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南相馬市の医療・福祉業界関係者から「関わってはいけないヒト」と称される人物がいる。さまざまな企業に医療・福祉施設の計画を持ち掛け、ことごとく頓挫。集めた医師・スタッフは給与未払いに耐え切れず退職、協力した企業は損失を押し付けられ、至る所でトラブルになっている。被害に遭った人たちは口を閉ざすばかり。一体どんな人物なのか。 施設計画持ちかけ複数企業が損失 吉田氏の逮捕を報じる新聞記事(デーリー東北2007年4月28日付) 「吉田豊氏について『政経東北』を含めどのマスコミも触れないけど、何か理由があるのかい?」。4月上旬、南相馬市内の経済人からこんな話を持ち掛けられた。 南相馬市内で医療・福祉施設建設計画を持ち掛け、支援を募っては計画が頓挫し、複数の企業が損失を被っているというのだ。吉田氏は青森県出身の元政治家で、数年前から南相馬市内で暮らしているという。 事実確認のため複数の関係者に接触したが、結論から言うと、誰も口を開こうとしなかった。「現在係争中なのでコメントは控えたい」、「ほかに影響が及ぶのを避けたい」、「もう関わり合いたくない」というのが理由だった。 せめて一言だけでもと食い下がると、「とにかく裏切られたという思い」、「業界内では『関わってはいけないヒト』と評判だ」という答えが並んだ。誌面では書けない言葉で吉田氏を罵倒した人もいる。 ある人物は匿名を条件に次のように語った。 「医療・福祉の充実という理念を掲げ、補助金がもらえそうな事業計画を企業に持ち掛け出資させる。ただ、ブローカー的な役割に終始し、その後の運営は二の次になるのでトラブルになる。表舞台には決して立とうとせず、ほかの人物や企業を前面に立たせる。だから、結局、何かあっても吉田氏が責任を取ることはない」 関係者の意向を踏まえ、本稿では具体的な企業名・施設名などを伏せるが、市内の事情通の話や裁判資料などの情報を統合すると、吉田氏をめぐり少なくとも以下のようなトラブルが発生していた。 〇市内にクリニックを開設する計画を立て、賃貸料を支払う契約で地元企業に建設させた。だが、当初から賃貸料の未払いが続き契約解除となり、現在は未払い分の支払いを求めて訴えられている。 〇ほかの医療機関や介護施設から医師・職員を高額給与で引き抜いたが、賃金未払いが続き、加えてブラックな職場環境だったため、相次いで退職。施設が運営できなくなり、休業している。 〇市内企業を巻き込んで、数十億円規模のサービス付き高齢者向け住宅建設計画やバイオマス焼却施設計画なども進めようとしていたが、いずれも実現していない。 吉田氏が一方的に嫌われ悪く言われている可能性もゼロではないが、話を聞いたすべての人が良く言わず、企業が泣き寝入りしている様子もうかがえた。吉田氏は現在公人ではないが、こうした事実を踏まえ、誌面で取り上げるのは公益性・公共性が高いと判断した。 吉田氏とはどういう人物なのか。過去の新聞記事などを遡って調べたところ、青森県上北町(現東北町)出身で、同町議を2期務めていた。 《八戸市内の私立高校(※編集部注・現在の八戸学院光星高校)を卒業後、県選出の代議士や県議らの下で政治を学び、1991年の町議選に32歳で初当選した。医療と福祉の充実を掲げ、医師を招いて自宅近くに内科・歯科医院を開業するなど精力的だった》(デーリー東北1999年4月23日付) 吉田氏が個人で運営していた「あさひクリニック」の一部を母体に「医療法人秀豊会」が立ち上げられ、有床診療所を運営しているほか、関係会社が高齢者・障害者向け住宅賃貸サービス、在宅介護、訪問診療を行っている(現在は医療法人瑞翔会に名称変更している)。吉田氏は登記簿上は役員から外れていたが、実質的なオーナーだったという。 1999年4月、上北町議2期目途中、青森県議選・上北郡選挙区に推薦なしの無所属で立候補したが、6候補者中6番目の得票数(9545票)で落選した。その後、有権者に現金5万円を渡し投票と票の取りまとめを依頼、さらに60人以上の有権者に計142万円を配って買収工作を行ったとして、公職選挙法違反(現金買収)の疑いで逮捕された。 《今年1月ごろから「吉田陣営は派手に買収に動いているようだ」とのうわさが一部に広がり出していた。「福祉に対する熱意が感じられる」として3月上旬まで同容疑者の応援を続けていた県内のある大学教授が、「金にまつわるうわさを聞いて失望した」と、告示の約3週間前に同陣営とのかかわりを断ち切るというトラブルもあった》 《(※編集部注・吉田氏が実質オーナーだった医療法人グループについて)最近では、老人保健施設や特別養護老人ホーム建設の計画を声高にうたっていた。しかし、老健施設の建設予定地の農地転用の手続きに絡み、町農業委員会の転用許可が下りる前に予定地の一部を更地にして厳重注意を受けるなど、周囲からは吉田容疑者ら経営幹部たちの強引な手法を指摘する声も上がっていた》(いずれもデーリー東北1999年4月23日付) 吉田氏は懲役2年6月、執行猶予5年の有罪判決を受け、「今後は選挙にかかわらない」と誓っていた。