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会津若松市

  • 【会津若松】神明通り廃墟ビルが放置されるワケ

     会津若松市の中心市街地に位置する商店街・神明通り沿いに、廃墟と化したビルがある。大規模地震で倒壊する危険性が高いと診断されており、近隣の商店主らは早期解体を求めているが、市の反応は鈍い。ビルにはアスベストが使われており、外部への飛散を懸念する声も強まっている。 近隣からアスベスト飛散を心配する声 廃墟のような外観の三好野ビル  神明通りと言えば、会津若松市中心市街地を南北に走る大通りだ。国道118号、国道121号など幹線道路の経路となっており、JR会津若松駅方面と鶴ヶ城方面を結ぶ。通り沿いの商店街には昭和30年代からアーケードが設けられ、大善デパート(後のニチイダイゼン)、若松デパート(後の中合会津店)、長崎屋会津若松店が相次いで出店。多くの人でにぎわった。  もっとも、近年は郊外化が進んだ影響で衰退が著しく、2つのデパートと長崎屋はいずれも撤退。映画館なども閉館し、食品スーパーのリオン・ドール神明通り店も閉店。人通りはすっかりまばらになった。コロナ禍でその傾向はさらに加速し、空きテナント、空きビルが目立つ。  そんな寂しい商店街の現状を象徴するように佇んでいるのが、神明通りの南側、中町フジグランドホテル駐車場に隣接する、通称「三好野ビル」だ。  鉄筋コンクリート・コンクリートブロック造、地下1階、地上7階建て。1962(昭和37)年に新築され、その名の通り「三好野」という人気飲食店が営業していた。同市内の経済人が当時を振り返る。  「本格的な洋食を提供するレストランで、和食・中華のフロアもあった。子どものころ、あの店で初めてビフテキやグラタンを食べたという人も多いのではないか。50代以上であればみんな知っている店だと思います。会津中央病院前にも店舗を出していました」  ただ、いまから20年ほど前に閉店し、一時的に中華料理店として復活したもののすぐに閉店。現在はビル全体が廃墟のようになっている。 壁には枯れたツタが絡まり、よく見ると至るところで壁が崩落。細かい亀裂も入っており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。市内の事情通によると、実際、中町フジグランドホテル駐車場に外壁の破片が落下したことがあり、「近くを通ると人や車に当たるかもしれない」と、同ホテルの負担で塀が設置された。外壁が崩れないようにネットでも覆われた。  ただその後も改善はされず、強化ガラスが窓枠から外れ、隣接する衣料品店の屋根に破片が突き刺さる事故も発生した。衣料品店の店主は次のように語る。  「朝、店に来たら床に雨水が溜まっていた。業者を呼んで雨漏りの原因を調べたら、隣のビルから落ちた大きなガラスの破片が原因だと分かったのです。もし歩行者に直撃していたら亡くなっていたと思います」  消防のはしご車が出動し、不安定な窓ガラスに外から板を張り付ける形で応急処置を施したが、近隣商店主の不安は募るばかりだ。  何より懸念されるのは、地震などが発生した際に倒壊するリスクだ。  県は耐震改修促進法に基づき、大地震発生時に避難路となる道路沿いの建築物が倒壊して避難を妨げることがないように、「避難路沿道建築物」に耐震診断を義務付けている。  会津若松市の場合、国道118号北柳原交差点(一箕町大字亀賀=国道49号と国道118号・国道121号が交わる交差点)から同国道門田町大字中野字屋敷地内(門田小学校、第五中学校周辺)までの区間が「大地震時に円滑な通行を確保すべき避難路」と定められている。すなわち神明通り沿いに立つ三好野ビルも「避難路沿道建築物」に当たる。  昨年3月31日付で県建築指導課が公表した診断結果によると、震度6強以上の大規模地震が発生した際の三好野ビルの安全性評価は、3段階で最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」。耐震性能の低さにレッドカードが示されたわけ。  耐震性が低いビルを所有者はなぜ放置しているのか。不動産登記簿で権利関係を確認したところ、三好野ビルは概ね①相続した土地に建てた建物、②飲食店を始めた後に隣接する土地を買い足して増築した建物――の2つに分かれるようだ。  ①の所有者は、土地=レストランを運営していた㈲三好野の代表取締役・田中雄一郎氏、建物=雄一郎氏の母親・田中ヒデ子氏。  ②の所有者は、土地・建物とも㈲三好野。同社は1968(昭和43)年設立、資本金850万円。  ただ、雄一郎氏は十数年前に亡くなっており、登記簿に記されていた自宅住所を訪ねたがすでに取り壊されていた。雄一郎氏の弟で、同社取締役に就いていた田中充氏と連絡が取れたが、「会社はもう活動していない。親族は相続放棄し、私だけ名前が残っていた。ただ、私は会津中央病院前の店舗を任されていたので、神明通りのビルの事情はよく分からない」と話した。 会津若松市が特定空き家に指定 壁や窓ガラスの崩落、倒壊リスクがある三好野ビルの前を歩いて下校する小学生  ①の土地・建物には▽極度額900万円の根抵当権(根抵当権者第四銀行)、▽極度額2400万円の根抵当権(根抵当権者東邦銀行)、▽債権額670万円の抵当権(抵当権者住宅金融公庫)が設定されていた。  一方、②の土地・建物には▽債権額1000万円の抵当権(抵当権者田中充氏)が設定されていた。ただ、事情を知る経済人の中には「数年前の時点で抵当権・根抵当権は残っていなかったはず」と話す人もいるので、抹消登記を怠っていた可能性もある。  気になるのは、②の土地・建物が2006(平成18)年、2012(平成24)年、2017(平成29)年の3度にわたり会津若松市に差し押さえられていたこと。前出・田中充氏の話を踏まえると、固定資産税を滞納していたと思われるが、昨年5月には一斉に解除されていた。  市納税課に確認したところ、「個別の案件については答えられない」としながらも「差押が解除されるのは滞納された市税が納められたほか、『換価見込みなし(競売にかけても売れる見込みがない)』と判断されるケースもある」と話す。総合的に判断して、後者である可能性が高そうだ。  行政は三好野ビルをどうしていく考えなのか。県会津若松建設事務所の担当者は「耐震改修するにしても解体するにしてもかなりの金額がかかる。国などの補助制度を使うこともできるが、少なからず自己負担を求められる。そのため、市とともに関係者(おそらく田中充氏のこと)に会って、今後について話し合っている」という。  市の窓口である危機管理課にも確認したところ、こちらでは空き家問題という視点からも解決策を探っている様子。市議会昨年6月定例会では、大竹俊哉市議(4期)の一般質問に対し、猪俣建二副市長がこのように答弁していた。  《平成29年に空き家等対策の推進に関する特別措置法に基づく特定空き家等に指定し、所有者等に対し助言・指導等を行ってきたところであり、加えて神明通り商店街の方々と今後の対応を検討してきた経過にあります。当該ビルにつきましては、中心市街地の国道沿いにあり、周辺への影響も大きいことから、引き続き状態を注視しつつ、改修や解体に係る国等の制度の活用も含め、所有者等や神明通り商店街の方々、関係機関と連携を図りながら、早期の改善が図られるよう協議してまいります》  特定空き家とは▽倒壊の恐れがある、▽衛生上有害、▽著しく景観を損なう――といった要素がある空き家のこと。自治体は指定された空き家の所有者に対し「助言・指導」を行い、改善しなければ「勧告」、「命令」が行われる。「勧告」を受けると、翌年から固定資産税・都市計画税が軽減される特例措置がなくなってしまう。「命令」に応じなかった所有者には50万円以下の過料が科せられる。  それでも改善がみられない場合は行政代執行という形で、解体などの是正措置を行い、費用を所有者から徴収する。所有者が特定できない場合は自治体の負担で略式代執行が行われることになる。この場合、代執行の撤去費用の一部を国が補助する仕組みがある。  ただし、三好野ビルの解体費用は数千万円とみられ、市が一部負担するにも金額が大きい。耐震性でレッドカードが出ている三好野ビルに対し、行政が及び腰のように見えるのはこうした背景もあるのだろう。 コロナ禍で頓挫した活用計画 建物の中を覗いたら看板と車がそのまま置かれていた  「実はあの建物の活用をかなり具体的に検討していた」と明かすのは、神明通り商店街振興組合の堂平義忠理事長だ。  「5年前ごろ、『低額で譲ってもらえるなら振興組合の方で活用したい』と伝え、市役所の関係部署によるプロジェクトチームをつくってもらって本格的に調査したことがありました。経済産業省の補助金を使い、バックパッカー向けの宿泊施設をつくろうと考えていました。解体費用は当時9000万円。一方、改装にかかる総事業費は4億5000万円で、補助金を除く約2億円を振興組合で負担する計画でした」  だが、詳細を話し合っているうちにコロナ禍に入り、そのまま計画は頓挫。仮に再び経産省の補助事業に採択されても、崩落が進んでおり、建設費が高騰していることを踏まえると予算内に収まらない見込みのため、活用を断念したようだ。  同振興組合では三好野ビルについて、毎年市に早急な対応を求める意見書を提出しているが、市の反応は鈍いという。  「この間、まちづくりに関するさまざまな話し合いの場がありましたが、中心市街地活性の計画などに組み込んで解体を進めようという考えは、市にはないようです。事故が起きてからでは遅いと思うのですが……。個人的には、人通りが減ったとは言え中心市街地なので、解体・更地にして売りに出した方が喜ばれるのではないかと思います」(堂平氏)  ある経営者は「三好野ビルには放置しておくわけにはいかない〝もう一つのリスク〟がある」と話す。  「建てられた年代を考えると、内装にはアスベストが使われているはず。吸入すると肺がんを起こす可能性があるため、現在は製造が禁止されているが、仮に地震などで崩壊することがあればアスベストが周辺に飛散することになる。壁が崩落して穴が空いている場所もあるので、周囲に飛散しないか、業界関係者も心配している。市に早急な対応を訴えた人もいたが、取り合ってもらえなかったようです」  前出・堂平氏も「調査に入った際、『4階から上はアスベストが雨漏りで固まっている状態だった』と聞いた」と明かす。  市危機管理課の担当者に問い合わせたところ、三好野ビルの内部にアスベストが使われていることを認めたうえで、「アスベストは建物の内壁に使われており外に飛んで行くことはないので、そこに関しては心配していない」と話す。だが三好野ビル周辺は、地元買い物客はもちろん観光客、さらには登下校の児童・生徒も通行している。万が一のことを考え、せめてアスベストの実態調査と対策だけでも早急に着手すべきだ。  廃墟と言えば、本誌昨年11月号で会津若松市の温泉街に残る廃墟ホテルの問題を取り上げた。  運営会社の倒産・休業などで廃墟化する宿泊施設が温泉街に増えている。そうした宿泊施設は固定資産税が滞納されたのを受けて、ひとまず市が差し押さえるが、たとえ競売にかけても買い手がつかないことが予想されるため対応が後回しにされ、結局何年も放置される実態がある。  近隣の旅館経営者は「行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」と要望していた。  それに対し会津若松市観光課の担当者は「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、(市の負担で)清算人を立て、裁判所で手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」と対応の難しさについて話していた。  早急な対応を求める周辺と、慎重な対応に終始する市という構図は、三好野ビルも温泉街も同じと言えよう。言い換えれば会津若松市は「2つの廃墟問題」に振り回されていることになる。 市に求められる役割 室井照平市長  ㈲三好野の取締役を務めていた田中充氏は「私は75歳のいまも働きに出ているほどなので、解体費用を賄うお金なんてとてもない」と話す。  一方で次のようにも話した。  「あの場所を取得して、解体後に活用したいという方がいて、各所で相談していると聞いています。県や市の担当者の方には『私個人ではもうどうにもできないので、申し訳ないですが皆さんに対応をお任せしたい』と伝えてあります」  解体後の土地を活用したいと話すのが誰なのかは分からなかったが、解体費用まで負担して購入する人がいるのであれば朗報と言える。  1月1日に発生した能登半島地震で倒壊した石川県輪島市のビルも7階建てだった。三好野ビルが現状のまま放置されれば、同じようなことが起こる可能性もある。もっと言えば、市内には三好野ビル以外に大規模地震が発生した際の安全性評価が最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」となった建物が7カ所もあった。市はアスベスト対策も含め、地元から不安の声が広がっていることを重く受け止め、この問題に本腰を入れて臨む必要があろう。  昨年の市長選前には室井照平市長も三好野ビルを視察に訪れ、前出・堂平理事長や周辺商店に対し現状を把握した旨を話したという。今こそ先頭に立って音頭を取るべきだ。

  • 立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

    【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 東山・芦ノ牧温泉を悩ます廃墟ホテル【会津若松】

    東山・芦ノ牧温泉を悩ます廃墟ホテル【会津若松】

     会津若松市の東山温泉と芦ノ牧温泉では、廃業した旅館・ホテルが廃墟化しており、温泉街の景観を損ねている。なぜ解体は進まないのか。あるユーチューバーの動画をきっかけに、廃墟ホテルの現状と課題を取材した。(志賀) 横行する!?ユーチューバーの〝無断侵入〟 https://www.youtube.com/watch?v=JlLZ_6UfrsQ 【芦ノ牧の迷宮】増築を重ね巨大化した廃ホテルの現状調査」  動画投稿サイト・ユーチューブで「【芦ノ牧の迷宮】増築を重ね巨大化した廃ホテルの現状調査」という動画が公開されている。投稿者は廃墟探索の様子を投稿している蓮水柊斗(はすみ・しゅうと)氏。撮影されているのは芦ノ牧温泉でかつて営業していた芦ノ牧ホテルだ。  動画には事務室に営業当時の書類がそのまま残されている様子や、客室で何者かが生活していた様子が収められていた。  芦ノ牧ホテルは昭和41年に開業。運営会社は㈲芦牧ホテル。リゾートブームが起きるバブル期の前にいち早く新館、別館を増築し、一時期は温泉街で最大のホテルとなった。当時のデータが残っているホームページによると、客室全47室。収容人数一般200人(団体280人)。全室渓谷側で眺望の良さが売りだった。 芦ノ牧ホテル  会津若松市内にスイミングスクールがなかった昭和50年代にいち早く屋内プールを整備したほか、近くに総合体育館も建設し、スポーツ合宿の団体客の受け皿となった。  周りの宿泊施設も設備投資に乗り出し、大型化が進むと、団体客の宴会向けにセクシーなスーパーコンパニオンパックを導入したり、冬場の閑散期に大衆演劇と観劇する老人会の無料送迎(県外にも対応)を始めた。  それらのサービスも、周囲が追随し始めると差別化が図れなくなり、売り上げが落ち込んだ。団体旅行から個人旅行へとトレンドが移ったことも痛手となった。  経営は創業者(室井家)の家族が行っていたが、外部から経営者を招くようになった。2009年には運営会社を株式会社にして、元プロ野球選手・小野剛氏を社長として招いた。売り上げは順調に見えたが、同温泉の事情通によると、室井一族で経営していたころの決算内容などをめぐり、内部でゴタゴタが続いていたという。  それからまもなくして震災・原発事故が発生。賠償金が支払われて立て直しを図ると思われたが、しばらくすると休業に入った。  同温泉の事情に詳しい人物は、「休業と言っても、実質は廃業。旅行代理店や取引業者は『いきなり連絡が取れなくなった。未払い金があるがこのまま踏み倒されるだろう』と嘆いていた。大きな被害を被ったところもある」と指摘する。  その後は営業再開することなく、増築により巨大化した廃墟が温泉街に残されることになった。冒頭で触れたユーチューブ動画に「芦ノ牧の迷宮」というタイトルが付いているのはそのためだろう。  こうした経緯もあり、動画は芦ノ牧温泉の関係者の間で話題になり、視聴した人も多かったようだ。ただ、「物件の所有者様や管理者様から敷地内及び建物内の立入許可を頂いたうえで内部の現状調査を行っております」という表記に疑問の声も出ている。というのも、地元関係者は誰も立入許可をしていなかったからだ。  芦ノ牧温泉の温泉街の土地は地元住民の入会地となっており、住民で組織される㈲芦ノ牧温泉開発事業所が一括で管理している。だが、同社の関係者は「こちらに問い合わせなどはありませんでした。うちでは一度、財産管理を依頼されている弁護士に断って、警察立ち会いのもとで入ったぐらいです」と述べる。  芦ノ牧温泉観光協会などにも問い合わせはなかったという。  同ホテルの建物の不動産登記簿を確認したところ、所有権は㈱芦牧ホテルのままだったが、2012年に会津若松市、令和2年に埼玉県に差し押さえられていた。それらはすぐ解除されたものの、同年12月に会津若松市が差し押さえ、その後は解除されていない。おそらく固定資産税が納付されていないと思われる。 運営会社社長は取材に応じず  そこで会津若松市観光課に確認したが、「市の方では差し押さえただけで建物の管理はしていない。ユーチューバーから問い合わせも来ていない」とのことだった。  同ホテル関連の建物・土地には根抵当権者・会津信用金庫による極度額8000万円の根抵当権が設定されていた。そこで同金庫の担当者にも確認したが、市観光課同様、管理には携わっておらず、問い合わせも来ていないということだった。  芦ノ牧ホテルはほぼ廃業状態だが、運営会社の㈱芦牧ホテルは現在も存続している。社長を務める小野氏は埼玉県狭山市で㈱GSLという会社を経営している。2008年設立。資本金3000万円。主な事業は飲食(焼肉店「ベイサイドTOKYO牧場」の展開)、野球教室(プリマヴェーラ・リオーネ)の運営など。民間信用調査機関によると、2022年9月期の売上高は1億8000万円(ただし、3期連続で同じ数字)。  SNSは数日に一度更新している。10月4日にはX(旧ツイッター)で《ドラフト同期の阿部慎之助が読売巨人軍の監督となった。凄い事である》とつぶやき、過去の写真を掲載していた。週刊文春2022年5月19日号に掲載された横浜高校野球部でのパワハラ指導に関する記事では、被害者の父親として小野氏が取材に応じている。  にもかかわらず、芦ノ牧ホテルに関しては建物を廃墟のまま放置し、地権者である㈲芦ノ牧温泉開発事業所に地代を支払っていないというから驚く。  ユーチューバー・蓮水氏に立入許可を出したのか、税金・地代の支払いを滞納していることについてどう考えるのか、そして今後、「芦ノ牧の迷宮」と化した廃墟をどうするつもりなのか。小野氏の連絡先を入手し、繰り返し電話をかけたが、つながらなかった。そこで、狭山市の㈱GSLを直接訪ねたところ、同社営業企画・野球塾講師の米田和弘氏が応対した。  米田氏が差し出した名刺には「芦ノ牧ホテル」の文字があった。そこで同ホテルについて話を聞きたいと伝えると、「小野は東京・練馬の事務所にいたり、出張していることが多い。芦ノ牧ホテルは老朽化や地震の影響も含めて基本的に廃業している状態ですね。小野に伝えておきます」とあっさり答えたが、10日以上経っても電話はなかった。  あらためてメールで小野氏に取材を申し込んだが返事がなかったので、米田氏に連絡を取ったところ、「小野には伝えましたが、都合が合わないとのことでした。申し訳なかったです」と話した。都合が悪い取材には応じないのだろう。  一方で、ユーチューバーへの立入許可に関しては「担当弁護士の対応は小野が担当しているので私の方では分かりかねますが、私が把握している限り、ユーチューバーの立ち入りについて会社として許可を出したことはありません」と話した。  冒頭のユーチューバー・蓮水氏はいったい誰に許可を取ったのか。X(旧ツイッター)を通して質問を投げかけたところ、以下のような返信があった。  《動画の制作、編集は全て私が行っておりますが企画や、所有者様、管理者様の調査や立入許可については私1人ではなく、当YouTubeチャンネルの調査部がメインで行っております。倒産物件なども多く、所有権移転などされていない物件が大半です。そのなかでの所有者様や管理者様を探すのは並大抵ではありません。芦ノ牧は、4物件のホテル旅館を撮影していますが、全て所有者様や管理者様と直接お会いしています。まだ未配信の物件も多数ありますが全て立入許可済みでの撮影を行っております》  結局誰から許可を得たのかよく分からず、何か隠していることがあるのではないかと疑わざるを得ない回答だった。そもそも「調査部」としているが、企業などで大規模にやっているアカウントには見えない。小野氏、弁護士と連絡が取れなかったので断言はできないが、廃墟ホテルの権利関係が複雑になっていることを逆手に取り、あえてテーマに選んでいるようにも見える。  そういう意味では〝限りなく黒に近いグレーな動画〟と思って見た方が良さそうだ。ほかの廃墟系ユーチューバーも推して知るべし。 廃墟ホテルが放置される理由  芦ノ牧ホテルの建物の窓ガラスには「不法侵入者を発見時、警察に通報いたします」と張り紙されており、鍵がかかっている。だが同温泉関係者によると、侵入経路があるようで、肝試しや動画配信目的で勝手に侵入する人が後を絶たない。  芦ノ牧温泉には芦ノ牧ホテル以外にも新湯、元湯、美好館、ホテルいづみやなどの廃墟ホテルがあるが、こちらに関しても中に入った形跡があったり、電気が通っていないのに夜に明かりがついていたりするという。  本誌昨年6月号「猪苗代〝廃墟ホテル〟で配信者が花火」という記事では、廃墟探索がユーチューバーにとって手軽に視聴回数を稼げる人気コンテンツとなっており、中には火災リスクお構いなしで、花火で遊ぶ動画もあったことを報じた。  「芦ノ牧温泉に限らず、廃墟ホテル内を通っている配線を盗んで売りさばく業者もいるようです。実際、各温泉の観光協会などに問い合わせがあるようで、廃墟ホテルの前で怪しい車を見かけることもあります」(同温泉の事情に詳しい人物)  廃墟化した旅館・ホテルが温泉街に残り続けることで、イメージ悪化につながるばかりか、実際に良からぬ輩が出入りしている、と。  だからこそ、廃墟ホテルは解消した方がいいが、ひとたび廃業し廃墟化してしまうと、解体するのは難しい。所有者と連絡が取れなくなっている可能性が高いためだ。  解体には億単位の金がかかり、所有者が必要額を捻出できないという事情もある。最近は解体費用が高騰しており、建物にアスベストなどが使われている場合は調査などの対策が求められるので、さらにハードルが上がっている。  仮に高額な解体費用を負担して更地にしたところで100万円単位の価値しかないし、芦ノ牧温泉の場合、原状復旧して地権者(芦ノ牧温泉開発事業所)に返さなければならない。逆に建物を残したままにしておくと、固定資産税はかかるものの、建物の固定資産税価格は耐用年数が満了となってからは新築時よりかなり低くなるので、所有者は「大した税額ではないし、解体するより安上がりで済む」と放置するようになる。  芦ノ牧ホテルのように固定資産税を滞納すれば、財産である不動産を当該自治体(芦ノ牧温泉の場合は会津若松市)に差し押さえられ、競売にかけられる。ただ、それに当たって行われる不動産鑑定には100万円単位の金額がかかるという。競売で売れる見込みがある物件ならともかく、誰も買う見込みのない廃墟ホテルにそれだけの経費をかけると自治体の損失につながりかねないため、担当者も対応に及び腰となる。  こうして廃墟ホテルが放置されていくわけ。  芦ノ牧温泉のある宿泊施設関係者は「今後も廃墟化が進む可能性が高い」と語る。 「丸峰観光ホテルの経営者が創業者一族からみちのりホテルズに代わりましたが(本誌9月号参照)、他の宿泊施設も経営者が大手・県外資本に代わったところが多い。安く買い叩けば、設備投資分の回収を考えなくて済むので、宿泊料金を安く抑えられ、より集客を図りやすいという狙いがあります。今後はインバウンド・富裕層狙いの高級路線と、大手資本による低価格路線の二極化が進むと予想されます。その流れに取り残された中途半端な宿泊施設は力尽き、廃墟化がさらに進むかもしれません」 東山温泉にも4つの廃墟ホテル ホテルキャニオン跡  芦ノ牧温泉と並び同市を代表する温泉街・東山温泉でも、新栄館、ホテルキャニオン、アネックスシンフォニー、玉屋と4つの廃墟ホテルがある。新栄館は芦ノ牧ホテル同様、休業中だが、残り3つは運営会社が倒産した。  市によると解体費用の概算は合計約10億円(新栄館約1億4500万円、ホテルキャニオン約3億5000万円、アネックスシンフォニー約2億9700万円、玉屋約2億1000万円)。ただ前述した通り、解体費用が高騰しているのでさらに金額が上がっている可能性が高い。  会津若松市は昨年、東山温泉、芦ノ牧温泉が今後10年間で目指すべき方向性などを取りまとめた会津若松市温泉地域景観創造ビジョンとそれに伴うアクションプランを策定した。その中で、東山温泉の4つの廃墟ホテルについて、令和14年度までに解体する方針が示された。撤去費用については《地域の事業者も負担をしながら国等の補助金を活用する》と示された。  ここで言う補助金とは観光地の施設改修や廃屋の撤去などを支援する「地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値事業(旧・既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業)」のことだ。  事業によって補助率、補助上限額が定められており、廃屋撤去は補助率2分の1、補助上限額1億円となっている。  解体後の土地利用に関しては当初より緩和されており、公園緑地や足湯、オープンスペース、景観に配慮した駐車場などを整備する目的で解体する場合も補助対象になる。  休業中の新栄館の目の前には「くつろぎ宿 新滝」が立地する。同旅館を運営する㈱くつろぎ宿の深田智之社長は「自己負担分は当社が負担してもいいので、行政が音頭を取ってもっと早く解体に着手することを期待しています」と語る。  震災後の2013年に廃業した旅館・高橋館の建物が倒壊したまま放置される問題が起きたとき、新滝では約2000万円を負担し解体、顧客用の駐車場として整備し直した。この件も加えてこれまで5件の建物を自己負担で解体し、合計1億円超を投じてきたという。  「原瀧さんも数千万円かけて廃屋の解体に協力し、跡地を食事会場や駐車場として活用している。このほか安全対策や景観対策など民間レベルで話し合って取り組んでいます。ただ、それ以上に廃墟の負のイメージは大きい。行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」(深田氏)  深田氏によると、東山温泉には年間約50万人が宿泊する。平均単価1万5000円と考えると、50~100億円の売り上げが生まれる。たとえ解体費用に数億円かかるとしても、民間・行政が連携し、数年かけて取り組めば、廃墟ホテルをすべて解体して温泉街の景観を整備することも実現不可能ではない、と。  これに対し、会津若松市観光課の担当者はこのように話す。  「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、清算人を立て、裁判所での手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」  東山温泉の関係者からは「コロナ禍でダメージを受け、業績が低迷しているところも多い中、協力して解体費用を出そうと言っても意見をまとめるのは難しいだろう」、「過去に行政主導で同ビジョンのようなものが何度も作られたが、結局うまくいかなかった。今回もうやむやのうちに終わりそうだ」と冷ややかな意見も目立った。 鍵を握る官民の連携 会津若松市役所  こうして見ると、廃墟ホテル問題の解決は簡単ではなさそうだが、芦ノ牧温泉では3年前、宿泊施設が協力してお金を出し合うことを決め、前述の補助事業に申請し採択された経緯もある。  ホテルいづみや跡を解体し、約2700平方㍍の敷地を使ってグランピング施設、貸し切りの温泉浴場を備えた複合レジャー施設を整備するというもの。解体費用は約1億円。裁判所などの手続きを進め、芦ノ牧グランドホテルを運営するベンチャラー(新潟市)を中心に約5000万円を自己負担する方針がまとまった。  ところが、長引くコロナ禍で売り上げが激減したため、計画はストップ。資金繰りを優先し、申請を取り下げたのである。ただ、裁判所などの手続きは済んでおり、各ホテル・旅館の業績が回復次第、再挑戦できるという意味では明るい兆しと言えよう。  芦ノ牧温泉の関係者は「丸峰観光ホテルは経営者が変わって、地域と協力して盛り上げようというムードが出てきた。これからの展開に期待したい」と語る。  会津若松市観光課によると、昨年の宿泊者数は東山温泉約41万5000人、芦ノ牧温泉約12万2000人。コロナ禍前の2019年の宿泊者数は東山47万3000人、芦ノ牧21万4000人。20年前の2002年は東山50万2000人、芦ノ牧34万6000人。じりじりと減っていたところをコロナ禍が直撃した格好だ。  各ホテル・旅館は燃料費高騰などを反映して料金を上げているので、見かけ上の売り上げはそれほど落ち込んでいないとのことだが、「3年にわたり売り上げが低迷したダメージがどのように出るか分からない」(ある宿泊施設経営者)。こうしたときだからこそ、将来を見据えて温泉街の景観改善に取り組むことが重要になるのではないか。  島根県津和野町では廃墟ホテル問題を解決するため、所有者と相談し、土地と建物を合わせてタダ同然の1000円で取得。約1億5000万円かけて建物の撤去と公園の整備を進めた。関係者の熱意とアイデア次第でやりようはあるということだ。  8月に4選を果たした室井照平市長を中心に、市と温泉街がいかに一致団結して、問題解決に挑めるかが鍵を握る。

  • 【会津若松市】選挙漫遊(県議選)

    【会津若松市】選挙漫遊(県議選)

