汚染水の海洋放出開始からわずか2カ月。多核種除去設備(ALPS)のメンテナンス中だった作業員が放射性物質を含む廃液を浴び、被ばくする事故が起きた。それでも世の中は大騒ぎせず、放出は粛々と進む。これでいいのだろうか? 事故の詳細を検討するところから始めたい。
重大事案をスルーするな
東京電力福島第一原発にたまる汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出は昨年8月24日に始まった。それから約2カ月後の10月25日、東電は報道関係者に以下のメールを送った。
《福島第一原子力発電所 協力企業作業員における放射性物質の付着について
本日午前10時40分頃、増設ALPSのクロスフローフィルタ出口配管(吸着塔手前)の洗浄を行っていた協力企業作業員5名に、配管洗浄水またはミストが飛散しました。午前11時10分頃、このうち協力企業作業員1名の全面マスクに汚染が確認され、またAPD(β線)の鳴動を確認しました(以下略)》
作業員5人のうち2人は原発からの退域基準(1平方㌢当たり4ベクレル)まで除染することが難しいと判断され、県立医大病院まで搬送されたという。
幸いなことに搬送された2人は3日後に退院したそうだ。しかし、極めて深刻な事態が起きたことに変わりはない。東電によると、被ばくによる作業員の入院は2011年3月24日以来である。一体なぜこんな事故が起きたのか。東電が11月半ばに発表した報告を基に考えたい。
事故はなぜ起きた?
事故が起きたのは、昨年10月に行われた2回目の海洋放出が終わり、3回目に向けて準備中の時期だった。ALPSは止まり、設備のメンテナンスが行われていた。どこで事故が起きたのかを示したのが図1だ。
東電はタンクに入った汚染水に対して、まずは薬液でコバルトやマンガンなどを沈殿させる「前処理」を実施。その後、「吸着塔」というフィルター機能をもった装置を通過させる。これらの作業で放射性物質を一定量取り除き、海水で薄めて太平洋に捨てている(※ただし、すべての放射性物質が除去できるわけではない。このため筆者は海洋放出自体に反対である)。
汚染水のタンクや各設備は様々な配管でつながっている。事故が起きたのは吸着塔の手前の配管である。ブースターポンプという装置を経由して汚染水を吸着塔まで運ぶのだが、稼働していると配管の中に炭酸塩がたまる。これを除去するための洗浄作業が行われていた。
現場の見取り図と作業員の配置を示したのが図2だ。
薬注ポンプから配管内へ硝酸を流し込む。硝酸に反応して炭酸塩が溶け、炭酸ガスと洗浄廃液が配管を通っていく。ガスと廃液は吸着塔の手前に設置された弁を経由し、仮設ホースを通って廃液受け入れタンクに落ちる。こうした作業だった。直接手を動かす作業員は5人。全体のとりまとめ役である工事担当者や放射線管理員も現場に同席していた。
起きたことを時系列でまとめたのが表1である。
表1 事故前後の流れ(時系列)
10月25日 7:30頃 | 現場作業開始 |
10:00頃 | 廃液タンクの監視をしていた作業員CがAと交代。別エリアへ |
設計担当が弁を少し閉じる | |
10:25頃 | 硝酸を押し込めなくなったため、作業員Dが薬注ポンプを停止 |
10:30頃~ | 仮設ホースが外れて廃液が飛散。作業員AとBに水がかかる |
作業員Aがホースをタンクに戻す。Aの線量計のアラームが鳴る | |
作業員AとBがアノラック下を着用 | |
工事担当者からの連絡で作業員C、D、Eが現場へ移動 | |
10:45頃~ | 飛散した廃液の拭き取りを実施(作業員B~E、工事担当者) |
ホースを押さえていた作業員Aの線量計が連続して鳴る | |
放管1がAに退避を指示 | |
放管1が倉庫に戻って交換用の靴などを取ってくる | |
工事担当者がロープなどで現場の立ち入り禁止措置を実施 | |
放管1は各自の線量計の数値上昇を確認し、全員に退避を指示 | |