ところが、5年間の公民権停止期間が明けると2007年4月の県議選に再び立候補。結果は、7候補者中6番目の得票数(4922票)で落選した。 立候補表明時には「住民が安心して暮らせる地域づくりを目指し、地元の医療環境を整備したい」と訴え、「派手な選挙は行わない。地道に政策を訴えたい」と話していた吉田氏。だが選挙後、3人の運動員に計76万円を渡し投票と票の取りまとめを依頼していたとして、再び公職選挙法違反の疑いで逮捕された。 《「8年前は大変ご迷惑をお掛けしました」―選挙運動中、マイクを握った吉田容疑者はこの言葉から口を開き、自身を含む計6人が公選法違反で逮捕された前々回の県議選と同じ轍は踏まない―との意気込みを見せていた。しかし自身の逮捕により、今回の逮捕者は計8人と前々回を上回る結果となった》(デーリー東北2007年4月28日付) 呆れた過去に驚かされるが、吉田氏自身は2度の前科を特に隠してはいないようで、周囲に話すネタにしているフシさえあるという。 官僚・政治家人脈を強調 吉田氏の言動を間近で見てきたという人物は「どう見ても怪しいが、外見は紳士的で、初対面だと社会的地位の高い人に見えてしまう。見抜くのは難しい」と語る。 「藤丸敏衆院議員(4期、福岡7区、自民党)の事務所に出入りしており、私も一度案内されたことがあった。話している感じも違和感はなく、過去を知らなければすっかり信用してしまうと思う」 藤丸氏は古賀誠元衆院議員の秘書を務めていた。そのため、「秘書時代のつながりではないか」と指摘する声もある。しかし、「〇〇議員の秘書とはしょっちゅう連絡を取っている」と至るところで吹聴しているようなので、真偽は分からない。 中央官僚ともパイプを持っていると盛んにアピールしているようだが、浜通りの政治家によると、「『誰と会っているのか教えてくれたら私からも話をする』と知り合いの官僚の名前を出したら、急にしどろもどろになって話をはぐらかした」のだとか。別の経済人からも同様の声が聞かれた。市町村長クラスと会える場所にはよく顔を出すという話もある。 複数の関係者によると、吉田氏はトラブル後も同市内で暮らし続けているが、具体的な居場所は分からないようで、「住所を特定されないように宿泊施設を転々としている」、「プレハブ小屋を事務所代わりにしている」「建設に関わった同市原町区のクリニックを拠点としている」などと囁かれている。 名前の挙がったクリニックを訪ねたところ、扉に「休業中」の札がかかっていたが、電気は付いており、中で事務作業をしている人がいた。吉田豊氏について尋ねると、その人は「吉田という患者はいるが、吉田豊という名前は聞いたこともない。私はこのクリニックの建設に当初から関わっているが、ちょっと分からない」と話した。休業の理由については「医師が退職し、現在募っているため」という。 手紙には返答なし 念のため、同クリニック宛てに吉田豊氏に向けた手紙を送り、裁判所で閲覧した資料に掲載されていた青森県の自宅住所にも送ったが、期日までに回答はなかった。なお、吉田氏に未払い賃金の支払いを求めている人物の代理人によると、内容証明を送っても何の返答もない、とのこと。吉田氏本人の主張は残念ながら聞くことができなかった。 ちなみに、青森県六戸町の現職町長・吉田豊氏は同姓同名の別人物。また、南相馬市内にも同姓同名の医師がおり、業界関係者の間でも混乱することが多々あるという。実際、記者も同市内で最初に話を聞いたときは「町長までやった奴が南相馬で問題を起こしている」と誤って教えられた。 そのためかネット検索しても、関連情報がヒットしにくい。こうした事情も、吉田氏のトラブルが表に出てこない要因のようだ。 吉田氏に翻弄されたという男性は「これ以上被害者が増えてほしくない。こういう人物に近付いてはならないと警鐘を鳴らす意味でも政経東北で取り上げるべきだ」と話した。そうした声を踏まえ、不確定な部分が多かったが記事にした次第。 クリニック開業の際、医師が確保できていないのに認可するなど、保健所をはじめとした公的機関の無策を嘆く声も聞かれたが、一方で、吉田氏の動きはしっかりマークしているとのウワサも聞こえている。ひとまずはその動きをウオッチしながら〝自衛〟していく必要がある。 政経東北6月号で続報【南相馬で暗躍する悪徳ブローカー【吉田豊】の手口】を掲載しています! 5月号で南相馬市の医療・介護業界を振り回すブローカー・吉田豊氏についてリポートしたところ、同氏が運営に携わった施設の元スタッフや同氏をよく知る人物から「被害者が何人もいる」と情報提供があった。公的機関は被害者救済に及び腰だ。 【目次】 被害報告多数も公的機関は及び腰 職員への賃金未払いが横行 吉田氏を直撃 「ここは本当に法治国家なのか」 【政経東北】販売店一覧 政経東北6月号をBASEで購入する