     「勝手に連動企画『政経東北』でも選挙漫遊をやってみた」。  11月2日告示、12日投開票の福島県議選。福島市、郡山市、いわき市、会津若松市各選挙区の立候補者39人を本誌スタッフ総出で取材し、選挙漫遊(街頭演説などに足を運んで選挙を積極的に楽しむ)を実践しようというもの。  11月5日(日)、6日(月)の2日間、街頭演説会場に足を運び、その様子を写真と動画で記録。併せてインタビュー取材も実施した。現職には「県政・県土の課題は?」、新人には「立候補した理由は?」などについて質問した。立候補者はどのような選挙活動を展開し、どんな事を話したのか。 担当 佐藤仁 福島県議選【会津若松市】編 https://youtu.be/H3LrOAB1K0E?t=5569 【福島県議選】投票前日!【選挙漫遊】総括 投票の判断材料に!福島・郡山・いわき・会津若松会津若松市の解説は1:32:49~ 定数4 立候補者5 告示日:2023年11月2日 投票日:2023年11月12日 立候補届出状況↓ https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/601555.pdf 選挙公報↓ https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/601647.pdf 届け出順、敬称略。 あわせて読みたい 【福島市】選挙漫遊(県議選) 【いわき市】選挙漫遊(県議選) 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 水野さち子 https://www.youtube.com/watch?v=b3Eu3Gw4XPk 候補者のコメント  私は7月の会津若松市長選に立候補しましたが、あれだけ票を離されれば(※4選された室井照平氏が2万3231票に対し、水野氏は1万3738票)、市民の皆さんは現状維持を望んだのだろうと思います。県議を2期務め、2019年の参院選に落選した後、4年間の浪人生活を経て臨んだ市長選だったので、いったんは全ての電話も解約して区切りをつける考えでした。しかし、支援者への挨拶回りをする中で「これで終わってもらっては困る」「議員として働いてほしい」というたくさんの声をいただき、私自身も「自分の人生、これで終わっていいのか」と8月いっぱい熟慮した結果、3期目を目指して県議選に挑むことを決断しました。「市長選に出たのは県議選を見越して」という見方があるのは承知していますが、身近な人ほど私の真意を理解してくれていると思っています。  まずは会津若松市が先頭に立って会津の基幹産業である観光の再興を成し遂げることが大切です。そうすることで交流人口、関係人口が増加し、地域経済が活性化していくと考えます。只見線が注目を集める中、二次交通の整備や飲食、お土産、宿泊など県の立場でできること、県と会津17市町村が連携してやるべきこと、国にお願いすべきこと等々、でき得る施策はあるんだろうと思います。また、0~2歳児の保育料を所得制限なしで無償化することや、デジタル田園都市国家構想を生かして認知症の早期発見・治療を可能とするシステムをつくるなど、県独自では難しい施策を国と連携しながら実現を目指したい。  私は無所属で活動しています。他の政党からお声がけがあったのは事実ですし、今回も山口和之さん(日本維新の会所属の元参院議員)からため書きをいただきましたが、無所属なので「来るもの拒まず」のスタンスをとっています。 一言メモ  街頭演説は国道49号の大きな交差点で行ったため、足を止める人は皆無。ただ、車から手を振る人は数人いた。事務所は女性スタッフばかり。水野候補は「意識したわけではないが、支えてくれる人が集まったらこうなった」と話す。(佐藤仁) 佐藤義憲 https://www.youtube.com/watch?v=ywda67vOQQ4 候補者のコメント  今、福島県の課題は大きく二つあります。一つは人口減少、もう一つは次世代を育てる教育です。  大変残念なことですが、福島県では教員の不祥事が後を絶ちません。内堀雅雄知事も何とかしなければならないと悩んでおられますが、教員の質を上げると当時に教育の質も上げることが非常に重要と考えます。教員の働き方改革を進め、スリム化すべきところはスリム化する。そうやって教員の質を上げれば教育の質も上がっていくので、そこは現場に言うべきことを言っていきたいと思います。  その上で人口減少を考えた時、移住・定住をするにはその地域の教育レベルも一つの選択肢になるので、そこをしっかりやらないと、福島県は移住先の選択肢の中に入っていかないんだろうと思います。 一言メモ  メガドンキの前で街頭演説を行ったこともあり、若い買い物客数人が立ち止まって聞いていた。中学生くらいの男子2人も近くで演説を聞いていた。この場所を選んだのは、メガドンキ内に期日前投票所が設けられているため、投票を棄権しないように呼びかけることと、投票するなら自分の名前を書いてもらおうという狙いがあったようだ。  応援弁士として広瀬めぐみ参院議員(岩手選挙区)が駆け付ける。大竹俊哉市議、長谷川純一市議の姿もあった。(佐藤仁) 佐藤郁雄 https://www.youtube.com/watch?v=W9DUoKJU6NA 取材に応じず。 一言メモ  当初は取材に応じるとしていたが、当日になって事務所から「現在当落線上におり、大変厳しい選挙となっている。1人でも多くの有権者と接するには5分でも10分でも時間が惜しい。大変勝手を言って申し訳ないが、取材は遠慮させてほしい」という断わりの連絡が入る。  街頭演説には広瀬めぐみ参院議員(岩手選挙区)が駆け付ける。スタッフ10人弱、支持者10人弱と多くはなく、立ち止まって演説を聞く人は皆無だったが、佐藤氏を支持する人が集まったこともあり、一定の熱量は感じられた。  一方、当落線上にいることは本人も実感しているのか、少し落ち着かない様子も見られ、街頭演説の開始は14時半からなのに、14時25分ごろに「もう始めてもいいかな」と言い、支持者から「慌てるな。あと5分あるぞ」とたしなめられるシーンもあった。(佐藤仁) 渡部優生 https://www.youtube.com/watch?v=0X2lJQhc2MY 候補者のコメント   まずは災害に強い県土づくりが大切です。毎年のように大きな災害が発生し、県民の命に関わる状況が起きているので、早急に対応する必要があります。建物や橋などの耐震強化や河道掘削など、県が取り組むべきことはたくさんあると思います。  震災・原発事故からの復興も大切です。令和7年度で「第2期復興・創生期間」が切れますが、県内を見渡すと復興はまだまだ道半ばです。第3期への計画延長と、その裏付けとなる予算をどう確保するかは福島県にとって喫緊の課題です。  急速に進む人口減少にどう対応するかも問題です。人口流出をいかに食い止めるか、そして流入を促すために魅力的な雇用の場を生み出せるか。企業誘致と産業基盤強化は私が最も訴えている政策の一つです。  どうも今の福島県はイノベーション・コースト構想やロボット、水素や廃炉など、浜通りに設置した次世代産業に目を向けがちですが、現実的には自動車や半導体など、国が注力している産業やサプライチェーンにもっと注目してもいいのではないかと考えます。  会津ならではの産業、具体的には観光、農林業、酒や漆器に代表される地場産業、さらには会津大学と地元資源の掘り起こしや磨き上げも必要なんだろうと感じています。 一言メモ  前日に事務所に問い合わせた際、街頭演説は「18時半からリオン・ドール会津アピオ店前」と伝えられていたが、実際はそれより1時間も早い17時半から始まっていた。おかげで渡部候補の街頭演説の動画を収録できなかった。現場にいた事務所スタッフに「予定では18時半からではなかったか」と尋ねると「変更になったことを連絡しようと思っていたが忘れていた」とのこと。スタッフの対応の良し悪しは候補者の評判に直結するので、注意されてはいかがだろうか。  演説には小熊慎司衆院議員と馬場雄基衆院議員が駆け付ける。夕方で辺りは暗く、足を止めて演説を聞く人は皆無。ただ、10人近い支持者が集まり、拍手と声援を送っていた。(佐藤仁) 宮下雅志 https://www.youtube.com/watch?v=HHc1ct7vu14 候補者のコメント   人口減少が一番の課題だと思います。選挙戦では、今やらないと間に合わない、そこに真正面から取り組むべきだと強く訴えています。  それと同時に、安心・安全な暮らしを送れるよう雇用の創出や景気対策、医療・福祉や災害対応などを進めていくことが大切です。こうした取り組みが地域の魅力を高め、ここに住み続けたいと思う、あるいは他の地域から移住したいと思う条件になると考えます。併せて、そこに高い文化力も備わってくればワクワクした地域となり、自然とそこに住みたい、住み続けたいという気持ちが芽生えてくるのではないか。  会津には「ならぬものはならぬ」という考え方があります。それを地場のものづくりに照らし、若者を中心としたごまかしの利かない、真面目なものづくり産地を構築していけば人間力の向上にもつながると思います。文化力と人間力で地域の魅力を高める、これが私の持論です。  正直、こうした取り組みは非常に長くかかるし、すぐに結果が出るわけではなりません。しかし、人口減少が急速に進む中、今始めないと間に合わなくなるというのが今回の私の最大の主張です。  人口減少は何か一つやれば解決するものではありません。ただ、これまでと同じことをやっていては意味がなく、子育て支援についても今までの常識にとらわれない大胆な財政出動等をする必要があるんだろうと思います。県独自でやれることはきちんとやりつつ、国に求めることはしっかり求めていく。それをスピード感を持って、他県に先駆けてやらないと福島県としての特色は出せないと思います。 一言メモ  個人演説会は19時から一箕公民館で。用意した30席に対し25人くらい集まる。演説の後は出席者から鋭い質問も寄せられ、宮下候補が答える場面もあった。集まったのは熱心な支持者ということもあり、それなりの熱が感じられた。  小熊慎司衆院議員が応援弁士を務め、馬場雄基衆院議員が来賓として出席していた。(佐藤仁)

  • 【会津若松市】室井照平市長インタビュー

    【会津若松市】室井照平市長インタビュー

     むろい・しょうへい 1955年生まれ。東北大卒。会津若松市議2期。県議1期を経て2011年8月の会津若松市長選で初当選。今年7月に4選を果たす。  ――7月に行われた市長選で4選を果たしました。  「厳しい選挙戦の中、4選を果たすことができたのは市民の皆様のご支援があってこそで、あらためて御礼申し上げます。  4期目の抱負は、市民の皆様それぞれに夢を持っていただくことです。東洋経済新報社が全国812市区を対象に実施している『住みよさランキング』によると、2022年は全国66位で県内自治体では1位、2023年版では全国119位で県内自治体では3位の結果となりました。こうした結果の要因として、子育て支援をはじめとした施策が評価されたものと受け止めています。今後も子育て支援をはじめとしたさまざまな施策に注力し、市民の皆様に住みやすい町に住んでいるという実感を持っていただけるように取り組まなければなりません。住み続けたい、訪れたい、選ばれるまちの実現に向けて今後も全力で取り組みます。  1期目から掲げている『子どもたちには夢と希望を、若者には仕事・雇用を、お年寄りや障がいのある方には安心できるまちづくりを』というテーマを変わらず根幹に据えて、市民の皆様一人ひとりの思いを受け止めながら、市政運営にあたっていきます。また、様々な施策を通して、市民の皆様が郷土に愛着を持ち、地域に対する誇り『シビックプライド』を醸成し、誰もがこのまちで暮らし続けられるように、市民の皆様と共にまちづくりを着実に進めていきます」  ――新型コロナウイルスの5類移行が実施されましたが、観光業をはじめ市内経済への影響はいかがでしょうか。  「観光入込は、コロナ禍前の2019年度には及ばないものの、回復傾向にあります。具体的には、コロナ禍前が300万人だったのがコロナ禍では83万人にまで落ち込み、昨年は146万人にまで回復しました。5類移行後の5月以降はコロナ禍前の水準にさらに近づき、お盆時期を中心に家族旅行での来訪が目立っており、今年は250万人を越える入込が見込まれます。当面はコロナ禍以前の300万人に戻すことが目標です。また、インバウンドはコロナ禍前が2・5万人、コロナ禍には800人にまで減少しましたが、順調に回復しています。今後はコロナ禍前の10倍の25万人まで増加させることを目標としています。教育旅行については、コロナ禍でも好調を維持しており、5類移行後においても平日の観光需要を底上げしています。観光業以外でも、市内の経済状況は回復基調となっており、飲食業界や酒造業界への聞き取りでも、観光客の増加によって売り上げも堅調となっています。一方、原材料や電気代等の高騰は市内事業者に広く影響が出ており、今後も景況感は注視していく必要があります」  ――市役所新庁舎整備事業の進捗状況についてうかがいます。  「昨年10月に設計が完了し、今年3月に建設工事が始まりました。9月上旬時点で基礎工事が行われています。来年には庁舎周辺の道路拡幅工事や駐車場・駐輪場の工事を予定しており、順調に進めば2025年3月に新庁舎が完成し、同年度からの供用開始を予定しています。  新庁舎は、1937年から市の歴史を見続けてきた旧館を引き続き庁舎として保存・活用し、その隣に旧館のデザインを取り入れた地上7階建て、高さ30㍍の庁舎となります。全体の面積は約1万3700平方㍍で、免震構造を採用しているほか、高い省エネ性能を持ち、環境にも配慮しています。また、多くの部局が新庁舎に集約され、窓口利用が多い部局を低階層に配置するなど、市民の皆様の利便性の向上を図っています。この新庁舎が市民の皆様の安全・安心な暮らしを支え、災害時には被災対応の活動拠点となり、さらにはまちの要として、人が集い賑わいを作り出す会津のランドマークとなるよう、引き続き整備を進めていきます」  ――「スマートシティ会津若松」の取り組みが加速しています。  「スマートシティとは、〝便利で住みやすいまち〟を意味しており、本市では2013年3月より『スマートシティ会津若松』を掲げ、生活を取り巻く様々な分野でICTを活用することで、将来に向けて持続力と回復力のある力強い地域社会、安心して快適に暮らすことのできるまちづくりを目指してきました。  昨年度、本市は『国のデジタル田園都市国家構想推進交付金デジタル実装タイプ タイプ3』に東北地方で唯一採択され、食・農業、決済、観光、ヘルスケア、防災、行政という6つのデジタルサービスを実装しました。この間、市、会津大学、AiCTコンソーシアムの三者で『スマートシティ会津若松』に関する基本協定を締結したほか、市民の皆様を対象とするスマートシティサポーター制度や、地域の業界団体の方々を構成員とするスマートシティ会津若松共創会議を創設するなど、地域が一体となった推進体制を構築し、取り組みのさらなる深化・発展を目指してきました。  次なる取り組みとして、今秋以降、デジタル地域通貨『会津コイン』を使ったプレミアムポイント事業を開始するほか、今後は国の支援策等も活用しながら、引き続き会津大学およびAiCTコンソーシアムとの連携のもと、市民の皆様や企業の方々が『スマートシティ会津若松』の取り組みの成果を実感していただけるようなサービスを実装し、市民の皆様が生き甲斐と幸せを感じ、〝住み続けたい〟と思えるまちづくり、進学等で本市を離れる若者が、〝いずれ戻ってきたい〟と思えるまちづくりを目指し取り組んでいきます」  ――今後の重点事業について。  「少子化・人口減少対策は市の最重要課題であり、想定以上に出生数が減り、死亡者が増えているのが現状です。こうした現状を打破するためにも、Uターンや県外のお孫さんが祖父母の住む本市に移住する孫ターンの給付金制度、住宅取得支援や賃貸家賃補助、移住婚祝い金といった形で移住・定住支援に注力していきます。また、昨年実施した『ベビーファースト宣言』のもと、安心して子どもを産み育てる環境づくり、子どもたちがふるさとに誇りを持ちながら多様な学力を身に着ける環境づくりを進めていきます。  ほかにも新規就農者支援、新たな雇用に繋がる工業団地の整備も重要ですので、今後4年間でさらに内容を深化させていきたいと考えています。また、観光庁の『国際競争力の高いスノーリゾート形成促進事業』において、本市と磐梯町、北塩原村でのスキーと観光を軸にする計画が県内で唯一採択されました。今後は他自治体や関係団体との連携を図りながら、冬季間のインバウンド強化に向けて取り組んでいきます」

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

    【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。

  • コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

    コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

     5月に新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが5類に引き下げられ、夜の飲食街は感染収束ムードが漂う。だが、客の嗜好が「飲」から「食」に変化し、団体の2次会は望めない。夜の街調査4回目は6月3日土曜日に会津若松市を回った。 頼みの「無尽」は規模縮小 飲食店が入るパティオビル(会津若松市上町)=6月3日、午後10時35分  会津若松市は会津地方の消費都市の性格が強い。市内だけでなく近隣の喜多方市、猪苗代町はもちろん、遠方は南会津町などからも訪れる。そのため、市内人口に比して飲食店が多く、電話帳をベースに人口1000人当たりのスナック店数を調べたところ、県内主要4市では最も多かった(表1、表2)。 表1:県内人口上位4市のスナック店舗数 2023年5月1日推計人口(百人)2019年スナック数(店)2021年スナック数(店)減少率(%)いわき市3226273221▲19.0郡 山 市3222202159▲21.2福 島 市2763194145▲25.2会津若松市1133158124▲21.5 表2:県内人口上位4市の千人当たりスナック店舗数 2021年スナック店数人口千人当たり店数会津若松市1241.09いわき市2210.68福 島 市1450.52郡 山 市1590.49  「地理的に考えると、峠を越えてきた人たちが金を落とす一大消費地でした」とは市内のある飲食店経営者。 近代から戦後にかけては、猪苗代湖の水力発電で得た安価な電力を背景に産業が集積した。 あるスナックのママが40年前をしのぶ。 「富士通の工場があったころは関係者がよく飲みに来ました」 眠らない街の光景が、いまも目に焼き付いている。 「1980年代の話です。私の店は深夜1時に閉めますが、帰りのタクシーが拾えないほど。2時3時になってもタクシー待ちの行列です。お店はほとんど閉まっているのにどこに人がいたのかと思うくらいの数。『この人たち、明日は仕事だろうに大丈夫なのかな』と心配でしたね。金曜、土曜ではなく平日の話です。いい時代でしたよね……。いまですか? 最悪ですよ」(前出のママ) 新型コロナの感染拡大以降は金、土曜日だけ営業してきた。4月ごろは週末に4、5人が来てくれて明るい兆しを感じたが、5月の大型連休は客の入りが鈍く、同月半ばからは確実に悪い。 「私1人でやっているので、若いお客さんは来ないでしょう。大型連休は、街は久しぶりに若者で賑わっていました。でも、若い人だって毎日は飲みに行かないでしょ。連日賑わっている店はないと思いますよ」(同) 賑わっているところはあるのか。店主たちに聞くと、「パティオビル周辺だけは人が大勢いる」という。パティオビル(地図参照)に入居するテナントはキャバクラやスナック、バー・クラブなど若年層向けの店が多い。 地図:会津若松市の飲食店街  ビルのきらびやかな照明が夜に浮かび上がる。エントランスに入ると、店の紹介映像が画面に流れていた。派手な光と音に包まれ、ここだけ別世界だ。エントランスの上部を見ると、天井の隅に張り付いてこちらをうかがう巨大なゴリラの模型と目が合った。 ビルの前では男女問わず若いグループが複数たむろし、解散するか次の店をどこにするかを話し合っていた。道を挟んで向かいにはコンビニがある。ビル内の店に入るかどうかは別として、人が集まるようだ。 パティオビルは、どの階もテナントで埋まっていた。家賃は階が違っても変わらないので、上階より人の往来がある1階が人気だ。最も賑わう同ビルでさえも移転か閉じた店があるが、入居者も同じ数だけあり、テナントの新陳代謝が起きている。 苦境に立つ老舗  これまでの夜の街調査でも指摘しているように、客が夜の飲食店に求めるものは「飲」から「食」に移ったが、客層も「老」から「若」に移行した。コロナ禍を機に老舗が閉店した。 50年来スナックを経営してきたマスターは、最近の客の一言にプライドを傷つけられた。 「初めて来た男性のお客さんでしたね。『女の子はいないの』と店内を見回しました。若い女性従業員をたくさん抱える店じゃないと知ると、『じゃあいい』とバタンとドアを閉めていきました。街やお客さんと共に私たち従業員も年を重ねてきました。お客さんの好みは理解しますが、入店をやめるにしてもスマートな去り方があるのではないか」 共に年齢を重ねてきた高齢の客は新型コロナに感染して重篤化するのを恐れ、外での飲食を控えるようになった。3年経てば「飲みに行かない」のが習慣となるが、それでも変わらず来てくれる常連もいる。「店を閉めて寂しいとは言われたくない」(マスター)。何より、長年働いてくれている高齢従業員の生活のために、わずかでも稼がなければならない。 会津若松の調査は、郡山(今年1月号)、福島(同5月号)、いわき(同6月号)に続き4回目となる。いままで3市の夜の街を調査してきたと店主らに話すと、よく聞いたのが「いわきはコロナでも賑わっているようだね」「実際に(いわきに)行った人から繁盛していると聞いた」と羨む声だった。 だが、それは幻想と言っていい。いわきでも土曜日にもかかわらず、団体の2次会需要はほとんどないため、夜10時以降閑散とするのは会津若松と変わらない。「食」がメインの店舗でも、売り上げがコロナ禍前の7割に戻っていれば良い方だ。店を開けるだけでは2次会の客が来ることは期待できず、多くの老舗が客の行動変化に苦労していた。 地方は少子高齢化が急速に進み、経済規模の縮小は免れられない。いわきは首都圏に近いという地の利はあるが、会津若松と同様、コロナ禍から未だ立ち直ってはいない。 県内4市の夜の街を調査すると、感染拡大前から飲食店は総じて減っており、コロナ禍が閉店を早めたと言える。本稿末尾にコロナ禍後に電話帳から消えたスナック、バー・クラブの営業調査結果を載せた。近隣の店主に聞くと、コロナ禍前に閉じた店も散見された。 電話帳から消えた会津若松市のスナック、バー・クラブ 〇…6月3日(土)に営業確認 ×…営業未確認 店名建物名営業状況栄町スナック翼パピヨンプラザビル×スナックあんり五番街ネクサスビル×スナック燁里エクセレント大手門ビル×スナックみっちゃん×Coralマリンビル×さざなみ三進ビル×すなっくなおこ白亜ビル×スナックひまわり×スナック演歌Mビル→白亜ビル〇上流階級ヴェルファーレビル〇西栄町スナック情不明×行仁町ラブストーリーリトル東京×上町スナックオルゴール(織香瑠)上町一番街×スナックディアレストAsahi Alpa×スナックアンルート×でん福マルコープラザ×レイティス(RETICE)パティオビル×regalia×スナックageha〇スナック古窯パティオビル→移転〇ミュージックパブオアシスセンチュリーホテル×ゴールデンウェーブ×Villeセンチュリー・ノアビル×スナック胡遊×ピンクパンサー〇佑花×馬場町ベルコット石井ビル×スナックシナリオサンコープラザビル×れとろ×ENZYU×宮町パーティハウス北日本ビル×スナック赤いグラス明月ビル×ニューサンシャインサンシャインビル× 「無尽」の互助に異変  飲食店街は打つ手がないのか。前出の飲食店経営者は「会津若松の夜の活気は無尽が支えてきた」と話す。 無尽とは、会員が掛け金を出し合い、一定期日にくじで優先的に融通の権利を得るシステムやその会のこと。前近代的な金融の一種で、現在は山梨県のものが有名。福島県内では会津地方が盛んだ。 飲食店経営者が説明する。 「例えば会費を1万円とします。5000円を場所代として飲食店で消費し、残りの5000円を積み立てる。10人集まれば、1回の集まりにつき店に5万円を落とし、無尽に5万円を積み立てられる。1年後には60万円に達し、くじでもらう人を決めたり、急ぎの金が要る人に融通する。親睦旅行の代金に充て、会員全員に還元する方法もある」 個々の無尽で取り決めは違うが、現代では無尽にかこつけて集まることが目的なので、積み立てや融通の方法自体は重要ではないという。互助的なシステムである点が大事だ。 「居酒屋はたいてい1店につき6~12本の無尽を持っている。毎月1、2回は店に集まって会を開くので、何本無尽を持てるかが経営の安定につながると言っていい。常連客の他に魚屋、酒屋などの出入り業者、スナックの店主も参加する」(前出の飲食店経営者) 1次会はその居酒屋で、2次会は無尽に参加しているスナックで、という流れができ、常連客も店主も無尽つながりでお互いに店を利用するようになる。「無尽の飲み会がある」と言うと、家族も「しょうがない」と止めるのを諦めるほどの大義名分が立つという。 選挙も無尽で決まると言っても過言ではない。酒席では「健康状態が悪いらしい」「金銭的に苦しいようだ」と政治家のウワサが飛び交い、それを会社や家庭に持ち帰ったり、掛け持ちしている別の無尽で話したりして末端まで広がる。 「いわば選挙キャンペーンの装置です。多くは根も葉もないウワサですが、本人にとっては政治生命に関わる。政治家は、酒席でウワサを否定しなければなりません」(同) 企業も無縁ではない。この経営者によると、商工団体以上の情報伝達網だという。経営難や信用不安など悪いウワサも多い。 侮れない無尽だが、さすがにコロナ禍では自粛となった。 前出のスナックママは 「コロナを機に無尽もやめようという話が出てずいぶん減りました。無尽という言葉すら聞かなくなりましたね」 一方で、前出の飲食店経営者は楽観的だ。1次会の客をメインにしている事情がある。 「飲食店同士の無尽は出費を抑えるために減ったかもしれませんが、個人の参加は着実にあります。ウワサ、酒、選挙という勝負事への欲求は人間のさがですからね。定期的に街へ出る回数が増えれば、飲食店街に広く波及していくはずです。懸念しているのは、運転代行業者が確保できないことです。会津若松の飲食店街は近隣市町村からも多くのお客さんが来ます。コロナ禍で減った運転代行業者の数が戻らないと客足回復の機会を逃がしてしまう」 その店が主にしているのが1次会か2次会かで見解が全く異なる。人付き合いを断つ理由を与えてしまったのがコロナ禍だったと言える。若者の酒離れが進む昨今、スナックママが体験した無尽離れの方が現実味を帯びる。 あわせて読みたい 【いわき駅前】22時に消える賑わい コロナで3割減った郡山のスナック 客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

  • 丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚【会津若松市】

    【芦ノ牧温泉】丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚

     先月号に「丸峰観光ホテル『民事再生』を阻む諸課題」という記事を掲載したところ、それを読んだ元従業員たちが、在職中に目撃した星保洋社長の杜撰な経営を明かしてくれた。元従業員たちは「あんな社長のもとでは自主再建なんて絶対無理」と断言する。 スポンサー不在の民事再生に憤る元従業員 再建を目指す丸峰観光ホテル  会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵が福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請したのは2月26日。負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 両社の経営状態が分かる資料は少ないが、東京商工リサーチ発行『東商信用録福島県版』に別表の決算が載っていた。もっとも、その数値もコロナ禍前のものだから、現在は更に厳しい売り上げ・損益になっているのは間違いない。 丸峰観光ホテルの業績売上高利益2012年15億4700万円1億1000万円2013年14億3100万円14万円2014年14億9400万円190万円2015年8億8500万円980万円2016年9億7300万円5200万円 丸峰庵の業績売上高利益2013年4億0800万円16万円2014年5億0700万円▲1800万円※決算期は両社とも3月。▲は赤字。  両社の社長を務める星保洋氏は、3月に開いた債権者説明会で自主再建を目指す方針を明らかにした。債権者が注目していたスポンサーについては「今後の状況によっては(スポンサーから)支援を受けることも検討する」と説明。スポンサー不在で再建を進めようとする星社長のやり方に、多くの債権者が首を傾げていた。 先代社長で女将の星弘子氏(保洋氏の母、故人)にかつて世話になったという元従業員はこう話す。 「丸峰観光ホテルは最盛期、土日のみで年13億円を売り上げていた。あの施設規模だと損益分岐点は10億円。しかし、稼働率は震災・原発事故や新型コロナもあり低調で、現在は少しずつ回復しているとしても2022年3月期決算は売上高5億円台、最終赤字2億円超というから、スポンサー不在で再建できるとは思えない。それでも自主再建を目指すというなら、トップが代わらないと無理でしょう」 このように、社長交代の必要性を指摘する元従業員だが、 「ただ、私は丸峰を辞めてからだいぶ経つので、現社長の経営手腕はウワサで聞くことはあっても、実際に見たわけではない」(同) ならば、会社が傾いていく経過を間近で見ていた元従業員は、星社長の経営手腕をどう評価するのか。 ここからは、先月号の記事を読んで「ぜひ星社長の真の姿を知ってほしい。そして、この人のもとでは自主再建は絶対無理ということを分かってほしい」と情報を寄せてくれたAさんとBさんの証言を紹介する。ちなみに、ふたりの性別、在職時の勤務先、退職日等々を書いてしまうと、誰が話しているのか特定される恐れがあるため、ここでは触れないことをご了承いただきたい。 まず驚かされたのが星社長の金銭感覚だ。少ない月で20~30万円、多い月には100万円以上の個人的支出を「これ、処理しておいて」と経理に回していたという。 一体何に浪費していたのか、その一部は後述するが、 「要するに、会社の財布を自分の財布のように使っていた」(Aさん) そのくせ、取引先への支払いは後回しにすることが多く、口うるさい取引先には10日遅れ、物分かりがいい取引先には1、2カ月遅れで支払うこともザラだった。 「そういうことをしておいて、自分はレクサスを乗り回し、飲み屋に出入りしていた。取引先はそんな星社長の姿を見て『贅沢する余裕があるならオレたちに払えよ!』といつも怒っていた」(Bさん) ふたりによると、星社長は滞っている支払いをめぐり、どこを優先するかを決める会議まで開いていたというから呆れるしかない。 「こういう無駄な会議が、本来やるべき業務の妨げになっていることを星社長は分かっていない」(同) 従業員に対しても、会社のために立て替え払いをしても数百円、1000円の精算にさえ応じないケチっぷりだった。 AさんとBさんが口を揃えて言うのは「本業に注力していれば傾くことはなかった」ということだ。本業とは、言うまでもなく丸峰観光ホテルを指す。ならば経営悪化の要因は丸峰庵が手掛ける「丸峰黒糖まんじゅう」にあったということか。 「黒糖まんじゅうは、利益は薄かったかもしれないが現金収入として会社に入っていたし、お土産として需要があったという点では本業とリンクしていたと思う」(Aさん) 問題は、丸峰庵が行っていた飲食店経営にあった。 前出・かつての従業員によると、そもそも飲食店経営に乗り出したのは星弘子氏が健在のころ、保洋氏の妻が姑との関係に悩み、夫婦で一時期、会津若松市から郡山市に引っ越したことがきっかけという。保洋氏からすると、妻のことを思って弘子氏と距離を置く一方、ホテル経営で実績を上げる母を見返すため、別事業で成果を出したい思惑もあったのかもしれない。 報道等によると、飲食店経営は2006年ごろから参入し、もともとは「丸峰観光ホテルの外食事業」としてスタート。しかし、2014年にホテル経営に注力するため、まんじゅう製造・販売事業と併せて丸峰庵に移管した。 現在、丸峰庵が経営しているのはJR郡山駅のエキナカに並んでいる蕎麦店と中華料理店、同駅前に立地するダイワロイネットホテルの飲食テナント(1階)に入っている、エキナカよりグレードの高い蕎麦店。 「それ以外に郡山駅西口の陣屋では居酒屋とバーを経営している。大町にもかつて居酒屋を出したことがある」(Aさん) そのほか東京都内にも飲食店を構えたことがあったが「3年程前に撤退し、今は都内にはない」(同)。 店を出すのが「趣味」 丸峰庵  これらの飲食店が繁盛し、グループ全体の売り上げを押し上げていればよかったが、現実は本業の足を引っ張るお荷物になっていたという。 「駅前は人が来ないのに家賃が高い。そんな場所に、会社にとって中心的な店を三つも出している時点で厳しい。都内から撤退したのは正解でしたが」(同) そんな甘い出店戦略もさることながら、従業員の目には星社長の経営感覚も違和感だらけに映った。 「ちゃんとリサーチして出店しているのかな、と思うことばかりだった。例えば、大町の立地条件が悪い場所に『知り合いから紹介された』と中華料理店を出したが、案の定、客が入らず閉店した。すると、今度は同じ場所でしゃぶしゃぶ店をやると言い出し、店内を改装してオープンしたが、こちらも数カ月で閉店してしまった」(Bさん) さらに問題なのは、▽閉店後に完全撤退するのではなく「また店を出すかもしれない」と無駄な家賃を支払い続けた、▽出店に当たり他店から料理人等を引き抜いてきたのに、すぐに閉店させたことで行き場を失わせた、▽店が営業中、経営が厳しいと理解しているのに対策を練らない――等々、先を見据えている様子が一切見られないことだった。 「要するに、星社長にとっては店を出すことが目的なので、オープンしたら途端に興味を失うのです。もし店を出すことが手段なら、客を増やすにはどうしたらいいか真剣に考えるはず。しかし、星社長は『今月は〇〇円の赤字です』と報告を受けても全く焦らないし悩まない」(同) 星社長にとっては、店を出すことが「趣味」なのかもしれない。そうなると、飲食店事業で儲けようという考えは出てこないだろう。 「出店に当たっては、厨房機器等をネット通販で勝手に買い、会社に払わせていた。普通はリースやまとめ買いで揃えると思うが、与信が通らないから個人で揃えるしかなかったのでしょう」(同) 前述・会社に支払わせていた個人的支出の一部は、ネット通販で購入した厨房機器等とみられる。 AさんとBさんは「もし飲食店経営をするなら計画的に出店し、店舗数を絞ればグループ全体に寄与したのではないか」とも話す。ところが現状は、星社長による無計画な出店が足を引っ張り、従業員の間に軋轢を起こしていたと指摘する。 「ホテルやまんじゅう製造・販売に関わる従業員は『儲からない飲食店のおかげでオレたちが稼いだ利益が食われている』と不満に思っていた。飲食店経営に関わる従業員はそれをよく理解していたが、出店が趣味の星社長は意に介さないし、忠告する幹部社員もいない」(Bさん) 「かつては苦言を呈する幹部社員もいたが、星社長が聞く耳を持たないため嫌気を差して辞めていった。今いる幹部社員は星社長のイエスマンばかり」(Aさん) 星弘子氏が健在のころは強いブレーキ役を果たしていたが、2019年に弘子氏が亡くなったのを境にタガが外れ、本業から飲食店経営への資金流出が起こっていた可能性も考えられる。 こうした状況を招いた経営者が民事再生法の適用を申請し、スポンサー不在のまま自主再建を目指すと言い出したから、AさんとBさんは既に退職した立場だが「債権者に失礼だし、従業員も気の毒」として、星社長の真の姿を伝えるべきと決心したという。ふたりとも「そういう経営者のもとで自主再建を目指そうなんてとんでもない」と憤りが収まらなかったわけ。 AさんとBさんは、最後にこのように語った。 「SNSで『大好きなホテルなので残念』『再建できるよう応援しています』とのコメントを見かけたが、それは従業員がお客さんに真摯な接客をしたから言われているのであって、星社長を応援しているわけではないことを理解してほしい。私たちは、スポンサーがつくなどして新しい経営者のもとで再建を目指すなら応援するが、星社長が主導する再建は賛成できない」 難しい自主再建 渓谷美の宿 川音(HPより)  丸峰観光ホテルは現在も予約を受け付けるなど、傍目には平時と変わらない営業を続けているという。しかし、三つある施設のうち「渓谷美の宿 川音」は古代檜の湯が工事中で男女ともに営業停止。「レストランあいづ五桜」も設備メンテナンスのため休業している。どちらも再開日は未定だ。 このほか二つの施設「丸峰本館」「離れ山翠」のうち、本館も休館中との話もあり、営業しているのは離れ山翠だけとみられる。客が入らないのに巨大な施設を稼働させても経費の無駄なので、経営資源を集中させるという意味では正解と言える。 ただ、本誌には4月中旬に起きた出来事として「その日は給料日だったが振り込まれず、従業員がホテルに詰めかける騒動があった」「給料は支払われたが、3月は手渡し、4月は振り込みだったらしい」との話も寄せられており、これが事実なら星社長は当面の資金繰りに窮していることが考えられる。 今後注目されるのは、これから債権者に示されることになる再生計画の中身だ。以下は『民事再生申立ての実務』(東京弁護士会倒産法部編、ぎょうせい発行)に基づいて書き進める。 民事再生申し立てに当たり、再生債務者(丸峰観光ホテルと丸峰庵)は裁判所や監督委員から、申し立て前1年間の資金繰り実績表と、申し立て後半年間の資金繰り予定表の提出を求められる。資金繰りができなければ再生計画の策定・認可を待つことなく事業停止に追い込まれるため、再生債務者にとって資金繰り対策は極めて重要になる。 再生債務者は「申し立てによる相殺」や「申し立て前の差し押さえ」といった難を逃れて確保できた資金をもとに資金計画を立てる。ここで重要なのは、入金・出金の確度を高めることができるかどうかだ。関係者に協力を仰ぎ、既発生の売掛金・未収金・貸付金などの回収を進め、将来発生する売掛金の入金見込みを立てると同時に、支払い条件を一定のルールに基づき決定し、支出の見込みも立てる。併せて棚卸や無担保資産の早期処分を適宜行う。 問題は、星社長がこのような資金繰りのメドをつけられるかどうかだが、前述した個人的支出、取引先への支払い遅延、給料遅配、さらに飲食店事業をめぐっては家賃滞納のウワサも囁かれる中、取引先・債権者から資金繰りの理解と協力が得られるかは疑問だ。 メーンバンクの会津商工信組も、民事再生申し立て前に「思うように再建が進まない」と嘆いていたというし、前出・AさんとBさんも「星社長は他人の意見を聞かない」というから、自主再建が見込める資金計画が立てられるとは考えにくい。 だからこそ、スポンサーの存在が重要になるのだ。スポンサーがつけば信用が補完され、再生債務者の事業価値の毀損(信用不安・資金不足による取引先との取引中止、従業員の退職、顧客離れなど)が最小限に抑えられる。スポンサーによる確実な事業再生が見込まれ、申し立ての前後からスポンサーの人的・資金的協力も得られる。 スポンサー不在の違和感  全国を見渡しても、鳥取県・皆生温泉の老舗旅館「白扇」は負債16億円を抱えて4月7日に民事再生法の適用を申請したが、同日付で地元の食肉加工会社がスポンサーにつくことが発表された。昨年3月に負債11億円で同法適用を申請した山梨県・湯村温泉の「湯村ホテル」も、スポンサー候補を探すプレパッケージ型民事再生に取り組み、半年後に事業譲渡した。2021年8月に同法適用を申請した北海道・丸駒温泉の「丸駒温泉旅館」は、全国で地域ファンドを運用する企業がスポンサーとなって再建が図られた。負債は8億3000万円だった。 ここに挙げた事例より負債額が格段に多い丸峰観光ホテル・丸峰庵がスポンサー不在というのは、やはり違和感がある。今後は3月の債権者説明会で言及がなかったスポンサーを見つけることが、今夏にも債権者に示されるであろう再生計画案の成否を握るのではないか。 ちなみに再生計画案を実行に移せるかどうかは、債権者集会に同案を諮り①議決権者の過半数の同意(頭数要件)、②議決権の総額の2分の1以上の議決権を有する者の同意(議決権数要件)を満たす必要がある。 本誌は民事再生の申請代理人を務めるDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士を通じて、星社長に取材を申し込んだ。具体的に15の質問項目を示して回答を待ったが、両者からは期限までに何の返事もなかった。 この稿の主人公は丸峰観光ホテルだったが、星社長のような経営者は他にもいるはずで、そこにコロナ禍が重なり、青息吐息のホテル・旅館は少なくないと思われる。杜撰な経営を改めなければ早晩、手痛いしっぺ返しに遭うことを経営者は肝に銘じるべきだ。 最後に余談になるが、4月中旬、本誌編集部に会津商工信組と取り引きがあるとする匿名事業者から「今回の民事再生で信組の損失がどれくらいになるか心配」「役員が責任を取って辞める話が出ている」「これを機に新体制のもとで以前のような活気ある組織に戻ってほしい」などと綴られた投書が届いた。組合員は丸峰観光ホテル・丸峰庵の再生の行方と同時に、メーンバンクの同信組が今後どうなるのかについても強い関心を向けている。 あわせて読みたい 芦ノ牧温泉【丸峰観光ホテル】民事再生を阻む諸課題【会津若松市】

