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玉川村

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い 木賊正男町長  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。

  • 現職退任で混沌とする玉川村長選

    現職退任で混沌とする玉川村長選

     任期満了に伴う玉川村長選は4月18日告示、同23日投開票の日程で行われる。現職・石森春男氏は昨年12月議会で今期限りでの引退を表明しており、村内では「石森村長を支持していたグループと、その対立グループの双方が候補者を立てる可能性が高い」との見方がもっぱらだ。 石森派候補と反石森派候補の一騎打ちか  石森春男村長(71、4期)は昨年12月議会の一般質問への答弁で、今期限りでの引退を表明した。 退任を表明した石森氏  石森村長は「村政の課題を考えると、新たな視点で行政を推進することが大事であり、後進に道を譲りたい。後継者は考えていない」(福島民友昨年12月13日付)と述べた。 石森村長は1951年生まれ。同村出身。須賀川(現須賀川創英館)高卒。1971年に村役場職員となり、企画財政課長、農業委員会事務局長などを経て、2007年の村長選で初当選。4期のうち、選挙戦になったのは2015年のみで、それ以外はすべて無投票当選だった。 石森村長をめぐっては、こんな憶測も流れている。 「同村唯一の女性議員である林芳子議員に石森村長が暴言を吐いたという。内容は女性を軽視するようなものだったとか。そうした問題があり、今回、引退を表明したのではないか」(ある村民) 林議員はいわゆる反村長派議員で、議会のたびに石森村長(執行部)に厳しい質問をぶつけてきた。その林議員に石森村長が女性を軽視するような暴言を吐いたというのだ。 どういった状況で、どんな言葉を発したのかは分かっていないが、林議員と近い議員(反村長派議員)によると、「当人(林議員)から、そういったことがあったとは聞いている」という。内容・程度はともかく、そうしたことがあったのは間違いなさそう。もっとも、それが石森村長引退のきっかけになったかは不明。 村長選をめぐっては、1月23日時点で表立った動きはない。ただ、村内では「誰もが納得するような候補者が出てきたら別だが、石森村長を支持していたグループと、その対立グループの双方が候補者を擁立する可能性が高い」との見方がもっぱらだ。つまりは、新人同士の一騎打ちになるのではないか、と。前述したように1月23日時点で表立った動きはないが、チラホラと名前は挙がっている。 「石森村長を支持していたグループ」で、名前が挙がっているのが小針竹千代議員と大和田宏議員の2人である。 「小針議員と大和田議員は奥さんの関係で、親戚筋に当たるため、双方の調整が必要になり、水面下でその辺の話し合いが行われているようだ。ともに60代半ばで、できたとしても2期だろう」(ある村民) 小針議員は2期目、大和田議員は4期目で、それぞれ最初の村議選ではトップ当選を果たしたが、その後は票を減らしている。前段で紹介した石森氏の答弁では「後継者は考えていない」とのことだったが、実質、このどちらかが後継者という扱いになりそう。 一方、対立グループの候補として名前が挙がるのが、2015年の村長選に立候補した小林正司氏。元須賀川市職員で現在71歳。2015年の村長選では、石森氏2558票、小林氏2037票で落選した(同年4月26日投開票、投票率82・98%)。実は、小林氏は前回(2019年)の村長選の際も名前が挙がり、本人もそのつもりだった。 