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(2022年8月号) 大熊町議会(定数12)6月定例会において、一般質問に登壇したのはわずか2人だった。福島第一原発の立地自治体である同町は、廃炉作業や中間貯蔵施設の行方、汚染水海洋放出、帰還者・移住者増加など課題が山積しているが、いま一つ議論が盛り上がっていない。 課題山積なのに議論低調のワケ https://www.youtube.com/watch?v=44XJKcGg8j4 大熊町議会 令和4年第2回定例会 第2日目(2022年6月9日) 6月9日、大熊町議会6月定例会の一般質問を傍聴に行った同町民から、次のような電話が寄せられた。 「福島第一原発や中間貯蔵施設、汚染水問題に関する議論を期待して、わざわざ同町大川原地区の役場まで足を運んだのですが、当日質問したのはわずか2人で、当たり障りのない質問だった。開始から1時間も経たずに散会になり、各議員は足早に帰っていったので呆れました」 同町議会ホームページに公開されている動画によると、6月定例会の一般質問に登壇したのは西山英壽町議(1期)、木幡ますみ町議(2期)。質問時間は2人合わせて24分だった。同町議会事務局によると、持ち時間は特に設定していないという。 質問内容は西山町議が「人間ドックなどの受診費用一部助成の提案」、「読書活動推進について」、木幡町議が「町ホームページの活用について」。同議会では「一括質問一括答弁方式」を採用しており、再質問は3回まで認められている。だが、西山町議は1回再質問しただけで質問を終え、木幡町議は再質問せずに終了した。他市町村の議会では、約1時間の持ち時間をフルに使って質問する議員がほとんどだ。 「議論の低調さに呆れた」と話す町民の声を議会はどう受け止めるのか。吉岡健太郎議長(5期)は次のように話した。 「6月定例会は年度が始まって間もないこともあって、例年質問者が少ないが、他の定例会では5、6人質問しています。全員協議会や国・県関連事業の担当職員によるレクなど、議論や質疑応答をする場が増えすぎて、一般質問であらためて質問することがないという事情もあると思います。時間が短いのは、一括質問一括答弁方式を採用していることも大きいです」 ちなみに、ここ1年の定例会一般質問の質問者数・時間は以下の通り。 21年6月=2人、34分 21年9月=6人、55分 21年12月=5人、52分 22年3月=5人、1時間9分 6月定例会以外は確かに5、6人が質問しているが、一人当たりの時間は10分程度。通告済みの質問と、町職員が考えた町長答弁を互いに読み上げ、再質問したところで終わる。「議論を尽くしている」と主張する吉岡議長だが、これでは〝活発な議論〟が行われているとは言えまい。 たとえ全員協議会や国・県関連事業のレクではしっかり議論していたとしても、それらは動画などで公開されているわけではなく、町民は目にする機会がない。一般質問の場で議論を尽くすことに意味があろう。 こうした意見に対し、吉岡議長は「全員協議会を公開する意味があるのか、という問題もある。本町議会の議会だよりには、全員協議会の様子を紹介するページも設けている」と主張し、どうにもかみ合わない。「議会を多くの人に見てもらう」という意識が抜け落ちている印象だ。 同町の町議は別表の通り。同町議会をウオッチしている事情通によると、「期数が若い町議が果敢に質問しようとすると、『その質問はここでする必要があるのか』と議長やベテラン議員に細かく指摘されるらしく、すっかり萎縮している。そのため『義務教育学校整備の是非』など分かりやすい論点があるとき以外は一般質問に登壇する議員が少ない」という(吉岡議長は「期数の若い議員にアドバイスすることはあるが、質問自体を否定するようなことは言っていない」と述べている)。 ある町議は「一括質問一括答弁方式だと、再質問の回数が制限され、町政課題について掘り下げられない。担当課長に自由に質問できる全員協議会やレクの方が、議論しやすいのは事実」と本音を明かした。 別の町議は「お祭りや会合などで地元の支持者に会って、いろんな声を聞き、それを一般質問で執行部に質すのがわれわれの仕事だった。原発事故を機に住民が全国に避難してしまったため、それができなくなったのが大きい」と話した。 ちなみに、双葉郡内の他の町村議会の6月定例会一般質問での質問者数は以下の通り。 広野町=8人(定数10) 楢葉町=4人(定数12) 富岡町=3人(定数10) 川内村=4人(定数10) 双葉町=4人(定数8) 浪江町=4人(定数16) 葛尾村=1人(定数8) 広野町、双葉町以外、過半数を割っていることが分かる。 質問者1人だった葛尾村の議会事務局担当者は次のように語った。 「震災・原発事故直後は村予算が数倍に膨れ上がり、新規事業も多かったので、質問者、質問項目ともに多かったですが、復興が進むにつれてどちらも減りつつあります。大熊町同様、全員協議会や担当職員レクで議論を尽くしていることも少なからず影響していると思います」 双葉郡全体で一般質問の〝形骸化〟が進んでいる格好だ。 「住民不在」のひずみ 大熊町大野駅 避難解除直後 そもそも、公選法では選挙区内に3カ月以上住んでいなければ地方議員の被選挙権がないといった「住所要件」が定められているのに、原発被災自治体の議員に限っては特例的に認められてきた(本誌2019年7月号参照)。そして、多くの住民が帰還していない中、文字通り「住民不在」の議会として運営することが許されてきた。そのひずみがいま現れているということだろう。 100年かかるとも言われる福島第一原発の廃炉作業、放射線量1マイクロシーベルト毎時の場所がざらにある環境、除染廃棄物の県外搬出の見通しが未だ立っていない中間貯蔵施設、溜まり続ける汚染水の海洋放出問題、原発被災自治体同士の合併、町内居住推計人口929人(町に住民登録がない人も含む)なのに大規模に進められる復興まちづくり……町は多くの課題に直面している。 6月30日には、JR大野駅周辺を含む特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された。