  • 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

    会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

     会津若松市職員(当時)による公金詐取事件は、だまし取った約1億7700万円の使い道が裁判で明らかになってきた。生活費をはじめ、競馬や宝くじ、高級車のローン返済や貯蓄、さらには実父や叔父への貸し付け、挙げ句には交際相手への資金援助。詐取金は、家族の協力を得ても半分しか返還できていない。本人が有罪となり刑期を終えても、一族を道連れに「返還地獄」が待っている。 一族を道連れにした「1.8億円の返還地獄」  会津若松市の元職員、小原龍也氏(51)=同市河東町=は在職中、児童扶養手当や障害者への医療給付を担当する立場を悪用し、データを改ざんして約1億7700万円もの公金をだまし取っていた。パソコンに長け、発覚しにくい方法を取っていただけでなく、決裁後の起案のグループ回覧を廃止したり、チェック役に新人職員や異動1年目の職員を充てて職員同士の監視機能が働かない体制をつくっていた。 不正発覚後、市は調査を進め、昨年11月7日に会津若松署に小原氏を刑事告訴した上で懲戒免職にした。同署は任意捜査を続け、同12月1日に詐欺容疑で逮捕した。  その後も、市は個別の犯行について被害届を提出。同署は一連の詐欺容疑で計5回逮捕し、地検会津若松支部がうち4件を詐欺罪で起訴している(原稿執筆時の3月中旬時点)。検察は全ての逮捕容疑を罪に問う見込みだ。小原氏は、これまでに法廷で読み上げられた起訴事実2件を「間違いございません」と認めている。一つの公判が開かれるたびに新たな起訴事実が読み上げられ、本格的な審理にまで至っていない。 地元の事情通が警察筋から聞いた話によると、捜査は2月中に終結する見込みだった。5回目の逮捕が3月9日だから、当初の想定よりずれ込んでいる。 逮捕5回は身に応えるのだろう。出廷した小原氏の髪は白髪交じりで首の後ろまで伸び、キノコのかさのように頭を覆っていた。もともと痩せていて背が高いのだろうが、体格のいい警察官に挟まれて連行されるとそれが際立った。顔はやつれ、いつも同じ黒のトレーナー上下とスリッパを身に着けていた。 刑事事件に問われているのは犯行の一部に過ぎない。2007~09年には、重度心身障害者医療費助成金約6500万円を詐取していたことが市の調査で分かっている(表参照)。だが、詐欺罪の公訴時効7年を過ぎているため立件されなかった。市は「民事上の対応で計約1億7700万円の返還を求めていく」としている。 元市職員による総額1億7700万円の公金詐取と返還の動き 1996年4月大学卒業後、旧河東町役場入庁。住民福祉課に配属1999年4月保健福祉課に配属2001年4月税務課に配属2005年4月建設課に配属11月合併で会津若松市職員に。健康福祉部社会福祉課に配属2007年4月~2009年12月6571万円を詐取(重度心身障害者医療費助成金)2011年4月財務部税務課に配属2014年11月健康福祉部こども保育課に配属2016年5月地元の金融機関から借金するなどして叔父に700万円を貸す7月実父に700万円を貸す2018年4月健康福祉部こども家庭課に配属。こども給付グループのリーダーに昇任2019年4月~2022年3月1億1068万円を詐取(児童扶養手当)2021年60万円を詐取(21年度子育て世帯への臨時特別給付金)2022年4月健康福祉部障がい者支援課に配属6月市が支給金額に異変を発見。内部調査を開始8月市が小原氏から詐取金の回収を開始9月市が返還への協力を求めて小原氏の家族と協議開始11月7日市が小原氏を刑事告訴し懲戒免職11月8日時点9112万円を返還(残額は全額の49%)11月30日8~10月の給料分56万円を返還12月1日1回目の逮捕12月28日家族を通じて11月の給料分2万円を返還2023年2月6日実父から市に40万円の支払い2月14日時点8489万円が未返還(残額は全額の48%)出典:会津若松市「児童扶養手当等の支給に係る詐欺事件への対応について」(2022年11月、23年2月発行)より。1000円以下は切り捨て。  市は早速、小原氏を懲戒免職にした後の昨年11月8日時点で半分に当たる9112万円を回収した。小原氏に預金を振り込ませたほか、生命保険を解約させたり、所有する車を売却させたりした。 小原氏が逮捕・起訴された後も回収は続いている。まず、小原氏が昨年8月から同11月に懲戒免職になるまでに支払われた給料約3カ月分、計約58万円を本人や家族を通じて返還させた。加えて小原氏の実父が40万円を支払った。それでも市が回収できた額は計約9210万円で、だまし取られた公金の全額には到底届かない。約48%に当たる約8489万円が未回収だ。 身柄を拘束されている小原氏は今すぐに働いて収入を得ることはできない。初犯ではあるが、多額の公金をだまし取った重大性と過去の判例を考慮すると実刑が濃厚だ。 ちなみに初公判が開かれた1月30日、同じ地裁会津若松支部では、粉飾決算で計3億5000万円をだまし取ったとして詐欺罪などに問われていた会社役員吉田淳一氏に懲役4年6月が言い渡されている(㈱吉田ストアの元社長・吉田氏については、本誌昨年9月号「逮捕されたOA機器会社社長の転落劇」で詳報しているので参照されたい)。 小原氏は3月中旬時点で五つの詐欺罪に問われており、本誌は罪がより重くなると考えている。同罪の法定刑は10年以下の懲役。二つ以上の罪は併合罪としてまとめられ、より重い罪の刑に1・5を掛けた刑期が与えられる。単純に計算すると10年×1・5=15年。最長で刑期は15年になる。実刑となればその期間の就労は不可能。刑務作業の報償金は微々たるもので当てにならない。 小原氏に実刑が科されれば、市は公金を全額回収できない事態に陥る。そのため市は、小原氏の家族にも返還への協力を求めてきた。小原氏は妻子とともに市内河東町の実家で両親と同居していたが、犯行発覚後に離婚したため、立て替えているのは両親だ。 実父は市に「年2回に分けて支払う」と申し出たが、前述の通りこれまでに支払ったのは1回につき40万円。残額は約8489万円だから、1年間に80万円ずつ返還すると仮定しても106年はかかる。今のペースのままでは、小原氏や家族が存命中に全額返還はかなわない。 返還が遅れると小原氏も不利益を被る。刑を軽くするには、贖罪の意思を行動で示すために少しでも多く返還する必要があるからだ。十分な返還ができず、刑期が減らなければ、その分だけ社会復帰が遅れ、返還に支障が出るという悪循環に陥る。 「裁判が終わるまでに全額返還」が市と小原氏、双方の共通目標と言える。だが、無い袖は振れない。ここで市が言う「民事上の対応も考えている」点が重要になる。小原氏側からの返還が滞り、返還に向けて努力する姿勢を見せなければ損害賠償請求も躊躇しないということを意味する。ただ、小原氏には財産がない以上、民事訴訟をしたところで回収は果たせるのか。親族に責任を求めて提訴する方法も考えられるが。 市に問い合わせると、 「詐取の責任は一義的に元市職員(小原氏)にあり、親族にまで民事訴訟をすることは考えていない」(市人事課) 確かに、返還義務があるのはあくまで犯行に及んだ小原氏だけだ。いくら親子関係にあっても互いに別人格を持った個人であり、犯罪の責任を親にかぶせることを求めてはいけない。現状、小原氏の実父が少額ずつであれ返還に協力している以上、強硬手段は取れない。小原氏や家族の資力を勘案して、できるだけ早く返還するよう強く求めることが、市が取れる手段だ。こうして見ると、一族が一生かかっても返還できない額をよく使い切ったものだと、小原氏の金銭感覚に呆れる。 実父、叔父、交際相手を援助 小原氏の裁判が開かれている福島地裁会津若松支部(1月撮影)  それでも、小原氏本人が返還できなければ、家族や親族を民事で訴えてでも回収すべきという意見も市民には根強い。なぜなら「公金詐取の引き金は親族への貸し付けが一要因である」との趣旨を小原氏が供述でほのめかしているからだ。 検察官が法廷で述べた供述調書の内容を記す。 小原氏は2016年5月ごろに叔父に700万円を貸している。小原氏と実父の供述調書では、小原氏は実父に頼まれて同年7月に700万円を貸している。 いずれの貸し付けも公金をそのまま貸したわけではなく、まずは地元の金融機関から借りるなどして捻出した金を叔父と実父に渡した。だが叔父からは十分な額を返してもらえず、小原氏はもともと抱えていた借金も重なって金融機関への返済に窮するようになった。その結果、公金詐取に再び手を染めたという。 事実が供述調書通りなのか、法廷での小原氏自身の発言を聞いたうえで判断する余地がある。だが逮捕前の市の調査でも、小原氏は「親族の借金を肩代わりするために公金を詐取した」と弁明しているので、供述との整合性が取れている。 地元ジャーナリストが小原氏の家族関係を話す。 「実父は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐという。三男(同)は公務員だそうだ。叔父は過去に勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあると聞いている。『親族の借金の肩代わり』とは叔父のことを指しているのかもしれない」 供述と証言を積み上げていくと、実父と叔父には自前では金を用意できない事情があった。2人は市役所職員という信頼のある職に就いていた小原氏に無心し、小原氏は金融機関から借金。もともと金に困っていたところに、借金でさらに首が回らなくなり、再び犯行に及んだことがうかがえる。 実父と叔父の無心は、既に公金詐取の「前科」があった小原氏を再犯に駆り立てた形だ。2人からすると「借りた相手が悪かった」と悔やんでいるかもしれないが、小原氏が市役所職員に見合わない金の使い方をしているのを傍で見ていて、いぶかしく思わなかったのだろうか。 だが、人は目の前に羽振りの良い人物がいたら「そのお金はどこから来たのか」とは面と向かって聞きづらいだろう。自分に尽くしてくれるなら疑念は頭の隅に置く。 小原氏には妻以外に交際相手がいた。相手が結婚を望むほどの仲で、小原氏はその子どもに食事をごちそうしたりおもちゃを買ったりしていたという。交際相手と子どもの3人で住むためのマンションも購入していた。しかし事件発覚後、交際相手は小原氏に現金100万円を渡している(検察が読み上げた交際相手の供述調書より)。自分たちが使っていた金の原資が公金なのではないかと思い、恐ろしくなって返したのではないか。 加算金でかさむ返還額 小原氏と実父が共有名義で持つ市内河東町の自宅。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  不動産を金に換える選択肢も残っている。ただ登記簿によると、市内河東町にある小原氏と実父の自宅は2000年10月に新築され、持ち分が実父3分の2、小原氏3分の1の共有名義。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。返済できなければ自宅は同信金によって処分されてしまうので、返還の財源に充てられるかは不透明だ。 小原氏のみならず、家族も窮状に陥っている。だがいかんせん、同情されるには犯行規模が大きすぎた。小原氏は国や県が負担する金にも手を出していたからだ。主に詐取した児童扶養手当の財源は3分の1が国負担(国からの詐取額約3689万円)、重度心身障害者医療費助成金は2分の1が県負担(県からの詐取額約3285万円)、子育て世帯への臨時特別給付金に至っては全額が国負担(国からの詐取額約60万円)だ。 早急に全額返金できなければ市は政府と県に顔向けできない。何より、いずれの財源も国民が納めた税金である。ここで生温い対応をしては、国民や市民からの視線が厳しくなる。市は引き続き妥協せずに回収していくとみられる。 利子に当たる金額をどうするかという問題も出てくる。公金詐取という重罪を、正当な取り引きである借金に当てはめることはできないが、他人の金を一時的に自分のものにしたという点では同じだ。借金なら、返す時に当然利子を支払わなければならない。だまし取ったにもかかわらず、利子に当たる金額を支払わずに済むのは、民間の感覚では到底許せない。 市に、利子に当たる金額の支払いを小原氏に求めるのか尋ねると「弁護士に相談して対応を決めている」(市人事課)。ただ、市に対し国負担分の返還を求めている政府は、部署によっては加算金を求めることがあるという。市が小原氏の代わりに加算金を負担する理由はないので、市はその分を含めた返還を小原氏に求めていくことになる。要するに、小原氏は加算金=利子も背負わなければならず、返還額はさらに増えるということだ。 小原氏は自身が罪に問われるだけでなく、一族を「公金の返還地獄」へと道連れにした。囚われの身の自分に代わり、家族が苦しむ姿に何を思うのだろうか。 あわせて読みたい 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

  • 丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚【会津若松市】

    芦ノ牧温泉【丸峰観光ホテル】民事再生を阻む諸課題【会津若松市】

     会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵は2月28日、福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請した。債権者説明会では営業体制を見直し、自主再建を目指す方針が示されたが、取引先や同業者は「スポンサーからの支援を受けずに再建できるのか」と先行きを懸念する。 スポンサー不在を懸念する債権者  民間信用調査機関によると負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 《1994(平成6)年3月期にはバブル景気が追い風となり、売上高25億円とピークを迎えた。1995年3月期以降は景気後退で利用者数が減少。債務超過額も拡大していた》《2020(令和2)年に入ると新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた。2022年3月期は売上高が5億円台まで後退し、2億円超の最終赤字を計上した。その後も業況は好転せず、資金繰りが限界に達した。丸峰庵はホテルに連鎖する形で民事再生法の適用を申請した》(福島民報3月1日付より) 申請代理人はDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士ほか2名が務めている。 債権者の顔ぶれや各自の債権額は判明していないが、主な仕入れ先は地元の水産卸売会社、食肉会社、冷凍食品会社、土産物卸商社など。そのほかリネン、アメニティー、旅行代理店、広告代理店、リース、コンパニオン派遣、組合など取引先は多岐に渡るとみられる。 最大の債権者である金融機関については、同ホテルの不動産登記簿に基づき権利関係を別掲しておく。 根抵当権極度額1250万円1972年設定会津商工信組根抵当権極度額2400万円1974年設定会津商工信組根抵当権極度額3600万円1976年設定会津商工信組根抵当権極度額4000万円1976年設定福島銀行根抵当権極度額3億円1979年設定商工中金根抵当権極度額2億4000万円1981年設定常陽銀行根抵当権極度額4億5000万円2011年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定商工中金根抵当権極度額3億円2018年設定商工中金  ㈱丸峰観光ホテル(1965年設立、資本金3000万円)は客室数65室の「丸峰本館」、同49室の「丸峰別館川音」、同6室の「離れ山翠」を運営する芦ノ牧温泉では最大規模の温泉観光ホテル。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓子、田中博志、監査役=川井茂夫の各氏。 同ホテルでは「丸峰黒糖まんじゅう」などの菓子製造・販売も営み、ピーク時には郡山市の駅構内や駅前などで飲食店も経営していたが、業績が振るわず、2014年に関連会社の㈱丸峰庵(2006年設立、資本金300万円)に旅館経営以外の事業を移した。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓子の各氏。 同ホテルの関係者によると「まんじゅうはともかく、飲食店は本業との相乗効果を生まないばかりか、ホテルで稼いだ利益を注ぎ込んだこともあったはずで、経営が傾く要因になったのは間違いない」。実際、丸峰庵は都内2カ所にも支店を構えるなど、身の丈に合わない経営が常態化していた様子がうかがえる。 同ホテルはホームページで、今後も事業を継続すること、引き続き予約を受け付けること、監督委員の指導のもと一日も早い再建を目指すことを告知している。 「再建に向け、メーンバンクの会津商工信組も尽力したが『思うようにいかない』と嘆いていた。もっとも同信組に、大規模な温泉観光ホテルを立て直すコンサル能力があるとは思えませんが」(同) 同ホテルは2019年に亡くなった先代で女将の星弘子氏が辣腕を振るっていた時代は上り調子だった。 「女将は茨城方面の営業に長け、そこを切り口に関東から多くの大型観光バスを呼び込んでいた。平日や冬季の稼働率を上げるため料金を下げ、それでいて利益を確保する商品を開発したり、歌手を呼ぶなどの企画を練ったり、常に経営のことを考えている人だった」(同) 1980~90年代にかけてはテレビCMを流したり、2時間ドラマの舞台になったり、高級車やクルーザーを所有するなど、成功者の威光を放っていた。 しかし、次第に団体客が減り、観光地間の競争が激化。そのタイミングで経営のかじ取りが星弘子氏の息子・保洋氏に代わると、以降は浮上のきっかけをつかめずにいた。 民事再生の申請後、本誌が耳にした同ホテルや星社長の評判は次のようなものだった。 ▽取引先との間で支払いの遅延が起きていた。 ▽星社長は経営合理化を進めるため、外部の管理職経験者を招き入れたが、強引な進め方が社内で反発を招き、ベテランや士気の高かった社員が相次いで退職した。 ▽その一方で、星社長は高級車レクサスに乗っていたため、ひんしゅくを買っていた。 ▽地元建設会社に改修工事を依頼するも、前回工事の未払い金が残っていることを理由に断られた。 丸峰庵をめぐっても、こんな話が聞かれた。 ▽顧客ごとの特注包装紙や新商品のパッケージングなど工夫を凝らしていたが、ロット発注になってしまうため、経費増が囁かれていた。 ▽道の駅などに通常の委託販売ではなく買い取り販売を依頼するも、在庫ロスへの懸念から断られた。 ▽賞味期限の短い商品を社員が直接納品するのではなく、宅配便で送るなど、商品管理体制が疑問視されていた。 ▽飲食店の家賃を滞納していた。 ちなみに1987年には、法人税法違反で法人としての同ホテルに罰金1600万円、当時の代表取締役である星弘子氏に懲役1年執行猶予3年の有罪判決が福島地裁で言い渡されている。 難しい自主再建 臨時休業中の丸峰庵  ある債権者によると、社員たちは民事再生の申請を外部から知らされたという。 「ウチは当日(2月28日)の昼にファクスで通知が届いた。その日はちょうど仕入れ業者への支払日で、各業者が付き合いのある社員に『支払いはどうなるんだ』と個別に問い合わせたことで社員たちに知れ渡った。社員たちが星社長から話をされたのはその後だったそうです」 債権者説明会は同ホテルが3月3日、丸峰庵が同8日に開いたが、出席者は淡々としていたという。 「仕入れ業者からは『未払い分は払ってもらえるのか』『この先の支払い方法はどうなるのか』などの質問が出ていた。会津商工信組から発言はなかったが、商工中金が今後の経営体制を尋ねると、星社長は『ある程度目処がついたら経営から退く』と答えていた」(同) しかし、それを聞いた出席者たちは首を傾げた。 「理由は二つある。一つは既に決まっていると思われたスポンサーがおらず『今後の状況によってはスポンサーから支援を受けることも検討する』と星社長が述べたことです。物心両面で支援してくれるところがなければ、経営者の交代はもちろん再建もままならない。もう一つは星社長には子どもがいないため、後継者の見当がつかないことです」(同) スポンサー不在については、ホテル再建に携わった経験を持つ会社社長も「正直驚いた」と話す。 「民事再生はあらかじめ綿密な計画を立て、これでいけるとなったら申請―公表するが、その際、重要になるのがスポンサーの存在です。申請すれば新たな融資を受けられないので、スポンサー探しは必須。もちろん、スポンサー不在でも再建はできるだろうが、星社長はこの間、あらゆる手立てを尽くし、それでもダメだったのだから、尚のこと緻密な自主再建策を用意する必要がある。そうでなければ今後、同ホテルが再生計画案を示しても債権者から同意を得られるかは微妙だと思います」 なぜスポンサー不在をここまで嘆くのかというと、自主再建するには本業の将来収益から再生債権を弁済しなければならないからだ。そうした中でこの社長が注目したのは、冒頭の新聞記事中にある「売上高5億円、赤字2億円」という金額だ。 「単純に売り上げが7億円以上ないと黒字にならない。じゃあ7億円以上を売り上げるため、料金を何万円と設定し、1部屋に何人入れて何日稼働させると計算していくと相当ハードルが高いことが見えてくるんです。しかも、丸峰は規模が大きいので固定資産税がかかり、人件費も光熱費もかさむ。年月が経てばリニューアルも必要。挙げ句、お客さんは少ないので、お金は出ていくばかりだと思います」(同) この社長によると温泉観光ホテルは近年、客の見込めない平日を連休にすることが増えているが、丸峰観光ホテルは不定休だったという。 「1年中オープンするのが当たり前の温泉観光ホテルにとって連休はあり得ないことだったが、いざ休んでみると経費が抑えられ、少ない社員を効率良く配置できるなど経営にメリハリが出てくる。丸峰も連休を導入しつつ、3棟ある建物のどれかを臨時休館して経営資源を集中させる必要があるのではないか」(同) 聞けば聞くほど、スポンサー不在では再建は難しく感じる。実際、会津地方のスキー場に中国系企業が参入していることを受け「丸峰も外資が関心を示すといいのだが」との声があるが、芦ノ牧温泉の事情に詳しい人物によると、外資が登場する可能性は低いという。 「芦ノ牧温泉は地元の人たちが土地を所有し、経営者は地主らでつくる芦ノ牧温泉開発事業所に地代を払い、旅館・ホテルを建てている。経営をやめる場合は建物を壊し、土地を原状回復して地主に返さなければならない。同温泉街に廃旅館・廃ホテルが多いのは、解体費を捻出できない経営者が夜逃げしたためです」 要するに、外資にとって芦ノ牧温泉は魅力的な投資先ではない、と。 実際、同ホテルの不動産登記簿を確認すると、土地は芦ノ牧地区をはじめ市内の人たちの名義になっており、そこに同ホテルが地上権を設定し、建物を建てていた。 激減する入り込み数 自主再建を目指す丸峰観光ホテル  民事再生の申請から2週間後、星社長に話を聞けないか同ホテルを訪ねたが、 「社長は連日、取引先を回っており不在です。私たち社員は何も分からないので、それ以上のことはお答えできません」(フロント社員) 申請代理人のDEPT弁護士法人にも問い合わせてみた。 「債権者がスポンサー不在を心配しているのであれば真摯に受け止めなければならないが、私共が今やるべきことは債権者に納得していただける再生計画案を示すことなので、債権者以外の第三者にあれこれ話すのは控えたい」(田尾賢太弁護士) 同ホテルは今後、再生計画案を作成し裁判所に提出。その後、債権者集会に同案を諮り①議決権者の過半数の同意(頭数要件)、②議決権の総額の2分の1以上の議決権を有する者の同意(議決権数要件)を満たす必要がある。民事再生の申請から再生計画の認可までは通常5カ月程度。 前出・債権者は「同ホテルから示される再生計画案に債権者たちが納得するかは分からないが、これまで芦ノ牧温泉を引っ張ってきたホテルなので復活してほしい」と話した。 芦ノ牧温泉はピーク時、30軒近い旅館・ホテルがあったが、現在は8軒。一方、会津若松市の公表資料によると、同温泉の入り込み数は2001年約39万4000人、コロナ禍前の19年約23万1000人、コロナ禍の21年約10万3000人。入り込み数が激減する中、今日まで営業を続けてきた丸峰観光ホテルは善戦した方なのかもしれない。 丸峰観光ホテルのホームページ あわせて読みたい 【芦ノ牧温泉】丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚

  • 【会津若松市】富士通城下町〝工場撤退〟のその後

    【会津若松市】富士通城下町「工場撤退」のその後

     会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 デジタル事業は基幹産業になるか 富士通セミコンダクター会津若松工場(2013年6月撮影)  会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。  会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は4217人。富士通とその関連事業所が同市経済を支えていたことから「富士通城下町」と呼ばれた。 ところが、2008(平成20)年にリーマン・ショックが発生し、世界同時不況に陥ると半導体の売り上げが急落。富士通も大打撃を受け、翌年にはLSI(大規模集積回路)事業を再編。グループ全体で2000人の配置転換を行った。 さらに2013(平成25)年には大規模な希望退職を募り、市内に立地する富士通グループ2工場の従業員約1100人のうち、400人超が早期退職に応じた。 本誌2013年7月号では次のように報じている。 《1980年代に世界を席巻した日本の半導体産業だが、90年代以降はサムスン電子をはじめとした韓国や台湾のメーカーが台頭し、日本企業は苦戦を強いられるようになった。長年半導体事業を進めていた同社だったが、今年2月、システムLSI事業を同業他社のパナソニックと事業統合し、新会社を設立することを発表。さらに、富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ会津工場などの製造拠点を他社に売却・譲渡し、併せて人員削減も進めることで半導体事業を大幅に縮小する方針を打ち出している》 《(※2009年の配置転換実施時は)県外や全く畑違いの事業所への異動に難色を示す人が多く、配置転換を拒否して退職する人が相次いだ。ハローワーク会津若松によると、最終的に800人を超える離職者が発生したという。(中略)若い層の再就職率が高かったものの、働き盛りの年配層がなかなか再就職できず、就職率は約40%にとどまったという》 その後、富士通は半導体から撤退する姿勢を示し、関連工場を本体から切り離した。同市工場は「会津富士通セミコンダクター」として分社化され、製造子会社2社が設立されたが、それら子会社は2020年代に入ってからそれぞれ別の米国企業に完全譲渡された。会津富士通セミコンダクター本体は富士通セミコンダクターと称号変更。同市内から富士通関連の工場は姿を消した。 同市で富士通関連会社の社員と言えばちょっとしたステータスで、ローンの審査が通りやすいため、若いうちから一戸建てを構えている人も少なくなかった。ところが、再編に伴い転勤を命じられたため、転職を決意する人が相次いだ。 「子どもが生まれたばかりとか、受験生を抱えているといった事情の社員は地元の企業に転職した。転勤を受け入れても半導体事業自体が縮小する中だったので、希望の部署に就けるとは限らなかったようだ。最終的には九州に転勤になった人もいる。市内の松長団地では多くの住宅が売りに出され、地価が一気に下落した。地元住民の間では『松長ショック』と言われています」(松長団地に住む男性) 製造品出荷額等が激減 会津若松市役所  同市の2020(令和2)年製造品出荷額等は2290億円(2007年比70%)に落ち込んでおり、電子部品・デバイス・電子回路製造業はわずか約352億円(同33%)だった。従業者数は1544人(同36%)。数字はいずれもコロナ禍前の2019年の実績。 同市の市町村内総生産は2007年度4840億円、2018年度4639億円。製造業の総生産は2007年度1153億円、2018年度809億円。11年間のうちに300億円以上減少している。 「完成品を組み立てるセットメーカーの工場ではないので、市内に下請け企業が集積したわけではなかったのが不幸中の幸いだった」(市内の事情通)と見る向きもあるが、影響は決して小さくない。その穴をどのように埋めていくかが今後の市の課題と言えよう。 市が推し進めているのが、さらなる企業誘致だ。市企業立地課はセールスポイントを「交通インフラが整備されており、災害などが少ない面」と述べる。市内の工業団地はすべて分譲終了しているが、市議会2月定例会の施政方針演説で、新たな工業団地を整備する方針が示された。 ただ、企業誘致においては人手不足がネックとなる。 同市の1月1日現在の現住人口は11万4335人。1995(平成7)年の13万7065人をピークに減少傾向が続いている。 ハローワーク会津若松管内の昨年12月の有効求人倍率は1・6倍。市内の経済人などによると、建設業と製造業が特に不足しているという。 本誌2022年10月号で県内各市町村に「企業誘致を進める上での課題」をアンケート調査したところ、最も多かった回答が「労働人口の減少により働き手が確保できない」というものだった。人手不足に悩んでいるのはどこも共通しており、そうした中で人を集めるのは容易ではない。工業団地整備と同時進行で、会津地域内外から人を集める仕組みを検討する必要がある。 一方で、市が熱心に推し進めているのが、デジタルを活用したまちづくりだ。2011年8月の市長選で初当選した室井照平市長(3期目)が先頭に立って「スマートシティ会津若松」を推し進めてきた。 スマートシティとは、情報通信技術(ICT)などを活用して地域産業の活性化を図りながら、快適に生活できるまちづくりのこと。 同市はこの間、パソコンやスマートフォンによる申請書作成、除雪車ナビ、母子健康手帳の電子化、学校と家庭をつなぐ情報配信アプリ、オンライン診療、スマートアグリ、外国人向け観光情報ホームページといった取り組みを進めてきた。 市内にはコンピューターに特化した会津大学がある。同大の教員のレベルは経済界から高く評価されているが、地元経済の振興と結びついているとは言い難かった。同大と連携が図れれば、さまざまな成果を生み出し、卒業生の就職先につながることも期待できる。 市企業立地課によると、同市は人口10万人規模かつ人口減少など地方ならではの課題を抱えていることが「ICTを使った実証実験・課題解決に最適な場所」と評価されており、実際に企業が同市に拠点を設けるようになっているという。 「バランスが大事」 ICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」  そうした需要を見込み、2019年4月にはICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」が開所。首都圏と同様のオフィス環境に加え、セキュリティや災害時の事業継続性に配慮した施設となっている。現在は二十数社が入居し、400人以上が勤務している。中心的な役割を担うのはコンサルティング会社のアクセンチュア(東京都港区)だ。 同市の事情通は次のように語る。 「室井市長は元市長で会津大設立に尽力した山内日出夫氏と親密な関係で、会津大を活用するアイデアをよく聞いていたようだ。富士通撤退で窮地に立ったとき、かつてのアイデアが頭をかすめたのではないだろうか」 昨年3月には、最有力候補と目されていた国の「スーパーシティ型国家戦略特別区域」の指定に落選したが、その後、国のデジタル田園都市国家構想推進交付金の採択を受けた。約80社の企業で構成される「AiCTコンソーシアム」が事業の実施主体となり、市から7億3400万円の補助を受けてサービス内容を作り上げている。 市が注力する事業の行方に注目が集まるが、当の市民に感想を尋ねると、「スマートシティを実感する機会はないし、生活が良くなったという実感もない」、「デジタルを活用するのに、アイクトのような建物が必要だったのか」などと冷ややかな意見が多かった。 市内の経済人からは「室井市長はICT産業の振興にばかり興味を示し、観光振興などには無関心」とのボヤキも聞かれており、本誌でたびたび指摘している。 室井照平・会津若松市長のコメント 室井照平・会津若松市長  「富士通城下町のいま」をどう捉えているか、室井市長に質問すると次のようにコメントした。 「富士通グループの工場は市内からなくなってしまったが、そのつながりでさまざまな半導体企業が進出し、それらはいまも操業している。確かに製造業出荷額等は落ち込んだが、昨年は進出企業の増設が相次ぎ200億円の投資があり、雇用増加や税収増につながった。ICTはもちろん、製造業、観光などいろいろな柱をバランスよく伸ばしていくことが大事だと考えています」 今夏には市長選が控えており、現職と複数の新人による選挙戦になる見込みだ。ある会津地方の政治経験者は「会津若松市長選はどこまで行っても『無尽』など人間関係で決まる」と冷ややかに見るが、立候補者を評価・選択する際はこうした視点も一つの参考になるのではないか。 あわせて読みたい 企業誘致に苦戦する福島県内市町村【現役コンサルに聞く課題と対策】