2022年10月12日付の福島民友に震災・原発事故当時、原町区役所長だった元職員の発言や行動を紹介する記事が載った。しかし、その内容は〝真っ赤なウソ〟だった。 裏取り怠った記者に市OBが憤慨 記事は「緊急時避難準備区域 残る市民置いてはいけず」という見出しで、震災・原発事故当時、原町区役所長を務めていた鈴木好喜氏の発言や行動を紹介している。 どんなことが書かれていたか、一部抜粋する。 《南相馬市は、市役所が緊急時避難準備区域に入ったが、行政機能をそのまま残す道を選択した。「避難できない市民を置いてはいけない。(移転には)賛成しかねる」。当時、市原町区役所長だった鈴木好喜さん(71)は市役所機能の一部を残して職員は市内にとどまるよう桜井勝延市長に進言した》 《市執行部内で「行政機能も移転すべきではないか」との議論が持ち上がった。それでは、避難できず、残された市民のケアはどうするのか―。幹部会議で口火を切ったのは鈴木さんだった。「健康状態が悪い人や体が不自由な人は自宅に残らざるを得ない。行政機能を残すにしても支所、出張所として市役所に一定の機能を残すべきだ」と主張。市は最終的に、行政機能をとどめる方針を決定した》 福島第一原発に近い双葉郡の町村は、全住民を避難させるとともに行政機能を他の自治体に移転したが、南相馬市は小高区の全住民を中心に避難させたものの、市役所はその場(原町区)にとどめた。 同紙の記事によれば、当時の桜井市長がそれを決定したのは、原町区役所長だった鈴木氏の進言があったから、というわけ。 ウソに憤慨するOBたち 「とんでもないデタラメ。よくこんなウソが言えるなと、記事を読んで呆れ返った」 そう話すのはある市役所OB。OBたちの間では今、この記事に強く憤慨しているという。 「鈴木氏は原発事故後、真っ先に市外へと避難した。そんな人が『市役所機能を残せ』などと偉そうなことを言うはずがない。当時を知る職員が見たら即ウソとバレる内容を、よく堂々と話せたものです」(同) 前稿に登場した桜井氏にも確認してみた。 「記事をそのまま読むと、市役所機能が市内にとどまったのは鈴木氏の進言のおかげ、となるが、そうした事実はない」 桜井氏によると、鈴木氏は当時、県外の避難所を回ると称して市内にいなかったという。市民をバスなどで市外に避難させた後、桜井氏は秘書課職員と運転手の計3人で、避難者を受け入れてくれた自治体に挨拶回りをしたが、新潟県妙高市を訪ねた際、現地のビジネスホテルに着くと駐車場に見覚えのある車が停まっていたという。当時、鈴木氏が乗っていた車だった。 すると、翌日の朝食会場で鈴木氏に遭遇。桜井氏が「こんなところで何をしているのか」と尋ねると、鈴木氏は「避難者を受け入れてくれた自治体を訪ね歩いて、お礼を言っている」と説明した。しかし、各地の首長に直接会って挨拶していた桜井氏に対し、鈴木氏はどこの自治体の誰に会っていたか定かでなく、市役所が公務として命じたこともなければ、鈴木氏から復命書が提出されたわけでもなかった。 「私が市役所機能を市内にとどめると決めたのは3月20日です。あの時、私の決定に賛同する幹部職員はほとんどいなかったが、そもそも鈴木氏は避難してその場にすらいなかったので、彼から進言を受けることはあり得ない」(桜井氏) では、鈴木氏はなぜ福島民友にあんなウソをついたのか。真意を確かめるため、原町区内にある鈴木氏の自宅に文書で質問を送ったが、本稿締め切りまでに返答はなかった。 市役所OBや桜井氏は、鈴木氏だけでなく、記事を掲載した同紙にも強く憤っている。確認すればすぐにウソと分かる発言を、なぜ真に受けたのか。桜井氏も同紙に「きちんと裏取りしたのか」と抗議したが、記事執筆から掲載までの経緯は説明がなかったという。 同紙に事実関係を尋ねると、担当者は次のようにコメントした。 「記事は取材に基づき書かれたものとご理解ください」 ウソをついた鈴木氏に問題の根源があることは言うまでもないが、それをそのまま記事にして市民に誤解を与えた同紙も反省すべきだろう。 あわせて読みたい 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会
任期満了に伴う南相馬市議選に元市長の桜井勝延氏(66)が立候補を表明した。もともと市議を務めていたが、市長選で二度落選後、市議に出戻るのは極めて異例だ。 低迷する投票率のアップを目指す 南相馬市議会(HPより) 市議選(定数22)は2022年11月13日告示、同20日投開票で行われ、同年10月下旬現在25人程度が立候補する模様だ。 立候補予定者説明会は同年10月4日に開かれ、現職19人、新人2人が出席したが、この時、桜井氏の陣営からは誰も出席しなかった。ただ、同年9月下旬には立候補を決意し、後援会長などに挨拶を済ませていた。 当の桜井氏がこう話す。 「2022年1月の市長選に落選後、多くの方から『市議選に挑むべきだ』という声をかけてもらったが、親族の入院などが重なり選挙のことを考える余裕がなかった。しかし、お盆過ぎに退院し、ようやく落ち着いたタイミングで再度熱心に声をかけてもらい、出馬を決意した」(以下、断りがない限りコメントは桜井氏) 旧原町市議を1期、南相馬市議を2期務め、2010年から市長を2期務めた桜井氏。8年間の任期中は大半を震災・原発事故対応に費やしたが、18、22年の市長選で現市長の門馬和夫氏(68)に敗れた。 