二拠点生活です。県内59市町村をすべて訪ね、宿泊施設のある56市町村(2026年6月現在)にも泊まりました。各地で話を聞き、暮らしに触れてきました。
歩けば歩くほど、「福島」という一語ではくくれない多様さにも気づきました。浜通り、中通り、会津では気候も気質も暮らし方も違い、さらに同じ地域でも町ごとに表情が異なります。だからこそ、外から見た分かりやすい物語だけでなく、そこで暮らす一人ひとりの声に耳を澄ませる必要がある。その声を急いでひとまとめにせず、人の言葉の温度感を残して伝えるには、本が必要でした。
また、気づいたのは、福島には驚くほど魅力的な人がいる一方、その存在や営みが県外だけでなく、同じ県内でも十分に知られていないことでした。
代表的なのが「食」の分野です。首都圏から多くの人がわざわざ訪れる店がある。土地と向き合い、料理人から求められる野菜を育てる農家がいる。震災と原発事故の後も日々の仕事を続け、静かに福島の未来をつくっている人たちです。
名前を検索すれば、記事やSNSの投稿は見つかります。しかし情報は流れ、人々の記憶は、次の話題にすぐ置き換わります。その人が重ねてきた時間や迷い、周囲との関係までは、なかなか残りません。
震災から15年という節目も、私の背中を押しました。震災後に何があったかを記録するだけでなく、この土地で生き、これからの福島をつくろうとしている人の言葉と行動を、今こそ残したいと思ったのです。
そうして生まれた第一作が、『いのちが出会う皿―福島の土と人とともに、生きる―』です。福島で生きる人の言葉を、まず福島の人へ届け、そこから全国へ広げたいと考えました。著者は、2015年に出会い、共に活動してきたいわき市の料理人・萩春朋さんと、郡山市の農家・鈴木光一さん。二人の生き方と関係性の中に、震災からの15年だけでなく、これからの福島の姿があると思ったからです。
「土地を料理する」
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萩さんが営むレストラン「HAGI」は、いわき市の住宅地に静かにたたずむ、予約制の小さな店です。提供する料理は、福島産の魚介と野菜を中心としたおまかせコース(1万9800円、税・サービス料別)の1種類です。派手な演出や高級食材を競う店ではありません。
それでも県内外から客が訪れ、「食べログアワード Silver2026」を受賞しました。震災後の2013年には、日本人として初めてフランス大統領府(エリゼ宮)の厨房で調理を担当。2018年にいわき市で開かれた太平洋・島サミットで各国首脳に昼食を提供するなど、その仕事は国内外で評価されています。ただ、HAGIを語るうえで本当に大切なのは、こうした実績の裏側にある考え方です。
東日本大震災と原発事故が起きた2011年、風評被害を受けた福島県産食材が敬遠される中、萩さんは「福島の食材だけで料理をつくる」と決めました。それは単なる「復興応援」ではありません。畑へ通い、生産者と対話を重ね、この土地だからこそ生まれる味に向き合った末の決断でした。
震災直後に福島の食材だけを使うことは、経営上も料理人としても大きな覚悟を伴ったはずです。それでも萩さんは、福島を説明する言葉を並べるのではなく、まず一皿の料理をおいしくすることに徹しました。「福島だから食べてほしい」のではなく、「おいしいものをたどったら福島に、自らの店の周りに行き着いた」と感じてもらう。そこに、料理人としての矜持がありました。
萩さんの好奇心と探究心を象徴するのが、グリーンピースの話です。福島市の農家に「本当においしいグリーンピースを食べたことがある?」と問われ、畑で口にした、果物のように甘くみずみずしい一粒の豆に、衝撃を受けました。その後、一時間ごとの味の変化まで確かめ、早朝にいわきから福島市へ受け取りに行き、帰りの車内で下ごしらえをして、その日のディナーに出すことを繰り返しました。
この話に心を動かされるのは、単に新鮮な食材を見つけた成功談だからではありません。一粒の味が変わる時間まで確かめ、畑と厨房の距離を自分の足で極限まで縮めようとする姿に、仕事の原点が見えるからです。畑で起きていることや生産者の努力を知らずに、素材を理解したことや本当の料理にはならない。その毎日の繰り返しが、HAGIという店の輪郭と評判をつくってきました。特に「自分はまだ食材のことを何も分かっていない」という謙虚さが、毎日毎年の味の積み重ねにつながっています。
