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  • トライアル伊達市進出の波紋

    【和久田麻由子】NHK女子アナの結婚相手は会津出身・箱根ランナー【猪俣英希】

    (2019年5月号より) 2019年3月、NHK朝のニュース「おはよう日本」で平日キャスターを務める和久田麻由子アナウンサー(30)が結婚していたことがスポーツ紙などで報じられた。 和久田アナは東大経済学部を卒業後、2011年にNHK入局。岡山放送局を経て2014年に「おはよう日本」の土日キャスターに抜擢、翌年、平日キャスターに昇格した。 NHKでも1、2を争う美人アナと言われ、とりわけオジサンたちから絶大な支持を誇る和久田アナ。そんな人気女子アナの結婚が報じられたのは3月6日だった。 報道によると①相手は一般男性、②2019年に入って婚姻届を提出、③結婚後も仕事は継続、④NHK広報局は「職員のプライベートに関してはお答えしていない」とコメント――というもので、これ以上の情報は一切扱われていない。 人気女子アナの突然の結婚にネット上では一時「相手の一般男性って誰だ?」と話題になったが、氏素性が明らかになることはなかった。 実は、和久田アナの結婚相手は福島県出身の、ちょっとした有名人なのだ。 猪俣英希さん(30)。この名前を聞いてピンと来た人は、かなりの駅伝ファンに違いない。猪俣さんは、いわゆる〝山登りの5区〟を走った箱根ランナーなのだ。 旧会津本郷町(現会津美里町)出身の猪俣さんは、会津高校時代は無名のランナーだったが、高校の先輩で早稲田大学出身、北京五輪マラソン代表の佐藤敦之さんに憧れ、同大学スポーツ科学部に進学した。 エンジの襷をまとって走りたい――そんな思いを胸に、全国から長距離エリートが推薦入学してくる中、猪俣さんは一般入試を経て体育会競走部に所属。入部当初の持ちタイムは下から数えた方が早かったが、厳しい練習を重ね地力を付けた。そして最終学年の4年生のとき、2011年1月2、3日に行われた第87回箱根駅伝で、当初5区を走る予定だった選手のエントリー変更に伴い猪俣さんが走ることになった。 この年のシーズン、早稲田大学は秋の出雲駅伝と全日本大学駅伝を制し、箱根で優勝すれば三冠達成の快挙がかかっていた。そこに立ちはだかったのが、同じく福島県(いわき市)出身で〝2代目山の神〟と称された柏原竜二さん(当時3年生)を擁する東洋大学だった。東洋は箱根2連覇中で、出雲と全日本は早稲田に及ばなかったが、箱根は東洋がやや有利とみられていた。 大会当日、先頭で5区をスタートした猪俣さんは、箱根の坂で柏原さんに抜かれたが、最小限の差で踏みとどまった。翌日、往路2位でスタートした早稲田は東洋を逆転。1位と2位の差はわずか21秒という優勝で、見事三冠を達成した。 猪俣さんは大学卒業後、三菱商事に入社し、船舶・宇宙航空事業本部船舶部に配属。現在はインドに勤務している。 猪俣さんのご家族とお付き合いがある男性によると「両親は、英希さんの結婚についてほとんど語っていないが、喜んでいるのは間違いありませんよ」という。 会津美里町の実家を訪ねると、お母さまが対応してくれた。 「(結婚は)本人たちが決めたことですから、親の私から言うことは特にありません。せっかく来ていただいたのにお話しできなくて、申し訳ありませんね」 和久田アナの結婚に愕然としていたオジサンたちも、お相手が優秀でイケメンの猪俣さんと分かれば納得いくはずだ。お幸せに。

  • 会津地方の農家を襲う「8050問題」

    会津地方の農家を襲う「8050問題」

     80代の老親と50代のひきこもりの子が孤立や困窮に直面する「8050問題」が進行している。会津地方のある農家は、自分の死後も病気を抱える一人息子の生活を支えようと、なけなしの田を売ることを考えたが法律の壁に阻まれた。一方で米価は下落し収入も減り、老親自身も今の暮らしで手一杯。農家の8050問題を追った。 「息子のために農地を売る」老親の覚悟  「私は息子のために農地を売りたいが、売るのを阻まれています」  会津地方に住む農家の80代男性はため息をつく。妻と40代後半の一人息子と3人暮らし。息子は高校中退後、働きに出ず、ずっと家で過ごしている。  80代の老親と50代のひきこもりの子に関わる社会問題「8050問題」が顕在化している。進学や就職に失敗したことなどをきっかけに、家にこもって外部との接触を断つひきこもりが長期化。さらに、高齢となった親の収入が途絶えたり、病気や要介護状態になったりして経済的に一家が孤立・困窮することで起こる。孤立死や「老老介護」の原因ともなりうる。  人口の多い団塊の世代が80代を迎え、その子らの第二次ベビーブーム世代が50代を迎える時、社会に与える影響は大きいと見込まれる。ただ、40~50代はバブル崩壊後の就職氷河期で「割を食った」世代。採用を抑制され、新卒時に就職先に恵まれなかったこともあり、一概に失敗を「個人の努力不足」に帰することはできない。  冒頭で嘆いた男性の息子は、10代で精神疾患を発症した。