10:50頃 | 全員が休憩所へ退避を開始 |
11:10頃 | 東電に事故の連絡を入れる |
12:28 | 作業員Aが敷地内の救急医療室(ER)に到着。 |
まもなく除染開始 | |
12:42 | 作業員(B~E)がERに到着。除染を開始 |
13:08 | 事故が起きた建屋への関係者以外の立ち入り制限を実施 |
14:45 | 作業員5名(A~E)の放射性物質の内部取り込みなしを確認 |
19:23 | 作業員AとBを管理区域退出レベルまで除染するのは困難と判断 |
20:59 | 作業員AとBが県立医大附属病院へ出発 |
22:25 | 県立医大附属病院に到着(その後入院) |
10月28日 | 作業員AとBが退院 |
はじめは問題なかった。作業員Cが廃液受け入れタンクの様子を確認する役だった。AとBという別の作業員が後方からCの仕事を見守っていた。状況が変わったのは作業開始から約2時間半が経過した頃だ。CがAに仕事を引き継ぎ、別の作業に移った。【この時、AとBは放射性物質から身を守るためのアノラック(カッパのようなもの)を着ていなかった】
それと同じ頃、設計担当は洗浄廃液の受け入れ量が増えすぎるのを心配していた。そこで配管と仮設ホースをつなぐ弁を操作し、少し閉じた。流路を狭めて仮設ホース側に流れる廃液の量を減らし、炭酸ガスのみを移動させようとしたのだ。【こうした弁の調整は当初の予定には入っていなかった】
弁の調整から約30分後、仮設ホースの先から廃液が勢いよく噴き出した。水の勢いによって、タンク上部に差し込まれていたホース先端部がはずれて暴れ出し、近くにいたAとBに放射性物質を含む廃液がかかった。Aがはずれたホースをつかんでタンクに戻した。
東電が事故の原因として発表したのは以下の3点だ。
①弁操作による配管の閉塞
設計担当が弁を少し閉じたため、洗浄作業ではがれ落ちた炭酸塩が弁の配管側にたまり、一時的に詰まった(配管側の圧力が上昇)。その後、弁付近の炭酸塩が溶け、「詰まり」が解消された。このため、配管側にたまっていた洗浄廃液が弁の下流側(仮設ホース側)に勢いよく流れ出した。
②ホースの固縛位置が不十分
仮に廃液が勢いよく流れ出したとしても、ホースがタンク入り口の真上で固定され、そこから先端部がまっすぐタンクに下りていれば、ホースが暴れてタンクから飛び出す恐れは少ない。だが、今回の作業ではタンクの斜め上の位置でホースが固定されていたため、勢いが強くなった時にホース先端部がタンクから飛び出してしまった。
③不十分な現場管理体制(表2)
役割分担 | 装 備 | |
工事担当者 | 工事とりまとめ | カバーオール1重 アノラック下 |
設計担当 | 仮設ホース内流動状態の監視 | カバーオール1重 |
放管1 | 放射線管理業務 | カバーオール2重 |
放管2 | 放射線管理業務 ※事故時は休憩のため不在 | カバーオール2重 |
作業責任者 | 3次請け1の作業班長 | (別現場) |
作業員A | 廃液タンクの監視(助勢)※Cが離れてからは主に担当 | カバーオール2重 |
B | 作業班員への指揮 廃液タンクの監視(助勢) | カバーオール2重 |
C | 廃液タンクの監視 ※主担当。途中から別作業へ | カバーオール1重アノラック上下 |
D | 薬注ポンプの操作 | カバーオール1重アノラック上下 |
E | 薬注ポンプの監視 | カバーオール1重アノラック上下 |
作業員AとBがアノラックを着ていれば被ばくは軽減できた。放射性液体を扱う作業ではアノラック着用のルールがあったのに、AとBは「液体が飛散する可能性はない」と考え、着用しなかった。工事担当者や放射線管理員もそれを指示しなかった。そもそも、作業員たちを指揮する立場の「作業班長」が別の現場に行っていて不在だった。