「当時、反石森派の人たちが熱心に誘い、小林氏本人もその気になっていた。ところが、直前で反意し、立候補を取りやめた経緯がある。結果、前回は無投票になり、反石森派の落胆は大きかった。今回も、一応名前は挙がっているが、反石森派の人たちは『前回のことがあるから、われわれの方から小林氏に対して立候補してほしいとお願いすることはしない。本人から立候補するから応援してほしいと言って来ない限りは応援するつもりはない』と話していた。結局は本人次第ということだが、71歳という年齢を考えると、できても2期、下手すると1期しかできないかもしれない。それを踏まえると、可能性は低いと思う」(前出の村民) 有力視される女性議員  このほかで、対立グループの候補として名前が挙がっているのが前述した林議員。現在1期目だが、2020年の村議選では416票でトップ当選だった。 「女性ということもあり、票を取ることだけを考えたら、林議員はかなり有力だと思う。ただ、新村長になったとして、任期がスタートするのは4月末だから、石森村長の下で人事・予算などが決まった後に就任することになる。林議員は議会のたびに村長・執行部に厳しい質問をしており、石森村長のやり方を否定する部分が多かったことから、おそらく村長になったら、大幅な路線修正をすることになると思う。ただ、いま話した経緯から、役場職員、特に課長連中がちゃんと応えてくれるか、上手く使いこなせるかといった問題がある。下手すると、村長になったはいいけど、路線修正だけで1期目のほとんど費やしてしまった、なんてことにもなりかねない。そもそも、現在67歳で、できても2期くらいだろうから、1期目をそんなふうに過ごしたら、何もできずに終わってしまう可能性もある」(同) 一方で、別の村民はこう話す。 「いまの村政・役場には危機感が感じられない。それを変えるには林議員が適任だと思う。たとえ、目に見えるような大きな仕事はできなかったとしても、役場内の意識改革をして次にバトンタッチしてもらえれば、十分役目を果たしたと言えるのではないか」 こうして聞くと、林議員への期待は大きいようだが、前出の林議員と近い議員によると、「年始に林議員と会った際、村長選に立候補する考えはあるかと聞きたら、『いまのところは考えていない』とのことでした」という。 村内の会社役員は「誰が出るにしても、とにかく現状を変えなければならない」と危機感を募らせる。 「村の財政状況は決していいとは言えない。戦略に基づく財政投資ならいいが、例えば、1年半前にオープンした『森の駅ヨッジ』は人が入っていないし、いま事業を進めている『かわまちづくり』にしても、乙字が滝周辺にボートを浮かべて人が来るとは思えない。村民にとってプラスになるとは思えない事業が多いのです。若い人・子育て世代などからは『今度、須賀川市に家を建てる』といった話もチラホラ聞かれますし、村内に立地している企業・工場だって、いつまでも村内に居続けるとは限らない。そういったことに危機感を持って対応してくれる候補者が出てくることを願いたい」 そうした問題に危機感を持って取り組む候補者は現れるか。現職退任で混沌とする同村長選だが、構図が見えてくるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。 その後の動向  3月下旬時点で立候補を表明しているのは、いずれも新人で、元村議の須藤安昭氏(67)、元村議の林芳子氏(68)、前副村長の須釜泰一氏(63)の3人。本誌はこの3人に取材を申し込んだところ、須藤氏と須釜氏の2人が応じた。【2023年4月号】で両立候補予定者に村の課題への対応や選挙公約、意気込みなどを掲載する。