  • 幻に終わった会津若松市長選「新人一本化」【小熊氏の辞退要請を拒んだ水野氏】

    幻に終わった会津若松市長選「新人一本化」

    任期満了に伴う会津若松市長選は7月23日告示、同30日投開票で行われる。注目されたのは、他の立候補予定者より正式表明が遅れていた元女性県議の動向だった。 小熊氏の辞退要請を拒んだ水野氏 2月20日現在、市長選に立候補を表明しているのは現職で4選を目指す室井照平氏(67)と新人で市議の目黒章三郎氏(70)。ここに元県議の水野さち子氏(60)が加わり選挙戦は三つ巴になるとみられているが、室井氏と目黒氏が記者会見を開いて正式表明したのに対し、水野氏は立候補の意欲を示し続けるだけの状況が続いた。  そのため、選挙通の間では  「(市長選に)出る、出ると散々名前を売って結局出ず、その後に控える秋の県議選で返り咲きを狙っているのではないか」  と「本命は県議選」説が囁かれていたが、ある経済人は  「いや、本命は市長選で間違いないと思いますよ」  と言う。  「市内の有力者たちを回り、支援を要請している。『今の市政では市民が気の毒』『参院選でいただいた票を無駄にできない』『(選挙に必要な)お金は準備した』と話しているそうだから、有力者たちは『水野氏は本気だ』と受け止めている」(同)  水野氏は司会業やラジオパーソナリティーなどを経て2011年の県議選に立候補し初当選。2期途中で辞職し、2019年の参院選に野党統一候補として立候補したが、自民党の森雅子氏に敗れた。  落選したとはいえこの時、水野氏は34万5001票(当選した森氏は44万5547票)を獲得。それを受けて水野氏は「参院選の票を無駄にできない」と述べているわけだが、  「あれは野党が揃って支援し(当時参院議員の)増子輝彦氏が後押ししたから獲れた票数。それを自分が獲ったと勘違いしていたら(市長選に立候補しても)厳しい」(同)  水野氏の基礎票は2回の県議選で獲得した「7000票前後」と見るべきだが、それだって小熊慎司衆院議員の全面的なバックアップがあったことを忘れてはならない。  実は水野氏をめぐっては、その小熊氏が立候補を見送るよう水面下で打診していた。  事情通が解説する。  「室井氏は、自身の実績と強調する『スマートシティAiCT(アイクト)』がとにかく不評で、観光業と建設業の人たちからはソッポを向かれている。そもそも歴代の会津若松市長は最長3期までで、4期やった人は皆無。そのため室井氏の4選出馬を歓迎しない人は多いのです」  だから、室井氏の4選を阻止するには新人との一騎打ちに持ち込む必要があるのに、前出・目黒氏と水野氏が立候補したら現職の批判票が割れ、室井氏に有利に働いてしまう。  というわけで小熊氏は水野氏の説得を試みたが、2月18日付の福島民報によると、水野氏は立候補の意思を固め、同26日に正式表明するというから、小熊氏の辞退要請を聞き入れなかった模様。ただ、小熊氏は室井氏と個人的に親しいので、行動の目的が室井氏の4選阻止だったとは断言できない。  「市民の間には、高齢の目黒氏より女性の水野氏の方が新鮮という声が意外に多い。目黒氏が政策通で、市議会議長として議会改革を推し進めたことは間違いないが、前回も市長選に出ると言いながら結局出なかったため、ここに来て『今更出られても』という見方につながっているようです」(同)  新人の一本化は、水野氏が取りやめるのではなく、目黒氏が辞退することで実現する可能性もゼロではないようだ。

  • 辞職勧告を拒否した石田典男会津若松市議

    辞職勧告を拒否した石田典男会津若松市議

     会津若松市議会は12月1日、石田典男議員(63、6期)に対する辞職勧告決議を賛成多数で可決した。決議案は同日開会した12月定例会議の本会議で審議され、石田議員と清川雅史議長、退席した4人、欠席した1人を除く19人で採決、全員が賛成した。  石田議員は会津若松地方広域市町村圏整備組合が2021年に行った新ごみ焼却施設の入札をめぐり、市の担当職員に非開示資料の閲覧を執拗に求めたり、入札参加予定企業の営業活動に同行するなどしていた。(詳細は本誌昨年11月号を参照)  決議の採決結果は別掲の通り。清川議長は中立を守る立場上、採決に加わらなかったが、仮に議長でなくても石田議員と同じ会派に所属することから、市民クラブの他議員と一緒に退席していたとみられる。  「10月下旬に開かれた会派代表者会議で石田議員の処分内容が話し合われたが、市民クラブは『厳重注意でいいのではないか』とかばったものの他会派は『辞職勧告すべき』と主張した。市民クラブとしては〝仲間〟への辞職勧告決議案が出されれば賛成するわけにはいかないし、かと言って反対もしづらいので、退席して採決に加わらない方法を選択した」(事情通)  決議案は当初、11月9日開会の臨時会で採決する予定だったが、元職員による約1億8000万円の公金詐取事件(詳細は本誌昨年12月号を参照)が発覚したため、扱いが先送りされた経緯がある。  今回の採決前には、石田議員の一連の行為が議員政治倫理条例に違反するか否かについて市政治倫理審査会(中里真委員長=福島大学行政政策学類准教授)が審査を行い、清川議長に報告書(10月4日付)を提出していた。そこには《石田議員が会津若松市職員であるa氏に対し、本件ごみ焼却施設計画に関する非開示の資料の開示を何度も求めた事実はあったと判断します》《一連の行為は特異な行動であった》《石田議員の行為は公正な職務を妨げる行為と認められます》などと書かれ、《会津若松市議会議員政治倫理条例第4条第1項第5号に違反する》と結論付けていた。  「非開示資料を石田議員に見せた市職員a氏は減給6カ月の懲戒処分を受けた後、市を退職している。それを基準に考えると、議員に減給処分は科せないし、懲罰の対象にもならないため、辞職勧告は妥当な処分だと思う」(ある議員)  とはいえ、辞職勧告決議に法的拘束力はなく、石田議員も採決後のマスコミ取材に「決議は重く受け止めるが、後援会とも相談し議員活動は続けていく」とコメントしている。  「今後の焦点は、8月の任期満了を受けて行われる市議選に石田議員が出た時、有権者がどう判断するかです。そこで当選すれば、石田議員は『有権者にとって必要な議員』ということになる。有権者の良識が問われる選挙になると思います」(同)  渦中の議員に、市民がどのような審判を下すのか注目される。 あわせて読みたい 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 日本損害保険協会「交通事故多発交差点マップ」を検証【福島県内ワーストは会津若松市「北柳原交差点」】

    日本損害保険協会「交通事故多発交差点マップ」を検証

     一般社団法人・日本損害保険協会は昨年10月26日、最新の「全国交通事故多発交差点マップ」を公表した。同マップには都道府県別に人身事故が多い交差点ワースト5が掲載されている。それを基に、県内ワーストとなった交差点での人身事故のケースなどを検証すると同時に、あらためて事故防止のためにどういったことを心がければいいか考えていきたい。 福島県内ワーストは会津若松市「北柳原交差点」  一般社団法人・日本損害保険協会の広報担当者によると、「全国交通事故多発交差点マップ」は、交差点・交差点付近での交通事故防止・軽減を目的に、各都道府県の地方紙(記者)の協力を得て作成したという。データは2021年のもので、毎年、同時期に更新されている。同マップでは、都道府県別に人身事故が多い交差点ワースト5が掲載され、人身事故のケースや交差点の特徴、予防策などが紹介されている。  マップとともに掲載されたリポートによると、福島県全体の過去5年の人身事故件数、死傷者数の推移は別表の通り。人身事故の発生件数、死傷者数ともに年々減少傾向にあることが分かる。  一方で、2021年の人身事故2997件のうち、1653件(55・2%)が交差点とその付近で発生している。こうして見ても、やはり交差点とその付近はより注意が必要であることが分かっていただけよう。  では、実際にどこの交差点での人身事故が多かったのか。  ワースト1は、会津若松市一箕町の「北柳原交差点」だった。国道49号と国道118号が交差するところだ。さらに、そこから600㍍ほど東側に行ったところにある「郷之原交差点」がワースト2タイになっている(地図参照)。  もっとも、ワースト1の「北柳原交差点」とその付近で起きた人身事故は5件、ワースト2タイの「郷之原交差点」とその付近は4件だったから、びっくりするほど多いというわけではない。 「北柳原交差点」 郷之原交差点  ちなみに、そのほかのワースト2タイは、いわき市常磐の「下船尾交差点」、同市小名浜の「御代坂交差点」、郡山市横塚の「横塚三丁目交差点」喜多方市一本木上の「塗物町交差点」、福島市渡利の「渡利弁天山交差点」、同市仲間町の「仲間町交差点」の計6カ所。 その中から、今回はワースト1の会津若松市一箕町の「北柳原交差点」と、そのすぐ近くにある「郷之原交差点」について検証してみる。 まず「北柳原交差点」だが、国道49号と国道118号が交差する地点で、朝夕を中心に交通量が多い。国道49号の会津坂下方面から猪苗代方面に向かうと交差点付近が下り坂になっており、右折レーンが2車線ある、といった特徴がある。 「全国交通事故多発交差点マップ」のリポートにも、交差点の特徴として、「国道同士が交わる交差点であり、東西に延びる国道は東側に向け下り坂、南北に延びる国道は交差点を頂上にそれぞれ下り坂になっている」、交差点の通行状況として、「恒常的に渋滞している」と記されている。 実際の事故事例  事故の種別は重傷事故が1件、軽傷事故が4件、事故類型は右折直進が2件、追突、右折時、出会い頭がそれぞれ1件となっている。  実際の事故のケースは「信号無視により、右折車両と衝突した」、「対向車が来るのをよく確認せずに右折したことにより、対向車と衝突した」と書かれており、予防方策としては「交通法規を遵守し、信号をよく確認して運転する」、「交差点を通行する際は、対向車がいないかよく確認し、速度を控えて運転する」と指摘している。  そこから東(国道49号の猪苗代方面)に600㍍ほど行ったところにあるのがワースト2タイの「郷之原交差点」。国道49号と県道会津若松裏磐梯線(通称・千石バイパス)が交わるT字路となっている。  マップのリポートには、交差点の特徴として、「東西に国道49号、南側に主要地方道会津若松裏磐梯線がそれぞれ交わる交差点であり、国道49号がカーブとなっている」、交差点の通行状況として、「恒常的に渋滞している」とある。  事故の種別は軽傷事故が4件、事故類型は追突が2件、右折時、左折時がそれぞれ1件となっている。  実際の事故のケースは「脇見等の動静不注視により、前車に追突した」、予防方策としては「運転に集中し、前車の動きや渋滞の発生を早めに見つけられるようにする」と書かれている。 ドライバーの声  普段、両交差点(付近)をよく走行するドライバーに話を聞いた。  「正直、『北柳原交差点や郷之原交差点とその付近で事故が多い』と言われても、ピンと来ない。そんなに〝危険個所〟といった認識はありませんね。ただ、いつも混んでいる印象で、当然、交通量が多ければそれだけ事故の確率も上がるでしょうから、そういうことなのかな、と思いますけどね」(仕事で同市によく行く会津地方の住民)  「両交差点に限ったことではないが、会津若松市内では県外ナンバー(観光客)をよく見る。普段、走り慣れていない人が多いことも要因ではないか」(ある市民)  「北柳原交差点は、国道49号を会津坂下方面から猪苗代方面に走行すると、下り坂になっていて見通しはあまり良くないですね。加えて、その方向に走ると、右折レーンが2つあり、本当は直進したいのに間違って右折レーンに入ってしまい、直進レーンに無理に戻ろうとしたクルマに出くわし、ビックリしたことがありました。郷之原交差点はT字路のため、左折信号があり、ちょっと気を抜いていると、それ(左折信号が点いたこと)に気づかないことがあります。その場合、後方から追いついてきたクルマに衝突される可能性が考えられます。そういったケースが事故につながっているのではないかと思います。もう1つは、両交差点に限ったことではありませんが、(積雪・凍結等の恐れがあるため)会津地方での冬季の運転はやっぱり怖いですよね」(同市をよく訪れる営業マン)  いずれの証言も、「なるほど」と思わされる内容。両交差点を通行する際はそういった点での注意が必要になろう。 「交通白書」記載の事例  ここからは、会津若松地区交通安全協会、会津若松地区安全運転管理者協会、会津若松地区交通安全事業主会、会津若松市交通対策協議会、会津若松警察署が発行している「令和3年 交通白書」を基に、さらに深掘りしてみたい。  2021年に同市内で起きた人身事故は167件で、死者1人、傷者186人となっている。2012年は633件、死者5人、傷者764人だったから、この10年でかなり改善されていることが分かる。人身事故発生件数が200件を下回ったのは1962年以来59年ぶりという。  同市内の人身事故の特徴は、「交差点・交差点付近の事故が全体の6割を占める」、「8時〜9時、17時〜18時の発生割合が高い」、「追突・出会い頭事故が全体の約6割を占める」、「国道49号での発生割合が高い」、「高齢運転者の事故が増加している」と書かれている。  実際に事故が多い交差点の状況についても記されており、当然、前述した「北柳原交差点」と「郷之原交差点」がワースト地点に挙げられている。ただ、同白書によると、両交差点での事故件数はともに6件となっており、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」に記された件数と開きが生じている。  会津若松署によると、その理由は「物件事故を含んでいることと、どこまでを交差点(交差点付近)と捉えるか、の違いによるもの」という。  同白書によると、「北柳原交差点(同付近)」の事故ケースは、右折時に歩行者・自転車と接触、右折時に対向車と衝突、出会い頭など、「郷之原交差点(同付近)」の事故ケースは追突、左折時に歩行者・自転車と接触、私有地から交差点に進入した際の歩行者・自転車との接触などが挙げられている。  このほか、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」には入っていなかったが、「北柳原交差点」から国道49号を西(会津坂下方面)に600㍍ほど行ったところにある「荒久田交差点」も両交差点に次いで事故が多い地点として挙げられている(2021年の事故発生件数は5件)。  同交差点(付近)では、左折時に歩行者・自転車と接触、右折時に対向車と衝突、追突といった事故事例が紹介されている。  会津若松署では、「やはり、単路より交差点での事故が多く、交差点付近では一層の注意が必要。心に余裕を持った運転を心がけてほしい」と呼びかける。  さらに、同署では、これら交差点に限らず、酒気帯び等の悪質なケースの取り締まり、事故被害を軽減するシートベルト着用の強化、行政・関係団体と連携した講習会の開催、道路管理者と連携した立て看板・電光掲示板での呼びかけなど、事故防止に努めている。  一方で、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」のリポートでは、「地元警察本部の取り組み」として、以下の点が挙げられている。  ○モデル横断歩道  各署・各分庁舎管内における信号機のない横断歩道で、過去に横断歩行者被害の交通事故が発生した場所や学校が近くにある場所、または、車両および横断歩行者が多いため、対策を必要とする場所を「モデル横断歩道」と指定し、横断歩行者の保護を図るもの。  ○参加・体験型交通安全講習会(運転者、高齢歩行者、自転車)  運転者、高齢歩行者、自転車の交通事故防止のため、警察職員が県内各地に出向き、「危険予測トレーニング装置(KYT装置)」等を使用して、参加・体験型の交通安全講習会を実施するもの。  ○家庭の交通安全推進員による高齢者への反射キーホルダーの配布  県内の全小学校6年生(約1万5000人)を「家庭の交通安全推進員」として各署・分庁舎で委嘱しており、その家庭の安全推進員の活動を通じて、祖父母など身近な高齢者に対して、交通安全のアドバイスをしながらお守り型の反射キーホルダーを手渡してもらうもの。  ○自転車指導啓発重点地区・路線の設定、公表による自転車交通事故防止対策の推進  警察署ごとに自転車事故の発生状況等を基に自転車指導啓発重点地区・路線を設定し、同地区・路線において自転車事故防止、交通事故防止の広報啓発を実施。 福島市で暴走事故  今回は、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」を基に、事故が多い交差点の紹介、その形状と特徴、事故発生時の事例、注意点などをリポートしてきたが、県内では昨年秋、高齢の男がクルマで暴走するというショッキングな事故があった。  この事故は11月19日午後4時45分ごろ、福島市南矢野目の市道で起きた。97歳の男が運転するクルマ(軽自動車)が歩道に突っ込み、42歳の女性がはねられて死亡。その後、信号待ちで前方に停止していたクルマ3台にも衝突し、街路樹2本をなぎ倒しながら数十㍍にわたって走行した。衝突されたクルマのうち、2台に乗っていた女性4人が軽傷を負った。  軽自動車を運転していた97歳の男は、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)の疑いで逮捕された。男は2020年夏に、免許を更新した際の認知機能検査では問題がなかったという。  地元紙報道には、事故に巻き込まれたドライバーの「こんな人が運転していいのかと感じた」という憤りの声が紹介されていた。  その後の警察の調べでは、現場にブレーキ痕はなかったことから、ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性が高いという。  この事故を受け、警察庁の露木康浩長官は記者会見で、「(高齢運転者対策の)制度については不断の見直しが必要」との見解を示した。警察庁長官がそうしたことに言及をするのは異例と言える。  このほか、週刊誌(オンライン版)などでも、この事故が取り上げられ、逮捕された男の人物像に迫るような記事もいくつか見られた。  そのくらい、ショッキングな事故だったということである。  地方では、クルマを運転する人は多いが、ハンドルを握るということは、それ相応の責任が生じる。そのことを自覚し、各ドライバーが無理のない運転を心がけ、より注意を払い、事故防止のきっかけになれば幸いだ。 あわせて読みたい 郡山4人死亡事故で加害者に禁錮3年 【専門家が指摘】他人事じゃない【郡山市】一家4人死亡事故 【福島市歩道暴走事故の真相】死亡事故を誘発した97歳独居男の外食事情

  • 【会津若松・喜多方・福島】市街地でクマ被害多発のワケ

    【クマ被害過去最多】市街地でクマ被害多発の理由

     2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。 専門家・マタギが語る「命の守り方」  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 奥会津最後のマタギposted with ヨメレバ滝田 誠一郎 小学館 2021年04月20日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 【会津若松】巨額公金詐取事件の舞台裏

    【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

     会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。 専門知識を悪用した元職員  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は2022年11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は2022年6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は2022年8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、2022年11月8日現在、約9100万円を回収した。  2022年9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は2022年10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は2022年11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は2023年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

    「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

     会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。 当人は「法令に違反していない」と反論 会津若松市の石田典男議員  会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。  整備組合(管理者・室井照平会津若松市長)は会津若松市、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、金山町、昭和村、会津美里町で構成され、圏域人口は17万4500人(2022年4月現在)。構成市町村のごみ・し尿・廃棄物処理、水道用水供給、介護認定審査、消防に関する事業を行っている。 既存のごみ焼却施設は会津若松市神指町南四号で稼働中だが、1988年竣工と老朽化が著しいため、整備組合では隣接するし尿処理施設を解体し、その跡地に新ごみ焼却施設を建設する計画を立てた。 10月下旬、現地を訪ねると、し尿処理施設は既に取り壊され、鉄板が広く敷かれた敷地内では複数の重機やトラックが稼働するなど、大規模な土木工事が始まっていた。 計画によると、し尿処理施設の解体から土木工事、プラント工事、試運転までを含む期間は2021年8月から26年3月。その後、営業運転が始まる予定だが、この工事の入札に執拗に介入していたとされるのが同市の石田典男議員だった。石田議員は当時、整備組合議会の議員を務めていた。 石田議員は何をしたのか。 入札は総合評価方式制限付一般競争で行われ、共に地元業者をパートナーとする日立造船JVと川崎重工業JVが参加。2021年2~5月にかけて、整備組合が設置した「新ごみ焼却施設整備・運営事業事業者選定委員会」(以下、選定委員会と略)による審査を経て、同6月、川崎重工業JVが落札者に決まった。本契約は同8月に交わされ、契約金額は約252億円だった。 新ごみ焼却施設は現在、土木工事が行われている  この入札過程で石田議員が関係者に対し、入札手続きに関する質問や問い合わせを繰り返したり、落選した日立造船JVの担当者らと一緒に行動していたことなどが明らかになった。きっかけは、選定委員会の委員2名から「石田議員から特定企業に対する便宜や利益誘導等の要請、依頼等の働きかけに該当する恐れのある行為を受けた」とする報告書が整備組合管理者の室井市長に提出されたことだった。委員2名とは、当時の市建築住宅課長と市廃棄物対策課長である。 事態を問題視した整備組合は、事実関係を調査するため入札手続きを一時中断。その結果、落札者の決定が当初4月上旬の予定から6月上旬と2カ月遅れた。 調査では、次のような事実関係が明らかになっている。 ①石田議員は複数回にわたり選定委員の建築住宅課長を訪ね、非公開の選定委員会資料を閲覧し、地元業者の入札参加要件などを公表前に聞き出そうとした。 ②石田議員は建築住宅課長に、落札者の選定に当たっては災害対応、地元業者の活用、景観的調和などが重要事項になると指摘した。 ③石田議員は選定委員の廃棄物対策課長に、災害に強い施設や発電設備の設置場所などのポイントについて説明した。 ①の行為が問題なのは説明するまでもないが、②と③の行為は、そこに挙げられた要件を重視すると日立造船JVの方が優れていると石田議員が示唆した――と委員2人は受け止め、これを「石田議員による働きかけ」と捉えたわけ。ちなみに、非公開資料を石田議員に閲覧させた建築住宅課長は減給6カ月の懲戒処分を受け、市を退職している。 このほか石田議員は、日立造船や地元業者の担当者らを連れて市役所や市公園緑地協会を訪ねている。目的は同協会に、審査項目の一つになっている関係表明書(もしそのJVが落札したら、地元業者に協力を約束する文書)の提出を求めるためだった。応札業者と議員が一緒に行動すれば、周囲から疑いの目で見られるのは避けられないのに、躊躇しなかったのは驚く。 ただ、整備組合の調査では「不当な働きかけや関係法令に抵触するような事実は確認できず、入札の公平な執行を妨げるまでには至っていない」と結論付けられた。「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」というわけだ。 この結論に納得がいかなかった整備組合議会は2021年5月、地方自治法100条に基づく「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査特別委員会」(以下、特別委員会と略)を設置。特別委員会は同5~8月にかけて計23回開かれ、石田議員に対する証人尋問を行ったり、前述・選定委員2名(この時、既に委員を辞めていた)や市建設部副部長、整備組合職員を参考人招致したり、関係者に資料提出を求めるなどした。 これらの調査結果をまとめたのが同8月17日付で公表された「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査報告書」である。その結論部分は次のよう書かれている。 狙いは石田議員〝抹殺〟⁉  《今般の調査を通して、石田議員は環境センター等への電話や訪問等により、記録が残されているだけでも十数回にわたり問い合わせや意見の申出、資料の請求、又は資料の提示を行っている。特に、入札公告前の入札に関する情報については、公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、繰り返し秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に職員は圧力を感じた、というものである。 こうした執拗な問い合わせや確認は、議員の権限を越えた入札手続きへの介入であり、執行機関の権限を侵害するものである。 一方、会津若松市建設部副部長との間における緑地協会からの関心表明書に係るやり取りについても、同様に問い合わせや確認が繰り返されたことから、今般新たに働きかけと認定されたところであり、本事業に係る入札手続きの中断は、まさに石田議員による選定委員会委員2名と会津若松市職員1名への働きかけが発端となったものである。加えて、石田議員は、整備組合の入札に応募する民間企業であることを理解した上で、その営業活動に同行するなどした一体性を疑われる行為は、議員活動の範囲を逸脱していると言わざるを得ず、とりわけ石田議員は整備組合とA社(報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)単独または関係する企業グループ等との間における契約案件について、整備組合の議会議員として審査や決議を行う立場にありながら、企業の立場で資料を持参の上、質問や相談を行う行為には疑念を抱かざるを得ない》(39頁) このように「石田議員による働きかけや疑わしい行為があった」と断定しているが、報告書にはこうも書かれている。 《すべての委員において特定の者に有利、または不利に働くような趣旨の発言は一切なされなかったこと、さらに石田議員による非公開資料の閲覧、石田議員によるB・C両委員(建築住宅課長と廃棄物対策課長。報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)への接触等によって、本事業に係る(中略)意思決定について、何ら影響を受けていないことを委員一同で確認した》(35頁) 《官製談合防止法や刑法をはじめとする関係法令等に接触し公契約締結に係る妨害行為に該当し得るような行為の有無を検証したものの、これらの関係法令に抵触するような行為はなかった》(37頁) 石田議員の一連の行為は「落札者の決定に影響を及ぼしておらず、関係法令にも抵触していなかった」というのである。 整備組合による調査に続き、特別委員会による調査でも「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」と結論付けられたわけ。併せて特別委員会は「告発までには至らない」とも結論付けている。 シロかクロか、はっきりさせるために設置したはずの特別委員会でも結局グレーとしか判断されず、どこかモヤモヤ感が残る。ただ報告書を読んでいくと、前述・委員2人や市建設部副部長、整備組合職員らの証言から、ある種の覚悟を感じ取ることができる。その証言とは、 「石田議員から『これは重要だよね』『やっぱりこういう点で見なきゃいけないよね』といった問いかけがあり、自分としては誘導されているというイメージ、依頼があったという認識を持った」 「石田議員の市議会建設委員会での質疑等から経験上、市へのアプローチの仕方を見てきており、今回も同じ方法で行われていると思った」 「細かい中身まで質問されることもあり、何か意図があるんだなと思うような質問もあった」 「入札そのものに関する情報は公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、電話や来庁等により秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に圧力を感じた」 石田議員は以前から「市発注の公共工事に首を突っ込み過ぎる」と評判で、記者も市職員から度々「石田議員の行為は迷惑」と聞かされていた。要するに、疑惑が取り沙汰されるのは今回が初めてではないのだ。 そうした中で、職員たちが石田議員を一斉に〝告発〟したのは「これ以上、入札への介入は許さない」という意思の表れだったのではないか。言い換えると、この際、職員たちは石田議員を〝抹殺〟しようとした、ということかもしれない。 不満露わにする石田議員  石田議員は現在6期目。前回(2019年8月)の市議選(定数28)では1954票を獲得し、5位当選を果たしている。上位当選で6期も務めているのだから、有権者の支持も高いのだろう。 もっとも、前述・特別委員会の報告書では地元の特定業者との近しい関係が指摘され、業者・業界による一定の支持が上位当選につながっている可能性もある。すなわち、石田議員は業者・業界の〝代理人〟としての役割を果たしつつ議員報酬(月額約45万円)を得ており、業者・業界は石田議員からもたらされる情報を有意義に活用している――という持ちつ持たれつの関係が浮かび上がってくる。 2021年8月、特別委員会の報告書が公表された後、整備組合議会は石田議員に対し、整備組合議会議員の辞職勧告を決議したが、石田議員は辞職しなかった。 一方、石田議員の一連の行為は関係法令には抵触していなかったが、市議会議員政治倫理条例に違反している可能性があるとして同11月、清川雅史議長に審査請求書が出されたことから、清川議長は同12月、第三者機関の「会津若松市政治倫理審査会」を設置した。同審査会は計8回開かれ、2022年10月4日、審査結果をまとめた「報告書」を清川議長に提出した。 報告書に書かれていた結論は「公正な職務の執行を妨げたり、妨げるような働きかけを禁じた同条例第4条第1項第5号に違反する」というものだった。併せて審査会は、清川議長に対しても▽本事案について議員に周知し、政治倫理基準の順守を徹底すること、▽政治倫理基準に反する活動に対し、条例の趣旨に則り議員がその職責を果たすことを求める、という意見を文書で伝えた。 清川議長に報告書と自身への意見について見解を尋ねると、次のようにコメントした。 「審査会の報告書と意見を重く受け止めている。現在、会派代表者会議で議会としての対応を検討中で、現時点で議長としての見解を述べることは差し控えたい」 この報告書を受け、石田議員は同18日、清川議長に「弁明書」を提出した。そこには《当該職員は何ら影響を受けずに活動できたものと思われる》《現に職務の公正性が害された事実はない》《報告書は「その他公正な職務を妨げる行為」がどのような行為を指すのか触れていない》と反論が綴られていたものの、《政治倫理条例第19条第1項は審査会の報告を尊重するものと定めており、議員としてこれに異はない》と同審査会の結論を受け入れる姿勢を示した。 石田議員の条例違反が明確になったことで、同市議会では今後、石田議員に対する処分が検討される。この稿を書いている10月下旬の段階では辞職勧告が決議されるという見方が出ているが、会派によっては厳重注意でいいのではないかという声もあり、温度差があるようだ。いずれにしても、11月中に開かれる予定の臨時会で最終的な処分が科される見通しである。 石田議員に電話で話を聞くと、弁明書では「異はない」としていたのに次々と反論が飛び出した。 「応札業者と一緒に行動したことは軽率だったと反省している。しかし、整備組合の調査も特別委員会の報告書も、私が法令違反を犯したとは結論付けておらず、告発も見送っている。私からすれば問題アリと言うなら告発してもらった方が、どういう法令違反があったかハッキリして、かえって有り難かった」 「審査会の報告書ももちろん重く受け止める。ただ、こちらも『その他公正な職務を妨げる行為』と抽象的な結論にとどまっている。私は議員として巨額の税金が投じられる公共工事について必要な調査を行っただけ。公の事業に関する情報を請求しただけなのに、なぜ悪く言われるのか。こちらが請求しても出せないと拒否するのは、隠し事があるからではないかと疑ってしまう。私は以前から公共工事について必要と思ったことは詳細に調査してきたし、勉強もしてきた。今回の入札も専門的知見から見るべき部分がたくさんあり、職員とは『それって必要なことだよね』と確認の意味を込めて話しただけ。私にとってはそれが『常識的なやり方』でもある。しかし、他の議員には私の『常識』が通じない。そういうことをやっている議員は他にいない、というわけです」 「自分が100%悪いことをしたとは思っていないが、専門委員や職員にはもしかするとハラスメントと受け取られかねない言動があったのかもしれない。今後は特別委員会や審査会の報告書を丹念に読み込み、自分の行為が法令や条例に違反するのか・しないのか、弁護士と相談しながら結論を導き出したい。そうすることで特別委員会や審査会の調査が正しかったのか、処分を科された自分が納得できる結論だったのかを精査していきたい」 石田議員によると、2021年8月に辞職勧告を決議された整備組合議会議員は、2022年10月に辞職したという。 同僚から冷ややかな声  法令違反はなく、自身の「常識」に基づく行為だったことを何度も強調した石田議員。しかし、同僚議員の見方は冷ややかだ。 「石田議員は弁明書で『他に資料請求をした議員がいないから〝特異な行動〟と言われるが、他に関心を持った議員が存在しなかっただけ』と述べているが、私から言わせると公共工事にそこまで関心を持つこと自体が不思議だ。あそこまで首を突っ込めば『業者に頼まれたから』と疑われてもやむを得ない。石田議員は『自分の行為は入札結果には影響していない』とも言っているが、そういう行為をしたことが問題なのであって、それに対する反省もない」 そのうえで、同僚議員は石田議員の今後を次のように展望する。 「市議会で辞職勧告を決議しても辞めないでしょう。議員は2023年8月に任期満了を迎え、市議選が行われる。石田議員の今回の行為は議員として相応しくないと思うが、もし市議選に出馬して7選を果たしたら、それは有権者が判断したことなので他の議員は従うしかない」 一定の結論が出されたことで、石田議員が入札に介入することは今後難しくなるだろう。いわば主だった活動が制限される中、議員を続ける意義を見いだせるのかが問われる。もっとも、それが主だった活動というのは、議員としていかがなものかと思ってしまうが……。