今後は復興拠点以外の帰還困難区域の扱いが大きな議論になるだろう。そうした中、町民に見える場で、本質的な議論をできない議会は役割を果たしていると言い難い。 7月20日の同町議会臨時会では、義務教育学校「学び舎 ゆめの森」(整備費用27億2300万円)の完成が遅れているのに伴い、町執行部が仮設校舎整備費用の教育費1億2000万円を盛り込んだ一般会計補正予算案を提出した。だが、「費用が高すぎる」などの理由で賛成少数で否決され、補正予算案を一部変更する修正動議が可決された。同校は会津若松市で今年4月に開校し、来年度町内の新校舎に移る予定だが、同施設への入園・入学を希望しているのは約20人だという。 執行部に対し、議会が住民代表としての意思を示した格好。こうした対応ができるのなら、一般質問の在り方も見直し、改善を図るべきだ。 あわせて読みたい 子どもより教職員が多い大熊町の新教育施設【学び舎ゆめの森】 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル 営農賠償対象外の中間貯蔵農地所有者 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重
4月10日、大熊町の教育施設「学び舎(や)ゆめの森」が町内に開校した。義務教育学校と認定こども園が一体となった施設で、0~15歳の子どもたち26人が通う。 同日、同町大川原地区の交流施設「link(リンク)る大熊」で、入学式・始業式を兼ねた「始まりの式」が行われた。入場時には近くにある町役場の職員や町民約200人が広場に集まって子どもたちを出迎え、拍手で歓迎した。 吉田淳町長は「原発事故で厳しい状況になったが、会津若松市に避難しながら、途絶えることなく大熊町の教育を継続し、町内で教育施設を再開できるまでになった。少人数で学ぶ環境・メリットを生かし、学びの充実に取り組む」と式辞を述べた。 南郷市兵校長は「大熊から全国に先駆けた新たな学校教育に挑戦していく。一人ひとりの好奇心が枝を伸ばせば、夢の花を咲かせる大樹となる。ここからみんなの物語を生み出していきましょう」とあいさつした。 同町の学校は原発事故後、会津若松市で教育活動を続け、昨年4月には小中学校が一体となった義務教育学校「学び舎ゆめの森」が同市で先行して開校していた。大川原地区では事業費約45億円の新校舎が建設されているが、資材不足の影響で工期が遅れ、利用は2学期からにずれ込む見通し。それまでは「link(リンク)る大熊」など公共施設を間借りして授業を行う。なお、周辺の空間線量を測定したところ、0・1マイクロシーベルトを下回っていた。 なぜ子どもたちを同町の学校に入れようと考えたのが。保護者らに話を聞いてみると、「自分が大熊町出身で、子どもたちも大熊町で育てたいという気持ちがあった。仕事を辞めて家族で引っ越しした」という意見が聞かれた。その一方で、「出身は別のまちだが、仕事の関係で大熊町の職場に配属され、せっかくなので、子どもと一緒に転居することにした」という人もいた。 今後、廃炉作業が進み、浪江町の国際研究教育機構の活動が本格化していけば、人の動きが活発になることが予想される。そうした中で、同校があることは、同町に住む理由の一つになるかもしれない。同校教職員によると、会津若松市に義務教育学校があったときよりも児童・生徒数は増え、入学・転校の問い合わせも寄せられているという。 それぞれの保護者の決断は尊重したいが、「原発被災地の復興まちづくり」という視点でいうと、廃炉原発と中間貯蔵施設があるまちに、新たに事業費45億円をかけて新校舎を建てる必要があるとは思えない。 避難指示解除基準の空間線量3・8マイクロシーベルト毎時を下回っているものの、線量が高止まりとなっている場所も少なからずあり、住民帰還を疑問視する声もある。新聞やテレビは教育施設開校を一様に明るいトーンで報じていたが、こうした面にも目を向けるべきだ。 式の終わりに子どもたちと教職員が並んで記念写真を撮影したところ、子どもより教職員の人数の方が明らかに多かった(義務教育学校・認定こども園合計37人)。これが同町の現実ということだろう。 壇上に並ぶ「学び舎ゆめの森」の教職員 県教育庁義務教育課に確認したところ、「義務教育学校には小中の教員がいるのに加え、原発被災地12市町村には復興推進の目的で加配しているので、通常より多くなっていると思われる」とのことだった。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】旧避難区域のいま【2023年】写真 【座談会】放射能を測り続ける人たち【福島第一原発事故】
本誌2019年11月号に「大熊町議の暴言に憤る町民」という記事を掲載した。大熊町から県外に避難している住民が、議員から暴言を受けたとして、議会に懲罰を求めたことをリポートしたもの。その後、この件は裁判に発展していたことが分かった。一方で、この問題は単なる「議員と住民のトラブル」では片付けられない側面がある。 根底に避難住民の微妙な心理 大熊町役場 最初に、問題の発端・経過について簡単に説明する。 2019年11月号記事掲載の数年前、大熊町から茨城県に避難しているAさんは、町がいわき市で開催した住民懇談会に参加した。当時、同町は原発事故の影響で全町避難が続いており、今後の復興のあり方などについて、町民の意見を聞く場が設けられたのである。Aさんはその席で、渡辺利綱町長(当時)に、帰還困難区域の将来的な対応について質問した。 Aさんによると、その途中で後に町議会議員となる佐藤照彦氏がAさんの質問を遮るように割って入り、「町長が10年後のことまで分かるわけない」、「私は(居住制限区域に指定されている)大川原地区に帰れるときが来たら、いち早く帰りたいと思うし、町長には、大川原地区の除染だけではなく、さらに大熊町全域にわたり、除染を行ってもらいたい」旨の発言をしたのだという。 当時は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、2015年11月の町議選に立候補した。