その影響からか、人とうまくなじめず不登校になったという。家族が疾患と分かったのは高校中退後だった。  「もっと早く気づいてあげたかった」(男性)  息子は現在、医療機関に通い、週2回、支援者が訪問サービスに訪れている。  「息子は調子が良い時は農業を手伝ってくれます。薬が合っているのか、最近は以前よりも体調が良いようです。車は運転できないが、自転車を使って1人で買い物に行っています。私がいなくなってもお金さえあればなんとかなると思う」(同)  規則正しく食事も取るようになった。少しずつ復調し、農業の手伝いなど自分のできることから始めようとする息子を見て、最後まで支えなければという気持ちが強くなった。  「息子は障害年金を受け取っていますが、月数万円ではとてもじゃないが暮らしていけない。私もいつ死ぬか分からない。それまでに1000万円以上は用意してあげたい。やはり最後はお金です」(同)  男性は1000万円を国民年金基金に積み立てたいと考えている。そうすれば約10年後、自分が亡くなっても60歳になった息子には月約7万円が支給されるという。国民年金基金は自営業、無職、フリーランスが対象の1号被保険者が保険料を上乗せして払い、受給額を多くする制度だ。  だが、男性が元手にできるのは農地しかない。今は約16反(1万5800平方㍍)で米を作っているが、米価は下落し、苗代や肥料、農業機械の維持費、固定資産税などを考えると赤字で、助成金で埋め合わせているという。  「田んぼをやっているのは、手を入れなくなると雑草で荒れてしまうからです。周囲の田畑に迷惑がかかるし、何しろ笑われてしまう。息子が米を作ることはないだろうから、できれば売ってしまいたい」(同)  採算が合わないのに同調圧力で仕方なく米を作っているが、そのまま農地を残せば息子にとって負債となる。だから、処分して金に換えたいというわけ。  男性は宅地にしたり、太陽光発電施設の設置業者に売却しようと考えたが、農地を転用するには農業委員会の許可が必要になる。同委員会に申し出たが「他の人が(男性の農地を取得して)農地を広げる可能性がある」と認められなかったという。  「米が値下がりしている中、わざわざ新たに田んぼを買う奇特な人がいるとは思えない。作っても手間ばかりで、儲けはほとんどないんですから。農業委員会に『農地として買う予定の人がいるのか』と尋ねても答えてくれませんでした」(同)  自分の寿命はそれほど残されていない。元気に動けるのはあと10年もないだろう。農業委員会の許可は今後得るとして、まずは業者に売却する算段を付けようとした。  太陽光発電施設の設置業者をネットで調べ電話した。東京や名古屋から複数の業者がすぐに飛んできた。営業社員の男は調子が良かった。「米を作っていたということは日当たりが良いってことです。つまり太陽光発電にもうってつけなんですよ。会津は太陽光の宝庫です」と前のめりだったが、農業委員会の許可が下りそうもないことが分かると、見切りを付けて去っていった。 「太陽光の宝庫」と発電事業者から評される会津地方の田園  男性は現在も地元の農業委員会に通っているが、「それは県農業委員会に聞いてほしい」「東北農政局じゃないと分からない」などとたらい回しにされているそうだ。 「残された時間は少ない」  なぜ、ここまで農地売却に固執するのか。それは息子のために売れる資産がそれしかないからだ。  「国は国債を際限なく発行して借金があるでしょう? 頼りになりません。自分たちの身は自分で守らないと」(同)  他人を頼る気持ちにはなれない。周囲に不信感がある。10年ほど前に近隣で連続不審火があった。原因が分からなかったため、犯人探しが始まった。「無職で家にいるアイツ(息子)じゃないか」とウワサされたという。世間はいつも、息子をこう見ていたのかと知った。周囲がとても冷たく感じられたという。  「事情を知らない役所の人は、年寄りが息せき切って土地を売ろうとしている様子を陰で笑っているんでしょうね。でも、私には残された時間が少ない。『分からず屋』と言われても、息子のために動かなければならないんです」(同)  このまま農地を売却できないことも十分想定される。筆者は男性亡き後の息子の独り立ちを考え、市町村の相談窓口や成年後見制度を紹介したが、男性はしばらくすると、また農地を売却するための方法を熱心に探り出した。「どうしても売れなくて困っている」。農地売却には高い壁が立ちはだかるが、困難であればあるほど、男性の生きる「最後の目標」になっているようだ。

  • 【会津】〝恒三イズム〟の継承者は誰だ

    【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