  • 【会津若松】神明通り廃墟ビルが放置されるワケ

     会津若松市の中心市街地に位置する商店街・神明通り沿いに、廃墟と化したビルがある。大規模地震で倒壊する危険性が高いと診断されており、近隣の商店主らは早期解体を求めているが、市の反応は鈍い。ビルにはアスベストが使われており、外部への飛散を懸念する声も強まっている。 近隣からアスベスト飛散を心配する声 廃墟のような外観の三好野ビル  神明通りと言えば、会津若松市中心市街地を南北に走る大通りだ。国道118号、国道121号など幹線道路の経路となっており、JR会津若松駅方面と鶴ヶ城方面を結ぶ。通り沿いの商店街には昭和30年代からアーケードが設けられ、大善デパート(後のニチイダイゼン)、若松デパート(後の中合会津店)、長崎屋会津若松店が相次いで出店。多くの人でにぎわった。  もっとも、近年は郊外化が進んだ影響で衰退が著しく、2つのデパートと長崎屋はいずれも撤退。映画館なども閉館し、食品スーパーのリオン・ドール神明通り店も閉店。人通りはすっかりまばらになった。コロナ禍でその傾向はさらに加速し、空きテナント、空きビルが目立つ。  そんな寂しい商店街の現状を象徴するように佇んでいるのが、神明通りの南側、中町フジグランドホテル駐車場に隣接する、通称「三好野ビル」だ。  鉄筋コンクリート・コンクリートブロック造、地下1階、地上7階建て。1962(昭和37)年に新築され、その名の通り「三好野」という人気飲食店が営業していた。同市内の経済人が当時を振り返る。  「本格的な洋食を提供するレストランで、和食・中華のフロアもあった。子どものころ、あの店で初めてビフテキやグラタンを食べたという人も多いのではないか。50代以上であればみんな知っている店だと思います。会津中央病院前にも店舗を出していました」  ただ、いまから20年ほど前に閉店し、一時的に中華料理店として復活したもののすぐに閉店。現在はビル全体が廃墟のようになっている。 壁には枯れたツタが絡まり、よく見ると至るところで壁が崩落。細かい亀裂も入っており、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。市内の事情通によると、実際、中町フジグランドホテル駐車場に外壁の破片が落下したことがあり、「近くを通ると人や車に当たるかもしれない」と、同ホテルの負担で塀が設置された。外壁が崩れないようにネットでも覆われた。  ただその後も改善はされず、強化ガラスが窓枠から外れ、隣接する衣料品店の屋根に破片が突き刺さる事故も発生した。衣料品店の店主は次のように語る。  「朝、店に来たら床に雨水が溜まっていた。業者を呼んで雨漏りの原因を調べたら、隣のビルから落ちた大きなガラスの破片が原因だと分かったのです。もし歩行者に直撃していたら亡くなっていたと思います」  消防のはしご車が出動し、不安定な窓ガラスに外から板を張り付ける形で応急処置を施したが、近隣商店主の不安は募るばかりだ。  何より懸念されるのは、地震などが発生した際に倒壊するリスクだ。  県は耐震改修促進法に基づき、大地震発生時に避難路となる道路沿いの建築物が倒壊して避難を妨げることがないように、「避難路沿道建築物」に耐震診断を義務付けている。  会津若松市の場合、国道118号北柳原交差点(一箕町大字亀賀=国道49号と国道118号・国道121号が交わる交差点)から同国道門田町大字中野字屋敷地内(門田小学校、第五中学校周辺)までの区間が「大地震時に円滑な通行を確保すべき避難路」と定められている。すなわち神明通り沿いに立つ三好野ビルも「避難路沿道建築物」に当たる。  昨年3月31日付で県建築指導課が公表した診断結果によると、震度6強以上の大規模地震が発生した際の三好野ビルの安全性評価は、3段階で最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」。耐震性能の低さにレッドカードが示されたわけ。  耐震性が低いビルを所有者はなぜ放置しているのか。不動産登記簿で権利関係を確認したところ、三好野ビルは概ね①相続した土地に建てた建物、②飲食店を始めた後に隣接する土地を買い足して増築した建物――の2つに分かれるようだ。  ①の所有者は、土地=レストランを運営していた㈲三好野の代表取締役・田中雄一郎氏、建物=雄一郎氏の母親・田中ヒデ子氏。  ②の所有者は、土地・建物とも㈲三好野。同社は1968(昭和43)年設立、資本金850万円。  ただ、雄一郎氏は十数年前に亡くなっており、登記簿に記されていた自宅住所を訪ねたがすでに取り壊されていた。雄一郎氏の弟で、同社取締役に就いていた田中充氏と連絡が取れたが、「会社はもう活動していない。親族は相続放棄し、私だけ名前が残っていた。ただ、私は会津中央病院前の店舗を任されていたので、神明通りのビルの事情はよく分からない」と話した。 会津若松市が特定空き家に指定 壁や窓ガラスの崩落、倒壊リスクがある三好野ビルの前を歩いて下校する小学生  ①の土地・建物には▽極度額900万円の根抵当権(根抵当権者第四銀行)、▽極度額2400万円の根抵当権(根抵当権者東邦銀行)、▽債権額670万円の抵当権(抵当権者住宅金融公庫)が設定されていた。  一方、②の土地・建物には▽債権額1000万円の抵当権(抵当権者田中充氏)が設定されていた。ただ、事情を知る経済人の中には「数年前の時点で抵当権・根抵当権は残っていなかったはず」と話す人もいるので、抹消登記を怠っていた可能性もある。  気になるのは、②の土地・建物が2006(平成18)年、2012(平成24)年、2017(平成29)年の3度にわたり会津若松市に差し押さえられていたこと。前出・田中充氏の話を踏まえると、固定資産税を滞納していたと思われるが、昨年5月には一斉に解除されていた。  市納税課に確認したところ、「個別の案件については答えられない」としながらも「差押が解除されるのは滞納された市税が納められたほか、『換価見込みなし(競売にかけても売れる見込みがない)』と判断されるケースもある」と話す。総合的に判断して、後者である可能性が高そうだ。  行政は三好野ビルをどうしていく考えなのか。県会津若松建設事務所の担当者は「耐震改修するにしても解体するにしてもかなりの金額がかかる。国などの補助制度を使うこともできるが、少なからず自己負担を求められる。そのため、市とともに関係者(おそらく田中充氏のこと)に会って、今後について話し合っている」という。  市の窓口である危機管理課にも確認したところ、こちらでは空き家問題という視点からも解決策を探っている様子。市議会昨年6月定例会では、大竹俊哉市議(4期)の一般質問に対し、猪俣建二副市長がこのように答弁していた。  《平成29年に空き家等対策の推進に関する特別措置法に基づく特定空き家等に指定し、所有者等に対し助言・指導等を行ってきたところであり、加えて神明通り商店街の方々と今後の対応を検討してきた経過にあります。当該ビルにつきましては、中心市街地の国道沿いにあり、周辺への影響も大きいことから、引き続き状態を注視しつつ、改修や解体に係る国等の制度の活用も含め、所有者等や神明通り商店街の方々、関係機関と連携を図りながら、早期の改善が図られるよう協議してまいります》  特定空き家とは▽倒壊の恐れがある、▽衛生上有害、▽著しく景観を損なう――といった要素がある空き家のこと。自治体は指定された空き家の所有者に対し「助言・指導」を行い、改善しなければ「勧告」、「命令」が行われる。「勧告」を受けると、翌年から固定資産税・都市計画税が軽減される特例措置がなくなってしまう。「命令」に応じなかった所有者には50万円以下の過料が科せられる。  それでも改善がみられない場合は行政代執行という形で、解体などの是正措置を行い、費用を所有者から徴収する。所有者が特定できない場合は自治体の負担で略式代執行が行われることになる。この場合、代執行の撤去費用の一部を国が補助する仕組みがある。  ただし、三好野ビルの解体費用は数千万円とみられ、市が一部負担するにも金額が大きい。耐震性でレッドカードが出ている三好野ビルに対し、行政が及び腰のように見えるのはこうした背景もあるのだろう。 コロナ禍で頓挫した活用計画 建物の中を覗いたら看板と車がそのまま置かれていた  「実はあの建物の活用をかなり具体的に検討していた」と明かすのは、神明通り商店街振興組合の堂平義忠理事長だ。  「5年前ごろ、『低額で譲ってもらえるなら振興組合の方で活用したい』と伝え、市役所の関係部署によるプロジェクトチームをつくってもらって本格的に調査したことがありました。経済産業省の補助金を使い、バックパッカー向けの宿泊施設をつくろうと考えていました。解体費用は当時9000万円。一方、改装にかかる総事業費は4億5000万円で、補助金を除く約2億円を振興組合で負担する計画でした」  だが、詳細を話し合っているうちにコロナ禍に入り、そのまま計画は頓挫。仮に再び経産省の補助事業に採択されても、崩落が進んでおり、建設費が高騰していることを踏まえると予算内に収まらない見込みのため、活用を断念したようだ。  同振興組合では三好野ビルについて、毎年市に早急な対応を求める意見書を提出しているが、市の反応は鈍いという。  「この間、まちづくりに関するさまざまな話し合いの場がありましたが、中心市街地活性の計画などに組み込んで解体を進めようという考えは、市にはないようです。事故が起きてからでは遅いと思うのですが……。個人的には、人通りが減ったとは言え中心市街地なので、解体・更地にして売りに出した方が喜ばれるのではないかと思います」(堂平氏)  ある経営者は「三好野ビルには放置しておくわけにはいかない〝もう一つのリスク〟がある」と話す。  「建てられた年代を考えると、内装にはアスベストが使われているはず。吸入すると肺がんを起こす可能性があるため、現在は製造が禁止されているが、仮に地震などで崩壊することがあればアスベストが周辺に飛散することになる。壁が崩落して穴が空いている場所もあるので、周囲に飛散しないか、業界関係者も心配している。市に早急な対応を訴えた人もいたが、取り合ってもらえなかったようです」  前出・堂平氏も「調査に入った際、『4階から上はアスベストが雨漏りで固まっている状態だった』と聞いた」と明かす。  市危機管理課の担当者に問い合わせたところ、三好野ビルの内部にアスベストが使われていることを認めたうえで、「アスベストは建物の内壁に使われており外に飛んで行くことはないので、そこに関しては心配していない」と話す。だが三好野ビル周辺は、地元買い物客はもちろん観光客、さらには登下校の児童・生徒も通行している。万が一のことを考え、せめてアスベストの実態調査と対策だけでも早急に着手すべきだ。  廃墟と言えば、本誌昨年11月号で会津若松市の温泉街に残る廃墟ホテルの問題を取り上げた。  運営会社の倒産・休業などで廃墟化する宿泊施設が温泉街に増えている。そうした宿泊施設は固定資産税が滞納されたのを受けて、ひとまず市が差し押さえるが、たとえ競売にかけても買い手がつかないことが予想されるため対応が後回しにされ、結局何年も放置される実態がある。  近隣の旅館経営者は「行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」と要望していた。  それに対し会津若松市観光課の担当者は「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、(市の負担で)清算人を立て、裁判所で手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」と対応の難しさについて話していた。  早急な対応を求める周辺と、慎重な対応に終始する市という構図は、三好野ビルも温泉街も同じと言えよう。言い換えれば会津若松市は「2つの廃墟問題」に振り回されていることになる。 市に求められる役割 室井照平市長  ㈲三好野の取締役を務めていた田中充氏は「私は75歳のいまも働きに出ているほどなので、解体費用を賄うお金なんてとてもない」と話す。  一方で次のようにも話した。  「あの場所を取得して、解体後に活用したいという方がいて、各所で相談していると聞いています。県や市の担当者の方には『私個人ではもうどうにもできないので、申し訳ないですが皆さんに対応をお任せしたい』と伝えてあります」  解体後の土地を活用したいと話すのが誰なのかは分からなかったが、解体費用まで負担して購入する人がいるのであれば朗報と言える。  1月1日に発生した能登半島地震で倒壊した石川県輪島市のビルも7階建てだった。三好野ビルが現状のまま放置されれば、同じようなことが起こる可能性もある。もっと言えば、市内には三好野ビル以外に大規模地震が発生した際の安全性評価が最低の「Ⅰ(倒壊・崩落の危険性が高い)」となった建物が7カ所もあった。市はアスベスト対策も含め、地元から不安の声が広がっていることを重く受け止め、この問題に本腰を入れて臨む必要があろう。  昨年の市長選前には室井照平市長も三好野ビルを視察に訪れ、前出・堂平理事長や周辺商店に対し現状を把握した旨を話したという。今こそ先頭に立って音頭を取るべきだ。

  • 【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 東山・芦ノ牧温泉を悩ます廃墟ホテル【会津若松】

     会津若松市の東山温泉と芦ノ牧温泉では、廃業した旅館・ホテルが廃墟化しており、温泉街の景観を損ねている。なぜ解体は進まないのか。あるユーチューバーの動画をきっかけに、廃墟ホテルの現状と課題を取材した。(志賀) 横行する!?ユーチューバーの〝無断侵入〟 https://www.youtube.com/watch?v=JlLZ_6UfrsQ 【芦ノ牧の迷宮】増築を重ね巨大化した廃ホテルの現状調査」  動画投稿サイト・ユーチューブで「【芦ノ牧の迷宮】増築を重ね巨大化した廃ホテルの現状調査」という動画が公開されている。投稿者は廃墟探索の様子を投稿している蓮水柊斗(はすみ・しゅうと)氏。撮影されているのは芦ノ牧温泉でかつて営業していた芦ノ牧ホテルだ。  動画には事務室に営業当時の書類がそのまま残されている様子や、客室で何者かが生活していた様子が収められていた。  芦ノ牧ホテルは昭和41年に開業。運営会社は㈲芦牧ホテル。リゾートブームが起きるバブル期の前にいち早く新館、別館を増築し、一時期は温泉街で最大のホテルとなった。当時のデータが残っているホームページによると、客室全47室。収容人数一般200人(団体280人)。全室渓谷側で眺望の良さが売りだった。 芦ノ牧ホテル  会津若松市内にスイミングスクールがなかった昭和50年代にいち早く屋内プールを整備したほか、近くに総合体育館も建設し、スポーツ合宿の団体客の受け皿となった。  周りの宿泊施設も設備投資に乗り出し、大型化が進むと、団体客の宴会向けにセクシーなスーパーコンパニオンパックを導入したり、冬場の閑散期に大衆演劇と観劇する老人会の無料送迎(県外にも対応)を始めた。  それらのサービスも、周囲が追随し始めると差別化が図れなくなり、売り上げが落ち込んだ。団体旅行から個人旅行へとトレンドが移ったことも痛手となった。  経営は創業者(室井家)の家族が行っていたが、外部から経営者を招くようになった。2009年には運営会社を株式会社にして、元プロ野球選手・小野剛氏を社長として招いた。売り上げは順調に見えたが、同温泉の事情通によると、室井一族で経営していたころの決算内容などをめぐり、内部でゴタゴタが続いていたという。  それからまもなくして震災・原発事故が発生。賠償金が支払われて立て直しを図ると思われたが、しばらくすると休業に入った。  同温泉の事情に詳しい人物は、「休業と言っても、実質は廃業。旅行代理店や取引業者は『いきなり連絡が取れなくなった。未払い金があるがこのまま踏み倒されるだろう』と嘆いていた。大きな被害を被ったところもある」と指摘する。  その後は営業再開することなく、増築により巨大化した廃墟が温泉街に残されることになった。冒頭で触れたユーチューブ動画に「芦ノ牧の迷宮」というタイトルが付いているのはそのためだろう。  こうした経緯もあり、動画は芦ノ牧温泉の関係者の間で話題になり、視聴した人も多かったようだ。ただ、「物件の所有者様や管理者様から敷地内及び建物内の立入許可を頂いたうえで内部の現状調査を行っております」という表記に疑問の声も出ている。というのも、地元関係者は誰も立入許可をしていなかったからだ。  芦ノ牧温泉の温泉街の土地は地元住民の入会地となっており、住民で組織される㈲芦ノ牧温泉開発事業所が一括で管理している。だが、同社の関係者は「こちらに問い合わせなどはありませんでした。うちでは一度、財産管理を依頼されている弁護士に断って、警察立ち会いのもとで入ったぐらいです」と述べる。  芦ノ牧温泉観光協会などにも問い合わせはなかったという。  同ホテルの建物の不動産登記簿を確認したところ、所有権は㈱芦牧ホテルのままだったが、2012年に会津若松市、令和2年に埼玉県に差し押さえられていた。それらはすぐ解除されたものの、同年12月に会津若松市が差し押さえ、その後は解除されていない。おそらく固定資産税が納付されていないと思われる。 運営会社社長は取材に応じず  そこで会津若松市観光課に確認したが、「市の方では差し押さえただけで建物の管理はしていない。ユーチューバーから問い合わせも来ていない」とのことだった。  同ホテル関連の建物・土地には根抵当権者・会津信用金庫による極度額8000万円の根抵当権が設定されていた。そこで同金庫の担当者にも確認したが、市観光課同様、管理には携わっておらず、問い合わせも来ていないということだった。  芦ノ牧ホテルはほぼ廃業状態だが、運営会社の㈱芦牧ホテルは現在も存続している。社長を務める小野氏は埼玉県狭山市で㈱GSLという会社を経営している。2008年設立。資本金3000万円。主な事業は飲食(焼肉店「ベイサイドTOKYO牧場」の展開)、野球教室(プリマヴェーラ・リオーネ)の運営など。民間信用調査機関によると、2022年9月期の売上高は1億8000万円(ただし、3期連続で同じ数字)。  SNSは数日に一度更新している。10月4日にはX(旧ツイッター)で《ドラフト同期の阿部慎之助が読売巨人軍の監督となった。凄い事である》とつぶやき、過去の写真を掲載していた。週刊文春2022年5月19日号に掲載された横浜高校野球部でのパワハラ指導に関する記事では、被害者の父親として小野氏が取材に応じている。  にもかかわらず、芦ノ牧ホテルに関しては建物を廃墟のまま放置し、地権者である㈲芦ノ牧温泉開発事業所に地代を支払っていないというから驚く。  ユーチューバー・蓮水氏に立入許可を出したのか、税金・地代の支払いを滞納していることについてどう考えるのか、そして今後、「芦ノ牧の迷宮」と化した廃墟をどうするつもりなのか。小野氏の連絡先を入手し、繰り返し電話をかけたが、つながらなかった。そこで、狭山市の㈱GSLを直接訪ねたところ、同社営業企画・野球塾講師の米田和弘氏が応対した。  米田氏が差し出した名刺には「芦ノ牧ホテル」の文字があった。そこで同ホテルについて話を聞きたいと伝えると、「小野は東京・練馬の事務所にいたり、出張していることが多い。芦ノ牧ホテルは老朽化や地震の影響も含めて基本的に廃業している状態ですね。小野に伝えておきます」とあっさり答えたが、10日以上経っても電話はなかった。  あらためてメールで小野氏に取材を申し込んだが返事がなかったので、米田氏に連絡を取ったところ、「小野には伝えましたが、都合が合わないとのことでした。申し訳なかったです」と話した。都合が悪い取材には応じないのだろう。  一方で、ユーチューバーへの立入許可に関しては「担当弁護士の対応は小野が担当しているので私の方では分かりかねますが、私が把握している限り、ユーチューバーの立ち入りについて会社として許可を出したことはありません」と話した。  冒頭のユーチューバー・蓮水氏はいったい誰に許可を取ったのか。X(旧ツイッター)を通して質問を投げかけたところ、以下のような返信があった。  《動画の制作、編集は全て私が行っておりますが企画や、所有者様、管理者様の調査や立入許可については私1人ではなく、当YouTubeチャンネルの調査部がメインで行っております。倒産物件なども多く、所有権移転などされていない物件が大半です。そのなかでの所有者様や管理者様を探すのは並大抵ではありません。芦ノ牧は、4物件のホテル旅館を撮影していますが、全て所有者様や管理者様と直接お会いしています。まだ未配信の物件も多数ありますが全て立入許可済みでの撮影を行っております》  結局誰から許可を得たのかよく分からず、何か隠していることがあるのではないかと疑わざるを得ない回答だった。そもそも「調査部」としているが、企業などで大規模にやっているアカウントには見えない。小野氏、弁護士と連絡が取れなかったので断言はできないが、廃墟ホテルの権利関係が複雑になっていることを逆手に取り、あえてテーマに選んでいるようにも見える。  そういう意味では〝限りなく黒に近いグレーな動画〟と思って見た方が良さそうだ。ほかの廃墟系ユーチューバーも推して知るべし。 廃墟ホテルが放置される理由  芦ノ牧ホテルの建物の窓ガラスには「不法侵入者を発見時、警察に通報いたします」と張り紙されており、鍵がかかっている。だが同温泉関係者によると、侵入経路があるようで、肝試しや動画配信目的で勝手に侵入する人が後を絶たない。  芦ノ牧温泉には芦ノ牧ホテル以外にも新湯、元湯、美好館、ホテルいづみやなどの廃墟ホテルがあるが、こちらに関しても中に入った形跡があったり、電気が通っていないのに夜に明かりがついていたりするという。  本誌昨年6月号「猪苗代〝廃墟ホテル〟で配信者が花火」という記事では、廃墟探索がユーチューバーにとって手軽に視聴回数を稼げる人気コンテンツとなっており、中には火災リスクお構いなしで、花火で遊ぶ動画もあったことを報じた。  「芦ノ牧温泉に限らず、廃墟ホテル内を通っている配線を盗んで売りさばく業者もいるようです。実際、各温泉の観光協会などに問い合わせがあるようで、廃墟ホテルの前で怪しい車を見かけることもあります」(同温泉の事情に詳しい人物)  廃墟化した旅館・ホテルが温泉街に残り続けることで、イメージ悪化につながるばかりか、実際に良からぬ輩が出入りしている、と。  だからこそ、廃墟ホテルは解消した方がいいが、ひとたび廃業し廃墟化してしまうと、解体するのは難しい。所有者と連絡が取れなくなっている可能性が高いためだ。  解体には億単位の金がかかり、所有者が必要額を捻出できないという事情もある。最近は解体費用が高騰しており、建物にアスベストなどが使われている場合は調査などの対策が求められるので、さらにハードルが上がっている。  仮に高額な解体費用を負担して更地にしたところで100万円単位の価値しかないし、芦ノ牧温泉の場合、原状復旧して地権者(芦ノ牧温泉開発事業所)に返さなければならない。逆に建物を残したままにしておくと、固定資産税はかかるものの、建物の固定資産税価格は耐用年数が満了となってからは新築時よりかなり低くなるので、所有者は「大した税額ではないし、解体するより安上がりで済む」と放置するようになる。  芦ノ牧ホテルのように固定資産税を滞納すれば、財産である不動産を当該自治体(芦ノ牧温泉の場合は会津若松市)に差し押さえられ、競売にかけられる。ただ、それに当たって行われる不動産鑑定には100万円単位の金額がかかるという。競売で売れる見込みがある物件ならともかく、誰も買う見込みのない廃墟ホテルにそれだけの経費をかけると自治体の損失につながりかねないため、担当者も対応に及び腰となる。  こうして廃墟ホテルが放置されていくわけ。  芦ノ牧温泉のある宿泊施設関係者は「今後も廃墟化が進む可能性が高い」と語る。 「丸峰観光ホテルの経営者が創業者一族からみちのりホテルズに代わりましたが(本誌9月号参照)、他の宿泊施設も経営者が大手・県外資本に代わったところが多い。安く買い叩けば、設備投資分の回収を考えなくて済むので、宿泊料金を安く抑えられ、より集客を図りやすいという狙いがあります。今後はインバウンド・富裕層狙いの高級路線と、大手資本による低価格路線の二極化が進むと予想されます。その流れに取り残された中途半端な宿泊施設は力尽き、廃墟化がさらに進むかもしれません」 東山温泉にも4つの廃墟ホテル ホテルキャニオン跡  芦ノ牧温泉と並び同市を代表する温泉街・東山温泉でも、新栄館、ホテルキャニオン、アネックスシンフォニー、玉屋と4つの廃墟ホテルがある。新栄館は芦ノ牧ホテル同様、休業中だが、残り3つは運営会社が倒産した。  市によると解体費用の概算は合計約10億円(新栄館約1億4500万円、ホテルキャニオン約3億5000万円、アネックスシンフォニー約2億9700万円、玉屋約2億1000万円)。ただ前述した通り、解体費用が高騰しているのでさらに金額が上がっている可能性が高い。  会津若松市は昨年、東山温泉、芦ノ牧温泉が今後10年間で目指すべき方向性などを取りまとめた会津若松市温泉地域景観創造ビジョンとそれに伴うアクションプランを策定した。その中で、東山温泉の4つの廃墟ホテルについて、令和14年度までに解体する方針が示された。撤去費用については《地域の事業者も負担をしながら国等の補助金を活用する》と示された。  ここで言う補助金とは観光地の施設改修や廃屋の撤去などを支援する「地域一体となった観光地・観光産業の再生・高付加価値事業(旧・既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業)」のことだ。  事業によって補助率、補助上限額が定められており、廃屋撤去は補助率2分の1、補助上限額1億円となっている。  解体後の土地利用に関しては当初より緩和されており、公園緑地や足湯、オープンスペース、景観に配慮した駐車場などを整備する目的で解体する場合も補助対象になる。  休業中の新栄館の目の前には「くつろぎ宿 新滝」が立地する。同旅館を運営する㈱くつろぎ宿の深田智之社長は「自己負担分は当社が負担してもいいので、行政が音頭を取ってもっと早く解体に着手することを期待しています」と語る。  震災後の2013年に廃業した旅館・高橋館の建物が倒壊したまま放置される問題が起きたとき、新滝では約2000万円を負担し解体、顧客用の駐車場として整備し直した。この件も加えてこれまで5件の建物を自己負担で解体し、合計1億円超を投じてきたという。  「原瀧さんも数千万円かけて廃屋の解体に協力し、跡地を食事会場や駐車場として活用している。このほか安全対策や景観対策など民間レベルで話し合って取り組んでいます。ただ、それ以上に廃墟の負のイメージは大きい。行政は『所有者がいるから手を出せない』などの理由で動きが鈍いですが、お金ならわれわれ民間が負担しても構わないので、もっと積極的に動いてほしい」(深田氏)  深田氏によると、東山温泉には年間約50万人が宿泊する。平均単価1万5000円と考えると、50~100億円の売り上げが生まれる。たとえ解体費用に数億円かかるとしても、民間・行政が連携し、数年かけて取り組めば、廃墟ホテルをすべて解体して温泉街の景観を整備することも実現不可能ではない、と。  これに対し、会津若松市観光課の担当者はこのように話す。  「地元で解体費用を持つからすぐ解体しましょうと言われても、実際に解体を進めるとなれば、清算人を立て、裁判所での手続きを進めなければならない。差し押さえたと言っても所有権が移ったわけではないので、簡単に進まないのが実際のところです」  東山温泉の関係者からは「コロナ禍でダメージを受け、業績が低迷しているところも多い中、協力して解体費用を出そうと言っても意見をまとめるのは難しいだろう」、「過去に行政主導で同ビジョンのようなものが何度も作られたが、結局うまくいかなかった。今回もうやむやのうちに終わりそうだ」と冷ややかな意見も目立った。 鍵を握る官民の連携 会津若松市役所  こうして見ると、廃墟ホテル問題の解決は簡単ではなさそうだが、芦ノ牧温泉では3年前、宿泊施設が協力してお金を出し合うことを決め、前述の補助事業に申請し採択された経緯もある。  ホテルいづみや跡を解体し、約2700平方㍍の敷地を使ってグランピング施設、貸し切りの温泉浴場を備えた複合レジャー施設を整備するというもの。解体費用は約1億円。裁判所などの手続きを進め、芦ノ牧グランドホテルを運営するベンチャラー(新潟市)を中心に約5000万円を自己負担する方針がまとまった。  ところが、長引くコロナ禍で売り上げが激減したため、計画はストップ。資金繰りを優先し、申請を取り下げたのである。ただ、裁判所などの手続きは済んでおり、各ホテル・旅館の業績が回復次第、再挑戦できるという意味では明るい兆しと言えよう。  芦ノ牧温泉の関係者は「丸峰観光ホテルは経営者が変わって、地域と協力して盛り上げようというムードが出てきた。これからの展開に期待したい」と語る。  会津若松市観光課によると、昨年の宿泊者数は東山温泉約41万5000人、芦ノ牧温泉約12万2000人。コロナ禍前の2019年の宿泊者数は東山47万3000人、芦ノ牧21万4000人。20年前の2002年は東山50万2000人、芦ノ牧34万6000人。じりじりと減っていたところをコロナ禍が直撃した格好だ。  各ホテル・旅館は燃料費高騰などを反映して料金を上げているので、見かけ上の売り上げはそれほど落ち込んでいないとのことだが、「3年にわたり売り上げが低迷したダメージがどのように出るか分からない」(ある宿泊施設経営者)。こうしたときだからこそ、将来を見据えて温泉街の景観改善に取り組むことが重要になるのではないか。  島根県津和野町では廃墟ホテル問題を解決するため、所有者と相談し、土地と建物を合わせてタダ同然の1000円で取得。約1億5000万円かけて建物の撤去と公園の整備を進めた。関係者の熱意とアイデア次第でやりようはあるということだ。  8月に4選を果たした室井照平市長を中心に、市と温泉街がいかに一致団結して、問題解決に挑めるかが鍵を握る。

  • 【会津若松市】選挙漫遊(県議選)