定数12に現職10人、新人3人が立候補した同町議選で、佐藤氏は432票を獲得、3番目の得票で初当選し、2019年に2回目の当選を果たしている。 【佐藤照彦】大熊町議(引用:議会だより) 一方、2019年4月10日に、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区の避難指示が解除された。 そんな経過があり、同年9月、Aさんは佐藤議員に対して過去の発言を質した。Aさんによると、そのときのやり取りは以下のようなものだった。 Aさん「以前の説明会で『戻れるようになったら戻る』と話していたが、なぜ戻らないのか」 佐藤議員「そんなことは言っていない。帰りたい気持ちはある」 Aさん「説明会であのように明言しておきながら、議員としての責任はないのか」 佐藤議員「状況が変わった」 そんな問答の中で、Aさんは佐藤議員からこんな言葉を浴びせられたのだという。 「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」 住民懇談会の際は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、公職(議員)に就いたこと、2019年4月10日に、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除されたことから、佐藤議員に帰還意向などの今後の対応を聞いたところ、暴言を吐かれたというのだ。 Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」と憤り、同年9月24日付で、鈴木幸一議長(当時)に「大熊町議会議員佐藤照彦氏の暴言に対する懲罰責任及び謝罪文の要求」という文書を出した。 そこには、佐藤議員から「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれたことに加え、「県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外避難している住民に対する排他的発言です」などと記されていた。 Aさんによると、その後、鈴木議長から口頭で「要求文」への回答があったという。 「内容は『発言自体は本人も認めているが、議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した』というものでした」(Aさん) 当時、本誌が議会事務局に確認したところ、次のような説明だった。 「(Aさんからの)懲罰等の要求を受け、議会運営委員会で協議した結果、議会外のことのため、懲罰等は難しいという判断になり、当人(佐藤議員)には、自分の発言には責任を持って対応するように、といった注意がありました。そのことを議長(当時)から、(Aさんに)お伝えしています」 ちなみに、鈴木議長はこの直後に同年11月の町長選に立候補するために議員を辞職した。そのため、以降のこの件は松永秀篤副議長がAさんへの説明などの対応をした。 一方、佐藤議員は当時の本誌取材にこうコメントした。 「議会開会時に(議場の外の)廊下で(Aさんに)会い、私に『帰ると言っていたのに』ということを質したかったようです。私は『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えました。それが真意です。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』ということを言っていますが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない。それは町民の方も理解していると思います」 弁護士から通告書 Aさんは「暴言を吐かれた」と言い、佐藤議員は「『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』と伝えたのであって、県外避難者を侮辱するようなことを言うはずがない」と主張する。 両者の言い分に食い違いがあり、本来であれば、佐藤議員からAさんに「誤解が招くような言い方だったとするなら申し訳なかった」旨を伝えれば、それで終わりになった可能性が高い。 ところが、その後、この問題は佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求めて訴訟を起こす事態に発展した。 その前段として、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届いた。 そこには、①「あんたら県外にいる人間には言われる筋合いはない」との発言はしていない、②Aさんは佐藤議員に対して謝罪を求める行為をしているが、そもそも前述の発言はしていないので、謝罪要求に応じる義務がないし、応じるつもりもない、③今後は佐藤議員に直接接触せず、代理人弁護士を通すこと――等々が記されていた。 「懲罰請求に対して、鈴木議長から回答があった数日後、松永副議長から電話があり(※前述のように、鈴木議長は町長選に立候補するために議員辞職した)、『議場外のため、議会としてはこれ以上は踏み込めないので、今後は、佐藤議員と話し合ってもらいたい』と言われました。ただ、いつになっても佐藤議員から謝罪等の話がないため、2020年4月17日に私から佐藤議員に電話をしたところ、15秒前後で一方的に切られました。それから間もなく、佐藤議員の代理人弁護士から内容証明で通告書(前述の文書)が届いたのです」(Aさん) Aさんはそれを拒否し、あらためて佐藤議員に接触を図ろうとしたところ、佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求める訴訟を起こしたのである。文書には「何らかの連絡、接触行為があった場合は法的措置をとる」旨が記されており、実際にそうなった格好だ。 一方、佐藤議員はこう話す。 「本来なら、話し合いで決着できることで、裁判なんてするような話ではありません。