その間には国政への誘いもあったが、桜井氏は見向きもせず「脱原発をめざす首長会議」世話人として各地の現・元首長たちと脱原発に向けた活動をするなど、一貫して地方政治の立場から国に物申してきた。 「市長選は落選したが、2018年は1万6293票、22年は1万5625票を投じてもらった。ここで市政を投げ出し国政に転じれば、市民から『市民を見放した』『市長をステップに国会議員になりたかっただけ』と言われてしまう。市民に、市政に対する諦めの気持ちを抱かせないためにも地方政治にこだわりたいと思った」 とはいえ、たとえ僅差でも門馬氏に連敗したのは事実。市内には熱烈な支持者が大勢いるが、それと同じくらい〝反桜井〟の有権者もいる。二度目の落選後に「もう応援はこりごり」と離れた元支持者もいる。そういった人たちからは、今回の桜井氏の決断に「市長がダメだから市議なんて虫が良すぎる」「市議を踏み台に、また市長選に挑むつもりなんだろう」「どうせ報酬目当て」と辛辣な声も聞かれる。 一方で、桜井氏のもとには未だに市民から多くの相談が寄せられている。市立総合病院の診療・入院に関すること、災害対応に関すること、子育て支援に関すること――等々、市民が日常生活に困っている姿を日々目の当たりにしている。 市職員からも現市政を憂うメールが頻繁に届く。中堅・若手職員からは「今の職場環境では『市民のために働く』というモチベーションが保てない」と早期退職を示唆する声も寄せられている。 「市政に関心持ってほしい」 「市議は22人もいるのに、市民や職員のことを分かっていない。市議会もチェック機能が働かず、執行部の追認機関と化している。これでは市民の暮らしの改善につながらない」 ただ、市長選で1万票以上獲得している桜井氏が、1000票あれば悠々と当選できる市議選で落選する姿は想像できない。市民の関心は、桜井氏が何票獲得するかだろう。 ちなみに前回(2018年11月18日投開票)の市議選で、1位当選の得票数は2658票。しかし、桜井氏の口からは票数に関する話題は一切出てこない。桜井氏が強く意識するのは投票率だ。 「市議選出馬を決めた後、市内を挨拶回りしたら『えっ、市議選があるの?』『投票日はいつ?』と言う人がとても多かった」 要するに、市民は市議会(市議)に関心がないことを知り、桜井氏はショックを受けた。 「なぜ関心がないのか。それは市議会・議員に魅力がないからです。例えば、その商品に魅力があれば客は競うように買い求めるが、魅力がなければ見向きもしない。今の市議会・市議はそれと同じで、市民にとって魅力がないのでしょう。だから市議選の投票率も上がらない」 市長選と市議選の投票率を比べると、有権者の関心の違いがよく分かる。(日付は投開票日、人数は当日有権者数) 2014年 市長選(1月19日)―62・82%、5万3943人 市議選(11月16日)―59・10%、5万3828人 2018年 市長選(1月21日)―62・39%、5万2933人 市議選(11月18日)―55・91%、5万2376人 2022年 市長選(1月23日)―63・75%、5万0972人 市議選の投票率は下がっているが、2018年と22年の市長選は同じ顔ぶれでも1・36㌽上がっている。それだけ市民の関心が高かったということだろう。 「私は市長時代も落選後も市議選で応援マイクを握った。しかし、その候補者たちの得票数を合わせても私の市長選の得票数には及ばない。市議選も市長選と同じくらい関心を集め、候補者に魅力があればもっと得票してもいいのにそうならないのは、市民が投票に行かないか、票が別の人に逃げているかのどちらか。立候補予定者はこうした有権者の投票行動に危機感を持つべきです」 市議の多くは「桜井氏が出れば自分の票が減る」と警戒感を露わにしている。しかし、その市議が普段から支持を得ていれば、たとえ桜井氏が立候補しても、有権者はその市議に投票するはず。要するに、その市議がこれまでどういう活動をして、有権者がそれをどう評価しているかが今回の得票数に表れる、と。 「もちろん、選挙後の私自身の活動も問われる。意識しなければならないのは、市長選も市議選も投票に行かない『市政に無関心な市民』です。そういう人たちに、いかに市政に関心を持ってもらうか。国政や県政と比べて市政にできることは限られるかもしれないが、市民に最も身近だからこそ、きちんとやらなければ市民生活に及ぼす影響は大きいのです。市民には、とにかく市政に関心を持ってほしい。そのきっかけとなれるように今は市議選に全力を注ぎ、投票率アップにつなげたい」 若い世代の低投票率や若手候補者の少なさが課題となる中、市議と市長を経験し、66歳の桜井氏が立候補するのは「時代に逆行している」という批判もある。批判を跳ね返すには、投票率アップや市政に無関心な市民を引き付けるなど、さまざまな難題をクリアするほかない。 【結果】第5回南相馬市議会議員一般選挙(2022(令和4)年11月20日執行) 第5回南相馬市議会議員一般選挙 選挙結果 あわせて読みたい 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会