HAGIでは、肉や魚ではなく、野菜やキノコが一皿の主役になります。今年5月時点のメニューには天然山ウド、ホワイトアスパラ、ふきのとうなどの食材が並んでいました。萩さんは自らを「畑の味」の店と表現し、「料理人は『足し算』ではなく『引き算』が仕事」と話します。調味料や技で食材を包むのではなく、余計なものを削ぎ落とし、食材が持つ本来の味を引き出す。料理人自身の主張さえ抑え、土、生産者の時間、季節を皿の上に立ち上げていくのです。

そのため、HAGIの主役は、料理人だけではありません。畑であり、食材を育てた生産者であり、福島という土地そのものです。萩さんは料理人であると同時に、土地の背景を読み取り、食べる人へ手渡す「編集者」なのだと思います。私は「食は五感で伝えるメディア」だと思っていますが、それを体現しています。
20㌢の土の中に、未来がある
萩さんの料理を支える農家の一人が、郡山市の鈴木光一さんです。鈴木さんは野菜を育てる人である以上に、土を育てる人です。
「20㌢の土づくりに、20年かかります」
さらっと話すその言葉に、重みを感じます。私たちが畑で目にするのは、実った野菜です。しかし、野菜を支えているのは、普段は目に見えない20㌢ほどの土です。変化はすぐには表れず、一朝一夕にはできません。鈴木さんは今年の収穫だけでなく、来年、さらに10年後の畑を見ています。
土づくりには、手を抜いた結果が翌年以降に返ってくる厳しさがあります。天候を思い通りにすることも、失敗した一年を簡単にやり直すこともできません。目に見えない土の状態を想像し、観察し、手を入れ続ける。鈴木さんの言葉から伝わるのは、自然を支配するのではなく、自然から学びながら長い時間を引き受ける農家の真摯な姿勢です。
震災と原発事故の後、福島の農業は信頼を厳しく問われました。その中で改めて土に向き合い、野菜を育て、食べる人との信頼を築き直してきた年月を思うと、「20年かかる」という言葉は、栽培技術の話を超え、鈴木さんの生き方そのものを表しているように聞こえます。
鈴木さんの畑では、年間約400種類の野菜が育ちます。その数の多さは、珍しさを競うためではありません。土地や季節による違いを見極め、料理人など顧客が何を求め、何を感じるかを考え続けた結果、種類が増えていったのです。
農場のスローガンは「Seed to Dishes」。一粒の種から始まり、畑で野菜となり、料理の皿を経て食べる人へ届くところまでを見通す言葉です。土を起点に、福島の食の未来を構想しています。
その土から生まれた野菜を受け取り、味だけでなく、背景にある努力や思いまで理解して表現しようとした料理人が、萩さんでした。
料理人と農家の「よい関係」が、食文化を育てる
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料理人がよい食材を求める。その期待に応えようと、農家は土を耕し、野菜を育てる。料理が人を呼び、一皿を味わった人が農家を知る。農家はその反応を受けて、次の挑戦へ向かう。
どちらか一方が支えるのではなく、互いが互いを育てている。この関係性こそ、福島の大きな財産であり、まだ十分に知られていない価値だと思います。
二人は、注文する側と納品する側という関係だけではありません。料理人の考えが農家の栽培を刺激し、農家が育てた野菜が料理人の発想を広げる。お互いの対話の繰り返しによって、畑と料理の双方が変わっていきます。もしかしたら、食文化とは、有名な料理や特産品を生むことで生まれるのではなく、こうした人と人との関係が積み重なった先に生まれるものなのだと思います。
本書で伝えたかったのは、料理や野菜のおいしさだけではありません。生産者と料理人が、長い時間をかけて築いてきた信頼のつながりです。互いに敬意を払い、学び合い、同じ土地で時間を重ねる。その営みが、やがて文化と呼ばれるものになる。二人の関係には、福島が世界に誇ることのできる食文化の原型が、すでにあります。
本の終わりに、読者へこう問いかけました。