ただ、冷静に話し合いができる状況ではなかったため、そういう手段をとりました」 面談強要禁止を認める判決 こうして、この問題は裁判に至ったのである。 同訴訟の判決は昨年10月4日にあり、裁判所はAさんが佐藤議員に「自身の発言についてどう責任を取るのか」、「どのように対応するのか」と迫ったことに対する「面談強要禁止」を認める判決を下した。 この判決を受け、Aさんは「この程度で、『面談禁止』と言われたら、町民として議員に『あの件はどうなっているのか』と聞くこともできない」と話していた。 その後、Aさんは一審判決を不服として、昨年10月18日付で控訴した。控訴審判決は、3月14日に言い渡され、1審判決を支持し、Aさんの請求を棄却するものだった。 Aさんは不服を漏らす。 「裁判所の判断は、時間の長さや回数に関係なく、数分の接触行為が佐藤議員の受忍限度を超える人格権の侵害に当たるというものでした。要するに弁護士を介さずに事実確認を行ったことが不法行為であると判断されたのです。この判決からすると、議員等の地位にある人や、経済的に余裕がある人が自分に不都合があったら弁護士に委任し、話し合いをするにはこちらも弁護士に依頼するか、裁判等をしなければならないことになります。この『面談強要禁止』が認められてしまったら、資力がなければ一般住民は泣き寝入りすることになってしまう」 さらにAさんはこう続ける。 「懲罰請求をした際、当時の正副議長から『佐藤議員の不適切な発言に対し、議員としての発言に注意をするように促したほか、本人(佐藤議員)も迷惑をかけたと反省し、謝罪なども含め、適切に対応をしていくとのことだから、今後は佐藤議員と話し合ってもらいたい』旨を伝えられました。にもかかわらず、佐藤議員は真摯な謝罪や話し合いどころか、自らの不都合な事実から逃れるため、面談強要禁止まで行った。これは、佐藤議員の公職者(議員)としての資質以前に、社会人として倫理的に逸脱しており、さらにこのような事態にまで至った責任は、議会にも一因があると思います」 一方、佐藤議員は次のようにコメントした。 「話し合いの余地がなかったため、こういう手段(裁判)を取らざるを得ませんでした。裁判では真実を訴えました。結果(面談強要禁止を認める判決が下されたこと)がすべてだと思っています」 なお、問題の発端となった「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」発言については、前述のように両者の証言に食い違いがあるが、控訴審判決では「仮に被控訴人(佐藤議員)の発言が排他的発言として不適切と評価されるものであったとしても、被控訴人の申し入れに対して……」とある。要は、佐藤議員の発言が不適切なものであっても、申し入れ(代理人弁護士の通知書)に反して直接接触を図る合理的理由にはならないということだが、排他的発言の存在自体は否定していない。 ともかく、裁判という思わぬ事態に至ったこの問題だが、本誌が伝えたいのは、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは語れない側面があるということである。 問題の本質 大熊町内(2019年4月に解除された区域) 1つは議員の在り方。原発避難区域(解除済みを含む)の議員は厳密には公選法違反状態にある人が少なくない。というのは、地方議員は「当該自治体に3カ月以上住んでいる」という住所要件があるが、実際は当該自治体に住まず、避難先に生活拠点があっても被選挙権がある。2019年11月号記事掲載時の佐藤議員がまさにそうだった。「特殊な条件にあるから仕方がない」、「緊急措置」という解釈なのだろうが、そもそも議員自身が「違法状態」にあるのに、避難先がどうとか、帰る・帰らないについて、どうこう言える立場とは言えない。 もっとも、これは当該自治体に責任があるわけではない。むしろ、国の責任と言えよう。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じるべきだったが、それをしなかったからだ。 もう1つは避難住民の在り方。本誌がこの間の取材で感じているのは、原発事故の避難区域では、「遠くに避難した人は悪、近くに避難した人は善」、「帰還しなかった人は悪、帰還した人は善」といった空気が流れていること。明確にそういったことを口にする人は少ないが、両者には見えない壁があり、何となくそんな風潮が感じられるのだ。 実際、前段で少し紹介したように、Aさんが2019年に議会に提出した懲罰請求には次のように書かれている。 《佐藤議員の発言は請求人(Aさん)だけに対するもので収まる話ではなく、県外に避難している町民に対して、物事を指摘される道理なく「県外にいる町民は、物事を言うな」とも捉えられる発言であり、到底、看過することができない議員による問題発言です。まして、佐藤議員は、避難町民の代表であり、公職の議会議員である当該暴言は、一町民(Aさん)に対する暴言で済む話ではなく、佐藤議員の日頃の県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外の避難している住民に対する排他的発言です》 ここからも読み取れるように、この問題の根底には、避難区域の住民の微妙な心理状況が関係しているように感じられる。 もっと言うと、避難住民の在り方の問題もある。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。結果、避難者はそこに住んでいながら、当該自治体の住民ではない、として肩身の狭い思いをしてきた。 こうした問題や前述のような風潮を生み出したのも国の責任と言えよう。これについても、本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。 こうした側面から、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは片付けられないのが今回の問題なのだ。本誌としては、そこに目を向け、正しい方向に進むように今後も検証・報道していきたいと考えている。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重