南相馬市の医療・福祉業界関係者から「関わってはいけないヒト」と称される人物がいる。さまざまな企業に医療・福祉施設の計画を持ち掛け、ことごとく頓挫。集めた医師・スタッフは給与未払いに耐え切れず退職、協力した企業は損失を押し付けられ、至る所でトラブルになっている。被害に遭った人たちは口を閉ざすばかり。一体どんな人物なのか。 施設計画持ちかけ複数企業が損失 吉田氏の逮捕を報じる新聞記事(デーリー東北2007年4月28日付) 「吉田豊氏について『政経東北』を含めどのマスコミも触れないけど、何か理由があるのかい?」。4月上旬、南相馬市内の経済人からこんな話を持ち掛けられた。 南相馬市内で医療・福祉施設建設計画を持ち掛け、支援を募っては計画が頓挫し、複数の企業が損失を被っているというのだ。吉田氏は青森県出身の元政治家で、数年前から南相馬市内で暮らしているという。 事実確認のため複数の関係者に接触したが、結論から言うと、誰も口を開こうとしなかった。「現在係争中なのでコメントは控えたい」、「ほかに影響が及ぶのを避けたい」、「もう関わり合いたくない」というのが理由だった。 せめて一言だけでもと食い下がると、「とにかく裏切られたという思い」、「業界内では『関わってはいけないヒト』と評判だ」という答えが並んだ。誌面では書けない言葉で吉田氏を罵倒した人もいる。 ある人物は匿名を条件に次のように語った。 「医療・福祉の充実という理念を掲げ、補助金がもらえそうな事業計画を企業に持ち掛け出資させる。ただ、ブローカー的な役割に終始し、その後の運営は二の次になるのでトラブルになる。表舞台には決して立とうとせず、ほかの人物や企業を前面に立たせる。だから、結局、何かあっても吉田氏が責任を取ることはない」 関係者の意向を踏まえ、本稿では具体的な企業名・施設名などを伏せるが、市内の事情通の話や裁判資料などの情報を統合すると、吉田氏をめぐり少なくとも以下のようなトラブルが発生していた。 〇市内にクリニックを開設する計画を立て、賃貸料を支払う契約で地元企業に建設させた。だが、当初から賃貸料の未払いが続き契約解除となり、現在は未払い分の支払いを求めて訴えられている。 〇ほかの医療機関や介護施設から医師・職員を高額給与で引き抜いたが、賃金未払いが続き、加えてブラックな職場環境だったため、相次いで退職。施設が運営できなくなり、休業している。 〇市内企業を巻き込んで、数十億円規模のサービス付き高齢者向け住宅建設計画やバイオマス焼却施設計画なども進めようとしていたが、いずれも実現していない。 吉田氏が一方的に嫌われ悪く言われている可能性もゼロではないが、話を聞いたすべての人が良く言わず、企業が泣き寝入りしている様子もうかがえた。吉田氏は現在公人ではないが、こうした事実を踏まえ、誌面で取り上げるのは公益性・公共性が高いと判断した。 吉田氏とはどういう人物なのか。過去の新聞記事などを遡って調べたところ、青森県上北町(現東北町)出身で、同町議を2期務めていた。 《八戸市内の私立高校(※編集部注・現在の八戸学院光星高校)を卒業後、県選出の代議士や県議らの下で政治を学び、1991年の町議選に32歳で初当選した。医療と福祉の充実を掲げ、医師を招いて自宅近くに内科・歯科医院を開業するなど精力的だった》(デーリー東北1999年4月23日付) 吉田氏が個人で運営していた「あさひクリニック」の一部を母体に「医療法人秀豊会」が立ち上げられ、有床診療所を運営しているほか、関係会社が高齢者・障害者向け住宅賃貸サービス、在宅介護、訪問診療を行っている(現在は医療法人瑞翔会に名称変更している)。吉田氏は登記簿上は役員から外れていたが、実質的なオーナーだったという。 1999年4月、上北町議2期目途中、青森県議選・上北郡選挙区に推薦なしの無所属で立候補したが、6候補者中6番目の得票数(9545票)で落選した。その後、有権者に現金5万円を渡し投票と票の取りまとめを依頼、さらに60人以上の有権者に計142万円を配って買収工作を行ったとして、公職選挙法違反(現金買収)の疑いで逮捕された。 《今年1月ごろから「吉田陣営は派手に買収に動いているようだ」とのうわさが一部に広がり出していた。「福祉に対する熱意が感じられる」として3月上旬まで同容疑者の応援を続けていた県内のある大学教授が、「金にまつわるうわさを聞いて失望した」と、告示の約3週間前に同陣営とのかかわりを断ち切るというトラブルもあった》 《(※編集部注・吉田氏が実質オーナーだった医療法人グループについて)最近では、老人保健施設や特別養護老人ホーム建設の計画を声高にうたっていた。しかし、老健施設の建設予定地の農地転用の手続きに絡み、町農業委員会の転用許可が下りる前に予定地の一部を更地にして厳重注意を受けるなど、周囲からは吉田容疑者ら経営幹部たちの強引な手法を指摘する声も上がっていた》(いずれもデーリー東北1999年4月23日付) 吉田氏は懲役2年6月、執行猶予5年の有罪判決を受け、「今後は選挙にかかわらない」と誓っていた。