飯舘村出身の俳優・大内彩加さん(29)が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(40)から性行為を強要されたとして損害賠償を求めて提訴している。谷氏は「事実無根」と法廷で争う方針だが姿を見せず「無実」の説明もしていない。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に単身移住。浜通りを拠点に演劇の上演や指導を計画していた。大内さんは、「劇団員にしてきたように福島でも性暴力を起こすのではないか」と恐れ、被害公表に踏み切った。(小池航)
【大内彩加】飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相
谷氏から性被害を受けたと大内さんがネットで公表したのは昨年12月15日。翌16日からは谷氏の新作劇が南相馬市で上演される予定だったが、被害の告発を重く見た主催者は中止を決定。谷氏は自身のブログで、大内さんの主張は「事実無根および悪意のある誇張」とし、司法の場で争う方針を示している。
谷賢一氏はどのような人物か。本人のブログなどによると、郡山市生まれで、小学校入学前までを石川町で過ごし、千葉県柏市で育った。明治大学で演劇学を専攻し、英国に留学。2005年に劇団「DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)」を旗揚げした。大内さんが所属しているのがこの劇団だ。
自身のルーツが福島県で、父親は技術者として東京電力福島第一原発で働いていたという縁。さらに、原発の在り方に疑問を抱いていたことから、作品化を目指して2016年夏から取材を始めた。事故を起こした福島第一原発がある双葉町などを訪れ、2年の執筆と稽古を重ねて福島県と原発の歴史をテーマにした一連の舞台「福島三部作」に仕上げた。
作品は2019年に東京や大阪、いわき市で一挙上演。連日満員で、小劇場作品としては異例の1万人を動員した。その戯曲は20年に鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞を同時受賞した。谷氏が昨年10月に双葉町に移住したのは、何度も訪れるうちに愛着が湧き、放っておけなくなったからという。
性被害を受けた大内彩加さんは、飯舘村出身。南相馬市の原町高校2年生の時に東日本大震災・原発事故を経験した。放送部に所属し、避難先の群馬県の高校では朗読の全国大会に出場。卒業後は上京して芝居を学び、イベントの司会や舞台で活躍してきた。2015年からは故郷・飯館村をPRする「までい大使」を務めている。
大内さんが東京で活動しているころ、谷氏が福島三部作に出演する俳優を募集していると知った。故郷を離れても芝居を通して何かしら福島と関わりたいと思っていた大内さんはオーディションを受けた。
結果は合格。谷氏からは「いつか平田オリザさんと浜通りで演劇祭をやるからお前も手伝うんだぞ」と言われた。平田氏は、劇団「青年団」を主宰する劇作家・演出家だ。震災前からいわき市の高校で演劇指導をしてきた縁で、県立ふたば未来学園(広野町)でも講師を務めた。谷氏は青年団演出部に所属していた(今回の告発を受けて退団)。大内さんは、故郷の浜通りで著名な演劇人の関わるイベントに携わることを夢見た。
三部作の上演に向けて、谷氏が主宰する劇団での稽古が始まった。2018年6月、大内さんが都内で稽古に参加した時だ。谷氏が女性俳優の尻をやたらと触り、抱きついていた。周囲の劇団員は止めないし、何も言わなかった。
間もなく自分が標的になった。休憩に入ると、谷氏は大内さんに肩を揉むように言ってきた。従うと、谷氏は手を伸ばして大内さんの胸を触ってきたという。谷氏はその後もことあるごとに体を触ってきた。大内さんが言葉で拒絶しても、谷氏はやめなかった。