(2022年8月号) 大熊町議会(定数12)6月定例会において、一般質問に登壇したのはわずか2人だった。福島第一原発の立地自治体である同町は、廃炉作業や中間貯蔵施設の行方、汚染水海洋放出、帰還者・移住者増加など課題が山積しているが、いま一つ議論が盛り上がっていない。 課題山積なのに議論低調のワケ https://www.youtube.com/watch?v=44XJKcGg8j4 大熊町議会 令和4年第2回定例会 第2日目(2022年6月9日) 6月9日、大熊町議会6月定例会の一般質問を傍聴に行った同町民から、次のような電話が寄せられた。 「福島第一原発や中間貯蔵施設、汚染水問題に関する議論を期待して、わざわざ同町大川原地区の役場まで足を運んだのですが、当日質問したのはわずか2人で、当たり障りのない質問だった。開始から1時間も経たずに散会になり、各議員は足早に帰っていったので呆れました」 同町議会ホームページに公開されている動画によると、6月定例会の一般質問に登壇したのは西山英壽町議(1期)、木幡ますみ町議(2期)。質問時間は2人合わせて24分だった。同町議会事務局によると、持ち時間は特に設定していないという。 質問内容は西山町議が「人間ドックなどの受診費用一部助成の提案」、「読書活動推進について」、木幡町議が「町ホームページの活用について」。同議会では「一括質問一括答弁方式」を採用しており、再質問は3回まで認められている。だが、西山町議は1回再質問しただけで質問を終え、木幡町議は再質問せずに終了した。他市町村の議会では、約1時間の持ち時間をフルに使って質問する議員がほとんどだ。 「議論の低調さに呆れた」と話す町民の声を議会はどう受け止めるのか。吉岡健太郎議長(5期)は次のように話した。 「6月定例会は年度が始まって間もないこともあって、例年質問者が少ないが、他の定例会では5、6人質問しています。全員協議会や国・県関連事業の担当職員によるレクなど、議論や質疑応答をする場が増えすぎて、一般質問であらためて質問することがないという事情もあると思います。時間が短いのは、一括質問一括答弁方式を採用していることも大きいです」 ちなみに、ここ1年の定例会一般質問の質問者数・時間は以下の通り。 21年6月=2人、34分 21年9月=6人、55分 21年12月=5人、52分 22年3月=5人、1時間9分 6月定例会以外は確かに5、6人が質問しているが、一人当たりの時間は10分程度。通告済みの質問と、町職員が考えた町長答弁を互いに読み上げ、再質問したところで終わる。「議論を尽くしている」と主張する吉岡議長だが、これでは〝活発な議論〟が行われているとは言えまい。 たとえ全員協議会や国・県関連事業のレクではしっかり議論していたとしても、それらは動画などで公開されているわけではなく、町民は目にする機会がない。一般質問の場で議論を尽くすことに意味があろう。 こうした意見に対し、吉岡議長は「全員協議会を公開する意味があるのか、という問題もある。本町議会の議会だよりには、全員協議会の様子を紹介するページも設けている」と主張し、どうにもかみ合わない。「議会を多くの人に見てもらう」という意識が抜け落ちている印象だ。 同町の町議は別表の通り。同町議会をウオッチしている事情通によると、「期数が若い町議が果敢に質問しようとすると、『その質問はここでする必要があるのか』と議長やベテラン議員に細かく指摘されるらしく、すっかり萎縮している。そのため『義務教育学校整備の是非』など分かりやすい論点があるとき以外は一般質問に登壇する議員が少ない」という(吉岡議長は「期数の若い議員にアドバイスすることはあるが、質問自体を否定するようなことは言っていない」と述べている)。 ある町議は「一括質問一括答弁方式だと、再質問の回数が制限され、町政課題について掘り下げられない。担当課長に自由に質問できる全員協議会やレクの方が、議論しやすいのは事実」と本音を明かした。 別の町議は「お祭りや会合などで地元の支持者に会って、いろんな声を聞き、それを一般質問で執行部に質すのがわれわれの仕事だった。原発事故を機に住民が全国に避難してしまったため、それができなくなったのが大きい」と話した。 ちなみに、双葉郡内の他の町村議会の6月定例会一般質問での質問者数は以下の通り。 広野町=8人(定数10) 楢葉町=4人(定数12) 富岡町=3人(定数10) 川内村=4人(定数10) 双葉町=4人(定数8) 浪江町=4人(定数16) 葛尾村=1人(定数8) 広野町、双葉町以外、過半数を割っていることが分かる。 質問者1人だった葛尾村の議会事務局担当者は次のように語った。 「震災・原発事故直後は村予算が数倍に膨れ上がり、新規事業も多かったので、質問者、質問項目ともに多かったですが、復興が進むにつれてどちらも減りつつあります。大熊町同様、全員協議会や担当職員レクで議論を尽くしていることも少なからず影響していると思います」 双葉郡全体で一般質問の〝形骸化〟が進んでいる格好だ。 「住民不在」のひずみ 大熊町大野駅 避難解除直後 そもそも、公選法では選挙区内に3カ月以上住んでいなければ地方議員の被選挙権がないといった「住所要件」が定められているのに、原発被災自治体の議員に限っては特例的に認められてきた(本誌2019年7月号参照)。そして、多くの住民が帰還していない中、文字通り「住民不在」の議会として運営することが許されてきた。そのひずみがいま現れているということだろう。 100年かかるとも言われる福島第一原発の廃炉作業、放射線量1マイクロシーベルト毎時の場所がざらにある環境、除染廃棄物の県外搬出の見通しが未だ立っていない中間貯蔵施設、溜まり続ける汚染水の海洋放出問題、原発被災自治体同士の合併、町内居住推計人口929人(町に住民登録がない人も含む)なのに大規模に進められる復興まちづくり……町は多くの課題に直面している。 