     衆議院副議長を務めるなど「平成の黄門様」として知られた渡部恒三氏が亡くなって2年になる。往時の影響力はなくなりつつあるが、その存在は形を変えて会津政界に残り続けている。一方で、恒三氏の後継者が会津地方の国会議員にいないことを嘆く向きもある。 【渡部恒三】「国会議員の小粒化」嘆く会津地方住民 渡辺恒三氏  2022年11月6日10時、会津若松市城東町に残る渡部恒三氏の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。厚生大臣などに就任した際に受け取った任命書と卓上の名札、2003(平成15)年に受けた勲一等旭日大綬章の勲記など、ゆかりの品や美術品が展示されている。館長を務めるのは渡辺泰夫氏(會津通運会長)。  庭にはブロンズ像が設置された。数十年前に本県出身の金属加工業の社長が作っていたが、恒三氏が「生きているうちに銅像なんて作るもんじゃない」と話したため、日の目を見ずに保管されてきたという。  同日、テープカットとブロンズ像の除幕式が行われ、元知事で長年恒三氏の秘書を務めていた佐藤雄平氏、川端達夫・平野博文元衆院議員、恒三氏の長男・恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)らが開館を祝った。 記念館のテープカットの様子  テープカットに参加した地元町内会長の目黒則雄さんは「町内会には主に二三子さん(恒三氏の妻。2022年1月に87歳で死去)が出席していたが、引退後は恒三さんも総会に顔を出してあいさつしていた。鶴ヶ城の南側は住宅ばかりで、公共施設、観光スポットなどが少ないので、こうした施設を造っていただけるのはうれしい」と語った。  恒雄氏は「父が住んでいた家がそのまま活用されている。昔訪れた方は懐かしく思うはず。政治家を引退してから10年経っているのに、このような記念館を開所してもらい、父は政治家冥利に尽きると思うし、家族としてありがたい限りです」とコメントした。  恒三氏は2020年8月23日に88歳で死去した。葬儀は近親者で営まれ、すぐにお別れの会を開く予定となっていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていた。  同日午後には会津若松ワシントンホテルで2年越しのお別れの会が開催された。  発起人代表の佐藤雄平氏、後援会・秘書会代表の鈴木政英元磐梯町長があいさつ。川端・平野両元衆院議員、玄葉光一郎衆院議員、内堀雅雄知事、室井照平会津若松市長が別れの言葉を述べた。  献花の際に読み上げられた主な参列者には、会津地方の首長、議長、政治経験者などがずらりと名を連ねた。主催者発表によると、参列者は関係者も含め約350人。あらためてその影響力を示した格好だ。  恒三氏は1932(昭和7)年5月24日、田島町(現南会津町)で生まれた。渡部家はみそ・しょうゆ醸造業を営む旧家で、父・又左ヱ門氏は町長、県会議員を務めた。  県立会津中学(在学中に学制改革で会津高校に改称)、早稲田大文学部卒。同大大学院修士課程修了。早稲田雄弁会で活躍する一方、同郷の八田貞義衆院議員の事務所に出入りするようになる。大学院修了後、正式に秘書になり、1959(昭和34)年4月に26歳で県議選初当選。再選を果たし、自民党県連政調会長に就いた。だが1967(昭和42)年の総選挙で、八田氏の選挙参謀を務めた際に買収容疑で有罪判決を受け、県議を辞職した。  1969(昭和44)年の衆院選で旧福島2区から無所属で立候補し初当選。自民党の追加公認を得て田中派、竹下派に所属。竹下派では「七奉行」の1人として存在感を高め、前述の通り、厚生大臣などの主要閣僚を歴任した。  1993(平成5)年に「七奉行」の1人、小沢一郎氏とともに自民党を離党。「二大政党制」の実現を掲げて新生党や新進党の結党に参加。1996(平成8)年から2003(平成15)年まで衆院副議長。  1997(平成9)年の新進党解党後はしばらく党籍を持たなかったが、2005(平成17)年に民主党に入党し、同党最高顧問に就任。翌2006(平成18)年には、ライブドア事件関連のメール問題で危機に瀕する同党のため、73歳で国対委員長に就任した。  会津弁と飾らない人柄で「平成の黄門様」と呼ばれ、民主党では重鎮として若い執行部を支え存在感を示した。衆院議員連続14期務め、2012年に政界を引退した。 「保守」でもあり「野党」でもある  全国的に活躍した経歴を持つ政治家だけに「顔を出さないわけにはいかない」と多くの政財界関係者がお別れの会に参列した。会終了後、恒三氏の後援会幹部にコメントを求めたところ、「いまも会津全域に多くの支持者がおり、後援会が束ねている」と、死後2年経ってもその影響力が続いていることを強調した。  しかし、複数の会津地域の政治家・経済人からは「さすがにもう影響力はなくなった」、「首長にしても議員にしても『国会議員の支持者の動向で当選した』という話は最近ではあまり聞かれない。個々人の能力や性格が評価されていると思いますよ」と冷ややかな声が聞かれた。  会津地方のある市町村議員は「中選挙区制で恒三氏と激しい戦いを繰り広げた伊東正義衆院議員も、1994(平成6)年に亡くなった後は如実に支持者が減った。恒三氏の支持者も高齢化が進むとともに少なくなっていくだろう」と語る。  