「あなたは、どんな土(仕事や暮らし)を育てているでしょうか」
どんな土を耕すのか。それは農家に限らず、私たち一人ひとりに向けられた問いです。
小高発、出版社の未来
私は長年、メディアの仕事、具体的には新聞とインターネットを通じて情報を届ける仕事に携わってきました。速く、広く伝える意義は理解しているつもりです。だからこそ今回、本をつくる出版社という「遅いメディア」を選びました。
SNSでは、話題が毎日のように入れ替わります。AIの時代、その流れはさらに速くなるでしょう。一方、本は10年後にも棚に残り、世代を超えて誰かの手に渡る可能性があります。その時間の長さに、紙の本の価値があると考えています。
本を選んだのは、情報を固定して保存するためだけではありません。ページをめくる速度を読者自身が決め、立ち止まり、前へ戻り、誰かと感想を語り合えるからです。効率や数だけを考えれば選ばないかもしれないそのメディアの中に、遠回りにみえても初めて届く言葉があるはずです。出版という仕事は、書き手の言葉と読者の時間を、急がずにつなぐ仕事だと思います。
福土舎という社名には、「福島の風土と人を編む出版社」という思いを込めました。本をつくるだけではなく、風土と人を見つめ、福島に流れる時間や思想、暮らしを次の世代へ手渡す会社でありたい。大量にはつくれなくても、一冊を丁寧に編み、長く読み継がれる本を送り出したいと思っています。
目指すのは、福島の人をつづり、まず福島の人へ届ける出版です。今回の本も、西は会津の只見町から、浜通りでは相馬市やいわき市まで、書店を中心に、県内20を超える市町村で手に取ることができます。
出版後、県内の大学の授業で、学生には「人生は、会う人によって変わる」「人の話を残して未来へ届けたい」「福島は学びの宝庫」といった講義をさせていただき、多くの共感や感想が寄せられました。大学一年生は、すでに東日本大震災の記憶がほぼない世代。そんな若い世代が、自分の仕事や生き方を考える入り口にもなり得ると感じています。
また拠点を置いた南相馬市小高区は、震災と原発事故によって約5年間、暮らしが途絶えた町です。2016年夏の避難指示解除後、クラフトサケを醸す人、ガラスアクセサリーや靴をつくる人、飲食店を営む人など、新しい挑戦者が集まりました。それぞれが自分の仕事を営みながら、互いに関わり、育ち合っています。
その姿は、萩さんと鈴木さんの関係にも重なります。小高はもはや「復興の町」というだけでは捉えきれない、「新しい未来をつくる町」です。だから私は、その仲間の一人として、出版社を始めることを選びました。風土と人の物語を、一冊ずつ手仕事に近い形で編む「クラフトプレス」は、この町によく似合います。
読むと、誰かに会いに行きたくなる本
福島は、多様な気候と豊かな食材に恵まれています。しかし、私が最も心を動かされたのは、食材そのものだけではありませんでした。土地と向き合う農家、農家と語り合う料理人、そして両者の間に育まれた関係でした。人と人との交わりが、その土地ならではの風土をつくります。
私にとって、本は目的ではなく入口です。読み終えた人が畑へ行きたくなる、レストランを訪ねたくなる。そこで人に会い、土地を五感で感じ、本に書ききれなかった物語に触れてほしい。今回、購入者向けのしおりに音声ガイドを付けたのも、読んだ後の一歩を後押しするためです。
本を起点に現地へ足を運べば、読者は「福島の食」を情報としてではなく、具体的な人の顔や景色とともに記憶します。訪ねた人が別の誰かに体験を語れば、物語は本の外で続いていきます。私がつくりたいのは、「読了」というように読んで終わりになる本ではなく、次の出会いを生む本です。
本が出会いにつながり、出会いが土地への愛着につながる。福土舎は、その小さな循環を一冊ずつ生み出していきたいと思います。
私は59市町村を訪ねました。みなさんはいくつの市町村に行かれたことがありますか?
福島には、まだ知られていない物語が数多くあります。本を閉じた先で、その物語に会いに行ってほしいと思います。
本の続きを、福島で。





















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