     「勝手に連動企画『政経東北』でも選挙漫遊をやってみた」。  11月2日告示、12日投開票の福島県議選。福島市、郡山市、いわき市、会津若松市各選挙区の立候補者39人を本誌スタッフ総出で取材し、選挙漫遊(街頭演説などに足を運んで選挙を積極的に楽しむ)を実践しようというもの。  11月5日(日)、6日(月)の2日間、街頭演説会場に足を運び、その様子を写真と動画で記録。併せてインタビュー取材も実施した。現職には「県政・県土の課題は?」、新人には「立候補した理由は?」などについて質問した。立候補者はどのような選挙活動を展開し、どんな事を話したのか。 担当 佐藤仁 福島県議選【会津若松市】編 https://youtu.be/H3LrOAB1K0E?t=5569 【福島県議選】投票前日!【選挙漫遊】総括 投票の判断材料に!福島・郡山・いわき・会津若松会津若松市の解説は1:32:49~ 定数4 立候補者5 告示日:2023年11月2日 投票日:2023年11月12日 立候補届出状況↓ https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/601555.pdf 選挙公報↓ https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/601647.pdf 届け出順、敬称略。 あわせて読みたい 【福島市】選挙漫遊(県議選) 【いわき市】選挙漫遊(県議選) 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 水野さち子 https://www.youtube.com/watch?v=b3Eu3Gw4XPk 候補者のコメント  私は7月の会津若松市長選に立候補しましたが、あれだけ票を離されれば(※4選された室井照平氏が2万3231票に対し、水野氏は1万3738票)、市民の皆さんは現状維持を望んだのだろうと思います。県議を2期務め、2019年の参院選に落選した後、4年間の浪人生活を経て臨んだ市長選だったので、いったんは全ての電話も解約して区切りをつける考えでした。しかし、支援者への挨拶回りをする中で「これで終わってもらっては困る」「議員として働いてほしい」というたくさんの声をいただき、私自身も「自分の人生、これで終わっていいのか」と8月いっぱい熟慮した結果、3期目を目指して県議選に挑むことを決断しました。「市長選に出たのは県議選を見越して」という見方があるのは承知していますが、身近な人ほど私の真意を理解してくれていると思っています。  まずは会津若松市が先頭に立って会津の基幹産業である観光の再興を成し遂げることが大切です。そうすることで交流人口、関係人口が増加し、地域経済が活性化していくと考えます。只見線が注目を集める中、二次交通の整備や飲食、お土産、宿泊など県の立場でできること、県と会津17市町村が連携してやるべきこと、国にお願いすべきこと等々、でき得る施策はあるんだろうと思います。また、0~2歳児の保育料を所得制限なしで無償化することや、デジタル田園都市国家構想を生かして認知症の早期発見・治療を可能とするシステムをつくるなど、県独自では難しい施策を国と連携しながら実現を目指したい。  私は無所属で活動しています。他の政党からお声がけがあったのは事実ですし、今回も山口和之さん(日本維新の会所属の元参院議員)からため書きをいただきましたが、無所属なので「来るもの拒まず」のスタンスをとっています。 一言メモ  街頭演説は国道49号の大きな交差点で行ったため、足を止める人は皆無。ただ、車から手を振る人は数人いた。事務所は女性スタッフばかり。水野候補は「意識したわけではないが、支えてくれる人が集まったらこうなった」と話す。(佐藤仁) 佐藤義憲 https://www.youtube.com/watch?v=ywda67vOQQ4 候補者のコメント  今、福島県の課題は大きく二つあります。一つは人口減少、もう一つは次世代を育てる教育です。  大変残念なことですが、福島県では教員の不祥事が後を絶ちません。内堀雅雄知事も何とかしなければならないと悩んでおられますが、教員の質を上げると当時に教育の質も上げることが非常に重要と考えます。教員の働き方改革を進め、スリム化すべきところはスリム化する。そうやって教員の質を上げれば教育の質も上がっていくので、そこは現場に言うべきことを言っていきたいと思います。  その上で人口減少を考えた時、移住・定住をするにはその地域の教育レベルも一つの選択肢になるので、そこをしっかりやらないと、福島県は移住先の選択肢の中に入っていかないんだろうと思います。 一言メモ  メガドンキの前で街頭演説を行ったこともあり、若い買い物客数人が立ち止まって聞いていた。中学生くらいの男子2人も近くで演説を聞いていた。この場所を選んだのは、メガドンキ内に期日前投票所が設けられているため、投票を棄権しないように呼びかけることと、投票するなら自分の名前を書いてもらおうという狙いがあったようだ。  応援弁士として広瀬めぐみ参院議員(岩手選挙区)が駆け付ける。大竹俊哉市議、長谷川純一市議の姿もあった。(佐藤仁) 佐藤郁雄 https://www.youtube.com/watch?v=W9DUoKJU6NA 取材に応じず。 一言メモ  当初は取材に応じるとしていたが、当日になって事務所から「現在当落線上におり、大変厳しい選挙となっている。1人でも多くの有権者と接するには5分でも10分でも時間が惜しい。大変勝手を言って申し訳ないが、取材は遠慮させてほしい」という断わりの連絡が入る。  街頭演説には広瀬めぐみ参院議員(岩手選挙区)が駆け付ける。スタッフ10人弱、支持者10人弱と多くはなく、立ち止まって演説を聞く人は皆無だったが、佐藤氏を支持する人が集まったこともあり、一定の熱量は感じられた。  一方、当落線上にいることは本人も実感しているのか、少し落ち着かない様子も見られ、街頭演説の開始は14時半からなのに、14時25分ごろに「もう始めてもいいかな」と言い、支持者から「慌てるな。あと5分あるぞ」とたしなめられるシーンもあった。(佐藤仁) 渡部優生 https://www.youtube.com/watch?v=0X2lJQhc2MY 候補者のコメント   まずは災害に強い県土づくりが大切です。毎年のように大きな災害が発生し、県民の命に関わる状況が起きているので、早急に対応する必要があります。建物や橋などの耐震強化や河道掘削など、県が取り組むべきことはたくさんあると思います。  震災・原発事故からの復興も大切です。令和7年度で「第2期復興・創生期間」が切れますが、県内を見渡すと復興はまだまだ道半ばです。第3期への計画延長と、その裏付けとなる予算をどう確保するかは福島県にとって喫緊の課題です。  急速に進む人口減少にどう対応するかも問題です。人口流出をいかに食い止めるか、そして流入を促すために魅力的な雇用の場を生み出せるか。企業誘致と産業基盤強化は私が最も訴えている政策の一つです。  どうも今の福島県はイノベーション・コースト構想やロボット、水素や廃炉など、浜通りに設置した次世代産業に目を向けがちですが、現実的には自動車や半導体など、国が注力している産業やサプライチェーンにもっと注目してもいいのではないかと考えます。  会津ならではの産業、具体的には観光、農林業、酒や漆器に代表される地場産業、さらには会津大学と地元資源の掘り起こしや磨き上げも必要なんだろうと感じています。 一言メモ  前日に事務所に問い合わせた際、街頭演説は「18時半からリオン・ドール会津アピオ店前」と伝えられていたが、実際はそれより1時間も早い17時半から始まっていた。おかげで渡部候補の街頭演説の動画を収録できなかった。現場にいた事務所スタッフに「予定では18時半からではなかったか」と尋ねると「変更になったことを連絡しようと思っていたが忘れていた」とのこと。スタッフの対応の良し悪しは候補者の評判に直結するので、注意されてはいかがだろうか。  演説には小熊慎司衆院議員と馬場雄基衆院議員が駆け付ける。夕方で辺りは暗く、足を止めて演説を聞く人は皆無。ただ、10人近い支持者が集まり、拍手と声援を送っていた。(佐藤仁) 宮下雅志 https://www.youtube.com/watch?v=HHc1ct7vu14 候補者のコメント   人口減少が一番の課題だと思います。選挙戦では、今やらないと間に合わない、そこに真正面から取り組むべきだと強く訴えています。  それと同時に、安心・安全な暮らしを送れるよう雇用の創出や景気対策、医療・福祉や災害対応などを進めていくことが大切です。こうした取り組みが地域の魅力を高め、ここに住み続けたいと思う、あるいは他の地域から移住したいと思う条件になると考えます。併せて、そこに高い文化力も備わってくればワクワクした地域となり、自然とそこに住みたい、住み続けたいという気持ちが芽生えてくるのではないか。  会津には「ならぬものはならぬ」という考え方があります。それを地場のものづくりに照らし、若者を中心としたごまかしの利かない、真面目なものづくり産地を構築していけば人間力の向上にもつながると思います。文化力と人間力で地域の魅力を高める、これが私の持論です。  正直、こうした取り組みは非常に長くかかるし、すぐに結果が出るわけではなりません。しかし、人口減少が急速に進む中、今始めないと間に合わなくなるというのが今回の私の最大の主張です。  人口減少は何か一つやれば解決するものではありません。ただ、これまでと同じことをやっていては意味がなく、子育て支援についても今までの常識にとらわれない大胆な財政出動等をする必要があるんだろうと思います。県独自でやれることはきちんとやりつつ、国に求めることはしっかり求めていく。それをスピード感を持って、他県に先駆けてやらないと福島県としての特色は出せないと思います。 一言メモ  個人演説会は19時から一箕公民館で。用意した30席に対し25人くらい集まる。演説の後は出席者から鋭い質問も寄せられ、宮下候補が答える場面もあった。集まったのは熱心な支持者ということもあり、それなりの熱が感じられた。  小熊慎司衆院議員が応援弁士を務め、馬場雄基衆院議員が来賓として出席していた。(佐藤仁)

  • 【会津若松市】室井照平市長インタビュー

     むろい・しょうへい 1955年生まれ。東北大卒。会津若松市議2期。県議1期を経て2011年8月の会津若松市長選で初当選。今年7月に4選を果たす。  ――7月に行われた市長選で4選を果たしました。  「厳しい選挙戦の中、4選を果たすことができたのは市民の皆様のご支援があってこそで、あらためて御礼申し上げます。  4期目の抱負は、市民の皆様それぞれに夢を持っていただくことです。東洋経済新報社が全国812市区を対象に実施している『住みよさランキング』によると、2022年は全国66位で県内自治体では1位、2023年版では全国119位で県内自治体では3位の結果となりました。こうした結果の要因として、子育て支援をはじめとした施策が評価されたものと受け止めています。今後も子育て支援をはじめとしたさまざまな施策に注力し、市民の皆様に住みやすい町に住んでいるという実感を持っていただけるように取り組まなければなりません。住み続けたい、訪れたい、選ばれるまちの実現に向けて今後も全力で取り組みます。  1期目から掲げている『子どもたちには夢と希望を、若者には仕事・雇用を、お年寄りや障がいのある方には安心できるまちづくりを』というテーマを変わらず根幹に据えて、市民の皆様一人ひとりの思いを受け止めながら、市政運営にあたっていきます。また、様々な施策を通して、市民の皆様が郷土に愛着を持ち、地域に対する誇り『シビックプライド』を醸成し、誰もがこのまちで暮らし続けられるように、市民の皆様と共にまちづくりを着実に進めていきます」  ――新型コロナウイルスの5類移行が実施されましたが、観光業をはじめ市内経済への影響はいかがでしょうか。  「観光入込は、コロナ禍前の2019年度には及ばないものの、回復傾向にあります。具体的には、コロナ禍前が300万人だったのがコロナ禍では83万人にまで落ち込み、昨年は146万人にまで回復しました。5類移行後の5月以降はコロナ禍前の水準にさらに近づき、お盆時期を中心に家族旅行での来訪が目立っており、今年は250万人を越える入込が見込まれます。当面はコロナ禍以前の300万人に戻すことが目標です。また、インバウンドはコロナ禍前が2・5万人、コロナ禍には800人にまで減少しましたが、順調に回復しています。今後はコロナ禍前の10倍の25万人まで増加させることを目標としています。教育旅行については、コロナ禍でも好調を維持しており、5類移行後においても平日の観光需要を底上げしています。観光業以外でも、市内の経済状況は回復基調となっており、飲食業界や酒造業界への聞き取りでも、観光客の増加によって売り上げも堅調となっています。一方、原材料や電気代等の高騰は市内事業者に広く影響が出ており、今後も景況感は注視していく必要があります」  ――市役所新庁舎整備事業の進捗状況についてうかがいます。  「昨年10月に設計が完了し、今年3月に建設工事が始まりました。9月上旬時点で基礎工事が行われています。来年には庁舎周辺の道路拡幅工事や駐車場・駐輪場の工事を予定しており、順調に進めば2025年3月に新庁舎が完成し、同年度からの供用開始を予定しています。  新庁舎は、1937年から市の歴史を見続けてきた旧館を引き続き庁舎として保存・活用し、その隣に旧館のデザインを取り入れた地上7階建て、高さ30㍍の庁舎となります。全体の面積は約1万3700平方㍍で、免震構造を採用しているほか、高い省エネ性能を持ち、環境にも配慮しています。また、多くの部局が新庁舎に集約され、窓口利用が多い部局を低階層に配置するなど、市民の皆様の利便性の向上を図っています。この新庁舎が市民の皆様の安全・安心な暮らしを支え、災害時には被災対応の活動拠点となり、さらにはまちの要として、人が集い賑わいを作り出す会津のランドマークとなるよう、引き続き整備を進めていきます」  ――「スマートシティ会津若松」の取り組みが加速しています。  「スマートシティとは、〝便利で住みやすいまち〟を意味しており、本市では2013年3月より『スマートシティ会津若松』を掲げ、生活を取り巻く様々な分野でICTを活用することで、将来に向けて持続力と回復力のある力強い地域社会、安心して快適に暮らすことのできるまちづくりを目指してきました。  昨年度、本市は『国のデジタル田園都市国家構想推進交付金デジタル実装タイプ タイプ3』に東北地方で唯一採択され、食・農業、決済、観光、ヘルスケア、防災、行政という6つのデジタルサービスを実装しました。この間、市、会津大学、AiCTコンソーシアムの三者で『スマートシティ会津若松』に関する基本協定を締結したほか、市民の皆様を対象とするスマートシティサポーター制度や、地域の業界団体の方々を構成員とするスマートシティ会津若松共創会議を創設するなど、地域が一体となった推進体制を構築し、取り組みのさらなる深化・発展を目指してきました。  次なる取り組みとして、今秋以降、デジタル地域通貨『会津コイン』を使ったプレミアムポイント事業を開始するほか、今後は国の支援策等も活用しながら、引き続き会津大学およびAiCTコンソーシアムとの連携のもと、市民の皆様や企業の方々が『スマートシティ会津若松』の取り組みの成果を実感していただけるようなサービスを実装し、市民の皆様が生き甲斐と幸せを感じ、〝住み続けたい〟と思えるまちづくり、進学等で本市を離れる若者が、〝いずれ戻ってきたい〟と思えるまちづくりを目指し取り組んでいきます」  ――今後の重点事業について。  「少子化・人口減少対策は市の最重要課題であり、想定以上に出生数が減り、死亡者が増えているのが現状です。こうした現状を打破するためにも、Uターンや県外のお孫さんが祖父母の住む本市に移住する孫ターンの給付金制度、住宅取得支援や賃貸家賃補助、移住婚祝い金といった形で移住・定住支援に注力していきます。また、昨年実施した『ベビーファースト宣言』のもと、安心して子どもを産み育てる環境づくり、子どもたちがふるさとに誇りを持ちながら多様な学力を身に着ける環境づくりを進めていきます。  ほかにも新規就農者支援、新たな雇用に繋がる工業団地の整備も重要ですので、今後4年間でさらに内容を深化させていきたいと考えています。また、観光庁の『国際競争力の高いスノーリゾート形成促進事業』において、本市と磐梯町、北塩原村でのスキーと観光を軸にする計画が県内で唯一採択されました。今後は他自治体や関係団体との連携を図りながら、冬季間のインバウンド強化に向けて取り組んでいきます」

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。

  • コロナ禍で岐路に立つ会津のスナック

     5月に新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが5類に引き下げられ、夜の飲食街は感染収束ムードが漂う。だが、客の嗜好が「飲」から「食」に変化し、団体の2次会は望めない。夜の街調査4回目は6月3日土曜日に会津若松市を回った。 頼みの「無尽」は規模縮小 飲食店が入るパティオビル(会津若松市上町)=6月3日、午後10時35分  会津若松市は会津地方の消費都市の性格が強い。市内だけでなく近隣の喜多方市、猪苗代町はもちろん、遠方は南会津町などからも訪れる。そのため、市内人口に比して飲食店が多く、電話帳をベースに人口1000人当たりのスナック店数を調べたところ、県内主要4市では最も多かった(表1、表2)。 表1:県内人口上位4市のスナック店舗数 2023年5月1日推計人口(百人)2019年スナック数(店)2021年スナック数(店)減少率(%)いわき市3226273221▲19.0郡 山 市3222202159▲21.2福 島 市2763194145▲25.2会津若松市1133158124▲21.5 表2:県内人口上位4市の千人当たりスナック店舗数 2021年スナック店数人口千人当たり店数会津若松市1241.09いわき市2210.68福 島 市1450.52郡 山 市1590.49  「地理的に考えると、峠を越えてきた人たちが金を落とす一大消費地でした」とは市内のある飲食店経営者。 近代から戦後にかけては、猪苗代湖の水力発電で得た安価な電力を背景に産業が集積した。 あるスナックのママが40年前をしのぶ。 「富士通の工場があったころは関係者がよく飲みに来ました」 眠らない街の光景が、いまも目に焼き付いている。 「1980年代の話です。私の店は深夜1時に閉めますが、帰りのタクシーが拾えないほど。2時3時になってもタクシー待ちの行列です。お店はほとんど閉まっているのにどこに人がいたのかと思うくらいの数。『この人たち、明日は仕事だろうに大丈夫なのかな』と心配でしたね。金曜、土曜ではなく平日の話です。いい時代でしたよね……。いまですか? 最悪ですよ」(前出のママ) 新型コロナの感染拡大以降は金、土曜日だけ営業してきた。4月ごろは週末に4、5人が来てくれて明るい兆しを感じたが、5月の大型連休は客の入りが鈍く、同月半ばからは確実に悪い。 「私1人でやっているので、若いお客さんは来ないでしょう。大型連休は、街は久しぶりに若者で賑わっていました。でも、若い人だって毎日は飲みに行かないでしょ。連日賑わっている店はないと思いますよ」(同) 賑わっているところはあるのか。店主たちに聞くと、「パティオビル周辺だけは人が大勢いる」という。パティオビル(地図参照)に入居するテナントはキャバクラやスナック、バー・クラブなど若年層向けの店が多い。 地図:会津若松市の飲食店街  ビルのきらびやかな照明が夜に浮かび上がる。エントランスに入ると、店の紹介映像が画面に流れていた。派手な光と音に包まれ、ここだけ別世界だ。エントランスの上部を見ると、天井の隅に張り付いてこちらをうかがう巨大なゴリラの模型と目が合った。 ビルの前では男女問わず若いグループが複数たむろし、解散するか次の店をどこにするかを話し合っていた。道を挟んで向かいにはコンビニがある。ビル内の店に入るかどうかは別として、人が集まるようだ。 パティオビルは、どの階もテナントで埋まっていた。家賃は階が違っても変わらないので、上階より人の往来がある1階が人気だ。最も賑わう同ビルでさえも移転か閉じた店があるが、入居者も同じ数だけあり、テナントの新陳代謝が起きている。 苦境に立つ老舗  これまでの夜の街調査でも指摘しているように、客が夜の飲食店に求めるものは「飲」から「食」に移ったが、客層も「老」から「若」に移行した。コロナ禍を機に老舗が閉店した。 50年来スナックを経営してきたマスターは、最近の客の一言にプライドを傷つけられた。 「初めて来た男性のお客さんでしたね。『女の子はいないの』と店内を見回しました。若い女性従業員をたくさん抱える店じゃないと知ると、『じゃあいい』とバタンとドアを閉めていきました。街やお客さんと共に私たち従業員も年を重ねてきました。お客さんの好みは理解しますが、入店をやめるにしてもスマートな去り方があるのではないか」 共に年齢を重ねてきた高齢の客は新型コロナに感染して重篤化するのを恐れ、外での飲食を控えるようになった。3年経てば「飲みに行かない」のが習慣となるが、それでも変わらず来てくれる常連もいる。「店を閉めて寂しいとは言われたくない」(マスター)。何より、長年働いてくれている高齢従業員の生活のために、わずかでも稼がなければならない。 会津若松の調査は、郡山(今年1月号)、福島(同5月号)、いわき(同6月号)に続き4回目となる。いままで3市の夜の街を調査してきたと店主らに話すと、よく聞いたのが「いわきはコロナでも賑わっているようだね」「実際に(いわきに)行った人から繁盛していると聞いた」と羨む声だった。 だが、それは幻想と言っていい。いわきでも土曜日にもかかわらず、団体の2次会需要はほとんどないため、夜10時以降閑散とするのは会津若松と変わらない。「食」がメインの店舗でも、売り上げがコロナ禍前の7割に戻っていれば良い方だ。店を開けるだけでは2次会の客が来ることは期待できず、多くの老舗が客の行動変化に苦労していた。 地方は少子高齢化が急速に進み、経済規模の縮小は免れられない。いわきは首都圏に近いという地の利はあるが、会津若松と同様、コロナ禍から未だ立ち直ってはいない。 県内4市の夜の街を調査すると、感染拡大前から飲食店は総じて減っており、コロナ禍が閉店を早めたと言える。本稿末尾にコロナ禍後に電話帳から消えたスナック、バー・クラブの営業調査結果を載せた。近隣の店主に聞くと、コロナ禍前に閉じた店も散見された。 電話帳から消えた会津若松市のスナック、バー・クラブ 〇…6月3日(土)に営業確認 ×…営業未確認 店名建物名営業状況栄町スナック翼パピヨンプラザビル×スナックあんり五番街ネクサスビル×スナック燁里エクセレント大手門ビル×スナックみっちゃん×Coralマリンビル×さざなみ三進ビル×すなっくなおこ白亜ビル×スナックひまわり×スナック演歌Mビル→白亜ビル〇上流階級ヴェルファーレビル〇西栄町スナック情不明×行仁町ラブストーリーリトル東京×上町スナックオルゴール(織香瑠)上町一番街×スナックディアレストAsahi Alpa×スナックアンルート×でん福マルコープラザ×レイティス(RETICE)パティオビル×regalia×スナックageha〇スナック古窯パティオビル→移転〇ミュージックパブオアシスセンチュリーホテル×ゴールデンウェーブ×Villeセンチュリー・ノアビル×スナック胡遊×ピンクパンサー〇佑花×馬場町ベルコット石井ビル×スナックシナリオサンコープラザビル×れとろ×ENZYU×宮町パーティハウス北日本ビル×スナック赤いグラス明月ビル×ニューサンシャインサンシャインビル× 「無尽」の互助に異変  飲食店街は打つ手がないのか。前出の飲食店経営者は「会津若松の夜の活気は無尽が支えてきた」と話す。 無尽とは、会員が掛け金を出し合い、一定期日にくじで優先的に融通の権利を得るシステムやその会のこと。前近代的な金融の一種で、現在は山梨県のものが有名。福島県内では会津地方が盛んだ。 飲食店経営者が説明する。 「例えば会費を1万円とします。5000円を場所代として飲食店で消費し、残りの5000円を積み立てる。10人集まれば、1回の集まりにつき店に5万円を落とし、無尽に5万円を積み立てられる。1年後には60万円に達し、くじでもらう人を決めたり、急ぎの金が要る人に融通する。親睦旅行の代金に充て、会員全員に還元する方法もある」 個々の無尽で取り決めは違うが、現代では無尽にかこつけて集まることが目的なので、積み立てや融通の方法自体は重要ではないという。互助的なシステムである点が大事だ。 「居酒屋はたいてい1店につき6~12本の無尽を持っている。毎月1、2回は店に集まって会を開くので、何本無尽を持てるかが経営の安定につながると言っていい。常連客の他に魚屋、酒屋などの出入り業者、スナックの店主も参加する」(前出の飲食店経営者) 1次会はその居酒屋で、2次会は無尽に参加しているスナックで、という流れができ、常連客も店主も無尽つながりでお互いに店を利用するようになる。「無尽の飲み会がある」と言うと、家族も「しょうがない」と止めるのを諦めるほどの大義名分が立つという。 選挙も無尽で決まると言っても過言ではない。酒席では「健康状態が悪いらしい」「金銭的に苦しいようだ」と政治家のウワサが飛び交い、それを会社や家庭に持ち帰ったり、掛け持ちしている別の無尽で話したりして末端まで広がる。 「いわば選挙キャンペーンの装置です。多くは根も葉もないウワサですが、本人にとっては政治生命に関わる。政治家は、酒席でウワサを否定しなければなりません」(同) 企業も無縁ではない。この経営者によると、商工団体以上の情報伝達網だという。経営難や信用不安など悪いウワサも多い。 侮れない無尽だが、さすがにコロナ禍では自粛となった。 前出のスナックママは 「コロナを機に無尽もやめようという話が出てずいぶん減りました。無尽という言葉すら聞かなくなりましたね」 一方で、前出の飲食店経営者は楽観的だ。1次会の客をメインにしている事情がある。 「飲食店同士の無尽は出費を抑えるために減ったかもしれませんが、個人の参加は着実にあります。ウワサ、酒、選挙という勝負事への欲求は人間のさがですからね。定期的に街へ出る回数が増えれば、飲食店街に広く波及していくはずです。懸念しているのは、運転代行業者が確保できないことです。会津若松の飲食店街は近隣市町村からも多くのお客さんが来ます。コロナ禍で減った運転代行業者の数が戻らないと客足回復の機会を逃がしてしまう」 その店が主にしているのが1次会か2次会かで見解が全く異なる。人付き合いを断つ理由を与えてしまったのがコロナ禍だったと言える。若者の酒離れが進む昨今、スナックママが体験した無尽離れの方が現実味を帯びる。 あわせて読みたい 【いわき駅前】22時に消える賑わい コロナで3割減った郡山のスナック 客足回復が鈍い福島市「夜の街」|スナック営業調査

  • 【芦ノ牧温泉】丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚

     先月号に「丸峰観光ホテル『民事再生』を阻む諸課題」という記事を掲載したところ、それを読んだ元従業員たちが、在職中に目撃した星保洋社長の杜撰な経営を明かしてくれた。元従業員たちは「あんな社長のもとでは自主再建なんて絶対無理」と断言する。 スポンサー不在の民事再生に憤る元従業員 再建を目指す丸峰観光ホテル  会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵が福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請したのは2月26日。負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 両社の経営状態が分かる資料は少ないが、東京商工リサーチ発行『東商信用録福島県版』に別表の決算が載っていた。もっとも、その数値もコロナ禍前のものだから、現在は更に厳しい売り上げ・損益になっているのは間違いない。 丸峰観光ホテルの業績売上高利益2012年15億4700万円1億1000万円2013年14億3100万円14万円2014年14億9400万円190万円2015年8億8500万円980万円2016年9億7300万円5200万円 丸峰庵の業績売上高利益2013年4億0800万円16万円2014年5億0700万円▲1800万円※決算期は両社とも3月。▲は赤字。  両社の社長を務める星保洋氏は、3月に開いた債権者説明会で自主再建を目指す方針を明らかにした。債権者が注目していたスポンサーについては「今後の状況によっては(スポンサーから)支援を受けることも検討する」と説明。スポンサー不在で再建を進めようとする星社長のやり方に、多くの債権者が首を傾げていた。 先代社長で女将の星弘子氏(保洋氏の母、故人)にかつて世話になったという元従業員はこう話す。 「丸峰観光ホテルは最盛期、土日のみで年13億円を売り上げていた。あの施設規模だと損益分岐点は10億円。しかし、稼働率は震災・原発事故や新型コロナもあり低調で、現在は少しずつ回復しているとしても2022年3月期決算は売上高5億円台、最終赤字2億円超というから、スポンサー不在で再建できるとは思えない。それでも自主再建を目指すというなら、トップが代わらないと無理でしょう」 このように、社長交代の必要性を指摘する元従業員だが、 「ただ、私は丸峰を辞めてからだいぶ経つので、現社長の経営手腕はウワサで聞くことはあっても、実際に見たわけではない」(同) ならば、会社が傾いていく経過を間近で見ていた元従業員は、星社長の経営手腕をどう評価するのか。 ここからは、先月号の記事を読んで「ぜひ星社長の真の姿を知ってほしい。そして、この人のもとでは自主再建は絶対無理ということを分かってほしい」と情報を寄せてくれたAさんとBさんの証言を紹介する。ちなみに、ふたりの性別、在職時の勤務先、退職日等々を書いてしまうと、誰が話しているのか特定される恐れがあるため、ここでは触れないことをご了承いただきたい。 まず驚かされたのが星社長の金銭感覚だ。少ない月で20~30万円、多い月には100万円以上の個人的支出を「これ、処理しておいて」と経理に回していたという。 一体何に浪費していたのか、その一部は後述するが、 「要するに、会社の財布を自分の財布のように使っていた」(Aさん) そのくせ、取引先への支払いは後回しにすることが多く、口うるさい取引先には10日遅れ、物分かりがいい取引先には1、2カ月遅れで支払うこともザラだった。 「そういうことをしておいて、自分はレクサスを乗り回し、飲み屋に出入りしていた。取引先はそんな星社長の姿を見て『贅沢する余裕があるならオレたちに払えよ!』といつも怒っていた」(Bさん) ふたりによると、星社長は滞っている支払いをめぐり、どこを優先するかを決める会議まで開いていたというから呆れるしかない。 「こういう無駄な会議が、本来やるべき業務の妨げになっていることを星社長は分かっていない」(同) 従業員に対しても、会社のために立て替え払いをしても数百円、1000円の精算にさえ応じないケチっぷりだった。 AさんとBさんが口を揃えて言うのは「本業に注力していれば傾くことはなかった」ということだ。本業とは、言うまでもなく丸峰観光ホテルを指す。ならば経営悪化の要因は丸峰庵が手掛ける「丸峰黒糖まんじゅう」にあったということか。 「黒糖まんじゅうは、利益は薄かったかもしれないが現金収入として会社に入っていたし、お土産として需要があったという点では本業とリンクしていたと思う」(Aさん) 問題は、丸峰庵が行っていた飲食店経営にあった。 前出・かつての従業員によると、そもそも飲食店経営に乗り出したのは星弘子氏が健在のころ、保洋氏の妻が姑との関係に悩み、夫婦で一時期、会津若松市から郡山市に引っ越したことがきっかけという。保洋氏からすると、妻のことを思って弘子氏と距離を置く一方、ホテル経営で実績を上げる母を見返すため、別事業で成果を出したい思惑もあったのかもしれない。 報道等によると、飲食店経営は2006年ごろから参入し、もともとは「丸峰観光ホテルの外食事業」としてスタート。しかし、2014年にホテル経営に注力するため、まんじゅう製造・販売事業と併せて丸峰庵に移管した。 現在、丸峰庵が経営しているのはJR郡山駅のエキナカに並んでいる蕎麦店と中華料理店、同駅前に立地するダイワロイネットホテルの飲食テナント(1階)に入っている、エキナカよりグレードの高い蕎麦店。 「それ以外に郡山駅西口の陣屋では居酒屋とバーを経営している。大町にもかつて居酒屋を出したことがある」(Aさん) そのほか東京都内にも飲食店を構えたことがあったが「3年程前に撤退し、今は都内にはない」(同)。 店を出すのが「趣味」 丸峰庵  これらの飲食店が繁盛し、グループ全体の売り上げを押し上げていればよかったが、現実は本業の足を引っ張るお荷物になっていたという。 「駅前は人が来ないのに家賃が高い。そんな場所に、会社にとって中心的な店を三つも出している時点で厳しい。都内から撤退したのは正解でしたが」(同) そんな甘い出店戦略もさることながら、従業員の目には星社長の経営感覚も違和感だらけに映った。 「ちゃんとリサーチして出店しているのかな、と思うことばかりだった。例えば、大町の立地条件が悪い場所に『知り合いから紹介された』と中華料理店を出したが、案の定、客が入らず閉店した。すると、今度は同じ場所でしゃぶしゃぶ店をやると言い出し、店内を改装してオープンしたが、こちらも数カ月で閉店してしまった」(Bさん) さらに問題なのは、▽閉店後に完全撤退するのではなく「また店を出すかもしれない」と無駄な家賃を支払い続けた、▽出店に当たり他店から料理人等を引き抜いてきたのに、すぐに閉店させたことで行き場を失わせた、▽店が営業中、経営が厳しいと理解しているのに対策を練らない――等々、先を見据えている様子が一切見られないことだった。 「要するに、星社長にとっては店を出すことが目的なので、オープンしたら途端に興味を失うのです。もし店を出すことが手段なら、客を増やすにはどうしたらいいか真剣に考えるはず。しかし、星社長は『今月は〇〇円の赤字です』と報告を受けても全く焦らないし悩まない」(同) 星社長にとっては、店を出すことが「趣味」なのかもしれない。そうなると、飲食店事業で儲けようという考えは出てこないだろう。 「出店に当たっては、厨房機器等をネット通販で勝手に買い、会社に払わせていた。普通はリースやまとめ買いで揃えると思うが、与信が通らないから個人で揃えるしかなかったのでしょう」(同) 前述・会社に支払わせていた個人的支出の一部は、ネット通販で購入した厨房機器等とみられる。 AさんとBさんは「もし飲食店経営をするなら計画的に出店し、店舗数を絞ればグループ全体に寄与したのではないか」とも話す。ところが現状は、星社長による無計画な出店が足を引っ張り、従業員の間に軋轢を起こしていたと指摘する。 「ホテルやまんじゅう製造・販売に関わる従業員は『儲からない飲食店のおかげでオレたちが稼いだ利益が食われている』と不満に思っていた。飲食店経営に関わる従業員はそれをよく理解していたが、出店が趣味の星社長は意に介さないし、忠告する幹部社員もいない」(Bさん) 「かつては苦言を呈する幹部社員もいたが、星社長が聞く耳を持たないため嫌気を差して辞めていった。今いる幹部社員は星社長のイエスマンばかり」(Aさん) 星弘子氏が健在のころは強いブレーキ役を果たしていたが、2019年に弘子氏が亡くなったのを境にタガが外れ、本業から飲食店経営への資金流出が起こっていた可能性も考えられる。 こうした状況を招いた経営者が民事再生法の適用を申請し、スポンサー不在のまま自主再建を目指すと言い出したから、AさんとBさんは既に退職した立場だが「債権者に失礼だし、従業員も気の毒」として、星社長の真の姿を伝えるべきと決心したという。ふたりとも「そういう経営者のもとで自主再建を目指そうなんてとんでもない」と憤りが収まらなかったわけ。 AさんとBさんは、最後にこのように語った。 「SNSで『大好きなホテルなので残念』『再建できるよう応援しています』とのコメントを見かけたが、それは従業員がお客さんに真摯な接客をしたから言われているのであって、星社長を応援しているわけではないことを理解してほしい。私たちは、スポンサーがつくなどして新しい経営者のもとで再建を目指すなら応援するが、星社長が主導する再建は賛成できない」 難しい自主再建 渓谷美の宿 川音(HPより)  丸峰観光ホテルは現在も予約を受け付けるなど、傍目には平時と変わらない営業を続けているという。しかし、三つある施設のうち「渓谷美の宿 川音」は古代檜の湯が工事中で男女ともに営業停止。「レストランあいづ五桜」も設備メンテナンスのため休業している。どちらも再開日は未定だ。 このほか二つの施設「丸峰本館」「離れ山翠」のうち、本館も休館中との話もあり、営業しているのは離れ山翠だけとみられる。客が入らないのに巨大な施設を稼働させても経費の無駄なので、経営資源を集中させるという意味では正解と言える。 ただ、本誌には4月中旬に起きた出来事として「その日は給料日だったが振り込まれず、従業員がホテルに詰めかける騒動があった」「給料は支払われたが、3月は手渡し、4月は振り込みだったらしい」との話も寄せられており、これが事実なら星社長は当面の資金繰りに窮していることが考えられる。 今後注目されるのは、これから債権者に示されることになる再生計画の中身だ。以下は『民事再生申立ての実務』(東京弁護士会倒産法部編、ぎょうせい発行)に基づいて書き進める。 民事再生申し立てに当たり、再生債務者(丸峰観光ホテルと丸峰庵)は裁判所や監督委員から、申し立て前1年間の資金繰り実績表と、申し立て後半年間の資金繰り予定表の提出を求められる。資金繰りができなければ再生計画の策定・認可を待つことなく事業停止に追い込まれるため、再生債務者にとって資金繰り対策は極めて重要になる。 再生債務者は「申し立てによる相殺」や「申し立て前の差し押さえ」といった難を逃れて確保できた資金をもとに資金計画を立てる。ここで重要なのは、入金・出金の確度を高めることができるかどうかだ。関係者に協力を仰ぎ、既発生の売掛金・未収金・貸付金などの回収を進め、将来発生する売掛金の入金見込みを立てると同時に、支払い条件を一定のルールに基づき決定し、支出の見込みも立てる。併せて棚卸や無担保資産の早期処分を適宜行う。 問題は、星社長がこのような資金繰りのメドをつけられるかどうかだが、前述した個人的支出、取引先への支払い遅延、給料遅配、さらに飲食店事業をめぐっては家賃滞納のウワサも囁かれる中、取引先・債権者から資金繰りの理解と協力が得られるかは疑問だ。 メーンバンクの会津商工信組も、民事再生申し立て前に「思うように再建が進まない」と嘆いていたというし、前出・AさんとBさんも「星社長は他人の意見を聞かない」というから、自主再建が見込める資金計画が立てられるとは考えにくい。 だからこそ、スポンサーの存在が重要になるのだ。スポンサーがつけば信用が補完され、再生債務者の事業価値の毀損(信用不安・資金不足による取引先との取引中止、従業員の退職、顧客離れなど)が最小限に抑えられる。スポンサーによる確実な事業再生が見込まれ、申し立ての前後からスポンサーの人的・資金的協力も得られる。 スポンサー不在の違和感  全国を見渡しても、鳥取県・皆生温泉の老舗旅館「白扇」は負債16億円を抱えて4月7日に民事再生法の適用を申請したが、同日付で地元の食肉加工会社がスポンサーにつくことが発表された。昨年3月に負債11億円で同法適用を申請した山梨県・湯村温泉の「湯村ホテル」も、スポンサー候補を探すプレパッケージ型民事再生に取り組み、半年後に事業譲渡した。2021年8月に同法適用を申請した北海道・丸駒温泉の「丸駒温泉旅館」は、全国で地域ファンドを運用する企業がスポンサーとなって再建が図られた。負債は8億3000万円だった。 ここに挙げた事例より負債額が格段に多い丸峰観光ホテル・丸峰庵がスポンサー不在というのは、やはり違和感がある。今後は3月の債権者説明会で言及がなかったスポンサーを見つけることが、今夏にも債権者に示されるであろう再生計画案の成否を握るのではないか。 ちなみに再生計画案を実行に移せるかどうかは、債権者集会に同案を諮り①議決権者の過半数の同意(頭数要件)、②議決権の総額の2分の1以上の議決権を有する者の同意(議決権数要件)を満たす必要がある。 本誌は民事再生の申請代理人を務めるDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士を通じて、星社長に取材を申し込んだ。具体的に15の質問項目を示して回答を待ったが、両者からは期限までに何の返事もなかった。 この稿の主人公は丸峰観光ホテルだったが、星社長のような経営者は他にもいるはずで、そこにコロナ禍が重なり、青息吐息のホテル・旅館は少なくないと思われる。杜撰な経営を改めなければ早晩、手痛いしっぺ返しに遭うことを経営者は肝に銘じるべきだ。 最後に余談になるが、4月中旬、本誌編集部に会津商工信組と取り引きがあるとする匿名事業者から「今回の民事再生で信組の損失がどれくらいになるか心配」「役員が責任を取って辞める話が出ている」「これを機に新体制のもとで以前のような活気ある組織に戻ってほしい」などと綴られた投書が届いた。組合員は丸峰観光ホテル・丸峰庵の再生の行方と同時に、メーンバンクの同信組が今後どうなるのかについても強い関心を向けている。 あわせて読みたい 芦ノ牧温泉【丸峰観光ホテル】民事再生を阻む諸課題【会津若松市】