6月30日には、JR大野駅周辺を含む特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された。今後は復興拠点以外の帰還困難区域の扱いが大きな議論になるだろう。そうした中、町民に見える場で、本質的な議論をできない議会は役割を果たしていると言い難い。 7月20日の同町議会臨時会では、義務教育学校「学び舎 ゆめの森」(整備費用27億2300万円)の完成が遅れているのに伴い、町執行部が仮設校舎整備費用の教育費1億2000万円を盛り込んだ一般会計補正予算案を提出した。だが、「費用が高すぎる」などの理由で賛成少数で否決され、補正予算案を一部変更する修正動議が可決された。同校は会津若松市で今年4月に開校し、来年度町内の新校舎に移る予定だが、同施設への入園・入学を希望しているのは約20人だという。 執行部に対し、議会が住民代表としての意思を示した格好。こうした対応ができるのなら、一般質問の在り方も見直し、改善を図るべきだ。 あわせて読みたい 子どもより教職員が多い大熊町の新教育施設【学び舎ゆめの森】 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル 営農賠償対象外の中間貯蔵農地所有者 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重
4月10日、大熊町の教育施設「学び舎(や)ゆめの森」が町内に開校した。義務教育学校と認定こども園が一体となった施設で、0~15歳の子どもたち26人が通う。 同日、同町大川原地区の交流施設「link(リンク)る大熊」で、入学式・始業式を兼ねた「始まりの式」が行われた。入場時には近くにある町役場の職員や町民約200人が広場に集まって子どもたちを出迎え、拍手で歓迎した。 吉田淳町長は「原発事故で厳しい状況になったが、会津若松市に避難しながら、途絶えることなく大熊町の教育を継続し、町内で教育施設を再開できるまでになった。少人数で学ぶ環境・メリットを生かし、学びの充実に取り組む」と式辞を述べた。 南郷市兵校長は「大熊から全国に先駆けた新たな学校教育に挑戦していく。一人ひとりの好奇心が枝を伸ばせば、夢の花を咲かせる大樹となる。ここからみんなの物語を生み出していきましょう」とあいさつした。 同町の学校は原発事故後、会津若松市で教育活動を続け、昨年4月には小中学校が一体となった義務教育学校「学び舎ゆめの森」が同市で先行して開校していた。大川原地区では事業費約45億円の新校舎が建設されているが、資材不足の影響で工期が遅れ、利用は2学期からにずれ込む見通し。それまでは「link(リンク)る大熊」など公共施設を間借りして授業を行う。なお、周辺の空間線量を測定したところ、0・1マイクロシーベルトを下回っていた。 なぜ子どもたちを同町の学校に入れようと考えたのが。保護者らに話を聞いてみると、「自分が大熊町出身で、子どもたちも大熊町で育てたいという気持ちがあった。仕事を辞めて家族で引っ越しした」という意見が聞かれた。その一方で、「出身は別のまちだが、仕事の関係で大熊町の職場に配属され、せっかくなので、子どもと一緒に転居することにした」という人もいた。 今後、廃炉作業が進み、浪江町の国際研究教育機構の活動が本格化していけば、人の動きが活発になることが予想される。そうした中で、同校があることは、同町に住む理由の一つになるかもしれない。同校教職員によると、会津若松市に義務教育学校があったときよりも児童・生徒数は増え、入学・転校の問い合わせも寄せられているという。 それぞれの保護者の決断は尊重したいが、「原発被災地の復興まちづくり」という視点でいうと、廃炉原発と中間貯蔵施設があるまちに、新たに事業費45億円をかけて新校舎を建てる必要があるとは思えない。 避難指示解除基準の空間線量3・8マイクロシーベルト毎時を下回っているものの、線量が高止まりとなっている場所も少なからずあり、住民帰還を疑問視する声もある。新聞やテレビは教育施設開校を一様に明るいトーンで報じていたが、こうした面にも目を向けるべきだ。 式の終わりに子どもたちと教職員が並んで記念写真を撮影したところ、子どもより教職員の人数の方が明らかに多かった(義務教育学校・認定こども園合計37人)。これが同町の現実ということだろう。 壇上に並ぶ「学び舎ゆめの森」の教職員 県教育庁義務教育課に確認したところ、「義務教育学校には小中の教員がいるのに加え、原発被災地12市町村には復興推進の目的で加配しているので、通常より多くなっていると思われる」とのことだった。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】旧避難区域のいま【2023年】写真 【座談会】放射能を測り続ける人たち【福島第一原発事故】
本誌2019年11月号に「大熊町議の暴言に憤る町民」という記事を掲載した。大熊町から県外に避難している住民が、議員から暴言を受けたとして、議会に懲罰を求めたことをリポートしたもの。その後、この件は裁判に発展していたことが分かった。一方で、この問題は単なる「議員と住民のトラブル」では片付けられない側面がある。 根底に避難住民の微妙な心理 大熊町役場 最初に、問題の発端・経過について簡単に説明する。 2019年11月号記事掲載の数年前、大熊町から茨城県に避難しているAさんは、町がいわき市で開催した住民懇談会に参加した。当時、同町は原発事故の影響で全町避難が続いており、今後の復興のあり方などについて、町民の意見を聞く場が設けられたのである。Aさんはその席で、渡辺利綱町長(当時)に、帰還困難区域の将来的な対応について質問した。 Aさんによると、その途中で後に町議会議員となる佐藤照彦氏がAさんの質問を遮るように割って入り、「町長が10年後のことまで分かるわけない」、「私は(居住制限区域に指定されている)大川原地区に帰れるときが来たら、いち早く帰りたいと思うし、町長には、大川原地区の除染だけではなく、さらに大熊町全域にわたり、除染を行ってもらいたい」旨の発言をしたのだという。 