東電による事故原因3点の中で、最も深刻なのは③だろう。アノラック着用も作業班長の常駐も、安全に作業を行うために必ず守らなければならないルールだ。それが守られていなかった。現場管理体制はメチャクチャだったと言わざるを得ない。
危機感が薄い東電幹部
この事態を東電幹部はどう受け止めているのか。筆者は11月30日に開かれた福島第一廃炉推進カンパニー・小野明プレジデントの記者会見に出席し、この点を聞いた(左頁参照)。
小野氏の会見で感じたことがいくつかある。一つ目は、東電は「(元請け業者の)東芝のせいだ」と思わせたいのではないか、ということだ。
この作業は多重請負体制の下で行われていた(図3)。東電が東芝エネルギーシステムズ(以下、東芝)に発注し、東芝が3次請けまで使って現場作業を行っていた。小野氏は会見で今後の発注停止をちらつかせるなどし、原発メーカー東芝への不信感、「信頼してきたのに裏切られた」感を醸し出していた。
当り前のことだが、いくら東芝が悪くても、それによって東電が責任を免れることはあり得ない。東芝の現場管理体制を十分にチェックできていなかったのは東電だからだ。
記者会見でもう一つ感じたのは、東電幹部の危機感が薄すぎるのではないか、という点だ。
小野氏は「海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なる」とし、今後の放出スケジュールへの影響はないと言う。今回の事故は設備のメンテナンス中に起きた。実際の海洋放出作業は東電社員だけで行っている。「だから大丈夫だ」と小野氏は言いたげだが、「東芝より東電を信頼する」という人は果たしてどれくらいいるだろうか。
東電ホールディングスの小早川智明社長は、事故から1カ月たっても現場を視察していないという。思い出すのは、海洋放出が始まる2日前の昨年8月22日のことだ。小早川氏は内堀雅雄知事と会うために福島県庁を訪れ、その後報道対応を行った。筆者は「万が一基準を超えるような汚染水が放出された場合、誰の責任になるのか、小早川社長の責任問題に発展すると考えてよろしいか」と聞いた。小早川氏は「私の責任の下で、安全に作業を進めるように指示してまいります」と答えた。
「安全に」という言葉には当然、「作業員の安全」も含まれているはずだ。実際に被ばく・入院する事態が起きたが、小早川氏は「自らの責任の下で」十分に対処しているだろうか。はなはだ疑問である。
このままスルーしていいのか?
こんな事故が起きたにも関わらず、東電は23年に計画していた合計3回の海洋放出を予定通り実行した。下請け作業員の被ばく事故など、まるで「なかったこと」のような扱いである(先述した11月30日の記者会見で、小野氏ら東電幹部は海洋放出の進捗を説明したが、本件事故について自分たちから切り出すことはなかった。質疑応答の時間に筆者が質問して初めて口を開いた。記者側が聞かなければ「終わったこと」「なかったこと」になっていたのである)。
また、多くのマスメディアも東電と同じくらい危機感が薄いと感じるのは筆者だけだろうか。
たとえば地元主要紙の福島民報である。事故翌日(10月26日)付の朝刊に載った記事は、第1社会面(テレビ欄の裏)のマンガ下、2段見出しだった。原稿の締め切り時間などの関係があるのかもしれないが、1面に必要な記事ではないのか。
また、東電が事故原因を発表した次の日(11月17日)付の朝刊も、第2社会面に、やはり2段見出しの短い記事が載っただけである。どちらの記事も1面ではなく、その面のトップ記事でもなかった。
一方、事故前の10月22日付朝刊には「東電があす、2回目の海洋放出を完了する」という記事が1面にあった。放出スケジュールの報道に比べて、事故の報道が小さいように感じる。
数十年も海洋放出を続ける中で「ノーミス」などあり得ない。そう思っていたが、さすがにわずか2カ月で作業員が入院するとは思わなかった。これは東電(や元請け業者である東芝)の意識が低いからなのか。それとも元々、膨大な量の汚染水を処理して海に捨てるというプロジェクト自体が簡単ではないからなのか。恐らくはその両方ではないだろうか。