ところが、5年間の公民権停止期間が明けると2007年4月の県議選に再び立候補。結果は、7候補者中6番目の得票数(4922票)で落選した。 立候補表明時には「住民が安心して暮らせる地域づくりを目指し、地元の医療環境を整備したい」と訴え、「派手な選挙は行わない。地道に政策を訴えたい」と話していた吉田氏。だが選挙後、3人の運動員に計76万円を渡し投票と票の取りまとめを依頼していたとして、再び公職選挙法違反の疑いで逮捕された。 《「8年前は大変ご迷惑をお掛けしました」―選挙運動中、マイクを握った吉田容疑者はこの言葉から口を開き、自身を含む計6人が公選法違反で逮捕された前々回の県議選と同じ轍は踏まない―との意気込みを見せていた。しかし自身の逮捕により、今回の逮捕者は計8人と前々回を上回る結果となった》(デーリー東北2007年4月28日付) 呆れた過去に驚かされるが、吉田氏自身は2度の前科を特に隠してはいないようで、周囲に話すネタにしているフシさえあるという。 官僚・政治家人脈を強調 吉田氏の言動を間近で見てきたという人物は「どう見ても怪しいが、外見は紳士的で、初対面だと社会的地位の高い人に見えてしまう。見抜くのは難しい」と語る。 「藤丸敏衆院議員(4期、福岡7区、自民党)の事務所に出入りしており、私も一度案内されたことがあった。話している感じも違和感はなく、過去を知らなければすっかり信用してしまうと思う」 藤丸氏は古賀誠元衆院議員の秘書を務めていた。そのため、「秘書時代のつながりではないか」と指摘する声もある。しかし、「〇〇議員の秘書とはしょっちゅう連絡を取っている」と至るところで吹聴しているようなので、真偽は分からない。 中央官僚ともパイプを持っていると盛んにアピールしているようだが、浜通りの政治家によると、「『誰と会っているのか教えてくれたら私からも話をする』と知り合いの官僚の名前を出したら、急にしどろもどろになって話をはぐらかした」のだとか。別の経済人からも同様の声が聞かれた。市町村長クラスと会える場所にはよく顔を出すという話もある。 複数の関係者によると、吉田氏はトラブル後も同市内で暮らし続けているが、具体的な居場所は分からないようで、「住所を特定されないように宿泊施設を転々としている」、「プレハブ小屋を事務所代わりにしている」「建設に関わった同市原町区のクリニックを拠点としている」などと囁かれている。 名前の挙がったクリニックを訪ねたところ、扉に「休業中」の札がかかっていたが、電気は付いており、中で事務作業をしている人がいた。吉田豊氏について尋ねると、その人は「吉田という患者はいるが、吉田豊という名前は聞いたこともない。私はこのクリニックの建設に当初から関わっているが、ちょっと分からない」と話した。休業の理由については「医師が退職し、現在募っているため」という。 手紙には返答なし 念のため、同クリニック宛てに吉田豊氏に向けた手紙を送り、裁判所で閲覧した資料に掲載されていた青森県の自宅住所にも送ったが、期日までに回答はなかった。なお、吉田氏に未払い賃金の支払いを求めている人物の代理人によると、内容証明を送っても何の返答もない、とのこと。吉田氏本人の主張は残念ながら聞くことができなかった。 ちなみに、青森県六戸町の現職町長・吉田豊氏は同姓同名の別人物。また、南相馬市内にも同姓同名の医師がおり、業界関係者の間でも混乱することが多々あるという。実際、記者も同市内で最初に話を聞いたときは「町長までやった奴が南相馬で問題を起こしている」と誤って教えられた。 そのためかネット検索しても、関連情報がヒットしにくい。こうした事情も、吉田氏のトラブルが表に出てこない要因のようだ。 吉田氏に翻弄されたという男性は「これ以上被害者が増えてほしくない。こういう人物に近付いてはならないと警鐘を鳴らす意味でも政経東北で取り上げるべきだ」と話した。そうした声を踏まえ、不確定な部分が多かったが記事にした次第。 クリニック開業の際、医師が確保できていないのに認可するなど、保健所をはじめとした公的機関の無策を嘆く声も聞かれたが、一方で、吉田氏の動きはしっかりマークしているとのウワサも聞こえている。ひとまずはその動きをウオッチしながら〝自衛〟していく必要がある。 政経東北6月号で続報【南相馬で暗躍する悪徳ブローカー【吉田豊】の手口】を掲載しています! 5月号で南相馬市の医療・介護業界を振り回すブローカー・吉田豊氏についてリポートしたところ、同氏が運営に携わった施設の元スタッフや同氏をよく知る人物から「被害者が何人もいる」と情報提供があった。公的機関は被害者救済に及び腰だ。 【目次】 被害報告多数も公的機関は及び腰 職員への賃金未払いが横行 吉田氏を直撃 「ここは本当に法治国家なのか」 【政経東北】販売店一覧 政経東北6月号をBASEで購入する