当時は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、2015年11月の町議選に立候補した。定数12に現職10人、新人3人が立候補した同町議選で、佐藤氏は432票を獲得、3番目の得票で初当選し、2019年に2回目の当選を果たしている。 【佐藤照彦】大熊町議(引用:議会だより) 一方、2019年4月10日に、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区の避難指示が解除された。 そんな経過があり、同年9月、Aさんは佐藤議員に対して過去の発言を質した。Aさんによると、そのときのやり取りは以下のようなものだった。 Aさん「以前の説明会で『戻れるようになったら戻る』と話していたが、なぜ戻らないのか」 佐藤議員「そんなことは言っていない。帰りたい気持ちはある」 Aさん「説明会であのように明言しておきながら、議員としての責任はないのか」 佐藤議員「状況が変わった」 そんな問答の中で、Aさんは佐藤議員からこんな言葉を浴びせられたのだという。 「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」 住民懇談会の際は、佐藤氏は一町民の立場だったが、その後、公職(議員)に就いたこと、2019年4月10日に、居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示が解除されたことから、佐藤議員に帰還意向などの今後の対応を聞いたところ、暴言を吐かれたというのだ。 Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」と憤り、同年9月24日付で、鈴木幸一議長(当時)に「大熊町議会議員佐藤照彦氏の暴言に対する懲罰責任及び謝罪文の要求」という文書を出した。 そこには、佐藤議員から「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれたことに加え、「県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外避難している住民に対する排他的発言です」などと記されていた。 Aさんによると、その後、鈴木議長から口頭で「要求文」への回答があったという。 「内容は『発言自体は本人も認めているが、議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した』というものでした」(Aさん) 当時、本誌が議会事務局に確認したところ、次のような説明だった。 「(Aさんからの)懲罰等の要求を受け、議会運営委員会で協議した結果、議会外のことのため、懲罰等は難しいという判断になり、当人(佐藤議員)には、自分の発言には責任を持って対応するように、といった注意がありました。そのことを議長(当時)から、(Aさんに)お伝えしています」 ちなみに、鈴木議長はこの直後に同年11月の町長選に立候補するために議員を辞職した。そのため、以降のこの件は松永秀篤副議長がAさんへの説明などの対応をした。 一方、佐藤議員は当時の本誌取材にこうコメントした。 「議会開会時に(議場の外の)廊下で(Aさんに)会い、私に『帰ると言っていたのに』ということを質したかったようです。私は『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えました。それが真意です。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』ということを言っていますが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない。それは町民の方も理解していると思います」 弁護士から通告書 Aさんは「暴言を吐かれた」と言い、佐藤議員は「『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』と伝えたのであって、県外避難者を侮辱するようなことを言うはずがない」と主張する。 両者の言い分に食い違いがあり、本来であれば、佐藤議員からAさんに「誤解が招くような言い方だったとするなら申し訳なかった」旨を伝えれば、それで終わりになった可能性が高い。 ところが、その後、この問題は佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求めて訴訟を起こす事態に発展した。 その前段として、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届いた。 そこには、①「あんたら県外にいる人間には言われる筋合いはない」との発言はしていない、②Aさんは佐藤議員に対して謝罪を求める行為をしているが、そもそも前述の発言はしていないので、謝罪要求に応じる義務がないし、応じるつもりもない、③今後は佐藤議員に直接接触せず、代理人弁護士を通すこと――等々が記されていた。 「懲罰請求に対して、鈴木議長から回答があった数日後、松永副議長から電話があり(※前述のように、鈴木議長は町長選に立候補するために議員辞職した)、『議場外のため、議会としてはこれ以上は踏み込めないので、今後は、佐藤議員と話し合ってもらいたい』と言われました。ただ、いつになっても佐藤議員から謝罪等の話がないため、2020年4月17日に私から佐藤議員に電話をしたところ、15秒前後で一方的に切られました。それから間もなく、佐藤議員の代理人弁護士から内容証明で通告書(前述の文書)が届いたのです」(Aさん) Aさんはそれを拒否し、あらためて佐藤議員に接触を図ろうとしたところ、佐藤議員がAさんに対して「面談強要禁止」を求める訴訟を起こしたのである。文書には「何らかの連絡、接触行為があった場合は法的措置をとる」旨が記されており、実際にそうなった格好だ。 一方、佐藤議員はこう話す。 「本来なら、話し合いで決着できることで、裁判なんてするような話ではありません。ただ、冷静に話し合いができる状況ではなかったため、そういう手段をとりました」 面談強要禁止を認める判決 こうして、この問題は裁判に至ったのである。 