とは言え、2021年10月の衆院選で福島4区の焦点になったのは、立憲民主党の小熊慎司氏(54、4期)と自民党の菅家一郎氏(67、4期)、どちらが「恒三票」を取り込むか、ということだった。恒三氏が明確な後継者を定めていなかったためだ。 小熊氏(上)と菅家氏  前述の通り、恒三氏は自民党で閣僚を経験した後に離党し、二大政党制の実現を訴えた経歴を持つ。すなわち「保守」であり、「野党」でもある存在なのだ。野党を渡り歩いてきた小熊氏は恒三氏の後継者と言える。一方の菅家氏は会津の保守系政治家として市政・県政で活動してきた経緯があり、早稲田大の後輩ということもあって恒三氏と親密に交流していた。  要は、どちらも「恒三票」の受け皿になり得るわけ。だからこそ、2021年の衆院選では小熊氏陣営に恒三氏の支持者が名を連ねて電話攻勢をかけ、菅家氏陣営は負けじと保守系支持者の自民回帰を訴えた。  ある立憲民主党の支持者は次のように分析する。  「『恒三さんは大好きだけど、小熊さんはそんなに好きってわけじゃない』という人はいっぱいいる。大型連休中には外務省が退避勧告を行っているウクライナに国会申請せずに入国し、幹事長名で注意を受けるポカもやらかした。ただ、そうした支持者たちが小熊さんに見切りを付け(自民党の)菅家さんに流れているかというと、そうはなっていない。そういう意味では、菅家さんの〝評判の悪さ〟に助けられている面があると思います。彼は彼で実績アピールが露骨すぎて、煙たがられている節がある」  一方の自民党関係者はこう語る。  「恒三さんこそ『保守』の人生を歩んできたと思うし、支持者も『保守』である点を支持している人が多い。実際、2021年の衆院選では小熊氏が『野党共闘』で共産党の支援も受けたのを見て、『今回ばかりはさすがに応援できない』と離れた支持者が多かった。今後、選挙を重ねるごとに、小熊氏と菅家氏の得票数は差が開いていく一方になるのではないでしょうか」  過去3回の福島4区の投票結果は以下の通り。  《2014年》当5万6856 小熊 慎司46維新比5万6440 菅家 一郎59自民 1万0139 小川 右善65社民   9413 田中和加子58共産  《2017年》当6万8282 菅家 一郎62自民比6万7073 小熊 慎司49希望   9492 古川 芳憲66共産   8063 渡辺 敏雄68社民  《2021年》当7万6683 小熊 慎司53立民比7万3784 菅家 一郎66自民  2017年の選挙で小熊氏、共産党候補、社民党候補が獲得した票数の合計より、2021年の選挙で「野党共闘」した小熊氏が獲得した票数の方が少ない。そのため「共産党と手を組んだことで『恒三票』の中でも保守系の支持者が離れたのではないか」と自民党関係者は指摘しているのだ。  ただ、共産党とのつながりに関しては、立憲民主党関係者も「小熊氏が共産党ともっと距離を置けばより票数が伸びると思う」と分析しているので、今後はそこが両陣営にとってのポイントになるのだろう。  当の恒三氏は本誌2013年2月号「星亮一対談」で次のように語っていた。  《日本の政治は長年、自民党の1党支配が続いてきたが、民主主義の基本である「国民が政治を決める」という観点に立った時、政権担当能力を持った政党が1つでは心もとない。2つあるから、国民はどっちがいいか選択できるのです。  すなわち、僕は2大政党制を実現させるために自民党を飛び出したわけで、民主党をつくった後も、僕は自民党が悪いなんて言ったことは一度もない。政権を担当できる政党が自民党1つでは、日本は独裁国家になってしまうから、それを改めようとしたのです》 「昔と比べて戦い方が生ぬるい」  会津地域の経済人は「いずれにしても、中選挙区時代の激しい戦いを知っている立場からすると、小熊氏も菅家氏も小粒感が否めない。その戦い方にも生ぬるい印象を抱いてしまう」と嘆く。  「中選挙区でライバル関係だった恒三氏と伊東氏はどちらも閣僚経験者で、互いの支持者も含めてバチバチやり合っていた。支持を訴えるのも、ライバルを批判するのも、地元に仕事を引っ張ってくるのも全力。当時を知る立場からすると、いまは小粒な議員同士の戦いにしか見えない。もう少し存在感を示してほしい」  恒三氏の実績として知られるのは会津地方のインフラ整備に尽力したこと。昭和から平成初期にかけて、国道121号大峠トンネル、磐越自動車道、サンピア会津、県立会津大学、会津縦貫道路などの道筋を付けた。小熊氏、菅家氏がこれに匹敵する実績を作るのは難しいだろう。  いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ改正公職選挙法が成立し、福島県選挙区は現行の5から4に減る。会津地域は県南地域と同じ選挙区になった。今後、各党で候補者調整が進められる見通し。生き残りをかけて、小熊、菅家両氏はどう立ち振る舞うのか。  恒三氏の影響力はなくなりつつあるものの、引退から10年、死後2年経っても「恒三票」の行方が注目され、「保守」、「二大政党制」について議論が交わされている。それだけ恒三氏の存在が会津政界で大きかったということだろう。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催