  • 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

     会津若松市職員(当時)による公金詐取事件は、だまし取った約1億7700万円の使い道が裁判で明らかになってきた。生活費をはじめ、競馬や宝くじ、高級車のローン返済や貯蓄、さらには実父や叔父への貸し付け、挙げ句には交際相手への資金援助。詐取金は、家族の協力を得ても半分しか返還できていない。本人が有罪となり刑期を終えても、一族を道連れに「返還地獄」が待っている。 一族を道連れにした「1.8億円の返還地獄」  会津若松市の元職員、小原龍也氏(51)=同市河東町=は在職中、児童扶養手当や障害者への医療給付を担当する立場を悪用し、データを改ざんして約1億7700万円もの公金をだまし取っていた。パソコンに長け、発覚しにくい方法を取っていただけでなく、決裁後の起案のグループ回覧を廃止したり、チェック役に新人職員や異動1年目の職員を充てて職員同士の監視機能が働かない体制をつくっていた。 不正発覚後、市は調査を進め、昨年11月7日に会津若松署に小原氏を刑事告訴した上で懲戒免職にした。同署は任意捜査を続け、同12月1日に詐欺容疑で逮捕した。  その後も、市は個別の犯行について被害届を提出。同署は一連の詐欺容疑で計5回逮捕し、地検会津若松支部がうち4件を詐欺罪で起訴している(原稿執筆時の3月中旬時点)。検察は全ての逮捕容疑を罪に問う見込みだ。小原氏は、これまでに法廷で読み上げられた起訴事実2件を「間違いございません」と認めている。一つの公判が開かれるたびに新たな起訴事実が読み上げられ、本格的な審理にまで至っていない。 地元の事情通が警察筋から聞いた話によると、捜査は2月中に終結する見込みだった。5回目の逮捕が3月9日だから、当初の想定よりずれ込んでいる。 逮捕5回は身に応えるのだろう。出廷した小原氏の髪は白髪交じりで首の後ろまで伸び、キノコのかさのように頭を覆っていた。もともと痩せていて背が高いのだろうが、体格のいい警察官に挟まれて連行されるとそれが際立った。顔はやつれ、いつも同じ黒のトレーナー上下とスリッパを身に着けていた。 刑事事件に問われているのは犯行の一部に過ぎない。2007~09年には、重度心身障害者医療費助成金約6500万円を詐取していたことが市の調査で分かっている(表参照)。だが、詐欺罪の公訴時効7年を過ぎているため立件されなかった。市は「民事上の対応で計約1億7700万円の返還を求めていく」としている。 元市職員による総額1億7700万円の公金詐取と返還の動き 1996年4月大学卒業後、旧河東町役場入庁。住民福祉課に配属1999年4月保健福祉課に配属2001年4月税務課に配属2005年4月建設課に配属11月合併で会津若松市職員に。健康福祉部社会福祉課に配属2007年4月~2009年12月6571万円を詐取(重度心身障害者医療費助成金)2011年4月財務部税務課に配属2014年11月健康福祉部こども保育課に配属2016年5月地元の金融機関から借金するなどして叔父に700万円を貸す7月実父に700万円を貸す2018年4月健康福祉部こども家庭課に配属。こども給付グループのリーダーに昇任2019年4月~2022年3月1億1068万円を詐取(児童扶養手当)2021年60万円を詐取(21年度子育て世帯への臨時特別給付金)2022年4月健康福祉部障がい者支援課に配属6月市が支給金額に異変を発見。内部調査を開始8月市が小原氏から詐取金の回収を開始9月市が返還への協力を求めて小原氏の家族と協議開始11月7日市が小原氏を刑事告訴し懲戒免職11月8日時点9112万円を返還(残額は全額の49%)11月30日8~10月の給料分56万円を返還12月1日1回目の逮捕12月28日家族を通じて11月の給料分2万円を返還2023年2月6日実父から市に40万円の支払い2月14日時点8489万円が未返還(残額は全額の48%)出典:会津若松市「児童扶養手当等の支給に係る詐欺事件への対応について」(2022年11月、23年2月発行)より。1000円以下は切り捨て。  市は早速、小原氏を懲戒免職にした後の昨年11月8日時点で半分に当たる9112万円を回収した。小原氏に預金を振り込ませたほか、生命保険を解約させたり、所有する車を売却させたりした。 小原氏が逮捕・起訴された後も回収は続いている。まず、小原氏が昨年8月から同11月に懲戒免職になるまでに支払われた給料約3カ月分、計約58万円を本人や家族を通じて返還させた。加えて小原氏の実父が40万円を支払った。それでも市が回収できた額は計約9210万円で、だまし取られた公金の全額には到底届かない。約48%に当たる約8489万円が未回収だ。 身柄を拘束されている小原氏は今すぐに働いて収入を得ることはできない。初犯ではあるが、多額の公金をだまし取った重大性と過去の判例を考慮すると実刑が濃厚だ。 ちなみに初公判が開かれた1月30日、同じ地裁会津若松支部では、粉飾決算で計3億5000万円をだまし取ったとして詐欺罪などに問われていた会社役員吉田淳一氏に懲役4年6月が言い渡されている(㈱吉田ストアの元社長・吉田氏については、本誌昨年9月号「逮捕されたOA機器会社社長の転落劇」で詳報しているので参照されたい)。 小原氏は3月中旬時点で五つの詐欺罪に問われており、本誌は罪がより重くなると考えている。同罪の法定刑は10年以下の懲役。二つ以上の罪は併合罪としてまとめられ、より重い罪の刑に1・5を掛けた刑期が与えられる。単純に計算すると10年×1・5=15年。最長で刑期は15年になる。実刑となればその期間の就労は不可能。刑務作業の報償金は微々たるもので当てにならない。 小原氏に実刑が科されれば、市は公金を全額回収できない事態に陥る。そのため市は、小原氏の家族にも返還への協力を求めてきた。小原氏は妻子とともに市内河東町の実家で両親と同居していたが、犯行発覚後に離婚したため、立て替えているのは両親だ。 実父は市に「年2回に分けて支払う」と申し出たが、前述の通りこれまでに支払ったのは1回につき40万円。残額は約8489万円だから、1年間に80万円ずつ返還すると仮定しても106年はかかる。今のペースのままでは、小原氏や家族が存命中に全額返還はかなわない。 返還が遅れると小原氏も不利益を被る。刑を軽くするには、贖罪の意思を行動で示すために少しでも多く返還する必要があるからだ。十分な返還ができず、刑期が減らなければ、その分だけ社会復帰が遅れ、返還に支障が出るという悪循環に陥る。 「裁判が終わるまでに全額返還」が市と小原氏、双方の共通目標と言える。だが、無い袖は振れない。ここで市が言う「民事上の対応も考えている」点が重要になる。小原氏側からの返還が滞り、返還に向けて努力する姿勢を見せなければ損害賠償請求も躊躇しないということを意味する。ただ、小原氏には財産がない以上、民事訴訟をしたところで回収は果たせるのか。親族に責任を求めて提訴する方法も考えられるが。 市に問い合わせると、 「詐取の責任は一義的に元市職員(小原氏)にあり、親族にまで民事訴訟をすることは考えていない」(市人事課) 確かに、返還義務があるのはあくまで犯行に及んだ小原氏だけだ。いくら親子関係にあっても互いに別人格を持った個人であり、犯罪の責任を親にかぶせることを求めてはいけない。現状、小原氏の実父が少額ずつであれ返還に協力している以上、強硬手段は取れない。小原氏や家族の資力を勘案して、できるだけ早く返還するよう強く求めることが、市が取れる手段だ。こうして見ると、一族が一生かかっても返還できない額をよく使い切ったものだと、小原氏の金銭感覚に呆れる。 実父、叔父、交際相手を援助 小原氏の裁判が開かれている福島地裁会津若松支部(1月撮影)  それでも、小原氏本人が返還できなければ、家族や親族を民事で訴えてでも回収すべきという意見も市民には根強い。なぜなら「公金詐取の引き金は親族への貸し付けが一要因である」との趣旨を小原氏が供述でほのめかしているからだ。 検察官が法廷で述べた供述調書の内容を記す。 小原氏は2016年5月ごろに叔父に700万円を貸している。小原氏と実父の供述調書では、小原氏は実父に頼まれて同年7月に700万円を貸している。 いずれの貸し付けも公金をそのまま貸したわけではなく、まずは地元の金融機関から借りるなどして捻出した金を叔父と実父に渡した。だが叔父からは十分な額を返してもらえず、小原氏はもともと抱えていた借金も重なって金融機関への返済に窮するようになった。その結果、公金詐取に再び手を染めたという。 事実が供述調書通りなのか、法廷での小原氏自身の発言を聞いたうえで判断する余地がある。だが逮捕前の市の調査でも、小原氏は「親族の借金を肩代わりするために公金を詐取した」と弁明しているので、供述との整合性が取れている。 地元ジャーナリストが小原氏の家族関係を話す。 「実父は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐという。三男(同)は公務員だそうだ。叔父は過去に勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあると聞いている。『親族の借金の肩代わり』とは叔父のことを指しているのかもしれない」 供述と証言を積み上げていくと、実父と叔父には自前では金を用意できない事情があった。2人は市役所職員という信頼のある職に就いていた小原氏に無心し、小原氏は金融機関から借金。もともと金に困っていたところに、借金でさらに首が回らなくなり、再び犯行に及んだことがうかがえる。 実父と叔父の無心は、既に公金詐取の「前科」があった小原氏を再犯に駆り立てた形だ。2人からすると「借りた相手が悪かった」と悔やんでいるかもしれないが、小原氏が市役所職員に見合わない金の使い方をしているのを傍で見ていて、いぶかしく思わなかったのだろうか。 だが、人は目の前に羽振りの良い人物がいたら「そのお金はどこから来たのか」とは面と向かって聞きづらいだろう。自分に尽くしてくれるなら疑念は頭の隅に置く。 小原氏には妻以外に交際相手がいた。相手が結婚を望むほどの仲で、小原氏はその子どもに食事をごちそうしたりおもちゃを買ったりしていたという。交際相手と子どもの3人で住むためのマンションも購入していた。しかし事件発覚後、交際相手は小原氏に現金100万円を渡している(検察が読み上げた交際相手の供述調書より)。自分たちが使っていた金の原資が公金なのではないかと思い、恐ろしくなって返したのではないか。 加算金でかさむ返還額 小原氏と実父が共有名義で持つ市内河東町の自宅。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  不動産を金に換える選択肢も残っている。ただ登記簿によると、市内河東町にある小原氏と実父の自宅は2000年10月に新築され、持ち分が実父3分の2、小原氏3分の1の共有名義。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。返済できなければ自宅は同信金によって処分されてしまうので、返還の財源に充てられるかは不透明だ。 小原氏のみならず、家族も窮状に陥っている。だがいかんせん、同情されるには犯行規模が大きすぎた。小原氏は国や県が負担する金にも手を出していたからだ。主に詐取した児童扶養手当の財源は3分の1が国負担(国からの詐取額約3689万円)、重度心身障害者医療費助成金は2分の1が県負担(県からの詐取額約3285万円)、子育て世帯への臨時特別給付金に至っては全額が国負担(国からの詐取額約60万円)だ。 早急に全額返金できなければ市は政府と県に顔向けできない。何より、いずれの財源も国民が納めた税金である。ここで生温い対応をしては、国民や市民からの視線が厳しくなる。市は引き続き妥協せずに回収していくとみられる。 利子に当たる金額をどうするかという問題も出てくる。公金詐取という重罪を、正当な取り引きである借金に当てはめることはできないが、他人の金を一時的に自分のものにしたという点では同じだ。借金なら、返す時に当然利子を支払わなければならない。だまし取ったにもかかわらず、利子に当たる金額を支払わずに済むのは、民間の感覚では到底許せない。 市に、利子に当たる金額の支払いを小原氏に求めるのか尋ねると「弁護士に相談して対応を決めている」(市人事課)。ただ、市に対し国負担分の返還を求めている政府は、部署によっては加算金を求めることがあるという。市が小原氏の代わりに加算金を負担する理由はないので、市はその分を含めた返還を小原氏に求めていくことになる。要するに、小原氏は加算金=利子も背負わなければならず、返還額はさらに増えるということだ。 小原氏は自身が罪に問われるだけでなく、一族を「公金の返還地獄」へと道連れにした。囚われの身の自分に代わり、家族が苦しむ姿に何を思うのだろうか。 あわせて読みたい 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

  • 芦ノ牧温泉【丸峰観光ホテル】民事再生を阻む諸課題【会津若松市】

     会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵は2月28日、福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請した。債権者説明会では営業体制を見直し、自主再建を目指す方針が示されたが、取引先や同業者は「スポンサーからの支援を受けずに再建できるのか」と先行きを懸念する。 スポンサー不在を懸念する債権者  民間信用調査機関によると負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 《1994(平成6)年3月期にはバブル景気が追い風となり、売上高25億円とピークを迎えた。1995年3月期以降は景気後退で利用者数が減少。債務超過額も拡大していた》《2020(令和2)年に入ると新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた。2022年3月期は売上高が5億円台まで後退し、2億円超の最終赤字を計上した。その後も業況は好転せず、資金繰りが限界に達した。丸峰庵はホテルに連鎖する形で民事再生法の適用を申請した》(福島民報3月1日付より) 申請代理人はDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士ほか2名が務めている。 債権者の顔ぶれや各自の債権額は判明していないが、主な仕入れ先は地元の水産卸売会社、食肉会社、冷凍食品会社、土産物卸商社など。そのほかリネン、アメニティー、旅行代理店、広告代理店、リース、コンパニオン派遣、組合など取引先は多岐に渡るとみられる。 最大の債権者である金融機関については、同ホテルの不動産登記簿に基づき権利関係を別掲しておく。 根抵当権極度額1250万円1972年設定会津商工信組根抵当権極度額2400万円1974年設定会津商工信組根抵当権極度額3600万円1976年設定会津商工信組根抵当権極度額4000万円1976年設定福島銀行根抵当権極度額3億円1979年設定商工中金根抵当権極度額2億4000万円1981年設定常陽銀行根抵当権極度額4億5000万円2011年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定商工中金根抵当権極度額3億円2018年設定商工中金  ㈱丸峰観光ホテル(1965年設立、資本金3000万円)は客室数65室の「丸峰本館」、同49室の「丸峰別館川音」、同6室の「離れ山翠」を運営する芦ノ牧温泉では最大規模の温泉観光ホテル。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓子、田中博志、監査役=川井茂夫の各氏。 同ホテルでは「丸峰黒糖まんじゅう」などの菓子製造・販売も営み、ピーク時には郡山市の駅構内や駅前などで飲食店も経営していたが、業績が振るわず、2014年に関連会社の㈱丸峰庵(2006年設立、資本金300万円)に旅館経営以外の事業を移した。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓子の各氏。 同ホテルの関係者によると「まんじゅうはともかく、飲食店は本業との相乗効果を生まないばかりか、ホテルで稼いだ利益を注ぎ込んだこともあったはずで、経営が傾く要因になったのは間違いない」。実際、丸峰庵は都内2カ所にも支店を構えるなど、身の丈に合わない経営が常態化していた様子がうかがえる。 同ホテルはホームページで、今後も事業を継続すること、引き続き予約を受け付けること、監督委員の指導のもと一日も早い再建を目指すことを告知している。 「再建に向け、メーンバンクの会津商工信組も尽力したが『思うようにいかない』と嘆いていた。もっとも同信組に、大規模な温泉観光ホテルを立て直すコンサル能力があるとは思えませんが」(同) 同ホテルは2019年に亡くなった先代で女将の星弘子氏が辣腕を振るっていた時代は上り調子だった。 「女将は茨城方面の営業に長け、そこを切り口に関東から多くの大型観光バスを呼び込んでいた。平日や冬季の稼働率を上げるため料金を下げ、それでいて利益を確保する商品を開発したり、歌手を呼ぶなどの企画を練ったり、常に経営のことを考えている人だった」(同) 1980~90年代にかけてはテレビCMを流したり、2時間ドラマの舞台になったり、高級車やクルーザーを所有するなど、成功者の威光を放っていた。 しかし、次第に団体客が減り、観光地間の競争が激化。そのタイミングで経営のかじ取りが星弘子氏の息子・保洋氏に代わると、以降は浮上のきっかけをつかめずにいた。 民事再生の申請後、本誌が耳にした同ホテルや星社長の評判は次のようなものだった。 ▽取引先との間で支払いの遅延が起きていた。 ▽星社長は経営合理化を進めるため、外部の管理職経験者を招き入れたが、強引な進め方が社内で反発を招き、ベテランや士気の高かった社員が相次いで退職した。 ▽その一方で、星社長は高級車レクサスに乗っていたため、ひんしゅくを買っていた。 ▽地元建設会社に改修工事を依頼するも、前回工事の未払い金が残っていることを理由に断られた。 丸峰庵をめぐっても、こんな話が聞かれた。 ▽顧客ごとの特注包装紙や新商品のパッケージングなど工夫を凝らしていたが、ロット発注になってしまうため、経費増が囁かれていた。 ▽道の駅などに通常の委託販売ではなく買い取り販売を依頼するも、在庫ロスへの懸念から断られた。 ▽賞味期限の短い商品を社員が直接納品するのではなく、宅配便で送るなど、商品管理体制が疑問視されていた。 ▽飲食店の家賃を滞納していた。 ちなみに1987年には、法人税法違反で法人としての同ホテルに罰金1600万円、当時の代表取締役である星弘子氏に懲役1年執行猶予3年の有罪判決が福島地裁で言い渡されている。 難しい自主再建 臨時休業中の丸峰庵  ある債権者によると、社員たちは民事再生の申請を外部から知らされたという。 「ウチは当日(2月28日)の昼にファクスで通知が届いた。その日はちょうど仕入れ業者への支払日で、各業者が付き合いのある社員に『支払いはどうなるんだ』と個別に問い合わせたことで社員たちに知れ渡った。社員たちが星社長から話をされたのはその後だったそうです」 債権者説明会は同ホテルが3月3日、丸峰庵が同8日に開いたが、出席者は淡々としていたという。 「仕入れ業者からは『未払い分は払ってもらえるのか』『この先の支払い方法はどうなるのか』などの質問が出ていた。会津商工信組から発言はなかったが、商工中金が今後の経営体制を尋ねると、星社長は『ある程度目処がついたら経営から退く』と答えていた」(同) しかし、それを聞いた出席者たちは首を傾げた。 「理由は二つある。一つは既に決まっていると思われたスポンサーがおらず『今後の状況によってはスポンサーから支援を受けることも検討する』と星社長が述べたことです。物心両面で支援してくれるところがなければ、経営者の交代はもちろん再建もままならない。もう一つは星社長には子どもがいないため、後継者の見当がつかないことです」(同) スポンサー不在については、ホテル再建に携わった経験を持つ会社社長も「正直驚いた」と話す。 「民事再生はあらかじめ綿密な計画を立て、これでいけるとなったら申請―公表するが、その際、重要になるのがスポンサーの存在です。申請すれば新たな融資を受けられないので、スポンサー探しは必須。もちろん、スポンサー不在でも再建はできるだろうが、星社長はこの間、あらゆる手立てを尽くし、それでもダメだったのだから、尚のこと緻密な自主再建策を用意する必要がある。そうでなければ今後、同ホテルが再生計画案を示しても債権者から同意を得られるかは微妙だと思います」 なぜスポンサー不在をここまで嘆くのかというと、自主再建するには本業の将来収益から再生債権を弁済しなければならないからだ。そうした中でこの社長が注目したのは、冒頭の新聞記事中にある「売上高5億円、赤字2億円」という金額だ。 「単純に売り上げが7億円以上ないと黒字にならない。じゃあ7億円以上を売り上げるため、料金を何万円と設定し、1部屋に何人入れて何日稼働させると計算していくと相当ハードルが高いことが見えてくるんです。しかも、丸峰は規模が大きいので固定資産税がかかり、人件費も光熱費もかさむ。年月が経てばリニューアルも必要。挙げ句、お客さんは少ないので、お金は出ていくばかりだと思います」(同) この社長によると温泉観光ホテルは近年、客の見込めない平日を連休にすることが増えているが、丸峰観光ホテルは不定休だったという。 「1年中オープンするのが当たり前の温泉観光ホテルにとって連休はあり得ないことだったが、いざ休んでみると経費が抑えられ、少ない社員を効率良く配置できるなど経営にメリハリが出てくる。丸峰も連休を導入しつつ、3棟ある建物のどれかを臨時休館して経営資源を集中させる必要があるのではないか」(同) 聞けば聞くほど、スポンサー不在では再建は難しく感じる。実際、会津地方のスキー場に中国系企業が参入していることを受け「丸峰も外資が関心を示すといいのだが」との声があるが、芦ノ牧温泉の事情に詳しい人物によると、外資が登場する可能性は低いという。 「芦ノ牧温泉は地元の人たちが土地を所有し、経営者は地主らでつくる芦ノ牧温泉開発事業所に地代を払い、旅館・ホテルを建てている。経営をやめる場合は建物を壊し、土地を原状回復して地主に返さなければならない。同温泉街に廃旅館・廃ホテルが多いのは、解体費を捻出できない経営者が夜逃げしたためです」 要するに、外資にとって芦ノ牧温泉は魅力的な投資先ではない、と。 実際、同ホテルの不動産登記簿を確認すると、土地は芦ノ牧地区をはじめ市内の人たちの名義になっており、そこに同ホテルが地上権を設定し、建物を建てていた。 激減する入り込み数 自主再建を目指す丸峰観光ホテル  民事再生の申請から2週間後、星社長に話を聞けないか同ホテルを訪ねたが、 「社長は連日、取引先を回っており不在です。私たち社員は何も分からないので、それ以上のことはお答えできません」(フロント社員) 申請代理人のDEPT弁護士法人にも問い合わせてみた。 「債権者がスポンサー不在を心配しているのであれば真摯に受け止めなければならないが、私共が今やるべきことは債権者に納得していただける再生計画案を示すことなので、債権者以外の第三者にあれこれ話すのは控えたい」(田尾賢太弁護士) 同ホテルは今後、再生計画案を作成し裁判所に提出。その後、債権者集会に同案を諮り①議決権者の過半数の同意(頭数要件)、②議決権の総額の2分の1以上の議決権を有する者の同意(議決権数要件)を満たす必要がある。民事再生の申請から再生計画の認可までは通常5カ月程度。 前出・債権者は「同ホテルから示される再生計画案に債権者たちが納得するかは分からないが、これまで芦ノ牧温泉を引っ張ってきたホテルなので復活してほしい」と話した。 芦ノ牧温泉はピーク時、30軒近い旅館・ホテルがあったが、現在は8軒。一方、会津若松市の公表資料によると、同温泉の入り込み数は2001年約39万4000人、コロナ禍前の19年約23万1000人、コロナ禍の21年約10万3000人。入り込み数が激減する中、今日まで営業を続けてきた丸峰観光ホテルは善戦した方なのかもしれない。 丸峰観光ホテルのホームページ あわせて読みたい 【芦ノ牧温泉】丸峰観光ホテル社長の呆れた経営感覚

  • 【会津若松市】富士通城下町「工場撤退」のその後

     会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 デジタル事業は基幹産業になるか 富士通セミコンダクター会津若松工場(2013年6月撮影)  会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。  会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は4217人。富士通とその関連事業所が同市経済を支えていたことから「富士通城下町」と呼ばれた。 ところが、2008(平成20)年にリーマン・ショックが発生し、世界同時不況に陥ると半導体の売り上げが急落。富士通も大打撃を受け、翌年にはLSI(大規模集積回路)事業を再編。グループ全体で2000人の配置転換を行った。 さらに2013(平成25)年には大規模な希望退職を募り、市内に立地する富士通グループ2工場の従業員約1100人のうち、400人超が早期退職に応じた。 本誌2013年7月号では次のように報じている。 《1980年代に世界を席巻した日本の半導体産業だが、90年代以降はサムスン電子をはじめとした韓国や台湾のメーカーが台頭し、日本企業は苦戦を強いられるようになった。長年半導体事業を進めていた同社だったが、今年2月、システムLSI事業を同業他社のパナソニックと事業統合し、新会社を設立することを発表。さらに、富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ会津工場などの製造拠点を他社に売却・譲渡し、併せて人員削減も進めることで半導体事業を大幅に縮小する方針を打ち出している》 《(※2009年の配置転換実施時は)県外や全く畑違いの事業所への異動に難色を示す人が多く、配置転換を拒否して退職する人が相次いだ。ハローワーク会津若松によると、最終的に800人を超える離職者が発生したという。(中略)若い層の再就職率が高かったものの、働き盛りの年配層がなかなか再就職できず、就職率は約40%にとどまったという》 その後、富士通は半導体から撤退する姿勢を示し、関連工場を本体から切り離した。同市工場は「会津富士通セミコンダクター」として分社化され、製造子会社2社が設立されたが、それら子会社は2020年代に入ってからそれぞれ別の米国企業に完全譲渡された。会津富士通セミコンダクター本体は富士通セミコンダクターと称号変更。同市内から富士通関連の工場は姿を消した。 同市で富士通関連会社の社員と言えばちょっとしたステータスで、ローンの審査が通りやすいため、若いうちから一戸建てを構えている人も少なくなかった。ところが、再編に伴い転勤を命じられたため、転職を決意する人が相次いだ。 「子どもが生まれたばかりとか、受験生を抱えているといった事情の社員は地元の企業に転職した。転勤を受け入れても半導体事業自体が縮小する中だったので、希望の部署に就けるとは限らなかったようだ。最終的には九州に転勤になった人もいる。市内の松長団地では多くの住宅が売りに出され、地価が一気に下落した。地元住民の間では『松長ショック』と言われています」(松長団地に住む男性) 製造品出荷額等が激減 会津若松市役所  同市の2020(令和2)年製造品出荷額等は2290億円(2007年比70%)に落ち込んでおり、電子部品・デバイス・電子回路製造業はわずか約352億円(同33%)だった。従業者数は1544人(同36%)。数字はいずれもコロナ禍前の2019年の実績。 同市の市町村内総生産は2007年度4840億円、2018年度4639億円。製造業の総生産は2007年度1153億円、2018年度809億円。11年間のうちに300億円以上減少している。 「完成品を組み立てるセットメーカーの工場ではないので、市内に下請け企業が集積したわけではなかったのが不幸中の幸いだった」(市内の事情通)と見る向きもあるが、影響は決して小さくない。その穴をどのように埋めていくかが今後の市の課題と言えよう。 市が推し進めているのが、さらなる企業誘致だ。市企業立地課はセールスポイントを「交通インフラが整備されており、災害などが少ない面」と述べる。市内の工業団地はすべて分譲終了しているが、市議会2月定例会の施政方針演説で、新たな工業団地を整備する方針が示された。 ただ、企業誘致においては人手不足がネックとなる。 同市の1月1日現在の現住人口は11万4335人。1995(平成7)年の13万7065人をピークに減少傾向が続いている。 ハローワーク会津若松管内の昨年12月の有効求人倍率は1・6倍。市内の経済人などによると、建設業と製造業が特に不足しているという。 本誌2022年10月号で県内各市町村に「企業誘致を進める上での課題」をアンケート調査したところ、最も多かった回答が「労働人口の減少により働き手が確保できない」というものだった。人手不足に悩んでいるのはどこも共通しており、そうした中で人を集めるのは容易ではない。工業団地整備と同時進行で、会津地域内外から人を集める仕組みを検討する必要がある。 一方で、市が熱心に推し進めているのが、デジタルを活用したまちづくりだ。2011年8月の市長選で初当選した室井照平市長(3期目)が先頭に立って「スマートシティ会津若松」を推し進めてきた。 スマートシティとは、情報通信技術(ICT)などを活用して地域産業の活性化を図りながら、快適に生活できるまちづくりのこと。 同市はこの間、パソコンやスマートフォンによる申請書作成、除雪車ナビ、母子健康手帳の電子化、学校と家庭をつなぐ情報配信アプリ、オンライン診療、スマートアグリ、外国人向け観光情報ホームページといった取り組みを進めてきた。 市内にはコンピューターに特化した会津大学がある。同大の教員のレベルは経済界から高く評価されているが、地元経済の振興と結びついているとは言い難かった。同大と連携が図れれば、さまざまな成果を生み出し、卒業生の就職先につながることも期待できる。 市企業立地課によると、同市は人口10万人規模かつ人口減少など地方ならではの課題を抱えていることが「ICTを使った実証実験・課題解決に最適な場所」と評価されており、実際に企業が同市に拠点を設けるようになっているという。 「バランスが大事」 ICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」  そうした需要を見込み、2019年4月にはICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」が開所。首都圏と同様のオフィス環境に加え、セキュリティや災害時の事業継続性に配慮した施設となっている。現在は二十数社が入居し、400人以上が勤務している。中心的な役割を担うのはコンサルティング会社のアクセンチュア(東京都港区)だ。 同市の事情通は次のように語る。 「室井市長は元市長で会津大設立に尽力した山内日出夫氏と親密な関係で、会津大を活用するアイデアをよく聞いていたようだ。富士通撤退で窮地に立ったとき、かつてのアイデアが頭をかすめたのではないだろうか」 昨年3月には、最有力候補と目されていた国の「スーパーシティ型国家戦略特別区域」の指定に落選したが、その後、国のデジタル田園都市国家構想推進交付金の採択を受けた。約80社の企業で構成される「AiCTコンソーシアム」が事業の実施主体となり、市から7億3400万円の補助を受けてサービス内容を作り上げている。 市が注力する事業の行方に注目が集まるが、当の市民に感想を尋ねると、「スマートシティを実感する機会はないし、生活が良くなったという実感もない」、「デジタルを活用するのに、アイクトのような建物が必要だったのか」などと冷ややかな意見が多かった。 市内の経済人からは「室井市長はICT産業の振興にばかり興味を示し、観光振興などには無関心」とのボヤキも聞かれており、本誌でたびたび指摘している。 室井照平・会津若松市長のコメント 室井照平・会津若松市長  「富士通城下町のいま」をどう捉えているか、室井市長に質問すると次のようにコメントした。 「富士通グループの工場は市内からなくなってしまったが、そのつながりでさまざまな半導体企業が進出し、それらはいまも操業している。確かに製造業出荷額等は落ち込んだが、昨年は進出企業の増設が相次ぎ200億円の投資があり、雇用増加や税収増につながった。ICTはもちろん、製造業、観光などいろいろな柱をバランスよく伸ばしていくことが大事だと考えています」 今夏には市長選が控えており、現職と複数の新人による選挙戦になる見込みだ。ある会津地方の政治経験者は「会津若松市長選はどこまで行っても『無尽』など人間関係で決まる」と冷ややかに見るが、立候補者を評価・選択する際はこうした視点も一つの参考になるのではないか。 あわせて読みたい 企業誘致に苦戦する福島県内市町村【現役コンサルに聞く課題と対策】