大内さんは「我慢すれば済むこと。三部作に関わるチャンスを逃したくない」と不快感を押し殺した。しかし、被害はエスカレートする。稽古終わりのある夜、谷氏は東京・池袋駅のホームで大内さんを羽交い絞めして服の上から胸を触ってきた。周りには人が大勢いた。大内さんは身長169㌢、谷氏は185㌢という体格差もあり抵抗できなかった。
「俺はお前の家に行く」
同年7月26日は都内で福島三部作の先行上演があった日だ。この日大内さんは谷氏から性被害を受ける。終演後の夜、大内さん、谷氏、出演した俳優たちの計5人で駒場東大前駅近くで飲んだ。男性俳優2人と女性俳優1人が先に帰った。谷氏と大内さんだけが残された。
谷氏は大内さんを羽交い絞めにして、服の中に手を入れて胸を揉んできたという。何度も抵抗したが、力の差は歴然だった。谷氏は「終電を逃したのでお前の家に行っていいか」と聞いてきた。大内さんは1人でホテルに泊まるか、自宅に帰ってほしいと頼んだが、谷氏は「妻には連絡した。俺はお前の家に行く」。タクシーに押し込まれ、自分の家に行かざるを得なくなった。
当時住んでいた家は1LDK。大内さんは、酒に酔っていた谷氏をベッドに寝かし、自分は床やリビングに逃げようとしたが抵抗はむなしかった。
翌日、大内さんは前日夜に飲み会に同席していた女性俳優にLINEでメッセージを送った(図)。動揺と谷氏への嫌悪感が見て取れる。
「彼女も谷からパワーハラスメントを受けていました。2人で傷をなめ合うことしかできなかった」(大内さん)
正式に劇団に籍を置いてからも被害は続いた。大内さんに交際相手がいると知れ渡る2021年3月まで谷氏は胸や尻を触る行為をやめず、LINEではセクハラメッセージを送り続けた。
大内さんは何もしなかったわけではない。劇団内で解決しようと、古参の劇団員にレイプ被害を打ち明けた。だが、答えは
「大内よりも酷い目に遭ったやつはいっぱいいたからな。それで辞めていった女の子はたくさんいたよ」
谷氏の振る舞いは、古参劇団員も目撃しているはずだった。
「性暴力は、この劇団では当たり前のことなんだ、誰も助けてくれないんだと絶望しました」(大内さん)
2022年春頃、大内さんは稽古中も、街中で1人でいる時も訳もなく涙が出てきた。何を食べても味を感じないし、芝居を見ても本を読んでも頭に入ってこない。歩けずに過呼吸になったこともあった。間もなく舞台から離れた。
同年5月ごろ、谷氏は劇団内でハラスメント防止講習を行い、「ハラスメントを許さないという姿勢を外部に表明しよう」と提案した。「劇団内でハラスメントがあったから対策をするんですよね」。谷氏のこれまでの所業を暗にとがめる劇団員の質問に、谷氏は「してきたわけではない」と否定。ただ「決して品行方正な劇団ではないが、何も言わずには済まないだろう」と言った。大内さんは傍で聞いていた。
心身は限界だった。心療内科で同年6月にうつ病と診断された。「私はいつもの状態ではなかったんだ」。病名を与えられて初めて、自分を客観的に眺めることができた。
「死を選んだら谷に殺されたのと同じだよ」
被害に向き合うと、あの日の光景がフラッシュバックする。苦痛から逃れるために「死にたい」と思う希死念慮にさいなまれた。
劇団から距離を置いたことで、少しずつだが被害を友人たちに打ち明けられるようになった。年上のある女性俳優は大内さんにこう言った。
「いま死を選んだら『自殺』ではなく『他殺』だよ。谷に殺されたのと同じ。彩加ちゃんは毎日眠れなくて、苦しくて、辛い思いを何度もしてきたんでしょ。それなら谷にも同じ気持ちを味わわせなきゃ。裁判でも何でもいいから形にして社会に訴えて、これ以上被害者を出さないこと。そうしないと彩加ちゃんはきっとこれからも苦しみ続けるよ」
原町高校時代の友人は、普段の温厚さからは想像できない怒りようだった。
「谷には早く福島から出て行ってほしい。こんなこと、あってはいけない」。そして、「彩加は全然悪くない」と言ってくれた。
「私は怒っていいんだ」。我慢することばかりで、自分の感情にふたをしていた。友人たちが自分の身に起こったことのように憤ってくれたことで、大内さんは怒りの感情を少しずつ取り戻していった。