  • 【和久田麻由子】NHK女子アナの結婚相手は会津出身・箱根ランナー【猪俣英希】

    (2019年5月号より) 2019年3月、NHK朝のニュース「おはよう日本」で平日キャスターを務める和久田麻由子アナウンサー(30)が結婚していたことがスポーツ紙などで報じられた。 和久田アナは東大経済学部を卒業後、2011年にNHK入局。岡山放送局を経て2014年に「おはよう日本」の土日キャスターに抜擢、翌年、平日キャスターに昇格した。 NHKでも1、2を争う美人アナと言われ、とりわけオジサンたちから絶大な支持を誇る和久田アナ。そんな人気女子アナの結婚が報じられたのは3月6日だった。 報道によると①相手は一般男性、②2019年に入って婚姻届を提出、③結婚後も仕事は継続、④NHK広報局は「職員のプライベートに関してはお答えしていない」とコメント――というもので、これ以上の情報は一切扱われていない。 人気女子アナの突然の結婚にネット上では一時「相手の一般男性って誰だ?」と話題になったが、氏素性が明らかになることはなかった。 実は、和久田アナの結婚相手は福島県出身の、ちょっとした有名人なのだ。 猪俣英希さん(30)。この名前を聞いてピンと来た人は、かなりの駅伝ファンに違いない。猪俣さんは、いわゆる〝山登りの5区〟を走った箱根ランナーなのだ。 旧会津本郷町(現会津美里町)出身の猪俣さんは、会津高校時代は無名のランナーだったが、高校の先輩で早稲田大学出身、北京五輪マラソン代表の佐藤敦之さんに憧れ、同大学スポーツ科学部に進学した。 エンジの襷をまとって走りたい――そんな思いを胸に、全国から長距離エリートが推薦入学してくる中、猪俣さんは一般入試を経て体育会競走部に所属。入部当初の持ちタイムは下から数えた方が早かったが、厳しい練習を重ね地力を付けた。そして最終学年の4年生のとき、2011年1月2、3日に行われた第87回箱根駅伝で、当初5区を走る予定だった選手のエントリー変更に伴い猪俣さんが走ることになった。 この年のシーズン、早稲田大学は秋の出雲駅伝と全日本大学駅伝を制し、箱根で優勝すれば三冠達成の快挙がかかっていた。そこに立ちはだかったのが、同じく福島県(いわき市)出身で〝2代目山の神〟と称された柏原竜二さん(当時3年生)を擁する東洋大学だった。東洋は箱根2連覇中で、出雲と全日本は早稲田に及ばなかったが、箱根は東洋がやや有利とみられていた。 大会当日、先頭で5区をスタートした猪俣さんは、箱根の坂で柏原さんに抜かれたが、最小限の差で踏みとどまった。翌日、往路2位でスタートした早稲田は東洋を逆転。1位と2位の差はわずか21秒という優勝で、見事三冠を達成した。 猪俣さんは大学卒業後、三菱商事に入社し、船舶・宇宙航空事業本部船舶部に配属。現在はインドに勤務している。 猪俣さんのご家族とお付き合いがある男性によると「両親は、英希さんの結婚についてほとんど語っていないが、喜んでいるのは間違いありませんよ」という。 会津美里町の実家を訪ねると、お母さまが対応してくれた。 「(結婚は)本人たちが決めたことですから、親の私から言うことは特にありません。せっかく来ていただいたのにお話しできなくて、申し訳ありませんね」 和久田アナの結婚に愕然としていたオジサンたちも、お相手が優秀でイケメンの猪俣さんと分かれば納得いくはずだ。お幸せに。

  • 会津地方の農家を襲う「8050問題」

     80代の老親と50代のひきこもりの子が孤立や困窮に直面する「8050問題」が進行している。会津地方のある農家は、自分の死後も病気を抱える一人息子の生活を支えようと、なけなしの田を売ることを考えたが法律の壁に阻まれた。一方で米価は下落し収入も減り、老親自身も今の暮らしで手一杯。農家の8050問題を追った。 「息子のために農地を売る」老親の覚悟  「私は息子のために農地を売りたいが、売るのを阻まれています」  会津地方に住む農家の80代男性はため息をつく。妻と40代後半の一人息子と3人暮らし。息子は高校中退後、働きに出ず、ずっと家で過ごしている。  80代の老親と50代のひきこもりの子に関わる社会問題「8050問題」が顕在化している。進学や就職に失敗したことなどをきっかけに、家にこもって外部との接触を断つひきこもりが長期化。さらに、高齢となった親の収入が途絶えたり、病気や要介護状態になったりして経済的に一家が孤立・困窮することで起こる。孤立死や「老老介護」の原因ともなりうる。  人口の多い団塊の世代が80代を迎え、その子らの第二次ベビーブーム世代が50代を迎える時、社会に与える影響は大きいと見込まれる。ただ、40~50代はバブル崩壊後の就職氷河期で「割を食った」世代。採用を抑制され、新卒時に就職先に恵まれなかったこともあり、一概に失敗を「個人の努力不足」に帰することはできない。  冒頭で嘆いた男性の息子は、10代で精神疾患を発症した。その影響からか、人とうまくなじめず不登校になったという。