同訴訟の判決は昨年10月4日にあり、裁判所はAさんが佐藤議員に「自身の発言についてどう責任を取るのか」、「どのように対応するのか」と迫ったことに対する「面談強要禁止」を認める判決を下した。 この判決を受け、Aさんは「この程度で、『面談禁止』と言われたら、町民として議員に『あの件はどうなっているのか』と聞くこともできない」と話していた。 その後、Aさんは一審判決を不服として、昨年10月18日付で控訴した。控訴審判決は、3月14日に言い渡され、1審判決を支持し、Aさんの請求を棄却するものだった。 Aさんは不服を漏らす。 「裁判所の判断は、時間の長さや回数に関係なく、数分の接触行為が佐藤議員の受忍限度を超える人格権の侵害に当たるというものでした。要するに弁護士を介さずに事実確認を行ったことが不法行為であると判断されたのです。この判決からすると、議員等の地位にある人や、経済的に余裕がある人が自分に不都合があったら弁護士に委任し、話し合いをするにはこちらも弁護士に依頼するか、裁判等をしなければならないことになります。この『面談強要禁止』が認められてしまったら、資力がなければ一般住民は泣き寝入りすることになってしまう」 さらにAさんはこう続ける。 「懲罰請求をした際、当時の正副議長から『佐藤議員の不適切な発言に対し、議員としての発言に注意をするように促したほか、本人(佐藤議員)も迷惑をかけたと反省し、謝罪なども含め、適切に対応をしていくとのことだから、今後は佐藤議員と話し合ってもらいたい』旨を伝えられました。にもかかわらず、佐藤議員は真摯な謝罪や話し合いどころか、自らの不都合な事実から逃れるため、面談強要禁止まで行った。これは、佐藤議員の公職者(議員)としての資質以前に、社会人として倫理的に逸脱しており、さらにこのような事態にまで至った責任は、議会にも一因があると思います」 一方、佐藤議員は次のようにコメントした。 「話し合いの余地がなかったため、こういう手段(裁判)を取らざるを得ませんでした。裁判では真実を訴えました。結果(面談強要禁止を認める判決が下されたこと)がすべてだと思っています」 なお、問題の発端となった「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」発言については、前述のように両者の証言に食い違いがあるが、控訴審判決では「仮に被控訴人(佐藤議員)の発言が排他的発言として不適切と評価されるものであったとしても、被控訴人の申し入れに対して……」とある。要は、佐藤議員の発言が不適切なものであっても、申し入れ(代理人弁護士の通知書)に反して直接接触を図る合理的理由にはならないということだが、排他的発言の存在自体は否定していない。 ともかく、裁判という思わぬ事態に至ったこの問題だが、本誌が伝えたいのは、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは語れない側面があるということである。 問題の本質 大熊町内(2019年4月に解除された区域) 1つは議員の在り方。原発避難区域(解除済みを含む)の議員は厳密には公選法違反状態にある人が少なくない。というのは、地方議員は「当該自治体に3カ月以上住んでいる」という住所要件があるが、実際は当該自治体に住まず、避難先に生活拠点があっても被選挙権がある。2019年11月号記事掲載時の佐藤議員がまさにそうだった。「特殊な条件にあるから仕方がない」、「緊急措置」という解釈なのだろうが、そもそも議員自身が「違法状態」にあるのに、避難先がどうとか、帰る・帰らないについて、どうこう言える立場とは言えない。 もっとも、これは当該自治体に責任があるわけではない。むしろ、国の責任と言えよう。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じるべきだったが、それをしなかったからだ。 もう1つは避難住民の在り方。本誌がこの間の取材で感じているのは、原発事故の避難区域では、「遠くに避難した人は悪、近くに避難した人は善」、「帰還しなかった人は悪、帰還した人は善」といった空気が流れていること。明確にそういったことを口にする人は少ないが、両者には見えない壁があり、何となくそんな風潮が感じられるのだ。 実際、前段で少し紹介したように、Aさんが2019年に議会に提出した懲罰請求には次のように書かれている。 《佐藤議員の発言は請求人(Aさん)だけに対するもので収まる話ではなく、県外に避難している町民に対して、物事を指摘される道理なく「県外にいる町民は、物事を言うな」とも捉えられる発言であり、到底、看過することができない議員による問題発言です。まして、佐藤議員は、避難町民の代表であり、公職の議会議員である当該暴言は、一町民(Aさん)に対する暴言で済む話ではなく、佐藤議員の日頃の県外避難者に対する偏見と差別の考えから発せられたものであることを否めず、福島第一原発の放射能事故により故郷を追われ、苦境の末、やむを得ず県外の避難している住民に対する排他的発言です》 ここからも読み取れるように、この問題の根底には、避難区域の住民の微妙な心理状況が関係しているように感じられる。 もっと言うと、避難住民の在り方の問題もある。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。結果、避難者はそこに住んでいながら、当該自治体の住民ではない、として肩身の狭い思いをしてきた。 こうした問題や前述のような風潮を生み出したのも国の責任と言えよう。これについても、本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。 こうした側面から、単なる「議員と住民のトラブル」だけでは片付けられないのが今回の問題なのだ。本誌としては、そこに目を向け、正しい方向に進むように今後も検証・報道していきたいと考えている。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重