性被害を告白できるまでには4年かかった。弁護士からは、刑事告訴するには時間が経っているため立証が難しく、時効も高い壁になるだろうと言われた。民事で損害賠償を求める選択しかなかった。
提訴は2022年11月24日付。判断を法廷に託したのは、演劇界で性暴力、パワハラなどあらゆるハラスメントが横行している現状を見過ごされないように広く訴えるためだ。 同年9月には、別の劇団の男性が自死したと聞いた。ハラスメントとの因果関係は不明だが、主宰者から何らかの被害を受けて退団したという話は耳にしていた。
「男性が亡くなったと聞いた時、なんでもっと早く私自身の被害を明らかにしなかったんだろうと悔やみました。同じ境遇の人が他にもいると彼が知っていたら、『自分だけじゃない』と自死を踏みとどまったかもしれない。提訴しなければならないと決意したのは、彼の死を知ったからです」(大内さん)
「性暴力は福島県でも起こりうる」
提訴は、谷氏の所業を福島県民に知らせ、移住先での新たな被害を防ぐ狙いもあった。性暴力は稽古場や谷氏が酒に酔った際に起きている。谷氏は双葉町で一人暮らしをしていた。移住先では自宅で稽古を付け、酒宴を開くこともあると知り、「劇団員にしてきたことが福島でも起こりうる」と大内さんは恐れた。
大内さんは東京地裁で1月16日に開かれた裁判の第1回期日に出廷し、閉廷後に記者団の取材に応じた。法廷に谷氏の姿はなかった。
本誌は谷氏にメールで質問状を送り取材を依頼した。「訴訟代理人を通してほしい」とのことだったので、谷氏の弁護士に質問状を郵送したが、期限までに返答はなかった。
谷氏は福島県で何をしようとしていたのか。公開資料を読み解く。
谷氏は昨年9月16日に「一般社団法人ENGEKI BASE」を設立している。法人登記簿によると、主たる事務所はJR双葉駅西側に隣接する帰還者用の住宅。谷氏の新居だ。代表理事に谷賢一、他の理事に大原研二、山口ひろみの名がある。大原氏は南相馬市出身の俳優で、福島三部作では大内さんと一緒に方言指導を務めた。被害告発後には、谷氏が主宰する劇団を退団したと発表している。
同法人は演劇を主とした文化芸術の発信・交流による福島県の地域活性を事業目的とし、「演劇・舞踊などの舞台芸術作品の創作・発信」「アーティストの招聘」「演劇事業の制作」を掲げている。現在、ホームページが閲覧できず、谷氏の回答も得られていないため全容を知ることはできないが、谷氏はこの法人を軸に福島県での活動を描いていたようだ。
実際、1月20~22日に富岡町で開かれた「富岡演劇祭」(NPO法人富岡町3・11を語る会主催)では、当初協力団体に名を連ね、谷氏はシンポジウムで前出・平田オリザ氏と対談する予定だった。テーマも「演劇は町をゲンキにできるか?」。双葉町へ移住した谷氏あっての企画だ。しかし、大内さんの被害告発を受け、主催者は谷氏との断絶を宣言し、シンポの「代打」には文化庁次長や富岡町職員ら3人を当てた。谷氏が所属していた劇団青年団主宰の平田氏も登壇したが、本来の対談相手がいなくなったことに言及する者は誰もいなかった。
谷氏の「裏の顔」は演劇界以外には知られていなかったので、内情に疎い県民が「被災地を応援してくれている」ともてはやしていたのは仕方がない。問題は、谷氏とまるで関係がなかったかのように取り繕うことだ。
最たる例が地元紙だ。帰還地域に移住した著名人だったこともあり、初めは「再起した双葉から、新たな物語が始まろうとしている」(22年10月9日付福島民友)などと盛んにPRした。ところが大内さんが性被害を公表すると、福島民報も福島民友もばつの悪さからか関連記事は共同通信の配信で済ませている。独自取材をする気配はない。メディアが報じるのに及び腰のため、ネットでは憶測を呼び、当事者はバッシングなどの二次被害を受けている状況だ。
谷氏は口を閉ざすが、大内さんはあらゆるメディアの取材に応じる方針だ。だが、地元メディアは積極的に取り上げようとしない。福島県出身の被害者の真意が県民に伝わらないのは、この県の悲劇である。
その後
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