家族が疾患と分かったのは高校中退後だった。  「もっと早く気づいてあげたかった」(男性)  息子は現在、医療機関に通い、週2回、支援者が訪問サービスに訪れている。  「息子は調子が良い時は農業を手伝ってくれます。薬が合っているのか、最近は以前よりも体調が良いようです。車は運転できないが、自転車を使って1人で買い物に行っています。私がいなくなってもお金さえあればなんとかなると思う」(同)  規則正しく食事も取るようになった。少しずつ復調し、農業の手伝いなど自分のできることから始めようとする息子を見て、最後まで支えなければという気持ちが強くなった。  「息子は障害年金を受け取っていますが、月数万円ではとてもじゃないが暮らしていけない。私もいつ死ぬか分からない。それまでに1000万円以上は用意してあげたい。やはり最後はお金です」(同)  男性は1000万円を国民年金基金に積み立てたいと考えている。そうすれば約10年後、自分が亡くなっても60歳になった息子には月約7万円が支給されるという。国民年金基金は自営業、無職、フリーランスが対象の1号被保険者が保険料を上乗せして払い、受給額を多くする制度だ。  だが、男性が元手にできるのは農地しかない。今は約16反(1万5800平方㍍)で米を作っているが、米価は下落し、苗代や肥料、農業機械の維持費、固定資産税などを考えると赤字で、助成金で埋め合わせているという。  「田んぼをやっているのは、手を入れなくなると雑草で荒れてしまうからです。周囲の田畑に迷惑がかかるし、何しろ笑われてしまう。息子が米を作ることはないだろうから、できれば売ってしまいたい」(同)  採算が合わないのに同調圧力で仕方なく米を作っているが、そのまま農地を残せば息子にとって負債となる。だから、処分して金に換えたいというわけ。  男性は宅地にしたり、太陽光発電施設の設置業者に売却しようと考えたが、農地を転用するには農業委員会の許可が必要になる。同委員会に申し出たが「他の人が(男性の農地を取得して)農地を広げる可能性がある」と認められなかったという。  「米が値下がりしている中、わざわざ新たに田んぼを買う奇特な人がいるとは思えない。作っても手間ばかりで、儲けはほとんどないんですから。農業委員会に『農地として買う予定の人がいるのか』と尋ねても答えてくれませんでした」(同)  自分の寿命はそれほど残されていない。元気に動けるのはあと10年もないだろう。農業委員会の許可は今後得るとして、まずは業者に売却する算段を付けようとした。  太陽光発電施設の設置業者をネットで調べ電話した。東京や名古屋から複数の業者がすぐに飛んできた。営業社員の男は調子が良かった。「米を作っていたということは日当たりが良いってことです。つまり太陽光発電にもうってつけなんですよ。会津は太陽光の宝庫です」と前のめりだったが、農業委員会の許可が下りそうもないことが分かると、見切りを付けて去っていった。 「太陽光の宝庫」と発電事業者から評される会津地方の田園  男性は現在も地元の農業委員会に通っているが、「それは県農業委員会に聞いてほしい」「東北農政局じゃないと分からない」などとたらい回しにされているそうだ。 「残された時間は少ない」  なぜ、ここまで農地売却に固執するのか。それは息子のために売れる資産がそれしかないからだ。  「国は国債を際限なく発行して借金があるでしょう? 頼りになりません。自分たちの身は自分で守らないと」(同)  他人を頼る気持ちにはなれない。周囲に不信感がある。10年ほど前に近隣で連続不審火があった。原因が分からなかったため、犯人探しが始まった。「無職で家にいるアイツ(息子)じゃないか」とウワサされたという。世間はいつも、息子をこう見ていたのかと知った。周囲がとても冷たく感じられたという。  「事情を知らない役所の人は、年寄りが息せき切って土地を売ろうとしている様子を陰で笑っているんでしょうね。でも、私には残された時間が少ない。『分からず屋』と言われても、息子のために動かなければならないんです」(同)  このまま農地を売却できないことも十分想定される。筆者は男性亡き後の息子の独り立ちを考え、市町村の相談窓口や成年後見制度を紹介したが、男性はしばらくすると、また農地を売却するための方法を熱心に探り出した。「どうしても売れなくて困っている」。農地売却には高い壁が立ちはだかるが、困難であればあるほど、男性の生きる「最後の目標」になっているようだ。

  • 【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