  • 幻に終わった会津若松市長選「新人一本化」

    任期満了に伴う会津若松市長選は7月23日告示、同30日投開票で行われる。注目されたのは、他の立候補予定者より正式表明が遅れていた元女性県議の動向だった。 小熊氏の辞退要請を拒んだ水野氏 2月20日現在、市長選に立候補を表明しているのは現職で4選を目指す室井照平氏(67)と新人で市議の目黒章三郎氏(70)。ここに元県議の水野さち子氏(60)が加わり選挙戦は三つ巴になるとみられているが、室井氏と目黒氏が記者会見を開いて正式表明したのに対し、水野氏は立候補の意欲を示し続けるだけの状況が続いた。  そのため、選挙通の間では  「(市長選に)出る、出ると散々名前を売って結局出ず、その後に控える秋の県議選で返り咲きを狙っているのではないか」  と「本命は県議選」説が囁かれていたが、ある経済人は  「いや、本命は市長選で間違いないと思いますよ」  と言う。  「市内の有力者たちを回り、支援を要請している。『今の市政では市民が気の毒』『参院選でいただいた票を無駄にできない』『(選挙に必要な)お金は準備した』と話しているそうだから、有力者たちは『水野氏は本気だ』と受け止めている」(同)  水野氏は司会業やラジオパーソナリティーなどを経て2011年の県議選に立候補し初当選。2期途中で辞職し、2019年の参院選に野党統一候補として立候補したが、自民党の森雅子氏に敗れた。  落選したとはいえこの時、水野氏は34万5001票(当選した森氏は44万5547票)を獲得。それを受けて水野氏は「参院選の票を無駄にできない」と述べているわけだが、  「あれは野党が揃って支援し(当時参院議員の)増子輝彦氏が後押ししたから獲れた票数。それを自分が獲ったと勘違いしていたら(市長選に立候補しても)厳しい」(同)  水野氏の基礎票は2回の県議選で獲得した「7000票前後」と見るべきだが、それだって小熊慎司衆院議員の全面的なバックアップがあったことを忘れてはならない。  実は水野氏をめぐっては、その小熊氏が立候補を見送るよう水面下で打診していた。  事情通が解説する。  「室井氏は、自身の実績と強調する『スマートシティAiCT(アイクト)』がとにかく不評で、観光業と建設業の人たちからはソッポを向かれている。そもそも歴代の会津若松市長は最長3期までで、4期やった人は皆無。そのため室井氏の4選出馬を歓迎しない人は多いのです」  だから、室井氏の4選を阻止するには新人との一騎打ちに持ち込む必要があるのに、前出・目黒氏と水野氏が立候補したら現職の批判票が割れ、室井氏に有利に働いてしまう。  というわけで小熊氏は水野氏の説得を試みたが、2月18日付の福島民報によると、水野氏は立候補の意思を固め、同26日に正式表明するというから、小熊氏の辞退要請を聞き入れなかった模様。ただ、小熊氏は室井氏と個人的に親しいので、行動の目的が室井氏の4選阻止だったとは断言できない。  「市民の間には、高齢の目黒氏より女性の水野氏の方が新鮮という声が意外に多い。目黒氏が政策通で、市議会議長として議会改革を推し進めたことは間違いないが、前回も市長選に出ると言いながら結局出なかったため、ここに来て『今更出られても』という見方につながっているようです」(同)  新人の一本化は、水野氏が取りやめるのではなく、目黒氏が辞退することで実現する可能性もゼロではないようだ。

  • 辞職勧告を拒否した石田典男会津若松市議

     会津若松市議会は12月1日、石田典男議員(63、6期)に対する辞職勧告決議を賛成多数で可決した。決議案は同日開会した12月定例会議の本会議で審議され、石田議員と清川雅史議長、退席した4人、欠席した1人を除く19人で採決、全員が賛成した。  石田議員は会津若松地方広域市町村圏整備組合が2021年に行った新ごみ焼却施設の入札をめぐり、市の担当職員に非開示資料の閲覧を執拗に求めたり、入札参加予定企業の営業活動に同行するなどしていた。(詳細は本誌昨年11月号を参照)  決議の採決結果は別掲の通り。清川議長は中立を守る立場上、採決に加わらなかったが、仮に議長でなくても石田議員と同じ会派に所属することから、市民クラブの他議員と一緒に退席していたとみられる。  「10月下旬に開かれた会派代表者会議で石田議員の処分内容が話し合われたが、市民クラブは『厳重注意でいいのではないか』とかばったものの他会派は『辞職勧告すべき』と主張した。市民クラブとしては〝仲間〟への辞職勧告決議案が出されれば賛成するわけにはいかないし、かと言って反対もしづらいので、退席して採決に加わらない方法を選択した」(事情通)  決議案は当初、11月9日開会の臨時会で採決する予定だったが、元職員による約1億8000万円の公金詐取事件(詳細は本誌昨年12月号を参照)が発覚したため、扱いが先送りされた経緯がある。  今回の採決前には、石田議員の一連の行為が議員政治倫理条例に違反するか否かについて市政治倫理審査会(中里真委員長=福島大学行政政策学類准教授)が審査を行い、清川議長に報告書(10月4日付)を提出していた。そこには《石田議員が会津若松市職員であるa氏に対し、本件ごみ焼却施設計画に関する非開示の資料の開示を何度も求めた事実はあったと判断します》《一連の行為は特異な行動であった》《石田議員の行為は公正な職務を妨げる行為と認められます》などと書かれ、《会津若松市議会議員政治倫理条例第4条第1項第5号に違反する》と結論付けていた。  「非開示資料を石田議員に見せた市職員a氏は減給6カ月の懲戒処分を受けた後、市を退職している。それを基準に考えると、議員に減給処分は科せないし、懲罰の対象にもならないため、辞職勧告は妥当な処分だと思う」(ある議員)  とはいえ、辞職勧告決議に法的拘束力はなく、石田議員も採決後のマスコミ取材に「決議は重く受け止めるが、後援会とも相談し議員活動は続けていく」とコメントしている。  「今後の焦点は、8月の任期満了を受けて行われる市議選に石田議員が出た時、有権者がどう判断するかです。そこで当選すれば、石田議員は『有権者にとって必要な議員』ということになる。有権者の良識が問われる選挙になると思います」(同)  渦中の議員に、市民がどのような審判を下すのか注目される。 あわせて読みたい 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 日本損害保険協会「交通事故多発交差点マップ」を検証

     一般社団法人・日本損害保険協会は昨年10月26日、最新の「全国交通事故多発交差点マップ」を公表した。同マップには都道府県別に人身事故が多い交差点ワースト5が掲載されている。それを基に、県内ワーストとなった交差点での人身事故のケースなどを検証すると同時に、あらためて事故防止のためにどういったことを心がければいいか考えていきたい。 福島県内ワーストは会津若松市「北柳原交差点」  一般社団法人・日本損害保険協会の広報担当者によると、「全国交通事故多発交差点マップ」は、交差点・交差点付近での交通事故防止・軽減を目的に、各都道府県の地方紙(記者)の協力を得て作成したという。データは2021年のもので、毎年、同時期に更新されている。同マップでは、都道府県別に人身事故が多い交差点ワースト5が掲載され、人身事故のケースや交差点の特徴、予防策などが紹介されている。  マップとともに掲載されたリポートによると、福島県全体の過去5年の人身事故件数、死傷者数の推移は別表の通り。人身事故の発生件数、死傷者数ともに年々減少傾向にあることが分かる。  一方で、2021年の人身事故2997件のうち、1653件(55・2%)が交差点とその付近で発生している。こうして見ても、やはり交差点とその付近はより注意が必要であることが分かっていただけよう。  では、実際にどこの交差点での人身事故が多かったのか。  ワースト1は、会津若松市一箕町の「北柳原交差点」だった。国道49号と国道118号が交差するところだ。さらに、そこから600㍍ほど東側に行ったところにある「郷之原交差点」がワースト2タイになっている(地図参照)。  もっとも、ワースト1の「北柳原交差点」とその付近で起きた人身事故は5件、ワースト2タイの「郷之原交差点」とその付近は4件だったから、びっくりするほど多いというわけではない。 「北柳原交差点」 郷之原交差点  ちなみに、そのほかのワースト2タイは、いわき市常磐の「下船尾交差点」、同市小名浜の「御代坂交差点」、郡山市横塚の「横塚三丁目交差点」喜多方市一本木上の「塗物町交差点」、福島市渡利の「渡利弁天山交差点」、同市仲間町の「仲間町交差点」の計6カ所。 その中から、今回はワースト1の会津若松市一箕町の「北柳原交差点」と、そのすぐ近くにある「郷之原交差点」について検証してみる。 まず「北柳原交差点」だが、国道49号と国道118号が交差する地点で、朝夕を中心に交通量が多い。国道49号の会津坂下方面から猪苗代方面に向かうと交差点付近が下り坂になっており、右折レーンが2車線ある、といった特徴がある。 「全国交通事故多発交差点マップ」のリポートにも、交差点の特徴として、「国道同士が交わる交差点であり、東西に延びる国道は東側に向け下り坂、南北に延びる国道は交差点を頂上にそれぞれ下り坂になっている」、交差点の通行状況として、「恒常的に渋滞している」と記されている。 実際の事故事例  事故の種別は重傷事故が1件、軽傷事故が4件、事故類型は右折直進が2件、追突、右折時、出会い頭がそれぞれ1件となっている。  実際の事故のケースは「信号無視により、右折車両と衝突した」、「対向車が来るのをよく確認せずに右折したことにより、対向車と衝突した」と書かれており、予防方策としては「交通法規を遵守し、信号をよく確認して運転する」、「交差点を通行する際は、対向車がいないかよく確認し、速度を控えて運転する」と指摘している。  そこから東(国道49号の猪苗代方面)に600㍍ほど行ったところにあるのがワースト2タイの「郷之原交差点」。国道49号と県道会津若松裏磐梯線(通称・千石バイパス)が交わるT字路となっている。  マップのリポートには、交差点の特徴として、「東西に国道49号、南側に主要地方道会津若松裏磐梯線がそれぞれ交わる交差点であり、国道49号がカーブとなっている」、交差点の通行状況として、「恒常的に渋滞している」とある。  事故の種別は軽傷事故が4件、事故類型は追突が2件、右折時、左折時がそれぞれ1件となっている。  実際の事故のケースは「脇見等の動静不注視により、前車に追突した」、予防方策としては「運転に集中し、前車の動きや渋滞の発生を早めに見つけられるようにする」と書かれている。 ドライバーの声  普段、両交差点(付近)をよく走行するドライバーに話を聞いた。  「正直、『北柳原交差点や郷之原交差点とその付近で事故が多い』と言われても、ピンと来ない。そんなに〝危険個所〟といった認識はありませんね。ただ、いつも混んでいる印象で、当然、交通量が多ければそれだけ事故の確率も上がるでしょうから、そういうことなのかな、と思いますけどね」(仕事で同市によく行く会津地方の住民)  「両交差点に限ったことではないが、会津若松市内では県外ナンバー(観光客)をよく見る。普段、走り慣れていない人が多いことも要因ではないか」(ある市民)  「北柳原交差点は、国道49号を会津坂下方面から猪苗代方面に走行すると、下り坂になっていて見通しはあまり良くないですね。加えて、その方向に走ると、右折レーンが2つあり、本当は直進したいのに間違って右折レーンに入ってしまい、直進レーンに無理に戻ろうとしたクルマに出くわし、ビックリしたことがありました。郷之原交差点はT字路のため、左折信号があり、ちょっと気を抜いていると、それ(左折信号が点いたこと)に気づかないことがあります。その場合、後方から追いついてきたクルマに衝突される可能性が考えられます。そういったケースが事故につながっているのではないかと思います。もう1つは、両交差点に限ったことではありませんが、(積雪・凍結等の恐れがあるため)会津地方での冬季の運転はやっぱり怖いですよね」(同市をよく訪れる営業マン)  いずれの証言も、「なるほど」と思わされる内容。両交差点を通行する際はそういった点での注意が必要になろう。 「交通白書」記載の事例  ここからは、会津若松地区交通安全協会、会津若松地区安全運転管理者協会、会津若松地区交通安全事業主会、会津若松市交通対策協議会、会津若松警察署が発行している「令和3年 交通白書」を基に、さらに深掘りしてみたい。  2021年に同市内で起きた人身事故は167件で、死者1人、傷者186人となっている。2012年は633件、死者5人、傷者764人だったから、この10年でかなり改善されていることが分かる。人身事故発生件数が200件を下回ったのは1962年以来59年ぶりという。  同市内の人身事故の特徴は、「交差点・交差点付近の事故が全体の6割を占める」、「8時〜9時、17時〜18時の発生割合が高い」、「追突・出会い頭事故が全体の約6割を占める」、「国道49号での発生割合が高い」、「高齢運転者の事故が増加している」と書かれている。  実際に事故が多い交差点の状況についても記されており、当然、前述した「北柳原交差点」と「郷之原交差点」がワースト地点に挙げられている。ただ、同白書によると、両交差点での事故件数はともに6件となっており、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」に記された件数と開きが生じている。  会津若松署によると、その理由は「物件事故を含んでいることと、どこまでを交差点(交差点付近)と捉えるか、の違いによるもの」という。  同白書によると、「北柳原交差点(同付近)」の事故ケースは、右折時に歩行者・自転車と接触、右折時に対向車と衝突、出会い頭など、「郷之原交差点(同付近)」の事故ケースは追突、左折時に歩行者・自転車と接触、私有地から交差点に進入した際の歩行者・自転車との接触などが挙げられている。  このほか、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」には入っていなかったが、「北柳原交差点」から国道49号を西(会津坂下方面)に600㍍ほど行ったところにある「荒久田交差点」も両交差点に次いで事故が多い地点として挙げられている(2021年の事故発生件数は5件)。  同交差点(付近)では、左折時に歩行者・自転車と接触、右折時に対向車と衝突、追突といった事故事例が紹介されている。  会津若松署では、「やはり、単路より交差点での事故が多く、交差点付近では一層の注意が必要。心に余裕を持った運転を心がけてほしい」と呼びかける。  さらに、同署では、これら交差点に限らず、酒気帯び等の悪質なケースの取り締まり、事故被害を軽減するシートベルト着用の強化、行政・関係団体と連携した講習会の開催、道路管理者と連携した立て看板・電光掲示板での呼びかけなど、事故防止に努めている。  一方で、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」のリポートでは、「地元警察本部の取り組み」として、以下の点が挙げられている。  ○モデル横断歩道  各署・各分庁舎管内における信号機のない横断歩道で、過去に横断歩行者被害の交通事故が発生した場所や学校が近くにある場所、または、車両および横断歩行者が多いため、対策を必要とする場所を「モデル横断歩道」と指定し、横断歩行者の保護を図るもの。  ○参加・体験型交通安全講習会(運転者、高齢歩行者、自転車)  運転者、高齢歩行者、自転車の交通事故防止のため、警察職員が県内各地に出向き、「危険予測トレーニング装置(KYT装置)」等を使用して、参加・体験型の交通安全講習会を実施するもの。  ○家庭の交通安全推進員による高齢者への反射キーホルダーの配布  県内の全小学校6年生(約1万5000人)を「家庭の交通安全推進員」として各署・分庁舎で委嘱しており、その家庭の安全推進員の活動を通じて、祖父母など身近な高齢者に対して、交通安全のアドバイスをしながらお守り型の反射キーホルダーを手渡してもらうもの。  ○自転車指導啓発重点地区・路線の設定、公表による自転車交通事故防止対策の推進  警察署ごとに自転車事故の発生状況等を基に自転車指導啓発重点地区・路線を設定し、同地区・路線において自転車事故防止、交通事故防止の広報啓発を実施。 福島市で暴走事故  今回は、日本損害保険協会の「全国交通事故多発交差点マップ」を基に、事故が多い交差点の紹介、その形状と特徴、事故発生時の事例、注意点などをリポートしてきたが、県内では昨年秋、高齢の男がクルマで暴走するというショッキングな事故があった。  この事故は11月19日午後4時45分ごろ、福島市南矢野目の市道で起きた。97歳の男が運転するクルマ(軽自動車)が歩道に突っ込み、42歳の女性がはねられて死亡。その後、信号待ちで前方に停止していたクルマ3台にも衝突し、街路樹2本をなぎ倒しながら数十㍍にわたって走行した。衝突されたクルマのうち、2台に乗っていた女性4人が軽傷を負った。  軽自動車を運転していた97歳の男は、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)の疑いで逮捕された。男は2020年夏に、免許を更新した際の認知機能検査では問題がなかったという。  地元紙報道には、事故に巻き込まれたドライバーの「こんな人が運転していいのかと感じた」という憤りの声が紹介されていた。  その後の警察の調べでは、現場にブレーキ痕はなかったことから、ブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性が高いという。  この事故を受け、警察庁の露木康浩長官は記者会見で、「(高齢運転者対策の)制度については不断の見直しが必要」との見解を示した。警察庁長官がそうしたことに言及をするのは異例と言える。  このほか、週刊誌(オンライン版)などでも、この事故が取り上げられ、逮捕された男の人物像に迫るような記事もいくつか見られた。  そのくらい、ショッキングな事故だったということである。  地方では、クルマを運転する人は多いが、ハンドルを握るということは、それ相応の責任が生じる。そのことを自覚し、各ドライバーが無理のない運転を心がけ、より注意を払い、事故防止のきっかけになれば幸いだ。 あわせて読みたい 郡山4人死亡事故で加害者に禁錮3年 【専門家が指摘】他人事じゃない【郡山市】一家4人死亡事故 【福島市歩道暴走事故の真相】死亡事故を誘発した97歳独居男の外食事情

  • 【クマ被害過去最多】市街地でクマ被害多発の理由

     2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。 専門家・マタギが語る「命の守り方」  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 奥会津最後のマタギposted with ヨメレバ滝田 誠一郎 小学館 2021年04月20日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

     会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。 専門知識を悪用した元職員  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は2022年11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は2022年6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は2022年8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、2022年11月8日現在、約9100万円を回収した。  2022年9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は2022年10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は2022年11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は2023年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

     会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。 当人は「法令に違反していない」と反論 会津若松市の石田典男議員  会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。  整備組合(管理者・室井照平会津若松市長)は会津若松市、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、金山町、昭和村、会津美里町で構成され、圏域人口は17万4500人(2022年4月現在)。構成市町村のごみ・し尿・廃棄物処理、水道用水供給、介護認定審査、消防に関する事業を行っている。 既存のごみ焼却施設は会津若松市神指町南四号で稼働中だが、1988年竣工と老朽化が著しいため、整備組合では隣接するし尿処理施設を解体し、その跡地に新ごみ焼却施設を建設する計画を立てた。 10月下旬、現地を訪ねると、し尿処理施設は既に取り壊され、鉄板が広く敷かれた敷地内では複数の重機やトラックが稼働するなど、大規模な土木工事が始まっていた。 計画によると、し尿処理施設の解体から土木工事、プラント工事、試運転までを含む期間は2021年8月から26年3月。その後、営業運転が始まる予定だが、この工事の入札に執拗に介入していたとされるのが同市の石田典男議員だった。石田議員は当時、整備組合議会の議員を務めていた。 石田議員は何をしたのか。 入札は総合評価方式制限付一般競争で行われ、共に地元業者をパートナーとする日立造船JVと川崎重工業JVが参加。2021年2~5月にかけて、整備組合が設置した「新ごみ焼却施設整備・運営事業事業者選定委員会」(以下、選定委員会と略)による審査を経て、同6月、川崎重工業JVが落札者に決まった。本契約は同8月に交わされ、契約金額は約252億円だった。 新ごみ焼却施設は現在、土木工事が行われている  この入札過程で石田議員が関係者に対し、入札手続きに関する質問や問い合わせを繰り返したり、落選した日立造船JVの担当者らと一緒に行動していたことなどが明らかになった。きっかけは、選定委員会の委員2名から「石田議員から特定企業に対する便宜や利益誘導等の要請、依頼等の働きかけに該当する恐れのある行為を受けた」とする報告書が整備組合管理者の室井市長に提出されたことだった。委員2名とは、当時の市建築住宅課長と市廃棄物対策課長である。 事態を問題視した整備組合は、事実関係を調査するため入札手続きを一時中断。その結果、落札者の決定が当初4月上旬の予定から6月上旬と2カ月遅れた。 調査では、次のような事実関係が明らかになっている。 ①石田議員は複数回にわたり選定委員の建築住宅課長を訪ね、非公開の選定委員会資料を閲覧し、地元業者の入札参加要件などを公表前に聞き出そうとした。 ②石田議員は建築住宅課長に、落札者の選定に当たっては災害対応、地元業者の活用、景観的調和などが重要事項になると指摘した。 ③石田議員は選定委員の廃棄物対策課長に、災害に強い施設や発電設備の設置場所などのポイントについて説明した。 ①の行為が問題なのは説明するまでもないが、②と③の行為は、そこに挙げられた要件を重視すると日立造船JVの方が優れていると石田議員が示唆した――と委員2人は受け止め、これを「石田議員による働きかけ」と捉えたわけ。ちなみに、非公開資料を石田議員に閲覧させた建築住宅課長は減給6カ月の懲戒処分を受け、市を退職している。 このほか石田議員は、日立造船や地元業者の担当者らを連れて市役所や市公園緑地協会を訪ねている。目的は同協会に、審査項目の一つになっている関係表明書(もしそのJVが落札したら、地元業者に協力を約束する文書)の提出を求めるためだった。応札業者と議員が一緒に行動すれば、周囲から疑いの目で見られるのは避けられないのに、躊躇しなかったのは驚く。 ただ、整備組合の調査では「不当な働きかけや関係法令に抵触するような事実は確認できず、入札の公平な執行を妨げるまでには至っていない」と結論付けられた。「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」というわけだ。 この結論に納得がいかなかった整備組合議会は2021年5月、地方自治法100条に基づく「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査特別委員会」(以下、特別委員会と略)を設置。特別委員会は同5~8月にかけて計23回開かれ、石田議員に対する証人尋問を行ったり、前述・選定委員2名(この時、既に委員を辞めていた)や市建設部副部長、整備組合職員を参考人招致したり、関係者に資料提出を求めるなどした。 これらの調査結果をまとめたのが同8月17日付で公表された「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査報告書」である。その結論部分は次のよう書かれている。 狙いは石田議員〝抹殺〟⁉  《今般の調査を通して、石田議員は環境センター等への電話や訪問等により、記録が残されているだけでも十数回にわたり問い合わせや意見の申出、資料の請求、又は資料の提示を行っている。特に、入札公告前の入札に関する情報については、公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、繰り返し秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に職員は圧力を感じた、というものである。 こうした執拗な問い合わせや確認は、議員の権限を越えた入札手続きへの介入であり、執行機関の権限を侵害するものである。 一方、会津若松市建設部副部長との間における緑地協会からの関心表明書に係るやり取りについても、同様に問い合わせや確認が繰り返されたことから、今般新たに働きかけと認定されたところであり、本事業に係る入札手続きの中断は、まさに石田議員による選定委員会委員2名と会津若松市職員1名への働きかけが発端となったものである。加えて、石田議員は、整備組合の入札に応募する民間企業であることを理解した上で、その営業活動に同行するなどした一体性を疑われる行為は、議員活動の範囲を逸脱していると言わざるを得ず、とりわけ石田議員は整備組合とA社(報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)単独または関係する企業グループ等との間における契約案件について、整備組合の議会議員として審査や決議を行う立場にありながら、企業の立場で資料を持参の上、質問や相談を行う行為には疑念を抱かざるを得ない》(39頁) このように「石田議員による働きかけや疑わしい行為があった」と断定しているが、報告書にはこうも書かれている。 《すべての委員において特定の者に有利、または不利に働くような趣旨の発言は一切なされなかったこと、さらに石田議員による非公開資料の閲覧、石田議員によるB・C両委員(建築住宅課長と廃棄物対策課長。報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)への接触等によって、本事業に係る(中略)意思決定について、何ら影響を受けていないことを委員一同で確認した》(35頁) 《官製談合防止法や刑法をはじめとする関係法令等に接触し公契約締結に係る妨害行為に該当し得るような行為の有無を検証したものの、これらの関係法令に抵触するような行為はなかった》(37頁) 石田議員の一連の行為は「落札者の決定に影響を及ぼしておらず、関係法令にも抵触していなかった」というのである。 整備組合による調査に続き、特別委員会による調査でも「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」と結論付けられたわけ。併せて特別委員会は「告発までには至らない」とも結論付けている。 シロかクロか、はっきりさせるために設置したはずの特別委員会でも結局グレーとしか判断されず、どこかモヤモヤ感が残る。ただ報告書を読んでいくと、前述・委員2人や市建設部副部長、整備組合職員らの証言から、ある種の覚悟を感じ取ることができる。その証言とは、 「石田議員から『これは重要だよね』『やっぱりこういう点で見なきゃいけないよね』といった問いかけがあり、自分としては誘導されているというイメージ、依頼があったという認識を持った」 「石田議員の市議会建設委員会での質疑等から経験上、市へのアプローチの仕方を見てきており、今回も同じ方法で行われていると思った」 「細かい中身まで質問されることもあり、何か意図があるんだなと思うような質問もあった」 「入札そのものに関する情報は公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、電話や来庁等により秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に圧力を感じた」 石田議員は以前から「市発注の公共工事に首を突っ込み過ぎる」と評判で、記者も市職員から度々「石田議員の行為は迷惑」と聞かされていた。要するに、疑惑が取り沙汰されるのは今回が初めてではないのだ。 そうした中で、職員たちが石田議員を一斉に〝告発〟したのは「これ以上、入札への介入は許さない」という意思の表れだったのではないか。言い換えると、この際、職員たちは石田議員を〝抹殺〟しようとした、ということかもしれない。 不満露わにする石田議員  石田議員は現在6期目。前回(2019年8月)の市議選(定数28)では1954票を獲得し、5位当選を果たしている。上位当選で6期も務めているのだから、有権者の支持も高いのだろう。 もっとも、前述・特別委員会の報告書では地元の特定業者との近しい関係が指摘され、業者・業界による一定の支持が上位当選につながっている可能性もある。すなわち、石田議員は業者・業界の〝代理人〟としての役割を果たしつつ議員報酬(月額約45万円)を得ており、業者・業界は石田議員からもたらされる情報を有意義に活用している――という持ちつ持たれつの関係が浮かび上がってくる。 2021年8月、特別委員会の報告書が公表された後、整備組合議会は石田議員に対し、整備組合議会議員の辞職勧告を決議したが、石田議員は辞職しなかった。 一方、石田議員の一連の行為は関係法令には抵触していなかったが、市議会議員政治倫理条例に違反している可能性があるとして同11月、清川雅史議長に審査請求書が出されたことから、清川議長は同12月、第三者機関の「会津若松市政治倫理審査会」を設置した。同審査会は計8回開かれ、2022年10月4日、審査結果をまとめた「報告書」を清川議長に提出した。 報告書に書かれていた結論は「公正な職務の執行を妨げたり、妨げるような働きかけを禁じた同条例第4条第1項第5号に違反する」というものだった。併せて審査会は、清川議長に対しても▽本事案について議員に周知し、政治倫理基準の順守を徹底すること、▽政治倫理基準に反する活動に対し、条例の趣旨に則り議員がその職責を果たすことを求める、という意見を文書で伝えた。 清川議長に報告書と自身への意見について見解を尋ねると、次のようにコメントした。 「審査会の報告書と意見を重く受け止めている。現在、会派代表者会議で議会としての対応を検討中で、現時点で議長としての見解を述べることは差し控えたい」 この報告書を受け、石田議員は同18日、清川議長に「弁明書」を提出した。そこには《当該職員は何ら影響を受けずに活動できたものと思われる》《現に職務の公正性が害された事実はない》《報告書は「その他公正な職務を妨げる行為」がどのような行為を指すのか触れていない》と反論が綴られていたものの、《政治倫理条例第19条第1項は審査会の報告を尊重するものと定めており、議員としてこれに異はない》と同審査会の結論を受け入れる姿勢を示した。 石田議員の条例違反が明確になったことで、同市議会では今後、石田議員に対する処分が検討される。この稿を書いている10月下旬の段階では辞職勧告が決議されるという見方が出ているが、会派によっては厳重注意でいいのではないかという声もあり、温度差があるようだ。いずれにしても、11月中に開かれる予定の臨時会で最終的な処分が科される見通しである。 石田議員に電話で話を聞くと、弁明書では「異はない」としていたのに次々と反論が飛び出した。 「応札業者と一緒に行動したことは軽率だったと反省している。しかし、整備組合の調査も特別委員会の報告書も、私が法令違反を犯したとは結論付けておらず、告発も見送っている。私からすれば問題アリと言うなら告発してもらった方が、どういう法令違反があったかハッキリして、かえって有り難かった」 「審査会の報告書ももちろん重く受け止める。ただ、こちらも『その他公正な職務を妨げる行為』と抽象的な結論にとどまっている。私は議員として巨額の税金が投じられる公共工事について必要な調査を行っただけ。公の事業に関する情報を請求しただけなのに、なぜ悪く言われるのか。こちらが請求しても出せないと拒否するのは、隠し事があるからではないかと疑ってしまう。私は以前から公共工事について必要と思ったことは詳細に調査してきたし、勉強もしてきた。今回の入札も専門的知見から見るべき部分がたくさんあり、職員とは『それって必要なことだよね』と確認の意味を込めて話しただけ。私にとってはそれが『常識的なやり方』でもある。しかし、他の議員には私の『常識』が通じない。そういうことをやっている議員は他にいない、というわけです」 「自分が100%悪いことをしたとは思っていないが、専門委員や職員にはもしかするとハラスメントと受け取られかねない言動があったのかもしれない。今後は特別委員会や審査会の報告書を丹念に読み込み、自分の行為が法令や条例に違反するのか・しないのか、弁護士と相談しながら結論を導き出したい。そうすることで特別委員会や審査会の調査が正しかったのか、処分を科された自分が納得できる結論だったのかを精査していきたい」 石田議員によると、2021年8月に辞職勧告を決議された整備組合議会議員は、2022年10月に辞職したという。 同僚から冷ややかな声  法令違反はなく、自身の「常識」に基づく行為だったことを何度も強調した石田議員。しかし、同僚議員の見方は冷ややかだ。 「石田議員は弁明書で『他に資料請求をした議員がいないから〝特異な行動〟と言われるが、他に関心を持った議員が存在しなかっただけ』と述べているが、私から言わせると公共工事にそこまで関心を持つこと自体が不思議だ。あそこまで首を突っ込めば『業者に頼まれたから』と疑われてもやむを得ない。石田議員は『自分の行為は入札結果には影響していない』とも言っているが、そういう行為をしたことが問題なのであって、それに対する反省もない」 そのうえで、同僚議員は石田議員の今後を次のように展望する。 「市議会で辞職勧告を決議しても辞めないでしょう。議員は2023年8月に任期満了を迎え、市議選が行われる。石田議員の今回の行為は議員として相応しくないと思うが、もし市議選に出馬して7選を果たしたら、それは有権者が判断したことなので他の議員は従うしかない」 一定の結論が出されたことで、石田議員が入札に介入することは今後難しくなるだろう。いわば主だった活動が制限される中、議員を続ける意義を見いだせるのかが問われる。もっとも、それが主だった活動というのは、議員としていかがなものかと思ってしまうが……。