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い 木賊正男町長  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。

  • 現職退任で混沌とする玉川村長選

     任期満了に伴う玉川村長選は4月18日告示、同23日投開票の日程で行われる。現職・石森春男氏は昨年12月議会で今期限りでの引退を表明しており、村内では「石森村長を支持していたグループと、その対立グループの双方が候補者を立てる可能性が高い」との見方がもっぱらだ。 石森派候補と反石森派候補の一騎打ちか  石森春男村長(71、4期)は昨年12月議会の一般質問への答弁で、今期限りでの引退を表明した。 退任を表明した石森氏  石森村長は「村政の課題を考えると、新たな視点で行政を推進することが大事であり、後進に道を譲りたい。後継者は考えていない」(福島民友昨年12月13日付)と述べた。 石森村長は1951年生まれ。同村出身。須賀川(現須賀川創英館)高卒。1971年に村役場職員となり、企画財政課長、農業委員会事務局長などを経て、2007年の村長選で初当選。4期のうち、選挙戦になったのは2015年のみで、それ以外はすべて無投票当選だった。 石森村長をめぐっては、こんな憶測も流れている。 「同村唯一の女性議員である林芳子議員に石森村長が暴言を吐いたという。内容は女性を軽視するようなものだったとか。そうした問題があり、今回、引退を表明したのではないか」(ある村民) 林議員はいわゆる反村長派議員で、議会のたびに石森村長(執行部)に厳しい質問をぶつけてきた。その林議員に石森村長が女性を軽視するような暴言を吐いたというのだ。 どういった状況で、どんな言葉を発したのかは分かっていないが、林議員と近い議員(反村長派議員)によると、「当人(林議員)から、そういったことがあったとは聞いている」という。内容・程度はともかく、そうしたことがあったのは間違いなさそう。もっとも、それが石森村長引退のきっかけになったかは不明。 村長選をめぐっては、1月23日時点で表立った動きはない。ただ、村内では「誰もが納得するような候補者が出てきたら別だが、石森村長を支持していたグループと、その対立グループの双方が候補者を擁立する可能性が高い」との見方がもっぱらだ。つまりは、新人同士の一騎打ちになるのではないか、と。前述したように1月23日時点で表立った動きはないが、チラホラと名前は挙がっている。 「石森村長を支持していたグループ」で、名前が挙がっているのが小針竹千代議員と大和田宏議員の2人である。 「小針議員と大和田議員は奥さんの関係で、親戚筋に当たるため、双方の調整が必要になり、水面下でその辺の話し合いが行われているようだ。ともに60代半ばで、できたとしても2期だろう」(ある村民) 小針議員は2期目、大和田議員は4期目で、それぞれ最初の村議選ではトップ当選を果たしたが、その後は票を減らしている。前段で紹介した石森氏の答弁では「後継者は考えていない」とのことだったが、実質、このどちらかが後継者という扱いになりそう。 一方、対立グループの候補として名前が挙がるのが、2015年の村長選に立候補した小林正司氏。元須賀川市職員で現在71歳。2015年の村長選では、石森氏2558票、小林氏2037票で落選した(同年4月26日投開票、投票率82・98%)。実は、小林氏は前回(2019年)の村長選の際も名前が挙がり、本人もそのつもりだった。 「当時、反石森派の人たちが熱心に誘い、小林氏本人もその気になっていた。ところが、直前で反意し、立候補を取りやめた経緯がある。結果、前回は無投票になり、反石森派の落胆は大きかった。今回も、一応名前は挙がっているが、反石森派の人たちは『前回のことがあるから、われわれの方から小林氏に対して立候補してほしいとお願いすることはしない。本人から立候補するから応援してほしいと言って来ない限りは応援するつもりはない』と話していた。結局は本人次第ということだが、71歳という年齢を考えると、できても2期、下手すると1期しかできないかもしれない。それを踏まえると、可能性は低いと思う」(前出の村民) 有力視される女性議員  このほかで、対立グループの候補として名前が挙がっているのが前述した林議員。現在1期目だが、2020年の村議選では416票でトップ当選だった。 「女性ということもあり、票を取ることだけを考えたら、林議員はかなり有力だと思う。ただ、新村長になったとして、任期がスタートするのは4月末だから、石森村長の下で人事・予算などが決まった後に就任することになる。林議員は議会のたびに村長・執行部に厳しい質問をしており、石森村長のやり方を否定する部分が多かったことから、おそらく村長になったら、大幅な路線修正をすることになると思う。ただ、いま話した経緯から、役場職員、特に課長連中がちゃんと応えてくれるか、上手く使いこなせるかといった問題がある。下手すると、村長になったはいいけど、路線修正だけで1期目のほとんど費やしてしまった、なんてことにもなりかねない。そもそも、現在67歳で、できても2期くらいだろうから、1期目をそんなふうに過ごしたら、何もできずに終わってしまう可能性もある」(同) 一方で、別の村民はこう話す。 「いまの村政・役場には危機感が感じられない。それを変えるには林議員が適任だと思う。たとえ、目に見えるような大きな仕事はできなかったとしても、役場内の意識改革をして次にバトンタッチしてもらえれば、十分役目を果たしたと言えるのではないか」 こうして聞くと、林議員への期待は大きいようだが、前出の林議員と近い議員によると、「年始に林議員と会った際、村長選に立候補する考えはあるかと聞きたら、『いまのところは考えていない』とのことでした」という。 村内の会社役員は「誰が出るにしても、とにかく現状を変えなければならない」と危機感を募らせる。 「村の財政状況は決していいとは言えない。戦略に基づく財政投資ならいいが、例えば、1年半前にオープンした『森の駅ヨッジ』は人が入っていないし、いま事業を進めている『かわまちづくり』にしても、乙字が滝周辺にボートを浮かべて人が来るとは思えない。村民にとってプラスになるとは思えない事業が多いのです。若い人・子育て世代などからは『今度、須賀川市に家を建てる』といった話もチラホラ聞かれますし、村内に立地している企業・工場だって、いつまでも村内に居続けるとは限らない。そういったことに危機感を持って対応してくれる候補者が出てくることを願いたい」 そうした問題に危機感を持って取り組む候補者は現れるか。現職退任で混沌とする同村長選だが、構図が見えてくるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。 その後の動向  3月下旬時点で立候補を表明しているのは、いずれも新人で、元村議の須藤安昭氏(67)、元村議の林芳子氏(68)、前副村長の須釜泰一氏(63)の3人。本誌はこの3人に取材を申し込んだところ、須藤氏と須釜氏の2人が応じた。【2023年4月号】で両立候補予定者に村の課題への対応や選挙公約、意気込みなどを掲載する。