     衆議院副議長を務めるなど「平成の黄門様」として知られた渡部恒三氏が亡くなって2年になる。往時の影響力はなくなりつつあるが、その存在は形を変えて会津政界に残り続けている。一方で、恒三氏の後継者が会津地方の国会議員にいないことを嘆く向きもある。 【渡部恒三】「国会議員の小粒化」嘆く会津地方住民 渡辺恒三氏  2022年11月6日10時、会津若松市城東町に残る渡部恒三氏の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。厚生大臣などに就任した際に受け取った任命書と卓上の名札、2003(平成15)年に受けた勲一等旭日大綬章の勲記など、ゆかりの品や美術品が展示されている。館長を務めるのは渡辺泰夫氏(會津通運会長)。  庭にはブロンズ像が設置された。数十年前に本県出身の金属加工業の社長が作っていたが、恒三氏が「生きているうちに銅像なんて作るもんじゃない」と話したため、日の目を見ずに保管されてきたという。  同日、テープカットとブロンズ像の除幕式が行われ、元知事で長年恒三氏の秘書を務めていた佐藤雄平氏、川端達夫・平野博文元衆院議員、恒三氏の長男・恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)らが開館を祝った。 記念館のテープカットの様子  テープカットに参加した地元町内会長の目黒則雄さんは「町内会には主に二三子さん(恒三氏の妻。2022年1月に87歳で死去)が出席していたが、引退後は恒三さんも総会に顔を出してあいさつしていた。鶴ヶ城の南側は住宅ばかりで、公共施設、観光スポットなどが少ないので、こうした施設を造っていただけるのはうれしい」と語った。  恒雄氏は「父が住んでいた家がそのまま活用されている。昔訪れた方は懐かしく思うはず。政治家を引退してから10年経っているのに、このような記念館を開所してもらい、父は政治家冥利に尽きると思うし、家族としてありがたい限りです」とコメントした。  恒三氏は2020年8月23日に88歳で死去した。葬儀は近親者で営まれ、すぐにお別れの会を開く予定となっていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていた。  同日午後には会津若松ワシントンホテルで2年越しのお別れの会が開催された。  発起人代表の佐藤雄平氏、後援会・秘書会代表の鈴木政英元磐梯町長があいさつ。川端・平野両元衆院議員、玄葉光一郎衆院議員、内堀雅雄知事、室井照平会津若松市長が別れの言葉を述べた。  献花の際に読み上げられた主な参列者には、会津地方の首長、議長、政治経験者などがずらりと名を連ねた。主催者発表によると、参列者は関係者も含め約350人。あらためてその影響力を示した格好だ。  恒三氏は1932(昭和7)年5月24日、田島町(現南会津町)で生まれた。渡部家はみそ・しょうゆ醸造業を営む旧家で、父・又左ヱ門氏は町長、県会議員を務めた。  県立会津中学(在学中に学制改革で会津高校に改称)、早稲田大文学部卒。同大大学院修士課程修了。早稲田雄弁会で活躍する一方、同郷の八田貞義衆院議員の事務所に出入りするようになる。大学院修了後、正式に秘書になり、1959(昭和34)年4月に26歳で県議選初当選。再選を果たし、自民党県連政調会長に就いた。だが1967(昭和42)年の総選挙で、八田氏の選挙参謀を務めた際に買収容疑で有罪判決を受け、県議を辞職した。  1969(昭和44)年の衆院選で旧福島2区から無所属で立候補し初当選。自民党の追加公認を得て田中派、竹下派に所属。竹下派では「七奉行」の1人として存在感を高め、前述の通り、厚生大臣などの主要閣僚を歴任した。  1993(平成5)年に「七奉行」の1人、小沢一郎氏とともに自民党を離党。「二大政党制」の実現を掲げて新生党や新進党の結党に参加。1996(平成8)年から2003(平成15)年まで衆院副議長。  1997(平成9)年の新進党解党後はしばらく党籍を持たなかったが、2005(平成17)年に民主党に入党し、同党最高顧問に就任。翌2006(平成18)年には、ライブドア事件関連のメール問題で危機に瀕する同党のため、73歳で国対委員長に就任した。  会津弁と飾らない人柄で「平成の黄門様」と呼ばれ、民主党では重鎮として若い執行部を支え存在感を示した。衆院議員連続14期務め、2012年に政界を引退した。 「保守」でもあり「野党」でもある  全国的に活躍した経歴を持つ政治家だけに「顔を出さないわけにはいかない」と多くの政財界関係者がお別れの会に参列した。会終了後、恒三氏の後援会幹部にコメントを求めたところ、「いまも会津全域に多くの支持者がおり、後援会が束ねている」と、死後2年経ってもその影響力が続いていることを強調した。  しかし、複数の会津地域の政治家・経済人からは「さすがにもう影響力はなくなった」、「首長にしても議員にしても『国会議員の支持者の動向で当選した』という話は最近ではあまり聞かれない。個々人の能力や性格が評価されていると思いますよ」と冷ややかな声が聞かれた。  会津地方のある市町村議員は「中選挙区制で恒三氏と激しい戦いを繰り広げた伊東正義衆院議員も、1994(平成6)年に亡くなった後は如実に支持者が減った。恒三氏の支持者も高齢化が進むとともに少なくなっていくだろう」と語る。  とは言え、2021年10月の衆院選で福島4区の焦点になったのは、立憲民主党の小熊慎司氏(54、4期)と自民党の菅家一郎氏(67、4期)、どちらが「恒三票」を取り込むか、ということだった。