2022年10月12日付の福島民友に震災・原発事故当時、原町区役所長だった元職員の発言や行動を紹介する記事が載った。しかし、その内容は〝真っ赤なウソ〟だった。 裏取り怠った記者に市OBが憤慨 記事は「緊急時避難準備区域 残る市民置いてはいけず」という見出しで、震災・原発事故当時、原町区役所長を務めていた鈴木好喜氏の発言や行動を紹介している。 どんなことが書かれていたか、一部抜粋する。 《南相馬市は、市役所が緊急時避難準備区域に入ったが、行政機能をそのまま残す道を選択した。「避難できない市民を置いてはいけない。(移転には)賛成しかねる」。当時、市原町区役所長だった鈴木好喜さん(71)は市役所機能の一部を残して職員は市内にとどまるよう桜井勝延市長に進言した》 《市執行部内で「行政機能も移転すべきではないか」との議論が持ち上がった。それでは、避難できず、残された市民のケアはどうするのか―。幹部会議で口火を切ったのは鈴木さんだった。「健康状態が悪い人や体が不自由な人は自宅に残らざるを得ない。行政機能を残すにしても支所、出張所として市役所に一定の機能を残すべきだ」と主張。市は最終的に、行政機能をとどめる方針を決定した》 福島第一原発に近い双葉郡の町村は、全住民を避難させるとともに行政機能を他の自治体に移転したが、南相馬市は小高区の全住民を中心に避難させたものの、市役所はその場(原町区)にとどめた。 同紙の記事によれば、当時の桜井市長がそれを決定したのは、原町区役所長だった鈴木氏の進言があったから、というわけ。 ウソに憤慨するOBたち 「とんでもないデタラメ。よくこんなウソが言えるなと、記事を読んで呆れ返った」 そう話すのはある市役所OB。OBたちの間では今、この記事に強く憤慨しているという。 「鈴木氏は原発事故後、真っ先に市外へと避難した。そんな人が『市役所機能を残せ』などと偉そうなことを言うはずがない。当時を知る職員が見たら即ウソとバレる内容を、よく堂々と話せたものです」(同) 前稿に登場した桜井氏にも確認してみた。 「記事をそのまま読むと、市役所機能が市内にとどまったのは鈴木氏の進言のおかげ、となるが、そうした事実はない」 桜井氏によると、鈴木氏は当時、県外の避難所を回ると称して市内にいなかったという。市民をバスなどで市外に避難させた後、桜井氏は秘書課職員と運転手の計3人で、避難者を受け入れてくれた自治体に挨拶回りをしたが、新潟県妙高市を訪ねた際、現地のビジネスホテルに着くと駐車場に見覚えのある車が停まっていたという。当時、鈴木氏が乗っていた車だった。 すると、翌日の朝食会場で鈴木氏に遭遇。桜井氏が「こんなところで何をしているのか」と尋ねると、鈴木氏は「避難者を受け入れてくれた自治体を訪ね歩いて、お礼を言っている」と説明した。しかし、各地の首長に直接会って挨拶していた桜井氏に対し、鈴木氏はどこの自治体の誰に会っていたか定かでなく、市役所が公務として命じたこともなければ、鈴木氏から復命書が提出されたわけでもなかった。 「私が市役所機能を市内にとどめると決めたのは3月20日です。あの時、私の決定に賛同する幹部職員はほとんどいなかったが、そもそも鈴木氏は避難してその場にすらいなかったので、彼から進言を受けることはあり得ない」(桜井氏) では、鈴木氏はなぜ福島民友にあんなウソをついたのか。真意を確かめるため、原町区内にある鈴木氏の自宅に文書で質問を送ったが、本稿締め切りまでに返答はなかった。 市役所OBや桜井氏は、鈴木氏だけでなく、記事を掲載した同紙にも強く憤っている。確認すればすぐにウソと分かる発言を、なぜ真に受けたのか。桜井氏も同紙に「きちんと裏取りしたのか」と抗議したが、記事執筆から掲載までの経緯は説明がなかったという。 同紙に事実関係を尋ねると、担当者は次のようにコメントした。 「記事は取材に基づき書かれたものとご理解ください」 ウソをついた鈴木氏に問題の根源があることは言うまでもないが、それをそのまま記事にして市民に誤解を与えた同紙も反省すべきだろう。 あわせて読みたい 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会
任期満了に伴う南相馬市議選に元市長の桜井勝延氏(66)が立候補を表明した。もともと市議を務めていたが、市長選で二度落選後、市議に出戻るのは極めて異例だ。 低迷する投票率のアップを目指す 南相馬市議会(HPより) 市議選(定数22)は2022年11月13日告示、同20日投開票で行われ、同年10月下旬現在25人程度が立候補する模様だ。 立候補予定者説明会は同年10月4日に開かれ、現職19人、新人2人が出席したが、この時、桜井氏の陣営からは誰も出席しなかった。ただ、同年9月下旬には立候補を決意し、後援会長などに挨拶を済ませていた。 当の桜井氏がこう話す。 「2022年1月の市長選に落選後、多くの方から『市議選に挑むべきだ』という声をかけてもらったが、親族の入院などが重なり選挙のことを考える余裕がなかった。しかし、お盆過ぎに退院し、ようやく落ち着いたタイミングで再度熱心に声をかけてもらい、出馬を決意した」(以下、断りがない限りコメントは桜井氏) 旧原町市議を1期、南相馬市議を2期務め、2010年から市長を2期務めた桜井氏。8年間の任期中は大半を震災・原発事故対応に費やしたが、18、22年の市長選で現市長の門馬和夫氏(68)に敗れた。 