国際原子力機関(IAEA)は「海洋放出が人や環境に与える影響は無視できる程度だ」と言う。しかし、これは現場の放出作業が完璧に行われた場合の話、いわば理論上の話だろう。実際には配管の劣化とかホースの固縛位置とか、現場でなければ分からない問題がたくさんあると思う。10月の事故は設備のメンテナンス中に起きたが、なんらかの事故が稼働中に起きないと言い切れるのだろうか。それらを考慮した場合のリスクは本当に「無視できるほど小さい」のだろうか。
今回の事故を軽視すべきではない。同様(もしくは今回以上)の事故が今後も起きることを想定し、海洋放出を続けるのがいいのか、代替策はないのかを検討すべきだ。
――本日のお話に出てこなかったのですが、10月25日の作業員被ばくについて総括をうかがいます。
小野明氏 本件に関しては近隣の皆さま、社会の皆さまにご心配をおかけしていると思います。申し訳ございません。当社は福島第一の廃炉の実施主体として適切な作業環境、健康維持に関する責任が当然ございます。私としては今回の事態を非常に重く受け止めております。原因究明、再発防止に向けてヒアリングなどを実施し、元請けの東芝において我々の要求事項が一部順守されていないことが確認されています。我々は是正を求めていますが、併せてそこを確認できなかったことは我々の責任ですので非常に重く受け止めておりまして、確認を強化しています。
――認識がかなり甘いんじゃないかというのが正直なところです。東芝に対して「是正を求める」という対処だけでいいのかどうか。
小野 東芝には我々の要求事項をしっかり守ってくれとお願いしてますが、本当にそれができているかは我々が確認しなければいけないと思っています。今回請負体制のところが3次までやっています。請負の体制も含めて実際のやり方がよかったかというところ、今後どうしていくべきかというところまで踏み込んで少し検討したいと考えています。
――3次請けまでつながる多重請負構造も含めて見直しの余地が現実的にあるということでしょうか。
小野 東芝といろいろ話をしていく中で、彼らが元請けとして現場を管理してないなというのが私の印象でありました。そういう意味で、本当に今回東芝に出す(発注する)のがよかったかは少し検討する必要があるのではないかと思っています。もっとしっかりした管理ができるところもあるのではないかと思いますので、実際に東芝から変えるかどうかは別としても、元請けとしてのあり方、今の請負体制のあり方は検討してみたいと思います。
――東電トップの小早川社長は事故の現場を視察したのでしょうか。
小野 小早川自体はまだ来ていませんが、このあと、彼はこちらの方に来て、実際に現場を確認したり、我々と議論をしたり、という予定は今あります。
――今回の件で海洋放出のスケジュールに何らかの影響は。
小野 海洋放出の作業は本事案とはかなり体制が異なっていますし、取り扱っている水の種類、それから装置関係も異なっています。そういう意味で本件と同様の身体汚染が起こるリスクは非常に低いと思っていますし、放出には影響ないと考えています。
――今回の件は作業員が入院するという点ではかなり重大だったんじゃないかと考えています。頭の体操として、どういった場合に実際に海洋放出をいったん止めるのか。かなり深刻な事案だったけどスケジュールには全然影響ないとなると、何があってもこのまま海洋放出が続くんじゃないかと思わざるを得ないのですが。
小野 先ほども申した通り、まず、扱っている水の種類が全く違うということはご理解いただければと思います。我々としては今回の件をしっかりと踏まえ、体制とか手順、装備品等を確認して、海洋放出の作業に万全を期していきたいと考えております。
まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。