恒三氏が明確な後継者を定めていなかったためだ。 小熊氏(上)と菅家氏  前述の通り、恒三氏は自民党で閣僚を経験した後に離党し、二大政党制の実現を訴えた経歴を持つ。すなわち「保守」であり、「野党」でもある存在なのだ。野党を渡り歩いてきた小熊氏は恒三氏の後継者と言える。一方の菅家氏は会津の保守系政治家として市政・県政で活動してきた経緯があり、早稲田大の後輩ということもあって恒三氏と親密に交流していた。  要は、どちらも「恒三票」の受け皿になり得るわけ。だからこそ、2021年の衆院選では小熊氏陣営に恒三氏の支持者が名を連ねて電話攻勢をかけ、菅家氏陣営は負けじと保守系支持者の自民回帰を訴えた。  ある立憲民主党の支持者は次のように分析する。  「『恒三さんは大好きだけど、小熊さんはそんなに好きってわけじゃない』という人はいっぱいいる。大型連休中には外務省が退避勧告を行っているウクライナに国会申請せずに入国し、幹事長名で注意を受けるポカもやらかした。ただ、そうした支持者たちが小熊さんに見切りを付け(自民党の)菅家さんに流れているかというと、そうはなっていない。そういう意味では、菅家さんの〝評判の悪さ〟に助けられている面があると思います。彼は彼で実績アピールが露骨すぎて、煙たがられている節がある」  一方の自民党関係者はこう語る。  「恒三さんこそ『保守』の人生を歩んできたと思うし、支持者も『保守』である点を支持している人が多い。実際、2021年の衆院選では小熊氏が『野党共闘』で共産党の支援も受けたのを見て、『今回ばかりはさすがに応援できない』と離れた支持者が多かった。今後、選挙を重ねるごとに、小熊氏と菅家氏の得票数は差が開いていく一方になるのではないでしょうか」  過去3回の福島4区の投票結果は以下の通り。  《2014年》当5万6856 小熊 慎司46維新比5万6440 菅家 一郎59自民 1万0139 小川 右善65社民   9413 田中和加子58共産  《2017年》当6万8282 菅家 一郎62自民比6万7073 小熊 慎司49希望   9492 古川 芳憲66共産   8063 渡辺 敏雄68社民  《2021年》当7万6683 小熊 慎司53立民比7万3784 菅家 一郎66自民  2017年の選挙で小熊氏、共産党候補、社民党候補が獲得した票数の合計より、2021年の選挙で「野党共闘」した小熊氏が獲得した票数の方が少ない。そのため「共産党と手を組んだことで『恒三票』の中でも保守系の支持者が離れたのではないか」と自民党関係者は指摘しているのだ。  ただ、共産党とのつながりに関しては、立憲民主党関係者も「小熊氏が共産党ともっと距離を置けばより票数が伸びると思う」と分析しているので、今後はそこが両陣営にとってのポイントになるのだろう。  当の恒三氏は本誌2013年2月号「星亮一対談」で次のように語っていた。  《日本の政治は長年、自民党の1党支配が続いてきたが、民主主義の基本である「国民が政治を決める」という観点に立った時、政権担当能力を持った政党が1つでは心もとない。2つあるから、国民はどっちがいいか選択できるのです。  すなわち、僕は2大政党制を実現させるために自民党を飛び出したわけで、民主党をつくった後も、僕は自民党が悪いなんて言ったことは一度もない。政権を担当できる政党が自民党1つでは、日本は独裁国家になってしまうから、それを改めようとしたのです》 「昔と比べて戦い方が生ぬるい」  会津地域の経済人は「いずれにしても、中選挙区時代の激しい戦いを知っている立場からすると、小熊氏も菅家氏も小粒感が否めない。その戦い方にも生ぬるい印象を抱いてしまう」と嘆く。  「中選挙区でライバル関係だった恒三氏と伊東氏はどちらも閣僚経験者で、互いの支持者も含めてバチバチやり合っていた。支持を訴えるのも、ライバルを批判するのも、地元に仕事を引っ張ってくるのも全力。当時を知る立場からすると、いまは小粒な議員同士の戦いにしか見えない。もう少し存在感を示してほしい」  恒三氏の実績として知られるのは会津地方のインフラ整備に尽力したこと。昭和から平成初期にかけて、国道121号大峠トンネル、磐越自動車道、サンピア会津、県立会津大学、会津縦貫道路などの道筋を付けた。小熊氏、菅家氏がこれに匹敵する実績を作るのは難しいだろう。  いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ改正公職選挙法が成立し、福島県選挙区は現行の5から4に減る。会津地域は県南地域と同じ選挙区になった。今後、各党で候補者調整が進められる見通し。生き残りをかけて、小熊、菅家両氏はどう立ち振る舞うのか。  恒三氏の影響力はなくなりつつあるものの、引退から10年、死後2年経っても「恒三票」の行方が注目され、「保守」、「二大政党制」について議論が交わされている。それだけ恒三氏の存在が会津政界で大きかったということだろう。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催