その間には国政への誘いもあったが、桜井氏は見向きもせず「脱原発をめざす首長会議」世話人として各地の現・元首長たちと脱原発に向けた活動をするなど、一貫して地方政治の立場から国に物申してきた。 「市長選は落選したが、2018年は1万6293票、22年は1万5625票を投じてもらった。ここで市政を投げ出し国政に転じれば、市民から『市民を見放した』『市長をステップに国会議員になりたかっただけ』と言われてしまう。市民に、市政に対する諦めの気持ちを抱かせないためにも地方政治にこだわりたいと思った」 とはいえ、たとえ僅差でも門馬氏に連敗したのは事実。市内には熱烈な支持者が大勢いるが、それと同じくらい〝反桜井〟の有権者もいる。二度目の落選後に「もう応援はこりごり」と離れた元支持者もいる。そういった人たちからは、今回の桜井氏の決断に「市長がダメだから市議なんて虫が良すぎる」「市議を踏み台に、また市長選に挑むつもりなんだろう」「どうせ報酬目当て」と辛辣な声も聞かれる。 一方で、桜井氏のもとには未だに市民から多くの相談が寄せられている。市立総合病院の診療・入院に関すること、災害対応に関すること、子育て支援に関すること――等々、市民が日常生活に困っている姿を日々目の当たりにしている。 市職員からも現市政を憂うメールが頻繁に届く。中堅・若手職員からは「今の職場環境では『市民のために働く』というモチベーションが保てない」と早期退職を示唆する声も寄せられている。 「市政に関心持ってほしい」 「市議は22人もいるのに、市民や職員のことを分かっていない。市議会もチェック機能が働かず、執行部の追認機関と化している。これでは市民の暮らしの改善につながらない」 ただ、市長選で1万票以上獲得している桜井氏が、1000票あれば悠々と当選できる市議選で落選する姿は想像できない。市民の関心は、桜井氏が何票獲得するかだろう。 ちなみに前回(2018年11月18日投開票)の市議選で、1位当選の得票数は2658票。しかし、桜井氏の口からは票数に関する話題は一切出てこない。桜井氏が強く意識するのは投票率だ。 「市議選出馬を決めた後、市内を挨拶回りしたら『えっ、市議選があるの?』『投票日はいつ?』と言う人がとても多かった」 要するに、市民は市議会(市議)に関心がないことを知り、桜井氏はショックを受けた。 「なぜ関心がないのか。それは市議会・議員に魅力がないからです。例えば、その商品に魅力があれば客は競うように買い求めるが、魅力がなければ見向きもしない。今の市議会・市議はそれと同じで、市民にとって魅力がないのでしょう。だから市議選の投票率も上がらない」 市長選と市議選の投票率を比べると、有権者の関心の違いがよく分かる。(日付は投開票日、人数は当日有権者数) 2014年 市長選(1月19日)―62・82%、5万3943人 市議選(11月16日)―59・10%、5万3828人 2018年 市長選(1月21日)―62・39%、5万2933人 市議選(11月18日)―55・91%、5万2376人 2022年 市長選(1月23日)―63・75%、5万0972人 市議選の投票率は下がっているが、2018年と22年の市長選は同じ顔ぶれでも1・36㌽上がっている。それだけ市民の関心が高かったということだろう。 「私は市長時代も落選後も市議選で応援マイクを握った。しかし、その候補者たちの得票数を合わせても私の市長選の得票数には及ばない。市議選も市長選と同じくらい関心を集め、候補者に魅力があればもっと得票してもいいのにそうならないのは、市民が投票に行かないか、票が別の人に逃げているかのどちらか。立候補予定者はこうした有権者の投票行動に危機感を持つべきです」 市議の多くは「桜井氏が出れば自分の票が減る」と警戒感を露わにしている。しかし、その市議が普段から支持を得ていれば、たとえ桜井氏が立候補しても、有権者はその市議に投票するはず。要するに、その市議がこれまでどういう活動をして、有権者がそれをどう評価しているかが今回の得票数に表れる、と。 「もちろん、選挙後の私自身の活動も問われる。意識しなければならないのは、市長選も市議選も投票に行かない『市政に無関心な市民』です。そういう人たちに、いかに市政に関心を持ってもらうか。国政や県政と比べて市政にできることは限られるかもしれないが、市民に最も身近だからこそ、きちんとやらなければ市民生活に及ぼす影響は大きいのです。市民には、とにかく市政に関心を持ってほしい。そのきっかけとなれるように今は市議選に全力を注ぎ、投票率アップにつなげたい」 若い世代の低投票率や若手候補者の少なさが課題となる中、市議と市長を経験し、66歳の桜井氏が立候補するのは「時代に逆行している」という批判もある。批判を跳ね返すには、投票率アップや市政に無関心な市民を引き付けるなど、さまざまな難題をクリアするほかない。 【結果】第5回南相馬市議会議員一般選挙(2022(令和4)年11月20日執行) 第5回南相馬市議会議員一般選挙 選挙結果 あわせて読みたい 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会